Part 3 of the Sacred Mother's Ring - In the Abyss of the Worlds

第一章 運命の日 (4)




 その日の午後、ホテルや店舗に囲まれた中央部の広いスペース、今は中央広場と今は呼ばれている場所を使って、集会が行われた。そこは放送で集まってきた八千人あまりの人間で、びっしり埋まっている。全員が座るスペースはないので、みな立ったままだが、お互いの肩と肩が触れ合いそうな密度だ。百万人を超える応募者たちの中から、抽選で選ばれた八千人。その選抜に当たって、僕らはマネージメントに要望した。近年僕らのファン層はかなり広がってきていたが、ここは元々のメインファン層、十代二十代、特に十代半ばから二十代半ばまでの人に限定してくれと。気候が厳しいから、という理由をつけたが、それに加え、もしこれから再生を図るなら、若い世代が必要だという、秘密の意図もある。
 僕らは人々の前に出ていった。ざわめきが広がり、感嘆の声や、「本物だ……」「すごい……」「まだいてくれたんだ……」そんな声も聞き取れる。今のところ、彼らの間にネガティヴな感情はまったく感じられないが、これからする話を聞いても、なおそうあってくれるという保証はまったくない。これだけの人間がパニックになったらと思うとぞっとしたけれど、逃げるわけにはいかない。エアリィもいつもより緊張したような表情だったが、もし僕が彼なら、もっとパニックになっていただろう。暴徒になりかねないような大集団の中で、難しい話をしなければならないのだから。
「こんにちは、ってもうコンサートじゃないんだけど」
 エアリィが中央のマイクをとって、そう呼びかけると、こんな状況でも人々から歓声が上がる。彼はちょっと当惑したような笑みを浮かべ、言葉を継いだ。
「ありがとう。でも、君たちが僕たちを歓迎して迎えてくれるのは、もうこれで最後かもしれない。僕たちはもうアーティストとファンじゃない。これから、僕はとっても重大な話をしなければならない。君たちにとってのお気に入りのアーティストなんて、吹っ飛んでしまうほどの。その後は、僕たちはもう特別な関係じゃなく、普通の人間同士として、お互いに接していきたいと思うんだ」
 ホールにざわめきとささやきが広がっていく。彼は少し間をおいてから、話を続けた。
「ここは今、避難所になっている。僕たちのコンサートの最後で起きた地震で、他の都市との連絡が取れないからと。あれから一週間たって、みんなも今までいろんな噂を聞いてると思うけど、噂じゃなく、本当の事実を知ってもらいたいんだ。僕たちの知ってるかぎりの事実、それだけを言うよ。あの時、何が起きたか。地震が起きて、大きな星が流れて、遠くで爆発音が聞こえて、空が光って、海が鳴った。でも、ここはとりあえず無事だった。施設は銀色のシールドで覆われて、あれからテレビもラジオも電話もインターネットも、全部不通になった。今でもそうだね。だから他の都市と連絡が取れなくて、ここにいるはめになった。じゃ、ここ以外はどうなってしまったのか……あの時、直後にオーストラリアのラジオが入ったんだ。あっちでは翌日の昼間で、大都市では僕たちのライヴビューイングに来てた人もいた。僕もここからスクリーンを通して、各地の大きなビューイング会場には呼びかけたけど……シドニー、メルボルン、ブリスベーン。そう、夜の八時ごろ呼んだ時には……あっちはまだ午前中だね、平日の午前中。でもそんな時間帯でも、かなりの人たちが会場に来ていたらしい。でも、あのあたりは津波で水没したって、そのラジオの報道で聞いた。それはたぶん、あの流れ星、いや、小惑星がぶつかったかニアミスしたことの影響だろうと思う。でもそれ以前に、放射線のスカイシャイン現象で、全人口の大半の人たちが即死したって報道していた。その放送は内陸部にある、臨時放送局からのものだったみたいだけれど、その放送も翌日途絶した。そしてその放送が、僕たちが受信できた、唯一のものだった。他はどこも入らない。何がどうなったかを報告する人もいなくなってしまった、ということなんだろうと思う」
 ホールにざわめきが広がった。驚き、不安――ざわめきは大きくなり、悲鳴に近くなっていく。エアリィはしばらく黙って目の前の人々を見た後、再び話しはじめた。
「次の日から、僕たちは救難放送を流した。無線で、出力を上げて、いろんな言葉で、とにかく世界中になんとか連絡を取ろうと。それに対して、最初は十か所くらいから返答がきた。世界のあちこちのシェルターから。どこもすごく遠いから、本当に電波の調子のいい時にしか入らないけれど、それでもね……彼らも、回りはみんな死んだと言っていた。地震のあと十分くらいたって、急に空がまた光った。そうしたら、人々がバタバタと倒れていった、と。そう言ってた人も、次の日には返事がこなくなった。それは何を意味するのか。ラジオ・オーストラリアも言っていたように、スカイシャインなんだと思う。空から致死量をはるかに超えるような放射線が降り注いできた。なぜ……それはわからないけれど。どこかで、かなり大規模な核爆発が起きたんじゃないかという推測しか、答えはないんだ。遠く離れた場所にいた人々をも即死させるほど、大量の放射線を放射するくらいの……」
「それは……世界の終わり……?」
 そんなつぶやきが、人々の中から漏れた。
「終わり、なのかどうかは今のところはわからない。最悪、そうなのかもしれないけれど。ここでは何も確かめる手段がないから。無線も、だんだん返答がなくなってきているんだ。最初は十何か所か入ったけれど、今は半分になっている。普通に住んでいる人からは、何も連絡が入らない。そんな人は今、いないのかもしれない。それが間違いだったら本当にいいんだけれど、状況はとても厳しいと思う」
 エアリィは静かにそう答えた。そして一呼吸おいて話し続ける。
「これが現実なんだ。信じられないと思うけど。なぜいきなりそんな事態になってしまったのか、それはわからないけれど。僕たちは今、世界から切り離されてここにいる。どこでもいい、他の都市からの連絡が来ない限り。どこか無事な町があって、そこへ移動しても大丈夫だという保証がなければ。でも今のところ、その助けは望めない。みんな――これは悪い夢でも壮大なドッキリ企画でも、映画でもフィクションでもない、僕らのいる現実なんだ。泣いても、悲しんでも、怒ってもいいけど……でも、現実は動かない」
 聴衆たちは息をのんだように黙り、水を打ったような沈黙が広がっていった。信じられないこと――だが、真実。彼らはそれを飲み込もうと、必死になっているようだった。エアリィの話し方は抑揚を押さえている分よけい力を持って響き、彼らに疑いを抱かせなかったのだろう。そう――真実は真実なのだと。彼はゆっくりと言葉を続けた。
「僕らはしばらく、ここにいなければならないんだ。外から救援があるか、いくぶん状況が安定して、外へ移動しても安全だって確かめられるまでは。いつまでかはわからないけど。でも、今ここはシェルター部も解放しているから、わかっていると思うけれど、そう、この施設は有事の時の巨大シェルターになるように、という理由でも建設されたものなんだ。だから普段は透明なアーケードだけだけれど、事が起きればシールドがおりる。日の光は入らないけれど、でも有害な物質も防いでくれる。それにとりあえずシェルターだから、食糧も備蓄されているんだ。半年分くらいは確保してあるし、備品も色々あるから、今すぐ死んでしまうわけじゃない。僕らは当分、ここで生きていかれるよ」
「……だけど、そんな長く?」
「いつになったら、帰れるの……?」
 ざわめきの中で、そんな言葉が聞き取れる。
「それは僕たちにもみんなにも、誰にもわからない。本当にそうなんだ。いつここから出れるか、わからない。ごめん。でもね、永遠にってことはないはずだよ。僕たちだってここにいなかったら、今ごろ死んでるのかもしれない。だけど、ともかく僕たちは今、ここでこうして生きてるんだから、出来るかぎりここで頑張ってみようよ。それしか道はないから。ここに来れて幸いだとは、今は誰も言えないだろうけど、でもいつか『助かってよかったな』って思える時も、来るかもしれない。ここはたしかに狭いし、寒いし、食物も量を決めて配っていかないといけないから……そう、ここの生活はすごく不自由だと思う。プライバシーもない。物も足りない。電気もガスも足りない。やりたいことの十分の一も、たぶん出来ない。いや、まったくできないかもしれない。だけど、ともかくもここにいれば、しばらくの間は僕たち、生きていくことは出来ると思う。今は非常時なんだ。今、一番大事なことは、ここで命を保っていくことなんだ。家に残ってる家族や友達のことは心配だろうとは思うけど、今は安否の確かめようもないから、ともかくここで自分の生命を守っていかなくちゃ。いつか希望が戻るまで。月並みなことしか言えないけど、みんな頑張って。陳腐な言葉だけど、みんなで助け合って、僕たちはここで、生きていこう」
 聴衆たちは沈黙した。彼らはみな頭を垂れ、言われた言葉を反復し、事実を飲み込もうと努力しているように見えた。
「大丈夫だね、みんな……ここにいられるよね……」
 エアリィはしばらく沈黙した後、ゆっくりした口調で静かにそう問いかけた。
「ええ。私たちは今、ここに生きているのだから……」
「本当に世界の終わりが来たのなら……私たちはここに来れて、よかったのかもしれない。残っていたら、きっと死んでたから」
 聴衆の中から、そんな声が上がった。
「大丈夫……私たち、ここにいられる。あなたたちがいてくれれば、心強いから」
「ショックだったけれど、がんばる……」
 そんな声が次々と上がった。泣いている人も多いが、それでも頷いている。
「大丈夫」「やれる」「がんばる」「ここにいる」
 そんな無数の声がホールに広がり、罵倒や否定的な言葉は、まったく聞かれなかった。僕はこの光景に、まるで奇跡を見ているような気さえした。八千人の不安な人々が事実を認識し、生きる努力を始めた。考えてみればこのために、僕らは十一年間活動をしてきたのかもしれない。膨大なファン集団を形成し、ある種のカルトのようにさえなってきたのは、新興宗教集団が教祖の言葉に従うように、彼らを僕らの指揮下に置くため――こんな異常な状況でも立派に機能する、もしくは特殊な状況だからこそ余計に効力を発揮する、カルト集団を作ること。そのために僕らは十一年の間、ファンたちを感化し続けてきたのかもしれない。逆境に負けない精神性を、強力な求心力を彼らのうちに培うために。 

 その日の午後から翌日いっぱいは、生活体系を組織立てることに費やされた。元観客たちである一般の人たち八千人あまりの人々を、七二人前後を一グループとして、百十のグループに分けた。半端な人数になったのは、この中の五千人弱は解放されたシェルター部、十二人部屋にいるので、同じ部屋の中でグループが分かれることを避けたためだ。関係者やスタッフ、そのゲストやマスコミを含めた二百人あまりは、三つのグループに別れた。アイスキャッスルにいた従業員たち百三十人弱は、二つのグループに分かれている。十グループにひとつの割合で、集会用の広い部屋が割り当てられ、それぞれのグループに一人のリーダーと二人のサブリーダーを決めてもらった。食料係も当番制で決めた。食物は、決められた時間に配られることになる。
 僕らはすべてのグループを訪問して彼らと直に話し合い、励まし、助言し、それぞれのグループ内でしっかり生活が機能するように努めた。一週間に二度中央会議が開かれ、グループリーダーたち全員がそれに参加した。そこでそれぞれの状況を報告し、現状を認識し、これからの展望を話し合う。こうして一ヶ月が過ぎ、十二月に入ったころには、無線での救難放送に返ってくる答えさえ、皆無になった。最後の通信はアルゼンチンの、チリとの国境に近いどこか辺地の村にあるシェルターからのもので、非常に聞き取りにくい、嗄れたようなスペイン語でこう言っていた。
「……みんな死んでしまった。わたしが最後だ……もうダメだ……神よ……」
 それきり何も聞こえなくなった。それ以降、すべての連絡が途絶えた。僕らはアイスキャッスルを去る日まで、ずっと救難放送を流し続けていたが、もはやどこからも返答はなかった。僕らは本当に、世界で唯一の生き残りなのかもしれない。そんなぞっとするような認識と、ここで孤立無援になってしまったという絶望感で、思わず震えた。その場にいたすべての人の表情も、同じ思いを語っているようだった。恐怖と不安の中で、懸命に手探りをしているような日々――でも世界に起こっただろうことと、これからここで起こるだろうことに比べたら、まだほんのプロローグにすぎないのだろう。

 世界からは隔絶されてしまったけれど、ともかくここで僕らは生きていた。百十の一般グループ、三つの関係者グループ、二つの従業員グループの中央本部として、僕らの第一グループは機能している。ここは全グループの中で、一番人数が少ない。僕の両親、兄のジョセフと奥さんのカレン、姉のジョアンナ。ステラとクリス。父方の従兄姉の子供たちである、カーラとナンシーの姉妹。ロビンとセーラ、ジョージとパメラと二人の子供たち、両親と姪の、来月七才になるレイチェル、十六才になるパメラの甥デイヴィッド。やはり従兄の子であるマークとエレン。ジョージの友達ヴィンセント・エドワーズとその奥さんエイダ。エアリィとアデレード、ロザモンドにティアラ、継父ステュアート博士と継兄アラン、十七才の妹エステル、ステュアート側の、義理の従妹弟にあたるハンナとジェーン。ロードアイランド時代の友達が四人――トニー・ハーディング、パトリシア・フォークナー、エリック・ライト、ジョーダン・ラティマー。アデレードの弟、エイドリアン・ハミルトン。ミックとポーリーンと、彼の両親であるストレイツ夫妻、従兄のロドニー・プレスコット。そしてロブとレオナ。これで全員だ。
 友達が少ないのは、もともとエアリィとジョージ以外、あまり社交的とはいえないせいだろうか。それに、僕たちの長年のステータスが、現実的な繋がりをよけいになくさせてしまったのだろうか。親戚や奥さん連の肉親も、僕らのファンで『見たい』という希望を持って、なおかつ都合のついた人しか来なかった。学校があって親の許可が下りない、どうしても仕事の都合がつかない、健康不安がある、小さな子供を抱えている――そんな事情で見送った人が、大半だった。まして、ステラの両親など来るわけがない。アイスキャッスルはたしかに辺地だし、十一月ともなれば寒い。しかも平日のコンサートで、なおかつ長期休暇の時期でもない。でも、やっぱり残念だ。本当のことを話せばもっとみんなも来てくれただろうが、それだけはどうしても言うわけにはいかないことなのだから。
 ともあれ、僕らのグループは最年長六八才のカーマイクル・ストレイツ大臣から、最年少は四才になったばかりのチビちゃん、ティアラ・ヴァイオレット・ローゼンスタイナーまで、結果的になんともバリエーションに富んだグループになっている。この中で、いったい何人が最後まで残れるのだろう。それは恐ろしい考えだと知りつつも、ついそんなことをも、考えたりしてしまう。みんな、嵐の海の中に投げ出された小舟のような、頼りなさを感じているだろう。でも、希望は失いたくない。一般の人たちにも、繰り返しそう言って励ましてきた。前向きに――そう、どんな状況にあっても前に進まなければ。

 僕らは、しばしば自分たち用の集会室に集まった。滞在中の第一ホテルの会議室の一つで、全体の本部も兼ねている。今もこの部屋に集まり、食事をとっていた。
「もうここに来てから、一カ月以上になるのね」
 ステラは乾パンを下に置き、小さくため息をついた。
「本当に世界が滅びたなんて、信じられないわ。なんだか悪い夢を見ているようよ。パパやママは、どうなってしまったのかしら……」
 彼女の声は、最後に涙につまった。
「それは言わないほうがいいわ。みんな思いは同じですもの」
 パメラが静かに首を振った。
「いつになったら帰れるのかしら……」そう呟いたのはセーラだ。
「それも禁句よ」
 レオナが静かな微笑を浮かべながら、頭を振っている。
 ともすれば不安と心配で、大人たちは黙りがちになる。だが子供たちはこんな状況でも元気だ。スタンフォード兄弟の姪っ子レイチェルも、元々いとこ同士であるプリシラとジョーイに引っ張られて仲間に入り、すぐにローゼンスタイナー姉妹やクリスとも仲良くなって、六人が一団となり、無邪気に遊んでいる。
「ぼく、ここにいても、ぜんぜん平気だよ!」
 クリスが母親にしがみつきながら、僕らを安心させようとするかのように言った。
「お家に帰りたくはないの、坊や?」ステラは少々驚いたようだ。
 息子は母を見上げ、それから僕の顔を見た。   
「みんな一緒にいるもん。パパもママも、それからお友達もいっぱい! うちにいる時より、楽しいよ」
「でもお菓子が少ないのは、残念だよなあ!」
 ジョーイ・スタンフォードが鳶色の髪を振り振り、真面目くさった口調でぼやく。アイスキャッスルにあるお菓子は子供たち用に少しずつ渡されていたが、もうストックが少なくなってきたので、キャンディやチョコレートを一日おきに、少しずつあげるだけにするという申し渡しが、最近されたばかりなのだ。
「あなたは虫歯がひどいんだから、ちょうどいいわよ」
 姉のプリシラがぴしゃっとそう返し、
「なおしたもん。それに、そのうち大人の歯になるから、いいんだい!」
 弟の方は頬を膨らませて反論している。
「大人の歯が虫歯にならなくて、いいじゃない」プリシラも負けていない。
「ふんだ」ジョーイは姉に向かってしかめっ面をしていた。
「あたし、パンケーキが食べたいなあ。ふわふわの」
 ロザモンドは憧れるような口調で、そう言っていた。
「いつかおうちへ帰れるようになったら、作ってあげるわ。それまで我慢してね」
 アデレードが娘の頭を撫でながら宥めている。
「うん。しかたがないもんね。我慢する。でも、ねえ、あたしたち、学校ずっとお休みしていて平気なの、ママ?」
 ロザモンドは、そのことが気になったらしい。同じ学校に行っているクリスとジョーイも頭を上げ、もの問いたそうに見ている。
「学校もお休みだから、大丈夫よ。あの地震で、壊れてしまったのかもしれないわ」
 アデレードが子供たちの顔を見ながら、そう答えている。
「学校が壊れたの? 本当?」
 子供たちは驚いたようだった。そして、学校友達や向こうに置いてきたペットのことを心配しはじめていた。そんな子供たちに気休めの嘘をつくのは辛いが、現実を知らせることはもっと残酷だ。
「大丈夫なように、お祈りしましょう。また、きっと会えるって」
 アデレードが娘たちの頭に手を置いてそう言い、ステラとパメラも頷いていた。
「うん」
 子供たちは頷き、小さな手を組み合わせて祈りを捧げたあと、再び食事にかかっていた。
 僕たちもみな、無言で食事を終えた。
「でも、いつ帰れるのかしら。ここもいつまでもは、いられないのでしょう? 食料のストックだって、いつかは無くなるわけだもの。そうしたら、わたしたちはどうなるの? ここはとても寒いし、食物も無くなったら。それを考えると恐くなるわ。どうすればいいのかしら……」
 ステラが小さなため息とともに言った。当惑と不安をにじませた口調だった。
「おお、神よ。わたしたちのゆく道を、お示しください……」
 ジョアンナが僕の後ろで、静かに祈りを捧げている。
「よせよ、こんな時に神も仏もあるもんか!」
 ジョセフが多少苛立たしげに遮った。
「どうして、兄さん? こんな時こそわたしたちは、主のお慈悲にすがらなくてはならないと思うわ」姉は少し悲しそうな声で訴える。
「いや、神頼みしているだけじゃダメだ。なんとか自分たちの力で対策を考えて、積極的に生きる努力をしないと、僕たちみんな生き延びられないぞ。せっかく助かったんじゃないか」兄は首を振り、断固とした様子でそう主張した。
「父さん、これから先、俺たちみんな、どうすりゃいいんだい? いつになったら、帰る見通しがつくんだろう?」ジョージは不安げに訴えていた。
「そんなことはわかるものか。おまえたちだって、自分でそう言っただろう」
 スタンフォード氏は、いくぶん苛々したような口調で返答している。
「ともかく今言えることは、冬の間はここにいなければならんということだけだ。外は荒れてはいないが、もう一日中真っ暗やみで、深い霧もかかっていて、視界はゼロだ。おまけに最悪なことに、照明塔が壊れてしまった。いや、照明塔自体は大丈夫なんだが、送電ケーブルがやられたようだ。だからライトアップが出来ない。真っ暗闇では、とても飛行機もヘリも飛べんよ。外から救援が来ない限り、身動きはとれまい。だが外部の援助は、ほとんど望み薄ときた。冬の間、ここにいる覚悟をした方が良さそうだな。幸い、食料はそのくらいたっぷりもつだろう。おまえたちが予備ストックを寄付したのか?」
「ああ」
「何のために?」スタンフォード氏は怪訝そうな顔で聞いてきたが、僕らが理由を言い淀んでいると、肩をすくめて頷いていた。
「まあ、わけはどうでもいい。気紛れだって、かまわんよ。ともかく、あれのおかげで二ヵ月は余分に確保ができた。元からある分を合わせれば、半年くらいは十分にもつだろう。春になって日照が回復したらヘリを飛ばして、誰かに外を見てきてもらおう。マスコミの連中が行ってくれるだろう。そうすれば私たちも、それからの見通しが出来る」
「だが問題は、ここで冬をどう過ごすかだな」
 ステュアート博士が難しい顔をして首を捻った。
「食料は大丈夫だとしても、エネルギーの問題がある。今の外気温はマイナス四三度なのだ。この季節にしては低すぎるが、核の冬の影響だとすれば納得できる。だが外気がこれだけ低くとも、ガスの燃料供給を増やすことはできないだろう。ここは室内の温度が逃げにくい構造にはなっているものの、限度がある。館内温度は七〜八度に確保するくらいが、せいぜいだろうな。しかも、これからまだどんどん寒くなるはずだから、やがて館内も氷点下などという状態になってしまいかねない」
「たしかに、それは心配な点だ」
 父は遊んでいる子供たちに目をやった。僕もその意味を察し、不安で心が冷たくなるのを感じた。環境の厳しさは、弱い者にもっとも苛酷に襲いかかるのだから。

 それから二週間ほどだった頃、みなは深い懸念をにじませた表情を浮かべながら、再びこの会議室に集まっていた。ステュアート博士が懸念したように、暖房の問題が深刻化してきたのだ。外の気温は、マイナス五十度まで下がってきた。例年のこの地方の寒さよりもっと厳しく、日照もまったくない。そのため屋内の気温を十度前後に保ち続けるのは、今の燃料供給では、とても不可能だった。そこで一般の各グループでも話し合ってもらった末、翌日から暖房温度は、五度に切り下げることが決定された。これが限りあるガス燃料供給を暖房のために回せる、ぎりぎりの限界だ。各部屋の暖房は電気ではなく、ガスを使っているので、供給される量に見合う分だけしか暖められない。摂氏五度の気温はたしかに寒いが、晩秋昼間の外気程度だ。幸いここに来る時に、みな十分に防寒装備をしてきているので(観客たちにもチケットの発行とともに、しっかり防寒装備を整えて来るようにという注意書きを出し、幸い彼らもほぼ全員それを守ってくれたようだ)、なんとかしのぐことが出来る。部屋の中でもコートを羽織ることが多いが。夜寝る時は、お互いの体温で少しでも暖かくなるよう、僕はステラとクリスとともにダブルベッドに寄り添って寝るようになった。それは他のみなも同じだったようだ。
 クリスは「庭で遊んでいるようなもんだよね!」と、あまり気にしていないようだった。外遊びの多いスタンフォード姉弟やローゼンスタイナー姉妹も同じようだったが、ロビンとジョージの姪っ子レイチェルだけは「寒〜い」と、時々身を震わせている。それでも幸いなことに六人全員が、今のところは元気に過ごしていた。暖かいセーターやマフラー、上着や帽子、手袋をつけ、時々鬼ごっこなどの活動的に身体を動かす遊びをすることで克服しているようだ。僕らも子供たちが部屋中バタバタ走り回っても、誰も注意はしなかった。子供たちが身体を温めるためには、それがもっともふさわしいやり方なのだろう。でも、懸念は隠せない。たしかに今のところみな元気ではあるけれど、これからもずっと、そうであってくれるだろうか? 子供は風の子だなどというけれど、やはり体力的には、大人よりずっと弱い存在だ。この寒さに加え、ずっと室内に閉じこめられ、太陽の光を浴びられないという不健全な環境。食べるものは乾パンと粉末ミルク、ビスケットとクラッカー、豆や肉、魚の缶詰、固形栄養食に、ビタミン入り栄養ドリンク。おやつにキャンディとキャラメル、チョコレート。育ちざかりの子供たちには、決して望ましいとは言えない。こんな厳しい環境の中で、しかもこれから本格的に入っていかなければならない長く厳しい冬の間を、子供たちは無事に過ごせるだろうか。再び日の光を見、十分にぬくもり、食べたいものを食べ、外で思いどおりに遊べる日が、またやってくるのだろうか?

 単調な日々は、のろのろと過ぎていった。僕らバンドの五人は、午前中からお昼を挟んで三時くらいまで、一般のグループの人たちを訪問する。それが終わると、家族と一緒に誰かの部屋に集まる。出来るだけたくさんの人間がいたほうが暖かくなるし、お互いにこういう環境のもとでは、一緒にいたほうが気を紛らわせることができるからだ。子供たちがパタパタ部屋を駆け回る中、大人たちはベッドに腰かけたり、ソファに座ったりして、大きなスイートルームに集まって過ごした。朝昼晩と決められた時間に食事を配るのにも立ち合っているので、僕らは結構忙しかったが、暇でないほうが、かえって幸いだ。日に三度一緒に食事をし、空き時間にはたわいない話をし、気分がのればゲームもやってみた。
 そんなある日、いつものように僕らは部屋で一緒に食事をとっていた。この時の献立は水に溶かしたスキムミルクに四枚の乾パン、それにポークビーンズの缶詰半分だ。とっくに飽きているといえばその通りだが、この場では食事は楽しむものではなく、生命をつなぐためのものだ。僕は機械的に食物を口に運び、ミルクを飲んだ。
 未来世界に行った最初の日、初めて出てきた献立もこれだったっけ――乾パン、粉末ミルク、豆の缶詰。十一月二日は『受難回顧の日』と後世では呼ばれ、この日はすべての人が三食この献立をとって、先駆者たちの苦難を忍ぶ。そうシンプソン女史が説明していた。あの時にはわけがわからなかったが、今その意味を思い知る。だが一日だけ形式的な体験をして、それで僕らの苦難が少しでも忍ばれるのだろうか――そんな気分だ。
 食事を終えてコップを片付けながら、クリスがぽつりとつぶやいた。
「あったかいミルクが飲みたいな……」
 そして、あわてた様子で首を振った。
「ううん。わがまま言っちゃ、いけないんだよね。冷たくても大丈夫だよ」
「でもやっぱり、あったかいほうがいいよね。冷たいと、お腹まで冷たくなるもん」
 ジョーイは少し飲み残したミルクを見ている。
「うん。だけど一気に飲まなきゃいいのよ。少しずつ飲めば、そんなに冷たくないわ」
 ロザモンドが小首を傾げながらそう提案し、
「そうよ。ジョーイはあわてすぎなの。ゆっくり飲んで、飲み込む前にお口の中で暖めるの」プリシラが頷きながら、お姉さんらしい口調で弟を指導している。
「でも、まずいんだもん。あんまり、ゆっくり飲みたくない」
 ジョーイが無理からぬ意見を言った。たしかにスキムミルクは単独で飲むには、それほどおいしい飲み物ではない。おまけに水で溶かす時に固まりが出来たりして、不均一になりやすく、口当たりも悪い。牧場のおいしい牛乳をいつも飲んでいたこの子には、あまり嬉しくはない代用品だろう。
「あたし、哺乳びんでのみたあい!」などとティアラが無邪気に声を上げ、
「何を言っているの。もうとっくに卒業したでしょう?」
 アデレードが苦笑しながら、小さな娘の頭を撫でていた。
「ごめんな、ミルクも暖めてやれなくて」
 誰からともなく、そんな言葉が漏れた。
「子供たちだけでも、暖めてやれんものかな」
 スタンフォード氏がため息をついて、首を振った。
「たった六人かそこらだ。そのくらいの燃料は回してやれんものかね」
「調理に回せる分のガスはほとんど余裕がないし、例外を認めるとやっかいだが、心情的にはそうしてやりたいところだな」ステュアート博士がうなるように言う。
「でも、実際は難しいね。一般の人たちは、僕たちを利己的だと思うかもしれないし」
 ミックが言い淀み、そして付け加えた。
「僕に子供がいないから、こんな冷たいことを言っているとは、思ってほしくないんだけれど……」
「でもたしかに、僕たちから言い出すわけにはいかないな」
 僕は重い心で、同意せざるを得なかった。ジョージとエアリィも何も言わずに頷き、その問題はしばらく見送りになった。そして、さらに一週間が過ぎた。その間、子供たちは両手で包んで温めたり、ゆっくり飲んだりと、自分たちでできるだけのくふうをして、冷たいミルクを出来るだけ暖かく飲もうとしていた。そんな様子に胸が締めつけられたが、どうしてやりようもない。
 しかしその後、救いの手が差し伸べられた。思いやり深い一般グループの人たちから申し出があり、全員の承認をえて、十二歳以下の子供たちには暖かいミルクが、一日一回だけ渡されるようになったのだ。少しだけ砂糖も加えて。湯気の立ちのぼる、ほかほかしたミルクが初めて子供たちに手渡された時、彼らのうれしそうな幸せそうな笑顔に、胸がぎゅっと締めつけられるほどの安堵と喜びを感じた。ああ、みんなまだ優しさと思いやりを持ってくれている。こんな状況の中でも。その瞬間、アイスキャッスルにいる八千四百人全員を、僕は愛していた。

 みんなが生きていかれるように。それぞれのグループの中で、そして八千四百人の大きな共同体の中で。大海原で孤立した船の中に閉じ込められた乗客たちのように。なんとか絶望に打ち勝とうとし、ともすれば挫けがちな勇気を必死で奮い立たせた。みんなが生きられるようにお互いに助け合い、弱いものたちをかばいあって、生きていこうと。それは決して簡単なことではない。失われたものは、あまりにも大きかった。僕は元の世界や故郷を思い、そこに残してきた親しい人たちを思った。それはみなも同じだろう。そして本当の事情をまだ知らない人たちにとっては、ここに来なかった人たちは、もはや生きてはいないだろうと悲しみ悼む一方で、それでもどこかで生き延びてくれてはいないかという、かすかな希望も捨て切れずにいるようだ。
 自然災害はともかく、核が炸裂した理由についても、さまざまな憶測が乱れ飛んでいた。これはロシアの陰謀だとか、中国が引き金を弾いたとか、アラブの急進勢力が仕かけた戦争に違いないとか、国防庁のコンピュータに入り込んだハッカーが犯人だろうとか、果てはアメリカ大統領が天変地異に動揺して発狂し、ボタンを押したに違いないなどという説まで耳にしたが、少なくともひとつだけはわかる。それはどこかの国がやけくそになって戦争を仕掛けたわけではなく、どこかの基地が起爆して、それによってオートリベンジシステムが起動されたとかいう理由でもないことだ。即死しなかった数少ない目撃者たちは、空がもう一度光ったのは地震から十分後くらいと言っていた。ということは、地震からせいぜい数分で、致命的な大爆発が起きているはずだ。そう――僕たちがステージの上で、遠くからの爆発音を聞いたのは、そのくらいだったような気がする。それなら十分で、遠い南半球にスカイシャイン線が届くことも頷ける。もしどこかから発射されたものなら、着弾するまでには、一番近い敵対国からでも、もっと時間がかかるだろう。
 では、なぜその爆発は起きたのか――未来世界の調査では、兵器に加えて原子力発電所系の施設まで爆発したと言っていた。放射線の影響は、むしろ後者の方が深刻だろう。だが、なぜそうなったのか。本当のことは決して誰にもわからなかったし、これからも決してわかることはないだろうと思える。僕らにもわからず、未来世界でもわからない。だが原因は、起きてしまった以上、今究明したところで、どうしようもない。いや、もしかしたらここで原因がわかった場合、それを新世界に伝えられたら、歴史は変わるだろうか――だめだ。新世界で知った知識に基づいての回避行動は、シークエンスクラッシュにつながるから出来ない。それに結局、原因はわからないのだから、そんなことは考えるだけ無駄だ。こんな状況で、原因を証明できるはずはないのだから。
 僕ら全員にとって最大の関心事は、これからのことだろう。いつここから出られるのか、外は実際に、どうなっているのか。ここから出た後、どうなるのか。未来を思う時、心に重い暗雲がかぶさる。そこには不安と恐怖、絶望しか見えない。僕らのこの大きな避難所は、なんとか今まで秩序と統制、思いやりを保ってはいたが、恐怖の中で時々揺れているようでもあった。
 一日一日と過ぎていくにつれ、外の寒さは加速度的に厳しくなっていく。あまりに気温が下がりすぎたため、正確に計ることすらもう出来なくなっていたが、マイナス七十度は軽く超えているだろうと、施設の関係者たちは言っていた。これが恐れられていた、核の冬の厳寒波なのだろう。外の気温に比例して、僕らがいるホテルやシェルターを含めた建物内の暖房温度も、どんどん下がっていく。今では室内の気温設定は一度だ。暖房供給のエネルギーが一定である以上、外気温に比例して室内温度設定が下がっていくのは、どうしようもなかった。暖房を切ってしまうと、室内でも一気に氷点下二桁まで下がる今の状況では、少しでも暖房で室温を上げられるだけ、まだありがたいのだろう。電力の方もそのガスが燃料になっているので、ほとんど余裕がなく、照明分を賄うだけでぎりぎりだ。それも二段階くらい明るさを落とし、夜十時から朝七時まではつかない。それ以外は、手持ちのライトや懐中電灯を使うしかなかった。
 長い冬は、まだ始まったばかりだ。本当の正念場は、きっとこれからやってくるのだろう。




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