Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 1  AGE White (白の時代) (5)



( 3 )

 今まで数限りなく繰り返してきたように、静かに音もなく古い年は去っていき、新しい年が滑るように取ってかわった。ここ十数年来、表面上はほとんど何の変化もない。それでも非常にゆっくりではあるが、前に向かって動いていく。秒針の一進みのように、年月は過ぎていく。地球がどんな状態になっても、時はその上を流れ、季節はめぐっていく。その星が存在するかぎり。春のあとに夏が訪れ、やがて秋になり、冬が来る。そして冬は明け、また春になる。その季節の繰り返しは、まるで生命の象徴のようだ。それは、いつから始まったのだろうか。破壊の灰の中から辛うじて芽を出した、か弱い双葉のようなこのシルバースフィアのコミュニティにも、再び春が訪れた。そしてこんな時代でも、春の訪れは人々の心に喜ばしい気分と希望をもたらすようだ。
 エヴェリーナとアドルファスが知り得る範囲内の数十人の共同体の中でも、新しい生命の誕生と、生命の終焉とが巡りくる。シルバースフィア・コミュニティは、七十人前後のグループを基礎とした五一個の小集団に別れて、生活を営んでいる。各グループの生き残った基本人数にもバラツキがあるし、出産や死亡、そしてたまにあるグループ間の結婚による人数の変動もあるが(グループ間結婚の場合、たっての希望がない限り、原則として人数が少ないほうのグループへ移動するという決まりになっている)、その小集団内の結びつきは非常に親密だ。各グループにはリーダー一人と副リーダー二人がおり、一週間に一度の全体会議で、それぞれ集団内の状態や動向を報告し、全体の基本方針の確認や取り決めなどをしている。これはアイスキャッスル時代から続けられていた習慣だ。

 シルバースフィア・コミュニティの大人たちは、十三歳以下の子供たちを養育中の女性をのぞいたすべての人が、なんらかの社会活動に関わっていた。コミュニティの全体を管理する中央委員会には、ロバート・ビュフォードをリーダーとした約三十人が属し、その下に各作業班がある。科学技術開発を担当する『科学班』、コンピュータ操作やプログラミングを担当する『プログラミング班』。ここシルバースフィア内には元から政府の科学開発局の分室があり、スーパーコンピュータや大規模なデータベース、ロボットラボやさまざまな設備、実験装置などが整っていた。世界崩壊時に発生した大量の中性子や放射線によって、データそのものは破壊されてしまったが、ステュアート博士が持ってきたノートパソコンの起動プログラムをもとに、アラン・ステュアートが起動ディスクを制作し、研究室のコンピュータを動かすことに成功した。そして博士のノートPCからOSや、バックアップデータを移行して使った。天才的ともいえる優れたプログラマーであったアランは、随時必要なアプリケーションやプログラムを追加することによって、研究室の二台のコンピュータを完全復活させ、一台は研究開発ツールとして、もう一つはシルバースフィアの住民たちのデータや保存すべきデータを管理する中央コンピュータとして、それ以降ずっと機能している。シルバースフィア全体の動力源として、施設の外にあるサテライトにLNGを定期的に補充する必要があるが、それさえやっておけば、施設全体の電力やガス、さらに上下水道も含め、この施設内だけは独立して機能したおかげで、『始原の三賢者』たちもロボット研究がすぐに出来たのである。(LNGガスの補給は、市内のガス工場やタンクをそろそろ使い切り、少し遠くまで行かなければならないが、十年近く前からずっと、その仕事はロボットにやらせているので、労力的にはそれほどでもなかった)今は三賢者唯一の生き残りであるジョセフ・ローリングスが科学班のリーダーを務め、プログラミング班と連携しながら、作業を進めていた。
 そのほかには、『みどり』『光』『愛』『めぐみ』の四つの家にいる子供たちの養育を担当する『養育班』、三歳から中等課程までの、子供たちの教育を担当する『教育班』、病気や怪我の治療や妊娠、出産をサポートする『医療班』、医師たちをサポートする『看護班』、食料を管理する『食品管理班』、戸籍を記録する『戸籍班』、ごみを回収してリサイクルに回す『リサイクル班』(現在はまだ生ごみを発酵させて農業用肥料にしたり、ビンを洗って再利用したりするくらいしかできないが、今後の技術開発を期待して、繊維、紙、金属の三つはそれぞれの再生工場予定地に建てた簡単な倉庫の中に、運搬ロボットを使って運んでいた)、公共部の清掃、管理をする『メインテナンス班』、修理担当の『営繕班』、シルバースフィア内の住民たちの生活用品や物資を管理する『物品管理班』、書籍や音楽、絵画など昔の世界の文献を記録する『文化保存班』、そして農業を担当する『農業班』と、食料製作を担当する『調理班』がある。大人たちはそれぞれに得意の分野、希望の分野に所属し、日々活動し、コミュニティを動かしてきているのだ。

 ローゼンスタイナー兄弟やローリングス姉弟の属しているグループは、『グループ1』と呼ばれる、旧エアレースのメンバーや親族、友人などで構成されている集団で、最初の年からコミュニティ全体の中枢を務めてきた。そして五年前から、別グループだったスタッフとそのゲストたちからなる、旧第二グループと合併されていた。
 現在の『グループ1』の構成人員は、元マネージャーで現在はコミュニティ・リーダーであるロバートと、教育班のリーダーであるレオナのビュフォード夫妻。アーディス・レイン・ローゼンスタイナーの双子たち、アールとオーロラ。義理の従妹ジェーン・カートライトと、その夫で科学班に属するビル・カートライト、彼らの子供である九才のポール、七才のエリサ、四才のミルドレッドの三人、アーディスと継兄である偉大な三賢者の一人アラン・ステュアートのプロヴィデンス時代からの友人で、現在物品管理班副リーダーのトニー・ハーディングと、息子で七才のローリー。ジャスティン・ローリングスの子供たちである、エヴェリーナとアドルファス、偉大なる三賢者の一人で、現在の科学班リーダーであるジョセフ・ローリングスと、四年前に結婚して彼の妻になったケイト、彼らの娘で、間もなく三才になるドロシー、ジョセフとジャスティンのローリングス兄弟の従姉の子供にあたるナンシー・ミルトン、その夫で医療班にいるジョン・ミルトン、八才になる娘マリアと、五才の娘ステイシー。ジョージとロビン・スタンフォード兄弟の従姉の子供であるエレン・スターリングと、その夫でリサイクル班のトーマス・スターリング。五月の初めに生まれたばかりの息子セオドア、全部で二三人である。ジェーン、ナンシー、エレンは子供を養育中のため、作業班の仕事はお休みだった。スタッフグループは去年、最後の二人――ライティング助手だったスティーヴ・ホワースと、ギターテクニシャン、チャールズ・ホッブスのゲストだったフィーナ・シェーファー、旧姓ホイットマンがそれぞれ春と秋に亡くなったので、この時点で誰もいなくなり、スタッフグループにいた八人の子供たちは、障害のある二人がみどりの家、健常児の六人は光の家で養育されている。彼らは独立できるほど大きくなった時に、再びこのグループに帰ってくる予定だった。
 今グループに残っている人たちは、第一世代が十一人、そして第二世代は十二人、構成比は、一人子供が多いが、ほぼ半分半分だ。各グループの一世代と二世代の平均比率は約六対四なので、この第一グループは、平均よりやや二世代が多い。それは第一世代の死亡率と、二世代の生存率が平均より高いためなのだろう。人数が減ると合併される一般グループと違い、グループの性格上、外円的なスタッフグループと併合しただけで、独立しているため、ここは他のグループよりかなり人数は少なかった。
 子供たちの死亡率の高さは、彼らのグループにも、避けられない宿命となって襲いかかっている。シルバースフィアで生まれた子供たちは、スタッフグループを含めると、第一グループ内で二八人いた。だが、スフィアで最初に生まれたミックとポーリーン・ストレイツ夫妻の一人娘イヴは三才で病死し、ジョージ・スタンフォードの友人だったヴィンセント・エドワーズと妻エイダの間に八年前に生まれた男の子は、生まれて二週間後に死んだ。出産時に大出血を起こしたエイダ・エドワーズも、我が子より十日早く世を去っている。ナンシー・ミルトンの三人目の子供も死産だった。ジェーン・カートライトは二回流産を経験しているし、ケイト・ローリングスの二人目の子供は、早産になってすぐに亡くなってしまっている。トニー・ハーディングの幼馴染である妻パトリシアはローリーの次の子を出産する時、非常に難産になり、結果子どもは生まれた時には、既に死亡していた。彼女も産後の肥立ちが悪く、その一ヵ月後に亡くなっている。スタッフグループの子供たちも、三人が死んだ。
 おまけに、今グループ内で生活している十二人の子供のうち、健常者は八人しかいない。マリア・ミルトンは視覚障害で、完全に盲目ではないがどんなに矯正しても〇.一以上に視力が上がらない弱視であるし、ミルドレッド・カートライトは生れ付き両足の膝から下が欠けていて、移動には車いすが不可欠だ。エヴェリーナとアドルファスの従妹にあたるドロシー・ローリングスは、生後二ヶ月の時、重い心臓障害が発見された。生まれたばかりのセオドア・スターリングは、左手の指が三本欠落している。この造形の残酷な悪戯は決して子供たちの罪ではないのに、障害に苦しめられている子供の数は、非常に多い。障害児施設であるみどりの家も愛の家も、ほぼ満杯状態という悲しい事実は、環境の罪なき犠牲者である子供たちの、無言の悲鳴のようだ。

 エヴェリーナはこのころ、読書による、昔の世界の探索を中断して、読み書きと四則演算のできる子供たちを対象とする、中級課程の勉強に専念していた。だが、アドルファスの方は、明らかに他の子たちと違うコースをたどっていた。基本課程を、七歳で学校に行き始めてたった五ヶ月で終えたあと、彼はしばらく自分の興味を持った勉強を続けていた。特に伯父ジョセフの研究室を遊び場に使うのが好きで、伯父のパソコンをいじってみたり、難しい科学の本を見たり、実験の様子をおもしろそうに眺めていた。
 ジョセフは最初、そんな甥をただ子供らしい好奇心から、興味を持って遊んでいるだけだろうと思っていた。まだ七才の子供に、コンピュータの仕組みや難しい科学の方程式など、理解できるわけはないと。それにその年令よりいくぶん精神的に成熟しているところもあるエヴェリーナと違って、アドルファスの性格は非常にその年令の子供にふさわしい、無邪気さが感じられたからだ。

 アドルファスが初等課程を終えて、伯父の研究室に遊びに来はじめてから、二ヶ月が過ぎたころだった。ジョセフは、ある問題に手こずっていた。数値解析が、どうやっても正しい値にならない。しかし、どこが間違っているのか、彼にはわかりかねたのだ。
 その時、アドルファスがいつものように遊びに来た。ドアが開く音がし、たったったという軽い足音がする。少年は、ジョセフの肩越しに画面をのぞき込んでいるようだった。元来彼は好奇心が強いため、伯父の様子に興味を持ったのだろう。
 ジョセフはその気配に気づき、振り返ると、微かに笑いを浮かべた。
「ああ、アドル、来たのか? でも今は邪魔をしないで、少しその辺で遊んでいてくれないか? 僕はちょっと、難しい問題に突き当たってね」
「ジョー伯父ちゃん、よく悩むね」
 アドルファスは首を傾げて、屈託なく笑っていた。
「そうだな。まったく。二年半前、スーパーコンピュータの完成と同時にアランに死なれてからというもの、僕は一人で難問にぶつかりっぱなしさ。僕は彼ほど、頭は良くないんだよ。彼は本当に天才だったからな」
「アラン伯父ちゃん? ぼく、あんまり覚えてないや」
「だろうね。おまえは五つになったばかりだったからな。おまけに、彼は病気が再発するまではずっと研究室にこもりっぱなしだったし、再発後はずっと病院で、それも二週間しか生きていなかったから、おまえたちとは、あまり接する機会がなかったからな。でもそうなると、おまえはお父さんのことも、覚えていないかな? それよりも前だからね」
「ううん。パパのことは覚えてるよ、少しだけど。でもエヴィーの方が、ぼくより覚えてるみたい」
 少年は残念そうに言って首を振り、再び画面を覗き込んだ。
「どこ悩んでるの? 伯父ちゃん」
「ああ、おまえにはわからないよ。でも、おまえさんもステュアート博士やアランの天才の血をひいているのだから、ことによったら天才のたまごかもしれないな。ここの所なんだよ、僕が悩んでいるのは」
 ジョセフは冗談混じりに、画面を指し示した。アドルファスは真面目くさった表情で、画面を見つめている。その甥の真剣な様子に、ジョセフは笑った。
「ああ、冗談だよ、冗談。真剣になるなって。さあ、僕はこれを片付けなければならないから、おまえは向こうで遊んでおいで」
「ううん……ぼく、わかったよ。伯父ちゃんが悩んでるのって、これでしょ? ここ、へんだもん。ここ……この三番めの式……この展開が、まちがってると思う」
「なんだって?」
 ジョセフはしばらく呆気にとられ、しばし考えた後、計算をやり直してみた。しばらく慌ただしくキーを打った後、彼はため息をつき、甥を振り返った。
「おい、あってるよ。あってる! おまえさんが指摘したとおりだ。正しい解答に出たよ。驚いたな。どこでこんなことを理解したんだ?」
「ね、あってたでしょ?」アドルファスは得意そうに笑った。
「伯父ちゃんがやってるの、見てて覚えたんだ。わかんないところは、あとで本見て」
「その本に書いてあることは、わかったのか?」
「うん」少年はこともなげに頷いた。
「数学もコンピュータ理論も、結構おもしろいんだもん。こうすればこうなるって、すごくはっきりしてて。ぼく、大好きだよ。化学も物理もおもしろいし」
「まいったな……」ジョセフはぼさぼさの頭をポリポリ掻きながら苦笑した。
「こいつは冗談抜きで、天才のたまごかもな。たいしたもんだよ、アドル。あともう一時間でこれが片付くから、それまでそこで遊んでいてくれ。その後ビュフォードさんの所へ行こう」
「なぜ、ロブ小父ちゃんの所へ今行くの? 夕方また会うじゃない」
「おまえさんのIQを、きっちり調べてもらうためだよ。これは公式の用事だからね」

 ジョセフはこのことを報告し、ビュフォード夫妻はあらためてアドルファスのIQをテストした。
「この方式だと……二百六十近いわね」
 レオナがその結果を見て、息をのんだように言い、
「本当にな。こいつは驚いた」ロブはしばらく絶句した後、続けた。
「基礎教育のマスターが非常に早かったから、ひょっとしてこの子はIQが高いかもしれないと思って、本格的に中等教育にいく前に測ってみようとは思っていたが、これほどまでとは」
「やっぱりアドルは本当に、天才のたまごだったんだな」
 ジョセフはポンと膝を打った。
「この子は二世代の科学を支える上で、貴重な頭脳だ。よし、じゃあこの子にはもう中等教育は受けさせないで、僕が責任を持って教えることにするよ。僕が知っている、できるだけの知識を教えて、考えを発展させることを覚えさせよう。アドルはじきに僕を追い越すだろうよ」

 ジョセフ・ローリングスはそれから一年の間、一日に七時間付きっきりでアドルファスに科学を教え、自分の研究時間も彼と共同でしていた。途中で一般の子供たちの中から選ばれた、エディス・リンダ・バーネットも加わった。彼女はアドルファスより一才年上で、鳶色の真っすぐな髪が肩に垂れ下り、目は灰緑色で肌は非常に白く、鼻のまわりに少しそばかすのある、あまり目立たない顔立ちをした少女だったが、IQは二三〇近いと判定されていた。非常に明晰な頭脳と、鋭敏な発想力があると。だがアドルファス同様、彼女自身の性格はあくまで九才の少女らしかったようなので、二人の子供たちはすぐに打ち解けた様子だった。
「わたしの方が、お姉さんだからね」
 エディスは最初に、アドルファスに向かってそう宣言したが。
 二人の子供たちはまるでスポンジが水を吸収するように、恐ろしい早さで知識を吸い取っていった。彼らの能力には、限界がないようにさえ思えるほどだった。彼らはしばしば、先生であるジョセフの研究にも首を突っ込み、大人の発想ではなかなか考えつかないような柔軟な視点を提供する。ジョセフが彼らに割り当てた科学教育プログラムをパソコンで消化しながら、二人はよくおしゃべりをしていた。
「ねえ、エディス。あったかくなってきたから、来週から外で遊べるんだって」
「わあ、よかった。でも、わたしたち外で遊べるかしらね。お勉強があるじゃない」
「遊べるよ。だって、ジョー伯父ちゃんが言ってたもん。勉強ばっかりじゃ身体が丈夫にならないから、毎日一時間は外で遊ばないとダメだって。ロブ小父ちゃんやレオナ小母ちゃんも、同じこと言ってたよ。だから僕らも、遊びにいこ」
「本当? 良かった。わたし勉強は好きだけど、そればっかりだと飽きるもの」
「そうだよね。ぼく、外へ行ったら、ドッジボール練習しようっと。エヴィーに負けるんだもん。女の子に負けるのって、悔しいじゃない」
「そうお。別に女の子に負けたっていいじゃない。でもわたし、ドッジボールってやったことないわ。どんなの? 今度教えてよ」
「いいよ。おもしろいんだから。ボール当たると痛いけどね」
「本当? ちょっと恐いな。でもやってみるわ。そういえばわたし、誕生日に新しいお人形をもらったのよ。あとで見せてあげるわね。とっても可愛いのよ」
「お人形? 見るのはかまわないけど、それで遊ぼうなんて言わないでよ。もうそろそろ、おままごとやめたいんだ」
「どうして?」
「だって、八つにもなって、おままごとやってると、女の子みたいって、ジャンやテリーたちにからかわれるんだもん」
「いいじゃない。あの子たちの言うことなんて、気にしなくたって。女の子がドッジボールやるなら、男の子がおままごとやったっていいと思うわ。あの子たちは、それがわからないおばかさんなのよ」
「でもぼく、好きじゃないもん。おままごと」
「結局そうなのね、アドルったら。かわいくないんだから」
「かわいくなくたっていいよぉ、だ」
 そんな会話を交わしながら、彼らの小さな指先は恐ろしく複雑な問題の解法を、よどみなく打ち出していく。その頭脳はまるで別次元で動いているようだ。
 ジョセフはそんな二人を、感嘆と安堵が入り交じったような気持ちで、見守っていた。彼らの天才は、放射線による突然変異の産物だろうか? 少なくともアドルファスの方には、血筋の天分はあったものの――障害ばかり与える放射線も、たまにはこんな悪戯をするのだろうか。この二人がいれば、第二世代の科学の発展も、淀みなく進んでいくだろう。彼らに教えてやれることも、教え尽くした――そんな思いを感じながら。

 ジョセフは椅子から立ち上がり伸びをすると、煙草を取り出して火をつけた。ロボットたちが調達してきた昔の煙草で、元からオタワ市内の店にあったものだ。もう中身がかなりぼろぼろになっているので、一度ほぐして乾燥させたものを新しい紙で巻き直してある。さすがに経年劣化が激しく、以前と同じ味ではないが、贅沢は言えない。二人の生徒たちが遊び時間になって部屋から出ていったあと、静かになった研究室の中で、ジョセフ・ローリングスはゆっくり煙を吐き出しながら机のはじに腰をかけ、思いを巡らせていた。
 もうあれから何年になるだろう。そのころ世界中を席巻していた超人気ロックバンドのギタリストだった弟ジャスティンから、解散前にアイスキャッスルでコンサートをやるから来てくれと頼まれた時から。彼はこの八才年下の弟を可愛がってきた。自分は父の期待に背いてしまったが、この弟がついでくれるだろうとも思っていた。しかし彼は、突然違う道を行った。そして彼の所属するバンドは、恐ろしく巨大になっていった。そのことにジョセフは心配と、少しの羨望に似た気持ちを持ち続けていたのだった。
 アイスキャッスル行きには、彼自身遠いということ以外には、特に異義はなかった。ちょうど仕事も一段落し、休暇も取れた。当時身重の妻カレンも、一緒に行きたがった。寒いから妊婦はどうだろうと、自分も弟も心配したのだが、安定期だし、防寒をすれば大丈夫と、彼女はついてきた。こんな未来が待っているとは、夢にも知らずに。
「そうだ。もうあれから、十六年もたつんだ」
 ジョセフは長く煙を吐き出しながら、小さくそう呟いた。
「アイスキャッスルは地獄だった。でもここへ来て、やっと僕は生き甲斐や希望を取り戻せた。今は妻もいる。娘もいる。生涯をかけた研究も完成し、後継者のめども立った。五十を超えるまで、生きることも出来た。僕はやっぱり、ここへ来てよかった。世界の滅びの中から救われてよかった。そう……今はいささかのためらいもなく、そう言える」
 彼は煙草を灰皿に押しつけると、しばし目を閉じて物思いに耽った。
(ジャスティン……アイスキャッスルで、おまえにつっかかってしまって、悪かったな。あそこへ連れてこられたことを恨むなんて、言ってしまって。おまえが生きている間に、謝ることができなかったが、今はおまえに感謝しているよ。心から)
 深い安堵感と、不思議な至福の思いが押し寄せてきた。過ぎ去った日々――子供のころから現在に至るまでの幸福な思い出を、彼は思い出していた。父母や弟妹たち、友人、最初の妻、そして現在の家族を。
 次の瞬間、楽しげな黙想は突然振り下ろされた激痛によって砕かれた。息も止まるような苦痛――身体の中で爆弾が炸裂したような激しさだった。しかしその苦痛を感じたのは、一瞬だけだった。激しい痛みは、すぐに意識を断ち切ったのだ。

 三十分後、部屋へ戻ってきた二人の教え子たちが、床に倒れているジョセフを発見した。
「ジョー伯父ちゃん、どうしたの?」
「先生、しっかりして!」
 二人は目の前に倒れている人が、どんなに揺すっても声をかけても、まったく動かない様子を見て、同時に顔を見合わせた。エディスが甲高い声で叫ぶ。
「たいへん! きっと病気よ! 病院へ行ってこなくちゃ!」
「ぼく、だれかお医者さんを呼んでくるよ!」
 アドルファスが駆け出していった。
 それからまもなく、ジョセフは病院に運ばれた。そして夜の訪れからまもなく、意識を回復しないまま、息を引き取った。医療チームのメンバーたちはレントゲンを撮り、彼の死は胸部大動脈瘤の破裂が原因であろうと、結論づけた。シルバースフィアへ来て五年目にジャーメイン・ステュアート博士、それから七年後に息子のアラン、さらに十六年目の今、ジョセフ・ローリングスが亡くなり、新世界の科学の基礎を築いた三賢者は、みな世を去っていった。後世の名声も知ることのないままに。だが彼らの残した知識と技術は、今はまだ幼い二人の天才、アドルファス・ルーク・ローリングスとエディス・リンダ・バーネットに託され、引き継がれていくことになるのだろう。

「エヴィー、起きてる? もう寝ちゃった?」
 ジョセフ・ローリングスが死んでから三日後の夜、アドルファスはベッドの中で寝返りを打つと、小さな声で姉に呼びかけた。
「もう寝ちゃったわ」悪戯っぽい答えが返ってきた。
「うそだい。寝てたら、返事できないじゃないか」
「寝ちゃった? なんて質問するからよ。寝ちゃってたら、それには答えようがないじゃない。ってことはよ、いつも同じ答えしかないわ。あなたはあたしより、そういうことには詳しいでしょう」
「うん。そういうのって、なんだっけ。必ずしも二者択一じゃなくて、常にひとつの解法にいきつくんだよね。二者択一の片一方は、常に背反的で」
「そういう難しいことを、あたしに向かって言わないでよ、アドル。どうせ、あたしはバカよ。おつむにかんしてはね」
「そんなことないと思うよ。エヴィーも頭いいって、ロブ小父ちゃん、言ってたもの」
「でも、あなたみたいな天才じゃないもの」
 エヴェリーナは気が晴れないらしく、ため息をついていた。
「でもぼく、わからないことがあるんだ」
 アドルファスは姉の言葉をさほど気に留めた様子もなく、そう続ける。
「先生がいなくなったから? でも、あたしに聞いてもわからないわよ」
「違うんだ。そうじゃなくて……ねえ、エヴィー、死んだらぼくたち、どこへ行くんだろうね。それがわからないんだ」
「天国へ行くんじゃないの? レオナ小母ちゃんが、いつも言ってるじゃない。そこでは前に死んじゃった人たちに会えるって。じゃあ、ジョー伯父ちゃんも、今ごろパパたちに会ってるかなあ?」
「でもエヴィー、レオナ小母ちゃんだって、自分で天国へ行ったわけじゃないでしょ? 誰も天国へ行って帰ってきた人なんて、いないじゃない。だから本当かどうかわからないんじゃないの? 科学ではね、仮説は必ず証明されなきゃいけないんだよ。だけどそれって、絶対証明できないじゃない」
「疑い深いのねえ、アドル。本当かどうかは、死んで生きかえらなきゃ、わからないじゃない。でもそれって、絶対無理だわ。パパが言ってたでしょ? 向こうの世界へ行ったら、もう帰ってこれないって」
「エヴィー、パパいつそんなこと言ってたの? ぼく知らないよ」
「覚えてないの? あのねえ、たしかパパが死んじゃう少し前よ。あたしたちがパパのベッドに行ったら、パパはあたしたちを抱き締めて言ったの。『エヴィー、アドル、僕はもうすぐ、遠い所へ行かなくちゃならない。そこは行ったら、帰ってこられないんだ』って」
「覚えてないよ、ぼく。エヴィーはなんで覚えてるの? ぼくたち四つだったじゃない」
「あなたって頭はいいのに、どうしてそういうことは覚えていないのかしら。あたしは覚えてるわよ。そのあとパパ、こう言ったもん。誰かに何かをされて嬉しかったら、その人に感謝して、その人のために何かできることはないかと探してごらん。もし誰かにいやな目にあったら早く忘れて、他の人には絶対そうしちゃいけないって」
「ふうん。でも忘れちゃったら、やっちゃうかもしれないじゃない」
「そういうのを、あげ足とりって言うのよ、アドル。レオナ小母ちゃんが言ってたもん。それ、あまり良くないことらしいわよ」
「そうなの?」弟は無邪気な様子で首を傾げ、それからしばらく考えをめぐらせているように沈黙していたが、やがて小さな声で続けた。
「死んだら帰ってこれない……じゃ、やっぱり絶対、証明できないんだ」
「そうよ。ああ、でも、パパはたしか一回死んで、それからしばらくして、ちょっとだけ生き返ってたわ。あたし、覚えてるもの。お医者さまが『パパは死んだ』って言った後しばらくして、目を開けたの。そしてあたしたちを抱いて、『エヴィー、アドル、頑張れ』って、最後に言ったんだわ」
「うん。そういえば……ぼくも覚えてる、それは。本当にかすかだけど。ってことは、例外もあるのかなあ」
「でも滅多にそういうことはないし、それでその人が『天国へ行ってきた』って話をしても、それが完全に本当のことだとは言えないって、誰かがその後で言っていた覚えがあるわ。アラン伯父さんだったかしら……その人には本当に思えるかもしれないけれど、単にその人の夢だったのかもしれないって」
「じゃ、やっぱり本当の真実って言うのは、生きてる間は、絶対にわからないんだね」
「そういうことに、なるみたいね」
 二人はしばらく黙り込んだ。
「でもあたしね、パパの言ってた天国って、絶対あると思うわ。本当のことよ、きっと」
 エヴェリーナは枕の上に頭を起こし、思い詰めたような口調で言った。返答はなかった。すでにアドルファスは、すやすやと寝息を立てている。
「やーだ、アドルったら、あたしが寝ようとしてたのを起こしたくせに、自分はさっさと寝ちゃってるの。ひどーい、こら、起きなさいよ。あーあ、ダメだわ。一回寝ちゃうと、めったなことじゃ、起きないんだもの」
 少女は弟の頭を軽く小突き、小さくため息をついて寝返りを打つと、両手を胸の上で組み合わせ、声に出して呟いていた。
「でも、あたしは天国を信じてるわ。証明はできないけれど、きっと本当にあるのよ。パパもママもきっとそこにいて、あたしたちを待っていてくれるんだわ。でも行って帰ってこれたら、どんなにいいかしら。そしたら、あたしも一回行ってみたいな。パパに会いたいし、ママにも会ってみたいんだもの。でも、こっちの人たちとも別れたくないから、帰ってこれないんじゃ、いやだけど」




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