Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 2  AGE Blue (青の時代) (1)



( 1 )

 それから二年の歳月が、流れていった。グループ一のメンバーたちにも、変動が起きている。十人の孤児グループはずっと二軒のコンパートメントで、みなで助け合って暮らしていたが、二ヵ月前に夫をなくして寡婦になったナンシー・ミルトンと、十五才の目の不自由なマリアの母娘、同じく半年前に夫を亡くして、今は七才の一人息子セオドアと暮らすエレン・スターリングの四人は、一軒の家で――ナンシーたちのコンパートメントにエレン親子が加わる形で、一緒に暮らしていた。そして現在病気で入院中のジェーン・カートライトの二人の娘、十四才のエリサと十一才のミルドレッドがいる。彼女たちの父は三年前に亡くなっているので、母ジェーンが死んでしまうと孤児になってしまう姉妹は、養育施設には行かないで、二人で孤児グループの中に入って、ここに留まるつもりだと言った。健常児のエリサと障害を持つミルドレッドは、同じ「家」には行けないゆえかもしれない。
「大丈夫でしょう? わたし、ミルドレッドの面倒は見れると思うわ。もう大きいんだし、ローリーやエレノアたちと一緒に、頑張ってやっていくから」
 エリサ・カートライトは足の不自由な妹の車椅子の把手をぎゅっと握りながら、きっぱりした口調でそう訴え、
「ええ、もちろんそうしてちょうだい。わたしたちも、できるだけのことはするわ」
 グループのメンバーたちは、姉妹をそう励ました。孤児グループの年長者の一人であるエレノア・シェーファーは、「いいわよ。部屋まだ空いてるから、一緒に暮らしましょう」とにこやかに言い、最初から姉妹と同じグループで暮らしていたローリー・ハーディングは「また一緒になって、うれしいよ。ジェーン小母さんは残念だけどね」と答えていた。

 アールは別住居になったが、エフライムとオーロラのシンクレア夫妻は、今までの住居にエヴェリーナ、アドルファスとともに暮らしていた。九月に十六歳になる二人には、どちらもその気配はなかったが、彼らも結婚した場合、誰が出るかはわからないが、別住居が必要になるだろう。しかし、第一グループに割り当てられた十二室のうち、今誰かが住んでいるコンパートメントは五室なので、まだ余裕はあった。
 第一世代最年少者であるエフライム・シンクレアとオーロラに生まれた子供は女の子で、アティーナ・ローザと名づけられた。父親と同じ色合いの金色の髪は母親の髪質を引き継いでまっすぐに近く、黒く長いまつげに縁取られた大きな目は祖父の、そして母親譲りのヘヴンリー・ブルー、まるで表情豊かな人形のような顔立ちの幼女だった。陽気で人懐っこい性質のアティーナには、本人は『若い叔母さん』的な気分になっているエヴェリーナもたちまち夢中になり、アールとメアリの子供、ランディスとグロリアが赤ん坊のころそうであったように、喜んでベビーシッター役を買って出ていた。

 そんなある日の午後、スクールで日課の勉強を済ませた後、エヴェリーナは家に帰るべく、中央通路を歩いていた。展示物がおいてある広場を渡るだけの、短い道のりだが、その隅に置いてあるベンチの一つに、アールが腰かけているのを見つけた。
 アールは四年前にメアリ・ローデスと結婚し、三歳半のランディス、もうじき二歳になるグロリアと、二二才の若さながら、二人の子供の父親になっていた。そして、エヴェリーナたちが住む、彼ら四人が育った居室を二年と少し前に出、一つ上の階の住居に移動していた。従兄が移動してからも、エヴェリーナは時々遊びに行って、小さなランディスとグロリアの相手をしている。
 エヴェリーナはアールの姿を見つけると、ぱっと駆け寄ろうとした。が、一歩足を踏み出して、そのまま留まった。従兄が一人ではないと気づいたからだ。アールの隣には、黒髪の若い女性が座っていた。
 あの人は――エヴェリーナは記憶を手繰った。スクールでよく見かける顔だ。そう、教育班のリーダー、エミリー・ライトさんの一番上の娘さんだ。名前はヴィエナ。十九歳。二年前から母親と同じ教育班に属していて、初級クラスの先生をやっている。
 エヴェリーナは改めて、その顔を見つめた。ヴィエナ・ライトは美人だ。はっきりそう思える。もし第二世代美女コンテストなどというものがあったら、まあ、優勝はオーロラだろうが、ヴィエナもベスト3くらいには入るかもしれない、そう思えるほどに。
(どっちにしても、あたしはきっと十位にも入らないわね)
 自嘲気味にそう考えて肩をすくめながら、エヴェリーナは従兄と並んで座っているヴィエナを眺めた。顔を縁取り、ふさふさとたれている、柔らかな質感の黒い巻き毛。滑らかな、透けるような白い肌。長く、黒いまつげ。赤く小さな、形の良い口元。美術のクラスのデッサンで使うような石膏彫刻そっくりの鼻筋。深い色合いの、少しすみれ色がかった大きな灰色の瞳。その目で従兄を見上げながら、彼女は何かを話し、微笑んでいた。アールもまた楽しそうに彼女を見つめ、話している。
 エヴェリーナはなんとなく見てはいけないものを見てしまったような気分で、足早に広場を通り過ぎた。従兄とその連れは、彼女に気づいていないようだった。
「なんなのかしら…」
 エヴェリーナは軽い動悸を感じながら、自分たちの居室に帰りついた。
「考えすぎよね。ただのお友達よね。きっとお仕事の話か何かをしていたんだわ」
 でもあの二人には、妙に親密な雰囲気があった。ヴィエナは従兄の腕に触っていたりなどしていたし――。

 家に帰り、小さなアティーナと遊んでやりながら、エヴェリーナはオーロラに、今見てきた光景を話した。
「まさか、お従兄ちゃん、浮気なんかじゃないでしょうね」と、半ばおどけて、そう付け加えた。オーロラが笑い飛ばしてくれることを、期待して。
 しかしオーロラは、笑いはしなかった。ちょっと困ったような、考え込んだような顔をして「うーん。完全に否定できたらいいんだけれど……」と、首をかしげている。
 彼女は持ってきたミルクとクッキーのトレーを、小さなプレイテーブルの上に置いた。ミルクは豆乳だ。今は牛がいないので、本物のミルクは望むべくもない。しかし農業班のがんばりで、大豆はふんだんに収穫できていた。小麦や砂糖大根も栽培できたので、昔の世界から保管されていた砂糖も加えて混ぜ、調理班がさまざまなお菓子を製作していた。このクッキーもそのひとつだ。
「ティーナがカップをひっくり返さないように、見ててね」
 オーロラはそう声をかけると、自分は少し距離を置いてソファに座った。
「お従姉ちゃんは食べないの?」
「あたしはダメ。気持ち悪くて。特に豆乳の匂いなんかかいだら、もう……」
 オーロラは苦笑して首を振った。プリムローズ色のトレーナーとブルージーンズというカジュアルな服装の、すらりとした線からはまだわからないが、彼女の中には二人目の子供が宿っていたのだ。
「つわりって、苦しいものなのね。あたしには、まだわからないけど……」
 エヴェリーナは同情に耐えないという顔で、小さなアティーナに一つクッキーを握らせてやり、自分も一つ手に取りながら、続けた。「メアリも結構きついって言ってたけれど、お従姉ちゃんのほうがつらそう。ティーナの時も、結構大変だったし」
「人によるんじゃないかしら。あたしたちのママも、そうだったって言うし。アールとあたしがママのおなかにいた頃のことを、ジャスティン伯父さんも、『壮絶な母の聖戦』なんて書いていたんですものね」
「うん。それはあたしも読んだわ」
 エヴェリーナはクッキーをかじり、豆乳を少しすすって、カップを置いた。
「ねえ、それで、話を戻すけれど……」
「アールのことね」オーロラは肩をすくめた。
「お従姉ちゃんは、何か知っている?」
「アールも、相変わらず鈍感よね。っていうか、無神経かも。そんな人目につくようなところで、堂々と話してるなんて」
「えっ、じゃあ、本当に?」
「うーん。どうしよう……」
 オーロラは少し考えているように黙っていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「あのね、エヴィー。秘密にできる? ことがはっきりするまでは、絶対誰にもしゃべらないって」
「うん。絶対誓うわ」エヴェリーナも、真剣な表情で頷いた。
「あの二人は、付き合っているのよ」
「ええ!?」
 思わず、驚きの叫びがもれた。その横で無心にクッキーをかじっていたアティーナが、きょとんとした顔で見上げている。
「ああ、ごめんね、ティーナ。なんでもないのよ」
 エヴェリーナは幼女を膝に抱え上げ、頭をなでてから、従姉を見た。
「本当なの、お従姉ちゃん? だって、付き合ってるって……お従兄ちゃんには奥さんも子供もいるじゃない。第一世代じゃないんだから、そんなのって……」
「まあ、そうよね」
「メアリは? メアリはこのことを知っているの?」
「うすうすは知ってると思うわ。あの二人、あなたに目撃されたように、人目を忍ぶとかほとんど考えてないから、中央委員会じゃ、公然の秘密みたいなものなのよ」
「まあ、そうなの……」エヴェリーナは驚きを飲み込んだ。
「ああ、でも、たいていの人が知っているなら、どうしてあたしに秘密にしろって言うの、お従姉ちゃん」
「だからね、それじゃなくて、秘密って言うのは、違うのよ。今のところは、『知っているけれど言わない』っていうのが情けなのね。それに二人の仲はどこまで伸展しているかということは、外からじゃ、わからないじゃない? ただの仲の良い友達ということだってありえるし。でもね、ただの仲のいい友達だったら、とてもそんなことはありえない事態に、なってしまったのよ」
「どんな?」
「赤ちゃんが出来たらしいの」
「ええ!?」再びエヴェリーナは大声を上げ、膝の上の幼女を驚かせてしまった。
「ああ、ごめんね、ティーナ。泣かないで。ほら、もうひとつクッキー、あげるから」
 あわてて子供をとりなしたあと、彼女は従姉に向き直った。
「それって、本当なの、お従姉ちゃん?」
「アールがそう言っていたから、そうなんでしょうね。ヴィエナも凄くつわりが大変だったらしいの。それでここ一ヶ月、仕事を休んでいたくらいよ。今日は広場にいたのなら、少しはいいのね。予定日は、彼女のほうがあたしより一ヶ月くらい早いらしいわ」
「そうなの……」
 エヴェリーナは言葉を失って、しばらく黙り込んだ。
「凄いショックって顔ね、エヴィー」
「ええ、ショックよ。だって、お従兄ちゃんって、そういう人じゃないって思ってたのに」
「嫌いになっちゃった? アールのこと」
「そんなわけないわ。自分のお兄さんを嫌いになんか、なれるわけないじゃない。ええ。たとえ血のつながりでは従兄弟だって、あたしにとってお従兄ちゃんお従姉ちゃんは、気持ちの上では兄弟なのよ。嫌いっていうのは、ありえないわ。でもね、あたし、お従兄ちゃんを凄く尊敬していたのよ。お従兄ちゃんは優しくて、誠実で、かっこよくて、美しくて、頭も切れて、みんなに気配りできる素晴らしいリーダーで。なのに、もう奥さんと子供がいながら、他の、美人で若い女の人に子供を生ませるなんて人には、思えなかったから、ちょっとがっかりしちゃっただけなの」
「それを聞いて、少しは安心したわ。でもアールもね、ヴィエナの見目にほだされたわけじゃないと思うわ」
 オーロラは肩をすくめ、かかってきた髪を後ろにかき上げながら、言葉を継いだ。
「あの二人、二年くらい前から接近していたのよね。ヴィエナがアールを好きになったって言って。でもアールはその時、もうとっくにメアリと結婚してて、グロリアが生まれたばかりの頃だったわ。ヴィエナはねぇ、積極的なのよ。それにあの人、妙に人をひきつける魅力のある人だし」
「じゃあ、ヴィエナさんがお従兄ちゃんを、メアリさんからとろうとしたってことなの?」
「取るつもりはないんじゃないかしら。実はあたしね、一年くらい前にヴィエナに話をしに行ったことがあるの。アンディやカールや、他の中央のメンバーたちがいろんな話をあたしにするし、エフも『その噂は聞いたことがある』って言うし。第一世代にまで、噂になってるなんて、とあたしは恥ずかしかったわよ。それで、アールに聞いても良かったんだけれど、まず敵を知れって感じでね。あたしもヴィエナは、それほど知らない仲じゃないけれど、友達ではなかったから」
「そうなの。それで?」
「結論。けっこう気があったわ、彼女とは。いいお友達になれそうねって思った」
 オーロラは再び肩をすくめた。
「ちょっと、怖い顔しないでよ、エヴィー。でも本当に、彼女はメアリとは違った意味で良い子だったわ。それで彼女、あたしにはっきりこう言ったのよ。『第一世代じゃないのだからって、責められることはわかっているわ。もう奥さんと子供のいる人を好きになって、アプローチしているんですものね。でも、人を好きになるのに、権利も規則もないんじゃないかと思うのよ。わたしはメアリさんの邪魔をしようとは思わないし、彼女の立場も認めるの。ただわたしは、自分の望むことをやりたいだけ。それを受け入れてくれるかどうかという選択権は、彼にあるのだし。でも、かりに彼がわたしを受け入れてくれなくとも、わたしは愛することをやめられないわ。愛は誰にも、止められるものではないんじゃないかしら』って。まあ、あたしも、それはそうよね、って言ったの」
「じゃあ、お従姉ちゃんは……」
 エヴェリーナは膝の上で眠そうにしている幼な子を軽くゆすってやりながら、聞いた。
「もしエフライムさんが結婚してたとして、子供さんもいたとして、それでもあの人からアプローチされたとしたら、好きになった?」
「うーん。あたしはきっと、そこまで好きにはなってないわね。妻帯の時点で、リストから外しているわよ」
「そうなの。それはやっぱり……道徳?」
「まあ、それもあるけれど、ややこしいじゃない、三角関係って。そういう面倒くさいのは、好きじゃないのよ。自分がいて、相手がいて、あとは子供。それ以外に愛情の動線があると、絡まりそうな気がするの。アールはヴィエナの愛情を受け入れることで、そういう絡まった関係を、自分から選び取ったのよ。だから、どうなろうと、それは彼の責任だわ。ヴィエナも覚悟の上でしょうから、それも彼女の責任でしょうね。でもね、メアリにその責任はないのよ。ランディとグロリアにも。それだけは忘れないでよねって、二人には言ったんだけれど」
「そうよね」
 エヴェリーナは頷きながら、心が痛んだ。あの柔和なメアリが、うすうす感じてはいた夫の背信を、決定的な事実として目の前に突きつけられたら、どう思うだろうかと。

 それから二ヵ月後、ヴィエナの妊娠がもはやコミュニティ内で隠しおおせない事実となって知れ渡った。その後、ローゼンスタイナー家で、アールとメアリがどのような話し合いをしたのかは、当事者のほかは誰も知らされなかった。しかし、事後の処置を知らされるに及んで、エヴェリーナは驚きのあまり、言葉を失った。ヴィエナの子供が生まれたら、なんと彼女とその子を、今アールが住んでいる家に迎え入れるというのだ。四ベッドルームのコンパートメントの、空いた一室に。ということは、同じ台所や食堂を、正妻と愛人が一緒に使うことになる。さらに、もっと子供が増えた時のことを考え、子供が生まれて少し落ち着いたら、このアパートメントの建物最上階にある、現在どこのグループも所有していない、六ベッドルームの部屋に引っ越すという。恒久的に、メアリとヴィエナが同居する? アールは何を考えているのだろう。なぜ、そんな無神経なことをするのだろう。エヴェリーナは我慢できず、アールの仕事の帰りを待ち構えて彼を捕まえ、思ったことをぶちまけた。
「メアリがかわいそうじゃない、お従兄ちゃん!」と。
「そうかな……」アールはエヴェリーナの怒りがあまり理解できないようだった。首を振り、苦笑をうかべて、言葉を継いでいる。
「オーロラにも、今朝同じことを言われたけれど、女の人の感じ方は、違うんだろうか。でも、メアリ自身が承知したんだよ。その方がいいって。それにね、今度生まれてくる子供だって、僕の子なんだ。正規の夫婦の子供じゃないからって、よけいな負い目をその子におわせたくない。ランディやグロリアと、平等に扱ってやりたいんだよ。同じように父親として接してやりたいし、男の子だったら、僕の姓も名乗らせたい。そう言ったら、オーロラもわかってくれた。君もわかってくれるんじゃないかい、エヴィー」
 たしかに、生まれてくる赤ん坊に罪のあるはずがない。エヴェリーナも、引き下がるしかなかった。従兄の気持ちも、少しはわかる気がした。生まれる前から父親不在で育ったアールは、自分の子にはたとえ庶子でも、ちゃんと父親というものを持たせてやりたいのだということを。

「でもやっぱりねえ、こんなのって尋常じゃないわよ。第一世代では、そんなに珍しくないって言っても、それって片方は、別に愛情関係がないっていうケースがほとんどでしょう。奥さんと恋人が同居しているなんて、さすがに聞いたことないわ。お従兄ちゃんってば、赤ちゃんのことは考えても、奥さんの気持ちは考えないのかしら。メアリがかまわないはずはないのにね」
 エヴェリーナは家に帰り、やがて帰ってきた弟に夕食を出してやりながら、釈然としない気持ちをぶつけた。
「うん。まあ、普通はそうだよね」
 アドルファスは、スープとパンを食べながら、興味はあるがそれほど誰にも感情移入はしていない、という表情で頷いていた。
「でもヴィエナさんとメアリさん、うまくやってけるのかな? もし二人がケンカはじめちゃったら、アールお兄ちゃん、どっちにつくんだろう?」
「もしヴィエナについたら、許さないわよ。あたしは絶対、メアリに味方するわ」
 エヴェリーナは頭を振り、ついで、ため息をついた。
「でもね、あたし不思議よ。男の人って女の人を二人同時に愛せるものなのかしら? あたしがもし誰かを好きになって、その人があたし以外にも好きな女の人がいるとしたら、やっぱりいやだわ」
「うーん、ぼくはその場になってみないと、なんともいえないけど、でも結婚って、考えたら、誰が先に見つけたかっていう、椅子取りゲームみたいなもんだよね。早い者勝ち。その椅子に最初に座った人の勝ち。でも、もしあとで誰かが、その椅子が好き、気に入ったって言って座ろうとしたら、先に座った人をどかしても、無理やり一緒に座ろうとしても、ルール違反だよね」
「でしょ、そうよねぇ! あなた、結構いいこと言うわね、アドル!」
 エヴェリーナは思わず感心して叫んだが、アドルファスは首をかしげ、こう続けていた。
「でも、そのルール自体、誰が決めたことなのかな。早い者勝ちルールって、なんか考えようによっては変だって、思うこともあるんだ」
「あなた、理屈っぽすぎよ、アドル」
 エヴェリーナは苦笑せずにはいられなかった。
「でもなんだか、あたし、これからお従兄ちゃんのところに遊びに行くの、ちょっと憂鬱かもね。メアリは好きだし、ランディやグロリアも好きなんだけど、ヴィエナはあんまり好きになれないかもしれないわ」
「でもメアリさんだって、せっかくアールお兄ちゃんと一緒に独立できたんだから、あまりエヴィーにお邪魔虫されたくはないんじゃない?」
 アドルファスは、いたずらっぽく笑った。
「だいたいエヴィー、暇なのをいいことに、お従姉ちゃんやお従兄ちゃんにくっつきすぎじゃない?」
「あら、でもお従姉ちゃんもメアリも、助かってるって言ってくれてるわよ」
「オーロラお姉ちゃんはいいよ。でも、エフライムさんはわからないよ。それに、メアリさんだって、エヴィーに遠慮しているのかも」
「ええ? それは、考えたことなかったなぁ。ちょっとショックだわ」
「でもさ、エヴィーも来月から仕事持ちになるじゃない。そしたらきっと、自分の仕事に手一杯になって、アールお兄ちゃんの家のこと、そんなに気にならなくなるよ、きっと」
「全然気にならないってわけには、いかないと思うわ。それに仕事は忙しくても、お休みの時には、お従兄ちゃんのところにも少しは遊びに行きたいし、ランディやグロリアに会いたいわ。お従姉ちゃんとたくさんおしゃべりしたいし、ティーナのお守りもね」
 まあ、それでも仕事があるのは気晴らしかな――エヴェリーナはそう考えた。彼女が選び取った所属先は教育班。それもスクールで教える先生でなく、みどりの家の障害児たちの教育を希望していた。それは絶え間ない忍耐と、寛大で奉仕的な精神を必要とするだろう。七年前に従妹のドロシーをなくした時から、漠然と思っていた進路だった。彼女に出来る償いは、同じような障害を持つ子供たちの力になることだ、と。
 気晴らしなんて思っていたら、とんでもない。エヴェリーナは自分にそう言い聞かせた。


( 2 )

 その夏、アール、オーロラ、エヴェリーナとアドルファスは、同じ第一グループのメンバーである、ジェーン・カートライトを見舞った。彼女の母はステュアート博士の一番下の妹であり、エステル――ローリングス姉弟の母であり、ローゼンスタイナー兄妹の叔母である――と年も近く、それほど頻繁には会わなかったものの、比較的仲の良い従姉妹同士だったのだ。彼女は十八歳の時、三才年上の姉ハンナとアイスキャッスルに来て、二人ともシルバースフィアに移り住むことが出来たが、ここへ来て四年目に姉は病死した。幸いジェーンはその年月を生きのび、三人の子を産んで、そのうち二人を成長させることが出来たが、今は病に倒れ、その生涯の終わりに近づいていた。
 四人が病室に入った時、ジェーンは点滴を付けたまま眠っていた。多くの末期ガン患者たちは、激しい痛みを押さえるために麻酔薬を打たれているので、あまり意識がはっきりしている時は多くなかったが、その時の彼女も、やはりそうだった。
 モルヒネや強い鎮痛剤は十三年前に現存ストックが底をつき、それから三年間ほどは、多くの病人たちが生身の苦痛にさらされて苦しんだ。それを見兼ねた医療班のスタッフたちが、患者が希望する場合は安楽死をさせるという、重苦しい選択をした時代もあった。しかし、新しい麻酔薬や鎮痛剤が製造されるようになって、患者たちはやっと苦痛から、かなり解放されるようになっていたのだ。
 彼らが帰りかけた時、ジェーンは目を覚ましたようだった。そして四人に視線を向けると、微笑を浮かべ、弱々しく呟いた。
「ああ……今日はクリスマスね……」
「まだ七月だよ、ジェーン小母ちゃん。クリスマスは半年先」
 アドルファスは首を振って言いかけ、気がついたようだった。
「ああ、そうか。薬のせいか。それで、あまり意識がはっきりしてないんだね」
 ジェーンは焦点の定まらない目で四人を見つめたまま、うわごとのように言葉を呟く。
「毎年クリスマスにはね、そう、毎年じゃないわ、一年おきに……オタワのお祖母ちゃんが、一族を呼び寄せるのよ。そう、だからわたしも、オタワへ来たのね。どこにいても絶対こなきゃいけないって、一週間も前から、ご馳走を作ってね。七面鳥に……プラムプディング……今年は幸運の銀貨が……当たればいいんだけど……」
 彼女は無邪気に楽しそうな微笑を浮かべ、まもなく再び眠り込んでしまった。
 四人は、当惑気味に顔を見合わせた。
「ジェーン小母さん、ほとんど意識がもうろう状態なんだね。自分が子供になって、昔のクリスマスパーティにきてると錯覚してるんだよ。小母さんはハミルトンの出身だけど、ステュアートの本家自体はオタワだって、エステル叔母さんに聞いた記憶があるんだ」
 アールの言葉に、オーロラは不思議そうに首を傾げていた。
「でもステュアートのお祖母さんって、かなり前に亡くなっている人じゃない? ジャスティン叔父さんの記録だと、たしか……そう、お父さんが独立する少し前に、ステュアートのお祖母さんが亡くなって、それでお祖母さんと一緒に暮らしていた娘のミリセント小母さんが、一人で身軽になったから、エステル叔母さんたちの面倒をみるためにステュアートの家に来た、って書いてあったじゃない。それって、お父さんが十三、四歳の時だから、エステル叔母さんもジェーン小母さんも、五歳か六歳くらいじゃないかしら」
「ああ……そうだね。本当に昔の記憶だね。でもジェーン小母さんは、覚えていたんじゃないかな。それが、意識に出てきた。そして、今自分はオタワにいる。それが結びついて、そんな幻想になったんだと思うよ」
 アールは少し考えるように黙った後、そう結論付けた。
「昔の記憶が掘り起こされたっていうわけね。世界が壊れる、かなり前の。ということは、じゃあ、今の状態もわかっていないのかもね。それって、小母さんにとっては幸せなことかもしれないわ」オーロラは小さくため息をつく。
「でも……なんだか気の毒だわ」
 エヴェリーナは頷きながらも、思わずそう言葉が出た。
 昔の追憶――楽しかった頃の思い出。シルバースフィアでも、クリスマスは毎年祝う。でも、古き世界では、その祭りはどんな様子だったのだろう。父の記録にも、そんな記述があった――。
「ねえ、ジェーン小母さんが言ってたような、昔のクリスマスのご馳走って、どんなのだったのかしら。少なくとも、今とは違うようね。七面鳥に……プラムプディング? そうだ。パパの記録にも、書いてあったわ。世界が壊れる前の最後の年のクリスマスに、昔風のお祝いをやったって」
 その思いは、不意に心に落ちてきたようだった。考えるまもなく言葉が滑り出た。
「ねえ、お従兄ちゃん、お従姉ちゃん。今度のクリスマス、昔のようにやれないかしら? 第一世代の人に聞いたら、クリスマスのご馳走の作り方とか詳しいことが、わかるはずだわ。そしたらあたしたちも、昔のことが少しはわかるようになるし、それに大人の人だって、きっと懐かしく思って喜ぶに違いないわ」
「それはいい考えだけど、今の状態で再現可能かなあ……」
 アールは疑わしげな表情で、首を捻っている。
「そうね。詳しいことは、第一世代の人たちに相談してみないとね。でも、実現できれば、たしかに面白そうだわ。ジェーン小母さんも、きっと喜ぶでしょうし」
 オーロラは少し楽しげな口調だった。
「そうだけれど、小母さんにクリスマスのご馳走を、っていうのは難しそうだね」
 アールは首を振った。ジェーンの命はあと数週間と、医師は告げたのだ。
「残念だね。でも小母ちゃんは間に合わないかもしれないけど、他の人たちのためにはなるかもよ。ぼくもどんなのか、やってみたいな。興味あるもん」
 アドルファスは、好奇心いっぱいの表情だった。

 四人は自分たちそれぞれの居室に帰る前に、同じ第一グループの第一世代である、ナンシー・ミルトンとエレン・スターリングの住居を訪ねた。二人は今、同じコンパートメントを分けあって住んでいて、ナンシーはローリングス家の、エレンはスタンフォード家の、それぞれ親戚筋に当たる大人だった。いまやグループ内で生存していて元気な第一世代の女の人は、彼女たち二人だけだったのだ。ナンシーとエレンが住む家のリビングで、四人はジェーンのお見舞いのいきさつと、そこから考えに至った『昔風のクリスマスが出来ないか』という提案を切り出した。
「まあ、それはいい考えね。できたらいいわね。ええ、もちろんわたしもできるだけ協力するわよ」
 エレンは茶色の目を輝かせて頷いたが、ナンシーはやや懐疑的なようだった。
「出来たら素晴らしいけれど、でも現実には、無理じゃないかしら。だって材料が調達できないんですもの。七面鳥はおろか、鶏すらいないわ。わたしたちが手に入るかぎりじゃ、動物はいないのよ。いいえ、たぶん世界中どこだって。プラムプディングにしたってね。ミルクも卵も、もうとっくに粉末を使い切ってしまったし、仮に他の街まで探しに行ったとしても、何年ものだと思う? 二十年以上も前のよ。さすが使えないと思うわ。ぶどうとプラムは栽培してるから、なんとかなるけど。小麦粉とお砂糖もね。でも、それだけよ」
「ああ、そうだったわねえ」エレンもがっかりしたように両手を上げ、溜息をついた。
「そういえば、あれから一度も、卵って食べたことがないわ。フリーズドライの卵粉末は、まあ、五年くらいは混ぜて食べられたけれど、それだけね。懐かしいわね。それにお肉も、三年前に最後の缶詰を食べてしまったわ。二十年物の……それでも確かに、かすかにお肉の味はしたけれど。それが最後ね。もう動物たんぱく質には、お目にかかれないわ」
「悲しいわね、なんだか。またわたしたちの世界の木霊が消えることになるから。それに木もみな枯れてしまったから、クリスマスツリーも無理ね」
「木はまた生えてくるかもしれないわ。何十年かたったら。種が残っていればなんとかなるわよ。農業班もそのために努力してるんだし。でも動物は今のところ、受精卵が凍結保存されているだけでしょう? まだまだ人工子宮の技術も開発されていないのだから、どう考えても、無理よ」
「人工子宮の開発はまだまだ先でも……作れない……かな。生き物じゃなくて、動物たんぱく質だけなら」
 アドルファスは大人たちの会話を聞きながら、しばらく考えているような表情だったが、やがて頭を上げた。
「もうオタワには動物たんぱく質は、お肉も卵も残ってないけど、他のところなら、あるかもしれない。多少変性してるだろうけど、経年変化のメカニズムがわかれば、元の形を類推できるから、それを参考にして、植物たんぱく質の組み合わせを変えて、動物のものに近づけられたら……動物たんぱく質の組織構成がわかってたら、それに組み替えることが、できるかもしれない。分子合成は難しいけれど、工業的にはやっていることだし、生体内でもできていることなんだから、不可能ではないと思うんだ。条件さえ整えば。そうして、元の肉や卵やミルクに近いものができたら……それで、再現できると思うんだ」
「ああ、そうできたらいいわね!」第一世代の二人は、同時に声を上げた。
「小母ちゃんたちも、やっぱり昔の食べものが再現できたら、いいと思う?」
 エヴェリーナは首を傾げてきいた。
「そうね。それはもちろんよ。そうすればわたしたちの失われた世界も、少しだけ取り戻せるかもしれないし。そうよ、昔の世界に住んでいたことのある人ならみんな、きっと内心は、それを望んでいるに違いないわ。今までは生きるのに必死で、そんな余裕もなかったけれど」ナンシーが灰緑色の目を輝かせて言い、エレンも頷いた。
「そうよね。必要不可欠ってわけじゃないけど、でもみんな望んでるはずね」
「いや、それは必要不可欠かもしれないよ」
 アールは首を振った。昔ロバート・ビュフォードから聞いた話と、ジャスティンの記録にあった未来世界の記述を思い出したのだろう。
「ああ、そうか! 未来ではそうだって、書いてあったものね」
 あとの三人は同時に思い出したようで、小さく声を上げている。
「そうなんだよ。僕はクレイグさんに話をしてくる。明日からでも、その研究は始まると思うよ。たぶん君が引っ張ることになると思うから、頑張ってくれよ、アドル」
 アールは従弟に向かって、ぱちっと目配せをした。




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