Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 1  AGE White (白の時代) (3)




 クレイグ・ロビンソンに相談した三日後の夜、ロブはアールとオーロラのローゼンスタイナー兄妹を部屋に呼んで、二六年前の秋の日に起きた、不思議な物語を語って聞かせた。たぶん彼ら当事者の子供たちは、親がもういないゆえに、かえってその話を耳にする機会がないだろうと思ったためでもある。
 二人とも一様に驚いた表情で聞き入り、ついでオーロラが叫ぶように聞いてきた。
「ねえ、それって、お話の本じゃなくて? 本当の本当にあったお話なの、ロブ小父さん。あたしたちをからかっているわけじゃないのね?」
「そうだよ。これはフィクションではなくてね、オーロラ。本当の話なんだ。僕自身が、二六年前に実際に体験した事実なんだよ。君たちが信じられないとしても、無理はないかも知れないけれどね。あまりにも超常的な話だから」
「本当にタイムリープなんてことが起きるなんて……やっぱり、なんだか信じられないわ。でも、小父さんがあたしたちを担ぐ理由はないし……」
「本当なんだよ、やっぱり」アールの方は、考え込むような表情を見せて、頷いていた。
「僕はその話、信じるよ。それにその話、僕は知っているんだ。同じ話だったから、それで驚いたっていうのもあって……」
「誰から聞いたのかい?」
「ここの人じゃないんだ。夢なんだ、ロブ小父さん。一週間くらい前に見たんだ。不思議な人が夢に出てきて……きれいな青紫のガウンみたいな、ドレスみたいな服を着た人が。きれいな人だったけど、女の人なんだろうか? あんな服を着ていたから。髪の毛は薄い茶色ですごく艶があって、まっすぐなんだ。それが腰のあたりまであってね、頭のてっぺんの毛だけ緑なんだ。それで手に、大きな銀色の輪を持っていた。その人が僕に話してくれたんだった。その人はたしか、こう言っていた。『彼らは三百年先の未来へ行きました。そこに十六日間滞在して、十六日前に戻ってきました。新世界を築くための、必要不可欠な知識を得るために。時間は一本の線で、飛び越えたり戻ったりということはまずない。しかし、神が認めた場合は別です。あなたも今、その三百三十年にわたる時の円環の中に生きているのです』って。その時には何がなんだかよくわからなかったけれど、変な夢だったから良く覚えているんだ」
(紫の幻影……? そう言えば、ジャスティンの記録に書いてあったな。何回か彼の前に現れた幻と同じものか?)
 ロブは当惑しながら思い返していた。
『アールには、あれが見えるだろうか……?』
 ジャスティン・ローリングスが、そう書いていたことも。幻視と言うにはリアルで不可思議なこの謎は、自分には解けないことだ。彼は頭を振り、気を取り直して話を続けた。
「そう。僕たちは今、たしかに大きな時の円環の中にいるんだ。そして、その円を無事に閉ざさなければならない。未来のためにね。僕たち大人も、生きている間は出来るだけの努力をする。それから後は、君たちに引き継いでいってもらいたいんだ。そのための指揮をアール、君が取ってくれたらいいと思う。オーロラはアールを助けて、二人でみんなを導いていってくれ。確立された未来に向かってね」
「僕に出来るかなあ」アールは当惑した顔で首を傾げた。
「大丈夫さ。君には人を動かす力がある。君のお父さんから受け継いだ、その貴重な贈り物がある。それを信じて、それぞれの子供たちの能力を把握して、彼らを導いていってくれ。君ならきっと出来るよ」
「スフィアの子供たちを? まあ、たしかに僕たちは子供世代の中心的な感じではいるけど、僕も全部の子たちを知ってるわけじゃないから。八百人くらいいるんだよ」
「それにリーダーとか導くなんて、ずいぶんたいそうに聞こえるわ、ロブ小父さん。あたしたちは、たしかに第二世代の中では年長だけど、それにたしかに当事者の子供でもあるわけだけれど、あたしはなんだか納得いかないの」
 オーロラは少し不満げな顔で、そう抗議している。
「そういう君の言い方は、なんとなく君たちのお父さんを思い出させるよ、オーロラ。おっと、そう言うとまた、イメージが湧かない人のことを言われても困るって、抗議されそうだけれどね」 ロブは思わず苦笑した。
「でもね。これだけは言っておきたい。君たちは、まだ十三才だ。その君たちが第二世代では、もっとも年長者の一人、つまり第二世代は、本当にまだ若い。だが、いずれ君たちの時代が来る。君たち第二世代がいてくれるからこそ、僕らもがんばれるんだよ。その第二世代を束ねられるのは、君たちしかいないんだ」
 二人は当惑気味に顔を見合わせている。ロブはそんな彼らの手を片一方ずつ取り、「大丈夫さ」と言いながら、ぽんぽんと軽く叩いた。そして話を続けた。
「それから、この機会に君たちに預けたいものがあるんだ。お母さんの遺品はもう君たちの手に渡っているけれど、僕が死んだら僕の日記を預かって欲しいんだ。日記と言っても、短い日々のメモという感じだが、君たちが読んでくれたら、いずれ処分して欲しい。エヴィーとアドルにも、読んでもらってもいいけれどね。それと、これを……これは、ジャスティン叔父さんの記録だ。これを六年後に、エヴィーに渡して欲しいんだ。彼女の十四才の誕生日に。アドルも当然一緒に見ることになるだろうが、ジャスティンの遺志では、これはエヴィーに託す、と言うことだったから。この手記を読めば、みんながどんな思いをしてここまで来たかが、よくわかると思う。未来への時間旅行の話も、詳しく書いてあるしね。彼女にこれを渡すことが、円を閉ざすために必要なんだ、どうしてもね。それからこの楽譜……これはアドルに。これもジャスティンの遺志だった。すべてを君たちに押し付けてしまって悪いけれど、僕もあと六年生きていられるか、自信がないからね」
「うん。わかった」
 アールは渡された何冊もの分厚いノートを、ぱらぱらとめくりながら頷いた。
「でもジャスティン叔父さんの記録は、読んだら悪いかな。世界の終わりがわかっててどうやって十一年を過ごしたのか、それからアイスキャッスルでも……知りたいんだけれど、でも人の記録を読むのは失礼だよね」
「いいや、構わないと思うよ。君は彼にとっても義理の甥なんだし、君たちのお父さんとも親友だったんだから。それに、そうだ。詳しい未来の指針が、そこに書いてある。僕が話すまでもなく。彼は訪れた未来社会の様子を、かなり詳しく書いているんだ。そこだけはぜひ読んでほしい。そこが、君たち先の世代が目指す、青写真になるはずだから」
「わかった。未来世界の話だけは、読んでみるよ。でも他を読むのは、やめる。これは六年したら、エヴィーが読むべきものだよ。それとアドルがね」
 アールは決然とした表情でノートを閉じ、頭を振った。
「あら、あたしは他のところも読んでみたいわ」
 横からオーロラがひょいと手を出して、ノートの一冊を取った。
「オーロラ、人の日記を読んだら、やっぱりまずいよ」
「いいじゃない。ロブ小父さんだって、かまわないって言っているんだし。だって未来世界の話だけじゃ、前後がわからなくない? ただ、ジャスティン叔父さん個人のプライベートなことは、読まなければいいわ。それに、知りたいと思わない、アール? バンドのこととか、あたしたちのお父さんのこととか……ジャスティン叔父さんが記録してるかどうかわからないけれど、でも少しぐらいは……」
「いや、たくさん書いてあるぞ。エアレースのことも、エアリィのことも。かなりの比重で。君たちにとっての父親像というものが、よくわかるかも知れない」
 ロブが微笑して、そう口を出した。
「ほら」オーロラは少し勝ち誇ったような顔になり、にこっと笑った。
「それに知っているってことは、ロブ小父さんだって読んでいるんでしょう? あたしは読んでみようっと。あなたは別に読まなくても良いけれど、アール。でも、きっとどうなるか、あたしにはわかるわ。あなたも絶対好奇心に負けるんだから」
「ずるいよ、オーロラ。やっぱり僕は人の日記は見たくない。でも君が読んでしまったら、僕も誘惑に負けそうだ。ああ、お父さんがそういう記録を残してくれなかったのは、残念だなあ。そうしたら堂々と読めるのに。やっぱり僕も、具体的なお父さんのイメージを知りたい。一般の人の話を聞いていると、お父さんのイメージってものすごく膨らんじゃって、ちっとも具体的な人間っていう感じがしないんだもの」
「まあ、今はそうだろうな。だが彼は、記録を残す必要性を感じていなかったんだろう。すべて頭の中に記憶されていたから。でも僕の知っている限りでは、エアリィは結構、なんというか、子供的な部分も残していたぞ。子供っぽいと言うのでは決してないが、感情の起伏はかなりあるほうだったし……彼には悪意とか、そういうネガティヴな感情はなかったがね、決して。ただその分、理解できない思いに対して、多少無頓着な面もあった。それに少し衝動的で、その行為の結果を、あまり考えないようなところも少しあった。まあ、君たちに話をしても実感はわかないだろうが、そういうエピソードはけっこうあるんだ。実際のところ、彼自身の力とか、それに付随するものはとてつもなく大きかったが、次元が違うほどに……だが、彼自身は、そういうイメージとは無縁のところにいたかったような印象を受ける。皮肉なものだな。今ではイメージだけしか残らないとは……」
 ロブは軽くため息をつくと、立ち上がり、八枚のコンパクトディスクを出してきた。
「ところで君たちは、エアレースのCDは持っているかな?」
「ううん。お母さんは持っていなかったから。持っていたけれど、トロントの家においたままだったって、前に聞いたことがあるよ」アールが首を振って答えた。
「じゃあ、これを君たちにあげよう」
「本当?!」二人は同時に声を上げる。
「ああ。エアレースが十一年間の活動で制作したアルバム全部と、あと君たちのお父さんがバンドを離れて他の人と組んだプロジェクト、アクアリアのCDだ。これは元々、君たちが今いる部屋の、元の住人の持ち物だったんだ。ファンだったんだろうね。世界崩壊の十年以上前から、音楽はストリーミングや配信が増えてきて、CDのような媒体は廃れつつある時期だったんだが、彼らの音楽は、流れゆくものでなく、形として所有していたいという思いを、ファンの心に起こさせたようだ。それゆえ、爆発的にCDが売れたんだが、この部屋の子も、その例に漏れなかったらしい。僕らがここに来て最初に部屋を片付けた時、僕はいったんそれを回収したんだ。君たちが大きくなったら渡そうと思ってね。曲は君たちも、ある程度耳にしているかもしれないね。集会で必ずかかるから。この八枚のCDの中にあるその言葉はすべて、君たちのお父さんの言葉であり、思いだ。むしろある意味では僕たちが知っている彼より、もっと真の姿に近づけるかもしれないな。彼の力は、我々のお呼びもつかないほど大きなものだった。これほど伝説化されるのもなるほどと頷けるくらい、ものすごい底知れなさをもった人だったよ。たぶん、それは君たちにもきっと伝わると思う。これを聞いてもらえばね」
「うん……」二人は神妙な顔で、頷いていた。
「そういえば、このジャケットだが……このラストアルバム。これのジャケットに、メンバー全員が写っている。というか、描かれている。彼らがジャケットに出た、唯一のものだね」
 ロブは『Neo Renaissance』のCDを手に取った。白一色のバックに、交差する十数本の金色と銀色の糸。見開きになっていて、表ジャケットに一人、裏ジャケットに四人の赤ん坊がいる。白いベビードレスを着て、それぞれが糸をつかもうとしている。
「これって……もしかしたら、お父さんたちの赤ん坊のころ?」
 アールがジャケットを見つめながら、問いかけた。
「そうだ。カヴァーデザインを担当していているシモンズさんが、彼らに赤ん坊のころの写真を持ってきてほしいと言って、そしてこれを描いた。まあ、エアリィはこのレイアウトに、文句を言ってたけどね。『なんで僕だけ表ジャケに一人?』って。『いや、このほうが芸術的だろ? 表はシンプルにしたいんだ』とシモンズさんに言われて、『え〜』と、肩をすくめてた。エアリィは、この一対四構図はいやだったんだろうと思う。彼とその他、という見方には最後まで抵抗していたからね」
「でも多少、というか、かなり、今でもそう見られてない?」
 オーロラが小さく肩をすくめた。
「そうだね。現実はそうなんだが……ことに、ここへ来てからは、本当に神格化されているからね」
 ロブはふっとため息をついてそのCDを置くと、別の二枚を取り上げた。
「それから、この五枚目と六枚目の作品は、君たちのお父さんが撮った写真を基にして、出来ているんだ。このモデルは、君たちのお姉さんに当たる、ロザモンドだ。写真は何回か見ていると思うけれどね」
「ああ……うん、お母さんの携帯電話に入っていたから、知ってるよ」
「でもこれ、すごくきれいね」
 オーロラは六枚目のアルバムである『Polaris』を指した。一面の星空が、空と地面にも広がっていて、その片隅で小さな女の子が、空を見上げている。
「これはね、天空の鏡といって、南アメリカのウユニ塩原という場所特有の現象らしい。ここは塩の砂漠みたいなところなんだが、雨が降ると、鏡のようになって空を映すんだ。エアリィが六枚目制作前のオフにロザモンドちゃんとエステルちゃん……彼の妹で、エヴィーとアドルのお母さんだね、その二人を連れて行って、その時写真に撮ったらしいね。この星空を写すには携帯では解像度が足りないので、これは一眼レフデジカメで撮ったそうだが。アデレードさんは、もうすぐ君たちの下のお姉さんが生まれる時期だったので、行かれなかったらしいけれど。それで彼女に見せるために、この写真を撮ったそうだ。その光景があまりに素晴らしかったから、彼はアデレードさんとティアラちゃんを含めて家族四人で、二年後のオフにもう一度訪れているんだ。エステルちゃんは学校があって、行かれなかったが」
「へえ……」二人はあこがれるような表情を浮かべ、絵に見いっている。
「ただエアリィは普段、あまり写真は撮っていない。誰かに見せるため以外では。彼は言ってみれば、頭の中に写真が撮れる人だったから。それが写実的記憶というものなんだ。たとえばこのアクアリアのCD。このジャケットの絵は、お父さんの作品だ。君たちの下のお姉さん、ティアラちゃんが生まれた瞬間をスケッチしたんだ。その一瞬の映像が写真のように彼の頭の中に記録されていて、それをあとになって再現したものらしい。それに彼が最初にアイスキャッスルからオタワに来た時、地図もコンパスも当てにならない中で、かつて未来世界で、そう、十年以上前にちらっと見ただけの地図を参照して、ここまでたどり着いていたんだ。頭の中に記憶された細かい地形と、眼下の風景を見比べながらね」
「お父さんって、やっぱり変だわ。何でもかんでも記憶できちゃうのね。コンピュータみたいに」オーロラはそんな感想を漏らし、肩をすくめた。
「ごくたまに、そういう人は現れるらしいけれどね。良くあるのは自閉症の一種で、イディオ・サヴァンと呼ばれるケースだが。彼の場合は、高IQの天才型だ。非常にまれだが、人類史上いなかったわけではないんだよ」ロブも微かに肩をすくめ、話を続けた。
「ただ、彼は良く家族や友達の写真は飾っていたけれどね。それはそこにいない人を『その人のかわりに』と言う意味合いだったらしい。亡くなったお母さんや妹さんや義理のお父さんや……そう、ロードでは君たちのお母さんとお姉さんたちの写真も、衣装ケースの裏側に張っていたけれど、それは『離れていて会えないから、そのかわり』なんだな。他のメンバーもケースの裏側に、家族写真を貼っていたしね」
「うん……なんとなくわかる」アールが頷いた。
「それと、君たちの両親が持っていた携帯電話は、お母さんが亡くなった時に一緒に埋葬したんだが、残っていた写真のいくつかは、プリントしておいた。お母さんの携帯の写真はもう君たちが持っていると思うが、お父さんの方に残っていた数少ない写真のうち、三枚だけプリントしたものを、僕が持っていたんだ。いつか君たちに渡そうと思ってね。アルバムジャケットに使ったものは、プリントしなかったが」
 ロブは三枚の写真を兄妹に見せた。一枚は、二人の母アデレードが幼い女の子たち(兄妹の姉たちである、ロザモンドとティアラ)を両手に抱き、三人とも楽しそうに笑っている。二人の小さな女の子たちは、おそろいのピンクギンガムのブラウスに、ジーンズのショートオールを着ていた。
「これは最後の長期休暇に、ジョージの……君たちが小さい頃に亡くなっているから、覚えていないかもしれないが、名前は知っているだろう。お父さんたちのバンドのドラマーなんだが、その彼の農場での写真だ。夏の間、エアリィに単独で仕事が入っていたから、お母さんと二人の娘さんは、ジョージの好意で夏中滞在していたらしい。彼は面倒見が良かったし、お互いの子供たちも仲が良かったからね。その時の子供たちの笑顔を、ジョージが撮って、メールに添付して送ったんだ。エアリィはずっとこの写真を、携帯電話の壁紙に使っていた。これは彼の記憶にはない、記憶の断片だったからだろう」
「そうなんだ」二人は再び憧れるような表情を浮かべ、頷いていた。
 ロブはもう一枚の写真を見せ、言葉を継いだ。
「それからこれは、お父さんとお母さんの結婚式の時の写真だ。二人が入籍したのは、僕もまったく知らなかった。ロビンの結婚式の時に知らされて、他のメンバーともども驚いたがね。二〇一七年三月十七日が二人の結婚記念日なんだな。これはその時に出席したエステルが撮って、エアリィの携帯に送ったものらしい。だからエヴィーとアドルも、これは見ているかもしれないが」
 白いウェディングドレスに身を包み、輝く笑顔の花嫁と、白いスーツを着て、どことなく照れたような笑みを浮かべた花婿。二人に抱かれた小さな娘、ロザモンドは三歳前後の年齢で、まるで小さな花嫁さんのように白いドレスを着、花束を抱えて、嬉しそうに笑っている。
「ちゃんと結婚式をしたんだね、お父さんとお母さん……」アールが小さく呟いた。
「そう。ただし、恐ろしく極秘にね。エアリィにしてみれば、別に隠すつもりはなかったのだろうけれど、あえて言わなくても良いと思っていたようだ。この当時の彼は、瀕死の重傷から回復して、復活できるかどうか、いつも以上に恐ろしく注目が集まっていた時期だったから、そこに結婚式なんて発表したら、ファンたちの君たちのお母さんへの風当たりは、よけいに厳しくなった可能性がある。以前、ロザモンドちゃんの出生を個人ページで報告して、とんでもない反響と一部お母さんへのバッシングで、大変だったこともあったから、彼も半ば無意識のうちに、あえて発表しない方がいいと、思ったのかもしれないな」
「なぜお母さんへの風当たりが厳しくなるの? お父さんと結婚して」
 オーロラが怪訝そうに尋ねている。
「まあ、そのあたりの事情は少し複雑なんだ。アデレードさん本人は、とても良い人なんだ。女らしくて美しく、しっかりしていて、真剣で、優しい。ただ以前は、一部のファンたちには、あまり受けが良いとは言えなかった。まあ、本当に一部だがね。それに、エアリィもずっと秘密にしていたわけじゃなく、ティアラちゃんの出生時に、入籍も公にしていたな。彼の個人ページで。その時には、ロザモンドちゃんの時のような騒ぎにはならず、肯定的な祝福がほとんどだった。それにアデレードさんもここへ来てからは、とてもみんなに大事にされていたけれど。……まあ、ジャスティンもそのあたりの事情を少し書いているから、読んでみればわかるよ」
「そうなの。ますます読んでみないと」
 オーロラは頷き、アールは(やっぱり読みたい)という思いが入ったような、少し困惑した表情を浮かべている。
「それから最後の写真は……」ロブは三枚目を差し出した。
「未来世界の草原だ。さっき君たちに話した、時間旅行の」
「えっ?」
 それには、夜明けの空をバックにして、見渡す限り茶色の草原が写っていた。風があるらしく、草が多少うねって見える。毛足のとても長い絨毯のように。
「初めてその地に来た時、君たちのお父さんは、携帯電話でその写真を撮っていた。『圏外だけど、写真は撮れる』と。これ一枚だけだ。それから二年後にスマートフォンになって、さらに二回くらい機種をアップグレードしているんだが、そのつどデータをバックアップして移行したから、最後まで残っていたんだ。なぜ消さないで持っていたのか、はっきりとはわからないが、なんとなく理解はできる。あれが本当に事実だったのかどうか、それの証明なんだ。まだ僕たちは時の円環の中にいるという」
 ロブは三枚の写真をまとめて、二人に手渡した後、言葉を継いだ。
「それから君たちに、ひとつお願いがある。そのバンドの作品なんだが、一般の人たちもほとんど持っているんだ。店には、ほとんど残っていなかったがね。みな、アイスキャッスルに旅行する時に持ってきたものだから、大部分はHDプレイヤーやスマートフォンだが、ポータブルCDプレイヤーを持ってきていた人も、まだ一部にいたようだ。だがエアレース関係のCDは、アクアリアも含めて、それぞれの持ち主が死んだ時に僕の手元へ返してもらって、シュレッダーをかけて処分しているんだ。HDプレイヤーやスマートフォンは、完全にデータ消去している。シルバースフィアにもともと住んでいたファンの子たちの部屋にあったものも、同様だ。文化保存班が作成中の音楽ファイルにも入れていない。理由はわかるかい?」
「そうだなあ、えーと、たぶん……未来の世界に行った時に、お父さんたちがそれを知っちゃうと、困るからでしょ?」
「そう。君はなかなか聡明だね、アール。つまり、そういうことなんだ。二四世紀に行った時、彼らが自分たちの未来の音楽を、そこで耳にするようなことが万一起こったら、困るんだよ。だから君たちも、アールとオーロラ、どちらかより長く生きていた方が、死ぬ前に処分してもらいたいんだ。もし君たちが処分する暇がなさそうだと感じたら、代わりにそうしてくれるように、君たちの子供たちにあらかじめ話しておいてもいいだろう。まあ、もちろん、まだまだかなり先のことだろうけどね」
「わかった」少年は短く頷いた。
「でも、どっちが処分することになるのかしら」
 少女は悪戯っぽく首を傾げ、
「君の方が長生きしそうだよ。気楽だから」アールは笑って返答していた。
 ロブは彼らに向かって微笑した後、ピンク色の表紙の、小さな薄いバインダーを取り出した。一つのページごとに一枚ずつCDが入っている。
「それともう一つ、これはエステル叔母さんが持っていたCD五枚だ。サードからラストまでの、バンドのピークとも言える作品群だが、彼女はケースごとだとかさばるからと思ったんだろうね。CDだけをバインダーに入れて持ってきていた。暇な時に、お父さんとお兄さんが持ってきているパソコンを貸してもらって聴こうと、ふと思いついて、持ってきたらしい。スマートフォンで聞くより、きれいに聴こえると言って。これは、この楽譜と一緒にアドルに渡してほしいんだ。彼が十四才になった時に」
「うん。で、やっぱりこれも最後にアドルに処分させるの?」アールが問いかける。
「ああ。そうしてくれ」
「わかった。ところで、この楽譜は何? 『New World Rising』って」
「その曲は、非常に不思議な経緯をもっているんだ。ジャスティンは一度心臓停止して、医者が臨終を宣告した。しかし十分以上たって、生き返ったんだ。そして僕に五線紙をもってきてくれと言った。それから最後の力を振り絞るようにして、それを書いたんだよ。僕らが作った新曲なんだよ、最後の……そのために戻ってきたんだ。彼はそう言っていた。それを書き終わると、すぐに死んでしまった。もう今度こそ、生き返りはしなかったよ。まるでこの曲を伝えたいがために、死者の国から戻ってきたような印象だった」
「そう言えば……覚えてる」
 二人は少し乱れ気味の楽譜を見つめながら、頷いた。彼らもエヴェリーナとアドルファスと一緒に、ジャスティンの臨終には立ち会っていたからだ。その光景を思い出しているかのような沈黙の後、アールが問いかけた。
「僕、楽譜読めないから、わからないけれど……これ、どういう曲なの?」
「僕が写譜したものがもう一部あるから、いずれ誰かピアノの出来る人にでも弾いてもらえれば、どんなものかある程度はわかるだろう。そうだ、レオナがピアノを弾ける。今は無理だが、明日にでも聞かせてもらうといいよ」
「うん」
「完全な再現は無理だがね……」ロブは寂しげな笑みを浮かべて、言葉をついだ。
「だが、僕には聞こえてくるよ。彼らがこの曲を演奏しているのが。ジョージのドラムス、ロビンのベース、ミックのキーボードはきっと透明度の高いメロトロン系の音色で、ジャスティンのギターは、あの彼独特の暖かい伸びやかな響きで、そしてエアリィはきっとあのラストアルバムの歌唱以上に、やさしく力強く無垢に歌っているんだろう。ああ、本当に今でも耳に響いてきそうだ」
 ロブは少し涙ぐんだ。それから気を取り直し、しばらく自分の荷物の中を捜したあと、一片の紙を彼らに差しだした。
「そうだ。これも君たちに渡しておこう。これも君たちのお父さんの遺品の一つだ」
「これって……」
「あら……」
 二人は不思議そうに渡された紙を眺めた。それはカレンダーの一枚のようだが、その裏に何か書き付けられている。それを読み、二人は顔を見合わせた。
「同じだわ、さっきの楽譜の歌詞と」
「うん、同じ詩だ。二、三言葉が違うけど」
「それは、君たちのお父さんがまだ生きている間に、オタワで書いたんだよ。空港内の店舗にでもあったのだろうカレンダーを破って、その裏に書いたんだろう。エアリィは昔から曲を作る時、詩だけを紙に書き出して、メロディは頭の中に畳んでいた。視覚的に言葉を見た方が、イメージしやすいからと言って。そして改良の余地のある言葉には、そうやってアンダーラインをひいていて……その言葉だけが、ジャスティンの楽譜の方では、変わってるだろう? 最後のインクのこすれ……懐かしいな。エアリィは左利きだったから、服の袖がたっぷりしていたりすると、しかも彼はゆるみのある服が好きだったから、気をつけないとインクを引きずってしまうんだ。『あっ、やっちゃった!』なんて、時々やっていたものだよ」
「じゃあ、これは本当に、お父さんが書いたものなんだね」アールが呟く。
「そう。彼の字だよ。最後の遠征でオタワから帰ってきた時、着ていた上着かズボンのポケットにでも入っていたんだろう。僕らは、中は改めなかったんだ。君たちのお母さんに任せるべきものだと思ったから。だから彼女が遺品を整理できるようになった時に、それを見つけたらしいんだな。でもアデレードさんは何も言わずにここに持ってきて、部屋にあった本の一冊の中に挟み込み、その本を中ほどの棚の奥に沿うようにおいて、その前に他の本を並べていた。外から見て不自然にならないように、揃えて。僕たちは、まったく知らなかったんだよ。君たちのお母さんが亡くなって遺品を整理した時さえ、気付かなかった。ジャスティンが死んでから、半年後くらいかな。君たち用の本に入れ替えようとして、偶然君たちの部屋の本をレオナが整理していた時、本棚の奥にあったその本に気づいて、開いてみるまでは」
「どうしてお母さんは、何も言わないで隠したのかしら?」オーロラが首を傾げた。
「そうだな……僕にもはっきりとはわからないが、おそらく……そこにこめられた思いが生々しすぎて、お母さんには耐えられなかったのだろうと思う。その紙の最後の言葉を見てごらん。『世界はまた昇っていく。新世界は昇る。限りない未来に、祝福がありますように――』詩の言葉以上に乱れた筆跡で、そう書いてあるだろう。それはいわば、君たちのお父さんの遺言だ。あの時オタワで、彼はこの思いだけを支えにがんばってきたんだ。未来はつながると。最悪のコンディションで、ひどい症状に苦しみながら、隊員たちを励まして、ひっぱってきた。自分の限界をとっくに踏み超えていただろうが、本当に超人的ながんばりを見せてくれたんだよ。おかげで僕らは救われた。だがね、彼の代償の大きさを考えたら……この紙全体に、薄いピンクの染みが広がっているだろう。地模様のように見えるが、実は血のあとなんだ。彼は元々かなり特殊な体質の持ち主だが、これもそうなんだよ。出血して服などについた血の染みは最初赤いが、時間と共にだんだん退色して、最後はこんな色になって残るんだ。でも君たちのお母さんがこの紙を見つけた時には、まだかなり赤かったんだと思う」
「えっ!」二人は同時に手にした紙を取り落とした。
「だから、アデレードさんも、いたたまれなかったのだろうと思うよ。死んだ夫の血染めの詩なんてね。彼はいったい、何回オタワで血を吐いたんだろうか。向こうで着替えた時、いつも好んで着ている白や水色といった薄い色の服を着なかったのは、血が飛ぶと生々しいからなのだろうと、遠征隊に一緒に行った人たちが言っていた。オタワには食べ物も飲み物もあったが、エアリィは一週間近い足止めの間、ほとんど何も口にしなかったという。ミネラルウォーター半分と、キャンディが一つ、ゼリードリンクを一口。六日間で、それがすべてだったそうだ。それまでも既に、三日間何も食べていない状態だったのに。もう身体が食べ物を受けつける状態ではなくなっていたらしい。彼は具合が悪くなると、固形物を食べられなくなるんだ、昔から。それでも、オタワでは横になって休んだことは、ほとんどなかったらしい。もうこの段階では、眠っても意味がない。眠れない……そう言って。彼は眠って回復する体質だったのに。疲れたり、身体がダメージを受けると眠りを欲して、自然に眠ってしまっていたのに、眠れなくなった。ダメージがどんどん進行していくので、回復が追いつかない、その余地がなくなってしまった。そういうことなんだろうとモートンが……一緒に遠征に行ったエアリィの専属スタッフが言っていた。それだけの極限状態でありながら、他の調達隊のメンバーを気遣い励まし、自分の身体をますます痛めることになるのを覚悟の上で、他の人たちの苦しみをいやし、僕らのために祈ってくれた。僕らに力を与え、奇跡を起こし、僕らを救ってくれた。だからこそ、彼は今コミュニティの守護神になったのだが。中央広場に展示してある服を、君たちも知っているだろう。君たちのお父さんたちがオタワから帰ってくる前の晩、アイスキャッスルにいた僕たちは同じ夢を見た。その時に、君たちのお父さんが着ていた服だ。ステージ衣装なんだが、最後に着替える、と言って。それから二週間後、アイスキャッスルからオタワへ移動して来た時の空港で、後続の飛行機を待っていた時に、ロビーの片隅に畳んで置いてあったのを、数人のスタッフが見つけたんだ。夢で見たのと同じように、右袖が切れていた。それをここへ持ってきて、もう一度きれいに洗濯してから、あそこに置いたんだ」
「奇跡と復活の服って、第一世代の人たちが言っていたものだね」
 アールが頷く。それは中央広場の、バンドのポスターの傍らに、トルソーに着せた状態で展示されている白い服だった。元は純白だったらしいが、今はかなり生成り色に近くなり、第一世代の人たちが何度も触るので、すっかり表面が毛羽立ってきている。Vカットの襟元に金色のライン飾りが入った白いオーバーブラウスと、裾に金ボタンの飾りが入った、細身の白いズボン。そして右袖の中央部分に、切り裂いたような小さな傷があった。
「でもあれを見ると、お父さんって小さくて、恐ろしく細かったのねって思うわ。上はともかく、ズボンの細さは異常よ」オーロラが肩をすくめて、そんな感想を述べた。
「うん。服だけだから、肩のところまでしかないけど、今の僕より少しだけしか大きくなかったみたいだ」アールも少し首を傾げ、頷いている。
「そうだな。エアリィは男性としては小柄だったと思う。小さい時に、一時期ひどい環境に置かれていたことの影響なのか、元の素質なのかはわからないが、と、ジャスティンも書いていたが。あと彼は、トップスはいつも大きめを着ていたから、それほど細さは目立たないだろうが、それでもまあ、小さいね。まあ、それはともかく……君たちのお父さんが奇跡を起こして、僕たちがオタワに脱出できる道を作ってくれた。それが、僕たち第一世代みんなが、持っている認識なんだ。だが、そのために彼は、自らの命を捨てざるをえなかった。その時の君たちのお母さんの悲しみは、僕たちでさえ目にするのが辛かったほど深かった。君たちが授かったことがわかって以来、彼女は徐々に明るさを取り戻したが、君たちが二、三才くらいの頃、アデレードさんは僕らにポツリと言ったことがある。『この子たちがいてくれて、とてもありがたいし嬉しいけれど、今わたしは幸せ? と聞かれたら……はいとは言えない。わたしはエアリィに一緒にいて欲しかった。ここに、子供たちとともに。彼自身も本当はもっと生きたかったという思いを持っていたことも、知っているから。なぜ彼は、こんな運命を歩まなければならなかったのか……新世界の守護神って言うより、新世界の生贄のように、わたしには思えてしまうの。彼はその運命を受け入れていたけれど、わたしには納得できないのよ、とても』と。この紙は、その運命の象徴のように思えて、彼女は目にしたくなかったのかもしれない。僕はそう思ったんだ」
「うん……なんとなくわかるよ」
 少年は床に落ちた紙を拾い上げて再び眺めたあと、ていねいに元どおりにたたみ、自分の上着のポケットに滑りこませた。少女も兄が自分のポケットに入れたことには抗議はせず、ただ静かな口調でこう聞いた。
「でも、そうすると、ジャスティン伯父さんも、これは見ていないのね」
「そのはずだ。だが最終的に、二つの詩は一致している。君たちのお父さんが書いた遺稿の、最後の言葉がタイトルになって。そう、これは明らかに同じ曲なんだ。曲全体の作風というか雰囲気も、ジャスティンの作品と言うより、やっぱりどう見てもエアリィのカラーなんだ。僕は本当に驚き、不思議に思った」
「うん。不思議だよね。まるで本当に、伯父さんが向こうの世界へ行って、またこれを伝えに戻ってきたみたいだ」アールは不思議そうに小さく言った。
「あの世に天国……本当にあるのかしら、やっぱり」
 オーロラも驚きと畏怖が入り混じったような表情で、首を傾げている。
 二人は何冊もの厚いノートの上に、楽譜を丁寧に畳んで置いた。その上からCDケースを積み重ね、最後に写真とCD入りバインダーをのせる。それを二人で手分けして持ちながら、アールは立ち上がった。
「ありがとう、ロブ小父さん。大事に持ってるよ、僕たち。ジャスティン伯父さんやエステル叔母さんの遺品は、あと六年たったら、エヴィーとアドルにちゃんと渡すからね」
「ああ、頼んだぞ」ロブも立ち上がりながら、手を差し伸べた。
「それだけたくさんだと、部屋まで持って帰るのも大変だろう。少し持っていこう」
「いいよ。リビングの反対側だもん。すぐだよ。ああ、オーロラ、ドア開けてよ」
「あたしも片手を離したら、CDが落ちそうだわ」妹は首を振って抗議する。
「いいよ、僕が開けよう」
 ロブはドアを開け、彼らの部屋まで送っていくと、再び自分の部屋に帰ってきた。




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