Part 3 of the Sacred Mother's Ring - In the Abyss of the Worlds

第5章 新天地 (1)




 飛行機はゆっくりと高度を下げ、空港におりたった。滑走路から待避所に移動したあと、先発隊のメンバーがタラップ車を横付けしてくれた。それを伝っておりていく。調達隊や先発隊の面々は非常用シュートを使っておりたらしいから、僕らは楽をしているようで、少し気が引ける。みなはひとまず空港内に入り、飛行機は給油をした後、その場に待機する。そして後続の飛行機が着陸するのを待つ。僕たちが乗る第一便は九時過ぎにアイスキャッスルを出発し、一時前にオタワに着いた。そして三時までの間に、ほぼ二十分おきに六機が着陸し終える。最初に来た僕たちは、残りの人々が合流し終わるまで、およそ二時間を、空港ロビーで待っていた。新たに飛行機が到着するたびに点呼をし、ロビーの椅子などに座って待っていてもらう。その繰り返しだ。
 全員揃った頃、先発隊で来ていたジョージと三人のスタッフがパイロットや、給油や点検を請け負う整備士たちに(アイスキャッスルにも六人派遣されていて、その中の四人が生き残っていた)、翌日のため近くのホテルで休むようにと、そのホテルのフロントから持ってきたらしいマスターキーと、袋に入れた食料、ミネラルウォーターのボトルなどを渡してした。
 食料調達隊も泊まりの作業になるので、ロビンたちの第一陣以降、宿泊には空港近くのホテルを利用したと報告していた。横の回転ドアから入り、フロントからマスターキーを持ってきたと。『うっかり人が泊まっているところに入ってしまう方が多くて、精神的にはきつかったけれど』と、ロビンが発病する前、そんなことを言っていた。確かにベッドに死体が寝ていたら、ぞっとするだろう。それゆえ、後続のために彼らは自分が泊まった空き部屋のドアにマジックペンで印をつけ、第二陣以降はそれを目安に行っていたという。ここオタワでは、最後の調達隊が、やはり空港に近いホテルを利用していたようだが、離陸直前に嵐で足止め状態になってからは、ターミナルビル内での寝泊まりを余儀なくされたようだ。長椅子を二つくっつけてベッドにし、空港内の店から持ってきた敷物やタオル、洋服などをかけて寝ていたらしいが。
 僕らは全員の点呼を終えると、出発した。ターミナルビルの自動ドアは動かなくなっているので、通用口から道路に出て行く。

 まだ薄色のベールを二、三枚かぶせたようではあるが、頭の上の空は青い色を取り戻し、秋の太陽が降り注いでいた。かつての日差しよりかなり弱々しかったが、アイスキャッスルの薄曇りのようなか細い光を見慣れてきた目には眩しく感じ、思わず目を細めた。
 風がふわりと吹きつけてきた。顔にかかった髪を払い除けながら、まわりの景色を見渡す。割れた窓ガラス、散乱する破片――形は止めていながらも、生命のない街。その静寂に、思わず顔を打たれたような気がした。まわりにさざめいている千八百人の話し声――移住者の生ある声の背後にある圧倒的な静けさ。廃墟の都市に、今僕らはやってきた。カタストロフ自体では、あまり建物に被害はなかったようだが、二週間前の大ハリケーンの影響だろうか、街の中はがらくた箱をぶちまけたかのような混乱に陥っていた。ひっくり返った車やバイク、飛ばされた看板、壊れた窓ガラス――いろいろな物が散乱している。
 先発隊の先導で、僕らは数人の幅の細長い行列になり、シルバースフィアを目指して進んでいく。歩きながら、みんなほとんど口をきかなかった。眼に入る街の景色、生命なき静寂の空気に、言葉を失ってしまっていたのだろう。ビデオ映像でも見たこの光景――頭では十分わかっていた真実だけれど、いざ実際に自分の眼でそれを確認し、身体で感じると、重い認識と烈しい現実がただ圧倒し、すくませる。足元で砕けたガラスなどが、時々さくさくと音をたてる。道路脇でしばしば見かける、茶色の干からびた塊。それは一年近く前に死んだ人々の、変わり果てた姿だ。中には人間にしては小さすぎるものもたくさんあるから、動物たちのも交じっているかもしれない。かつてこの街に溢れ、騒めいていた生命の慣れの果てだ。まるで悪夢の中を歩いているような気分だった。

 歩き始めて二時間半あまりが過ぎ、日もかなり傾いたころ、ようやくシルバースフィアの入り口にたどり着いた。幅は約五二メートル、長さは五二〇メートルほどのこの居住区は、『災害時でも機能できるように』というコンセプトのもとに作られ、他の市街区とは独立した動力網を使っている。敷地の外にあるLNGガスサテライトからガスを供給し、同時に発電する。さらに屋根に設置された蓄電池付き太陽光パネルと敷地の外にある五機の風力発電機で、施設全体の電気をまかなっていた。水道も、近くを流れる川と地下水から取り込んだ水を、専用浄水場を通して供給し、下水の方も同じく処理をして、最終的には川へ放流される。その上下水道の動力も、この施設に付属する発電所から供給されている。それゆえ、予算もかなりかかったのだろう。施工当時から「そこまで必要なのか?」「政府は物好きだ」「税金の無駄遣いだ」と、一部の人々に散々に批判されたりもした。
 幅十六メートルの中央通路の両側に、十二階建ての建物が右側には十棟、左側は九棟建っていて、その屋上の縁から中央通路を覆うように、透明なアクリル樹脂の屋根が渡されている。その屋根の中央部には、太陽光パネルが設置されていた。そのパネルの色と、屋根にところどころ強化のために渡されている銀色の梁、透明樹脂に混ぜられた銀色の粉、そしてビルもみな明るい銀色の外壁ゆえ、ここは銀色のドーム――シルバースフィアと命名されていたようだ。両側の入り口には、銀色のシャッターが降りていて、その上はずっとビルの屋上から伸びる天井部分まで、同じように透明なアクリル樹脂の壁になっていた。シャッターは手動で開けるらしく、ジョージとスタッフの一人が、中央部分にある四枚のシャッターを開けていた。そこから長い階段(本来はエスカレーターだったらしいが、今は止まっている)を下りると、目の前に大アーケードが広がっていた。半地下だが、建物の四階部分から上は地上に出ている。
 中央通路の両側に並んだ建物は、中央に大きな総合スーパー、量販店があり、あとは普通の商店や飲食店、オフィス、クリニック、病院がある。ナーサリーや、シニアホームもあった。学校は外だが、国立科学研究所の分室や、ラボもある。そして四階、建物によっては五階から上は、アパートメントになっていた。ここには約七百世帯が入居していたらしく、カタストロフ当時の居住者は三千人弱と聞く。僕らが移り住むには少し足りないとは思うが、個室を望まなければ、十分大丈夫だろう。
 このビル街の中央通路を覆う天井は、太陽光パネル部分以外、普段は透明なのだが、今は銀色だ。先発隊のみなが手動で、透明部分にシールドを降ろしたらしい。でもビルとビルの間を覆う透明なアクリル樹脂の壁にはシールドはないらしく、そこから入ってくる光と、人工照明が中を照らしている。アイスキャッスル内部より明るい。
「今朝のうちに動力を動かして、ついでにシールドも閉めたんだ。間の壁にシールドがない分、効果はいまいちなんだが。でもそこから洩れる光で、動力スイッチを探してつけたんだ。電気やガスはたぶん、あの時の振動で一度止まったんだろうな。今は全部復旧しているぜ。ここは街の中とは、別みたいだしな、電気もガスも水道も。ちゃんと動いて、ほっとしたぜ」ジョージがそう説明していた。
「そうだ。このシルバースフィアのプロジェクトには、私は携わらなかったが、仕組みはアイスキャッスルとそう変わりはしない。非常時のシェルターを想定するなら、光熱関連の施設確保は絶対条件だ。街全体の施設が壊れても、ここだけは独立して動かねば意味がないからな。そして、たぶんここにも地下シェルターがあるはずだ。もちろん地上部もそうだが、もっと念の入ったシェルターが」
 ステュアート博士は頷き、建物に目をやっていた。
「地下シェルター?」僕らは一斉に反復した。どうやら先発隊も、その存在は知らなかったらしい。ジョージを含め、驚いたように声を上げている。
「そうだ。ストレイツ大臣が生きていたら、詳しく説明してもらえるとは思うが、私も彼から話を聞いたことがある。もっとも、二千人くらいしか収容はできないらしいが……」
 博士は周りを見回した後、入口から二棟目、左側のビルに入った。
「この地下から、シェルターに行けるはずだ」
 そのビルの入口脇には、非常階段と書かれた扉があった。そこは施錠されていたが、管理人室に『地下用扉』と記された鍵があり、それを使って開けると、下に降りる階段がある。その階段を二階分くらい降りたところに、灰色の堅い壁に囲まれた、幅三十メートル、長さ百メートルほどの、だだっ広い空間があった。およそ三千平方メートルの広さのこの空間は、たしかにぎっしり詰め込めば、二千人くらいは寝起きできるスペースがあるだろう。
 奥の壁にはドアがあり、そこを開けると、広大な倉庫になっていた。天井まで積みあがった非常食料や水、備品のほかに、マットレスや毛布などがぎっしり詰まっている。
「本当はこれを両側に作りたかったらしいが、駐車場を確保しなくてはならなかったので、こちら側だけになったようだ。我々は時々話し合っていた。ストレイツ大臣とスタンフォードさん、ローリングスさんも含めて四人で。君たちから話を聞いた後、食料調達が始まる前のことだが。もしこの冬までに、オタワ移住のめどがつかなかったら、二千人だけは、ここへ来て暮らせないかと。シルバースフィアの上部はまだ無理だろうが、ここなら致死量の放射能でも、大丈夫なはずだと」
「え……そうなんですか」
 僕を含め、その場の全員が絶句したようだった。
「ただ、もちろん問題はある。空港からシルバースフィアに来るまでに被曝は避けられないこと、ここの食料もいずれアイスキャッスル同様に尽きるだろうから、その時には地上に行って取ってこなければならないこと。それに、ここには暖房設備はない。アイスキャッスルのシェルターと違って。あそこは立地上、暖房がなければ凍死するだろうし、必須だったが、ここはそこまでの余裕はなかったようだ。だから、上からストーブを持ってこられるとしても、冬を越すのは厳しいだろう。アイスキャッスル同様に。それに、一番の問題は、全員は来られないということだった。半分以上、積み残しが出る。アイスキャッスルに残されるものが」
 博士の言葉に、僕は改めてぞっと冷たいものが背中に走るのを感じた。
 ステュアート博士は首を振り、ため息をついて、天井を見上げた。
「だから私は、その案が実行されることなく、みな無事にここに来られて、よかったと思っている。ここが不要になったことが。アーディスが……除染をやってくれたおかげで。上部でも十分、私たちは生活できる。ただ、ここの食料や備品は使えるだろう。幸いなことにな。さあ、上に行って、待っているみんなに住居を割り当ててあげなさい」
「はい」ジョージと僕は頷き、再び階段を上がって、地上に向かった。

 先発隊三百人以外は、みなグループ単位で移動しているので、僕たちはまず左側の建物列、一番北側の入り口に近いアパートメントから順に、居住場所を決めていった。僕たちや関係者たちからなる第一から第四グループは性格上、中央付近がいいと思ったので、それ以外のグループを。番号の若いグループから順に、そして下の階から上の階に向かって、ひとグループあたり八世帯分を割り当て、その中の部屋割りは彼らに任せた。アパートメントは幅の差はあるが、だいたい一つの階に、四、五世帯が入居している。ほとんどは四か五ベッドルームの、ファミリー用だ。第一陣で来た千八百人を、自分たちのグループ以外、そうして部屋を割り当て、僕たちは中央部のアパートメント区画を占めた。先発隊のみなは、とりあえず空いたところに適当に泊まっているようだが、自分たちのグループ区画が決まり次第、そこへ戻ることになっている。ジョージも僕たちの居住室が決まったので、その日からここに来ていた。
 アパートメント部以外の利用は、落ち着き次第になるが、だいたいの用途も決めた。商店は品物を使えるものは使い、それ以外は片付けて、倉庫や集会場所、作業所にする。総合病院はそのまま使えるし、二件の歯医者や診療所も、ナーサリースクールも、きっと将来役に立つだろう。シルバーホームは、違う用途に使えそうだ。アーケード中央にある時計塔広場はかなりスペースがあるので、全体集会の場所にできる。シルバースフィア全体に通るケーブル放送施設は、僕らの放送塔だ。
 最初に移動してきた千八百人、二五グループの居住割り当てを決めたあとは、部屋はそれぞれ自分たちで掃除することになった。とはいえ、到着は夕方だったので、本格的な清掃は翌日にして、ざっと片づけただけだが。

 しかしアパートメント内の“片づけ”も、重苦しい作業だった。自分たちの住居に決めた部屋にも、その後巡回して回ったほかの人たちの部屋にも、たいてい元の住民たちがいた。物言わぬ死体となって。そして、ほとんどミイラ化している。ベッドの上、キッチンの椅子、ソファの上、そして窓のそばにも。洋服を着たままの、かつての生命の残骸。かたわらにある開いた本や干涸びたコーヒーカップは、彼らのいつもと変わらない日常生活が、ほとんど何の前触れもなしに、突然の終焉を迎えたことを物語っていた。部屋のカレンダーは二〇二一年十一月のままで、日付の表示されているものは、十一月二日――時計はみんな午後十一時四三分で止まっている。この時、世界のすべてが止まったのだ。世界はまだ止まっている。動いているのは僕たちだけだ。
 まずやらなければならない部屋の“片づけ”は、その先住者たちの遺体を、外へ出すことだった。家の中にある段ボール箱、衣装ケース、さもなければ毛布などに包んで、簡単な祈りを捧げてから、とりあえず廊下に出す。最終的にはシルバースフィアの外へ出すのだが、今は夜なので、それは翌日回しだ。そして家にあるベッドの数を確認し、床に掃除機をかけ(もうシルバースフィア内は電気も上下水道、ガスもすべて再開しているので、そのあたりは問題がなかった。非常時でも機能するように、街とは別の、独自の独立したライフライン網のおかげだ)、家具を水拭きした。その日は家にある缶詰などで食事を済ませてもらい、ミネラルウォーターは地下シェルターの倉庫から持ち出した。ベッドはどこも圧倒的に足りないので、その分は調達できるまで、ソファなどを代用してもらうことにした。困ったら相談に乗ると僕らは告げたが、幸いあまり来なかった。それぞれグループ内でうまくやりくりしてくれたようだ。

 翌日は飛行機がアイスキャッスルへ戻る、人の移動はない日なので、移住第一陣の僕ら千八百人は、それぞれの住居の本格的な清掃と整備に一日を費やした。まずはいったん廊下に出した先住者たちの遺体を、シルバースフィアの外、隣接した公園の隅に運び出す。台車が使えればそれを使ったが、何人かで持ち上げて運んでいったものもある。本来は土を掘って埋葬したかったが、それはもっと落ち着いてからしかできないだろう。そのことを詫びながら、遺体を積み上げていった。
 それが終わると、家具や調度を整える。電化製品は先住者たちが使っていたものがそのまま使えるし、まだ賞味期限が来ていない食料や、多少切れていても大丈夫そうなものは食べられる。それ以外の食材は、廃棄したが、とりあえずごみは回収できないので、ゴミ袋に入れて、同じように外の公園に捨てるしかない。
 家具や衣類に関しては、使えそうなものは使わせてもらい、当面必要なさそうなものは、商店の倉庫に移した。子供のものなどは将来的には必要になるだろうし、そうなってもらわないと困る。ベッドは、シルバースフィア近隣の家具センターや一般住宅からも持ってこられるが、とりあえずそれはもう少し落ち着いてから行う予定で、しばらくは今の部屋にあるもので代用するということになった。同じように、困った事態になったら相談してくれと僕らは申し渡したが、幸いなことにほとんど相談はなかった。やはりグループ内で、上手く調整してくれたようだ。

 翌日は、二千百人がアイスキャッスルから来る。ジョージと先発隊八人が迎えに行き、夕方、第二陣がシルバースフィアに合流した。その時に来た二千百人に住居を割り当て、片づけをしてもらう監督は僕がやった。そして第一陣と同じように、翌日は飛行機がアイスキャッスルに戻る日なので、その日を清掃と整備に費やした。最初に来た千六百人も、その間に、地下シェルターの倉庫にあった防護服を着こみ、外へ出て、近隣のショッピングセンターや大型店から、家具や食料の調達を始めていたようだ。
 その翌日、ようやくアイスキャッスルからオタワへの、五千八百人余りの大移動が終わった。最終日に来た千六百人の中には、アイスキャッスル側で移動の指揮をつとめていた、ロブとミックもいる。僕は先導を勤めて空港まで迎えに行き、シルバースフィアまで連れて行った。
 先発部隊が移動を始めてから一週間かかったが、ようやくアイスキャッスルからオタワに、全員が移住し終わった。そして僕らの新たな生活が始まった。総勢五八一三人、その中には、放射線障害などのために、すでに健康をひどく害している人たちが、二百人ほどいる。彼らはただちに病院へ移され(病院のベッドは二百十床ほどだったので、ギリギリだ)四人の医師たちと十二人の医大生、十一人の看護師と、二十人の看護学生さんたちの保護下に置かれた。医師たちのうち二人はアイスキャッスルの診療所の当直医さんで、残りの二人は観客たちの中にいた、若いインターンだ。看護師さんも三人はアイスキャッスルの診療所勤務だが、残りは観客出身で、学生さんたちも全員そうだった。マネージメントで抽選を行った時には、その職業まで吟味しなかったらしいが、かなり医療関係者が入っていたことに、少し驚いたものだ。
 残った元気な人々は、シルバースフィアの徹底清掃と品物の整理に、次の一週間を費やした。近隣の大型家具店や、近くの住宅からも拝借して、足りないベッドや寝具もようやく揃った。その後、歩いて二十分ほどの距離にある大きなショッピングセンターや、別の方向の徒歩三十分の距離にあるコストコなどから、食料を運び込んだ。商店の扉は開かないので(一般の住宅も同様だ)、ガラスのドアを石やそのあたりに飛んできていた重めの障害物で壊すという、強盗まがいの入り方しかできなかったが。シルバースフィア入口のシャッターは、住民たちのために普段は二四時間開放状態であったから、そのまま中に入れたことと、建物に入るために、アーケード中央部にある管理室のドアを壊すだけで済んでいたのは、まだ幸いだったと、ジョージが先発隊で行った時に、そう報告していた。管理室の中にはすべての合い鍵が保管されていて、しかもそれを収めた金庫の扉は、開いていたという。それがなかったら、きっと家の中に入るのにも大変だったに違いない。住民から要請がかかったか、何かの事情があったのだろう。ちょうど扉を開けたところだったらしく、その前に、紺色の制服を着た管理員さんが倒れていたらしい。おかげで僕らも、シルバースフィア内のすべての建物に、自由に出入りできていたのだ。
 地下のシェルターに防護服がたくさんあったので、外へ行く時には、みなそれを着こみ、防護マスクとゴーグルをつけた。今の線量では、それで十分だった。歩く場合は、スーパーから品物山積みのカートを押し、アパートメントの元の住民の車が使える場合は、それを利用した。みな、最低でも一日一往復、元気な人は何回も往復して、暗い店内を懐中電灯で照らしながら、できるだけ賞味期限の短そうなものから持ってきた。お菓子、乾燥野菜、ジュース、小麦粉、ゼリードリンク、シリアル、インスタントスープなど。どれもすでに時間が一年近く過ぎているので、賞味期限が切れているものもたくさんあったが、食べられそうなら全部持ってきた。まもなくやってくる、二度目の長い冬のために。
 
 ステュアート博士、アラン、ジョセフ――未来の三賢者たちには、大移動が終わって三日後に改めて事情を説明し、未来から持ってきた資料を渡した。スフィアのアーケード中央部に政府の科学研究センターの分室があり――分室とはいえ結構大規模で、大型コンピュータをはじめとして、かなりの設備がそこに整っていたので、彼らはすぐに研究を始めることが出来た。三人は資料を渡されてすぐ研究に取りかかり、以後そこにほとんど閉じこもりきりになった。一日に三度、ジョセフが食料を取りに、僕たち第一グループのアパートメントへ帰ってくるだけだ。博士とアランは仕事に没頭してしまって食事どころではなく、誰かが強引に食事時間を作らなければ、食べることも寝ることも忘れてしまっているに違いないと、ジョセフがこぼしていた。そして、こうも付け加えた。
「ステュアート先生もアランも、親子揃って天才肌だな。まるで何かに取りつかれたみたいに、夢中になって仕事をしてるよ」
「パパって、一度研究を始めると、いつもそうよ。一段落つくまで、ほかのことは、まるっきり頭から消えちゃうの。大学の研究室に泊込みをしたり、家にいる時でもね、仕事部屋に入りっぱなしよ。食事の時もなかなか来ないから、ママがよく部屋まで持っていったらしいし。泊まり込んでいる時にも、毎日食べ物と着替えを届けないと、身体を壊して死んじゃいかねないって、よくママがこぼしていたって、お兄ちゃんから聞いたことがあるわ。結局ママの方が、先に死んじゃったけれど……」
 エステルが首を傾げた後、ちょっと肩をすくめて微笑む。
「ママが逝ってしまったあとは、一年間はお兄ちゃんがお父さんのフォローもやってくれて、研究室に泊まりこんでいる間は、夜自転車で研究室にお弁当と着替えを届けたりしていたわ。あたしも時々自転車の後ろに乗って、一緒についていったけれど……その後はミル伯母さんがぼやきながら、やっていたわ。『まったくジャーメインは、相変わらずなんだから』って。家にいる時には、あたしも時々パパの部屋に、お食事を届けたのよ。でもね、入っていっても全然パパ気がつかないし、『パパ、食事にしてよ。ここに置くわね!』なんて大声で怒鳴っても、『うー』なんて生返事してて。なのにアランお兄さんまで、パパに似ちゃってそうなの? それでジョセフさんがお食事係になったんじゃ……大変ですね」
「僕も君たちの苦労がわかったよ」兄は少女にめくばせしながら笑った。
「でもね、博士やアランの気持ちもわかるな。研究もやりだすと、おもしろいんだよ」
 食品やミネラルウォーターのボトルが入った袋を抱えて帰っていくジョセフの目は、生気を得て輝いていた。アイスキャッスルですべてを失い、一時は自分の心まで失いかけた兄も、新たな生きがいを得て、前向きに毎日を過ごしているようだ。大きな使命を担い、ひた向きにそれにかけて努力し、それで喜びを得られる人は幸せだ。僕は思わず小さなため息をついた。僕も自分の使命を完全に自覚し、全力を挙げて道を切り開き、人生の喜びを得たい。心の隙間はまだ埋まらないが、くよくよふさいでいても始まらない。シルバースフィアに住む五千八百人の舵取りを、仲間たちと協力してやっていく。それが今、僕がやらなければならないことだ。

 僕たちのグループは、スフィアの中央近くにあるアパートの七階部にある、四から五ベッドルームの、三件の居室に分かれて住んでいた。アイスキャッスルのホテルやシェルター暮らしより、生活スペースはゆったり取れる。僕たちがいる居室は、五ベッドルームで、ロブ夫妻、ミック夫妻、アデレードとエステル、僕の母と姉ジョアンナ、そしてジョージと僕の十人で住んでいる。二人で一部屋を使う勘定だ。真ん中にキッチンとダイニング、そしてリビングスペースがあり、玄関側に書斎と客用寝室、バスルーム、窓側に主寝室と、子供部屋が二つあった。このレイアウトだと、リビングスペースに窓はなくなるが、僕たちの部屋は角部屋なので、リビングスペースにも窓がある。カーテンを開けると、一メートルほど先に、向かい側の建物の窓が見えるだけのようだが。それに今は、窓にはシャッターが下りたままだ。
 僕はジョージと同室で、中央寄りの子供部屋にいた。もともとあったベッドは子供用で、少し小さかったので、着いた翌日、商店の倉庫に移動し(当日は僕がまるまってその上に寝たが)、その一週間後にシングルベッドを二つ調達できるまでは、地下シェルターからマットと毛布を持ち込んで、その上に寝ていた。この部屋はそう広くはないが、それでも二台のベッドが入った後も、机とクロゼットはなんとか置ける。このクロゼットも子供用らしくて小さく、デザインもかわいらしかったが、僕たちもそう荷物は多くないので、そのまま使っていた。あとは衣装ケースが一つくらいあれば、充分だった。
 他は、主寝室をストレイツ夫妻、アデレードとエステルは僕たちの隣の子供部屋、ロブ夫妻が玄関側の客用寝室、僕の母と姉が書斎を使っている。ステュアート博士とアランは、研究室――科学センター分室に部屋があるので、そこにベッドと荷物を運び込み、自分たちの個室としていた。僕の兄ジョセフも、その隣の小さな個室を自室にしている。なので、三賢者たちの居住スペースは別だが、彼らも僕たちの小グループ――メンバーとその家族というそのまとまりに属しているので、自由に出入りできる。リビングは、みんなのおしゃべりスペースだ。もう二件の家には、外戚や友人グループが住み、スタッフグループは全部で四件の家に分かれた。一般のグループはひとグループにつき八件で、僕たちのグループとスタッフグループを入れて、全部で六五〇件――スフィア内のアパートは全部で七百世帯弱なので、少し余裕が持てる。それはのちに人数が増えてきたときのために、使われる予定だった。

 シルバースフィア内のアパートメントは地上部にあたる四階より上に作られ、それより下の階は商店やオフィスだ。そこは冬の間の食料や、当面の間はいらない品物でごったがえしている。現在は使われていない建物もかなりあるが、当面ずっとここで暮らさなければならないのだから、将来的には必要になってくるに違いないし、そうでないと困る。地上部にあるアパートの窓は、今はシャッターがおろしてあるから、光は入らない。このシャッターが開けられるのは、少なくとも今から十年は先のことだろう。
 シルバースフィアの近隣に、大型の衣料センターと家具店があったので、みなはそこからも物資を運び込み、部屋の調度を整えたり、洋服を調達したりした。衣類は全員、アイスキャッスルに持ってきたものがあるだけで、ほとんど増えていないため、一年がたつ頃には、かなり着古してボロボロになっていたのだ。一般の人たちが必要分を持っていった後、衣料センターの売り場や倉庫に残っていて、サイズが合い、できれば好みにも合うものを、僕ら第一グループ全員で分けて持ち帰った。僕も部屋着を二組、新しいジャンパー一枚と、二枚のセーター、三枚のフランネルシャツ、トレーナー二枚、コーデュロイのズボン一本と、ジーンズを二本持ってきた。ジャンパーは派手な赤で、あまり趣味がいいとは思えない模様が入っているし、セーターも、一枚はいい感じの緑を見つけられたが、もう一枚は紫と茶色の太いボーダー、他のものも、完全に好みに合っているとは言いがたいが、多少は仕方がない。同時に下着と靴下も四組持ってきて、すべて一回洗ってから着た。それまで着ていたステラの手編みセーター三枚は、丁寧に洗った後、部屋に干して乾かし、クロゼットの引き出しにしまっておいた。色が黒ずんで毛玉だらけになり、あちこち擦り切れてほころんではいても、とても捨てることは出来なかったのだ。

 僕は最初に新住居に落ち着いた時、思いを馳せた。ここにかつて住んでいたのは、どんな家族だったのだろうと。主寝室と子供部屋が二つ。夫の仕事部屋らしい書斎。客用寝室の方は、もともと一緒に住んでいる人なのかどうか、最初はわからなかったが、残されたメモや用品から、どうやらこの部屋は夫妻どちらかの祖父母が、時々泊まりに来るために用意していた部屋だということがわかった。ここにもダブルベッドが置いてあり、生活するにはかなり足りない程度の収納しかない。中にも数枚の洋服しか入っていなかった。小さなドレッサーの上には、メガネスタンドが置いてあった。
 僕はふと、ラセットプレイスを思い出した。僕たちの現役中、レコーディングに使っていた、スィフターのプライベートスタジオ。あちらはどの部屋ももっと広く、調度も格段にしっかりしていたが、いろいろな人用に、各部屋の調度が違っていた。子供用、女性用、夫婦用、成人用、そして老人用と。
 それはともかく、ここには四人家族が住んでいたのだろう。でも、遺体は二体だけだった。一人は年配の男の人で、リビングのソファに座っていた。テーブルの上にウィスキーのグラスと、広げた雑誌があった。床の上には、充電の切れたスマートフォンが転がっていた。もう一人は、今は僕らの部屋になっている子供部屋の、ベッドの上に寝ていた。どちらの遺体も目立った外傷もなく、焼け焦げてもいなかった。シルバースフィアだけでなく、オタワ市内の遺体がほとんど全部そうで、遠くの爆心から拡散され、建物を貫通してきた大量の中性子とガンマ線で、ほとんど何が起こったかもわからないまま、即死状態だったのだろうと、ステュアート博士と医師の一人が言っていた。遺体のほとんどが白骨化していないのは、蛆がわく余地もなかった、微生物でさえ、やられてしまったからだろうとも。
 僕の部屋にあった遺体は、比較的小さかった。僕は部屋に残された品物を整理しながら、ここにいたのは小学校四、五年くらいの男の子だろうと理解した。カタストロフの時には、もう寝ていたのだろう。何も知らずに。遺品を整理しながら、胸が締めつけられる思いを感じた。まったく知らない子だけれど、考えると悲しい。どうしても、そこに亡き息子への思いも重なってしまう。
 もうひとつの子供部屋にいたのは、十六歳の女の子らしかった。部屋の卓上カレンダーには十月八日に『私の十六回目の誕生日』という書き込みがある。彼女は僕らのファンだったようだ。壁にはポスターが相当な数貼ってあり、本棚には雑誌やCD、DVDが並んでいる。だがこの部屋には遺体はなかった。カレンダーの十一月二日のところに『ライヴビューイング ○○アリーナ』と書かれていた。おそらく彼女は、たぶん母親と一緒に、オタワ市内のアリーナで行われた、僕らのラストコンサートのライヴビューイングを見に行っていたのだろう。そしてそのまま――おそらくライヴの余韻が回復しないうちに地震に見舞われ、それから数分で、意識が飛んだのかもしれない。何が起こったのか、わからないまま――彼女はアイスキャッスルには行けなかった。学校があったから最初から断念したのか、抽選に外れたのかは、わからないが。でもライヴビューイングのチケットは取れたので、たぶん帰宅が深夜になるのを心配した母親とともに、出かけたのだろう。そういえば、姉ジョアンナの義理の姪にあたるグラディスとルースの姉妹も、トロントで行われたライヴビューイングに、母親と共に行ったと言っていた。そういうパターンは、けっこうあったのかもしれない。しかしビューイング会場であろうと、ストリーミング端末の前であろうと、あの時点での滅びは避けられなかった。もしこの子がアイスキャッスルに行けていたなら、再び生きてここに帰れたかもしれないのに――。

 この部屋にアデレードとエステルが住むことになった時、僕らは壁のポスターを剥がそうかと提案したが、アデレードは一枚だけ残してくれるようにと要請した。
「今、写真立てに飾る写真って、持っていないから。スマートフォンの待ち受けは、娘たちだし。だから、ここにあれば、眼を上げれば、いつでも会える気がして」
「ええ、たしかに。お兄ちゃーん!って、思わずあたし、手振っちゃいそう」
 エステルが少し寂しげに笑いながら、壁を見上げている。
「うーん。エアリィだけなら良いけど、これだと僕らも巻き添えだな。だから、彼単独のやつがあったら、それにしてくれないか」
 僕は腕を組んで、苦笑しながら見上げた。気持ちはわかるが、バンドのポスターは過去の残像だ。もう取り返せない――郷愁と情熱の残り火が、胸の中でうずく。出口のないままに。ジョージとミックも、たぶん僕と同じ気持ちだろう。
「お兄ちゃん単独のって……あ、あった!」
 エステルが壁に目を走らせ、探しているようだったが、そう声を上げた。それは世界が滅ぶ三年前、エアリィがポスターのみだが出た、唯一のCM――最初の継父カーディナル・リードさんのスポンサーだったつながりで引き受けた、衣料メーカーのポスターだ。いくつかの新聞で一面広告にもなったらしいが、これは新聞ではなくて、販促用――あまり枚数がなく、ファンの間ではプレミアがついた代物だという。この子がどうやってこれを入手したのかは、わからないが。二ポーズあるうちの一枚で、白一色の背景に、白いシャツ、濃いグレーのボトムス、チェックの上着を腰のあたりに巻いて、同色のマフラーを肩にかけ、片方の端を手にもって、心もち身体を傾けた状態で写っている。微笑み、まではいかないが、その一歩手前の表情だ。
「これって、きまり悪がってたのよね、エアリィは……CMって、どんな顔して写っていいか、わからないって」
 アデレードは寂しげに微笑みながら、ポスターにいとしむように触れた。
「ちょっと照れてるわよね、お兄ちゃん。明らかに」
 エステルも、そっと目元に手をやっている。
「じゃあ、あとは、はがしていいかい?」
 僕はできるだけ快活に声をかけた。彼女たちの悲しみは、時しか癒せないだろうから。
「いいわよ。でも捨てないでね」
 エステルが笑顔に返って答え、アデレードも少し笑って、頷いていた。
「わかった。とりあえず倉庫にでも移しておくよ」
 僕はジョージと二人で、残りのポスターをはがした。そして自分の部屋に持っていき、一枚一枚広げてから、裏側を表にして筒状に丸めていった。
 僕は広げた一枚のポスターを見ながら、ふと思い出した。ニコレット――彼女の部屋も、あんなふうだった。このポスターもあった。そこで見た記憶ある。彼女の家で過ごした十日間。別れ、再会――でもニコレットもロンドンで、もはや生きてはいないのだろう。せっかく新しい彼氏と、人生を歩み始めた矢先なのに。あの時、彼女はどうしていたのだろうか。やはりどこかで、僕らのラストコンサートを見ていたのだろうか。
 改めてカタストロフの残酷さを感じた。すべてに幕が下りたあの日、世界が消えたあの日――人々は何も知らずに、人生を歩んでいた。ある者は喜びの中で、ある者は期待に満ちて、ある者は悲しみ、あるものは悩み、あるものはただ眠りの中で――これからも続いていくはずの世界を信じて。ジョイスとその赤ちゃん、その夫で、僕にとっては義弟のクレメント、エイヴリー牧師、ポールとマシュー、ステラの両親であるパーレンバーク夫妻、ローレンスさん、コールマン社長、僕のプロジェクトに協力してくれたドラマーとベーシスト、SBQの面々――それから僕の人生で知り合った、もっと多くのいろいろな人たち。彼らの上に突然幕がおり、すべてが消えたのだ。
 涙がポスターの上に、ぽたりと落ちた。僕はあわててそれをぬぐい、目をこすった。その残酷さを、非情さを、重大さを、アイスキャッスルの一年間には、はっきり認識することがほとんどなかった。すべてから隔絶された、苛酷な環境の中を生きていくのに精一杯で。だが廃墟のオタワは、耐え難い事実をはっきりと物語っている。世界は消えた。そこに生きている七十億の人々、すべての動物や鳥たちを巻き添えにして。
 僕の頭に、かつての僕らの曲がよみがえってきた。もう七年近く前に、僕が作った曲、『The Revelation Day』またの名を、『世界がゼロに戻った日』を。

   束の間の静寂を破って
   終焉は突然ふりかかってきた
   君には見えないかい
   街は炎の中で崩れていく
   何が起こったか悟るまもなく
   すべてが壊れていく
   愛も怒りも憎しみも夢も希望も
   すべてが断ち切られ
   文明も科学も生命も
   みんな消えていく
   嘆きも叫びも怒りも決して届かない
   世界はゼロに戻っていく
   すべてを破壊し、飲み込んで
   世界はゼロに戻ってしまう
   もの言わぬ静寂の大地に

 これはアルバムバージョンとは少し違う、エアリィが最初に書いてきた歌詞だ。あとで彼は『これじゃ、ちょっと救いがなさすぎるなあ』と、少し修正を加えたのだった。だがこの通りのことが、それから六年後に起こった。僕らは知識だけで知っていた、世界の終焉の姿。その意味を、僕はそれが起きて一年後にようやく悟ったのだ。その残酷な真実を。




BACK    NEXT    Index    Novel Top