Part 3 of the Sacred Mother's Ring - In the Abyss of the Worlds

第5章 新天地 (3)




 春は過ぎ、夏も過ぎていった。アイスキャッスル時代ほど暗黒ではなく苛酷でもないが、灰色の物憂げな日々が、ゆっくりと過ぎていく。閉ざされたスフィアの中から外へ出るのは、近隣の倉庫や商店から食料を持ってくる時だけだ。でも春も夏も秋も、外にいても、ちっとも意識されない。僕らに季節の移ろいを感じさせてくれるもの、それがすべて失われているからだ。木や花の装いも鳥や小昆虫たちもまったく目に入らない廃墟の町に、果たして四季は存在しているのだろうか? 太陽は崩壊以前に比べればまだ弱々しく、空は青いとはいっても、薄い灰色のベールを何枚かかぶせたようだし、風は重苦しい。印刷された季節を告げるカレンダーすらない。あの世界終焉の年以来、新しく作られようもないのだから。ケーブル放送局の内部とアパートや商店の何件かに十年カレンダーがあり、それには二〇三〇年まで記されているが、それほど数は多くない。アイスキャッスルにいたころは時計のオートカレンダーだよりだったが、クオーツもそろそろ切れそうな今は、その十年カレンダーと、再び充電できるようになった携帯電話のカレンダーだけが日を報せる頼りだ。でもほとんどの人が、部屋にかける自家製カレンダーを作っているようだ。僕らの居室のリビングにも、エステルの手になる今年のカレンダーがある。
 そしてSS暦――未来世界の大統領が言及していたそれを、僕らは今年の一月から使い始めた。ADと併用であり、今はまだそちらの方を使う人が圧倒的に多いが、未来の記録でもあるから。SS元年は、AD二〇二三年。エアリィの計算は、たしかに正しかった。『無理だろ』と、あの時僕らはみな信じなかったが、結果的に彼が自身の命と引き換えに、その道を開いたのだ。そしてSS七〇年、AD二〇九二年が、NA元年。そう歴史はなっているという。きっとそうなのだろう。僕らは今、一本の固定された道をたどっているのかもしれない。
 時間の方は、中央広場にある時計台と、各家に時々あるぜんまい仕掛けの時計、さもなければ乾電池を交換して動かすもの、それを基準にして見ている。乾電池は再生産が期待できない今、もってあと二、三年だろうが、今のところはまだ大丈夫だ。充電式のものもかなりあるから、それをフル利用すれば、あと二、三十年はなんとかなるはずだ。調波電波ももう入らないので、完全に正確かどうかは少し怪しいが、それほど大幅にズレているわけではないだろう。
 僕らは毎朝七時に放送局から今日の日付を告げ、今日一日にこなす仕事を説明し、朝食を取るように指示する。それから十二時、午後七時にも同様の呼びかけをする。食事は今では各グループ単位で調達、分配しているため、僕らがいちいちグループリーダーに配ったりはしない。相談があれば、それにはのっているが。
 日曜日には放送塔から僕らのCDをかけ、ライヴDVDもかけて、音楽集会を開く。もちろん他のアーティストのものでもかまわないけれど、みんなの要望は常に同じだ。その中でも特に圧倒的に人気があったのは、『Neo Renaissance』と『Polaris』、それにもう一つ、エアレースではないが、アーディス・レインとSBQとのジョイントプロジェクト、アクアリアの『Birth』だ。なるほど、エアリィがこのアルバムを作ったもう一つの理由はこれだったのかと、僕は改めて納得させられた。このアルバムが持っている『混沌からの再生、よみがえる希望』というモチーフは、まさにシルバースフィアに打ってつけだったのだから。『誕生だけがあって、終焉はないほうが、希望が持てるよ』と、以前エアリィが言っていたことも、この状況にあって僕は完全に同意できた思いだった。特にこのアルバムのラストトラックである、『Brand New World』という曲は、シルバースフィアの新しいアンセムになりつつある。

 グッバイ、これまでの僕
 さよなら、今まで生きてきた世界
 もう後ろは振り返らない
 すべては壊れた
 すべては無に帰した
 でも失ったものを嘆いても、もう戻らない
 だから今、新しい世界を築くんだ
 僕らの新しい世界を
 リーダーも脱落者も、権力者も敗北者もいない
 まっさらの新しい世界を

『アクアリアのコンサートで、この曲を大合唱したことがある』という一般の人たちの声をよく耳にしたが、僕は残念ながらその経験はない。アルバムは聴いているので熟知しているし、アイスキャッスルで毎週やっていたアコースティック・ライヴでも、この曲はよくやっていたが。そしてこの曲はアルバムラストを飾る、その主題である『混沌から再生する希望』の、象徴的なものだと認識していた。今、この状況では、まさしくそのものであるということも。集会で人々が大合唱するのを聞きながら、エアリィはもしやこのためにこの曲を書いたのではないかと訝しんだほど、今の状況にぴったりはまりすぎている。
 音楽集会は催されるたびに、人々に気概と勇気を取り戻させてくれるようだった。彼らは一心に聴き、歌い、祈る。今はその姿なき、彼らのリーダーに。そして一週間の間、働く気力と力と希望を得る。言葉は悪いが、それは軽いマインドコントロールのようなものかもしれない。それは同時に、シルバースフィアの統制力であり、機動力でもあった。ここオタワに来てからは、電力も多少余裕が持てるようになったので、一週間に一回だけ、HDプレイヤーやスマートフォンをフル充電することが出来る決まりになったので、個人で音楽を聴くことも出来るようになっていた。一般の人たちは、口をそろえて言う。「気分を上げたい時には『Polaris』、気分が波立った時には『Birth』、そして気を落ち着かせたい時には『Neo Renaissance』――たまに中期も聞くけれど、よく聞くのはこの三枚です」と。その言葉を聞く度に、そして音楽集会の度に、僕は思う。僕らが活動してきたこと、ファンがついてきてくれたこと、ラストコンサートでの世界崩壊――それは全て、大きな運命の輪の中で動いていたのだろうか、と。

 閉ざされたシェルターの中でみんな懸命に働き、できるだけ希望を持とうとし、明るくなろうと努力しながら生きていく。そんな日々が、ゆっくりと流れていった。僕らのグループに生まれた三人の赤ん坊たちも、無事に育っていった。ポーリーンには母乳があまり出なかったのでイヴはミルク、アデレードの方は母乳が出たが、さすがに二人分には足りないので、アールとオーロラは混合だ。ミルクは賞味期限切れが心配だったものの、未開封の粉末ミルクはまだほとんど大丈夫だったし、液体の方も心配されていた変質は起きなかったようで、三人とも幸いお腹を壊すこともなく、たいした病気もせず、体重も順調に増えていた。シルバースフィアに一年がめぐり、再び冬がやってきた時、イヴは生後八ヵ月、アールとオーロラは六ヵ月になろうとしていた。一般グループに生まれて育った子供たちも、三十人を数えた。彼らにとって初めて経験する冬――だが冬の厳しさは年毎に薄らいでいく。みんなで十分気をつけてやり、体力と運があるならば、彼らは生き延びることができるだろう。

 三度目の長い冬が終わり、春がめぐってきた時、イヴもアールとオーロラも、無事に新しい季節を迎えることができた。一般の子供たちも六人死んだが、二四人が無事に切り抜け、さらに冬に生まれた五つの生命も、それを乗り越えた。子供の数は少しずつではあるけれど、ゆっくり増えていく。けれども大人の数は、それ以上にコンスタントに減っていった。みんな多量の放射性物質を身体の中に取り込み、時限爆弾を抱えているような存在なのだから、無理はない。それが爆発した時、生命は終わってしまうのだろう。最初の冬に八百人近い犠牲者をだしたあと、それからの一年間で、さらに五百人あまりの人々が死んでしまった。僕らのグループからも、一人いなくなった。姉のジョアンナだ。
 姉はここへ来てからずっと、看護師の見習いとして病人の看護に当たっていた。そして、この十一月のはじめに倒れ、三週間の闘病ののち、世を去った。姉は辛抱強い病人だった。決して苦痛を訴えず、ひたすら堪え忍び、病状が落ち着いている時には、いつも古い聖書を読んでいる。ベッドの上で祈りをつぶやいたり、小さな声で賛美歌を歌ったりしているのも、しばしば聞いた。家族の写真と聖書を常に枕元におき、果敢に病魔と戦って、十二月を迎える前に、ついに力尽きた。臨終の時、姉は自分の守り神である家族の写真と聖書を、胸に抱いていた。その顔には、静穏な表情が浮かんでいる。最後まで熱心なキリスト教徒として神を信じ、神の国を信じ、運命を恨むことなく、人のために尽くして生きた姉の最後に、僕は悲しみの中に畏敬にも似た気持ちが湧き上がってくるのを感じていた。
「さよなら、姉さん――安らかに眠って下さい」僕はそっと呟いた。
「でも、少し羨ましいな。それだけ強力な支えを、ずっと持ち続けられたんだから。あなたは本当に強い人だね。僕なんかより、ずっと。きっと今ごろは、望んだ神の国に入っているんだろうな。さようなら……そして、ありがとう」
 僕は静かに手を組み合わせて祈った。神はやはり存在しえるのだろうか。この問いを、僕はあの日から繰り返し問い続けている。苦悩の日々には僕は神にすがり、悲しみや絶望の中に突き落とされると否定する。思えば、ひどく勝手な話だ。
 姉が死んで、部屋が一つ空いた。それで今はアールとオーロラが増えたため、一室に四人で暮らしているエステルに、この部屋を使うか、とロブとレオナが持ちかけていた。ベビーベッドが増えたので、いま彼女はアデレードのベッドの上スペースに設置した、ロフトベッドで寝ているのだ。しかしエステルは「ううん、いい。狭いけど、あたしは今のお部屋が好きだから。アデレード義姉さんに、狭いから出て行ってって言われるまで、いるわ」と、少し笑って答えていた。それに対し、アデレードも微笑んで、「大丈夫よ。アールもオーロラも、まだ赤ちゃんだから。わたしもあなたがいてくれたほうが心強いわ、エステル」と返す。それでロブとレオナは、僕とジョージに、どちらかが個室として使うか、と打診してきたが、僕たちは二人とも断った。こんな中で、一人にはなりたくない。誰かと一緒がいい。母が死んだ後、珍しく「寂しい」と漏らしていた姉の気持ちが、よくわかる気がした。

 シルバースフィア二年目の春が訪れ、過ぎていった。そして短い夏が過ぎ、秋が訪れる頃、待望の万能ロボット一号が完成した。それからまもなく、最初のモデル五体が試作され、『運搬モデル』として、物資の運搬、とくに食料や燃料の調達にあたる役目を担っている。このロボットは『道路の障害物をよけながら、トラックを指定された目的地まで運転していく』『通行不可能なら、撤去可能な障害物を撤去する』『荷物を選んで積み込む』『再びここまでトラックを運転してくる』『荷物を降ろす』というプロセスを自動で行う。どの荷物を積み込むのかは、ロボットに搭載されたカメラを通じて、遠隔で指示する。それゆえ完全自動ではないが、今の限られた施設では致し方ない。この試作五体を使ってのテストは大成功を収め、僕たちはこの冬から、食料の調達という重責から開放された。疲れを知らぬロボットたちは、トラックいっぱいの荷物を積み込んで、昼も夜も、一日十往復の作業をこなす。それが五台。その作業をコンスタントに続ければ、僕らが外に行かなくとも、物資の調達ができた。ステュアート博士以下プロジェクトチームの三人は、二年の間に、これだけの成果を生み出してくれたのだ。元々この科学センター分室には、『ロボット研究室』があり、材料もかなりあったことも幸いしたのだろう。実際の動作を分析研究するために、ボランティアの人々が大勢、協力もした。ものを持つとき、運ぶ時、降ろすとき、そして車の運転など、一つ一つの動作を、博士たちの前で繰り返すのだ。僕も時々、それには協力した。そして研究が佳境に入ってきた二年目からは、スフィアにある設備だけでは足りなくなり、やはり一般ボランティアたちの協力をえて、市の中央部に壊れずに残っていた国立科学センター本部や半導体工場から、必要な器材を調達してきた。全自動運転を研究していた自動車メーカーのラボからも、データを持ち出してきた。ディスクは破損していたが、アランが持ち前のコンピュータ技術を生かして、それを復元したようだ。こうした外との行き来は冬の間はストップするので、必ずしも研究はスムーズに運んだとは言えないが、こうして未来世界の科学と二十世紀生まれの天才的頭脳が結びついて、夢のロボットがついに完成したのだ。
 その後、彼ら三人は休む間もなく、運搬モデルを少し改良して、燃料やサテライトに入れるLNGを補給できる追加カートリッジを作り出し、それが完成すると、すぐに運搬モデルを少し改良して、燃料やサテライトに入れるLNGを補給できる追加カートリッジを作り出し、それが完成すると、すぐに第二号作品である『生活システム維持モデル』の研究に入っていた。これは基本、全自動を目指すらしい。完成すれば、これまでやっていた生活系の維持、つまり住居の清掃や消毒、亡くなった人の埋葬やその他の処理、壊れた建物の復旧などが出来るようになるという。みんなの負担は格段に軽くなるだろう。万能ロボットは、基本仕様はほぼ同じで、それを動かすプログラムが違うだけなので、最初のモデルが出来た今、これからはもっと開発のテンポが早くなるだろうと、ジョセフは話していた。操作は複雑になるだろうが、とも。兄はもともとコンピュータの中でもロボット関係が専門なので、ハードウェアに関しては、思う存分腕を振るっているという。シルバースフィアの中で、自らの仕事と使命に最も強い感銘と喜びを感じている人たちがいるとしたら、それはきっと『始原の三賢者』たる、彼らだろう。そして彼らのすべてをかけた研究は、報われようとしているのだ。

 シルバースフィア三度目の冬がきた。全体の人数はアイスキャッスルから脱出したころから比べて、三分の二ほどに減っていたが、その一方で新しい生命たちも増えていく。最初の子供イヴが誕生してから一年半の間に、七十人前後の子供が無事に生を受け、育っている。彼らは僕らみんなの光であり、シルバースフィア希望の花だった。
 僕らのグループに誕生した三つの生命も、困難な状況にもかかわらずすくすくと成長し、僕らの部屋を活気づけてくれていた。心身の成長は、二ヵ月あとに生まれた双子の方が、かなり早い。アデレードが言っていたように、エアリィの子供たちは、赤ん坊の頃の成長が早いのだろうか。ロザモンドやティアラもそうだったらしいが、双子たちも稀代の早熟児のようだ。アールとオーロラは共に、生後二ヶ月そこそこで首がすわり、三ヶ月で寝返った。五ヶ月でお座りが出来、六ヵ月足らずでハイハイし、十ヵ月で歩き始め、まもなく最初の言葉を発した。二人揃って、「マーマ!」と。そういえば彼らの父親アーディスは、一才の誕生日にはもう走り回り、二語文、三語文を話していたという、マインズデールのシスター・アンネの話を思い出した。二歳でほぼ自立していたと、本人も話していた。発達の早さは、紛れもなく彼の血筋なのだろう。
 一才五ヵ月の今、アールもオーロラも片言の言葉でしゃべり(さすがにまだ一語文が多いが、語彙はどんどん増えていき、時には二語文を話す)、小さな足でトコトコ部屋中を歩き回っていた。アールは男の子のせいか好奇心が旺盛で、動作も活発だ。目に付いたいろいろな物を片っ端からひっかき回して、リビングや自分たちの部屋を、混沌たるありさまに陥れている。ティッシュを一箱あっと言う間に引っ張り出してしまうなどということも、しょっちゅうだ。物資の乏しい今、アデレードは息子が引っ張り出したティッシュを一枚一枚丁寧に広げ、きちんと畳んで箱に返していたが、それもまた引っ張り出してしまう。しまいには彼女も肩をすくめ、「ダメでしょ!」と息子を軽く睨みながら、再び畳んだティッシュを子供の手の届かないところに置き、代わりにティッシュの空箱に古い布を詰めたもので遊ばせていた。ただそれだけではアールも飽き足らないようで、母の化粧箱や、叔母の文具箱が格好の餌食となり、アデレードとエステルは危険なものや壊されたくないものはすべて、手の届かない所に置くようになった。トイレットペーパーをまわして解いてしまったり(またアデレードが丁寧に巻き直していたが)、本棚の下の方の段の中身を全部出して投げてしまったりと、悪戯というか、この子にとっては目に映るすべてのものが、旺盛な好奇心の対象となるらしい。
 オーロラはアールほどの頻度ではないが、やっぱり兄と一緒にティッシュの箱出しや、化粧箱や引き出しの中身の吟味を良くやっていた。その上、母の真似をして口紅を塗ろうとして、すごい顔になってしまったり、その口紅やエステルの色鉛筆で、白い壁に落書きをしたり、ぬいぐるみに乗ろうとして、ベッドからさかさまに転落したりと、時々母や若い叔母を慌てさせるようなこともする。少々女の子にしては活動性が高く、時々とんでもないことをするが、かわいらしく、ニコニコと笑っていて屈託がないので、周りも怒れない。そして人懐っこい。ロザモンドやティアラも人懐っこい子であったが、この子もそうで、「オーロラちゃん」と呼びかけられると、笑って「はあい!」と明るい声を上げる。このあたりは、完全に父親譲りだろうか。
 一才七ヵ月のイヴは、片腕が欠けている障害のせいか、ハイハイはできない。十ヵ月ごろから右腕をついていざり、一才半を過ぎてようやく歩きはじめた。まだ意味のある言葉も出ない。アールとオーロラの発達が早いこともあって、イヴの遅れはよけい目立つ感じはするが、そもそも向こうの速さが普通以上なのだ。それにイヴにはハンデがある。比較してみても、仕方がない。ミックとポーリーンも、そう言っていた。それが娘の個性であり成長の仕方なのだから、気長に発達を見守っていこうと。イヴはあまり活動性が高くなく、何時間も座り込んで、じっくりと一つの玩具で遊んでいる。僕たちが声をかけると、見上げてにっこり、うれしそうに笑う。その笑顔が無邪気で、見るものの気持ちを和ませてくれる。
 活力と好奇心の固まりのようなアールも、明るく少しお転婆で人懐っこいオーロラも、穏やかな性質だが人見知りしないイヴも、みんな僕らの大事な希望の光であり、太陽だ。そして彼らの姿は、アイスキャッスルに来たころ部屋を賑わしていた子供たちのことを、思い起こさせた。無慈悲な力に消されてしまった、小さな生命たちを。プリシラ、ジョーイ、レイチェル、ロザモンド、ティアラ、僕とステラの息子クリス。そして今、新たな生命たちを見る。ああ、いつかこのような小さな命たちが、もっとたくさん、たくさん、にぎやかに駆け回る日が来ることを切に、祈って止まない。

 オタワで迎える三度目の冬が過ぎ、やがて春が来た。その春の終わりに、万能ロボット第二号『生活システム維持モデル』完成した。去年の秋、設計の基本スペックにミスがあって、それまでの半年間の研究がすっかり無駄になるというトラブルに見舞われたにもかかわらず、研究チームはかなりのスピードで二号を完成してくれたのだ。今では何度かの厳しいテストを経て、六台のモデルが実用段階に入っている。それは最初のモードを設定すれば、完全自動で動く。「掃除」「整頓」「撤去」「消毒」「移動」「埋葬」それぞれのモードに従い、目標を認知して動くのだ。三作目は『製作モデル』を作るという。今あるものだけでは、いずれ底をついてしまうから、その先を見越すために、それは不可欠だ。
 新しくできた『生活システム維持モデル』は、僕らの生活系をきれいにしていた。まず、ここから運び出してケースに入れ、、隣接する公園内に積まれていた先住者たちの遺体を、同じ公園奥の敷地内に穴を掘ってまとめて埋葬し、目印のために大きな石を置いた。ここで死んだ千三百人以上の人々も、今まではとりあえず、やはり衣装ケースなどに入れて名札をつけ、地下のシェルターに置いていたが、それも近くの運動場を改修した共同墓地に埋葬し、一人一人に墓標を立てた。その後、通路とビルの共用部分を隅々まで清掃し、消毒を施す。それが全て終わると、今度は街の整備をやり始めていた。車やゴミや瓦礫、死者の骨も含めたすべてを片付け、空いた場所に運んで埋めたり、積み上げたりする。次第に街がきれいになっていく中、シルバースフィア三度目の夏がめぐって来た。

 夏の訪れと同時に、ジョージが病気に倒れた。二年半前に寛解していた白血病の急性増悪――恐れていた病が、再び彼を襲ったのだ。彼は一ヵ月あまりの間、闘病生活を続けた。状況は日増しに悪くなり、激しい発作と苦痛との戦いは、見ている僕さえつらく、いたたまれないほどだった。そんな最悪の状態が三週間ほど続いたあと、病状は落ち着いてきた。でも、良くなってきたわけではない。彼はうとうとと一日中眠りがちとなり、熱のためにうなされ続けている。時々意識が混濁するらしく、僕をロビンと間違えたり、いないはずのパメラや子供たちを呼んだりする。そんな状態が十日ほど続いた八月半ばのある日、僕はいつものように病院へ様子を見にいった。
 病室へ入ると、ジョージは眠っていた。僕は傍らの椅子に腰を降ろして、ベッドの上の彼を見守っていた。その顔に、かつての面影はない。髪の毛はまだやっと生え始めてきたばかりなので、紺色のニット帽をかぶり、目は落ち窪んで薄いクマに縁取られている。頬もげっそりこけて、深いしわが刻まれていた。あれだけがっちりしていた身体もすっかり肉が落ちてしまって、痛々しいほど細い。
 不意に泣きたくなるような切なさを感じた。僕のもう一人の兄ともいえるジョージ、ある意味では実の兄であるジョセフよりも僕の身近にいて、色々と励ましてくれた、同じ目的を持った同志である彼をも失わなければならないとしたら、僕はいったいどうすればいいのだろう。みんなが僕を置いていってしまう。わが子も妻も、ロビンもエアリィも、両親も姉も――そしてジョージまでも。
 思わず涙があふれそうになった時、ベッドの上のジョージがかすかに身じろぎをし、目を開いた。そして力なく天井を見たあと、頭をめぐらせて僕と目があった。
「やあ、ジャスティンか……いつも悪いな」彼は掠れた声で、小さく言った。
「僕はどうせ暇だから、大丈夫だよ」
「じゃあ、なんだ、俺は単なる……暇つぶしか」
 ジョージはかすかに、にやっと笑ってみせた。
「そういう意味じゃないってば」僕も思わず苦笑し、ベッドの側へ近寄った。
「気分はどう?」
「悪かないぜ、今までと比べたらな」というのが答えだった。
 そして彼はしばらく黙って目を閉じたあと、再び目を開き、ふうっとため息を吐き出しながら、言葉を続けた。
「俺……夢見てたよ。昔の……夢さ。ほら……俺たちが……オーストラリアやら日本やら……あの辺をツアーして、回ってただろ。家族を……つれてさ。その時の……夢見たんだ。楽屋で……女房や子供たちに、『がんばってね』って送り出されて……ステージで……大観衆の前で……ライトを浴びて、演奏してるんだ。すごくリアルな……感覚だったよ。俺は……ビートを刻んでて……ロビンが側で……ベース弾いてて……お互いの鼓動が……ぴったりくるのを、感じて。ミックが、髪揺らしながら……まるでリック・ウェイクマンみたいに、やってて……おまえが時々、ギター弾きながら……目の前を、通りすぎるんだぜ、ジャスティン。それで、エアリィが歌ってて……やっぱ時、俺の前を、通りすぎていくんだ。髪の毛が舞い上がるのまで……鮮やかに見えてな。あいつはさ……インストになると……時々俺のところへ来て……ちょっかいかけるんだぜ。まったくな……俺は、陶酔を、感じてた。みなが一緒に、音楽を、奏でる喜び……感情や、興奮の渦巻きに、巻き込まれて……。観客たちが……俺たちと、同じ感情を……分け合っているんだ。ステージからおりたら……パムが拍手してくれて……子供たちが飛び付いてきて……ああ、あのころは、幸せだったな」
「そんな時もあったね。なんだか、遠い昔みたいだけれど……」
 僕もなつかしさと悲しみをごちゃ混ぜにしながら、頷いた。そういえば、『Polaris』のワールドツアーで、オセアニアを妻子と一緒に行こうかという話が出たことがある。しかしエアリィも僕も、あまりその案に乗り気ではなかった。彼はアデレードへの一部の風当たりを懸念したのと、ティアラがまだ小さかったことが理由だったのだろうし、僕もステラとクリスをマスコミに巻き込みたくなかったことで、その話は流れた。でも、ジョージは行きたかったのかもしれない。あの時には何も言わなかったが――そう思えた。実際に、妻子がツアーに同行したことは、最後のアイスキャッスル以外はなく、ステージを下りた時には地震騒ぎで、それどころではなかった。ステージを下りた後で迎えてくれる妻子とは、彼の幸福な幻想――記憶が修正された結果だろう。それに厳密には、ジョージの視点からは、僕たちは後ろ姿だけだ。僕もエアリィも動くから、ドラムライザーの前を通り過ぎることはあるだろうし、間奏時にエアリィは後ろ三人に絡みに行くこともあるが。ジョージのその記憶は、事実と夢の混合だ。でも僕は、そうでない部分について、何も訂正はしなかった。
「アイス……キャッスルで一年、ここにきてから……もうすぐ三年……全部で四年だぜ。そんなに……長くはない、はずなのにな……なんだか、四十年くらい……たったみたいな、気分だぜ。でも俺は……時々、考えるんだ。世界が滅びて……俺たちだけが、助かったってのは……本当に幸せなこと……だったんだろうか」
「僕にもよくわからないよ、ジョージ。そう思わなければいけないことは、わかってるんだけれどね。でも、時々……」
「そうは思えない時が……あるわけだろ」彼はかすかに頷いてみせた。
「俺もな……時々思うよ。何のために……ここで、生きていたんだか。そりゃ……俺たちはみんな……コミュニティを、維持していくために、一生懸命、頑張ったさ。でも……俺は……あとに何を、残せるんだろうな。子供もいない……女房も、いない……」
「残せるものはあるよ!」僕は希望を探そうと一生懸命頭をめぐらせた。
「絶対、記録に残すから……消えないようにするから。そうだ、それに音楽がある」
「音楽か……」彼はかすかに笑みを浮かべた。
「たしかにな……。まあ、ほとんどは、エアリィが、作ったものだし……インストは、おまえが、中心だったが……でも、俺のものでも……あるわけだな」
「僕だって、たいして貢献してるわけじゃないけれど、それでもやっぱり、僕のものでもあるんだ。みんなのものさ」
「まあ、そうだな……」彼は長いため息を吐き出すと、目を閉じた。
 ミックが病室にやってきた。その気配を感じたのだろう。ジョージは再び目を開き、黙って僕らを見たあと、ぽつりと言った。
「俺、もう駄目だろうな……」
「気弱なこと言わないでくれよ!」僕たちは同時に叫んだ。
「わかってるよ……だが、やっぱり……もうだめさ。でもな、正直言っちまうと、俺……恐いんだよ。情けないだろ。だけど……いざ本当に、死が近づいてくると……恐いんだ。人は死ぬと、天国に行けるとか、生まれ変わるとか……言うよな。でも、誰も、そんなこと……証明した奴は、いないだろ。なんだか俺、死んじまうと……暗い深淵が、ばっくり口を、開けてそうで……恐くて、仕方ないんだ」
「大丈夫だよ、そんなことないさ」
 僕とミックは同時にジョージの手を握った。でも、彼の恐れも理解できる。僕は死後のやすらぎを確信してはいるけれど、彼に心から納得させることはできないだろうか――。ジョージはしばらく無言で僕らを見つめたあと、再び口を開いた。
「いやな……もんだな。少しずつ、じわじわと……死に近付くのって。どうしても……あれこれ、余計なこと考えて……恐ろしくなっちまうんだ。時々恐怖のあまり……大声で叫びだしそうにすら……なるんだぜ。考えてみれば、恐いことなんか……ないはずなのにな。死んだら、天国に行けて……死んだ家族や、友達と会えて……幸せなんだって。みんな、そうして……死んでった。雄々しく……りっぱに。子供たちですら……でも俺は、そうできそうも……ないんだ。ほんと、情けないぜ。それに俺は……死んだら、ここに埋められるんだろ? 一人ぼっちで。ああ……パム……プリス……ジョーイ。おまえたちは……どこにいるんだ」
 彼はすっかり細くなった手を中空に差し伸べ、衝かれたように話し続けた。
「パム……プリシラ、ジョーイ……ロビン……父さん、母さん。みんな、アイスキャッスルに、眠って……いるんだな。あんな冷たい……氷の中の、地下室で。あんなところで……ちゃんと、眠れるのか? 土に返しても、もらえずに」
 その悲痛な調子は、僕の胸を引き裂いた。思わず涙があふれる。でも何が言えるだろう。氷の中で眠る妻や子、肉親たちへの思いは、僕も同じだ。
 ミックも胸がいっぱいになっているようだった。うつむき、涙をこらえるように何度か瞬きしている。しかしその後、彼は決然とした表情で手を伸ばし、宙に差し伸べられたジョージの手を握ると、しっかりと頷いていた。
「大丈夫だよ、ジョージ。アイスキャッスルのみんなは、今も平安に眠っているし、いずれちゃんと供養して、埋葬もしてもらえるんだ。みんな、ちゃんと土に帰れるんだ」
「本当か……?」
「そうだよ。いや、もちろん今はまだ無理だけれど、もう少し落ち着いたら、アイスキャッスルのみんなも、ちゃんと埋葬されるんだ。未来世界に行った時、僕は図書館の文献で読んだんだよ。未来世界では、アイスキャッスルの施設は無くなっていて、跡地に大きな慰霊碑が建っているって。中の人たちはちゃんと一人一人お墓が立てられて、墓碑も刻まれているそうだよ。二四三九人全員が。大がかりな慰霊祭もやってもらったらしい。二三世紀の初めに、そうしたんだそうだよ。だから君の家族たちも、いずれはちゃんと埋葬されるんだ。安心していいさ」
「おまえ……結構、掟破りしたな、ミック」
 ジョージは目の底に、笑いをちらつかせていた。
「でも……ありがとうよ。それが、わかっただけでも……うれしいぜ」
「それに、たとえ身体が眠る場所が別々でも、魂の行き先は同じなんだ。苦しみからも束縛からも離れて、自由に幸福にしていられる。みんなにも会える。それを信じるんだよ、ジョージ。『精神が肉体を離れた時、最高に自由で幸福の境地になれるんだ』って、昔エアリィが言っていたけれど、本当にそうなんだ。僕はそう信じる」
「それは……『Fancy Free』か。ロビンが最後に……聞かせてくれと、いったやつの、ひとつだな。そうだ……俺も信じていたよ、あのころは。不滅の魂の存在も……永遠の都も。ああ……俺もエアリィみたいに……確信できてりゃ、いいんだがな。あいつが言ってた、『古くからの知識』って、やつを……」
 長い溜息を吐くと、ジョージはしばらく沈黙した。その後、彼は再び頭をめぐらせて、僕たちを見た。「ちょっと、頼まれて、くれるかな……おまえたち」
「いいよ、何?」
「『Neo Renaissance』を……聴かせてくれよ。あれを、聴いていると……すべてが、信じられるんだ。不滅の魂も……天国のやすらぎも……未来の希望も。俺の、最後の時に……恐がったり、いやな気持ちで、いたくない。信じてきたことを……やり遂げたことを……幸福に、思っていたいんだ。だから……」
「わかったよ。ちょっと待ってて」
 僕らは急いでCDプレイヤーを調達し、セットした。音楽が流れはじめる。思えばこのアルバムは、アイスキャッスル最後の追悼集会以来、何回シルバースフィアに流れ、みんなを励ましてきただろう。一般の人たちが死を迎える時にも、何度牧師の福音のように、死にゆく魂を慰めただろう。このアルバムに凝縮されたエッセンスはなんと純粋で優しく、謙虚で無心に、神に近いことだろう。厳密にはキリスト教の神ではないかもしれないが、そんなことはまったく問題ではなかった。
『これを聴いていると、すべてが信じられる』
 ジョージはそう言ったし、またそれはシルバースフィアの人々すべての、思いだったに違いない。聴きながら、涙があふれてきた。
 ジョージは目を閉じて、すっかり細くなった指で、毛布の上でリズムを取っている。アルバムが進行し、最後のトラックが終わると同時に、その指も動かなくなった。彼は深い吐息を吐き出し、眠りに落ちたようだった。それから彼は二度と、目を覚ますことはなかった。二日間の昏睡のあと、静かに息を引き取ったのだ。その顔には、ひとかけらの恐れもない、穏やかで幸せそうな、安らぎの表情があらわれていた。
 僕は悲しみの中で、三人目の仲間の死を見送った。バイタリティーに溢れていて陽気で面倒見のいいジョージは、いつも僕にとって頼れる兄貴分だった。バンドの仲間たちと音楽を愛し、自分のポジションと役割に誇りを持っていた。現実的で包容力にあふれて、無私でたくましかった、僕のもう一人の兄さん。安らかに眠ってください。今までありがとう――。

 ジョージの遺体は、妻子の形見とドラムスティックと一緒に棺に収められ、シルバースフィアの近くに整地したばかりの、共同墓地に葬られた。穴はロボットたちが掘り、棺を納めて埋めたあと(棺はまだ大きめの衣料用ケースや段ボール箱で代用しているため、体を折り曲げるような形になってしまうが)、簡単なプラスティックの墓標にフルネームと生年、没年月日、享年が刻まれる。僕たちはマスクと防護服をつけ、その様子を見守った。一般の人たちはシルバースフィアの入り口から、手を合わせて祈っていた。カタストロフから四年が経過し、かなり汚染は薄まっているとは言っても、外はまだ気流の関係で線量が小刻みに上下し、表面的ではあるが除染が終わったスフィア内より、全体的に高い。それゆえ、防護服とマスクなしに長い間外にいるのはあまり好ましくないので、スフィア内で祈ってくれと、僕は放送で伝えたからだ。
 埋葬が終わり、祈りをささげると、僕たちは中に入った。シャッターを閉め、階段の入り口で防護服を脱ぐと、雑巾できれいに拭き、その雑巾はマスクとともにビニール袋に入れておいた。これは後で生活システム維持ロボットが回収して、外に捨ててくれる。僕らは防護服を入口近くにある倉庫に入れ、階段を下りた。ここでの出入りは、いつもそうだ。

 アーケードの中央通路を、僕はロブやミックと一緒に歩いて戻っていった。
「AirLaceも、とうとう二人だけになってしまったね」
 ミックがため息と共に呟いた。
「ああ……本当に、寂しいよ」僕は頷いた。そして思わずこう続けた。
「でも、君には家族がいるから、僕は少し羨ましいな。ミック」
「君だって、まだこれからだよ、ジャスティン。君は僕と違って半病人じゃないし、若いんだ。希望は、まだまだあるよ」ミックは僕の肩を軽く叩いた。
「そうだといいんだけれど……でも僕は淋しいんだ」
 僕はため息をつき、しばらく黙ったあと、尋ねた。
「ねえミック、二四世紀にはアイスキャッスルに慰霊塔が立っているって、本当のことなのかい?」
「本当だよ。嘘じゃないさ。たしかに記録で読んだんだから」
「そう、僕も読んだことがあるな」ロブも頷いた。
「本当にずいぶん二人とも、掟破りしているね」僕は思わず苦笑した。
「そうなんだけれど、つい恐いもの見たさというかね、好奇心に負けてしまったんだ。アイスキャッスルの記述を読んだ、あの晩にね……」
 ミックも苦笑を浮かべ、言葉を継いでいた。
「そこで、記録を見つけたんだ。アイスキャッスルで死んだ人たちはね、二三世紀の初めに、大人数の長距離移動ができるようになったから、当時の八代大統領の号令のもとに、全員一人一人埋葬したんだよ。ロボットたちを使ってツンドラを掘って、中の人たちを全員埋葬して墓碑を建て、大統領や有志たち数十人がわざわざ現地まで行って、大慰霊祭を行なったらしいよ。アイスキャッスルの施設全体は取り壊されて、広大な墓地が出来た。それから室内ドームの跡地の真ん中に、大きな大理石張りの慰霊碑を建てたらしいんだ。そこには亡くなった人たち全員の名前と、こんな文句が刻み込んであるそうだよ」
 彼は静かにその言葉を引用した。
『安らかに眠ってください。あなたたちの心は、いつまでも私たちの中にあります。私たちの新世界を、未来を見守り、一緒に築いていきましょう』
「そう……」ため息とともに、安堵が胸に広がっていく。良かった。アイスキャッスルに残してきたみんなのことは、ずっと胸にわだかまって残っていたから。ジョージと同じく、僕も心配だったのだ。彼らもやがては、ちゃんと埋葬されるのか。二百年近くは、まだあのままなのだろうが(やっぱりそれを思うと、胸が痛む)、でも後世の人が、気にかけてくれていたのだ。ずっとあのままで放っておかれるわけではないことを知って、一つ心配事が軽くなったような気がした。まだ時間はかかるが、いずれステラもクリスも、父さんもロビンも――あの雪と氷の世界の中で、彼らも永遠に安らかに眠り、新世界の人たちの心に生き続けるのだろう。その慰霊碑の言葉のように
「アイスキャッスルに関しては、たぶん向こうで肉親や親しい人をなくしている人たちには、気に掛かっていただろうからね。たまには掟破りも、いいことあるだろう」
 ロブが軽く肩をすくめた。ミックも苦笑しながら言う。
「でもまあ、君は掟破りしてなくて良かったね、ジャスティン。それに、エアリィも」
「『夜明けの大主』かい? あれは、僕も偶然知っていたけれど……」
「そう。それにね、彼が守護神伝説を知らなくて良かったと思って」
「守護神伝説?」
「ガーディアン信仰と言ってもいいかもしれない。新世界ごく初期、二一世紀から二二世紀にかけてあった、宗教のようなもの。でもその概要は、何もなかった。そういうものが存在した、という一文だけで。それはどんなものなのだろうと、僕は検索をかけてみた。そうしたら、二枚の写真が引っかかってきた。一つは君も見たという、初代大統領、『夜明けの大主』の肖像写真。そしてもう一枚は、絵だった。鮮やかなタッチで描かれた肖像画。先の初代大統領に瓜二つだけれど、髪は淡い金髪で、両側の二筋が青くて、左手にロッドのようなマイクスタンドを持っていた」
「それって……エアリィ?」
「そうなんだ。あの時の彼は、まだ十四だったけれど、そしてその頃には、まだ青い髪も生えてなかったけれど……その肖像は二十歳を少し出たくらいの感じに見えた。僕は見たとたん、背筋がぞくっとした。これ以上見ないほうがいい、それは未来を見ることになってしまうから……強烈にそんな思いがわきあがってきて、慌ててファイルを閉じたんだ」
「そうなのか。僕は新世界初代大統領だという人の肖像を見て、びっくりしたけれど、君は本人の肖像も見たってわけか。たしかにね……まあ、エアリィには墓を建てられないから……何も残らなかったからな。肖像画がかわりだったのかもしれないけれど、もしあの時のあいつが見ていたら、さぞ仰天しただろうな」
「そうだね。そしてたぶん一般の人たちのイメージが、新世界の初期までずっと引き継がれた結果なのだろう。ここに来て、はっきりわかったよ。新世界で二二世紀まで続いていた守護神(ガーディアン)信仰とは、どういうものだったのか、その原点はどこで生まれたのか、なぜ途中で消えたのか、理解できたんだ」
「そうだな。二四世紀まで、そんなのがもし残っていたら、僕らが来た時に困るから、二三世紀の初頭あたりで、誰かが意図的に消したんだろうな」僕は首を傾げ、苦笑した。
「そう。とすると、少なくとも二二世紀までは、僕らのタイムトリップのことも、一部の人は語り継がれて知っていたと言うことだね」ミックは頷く。
「でもね、あの時エアリィがほとんど新世界の文献を見なかったのは……本当のところは彼しかわからないが、たぶん見てはいないんだろう。彼はものすごい速読力だったから、いったいどのくらい何を読んでいるのか気になって、一度閲覧履歴を見せてもらったことがあるんだ。君がジョンソンさんたちと知り合う前の日にね。そうしたら、エアリィはあの一週間で千冊近く読んでいたが、ほとんど文学作品か数学論、哲学、宇宙論、旅行記だった。『二〇一〇年から先は見ないよ。だって、なんか怖いし』と言っていたしね。それが、幸いだったと思う。初代大統領だけでなく、新世界の人名録には、ローゼンスタイナー姓が頻発するんだ。著名な科学者や大統領を良く出す家系でね。アイスキャッスルの慰霊塔を建てた八代大統領も、アスター・ローゼンスタイナーという人だった。もしそんなことを知ったら、彼はきっと戸惑ったに違いないよ。彼の場合、その姓の継承者は自分しかいないんだからね。だけど、あまり歴史の文献を見なくて幸いだったのは、エアリィだけじゃないんだ、ジャスティン」ミックは僕の顔をじっと見た。
「君の子孫もたぶん、そうなんだ。まあ、君の場合は兄さんがいるから、はっきりとはわからないのだけれど、でも僕は、多くのローリングス姓の人たちを、新世界の歴史の中に発見したよ。あの手紙にあった君の娘さんにしても……君にも、広がる未来が待っているのかもしれないね」
「本当に……?」僕は半信半疑で首を傾げた。未来の展望がなにもない状態の今は、そう言われてもただ、ひどく不思議な気分がするだけだ。
「そうだよ。おまえも希望を持て」ロブが微笑して、僕の背中を軽く叩いた。
「まだ三二で、早くも人生に絶望するな」
「そうできたらいいな……」
 僕は頷いた。五十パーセントの願望と、五十パーセントのあきらめを一緒にして。ここに、このシルバースフィアの大アーケードの中に、僕の未来はあるのだろうか? ここは相変わらず先の見えない世界だ。いつ自分の中の時限爆弾が破裂するか、いつ生命が切れるのか、誰にもわからない。運の良い人は数十年、運が悪ければ、明日にも倒れてしまうかもしれない。一緒にここに来た仲間たちも、どんどん人数が減り続け、見知った顔がだんだん消えていく。僕らのグループも三人の子供は増えたけれど、それ以上に大人たちが減っている。今、ジョージも逝ってしまい、バンドの仲間はもうミックしか残っていない。
 僕は軽く頭を振り、ため息をついた。三二才か。三十才の誕生日も、二年半近く前だった。来年は三三。若いころには、三十代はかなりの年配に思えた。そして今、僕はその年令以上に自分自身が年をとって、つまらなく感じる。ひとりで生きる人生は、真っ白な荒野のようだ。アイスキャッスルで妻と子を失い、ぽっかりと胸の中に開いた空洞は、慢性的な虚しさと淋しさをともなって、苦しめ続ける。だがたしかに、時は不思議な特効薬かもしれない。当時は鋭くうずいた傷も我慢できないほどの悲しみも、時間の経過の中で薄らいでいくような気がする。というより、そういう状態に慣れてしまったのかもしれない。人間はひとりで生きていくには、弱すぎる生き物なのだろうか。心の中にずっと生き続ける妻と子。でも、それ以外に愛せる人が、現実の人間で、愛せる人がいたらいいのに。そんな思いも、かすかに心の底に湧き始めていた。誰か僕を愛し、僕も愛せる人が。亡き妻や子への愛が減じたわけではないけれど、現実の寂しさに、僕も再び愛を欲し始めていた。
 未来の娘――それは、まだ幻だ。でもこの荒野に、新たな愛は果たして僕を待っていてくれているのだろうか?




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