Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 1  AGE White (白の時代) (6)



( 4 )

 一年の月日が流れた。毎日がゆっくりと過ぎていく。生死のドラマを繰り返しながら。エヴェリーナとアドルファスも、年が変わるたびに誰かが生まれ、誰かがいなくなっていくという事実には、物心ついた時から慣れていた。今はまだ、いなくなっていく人の方が、新しく増える人よりも多いという事実にも。それでも、やはり知っている人がこの世から消えるということは、まだ年端の行かない姉弟にとっても、不思議な悲しい感覚だった。

 この三月、彼らの従妹ドロシーが、たった四年の短い生涯を終えた。父親のジョセフが去年死んだばかりだというのに、まるでその後を追うようにして亡くなってしまったのだ。この子は生まれつき心臓が弱く、活発に遊ぶことはほとんどできなかったが、弱いなりにも楽しげに生きていた。父親譲りの黒い髪の毛を自然のカールにまかせて肩に垂らしていたが、その髪に縁取られた顔はいつも真っ白で、淡褐色の大きな目ばかりが目立っている。ドロシー・ルーシア・ローリングスはおとなしいけれども非常に人なつこい、にこやかな性格で、まわりから可愛がられていた。ことにエヴェリーナにとっては妹のような存在で、できるかぎり毎日、人形遊びをしたり絵を描いたりといった、か弱い従妹ができる範囲の遊びを、一緒にやってあげていたのだ。
 ドロシーは三月初めに風邪をひいた。最初のうちは、ほんの軽い風邪だった。しかし抵抗力のない身体には、そんな小さな病気でも重くのしかかったようだ。病はどんどん重大になっていった。幼女の弱り切った心臓は、それに打ち勝つことができなかった。
 エヴェリーナは可愛がっていた従妹の死に、ひどく心を痛めた。さらに、もともとは自分の不注意からドロシーを殺してしまったのではないかという、良心の恐ろしい責めに苛まれ、よけいにつらく感じられた。そもそも最初に風邪をひいたのは、エヴェリーナの方だったのだから。

 二月終わりのある日、彼女は頭とのどが少し痛かったので、勉強を休んで部屋に閉じこもり、ストーブのそばで本を読んでいた。お昼頃、同じ居室の別の部屋に住んでいるドロシーが、ドアをコンコンと叩いて、おぼつかなげに言ってきた。
「エヴィー、あしょぼうよお。シェリアもつれてきたの。おままごと、しよ」
 シェリアというのは、彼女のお気にいりの人形である。ドロシーが二歳の誕生日を迎えたころ、彼女の両親であるジョセフとケイトが物品倉庫から持ってきて、娘に与えたものだ。ここシルバースフィアでは、子供たちは二年に一度、誕生日のお祝いとして、好きな玩具をひとつ、もらえる決まりになっていた。ドロシーが生まれるころには、スフィア内の商店にあった玩具はすでになくなっていたが、運搬ロボットによって近隣の大型店舗から運び込まれたものもたくさんあった。子供が大きくなったり、不幸な場合は亡くなったりして不要になった玩具も回収され、再びきれいにされて、倉庫に保管されている。シェリアは身長一フィートくらいの、やわらかい布製の人形だった。目は黒いボタン、髪の毛は濃い黄土色の毛糸でできていて、緑の帽子をかぶり、うす緑と白のギンガムチェックの、裾にレースのある洋服を着ている。小さなドロシーは、彼女の分身であり姉妹だと思い込んでいる節のあるこの人形を、いつも持ち歩いていた。
「ダメよお、あたし風邪ひいてるの」エヴェリーナはドアの方に顔を向けて答えた。
「あなたは、からだ弱いんだから、うつると大変よ、ドロシー。今日は遊んであげられないの」
「ええ! そんなのや!」幼女は不服そうに抗議の声を上げた。
「開けてよ、エヴィー」
「しょうがないわねえ」エヴェリーナは渋々ドアを開けた。
「うつったって知らないわよ。あなたがそう言ったんだからね。でも、やっぱり帰ったほうがいいわ」
「いいもん、あたし、うつったって。ねえねえ、あしょぼう!」
「わかったわよ。じゃあ、いらっしゃい」
 エヴェリーナはとうとう従妹の訴えに負けて、二時間ほど一緒に遊んでやったのである。

 その三日後に小さなドロシーは風邪をひき、さらに一週間後に不帰の顛末をたどったあと、エヴェリーナはしばらく傍目から見てもかわいそうなほど、しょげかえっていた。ドロシーが可愛がっていた人形のシェリアと一緒に葬られてしまったあとも(四歳の誕生日にもらったもう一つの玩具は返したが、これはドロシーが片時も離さず持っていたものだからと、一緒に葬ることを認めてもらったのだ)、じっとその小さな墓標の前に佇んでいる。
「エヴィー、帰ろうよ」
 従妹がいないのに気が付いたのだろう。戻ってきたアールが、声をかけて腕をとった。
「うん。でも……」エヴェリーナは泣きながら頷いたが、また首を振った。
「帰ろう。来たくなったらまた来ればいいから。でも、今はケイト小母さんを、一人にしてあげようよ」
 従兄の言葉で、エヴェリーナはドロシーの母親に目を向けた。ケイトはまわりの物は何も目に入らない様子で呆然と、墓前に座り込んでいる。かわいそうに、ケイト伯母ちゃん。ジョー伯父ちゃんも死んじゃったし、ドロシーも死んじゃって、ひとりになっちゃったんだ。あたしのせいかもしれないのに――そう思うと、再び涙があふれてきた。でも、自分がここにいると、たしかに邪魔かもしれない――。そう気づいたエヴェリーナは従兄と一緒にゆっくりと、墓前から立ち去った。しかし、従妹の病気が重大になった時からずっと彼女を責め苛んできた良心の呵責は、つのるばかりだ。エヴェリーナは、それに堪えられないと感じた。
 彼らの住むアパートメントの前まできた時、彼女は不意に足を止め、アールの方にくるっと向き直ると、思い詰めたような口調で、その思いを吐き出した。
「ねえ、お従兄ちゃん! あたしのせいかしら! あたしがドロシーを殺しちゃったのかしら! そうよね。だってあたしが、風邪うつしちゃったんだもの。あの子が弱いのわかってて……あたしがいけなかったのよ。どうしたらいい?」
「そんなことを思ってたんだ。でも、そんなに思いつめることはないよ、エヴィー」
 アールは一瞬驚いたような顔をした後、ぽんと軽く少女の頭を叩いた。
「思いつめずには、いられないの、アールお兄ちゃん。だってあたし、このまま一生殺人者の、お、お、おめいをきて、生きていくのって耐えられないわ。それもあんなに大好きだった従妹を、殺しちゃうなんて」
「君が殺したわけじゃないさ。君は人一倍責任感の強い子だから、そう思っちゃうのかもしれないけど、誰のせいでもないよ。君はドロシーを大好きだったんだし、いつもあの子のためを思っていたんだ。誰も君を責めやしないよ」
「あたしが責めちゃうんだもん。だって、あたし本当にあの子が好きで、あの子のためを思うんだったら……そうよ、あの子が機嫌悪くしたって、泣いたって、部屋に入れないで帰すべきだったんだわ」
 エヴェリーナは絶望的な身振りで、髪の毛をかきむしった。
「そうかもしれない。でもね、エヴィー」
 アールは決然とした様子で頭を振ると、エヴェリーナの肩に両手をかけた。
「だからって、君が後悔してドロシーが生き返るわけじゃないんだよ。君が自分を責めて気が済むのなら、そうしたっていいさ。たぶん僕が君には罪がないって言ったって、君は気が晴れないだろう? でも考えたってどうしようもないことを、いつまでもくよくよ考え込んで落ち込むのは、僕は嫌いだ。起きたことは仕方がないんだから、これから同じようなことが起こらないように、気を付けるしかないじゃないか」
 エヴェリーナは普段は優しい従兄の強い口調に、驚きとともにたじろぎ、やや非難するように口篭もった。「アールお兄ちゃんたら、冷たい……」
「冷たいかも知れないね、たしかに。こんな言い方は」
 彼はいつもの調子に戻って、再び声を和らげた。
「昔、僕が三つくらいのころ、同じ部屋にいた子が死んじゃった時、エステル叔母さん――君のお母さんが、言っていたような覚えがあるんだ。僕たちはみんな、神さまが来なさいって言うまでは、生かされている。でも神さまが呼んだら、行かなければならない。それは誰にも止められないって。ドロシーもきっと呼ばれたんだよ。お父さんのところにおいでって」
「ジョー伯父さん、寂しかったのかしら。でも天国には伯父さんの最初の奥さんと子供がいて、去年産まれてすぐ死んじゃった赤ちゃんだっているのに、ドロシーまで呼んだら、ケイト伯母さんが、かわいそうじゃない」
「ジョセフ小父さんが、呼んだわけじゃないと思うよ」
 アールは苦笑を浮かべ、首を振った。
「昔、お母さんが言ってたんだ。愛する人たちを失うくらい、つらいことはない。でも、行く人を止めることは出来ない。もう起きたことは二度と取り返せない。生きていくしかないんだって。過去は取り返せないから、未来の可能性を信じて進め。これはお父さんの信条だったらしいけど、今ではシルバースフィアのモットーだね」
「起きたことは、もう取り返せない……」エヴェリーナは小さく反復した。
「そう。起きたことを嘆くより、そのために今自分は何ができるかを、考えた方がいいと思う。君が自分を責めることでドロシーが生き返るなら、そうしたらいいけれど、それは絶対に無理だしね。それに君がくよくよして塞ぎ込んでいたら、あの子もうれしくないよ、きっと。あの子は君が、大好きだったんだから」
「うん。そうかもしれないわね」
 エヴェリーナは頷いた。どんなに嘆いても、ドロシーは生き返らない。その冷徹な事実を悲しげに認めた彼女は首を振ると、両手を組み合わせて言葉をついだ。
「じゃあ、あたしは何ができるかしら。これからのために」
「それは、僕にはわからない。君が考えた方がいいんじゃないかな」
「そう。わかった。考えてみるね……」
 彼女は地面に視線を落とし、しばらく黙ったのち、目を上げた。
「わかった。まずケイト伯母ちゃんに、あやまらなきゃ。いくらお従兄ちゃんがあたしのせいじゃないって言っても、やっぱり気が済まないんだもの。伯母ちゃんに謝って、あたしでできることを、なんでもやるわ」
「そうだね、そうしたら。君もきっと気が晴れるよ」
「そうね。ありがとう」
 にっこり笑って従兄を見上げると、アールもほっとしたように少女を見下ろして笑った。
「ああ、やっとエヴィーがまた笑うようになったね」と。

 それから三日後、エヴェリーナはケイト伯母の部屋を訪ねていき、彼女自身の精一杯と思える謝罪をした。
 ケイトは少女の必死の訴えを弱々しく微笑してきいたあと、静かに口を開いた。
「あなたのせいじゃ、全然ないわ、エヴィー。だから気にしないでちょうだい。あなたにはとても感謝してるのよ。だってあなたは、ドロシーをあんなに可愛がってくれたんですもの。あの子はね、あなたのことが大好きだったのよ。二言目には『エヴィーがね』だったし。あの子はあなたのことを、一番大好きなお友達でお姉さんだって言っていたわ。あの子は本当に短い生涯だったけれど、あなたのおかげで楽しく過ごすことができたのだし、あの子なりに幸せだったのよ」
「でも伯母ちゃん、あたしが風邪うつしちゃったから、ドロシーは死んじゃったんでしょ。やっぱり、あたしが悪いのよ。本当にごめんなさい」
「そんなことはないわ。ドロシーが風邪をひいたのは、あなたにうつされたからとは限らないし、その点誰よりも悪いのは、このわたしなのよ。わたしがあの子のことを、よく気をつけてやらなかったから。わたしのせいなの。それにね、エヴィー」
 ケイト・ローリングスは一度言葉を切り、再び哀しげに微笑した。
「元々ドロシーは、長くは生きられなかったのよ。あの子は生まれつき、心臓が悪くてね。今は手術ができないから、医療班の人たちも、せいぜい十才くらいまでしか生きられないだろうと言っていたわ。それがあの子の運命だったの。五、六年縮まってしまったけれど、でもそうなったのも、障害のせいなのよ。普通の人は、アイスキャッスルでならともかく、風邪をひいたくらいで死んだりしないわ。あの子は運命に殺されたのよ」
「運命?」エヴェリーナは思わず首を傾げた。
「いつも思うんだけど、それって、いったいなあに?」
「そうねえ……」ケイトは改めて考え込んでいるようだった。
「わたしたちが生まれた時から決められていること、なのかもしれないわね。ちょうどあなたがよく読んでいるお話の本の主人公みたいに、わたしたちが一人一人、生まれた時に決められたストーリーよ。神さまが決める、わたしたちにはどうしようもない物語ね」
「あたしたちにはどうしようもないなんて、いやだわ」
 エヴェリーナは両手を組み合わせて、頭を振った。
「ああ、神さまがいい人だといいわ。もし意地悪だったら、どうしよう。あたしたち、きっとひどいめにあっちゃうわ」
「そうねえ、でもわたしたちには、神さまは意地悪だと思うことがいっぱいあるわ。残酷としかいいようのない運命に、直面してしまったような場合は。そしてそこに何の希望も見いだせないような……そんな時には、そう思わずにはいられないわ。いつまでも恨んでいたって、仕方のないことなんだけれど……」
 ケイトはため息をつくと、唇をきっと噛んだ堅い表情になり、前の白い壁に視線を走らせた。それから視線を目の前の少女に移し、寂しげに笑った。
「とにかくエヴィー、あなたは何も気にしないでちょうだい。ドロシーのことでは、あなたは本当によくやってくれたわ。どんなにありがたかったことか。来週からわたしは別のグループに行ってしまうけど、これからも仲良くしましょうね」
「ええ! 伯母ちゃん行っちゃうの? ここから」
「ええ。ジョセフもドロシーも死んでしまったから、わたしがここにいる理由もないし、ここにいると、どうしてもいろいろと思い出してしまって、つらいのよ。だから、わたしは元いたグループに帰るわ。妹もいるしね。わたしの身内は、今は彼女だけになってしまったから。妹は結婚していないし、子供もいないから、淋しがっているのよ。仲良しの友達は、家庭をもっているしね。だからお互いに一人ぼっち同士で、慰めあって生きていこうって、話して決めたの。彼女は今、光の家の養育係をしているの。わたしもまた、もとの仕事に戻るわ。プログラミング班に」
 ケイトはしばらく黙って、再び壁に視線を走らせてから、再び口を開いた。
「でも、もしわたしが死んだら、こっちのお墓に埋めてね。夫と子供たちの側に」
「うん。絶対そうしてもらうわ」エヴェリーナは半ば涙ぐみながら頷いた。
「でも、さみしいな、伯母ちゃんがいなくなっちゃったら。あたし、伯母ちゃんが好きだったのに」
「ありがとう、エヴィー。あなたはやさしい子ね」
 ケイトは少女の髪を撫でると、再び淋しそうに微笑んだ。

 一週間後に、ケイト・タニア・ローリングスは第一グループを去っていき、彼女たちが暮らしていた大きな主寝室は、主を失って空室になった。やがて春が巡り、夏が訪れる頃には、グループから一つのファミリーが消えたという波紋も、普段の日常の水面に溶け込んでいった。そして秋が訪れ、エヴェリーナとアドルファスの姉弟は、この世に生まれて十回目の誕生日を迎えた。


( 5 )

 その日はハロウィンだった。数年前から復活したこのお祭りは、子供たちの人気を集めていた。彼らは乏しい物資の中からやり繰りして思い思いに装いをこらし、グループ内の部屋のドアを叩いて、歩いていく。大人たちは彼らの差し出す袋に、キャンディをほんの少しずつ入れてやっていた。第一グループの子供たちも、十五才なったアールとオーロラ以外の九人と(ハロウィンに参加する子供たちは十三歳以下という、ルールのようなものがあるためだ)、光の家やみどりの家にいるスタッフグループの子供たち八人が一緒になって、近隣の居室を回っていた。
「お菓子をくれなきゃ、悪戯しちゃうぞ!」
 彼らは最後にロバート・ビュフォード夫妻の部屋のドアを叩いた。ロブとレオナは微笑してドアを開け、子供たちにイチゴのキャンディを二つずつやった。世界が滅びる前にあったキャンディは、遠くまで探しに行けばまだあるのだろうが、さすがに劣化が激しいのでもう使えず、市内の各倉庫に今もある砂糖とシロップ、それに農業班で栽培している果物をほんの少し香りづけに混ぜて、自作したものだ。レオナもこのために鍋で砂糖を溶かし、いちごシロップと、つぶした一粒のいちごを混ぜて小さく固めたものを、一つずつラップに包んで用意してあった。グループ内の大人たちは、キャンディのフレイバーがかぶらないよう、ハロウィンの一週間前に、誰が何を作るかを、打ち合わせ済みだった。
 ローリー・ハーディングは目の不自由なマリア・ミルトンの手をひいてやり、エヴェリーナは足に障害のあるミルドレッド・カートライトの車椅子を押していた。子供たちはみんな、それぞれ顔におしろいや頬紅を塗りたくったり、カーテンやシーツを身体に巻き付けたり、ボール紙の帽子を被ったりして、思い思いのこっけいな格好をしている。
「ありがと!」
 キャンディが袋の中に入れられると、子供たちはにっこり笑って、一斉に声を上げた。
「他は、もう行ったのかい?」ロブは微笑を返しながら聞いた。
「うん。ロブ小父ちゃんレオナ小母ちゃんのところで最後だよ」アドルファスが頷く。
「すごいよ。いっぱいキャンディもらっちゃった。エレン小母ちゃんはクランベリーで、ナンシー小母ちゃんはぶとうで、ジェーン小母ちゃんはブルーベリーのキャンディをくれたよ」
「大事に食べようねえ」エヴェリーナが笑いながら、満足げに袋を振る。
「よかったわね」レオナは彼らの頭を一人ずつ撫でてやり、子供たちが満足そうにがやがやと引き上げていくのを見送った。
「子供たちは大喜びね、クリスマスにイースターに、ハロウィン」
 レオナはドアを閉めて部屋に戻ってくると、微笑を浮かべた。
「もっとも、わたしたちの子供のころとは比べものにならないくらい、ささやかだけれど。自作のキャンディしかないから」
「こんな時代だからね。お祝いが出来るだけ、ありがたいほうさ」
 ロブは苦笑し、ついでものうげに付け加えた。
「ハロウィンか。だが、僕にはハロウィンというと、いつも一つの連想が思い浮かんで、子供のころのお祭り騒ぎなんか忘れてしまったな」
「二八年前の?」
「そうだな、もうそんなにたってしまったか。そうだよ。あの日はハロウィンの夜だった。僕たちは古びたマイクロバスに乗っていて、光の輪をくぐって未来世界に行った。それからすべてが始まったんだ。あれが僕の人生の分岐点だった。だからハロウィンというと、いつも二八年前のその日を思い出してしまうんだよ」
「そうね。さぞかし驚いたでしょうね」
「そうさ。でも僕としてはマネージャーなんだから、みんなの手前、できるだけ理性的にふるまわなければならないと思って、必死に自分を押さえつけたけれどね。本当は大声でわめき散らしたいほど、動転していたんだ」
「わたしはあなたの立場じゃなくて、よかったと思うわ」
 二人はその夜、長い間話をしていた。これまでの思い出話や、これからのコミュニティの運営まで。そして夜中の一時をまわったころ、ようやく眠りに就いた。

 ロブは夢を見ていた。世界が崩壊する前――未来の人々が『旧世界』と呼んでいた時代の記憶は、アイスキャッスルの一年と、シルバースフィア最初の十年あまりの間は、時々夢に出てきたが、最近はこの新しい環境の中での夢が多くなり、過去の残像は少しずつ消えていった。それに、もともとロバート・ビュフォードはあまり夢を見ないたちだ。
 しかし彼は今、鮮やかな過去のイメージを見ていた。
「一生懸命がんばります。どうか、よろしくお願いします」
 ロブは緊張しながら、メンバー一人一人にそう挨拶して回っていた。銀行を辞め、音楽事務所に入って半年間、見習いとして様々な雑用をこなしたあと、初めての大きな仕事が、当時そのマネージメント会社の看板バンドだったスィフターのツアーに、ロードマネージャー補佐として随行することだった。仕事そのものは、やはり雑用係の域を出なかったが、一番のファンではなかったにせよ、彼らの音楽が好きだったロブとしては、夢への第一歩に初めて踏み出したともいえる仕事だった。
「ああ、新しいスタッフだね。ロバート・ビュフォード君っていうのか」
 スィフターのドラマーでバンドリーダーでもある人、二九年前にバス事故で死んだハービィ、ことハーバード・プリンストンが、愛想良く微笑んで手を差し伸べた。
「はい。ロブと呼んで下さい」
「レイモンドから聞いたんだけれど、君は半年前まで銀行員だったそうだね」
 やはり事故で死んだバンドのベーシスト、エドウィン・ラーセンが、そう問いかける。
「ええ」
「へえ。またどうして? この仕事より、そっちのほうが安泰だったろうに」
「ええ。でも、変に思えるかも知れませんが、僕は元から音楽に情熱を持っていました。だけど才能がないから、あきらめていたんです。でも、もうひとつの道もある。自分ではできなくとも、誰か才能のある人の夢の実現を手助けできればと、そう思えたのです」
「君も音楽が好きなんだね」
 当時スィフターのギタリストだったアーノルド・ローレンスが、穏やかに微笑んだ。彼はあの事故で、唯一生き残ったメンバーだ。彼とはその後もずっと関わりを持っていたが、しかし彼も、世界が終わった時に運命をともにしているはずだった。遠い異国で。
「まあ、わかるな、その気持ちは」
「ああ」
 他のメンバーたちも、笑って頷いている。そう、この世界ではみな、同じ情熱を共有しあうことができる。求めていたものの一端は、叶えられたわけだ。
「でもそうだとすると、あれだな。僕らのようにもう出来上がったバンドの雑用係として関わるよりも、有望な新人を発掘して一から育てることができたら、そのほうが君の夢により近いということになるのかな」
 バンドのヴォーカリストでキーボーディストでもあるグレン・ロバートソンのその言葉に、ロブはたちまち電気に打たれたように、飛び上がった。
「そう。それが究極の夢ではあるんです!」
「なら、目指すは敏腕マネージャーというところだね」ハーバードが笑う。
「ええ。でも、いきなりは無理ですから。何年かかっても、こうやって業界に携わって、マネージメントのノウハウを学んで行こうと思うんです」
「その心意気は立派だね!」
 みなにぽんと背中を叩かれた。嬉しかった。彼らはわかってくれる。良い人たちだ。普通名声を得た人は、それなりに欠点があらわになりがちだと言われているのに。彼らのために出来るだけのことをしようと思った。何年かかるかわからないが、その年月の間に必要なことを学び、自己を修練し、業界の慣習を覚え、そしてもし運良くこれぞ、という新人にたどり着けたら、もっといい。でも今は、目の前の仕事を精一杯こなすのだ――そんな意気込みに燃えていた。それから二年後に、運命が急展開するとは知らずに。彼らは一瞬にして、炎の中に消えた。
 
 あの直前の風景がよみがえってくる。バスの中では、ホームプロジェクターに映画が映されていた。一ヶ月ほど前に公開された娯楽ものだ。メンバーたちはウィスキーのグラスを片手に笑い、語り合っていた。
「眠くなったな……少し横になってくるよ」
 アーノルド・ローレンスがあくびをしながら、立ち上がった。
「疲れたな、たしかに。次からは本当に、飛行機にしないか?」
 グレン・ロバートソンが、ちょっと笑って言う。
「それに反対はしないよ。僕らももう若くないからね」
 ローレンスは少し肩をすくめていた。
「予算的には、バスよりかなり厳しくなるがね。レイモンドが何と言うかはわからないが、でも我々もそのくらい主張させてもらおう」
 ハーバードもかすかに笑いながら、同調している。
「少しでも横になって、身体を休めた方が良いな、ローリー。おまえ今日はちょっと熱っぽかったんだろ?」エドウィンが少し気づかわし気に声をかけていた。
「ああ」ローレンスは肩をすくめた。
「風邪じゃなければいいがね。グレンに移さないように気をつけよう」
「あいにくだが、僕ももう風邪をひいているからね」
 ヴォーカリストは苦笑して、やはり肩をすくめていた。
「じゃあ、おまえも寝た方がいいんじゃないか、グレン」
 ハーバードが少し気づかわしげに声をかけ、
「いや、大丈夫さ。この映画を見終わるころには、もう着いているだろうしね。ホテルに行ったら、ゆっくり寝るさ。おまえは少し寝たらいい、ローリー」
「ああ、悪いけど、僕はちょっと失礼するよ。頭が少し痛いんだ」
 ベッドに行ったローレンスに毛布と水を持って行こうと、ロブは立ち上がり、ベッド区画まで行った。そして「少しだけ窓を開けてくれないか、ロブ。なんだか暑くて。風に当たりたいんだ」というローレンスの言葉に従って、窓を開けたその時だった。
 突然、激しい閃光と衝撃が襲った。次の瞬間、身体が飛び出し、路肩の土嚢の上に叩きつけられたのを感じた。視界が赤くなった。熱い。バスが燃えている――。

 次に浮かんだ風景は、トロント市内のホールだった。有名な音楽コンテストの、オンタリオ州大会の日。あの悪夢のような事故から、半年後のことだ。
 事故後二ヶ月で、ロブは仕事に復帰していた。スィフターがツアーしていない時と同じように、マネージメント会社で主に経理の仕事をしながら、心の傷を癒そうと努めていた。以前から交際していた、そして自分をこの道に導く手伝いをしてくれたレオナ・メイオールと三月に結婚したことも、傷を癒す大いなる助けとなってくれた。
 四月の終わりに、マネージメントの社長、レイモンド・コールマンがこう告げた。
「ビュフォード君。来月開かれるMELVICのオンタリオ州大会に行って、もしめぼしいバンドが出ていたら、いや、ソロでもいいが、報告してくれないか。全国大会には、私も行くつもりだがね。今年はバンクーバーなんだな、全国大会は。普段はアマチュアコンテストを見に、わざわざ西海岸まで赴かないんだが、今はね……とにかく可能性が欲しい。君も知っているだろうが、スィフターを失った今、私たちに残されたアーティストは、安定はしているが、ワールドワイドな成功という意味では、まず期待できないだろうという中堅ばかりだ。これでは先行きが危ぶまれる。いや、間違いなく、わが社はじり貧になるだろう。利益を見込めるアーティストがいないからね。活路を開くには、大物の移籍を図るか、さもなければ有望な新人の発掘しかない。だが大物の移籍は、いろいろな意味で難しいし、条件も厳しい。仮に成功しても、すぐにまた出て行かれてしまう可能性も高い。新人の方もこのご時勢には難しいのだろうが、大物の移籍よりは将来性があるし、可能性もゼロではないからね。私は州大会の日は、あいにく用事が入っているんだ。レオナと二人で行って、しっかり見てきてくれ。有望と思われたが、全国大会には行かなかったものも、一応チェックしてみたい。もちろん、全国へ行ったものは、要マークだがね」
 ロブは座席に座り、業界者用に配布された、詳しい資料の載ったパンフレットを眺めた。
「オンタリオ州大会、参加者は三十組。バンドが十九、ソロが十一か。うーん、年々、ソロが増えているな」
「最近の音楽産業は、ソロの方が売り出しやすい、というのもあるのかしらね」
 レオナがパンフレットをぱらぱらとめくりながら首を傾げる。
「厳しくなってきているから、音楽業界は。これからだって、レコード産業はもっと斜陽になって行くでしょうしね。十年前とは、音楽シーンはもう別物よ。特にロック系は。ラップやヒップポップはうちの会社の範疇外だし、このコンテストの範疇でもない。ポップス系の見目のいいシンガーソングライターを見つけるのが一番手っ取り早いけれど、それもうちの得意分野ではないし」
「そういう物件を社長に持っていっても、あまり喜ばないような気がするね、僕は」
 ロブは肩をすくめた。
「贅沢は言っていられないでしょうけれどね、うちとしては。でも、たとえそういう路線である程度成功できたとしても、スィフターの穴を埋めるのは難しいでしょうね。彼らは仮にも、ミリオンアーティストよ。一昔前だったとはいえ。最後のツアーでも、一回で一万前後の動員を見込める、アリーナクラスのメジャーアクトだった。その損失は、大きすぎるわ。彼らレベルの成功を今の新人に期待するのは、難しいでしょうね。まるで、宝くじみたいなものよ」
「それは言えるな。否定はしないよ」ロブは再び肩をすくめる。
 エントリーナンバー順に、次々に現れる出演者たちを、パンフレットの資料と突合せながら眺め、その演奏を聴くビュフォード夫妻は時々顔を見合わせ、目で相談しあっていた。二三番の出演者が終わった時、ロブは新妻を見て、苦笑した。
「七番と十五番は、わりと良かった。今のところね。しかし、決定打には欠けるな」
「無難な言い方ね」レオナは肩をすくめた。
「本当に、年々ポップス系が増えて行くわね。特に十五番は本当に典型的な、ポップス系シンガーソングライターよ。耳当たりが良くて、悪くはないけれど、よくて一発屋で終わりそうな匂いが、ぷんぷんするわ」
「同感だね。七番はわりとしっかりしたロック系だけれど、地味だ」
「そうね。華がないわ。それに昔はやったロックバンドを適当にブレンドしたような個性のなさよ。良くてビルボード200、それもお尻のほうに掠る程度ね。うちのマネージメントに残ったアーティストと同じようなレベル、いえ、もっと下かも知れないわ」
「君は辛らつだな、レオナ。でも僕も否定はしないよ。しかし、その二組が今のところ一番良くて、あとは押して知るべしだ」
「そうね。全部終わってみないとわからないけれど、今のところは、自信を持って社長に報告できる参加者はいないわね」
「ああ。まあでも、一応最後まで見てみないとな。次は二四番、AirLaceか。うーん。ずいぶん若いバンドだな」
「ああ、二四番ね。本当に若いバンドよね。ヴォーカルの子は史上最年少出場者でしょう、たしか。十三歳十ヶ月ですって」
「十三?? まあ、十ヶ月なら、もうじき十四だが。まあ、それでも若いな。声変わりとかは、もう終わったんだろうか。ギターとベースが十七で、ドラムとキーボードが二一か。ほとんどスクールバンドだな。クラブ出演暦もなし、か。まあ、この年なら当然だが……なんだか音が予測できそうだな」
「一応州予選の審査を通っているのだから、さすがにスクールバンドレベルではないでしょうけれど……あっ、出てきたわよ」
「ほぉ!」思わず小さな声が漏れた。彼らは他の出演者とは、明らかに違っていた。発散するオーラというか、存在感が桁外れだった。その中心は、史上最年少出場者だという、ティーンエイジャーに足を踏み入れて間もない年頃の、小柄なブロンドのヴォーカリスト。あまりにも際立った美しい容貌ゆえ、思わず「女の子か?」とパンフレットで性別を確かめたほどの彼。そして彼ほどまぶしく光りはしないものの、別種の輝きを放っている、ブルネットで長身のギタリスト。
 彼らが演奏を始めた時、ロブは激しい衝撃が身体を走り抜けるのを感じた。まるで、雷に打たれたかのような思いだった。音の存在感も桁外れだ。特にヴォーカルとギターが突出しているが、他の楽器も悪くない。キーボードのセンスも良く、安定したリズムが心地良い。楽曲のレベルも群を抜いている。彼らは紛れもなく、磨けば輝ける逸材だ。いや、もうすでに輝きを放っている――ロブは即座に認めざるを得なかった。
「彼らだ! 僕が求めていた新人は、彼らだ! 他にありえない!!」

 風景が変化する。壁のない広大なホールに、彼は立っている。周りには、エアレースのメンバーたちがいた。アーディス、ジャスティン、ミック、ロビン、ジョージ。だが、一人ずつ消えていく。見えない壁の向こうへと。
 最初にロビンが。
「僕が行くよ。僕が最初に行かなくちゃ」
「待て、ロビン。まだ諦めるな。これからなんだぞ……」
 そしてアーディスが。
「みんなのために奇跡を起こすことが、僕の最終ゴールなんだ……」
「エアリィ! おまえはまだ、いてくれないと……行くな」
 そしてジョージが。
「俺、やっとみんなのところへ行けるんだな……」
「ジョージ! おまえの無念、僕にはわかるぞ……」
 そしてミックが。
「イヴ……新世界の母になってくれ」
「許してくれ、ミック。イヴちゃんとポーリーンさんを守りきれなかった!」
 最後にジャスティンが。
「もっと生きていたかったけれど、あとは頼んだよ、ロブ……」
「ジャスティン、僕は精一杯やった。満足してくれるか??」
「だが、どうしてだ。どうしてみんな、行ってしまうんだ。僕より先に。みんな僕より、はるかに若いのに。なぜなんだ。なぜ、こんな運命なんだ、みんな……僕はおまえたちが好きだった。五人とも、その才能も性格も、僕は誇りに思っていた。僕はおまえたちが恋しい。おまえたちに会いたい。無くなった世界が恋しい。未来の悪夢は、あくまで悪い夢でいて欲しかった。本当になるなんて……本当にこれは現実なのか、なぜだ!」
 激しい叫びが渦を巻く。しかし応えるものは誰もいなかった。漆黒の闇が渦を巻いて彼を取り巻き、包み込んでいった。




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