Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 1  AGE White (白の時代) (7)




 闇の向こうから、声が聞こえてくる。
(ロブ、ロブ……)
 そう呼びかける声が、複数。聞き覚えのある声たち。
(ロブ、そんなに思ってくれて、ありがとう……)
(僕たちは大丈夫だよ。ロブこそ大変だったね。最後まで)
(本当に俺たちいつも、感謝していたんだ……)
(子供たちの面倒まで見てくれて、本当にありがとう)
 ロブはその声の主たちを認識した。姿こそは見えないが、かつて彼が心血を注いだバンドのメンバーたち。ロビン、ミック、ジョージ、そしてジャスティン。懐かしさの感情が広がっていった。
「みんな……どこにいるんだ?」彼は呼びかけた。
(今はまだ、別の世界なんだ)
 そう答えたのは、ミック・ストレイツのようだ。
(でもすぐにロブも、こっちの仲間入りだな。その時に会えるな)
 そう言っているのは、ジョージ・スタンフォードだ。
「みんなはあの世から、呼びかけているのか?」
 ロブはいぶかしげに問いかけた。
「ジャスティン、ロビン、ジョージ、ミック……会いに来てくれたのか、僕に」
(ロブが叫ぶから、ここまで聞こえたんだ)
 ジャスティンの声は、かすかに笑いを含んでいた。
「それは、ありがとうな」ロブは苦笑をかみ殺した。
「おまえたちが僕の叫びに答えて来てくれて、嬉しいよ。四人だけでも……」
(ああ、エアリィが来ないのは、別に薄情になったわけじゃないから)
 ジャスティンが再び、少し笑いを含んだ声で続ける。
(彼は本来の自分に戻ってしまったから、同じこっち側でも、違う次元の場所にいるんだ。僕らの場所には、もう来ることが出来ない。四千年後に、もう一度そっち側に行くまで。だから最後にロブに別れを言えなかったって、残念がっていたよ)
(でも、きっと彼が元の彼のままでいたら、今ここに僕らと一緒に来ているだろうから、僕ら五人が来ていると思っていいと思うよ)
 ロビン・スタンフォードがそう言い添える。
「そうなのか……」ロブはひとしきり黙り、そして続けた。
「ジャスティン。では、あの話は……本当なんだな」
(ああ、僕が記録に書いたこと? そうだよ。僕らは彼が元の姿に戻る瞬間も見たんだ、こっちで、あの最後の曲を演奏したあとに。僕らはずっと五人だ、それは変わりないけれど、実質ヴォーカルは永久欠番になってしまったから、今は四人で時々ジャムっているよ。でもあなたなら、起きてもきっと『これは夢だ』って言うのかな)
「いや、もう言わないよ。もともとわかっていたんだ。考えたくなかっただけさ。でも、そうなんだな。レオナが言ったように、エアリィが本当は何であっても、彼に対する僕の気持ちが変わるわけじゃない」
(僕らもそうだよ)四つの声がこだまするように、そう響いてくる。
「ジャスティン、それで今は、あの話以上に、何かわかったことはあるのかい?」
 ロブはそう問いかけてみた。
(いいや――)それが答えだった。
(それ以上はわからない。でも、これからおいおい明らかになっていくんだろうね)
「そうか……」
 周りの闇が、だんだんと薄れていくのを感じた。彼らの存在が遠くなっていく。
 ロブは見えない存在に向かって踏み出そうとし、声を上げた。
「みんな……最後に一つだけ聞かせてくれ。今のシルバースフィアの状態に、満足か?」
(そっちの様子を見ることは、僕らにはできないんだけれど、伝わってくる思いは感じるよ。悲嘆もあるけれど、でも全体に前向きな力が伝わってくるんだ。だから満足しているし、安心しているよ)
(そうだな。いろいろ不自由だし、理不尽な別れもあるみたいだが、その中でも前に進んでいくんだって力は、ここからも感じられるぜ。みんな、本当によくやってると思う)
(そう。みんな一生懸命今を生きていこうとする思いを、その中で自分にできる精一杯のことをしてコミュニティを良くしていこうっていう思いを感じるんだ。感嘆の気持ちがわいてくるほどだよ)
(本当、みんながんばっているよねって、僕にもわかるんだ)
「良かった……」緩やかな安堵の波が広がっていった。
(じゃあね、ロブ……)
(またすぐに、会えると思うけれど……)
(その時にまた、いろいろ話そうぜ……)
(本当に、積もる話はあるからね……)
 波が引くように、声も存在も消えていった。みんなは元気そうだ――あの世で元気というのも変かもしれないが、そしてこれも自分が作り出した夢なのかもしれないが、それでも彼らに会えた。かつて自分のすべてをかけたと言ってもいい存在だった彼らに。その懐かしさと喜びが、穏やかに心を満たしていった。一人足りないことは残念だが、でもロビンが言ったように、『もとの彼だったら一緒に来ているだろうから、僕たち五人が来ていると思っていいよ』と、そう思うしかないのだろう。アーディスは別の存在になったのだろうか。レオナがかつて言っていたように、そしてロブ自身もどこかで認めていたように、彼が本当に光の民なら。ロブが心血を注いだバンド、AirLace、その中核だったエアリィ――アーディス・レイン・ローゼンスタイナーには、もう会えないのだろうか、向こうでも。もう自分をあのトーンで『ロブ』と呼んでくれることもないのか。そう思うと、やはり寂しさの感情が湧くのを押さえられない。しかし、まだ四人が待っていてくれる。向こうの世界で――。
 暖かい気持ちを感じた。奇妙な多幸感が湧き上がってくる。ああ、自分の人生は、やはり無駄ではなかったのだ。間違いではなかった。音楽業界に飛び込んだことも、彼らと出会ったことも、そしてアイスキャッスルから、ここシルバースフィアでの年月を生きてきたことも――。
 突然、世界が歪んでいった。それはやがて激しく揺れ出し、そして砕け散った。世界を砕いたものが激しい苦悶であったことを、目覚めて彼は知らされた。しかしその苦しみは、一瞬だった。すぐに意識の帳が下りたのだ。

 翌朝、レオナが起きた時、まだ夫は眠っているように見えた。彼女は身支度を終え、そして夫を起こそうとした。「そろそろ起きて」と。しかし彼は身動きもせず、眼も開かない。その身体は冷たくなり始めていた。レオナは悲鳴を上げ、医療班へ走った。
 やってきた医師グループのメンバーは診察の後、その命の火が消えていることを確認した。寝ている間の心臓発作。おそらく心筋梗塞ではないかと、医師は告げた。ロバート・ビュフォードは五五歳だった。コミュニティの人々の平均よりは、かなり長生きをした勘定になる。
 中枢を失ったコミュニティは、第一世代のリーダーを引き継いだクレイグ・ロビンソンと中央委員会のメンバーたちを中心にして、運営を続けていった。その新しい体制は、過渡期の空白期間によくあるいくつかの小さな混乱を乗り越え、新しい年になる頃には再びその軌道にのっていった。

 翌年の夏、夫の後を追うようにしてレオナ・ビュフォードが没した。夫の死から、九ヵ月後だった。彼女はまもなく五九歳になるところで、現在のコミュニティでは、最も長生きした人だった。夫を失ってからも、彼女は気丈に振舞い続けた。彼女の病は短く、急で、闘病生活はわずか二週間だった。自身は子供の母になったことはなかったが、コミュニティの子供たち――とくにアールやオーロラ、それにエヴィーとアドルにとって母親代理とも言えた彼女の死は、彼らにとって大きな嘆きと喪失感をもたらした。グループのメンバーたちだけでなく、教育班のメンバーや子供たちにも大きな悲しみを与えた。
 教え子だった子供たちが全員出席して葬儀が執り行われ、レオナの墓に雪が積もるころには、教育班もまた空白期の混乱を超えて、立ち直っていった。彼女の後は、エミリー・ライトを中心とした女性三八人男性十三人のメンバーで、教育システムを受け継いでいくことになった。


( 6 )

 ビュフォード夫妻を失ってからは、コンパートメント(この頃には、アパートの一世帯分の住居のことを、こう呼ぶようになっていた)の住人はアールとオーロラ、エヴェリーナとアドルファスの四人だけになった。第一グループのほかのメンバーたちは、同じアパートの別室に住んでいる。シルバースフィア全体の人数は三千人を切り、一世帯あたり四、五人という住人になるところがあっても、大丈夫なほどになっていたのだ。
 四人の“家族”は、互いに助け合い、明るく、にぎやかに暮らしていた。そんな生活が二年になろうとしている頃、変化が訪れてきた。アールとオーロラが十七歳、ティーンエイジの只中にあり、大人への扉を叩き始める年頃になって、彼らにとっては必然ともいえる“異性”問題が起こってきたのだ。
 もともと社交的な性格のオーロラと人当たりの良いアールゆえ、彼らのコンパートメントには、絶えず友人たちが出入りしていた。彼らから出かけることも多かった。そんな彼らの最初の“恋愛沙汰”は、第二世代の中枢メンバーの一人で、アールのもっとも親しい友人の一人でもあるアンドリュー・パーキンスが、オーロラに異性としての感情を抱き、彼女にそれを打ち明けたところ、『ごめんなさい。あなたをそういう風には見れない』と、拒否されたことに始まった。
「アンディ、思いっきり落ち込んでたぞ」
 その日の夕食の席で、アールはちょっと非難するように妹を見た。
「あたしだって、落ち込ませたくはなかったわよ」
 オーロラはみんなのコップに水を注ぎながら、小さく肩をすくめた。
「アンディ、あたしも好きだったのに。あんなふうに見ないで、ずっと友達でいてくれたら、本当に気楽だったのに」
「アンディさん、お友達じゃなくなったの?」
 エヴェリーナは好奇心に駆られて聞いた。
「あたしとしては、これからもお友達でいて欲しいんだけれど。彼は良い人だから」
 オーロラは再び肩をすくめる。
「君もアンディのことが好きだったら、あいつの気持ちを受け入れてもいいんじゃないか?」
「だから、そういう風な意味では、好きじゃないのよ。アールったら、わかっていないのね。恋愛と友情は、別物のはずでしょう? そんな鈍感だから、メアリがあなたのことをもう何年も片思いしているなんてことも、わからないのよ」
「メアリって、おい……何言ってるんだよ」
「先月、彼女があたしに打ち明けたのよ。ずっとあなたが好きだったって。アールはお友達としか見ていないようだけれど、それでも良い、思っていられたら幸せなのって、そう言ったのよ。ああ、アンディもそのくらい奥ゆかしかったらよかったのに」
「オーロラ! 君はメアリが黙っていようとしていたのに、間接的に僕に告白してしまったんだぞ! 僕は、どうしたらいいんだよ」
 アールは目に見えるほど、頬を紅潮させていた。
 メアリ・ローデスか――エヴェリーナは二人の会話を聞きながら、その人を思い浮かべた。彼女も何度となくここへ来ているので、知っている。良い人だ。嫌いじゃない。たしかアールやオーロラと同い年くらいで(メアリのほうが半年くらい年下と聞いたが)、いつもニコニコとした笑みを浮かべ、エヴェリーナやアドルファスにも親切で、雑用なども率先して、嫌がらずにやっていた少女だった。たしかに気立ては良い。しかし、容貌はあまりぱっとしないなと、エヴェリーナはひそかに審判を下していた。メアリ・ローデスは丸顔で、目も鼻も丸く、癖のない砂色の髪を肩まで伸ばし、頬にはそばかすが飛んでいた。目は灰色で少し小さく、口は大きく、あまり特徴のない顔立ちなのだ。

「あの人は良い人で、あたしは好きだけれど、アールお兄ちゃんとは、見た目が釣り合わないわね」
 あとで姉弟の部屋に引き取ってから、エヴェリーナはアドルファスに言った。
「でもそれを言うなら、アンディさんだってオーロラお姉ちゃんと、見た目は釣り合わないよ」アドルファスはそう反論する。
「まあ、そうね」エヴェリーナも認めた。アンドリュー・パーキンスは、もじゃもじゃの赤毛にそばかすのとんだ、おどけた顔、ひょろひょろの長い手足の持ち主なのだ。
「それに、お従兄ちゃんお従姉ちゃんに見た目釣り合いそうな人って、そういないと思うんだけど」アドルファスは頭を振り、
「美男美女ですものね、二人とも」と、エヴェリーナは憧れのため息をついていた。

 そんな会話が交わされた後も、半年ほどは平穏にすぎていた。その年の秋の終わりに、夕食の席で、アールが突然こう宣言するまでは。
「十八になったら、僕はメアリと結婚しようと思うんだ」
「え?」この突然の宣言に、エヴェリーナやアドルファスはおろか、オーロラまで目を丸くして彼を見つめ、立ち上がって問いかけていた。
「なんで? なんで、いきなりそういうことになったの?」と。
「彼女に子供が出来たんだ」
「いつよ!?」
「来年の春には生まれるんだって」
「いつからあなたたち、そういう仲になってたの??」
 オーロラは心から驚いたような声だ。
「いや……あのさ……エヴィーやアドルの前では、言いにくいことなんだけれど」
「あら、あたしたちだって、そんなに子供じゃないわよ」
 エヴェリーナはショックを受けながらも、抗議の声を上げた。
「まだ十二じゃないか、君たちは」
「もう十二って言ってよ。一応、わからないわけじゃないわ」
 そんなエヴェリーナを横目で見、アドルファスのほうはコップの豆乳を飲み終わると、無邪気に、かつ落ち着き払った口調で問いかけていた。
「メアリさんに、お従兄ちゃんの赤ちゃんが生まれるんだ。へえ……じゃ、その子、甥っ子、じゃないか、従兄の子だから……赤ちゃんが増えるんだね。メアリさんもここへ来て暮らすの?」
「そういうことになると思う。僕の部屋に来てもらって暮らそうかなと」
「あなたの部屋は狭くない、アール? メアリと赤ちゃんが増えたら。主寝室を使ったら?今空いているし。その子が大きくなったり、もう一人子供が増えたら、あなたの元の部屋を子供部屋にして」オーロラが少し考えるように黙った後、そう提案した。
「そうだね。まあ、その間に君も結婚することになったら、ちょっと狭くなるから、僕たちは別のところに行くことになるだろうけれど」
 アールがそう言うと、オーロラは肩をすくめて「あたしはまだ、その予定はないわよ」と、答えている。
「ええ??」エヴェリーナは落胆の声を上げた。
「じゃあ、いずれは出て行っちゃうの、お従兄ちゃん。つまらなーい!」
「まあ、今すぐじゃないから。それにしてもね、あなたがこんなに早く結婚するって言いだすなんて、本当に意外だったわ、アール」
「最初に原因を作ったのは君だろ、オーロラ。君が僕にメアリを意識させたんだから」
「彼女があなたのことを好きだって、言ったこと? それで意識しちゃって、彼女を好きになっちゃったの?」
「うーん、まあ、そんなところかもしれない……」
「そう。まあ、おめでとう、って言うべきなんでしょうね、この場合」
 オーロラは微かに肩をすくめ、微笑んだ。
「赤ちゃんが無事に生まれるといいわね。この家もだんだん人が減っていって寂しかったから、新しく増えてくれると思うと、うれしいわ」
「うん。ありがとう」アールは少し表情を緩め、頷いた。

 突然の発表から一週間あまりがすぎた頃、オーロラとエヴェリーナは台所で、夕食の野菜スープと代用パンを作っていた。野菜は農業班が収穫したもので、小麦粉も農業班が栽培した小麦を使い、市内から製粉機を調達して、三年前から作られ始めていた。劣化の心配がない砂糖と塩は、以前から市内にあったものを使っている。もうそろそろ市内の在庫は尽きかけて、運搬ロボットたちは隣接するガティノーやハル市跡をも探索し始めていたが。
 エヴェリーナはジャガイモの皮をむきながら、オーロラに問いかけた。
「寂しくない? お従姉ちゃん」
「どうして? むしろメアリが来てくれて、赤ちゃんが増えたら、にぎやかになるじゃない」オーロラは小麦粉をこねながら、従妹を振り返った。
「うん。まあ、そうなんだけど……」
「エヴィーは? 寂しいの?」
「うん。寂しい気持ちもあるの。それに、なんだかショックだわ」
「なぜ? どういう風にショックなの?」
「うーん、そうねぇ……」
 エヴェリーナは輪切りにしたにんじんを鍋に放りこみながら、首をかしげた。
「お従兄ちゃんがそもそも、誰かと結婚しちゃうってことがショック。それも、まだ十七なのに」
「早いわね、たしかに」オーロラは肩をすくめた。
「あたしもまさか、あの鈍感で晩生だと思ってたアールに先を越されるなんて、思ってもみなかったわ」
「お従姉ちゃん、メアリさんのことお従兄ちゃんに言わなければ良かったのに」
「あなたはメアリのことが嫌い、エヴィー?」
「嫌いじゃないけど。むしろ好きよ。やさしいし。でも、お従兄ちゃんの奥さんとしては、想像できないなぁ」
「どうして?」
「だって、お従兄ちゃん、かっこいいのに。こう言っちゃなんだけれど……あの……メアリさんはなんだか、あまりぱっとしないじゃない」
 エヴェリーナが真面目な顔でそう言うのを聞いて、オーロラは吹きだしていた。
「エヴィー、それって、メアリにものすごく失礼よ」
「わかってるもん。だから、言いにくかったんじゃない。それにあたしだって、人のこと言えるような顔じゃないと思ってるし。お従姉ちゃんやママみたいに美人だったら、良かったんだけど」
「あなたはあなたなりに、きれいだと思うわよ、エヴィー」
 オーロラは従妹の頭をなでようとするかのように手をのばしたが、その手が小麦粉だらけなのに気付いたのだろう。彼女は手を引っ込め、言葉を続けた。
「それにね、本当に人が人を好きになるのって、見た目だけじゃないと思うの。逆にね、もし見た目だけが好きだったとしたら、その人があとで病気になったり歳をとったりして、みっともなくなったら、嫌いになってしまうってことでしょう? それじゃ、なんだかいやじゃない? 顔が好き、って言う人は、あたしは信用しないことにしているわ」
「うん。まあ……それはそうよね」
「それにメアリはいい子よ。女の子たちの中では、あたしの一番の友達でもあるしね。彼女がアールのお嫁さんになってくれたらいいなって、あたしはいつも思ってたの。彼女がアールを好きなのは、ずっと前から知っていたわ。あたしに打ち明ける前から。でもアールはてんで気づいてないから、あたしがちょっと取り持ったわけよ。アールは女の子の見た目にこだわる人じゃないから。メアリの美点はわかってるから、きっとうまく行くって思っていたけれど。でも、これほど展開が早いとは思わなかったわ。それは誤算だったわね、たしかに」
 オーロラはかすかに肩をすくめ、小さくため息をついた。
「それにね……あたしも少し寂しいわ。正直に言うと。アールのためにはよかったって思うけどね。なんていうのかしら……アールとあたしは生まれた時から一緒にいて、ある意味お互いの分身みたいな気がしていたから、離れていかなければいけないと思うのは寂しいし、自分の中の何かがなくなっちゃったような、変な気分なのはたしかよ。取り残された、というのに近いかしら。たぶんね……あなたとアドルも、きっと大きくなったらわかると思うわ、この気持ち」
「うん」エヴェリーナは神妙な面持ちで頷いた。アドルファスと自分自身――生まれた時からともにいて、お互いの分身のような気がしているというのは、彼らもそうだ。弟が教育課程で天才コースへ行ってしまった時も、彼女は一人取り残されたような気分を感じていた。彼が愛する人を見つけた時も、そうなるのだろうか。
 エヴェリーナは少し奇妙な気分を覚えながら、問いかけた。
「ねえ、オーロラお従姉ちゃんは今、好きな人いないの? お従姉ちゃんが結婚したら、お従兄ちゃんかお従姉ちゃんが、ここを出て行くことになるの?」
「今は、そういう意味で好きな人はいないわ。でも、いつかあたしが結婚したら、きっとここを出ることになるわね。いつになるかわからないし、アールとあたし、どっちが出ることになるのかも、わからないけれど」
 オーロラは種無しパンをオーブンに入れ、手を洗いながら答えた。
「お従姉ちゃん、この間また委員会の誰かを振ったっていう噂だったじゃない?」
「誰? カール? ええ、そうよ」
「カール・シュナイダーさん? あの人、わりとかっこいいじゃない。アンドリューさんと違って」
「あなたって、結構辛らつねぇ、エヴィー。まあ、たしかに見た目はカールのほうがアンディよりましだけれど、でもあたし、見目を重視しているわけじゃないのよ。とても正視できないような超ブサイクさんや、生理的にどうしても受けつけないっていうんじゃないかぎり、どうでもいいわ。でも――ダメなのよね、委員会のメンバーって。友達としてはいいんだけれど、恋愛となると、なにか頼りなく感じてしまうの」
「頼りがいのある大人が好きってこと?」
「まあ、そうだけれど、でも第一世代っていうわけには行かないじゃない。いくらなんでも年上すぎるし、みんな誰かしらと結婚しているし。やっぱりここじゃ、結婚しようと思ったら、多少妥協しないとダメかしらね」
「あたしはお従姉ちゃんが結婚するの、遅いほうがいいな。寂しいもの。お従姉ちゃんまで出て行っちゃったら」
「何言ってるのよ。そのうちにあなただってアドルだって、誰かと一緒になるんじゃないの? あたしだけ相手がいなくて、アールやあなたたちと一緒にずっと暮らしていかなければならないのは、なんだかいやよ。だから、それまでには、なんとかしないとね」
 オーロラの言葉を受けて、エヴェリーナの脳裏に漠然としたイメージが浮かんできた。四つのボール。その一つに変化が訪れ、新しいボールが来る。そのうちカゴがいっぱいになって、いずれ新しいカゴを探して、出て行ってしまうのだろう。そして最後に残るのは何? 空っぽのカゴ? それとも――エヴェリーナは小さく頭を振った。
「そういえばアドルはね、あんまり寂しいとは思っていないらしいのよ。あたしが寂しくない? ってきいたら、どうして? 逆ににぎやかになるのにって言うの。それにいずれはどこかに出て行くといっても、このグループはこれ以上統合されないから、割り当て内にずっといるはずだし、仮にそこがいっぱいになったとしても、スフィア内にはいることになるんだからって」
 このシルバースフィアのアパートメントは、最初にここに来た時、グループごとにまとまって、連続した八世帯分の住居を割り当てられていた。第一グループは人が少ないので六世帯分だが、途中でスタッフグループである第二グループと一緒になったため、今は十二世帯分が彼らの割り当てとなっていた。今のところ使用しているのは、エヴェリーナたちが住むこの部屋のほか、ナンシーの一家とジェーンの一家。エレンの一家とトニー親子は同じ家を分けあっているので、全部で五件だけである。あとの七件は空いていたが、それはいずれ子供たちが大きくなって所帯を持った時のための予備と、今は『光の家』や『みどりの家』にいるスタッフグループの子供たちが戻ってきたときのために使われる予定だった。それゆえ、今の家を出ても、それほど遠くには行かない。今彼らのいる階の五件はいっぱいだが、一つ下の階に二件と、上の階の五件、どこかに移動するはずだったからだ。
 中にはグループ内で幸いなことに人数が増え、割り当て住居だけでは足りなくなることがあるが、その場合は空いた他のグループの居室か、もともと最初から余裕をもって、人数が増えるのを見越して空けられていた居室に移ることになる。その場合は、同じグループのメンバーたちから少し離れることにはなるが、どのみちシルバースフィア内に住むことに変わりはない。今の状態で、外へ広がることは、まだ誰も考えてはいなかった。
「アドルは現実主義者ね。たしかにその通りだわよ」オーロラは肩をすくめた。
「アドルはあたしが先に結婚するって言っても、寂しく思わないのかなぁ」
 エヴェリーナは口を尖らせた。
「あなたのことは別かもしれないし、そうじゃないかもしれないけれどね。まあ、あなたのほうがアドルより先に結婚してみれば、わかることよ」
「アドルは晩生だし、あたし、負けないわよ」
「勝ち負けじゃないわよ、エヴィーったら。それにあたしもアールは晩生だと思っていたのに、見事に予想を裏切られたんですもの。何が起きるか、わからないわよ」
「ああ、そうねえ」
「でもね、考えてごらんなさいよ、エヴィー」
 オーロラは明るい口調になり、目を輝かせていた。
「来年生まれるアールとメアリの赤ちゃんは、第三世代の第一号なのよ。三代目よ。考えてみたら、凄いじゃない」
「そうね」
 エヴェリーナも暖かな喜びのようなものを感じながら、頷いた。まっさらの新しい球は、可能性であり、喜びだ。その子はどんな子なのだろう、と。



( 7 )

 翌年の春、季節は暖かい息吹と光とともに、新たな生命の贈り物を授けた。エヴェリーナたちの第一グループで、およそ三年ぶりに、新生児の誕生を見たのである。この子は、記念すべき第三世代の第一号ベビーだった。
 五月に十八才になるアール・ローゼンスタイナーと、十七才のメアリ・ローデスの若い第二世代カップルの間に誕生したこの男の子は、ランディス・パロマと名付けられた、丸々太った元気な赤ん坊だった。ランディス・パロマ・ローゼンスタイナーは、金色の真っすぐな髪に、ブルーグレイの目の、可愛い元気なベビーだった。およそ第一グループで生まれた赤ん坊の中でも、誰よりも大きな声で泣き、誰よりもよく笑った。
「機質的な欠陥は、何もないようですね」
 赤ん坊が生後二ヵ月になった時、検査した医療班のメンバーが告げた。それはまだともに十代の若い親にとって、何よりの福音だったのだろう。彼らはお互いに手を取り合って喜びの声を上げ、ついで安堵に満ちたため息をもらしたのだった。
 メアリはまだ子供が生まれる前、年明けに五人目の住人として、彼らのコンパートメントに加わった。そしてアールとともに、それまで空いていた主寝室――かつてジョセフ・ローリングスの一家が使っていたその部屋の、新しい主人となった。メアリはもうすでに何度かここを訪れ、オーロラはもちろん、エヴェリーナやアドルファスとも打ち解けるようになっていたので、共同生活は賑やかで、楽しいものだった。子供が生まれた後は、オーロラやエヴェリーナも、しばしば世話を手伝った。小さな赤ん坊は、新たな活力をこの“家族”の中に注ぎ込んでくれるようだった。

 そんな夏の終わりの、ある夜だった。オーロラは委員会での仕事のあと、友人と会ってそこで一緒に食事をしてくると言っていて、アドルファスは課題があって研究室に行ってしまっている。アールも委員会に行って、まだ帰ってこない。
 エヴェリーナはメアリとともに夕食を済ませた後、一人リビングに座って本を読んでいたが、赤ん坊の泣き声を従兄たちの部屋から聞きつけた。激しく泣き叫んでいるわけではないが、時々思い出したように泣き声を上げ、しゃくりあげている様子が、しばらく続いている。
「あら、珍しい。ランディがぐずってるわ」
 エヴェリーナは読みかけの本を置くと、立ち上がった。何か自分にできることはないだろうか、と、メアリに聞いてみよう。
「メアリ、大丈夫? 入っていい?」
 エヴェリーナは従兄たちの部屋のドアを叩いた。
 片手に赤ん坊を抱いたままのメアリが、中から開けてくれた。
「あら、エヴィー。ごめんね。うるさかった?」
「ううん、全然。あたし勉強してないし、今。何か手伝えることがあったらって思ったの」
「ありがとう。大丈夫よ」
 メアリは赤ん坊を抱いたまま、リビングスペースに出てきた。
「どこか具合が悪いの、ランディ?」
 エヴェリーナは赤ん坊をのぞき込みながら、聞いた。少し顔色が赤いのは、泣いたせいだろう。あやしても笑わないし、妙にしかめっ面をしているが、手を伸ばしてその小さな額に触れても、それほど熱さは感じなかった。
「そうじゃないのよ。別にどこが悪いわけじゃなくて、ただ機嫌が悪いだけみたいなの」
 メアリはくすっと笑った。「でもなかなか、泣き止んでくれなくて。今朝から、時々ぐずり気味なのよ。おむつは汚れたらすぐに替えているし、おっぱいもちゃんと飲んでくれているんだけれど、なんだか機嫌がよくないの。それでつい、お昼過ぎにアールのところへ連れていって、お医者さんに行った方がいいかしらって、聞いてしまったのよ。わたし、今まで『めぐみの家』を担当していて、それなりに小さな子というものが、よくわかったつもりでいたのだけれどね。そうよ、こんなにたくさんの赤ちゃんの面倒を見てきたのだから、自分に子供ができても楽に育てられるわ、なんて思っていたの。でも、いざそうなってみたら、やっぱりダメね。『めぐみ』の赤ちゃんなら平気なことでも、自分の子になったら心配になってしまうのよ。でも彼、ランディを見て、触ったりしてから、言ったのよ。『大丈夫じゃない? 顔色も悪くないし、熱もないし、脈も普通だし。寝そびれたか何かで、機嫌が悪いだけじゃない?』って。それでわたし、今さらながら自分がとても心配性になっていたって、気が付いたのよ。普段、あまりぐずらない子だから、よけいにね」
「そうね。珍しいもんね。あたしも自分の子になったら、やっぱり違うかなあ。それにしても、アールお兄ちゃん、遅いわね」
「そうね。今日は『みどりの家』のチェック日だから、ちょっと問題があったのかもしれないわ」
「ああ、そうね……」
 エヴェリーナは頷いた。アールは第二世代のリーダーとして、身寄りのない障害児施設である『みどりの家』の動静チェックをする担当者でもあったのだ。メアリは妊娠がわかるまでは、身よりはあるが何らかの事情で育てられない健常児の子供たちのための施設『めぐみの家』の手伝いをしていたし、オーロラは身寄りのない健常児の施設『光の家』の担当で、アンドリュー・パーキンスが、身寄りのある障害児の一時預かり施設『愛の家』の第二世代担当者だった。学業過程を終わった中央委員会のメンバーは、みなそれぞれ忙しそうだったのだ。
「大変ねえ、あたしもなにかして、みんなの役に立ちたいわ」
「あら、あなたもよくやってくれているじゃない、エヴィー。ランディのおもりもずいぶんしてくれるでしょう。わたしは本当に助かっているのよ」
「だってあたし、小さい子って好きなんだもん」
 エヴェリーナは気分よく、小さな赤ん坊の手を取った。
「おお、よちよち。泣かないのよ、ランディ。何が気に入らないのかわからないけど、大丈夫だからね」
 しかし相変わらず、赤ん坊はあまり機嫌が良くなさそうだ。身体的なことでないなら、何か他の目に見えないことが原因なのだろうか。赤ん坊にだけわかる―― 。




BACK    NEXT    Index    Novel Top