Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

十年目(3)




 やがて風が冷たさを増し、冬の訪れが間近になったころ、僕らは再びロードに出る支度を始めた。まずは『AIRS』スタジオで、十日間のリハーサル。その三日目が終わった夜、ギターテクのジミー・ウェルトフォードが真剣な様子で、僕にこう切り出してきた。
「ジャスティンさん。ご相談したいことがあるんですが、良いでしょうか?」と。
「ああ、良いよ。なんだい?」僕は頷いた。
「あの……」彼は少し言いにくそうに口篭もり、ちらと周りを見た。
「じゃ、控え室で聞かせてもらうよ」
 僕は立ち上がり、ジミーを促して小部屋に行った。
 レオナがコーヒーを二つ持って来てくれ、しばらくジミーも僕も、黙って飲んでいた。カップの中身が半分ほどになった時、僕は問いかけた。
「それで、君の話ってなんだい、ジミー」
「実は僕……先月、ダイヴァーというバンドのオーディションを受けてみないかと誘われたんです」ジミーはカップを置き、伏せ目がちに、そう切り出してきた。
 ダイヴァーというのは三年ほど前にイギリスからデビューしたバンドで、なかなか前途有望とされているミュージシャンでもあると思う。そこのベーシストが、以前ジミーがロンドンにいた時の友人らしかった。そのバンドのギタリストが、三ヶ月ほど前に他のバンドに引き抜かれて脱退し、後任を探しているという。それで、そのベーシストがジミーを推薦し、ジミー自身も迷いながらも、一応オーディションを受けたらしい。そして彼らはジミーに対し、『後任ギタリストになってくれないか』と、正式に要請してきたのだという。
「そうか」僕は頷き、カップを取り上げてコーヒーを飲み干した。
「それでジミー、君はどう思っているんだい? このまま僕の専属テクニシャンを続けるのか、君自身がミュージシャンとなるのか。君はどちらを望んでいるんだい?」
「僕は……ミュージシャンになるのが夢でした」
 ジミーはしばらく黙った後、そう答えた。
「ただ、エアレースのクルーというのは、ものすごいことなので……史上最大のモンスターですからね。こんな経験はめったにできないと思っています。あなたの専属になって七年間、本当にいろいろな経験をさせていただき、僕にとってこの上なく貴重な勉強になったと思っています。それにもし僕がやめたら、後任にはどんな人が来るのか、少し心配なのです。いえ、決して自惚れているわけではありませんが、僕にも七年間あなたの専属クルーをしてきた意地というか、自負だけはあります。半端な奴には任せたくないし、それで迷っているんです」
「そう……」僕は再び頷いた。
「ありがとう、そこまで思ってくれて。ジミー、僕としては君が本当にしたいように、して欲しいと思うよ。ミュージシャンになりたいのか、クルーを続けたいのか。ダイヴァーは良いバンドだと思うよ。君にはチャンスだと思う。僕は君のギターの才能を知っているつもりだ。だから、このままずっとクルーで終わるのは、もったいないような気はするんだ。正直を言えば、僕は君に専属クルーをやめられるのは寂しいし、新しい人が来ていろいろと勝手が違ってわずらわしく感じるだろうと、多少憂鬱なのも確かだ。でも、僕のために君の夢をあきらめることだけは、やめて欲しい」
「ジャスティンさん……」
 ジミーはしばらく黙り、じっと僕を見た。コーヒーカップを取り上げ、中味を飲み干した後、意を決したようにカップを下に置き、再び僕を見た。
「では、お願いします。後任が決まって、その人に大丈夫、任せられそうだと僕が思えたら、クルーをやめさせてください。僕はやっぱり、ミュージシャンとしてやりたいんです。あなたがたのような超がいくつついても足りないほどのスーパースターとダイヴァーとは、雲泥の差があると思いますが、僕はやっぱり史上最大のバンドのクルーより、規模は小さくとも自分自身の手で立ちたい、そんな思いがあるんです」
「ああ、君の気持ちはわかるよ」
「でも、もしきちんと後任が決まらないようなら……その人があなたのお気に召さなかったり、僕から見てとても任せられそうにないと思えたら、僕はクルーを辞めません。それが僕のけじめだと思っています」
「そう。そこまで思ってくれると、ありがたいよ、ジミー。じゃあ、一緒にロブに話してこよう」
 ジミーがやめる。それは僕にとって、驚きでもあり、衝撃だった。彼は僕らがヘッドラインに昇格してからずっと、ギターテクニシャンを務めてくれた。七年目の今では、僕が何も言わなくとも、ギターのセッティングから身の回りのことまで、僕が欲したようにやってくれる。僕も彼の存在にすっかり慣れ、心地よく感じていた。だが僕もギターを愛するもの、音楽に情熱をかけるものとして、ジミーの心情はよくわかる気がした。もし僕が彼の立場だとしたら、やはり同じように決断しただろう。本気で音楽を志すものなら、たとえどんな大バンドであっても、クルーで終わることを望むものはいない。自らミュージシャンとして立ちたいと思うはずだ。

「しかし、急な話だな、ウェルトフォード」
 話を聞いたロブは、ちょっと顔をしかめていた。
「君が独り立ちをしたいと言うなら、我々に止める権利はないが、これからAirLaceは新アルバムのワールドツアーを控えているんだ。それも、もう十日ほどで始動するという時に、いきなりギターテクがやめるというのは、ちょっと痛手だぞ。これから後任を探しても、最初の全米には、まず間に合わない。新しいテクニシャンだって、ジャスティンのセッティングを一から覚えなければならないんだし、時間がなさ過ぎる。なぜもう少し早く言ってくれなかったんだ?」
「ダイヴァーから正式に要請が来たのが、一週間前だったんです。オーディションを受けたのが二週間前でしたから」
 ジミーはすまなそうにうなだれながら、そう答えていた。
「申しわけありません。みなさんにご迷惑をおかけすることはできませんから、最初の全米には、僕もクルーとして参加させていただきます。その間に後任の人が来てもらえれば」
「相手は待ってくれるのかい? 僕らの全米が終わるまで」僕は問いかけた。
「ええ、彼らも僕の事情は、わかっていますから、今年いっぱいくらいまでなら、待ってもいいと言ってくれています」
「そう。なら、そうしてもらった方が良いかな」
 僕はロブと顔を見合わせ、頷いた。
「では、その間に急遽後任のギターテクを探そう。社長と相談してね」
 ロブの言葉に、改めて思った。後任か。ジミーがやめたら、新しいテクニシャンが来ることになる、と。どんな人だろうか。どんな人が来るにせよ、しばらくは不慣れゆえに不自由な思いをさせられるだろうし、僕もきっと生来の人見知りで、しばらくはなじめまい。
 その時、ふと記憶の断片が頭をよぎっていった。
『僕をあなたのクルーにしてください、ジャスティンさん!』
 そう熱心に訴えていた少年。あれは三年前、そう、ホッブスの家に行った時に会った、彼の弟だ。名前はチャールズ。彼にはいくらかの才能があると僕は認め、告げたのだった。『三年間がんばったら、考えてみる』と。
 あれから三年半が過ぎた。シカゴ公演のたびに、僕はマイクの兄弟とその友人たちのためにゲストチケットを送っていたが、バックステージパスは最初の一回以外渡していないので、チャールズにはそれ以来会っていない。彼はその言葉通り精進しているだろうか。それとも、もうあきらめたか、忘れたかしているだろうか。もし彼がこの三年半の間、がんばって知識も技術も向上できていたら、あの子をジミーの後任にしてみてはどうだろう。チャールズはあの時十七歳だったから、今は二十歳か二一才、ずいぶん若いが、ジミーだって僕のクルーになった頃には、そのくらいの年齢だった。
 僕はその考えを、ロブとジミーに話した。二人は最初驚いたようだったが、とりあえず当人に連絡して面接してみることを、ロブは約束してくれた。

 翌日、シカゴからチャールズ少年は飛んできた。彼は三年半前と、印象はさほど変わらない。手足の長いひょろひょろとした体型、頬に飛んだそばかす、髪はさらに長くなり、背中に垂れるほどで、にきびはほとんど目立たなくなっている。こうしてみると、顔立ちはジミーの方が整っているが、なんとなく二人は印象が似通っているような気がした。
「覚えててくださったんですか、ジャスティンさん! あの時の約束を!」
 チャールズは僕の顔を見るなり駆け寄り、目を輝かせながら声を上げた。
「俺、あの時から前以上に一生懸命練習したし、音楽やギターのことも独学で勉強しました。体力づくりもがんばりました。『ジャスティンさんは儀礼上そう言ってくれただけだから、本気にするな』とマイク兄にはいつも言われてたんですが、でもきっとチャンスは巡ってくると信じて、がんばったんです! あなたがあの時くださったピック、今も持っていますよ。俺の一生の宝物です!」
 正直に言えば、ジミーがやめるという話を聞くまで、チャールズとの約束のことは、すっかり忘れていた。だが、運命とはこんなものだろう。僕はちょっと苦笑し、問いかけた。
「君のバンド、なんていったかな、そうだ、Little Vigilantesだ──は、どうなったんだい? 今でも活動しているのかい?」
「去年の秋に解散したんですよ」チャールズはそう答えた。
「そう……残念だったね」
「残念ですけれど、もうあなた方のトリビュートをやるのは、俺たちには圧倒的に力不足だなって悟って。おこがましくて、申し訳ない気分になってきちまったんですよ。あなたがたのライヴを見て、新しいアルバム……あ、今度のはまだ出てないから聞いてないんで、『Polaris』のことですが、を聞いたりしているうちに。本当に、次元が違うなって思って。初期の奴なら、結構出来るんですがね。オリジナルも作り始めたんですが、ちょっと行き詰ってしまって」
「そうなんだ。それで今は、他のメンバーたちと交流はあるのかい?」
「ケヴィンとジムは高校を出た後、親の店を手伝ったり会社に勤めたりしたんで、あまり付き合いがなくなりましたが、ボブとフィーナは今でも親友ですね。ただ……」
 チャールズは少し顔を赤くし、付け加えた。「俺、フィーナには振られちまいました。ボブとくっついて。でも、友達ではいようってことになったんです」
「そうだったんだ。君は彼女が好きだったんだ。ブロンドの、けっこう可愛い子だったね」
「ああ、あいつのブロンドはブリーチなんですがね。地髪は茶色なんですが、トリビュートやってたんで、いわゆるコスプレで。青い付けまつげに青のカラコン入れて。でもほら、三年前にシカゴ公演のバックステージで本物のアーディス・レインさんに会って、もうあいつ吹っ飛んじまいまして、わたしなんかがエアさまのコスプレなんて、おこがましくて出来ない、とか言い出して、カラコンもやめて、髪も地色に戻しちまったんですよ」
「エアさまって……」僕は思わず吹き出しそうになった。
「いやぁ、ホント、あいつはあれからそう呼ぶようになっちまって。元からめっちゃ大ファンなんですが。ボブよりも優先順位はるかに高いですから」
「そうなんだ……」僕は苦笑しつつ言った。
「でも、君もそのうちに可愛い彼女が出来るよ。ああ、でも僕らのクルーになると、そんな暇はしばらくないかな」
「いえ、いいんです。彼女なんていりません! 百万人の彼女より、俺はあなたのクルーの方が良いです。夢だったんです! 本当に! 俺、バンドが解散してからずっと、それだけを心の支えにして、アルバイトして、ギターの練習をして、がんばってきたんです。でもどこかではマイク兄が言ったように、きっと無理なんだろうな、と思っていたんですが、いや、そんなはずはない。あのジャスティンさんなら、きっと覚えててくれると自分に言い聞かせて……ああ、信じていれば、夢は叶うんですね!」
 チャールズは頬を紅潮させながら、僕の手をぎゅっとつかみ、そしてはっとしたように、「すみません、ちょっと興奮して」と、手を離した。
「いや、大丈夫だよ。ただ君を採用するかどうかは、僕の一存では決められないから、ロブとジミーのテストをこれから受けて欲しいんだ。良い結果が出ることを祈っているよ」
 僕は彼の手を軽く叩き、微笑してみせた。

 バンドがリハーサルをしている間に、別のスタジオでチャールズはロブとジミーからテストと面接を受け、僕も最終的に彼の現在の知識や技術を確認してから、チャールズ・ホッブスはジミーの後任として、僕のギタークルーとなることに決まった。それから彼はツアー開始の日までジミーにつきっきりの特訓を受け、僕のセッティングやいろいろな技術を叩きこまれたようだ。そしてツアーの前半はジミーの補佐として、さまざまな勉強をし、ジミーが去った後はついにクルーとして、チャーリーは立派に独り立ちをするにいたったのだった。
 全米ツアーの半ば、ジミー・ウェルトフォードはダイヴァーに参加すべく、正式にクルーを辞任し、去っていった。僕たちはみなでささやかなお別れパーティを催し、感謝とエールを込めて、彼を見送った
「今までありがとうございました、ジャスティンさん。この七年半の間、本当に楽しかったですし、いろいろな経験や勉強をさせてもらって、本当に貴重な日々でした」
 最後にジミーはいくぶん目を潤ませながら、僕に手を差し出した。
「ああ、僕も一緒に仕事をさせてもらって、本当に楽しかったよ。今までありがとう。ダイヴァーでの成功を祈っているよ」僕も手を伸べ、かたく握手した。
 本当はもっといろいろと語り合い、感謝したかった。でも僕は、自分の気持ちを上手く言葉や態度にあらわせるすべを知らない。ジミーとは、ずっと一緒だと思っていた。アイスキャッスルのコンサートの日まで。さもなければ、エアレースが終わる日まで。僕の心の中に、小さな空洞があいたような気がした。そして、もしあの未来世界の知識が現実になった時、ジミーはアイスキャッスルにはいないのだ。それも切ない認識だった。

 最新アルバムのワールドツアー。歓迎も熱狂も豪華な待遇も、賛否色々うるさい外野の騒音も、もうすっかりなれっこだ。でも、これが最後のロードになるかもしれない――今回はその認識が、常に一緒だった。残された時は一年そこそこしかない。全米は最後にもう一度回るだろうけれど、もう来ない都市もある。僕は(おそらく他の四人も)切なさと名残惜しさが入り交じったような気持ちを抱きながら、街から街へと移動していった。

 冬が深まり、クリスマスの五日前に、いったんツアーは休暇のために中断された。最後の降誕祭を楽しむために。今回のクリスマスに関しては、ツアー中に話し合った。今年はそれぞれ個人で、最上の方法で楽しむこと。親戚縁者を呼んで盛大なパーティを催すもよし、家族だけで静かに睦まじく祝うのもよし。とにかく、今まで自分たちが経験した二十数回(ミックやジョージは三十回超えているが)のクリスマスの中で、一際すばらしいと感じることができるようなものにすること。そういう決意を持って家に帰ったのだ。

 今までで一番素晴らしいクリスマスにするためには、どうするか。もうこれが、生涯最後になるかもしれないから。たとえ幸運にしてずっと生き延びることができたとしても、もうこの世界で、こんなクリスマスのお祝いは、できないかもしれないから。だから最後を飾るにふさわしい、最高のお祝いができたら……僕は帰ってきた次の日に、妻に相談した。もちろん理由は伏せて。
 ステラはしばらく考えていたようだったが、こんな提案をしてきた。
「何か特別に印象的なということだったら、昔風のクリスマスをしてみましょうよ。本物のクリスマスプディングにミンスパイ、それにローストターキーもつけて。プディングの中には昔みたいにコインや指輪を入れて、ヒイラギの木も用意して、子供たちにはサンタさんのプレゼント。あなたがその扮装をしてもいいかもしれないわ、ジャスティン。あなたのお家の人たちにわたしのパパとママも入れて、パーティをしましょうよ」
「それはいい考えだね。でも、準備が大変じゃないかい?」
「そうね、あと四日しかないんですものね。トレリック夫人に手伝ってもらうとしても、うちだけでは無理ね。でもパーレンバークの家のほうではスミソンズさんとママがプディングやミンスパイは作っているはずだから、頼めば持って来てくれるのではないかしら。それに、新年パーティのように、あなたのおうちの方たちにもお料理を一品ずつ持って来てもらえば、かなり豪華になるわよ、きっと」
「ああ、そうだね。じゃあ、そうしよう!」
「でもそうすると、この家のリビングでは、それだけの大人数を呼ぶには少し狭いわね」
「そうだね。天気がよかったら、庭でやろうか」
「それでは寒いわ。いくら天気が良くとも、十二月なのよ。庭のツリーは飾るけれど、せいぜい窓から見てもらうだけにしましょうよ。クリスや、お義姉さんのお子さんたちがカゼでもひいたら、かわいそうだわ」
「じゃあ、僕の実家を使う? 君の家でもいいけれど」
「ええ……でもそうすると、わたしたちが主催したとはいえなくなってしまうわ。料理を持ち寄り制にするなら、なおさらよ。なんとかここでできないかしら。ああ、でもうちはビュフォードさんのお家のように、パーラーとリビングをつなげることはできないから、使うとしたら、二階の多目的部屋かしらね」
「ああ、あそこなら、かなり広いね」
 僕は頷いた。三年ほど前に作った、ガレージの上の、サンルーム兼多目的部屋。そこは二階の廊下からそのまま行けるようになっていて、普段はクリスの第二の遊び場だが、たしかにあそこならリビングルームより広い。床にカーペットを敷き、もう少しソファと椅子を置いて、テーブルも置いたら、パーティ部屋に使えるだろう。床暖房もエアコンも備え付けてあるし、あとはヒーターを何台かおけば、暖房も問題ない。サンルームなだけに窓も広く、庭も良く見はらせる。芝生に植えた樅の木のクリスマスツリーや、いくつかのオーナメントも良く見えるだろう。
「あそこだと、何人くらい入れるかしら」ステラは首を傾げ、
「十五人か十六人ってところだね」僕は少し考えてから、そう答えた。
「やっぱりそのくらいね。そうすると……お客さまの数を数えてみましょうよ。わたしたちが三人。両親が二組で四人。これで七人ね」
「ジョセフ兄さんと奥さんで二人、ジョアンナたちが四人でジョイスとクレムと……」
「それだけで、もう十五人よ。でも、わたしの方はパパとママだけだから」
「そうか、じゃあなんとか入りきるかな」
「そうね、小さい子たちもいるから、なんとかなるかもしれないわ」
 招待状は全員に出された。そしてジョアンナの夫、エイヴリー牧師以外、全員が参加してくれた。牧師は姉一家とともに年老いた母の待つ実家へ行くが、『君は子供たちと一緒に、君の実家の方に行くといい。みなさんが集まるパーティなら』と言ってくれたので、ジョアンナもポールとマシューとともに、参加してくれるという。母は詰め物をしたローストターキーを丸ごと一羽提供してくれ、義母はクリスマスプディングとミンスパイを引き受けてくれた。もともとパーレンバーク家のクリスマス恒例レシピなので、もう一週間前から熟成させているらしい。相変わらず、『普段の三倍の大きさが必要ね。もっと早く言ってくれれば良かったのに。熟成が足りなくなるじゃないの」と、義母から文句を言われたが。『コインや指輪を忘れずに入れてね、ママ』と、ステラは電話で念を押していた。家ではケーキを焼き、サラダと小エビのカクテルを作った。ジョセフの奥さんはカスタードパイを、ジョアンナはプラムプディングを、ジョイスはロールサンドをたくさん作ってきてくれた。
 当日、贈り物が交換され、ご馳走が食べられ、陽気なおしゃべりとゲームが繰り広げられた。パーティは無事に終わり、また降りだした雪の中を、お客さまたちは帰っていった。

 パーティの片づけを終えると、リビングルームに降りてきた僕たちは、並んでソファに腰をおろした。クリスはもう子供部屋で寝てしまっている。
「ああ……終わったわね」
 ステラは疲れてはいるが満足そうな吐息をもらすと、僕に寄り添ってきた。
「ご苦労さま。君のホステス役は完璧だったよ」僕は笑って妻の肩を抱いた。
「そうだといいけれど。ああ、本当に疲れたわ。でも、楽しかった、とっても……」
「僕もだよ。こんなに賑やかで楽しいクリスマスが過ごせて、本当に良かった」
「そうね。それにパパとママも、かなり楽しそうだったから、ほっとしたわ」
「そうだね。楽しんでくれたなら良かった。僕もできるなら、お義父さんやお義母さんたちと、うまくやっていきたいよ。好きこのんで喧嘩はしたくないさ」
「結婚は反対されたけれど、もうそろそろ時効よね。それにね、ここだけの話だけれど、パパとママ、一昨年のクリスマスにあなたが贈った『エアレース・バラード集』を、かなり聴いているようなのよ」
「ええ、本当かい? まさか……」
 四年前に僕らが出演した『GreenAid21』を見、そこで演奏された二曲をじっと聞いていたというステラの話を聞いて、僕は一昨年のクリスマスに、義父母に用意したプレゼント――上品な色合いの、おそろいのカシミアセーターに添えて、『よかったら聞いてください。騒々しいのは抜きましたから』と、それまでに出していたアルバムからソフト目の曲やバラードを抜き出して、CDに焼いたものを贈ったのだ。義父母は相変わらず『ふん』と鼻であしらい、ソファに放り投げていたのだが――。
「本当よ。わたしは今も時々実家へは行くけれど。パパやママが喜ぶから。夏に行った時、かかっていたわ。聞いたもの。パパもママも、わたしが来たのも気づかないくらいだったのよ。わたしも曲の終わりを待って、それから声をかけたら、驚いたように慌ててステレオを止めて、パパが『あ、うん……ジャスティン君には、内緒にな』って」
「えっ? ジャスティン君って……」
「ええ、そうなの。パパやママはわたしがいくら言っても、あなたのことをずっと『あの男』としか呼ばなかったのに、『ジャスティン君』よ。少し驚いたわ。そうしたらパパは咳払いをして『いや、うん……これは、なかなか良い。でも、くれぐれもジャスティン君には内緒にしてくれよ』と、また。ママも決まりが悪そうに、少し笑っているだけだったわ。それにママは時々歌っていたし、低い声で……」
「ええ、そうなのか。本当に意外だな」
「でも、あなたには内緒って言われたから、聞かなかったことにしてね。パパやママが、わたしがさりげなく家に置いてきた、あなたがたの最新アルバムをよく聴いているらしいことも、先週実家に行った時、二人ともあなたが贈ったセーターを着ていたこともね」
 ステラはくすっと悪戯っぽく笑った。
「わかったよ。でも嬉しいな。少しでもお義父さんお義母さんたちに、良く思ってもらえたのなら」
「相変わらず意地っ張りだから、二人ともなかなか表には出そうとしないけれど、でもかなり軟化してきているようよ。わたしから見れば」
「それなら良かった。そうだな。もしそうでなければ、うちで、しかもうちの親戚の人たちと一緒にお祝いなんて、来てもらえなかっただろうからね。三、四年前あたりまでは、とても考えられなかったよ。良かった。結婚八年目で、ようやく冷戦が溶けてくれそうなら」僕は安堵とともに頷き、改めてその年月に軽い驚きを感じた。
「そうだ。八年目なんだね。僕らが結婚して……」
「そうね。もうそんなになるのね。来年の結婚記念日も、またあなたはロード?」
「三月か。そうだね。ヨーロッパツアーの真っ最中だ」
「そう。残念ね。帰ってきたら、お祝いをしましょう。あなたのお誕生日も合わせて」
「ステラ……ありがとう」
 僕は妻を抱きしめた。お互いにしばらく沈黙し、言葉のない思いに身をうずめた。なおも降りしきっている雪が、窓から見える。やがてステラが囁いた。
「今年も、もうすぐ終わりね」
「そうだね……」
「来年は、どんな年になるかしら」
 何気ない妻の一言が、いつもクリスマスが終わると言われるこの言葉が、この時ほど鋭く心に突きささったことはなかった。思わずびくっと身体が震えた。
「どうしたの、ジャスティン?」ステラは少し怪訝そうに首を傾げる。
「いや……」僕は笑おうとした。
「来年のことなんて、終わってみないとわからないよ」
「そうね。でも、今年は幸せだったわ。来年もそうなりたいわね」
「そうだね……」
「わたし、時々思うの。未来が見えたらいいのにって」
「僕はそうは思わないな。悲しいことが見えたら、いやだよ」
「でも、楽しいことは見たいでしょう?」
 妻は再び首を傾げた後、不意に笑い出した。
「どうしたの、ステラ?」
「いえね、思い出してしまったのよ。昔、同じようなことを言ったことがあったわ。ほら、あなたがプロになってすぐの秋に」
「ああ、そうだ、覚えているよ。クイーンズパークでね。もう十年近く前のことだ。僕らがプロになって、二度目のツアーに出る前のことだったっけ」
「もう、ずいぶん昔ね」彼女は懐かしむような目で窓の外を見た。
「あれからわたしたち、本当にいろいろなことがあったわね。別れて、仲直りをして、クリスを授かって、結婚して、ルークをなくして、わたしたちの間もおかしくなって、それから、もう一度仲直りできて」
「そうだね。本当にいろいろとあったよ。あのころは僕たち、まだお互い十七才だったね。ずいぶん若かったと思うよ。今は二七才だもの。僕は三月でもう二八だ。考えてみると、ずいぶん大人になったような気がするな」
「あなたたちは、あのころはまだ新人だったけれど、本当に史上最大といっていいほどのスーパースターになってしまったわね」ステラは微笑して言葉をついだ。
「ねえ、あのころのあなたは、今のこの状態を想像していた? 夢に見ていた?」
「いや、想像はできなかったな。やるからには成功したいと思ってはいたけれど、まさかここまでとんでもなく大きくなるなんて、夢にさえ見なかったよ」
「そうでしょうね。わたしも、まったく思ってもみなかったもの」
「おかげで君にも、いろいろ煩わしい思いをさせてしまうね」
「あなたのせいではないし、しかたないわ。それに売れないよりは、売れすぎて困るほうが、ずっといいでしょう?」
「まあね、たしかにそれは言えるよ」僕は肩をすくめた。
「でもね、わたし、このごろ時々思うのよ。あなたたちはこれから、どこへ行くのかしらって。あなたは、もうすぐ二八才だから結構大人になったと、さっき言っていたでしょう。でもミュージシャンとしては、まだまだ若いのではなくて? 四十才、五十才になっても活躍している人も、かなりいらっしゃるわよね。あなたたちと同じくらいの年令の新人さんというのも、決して珍しくはないようだし、まだまだこれからの方が長いわけでしょう。あなたたちも四十過ぎるまで、まだこれだけの勢いを続けているのかしら?」
「四十過ぎるっていうと、十何年先だろ? そんなこと、わからないなあ……」
 僕は初めて考えた。記憶に間違いがないならば、それはありえない話だ。でも、もしそれが何かの間違いで、かりに未来が途切れなかったら、バンドとしての将来はどうなるのだろうか、と。思いをめぐらせた末、僕は答えを出した。
「無理かもしれないね、たぶん。僕たちは突っ走りすぎた。そしてもう、今度のアルバムでバンドとしての到達点に達してしまった。一回ゴールテープを切ってしまったようなものさ。僕たちはマラソンランナーではなかった。最初からスプリンターだったんだよ」
 そうだ。最初から僕たちは十一年という年限を決められ、その中での活動を常に頭に置いてきた。それから先なんて、考えてもみなかった。僕だけでなく、おそらく他の四人もそうだっただろう。僕たちはあの時から、短距離走者であることを宿命づけられていたのかもしれない。
 ステラは僕の言葉に、少し驚いたように目を見開いていた。
「それでは……今のバンドを続けていくのも、そう長くないかもしれないの?」
「うん。そうかもしれないね……」
「それならもし……かりにエアレースが解散ということになったら、あなたはどうするの? この間のように、ソロで活動をするの?」
「いや、ソロはもういいよ。ローレンスさんも、もうすぐ東欧に行ってしまうし、あの時のリズム隊の人たちも、彼抜きでは、やっぱりちょっとしっくりこないんだ。それに結局ロビンやジョージたちと一緒にやってしまったくらいだから、僕はきっとエアレースの枠からは動けないと思うよ」
「そう……」
「ああ。だからきっと音楽に関わるとしたら、新人のプロデュースとか、そういうことの方が興味はあるんだ。ローレンスさんみたいにね。でも僕は基本的に人見知りだから、難しいかもしれないな。ギターはやっぱり、ずっと弾き続けていくと思うけれど……ああ、でも今はまだバンドは存続しているのだし、ツアーもまだまだ控えてるしね。今のところは、そのことだけしか考えられないよ」
「そうよね……」彼女は首を振り、やがて笑顔に戻った。
「ごめんなさい、変なことを聞いてしまって。気を悪くしないでね」
「別にかまわないよ。君もバンドの将来を心配してくれているわけだしね」
「ええ。でもわたしの心配は、たぶんあなたが思っていることと、少し違うわ。あの……いわゆる仲たがいで解散したり落ち目になったりというような……そんな心配はほとんどしていないの。お金の心配はもう一生しなくていいわけだし、現役を退いて悠々自適で暮らしていけたらいいと、思うくらいですもの。去年のオフは、本当に幸せだったわ。でも、あんな穏やかな日々がずっと続いてくれたらいいと思うのは、わたしのわがままよね」
「いや、僕もそう思っているよ」
「よかった。でも今、わたしが心配しているのはね。今の調子でずっと行ってしまうのは、怖いということなのよ。あなたたちの人気はあまりにもものすごくて、あまりに影響が強すぎて。だから、また恐い事件が起こったらと思うと、気が気じゃないの」
「うん。気持ちはわかるし、ありがたいと思うよ。でも、大丈夫さ……たぶんね」
「あなたたちは本当に特別だわ。ただのロックというより、とっくに人間の領域を越えている感じがするの。今度の新しいアルバムを聞いて、本当にそう思ったわ。もう半分、神さまの領域に行ってしまっているようよ。なんだか恐いくらい。だからいろいろな怖いことも起きて来てしまうのではないかと、そんな気もしてしまうほどなの」
「神様の領域か。いや、まださすがにそこまでは行っていないと思うよ。結局、僕らは人間だからね。いや、人間の領域は超えたのだろうね。でも、さすがに神ではないな。人間と神の中間領域、といったところだろうか。それでも僕みたいなただの人間にとっては、結構怖いものがあるけれどね。僕らを人間以上の領域に引っ張っていったのは、エアリィだ。だけどさすがに彼でも、神の領域までは行けないよ。エアリィには人間以上のものはあるかもしれないが、決して神ではないからね」
「ええ……そう……なんでしょうね、たぶん。でも……」
「そうだなあ。でも僕も、感じているんだ。彼にもそれ以上は行けない、ということは、やっぱり今以上には、進めないんだ。……どっちにしても」
 僕たちはしばらく黙って窓の外に降りしきる雪を見ていたが、やがてステラが僕を見、にっこり笑って口調を変えた。
「来年も、いいことがあればいいわね」
「そうだね……」こう答えるのが、ひどく苦しかった。
「幸運のコインは、あなたにあたったのよ、ジャスティン。来年はもっといいことがあるかもしれないわ」
「でも僕はもう、これ以上の良いことは望まないよ。今年は幸せだった。去年も、その前の年も。僕はこの幸せが来年も続いてくれたら、それで十分だ」
「そうね。わたしも今が幸せよ」彼女は再びにっこり微笑むと、言い足した。
「でも、もうひとつだけ、お願いしたいことはあるけれど」
「……赤ちゃんかい?」
「そうよ。本当に、もう一人ほしいの。クリスはパービーが来てから満足しているけれど、わたしは人間の兄弟を持たせたいのよ。あなたはお兄さまもお姉さまも、ジョイスさんもいらっしゃるわ。でも、わたしは一人っ子だったから、兄弟にあこがれていたのよ」
「君の気持ちはわかるよ。でも、それこそ授かりものだからね、子供は」
「ええ。それはたしかにそう思うわ。でもね、ルークが授かってから、もう五年以上もたつでしょう? なのにあれから全然駄目なのは、流産の影響ではないかしらと、最近考えているの。だから思い切って、エヴァンス先生に診てもらおうと思っているわ」
「そこまでする必要は、ないんじゃないかい」
「でもね、セーラもなかなか赤ちゃんが授からないから、病院へ行ったと言っていたわ。あの人も前に流産の経験があるから、心配だったのですって。それで検査してもらったら、やっぱり少し問題があって、今、治療しているらしいわ。だから、もしわたしもどこかに問題があるのだとしたら、手をこまねいていないで、治したいのよ」
「うん……まあ、そうかもしれないね」
 僕はあいまいに頷いた。たしかにステラがもう一人子どもを欲しがるのは無理もないと思うし、僕だって事情が許せば望みたいが、もう破滅へのカウントダウンが近付いている今は、どうしても心配の方が大きくなってしまう。かといって、それを説明することができない以上、ステラの熱望に僕はただ頷くしかない。
 雪が降り、世界を埋めていく。いつもと変わらない平穏な一年がすぎていく。でも現存するこの世界では、これがもう最後になるかもしれない――。
 怖い! 不意にぞっとするような恐怖を覚えた。今までは未来の出来事として、漠然とした不安と恐れしか抱いていなかったものが、もう残された時が一年を切った今、急にリアルなものとなって襲いかかってくる。我知らず、身体が震え出した。
「寒いの、ジャスティン? ヒーターを強くしましょうか」
「いや、いいよ。なんでもない」
 僕は手を振り、妻に笑顔を見せた。どんなにヒーターを強くしたところで、この寒気が消えることはないのだ。
「カゼでもひいたのかしら」ステラは心配げに僕を見ている。
「そうかもしれないね」
 僕はどうしても震えを止められず、そう言いわけするしかなかった。

 クリスマス休暇のために中断されていたツアーは、大晦日から再開した。久しぶりの年越しコンサートだ。いつもなら新しい年の交代を、家で家族と一緒に見守っているほうが好きだ。でもこの年だけは、もしかすると最後の年になるかもしれないこの年は、長年応援してくれた地元のファンたちと一緒に見送りたかった。
 フロアをオールスタンディングにして、スタンドの立ち見もかなり入れたため、定員をかなり超えた八万人の大観衆で膨れあがったスタジアムで、定刻より少し遅い八時半からコンサートをスタートさせた。十二時が近づき、やがてカウントダウンが始まった。運命の年への秒読み。八万人のファンたちの声が、ドームに響き渡る。
「5――4――3――2――1――0!」
 十二時の鐘が鳴り、“Happy New Year”の声が、膨れ上がって轟いていく。ゆっくりとドームの天井が開き切って、観客たちの上にもステージの上にも、雪が舞い込んできた。降り込んでくる雪の中を、無数の風船が空に舞い上がっていく。暗い空に花火が上がり、その中を赤や黄色、青、ピンク、白、さまざまな色の風船が、吸い込まれるように消えていく。降りしきる雪がライトを反射して、きらきらと七色に光る。
 外の空気が入ったせいだろうか。不意に鋭い寒さを感じた。アイスキャッスルの野外コンサートも、こんな寒さだろうか。運命の日――それを考えるのは恐ろしい。僕は年越し恒例の『蛍の光』を演奏しながら、じっと七色の雪の舞を見つめていた。
 遠い日の光景が頭をよぎる。もう十二年も前、まだ健在だったスィフターのコンサートを初めて観に行った帰り、ロビンと一緒に見上げた夜空。こんなふうに雪が舞っていた。街灯の白い光に照らされて。あの時、『ミュージシャンになりたい』という強いインスピレーションを感じ、決意した。あの時、すべては始まった。
 そして今、終焉の淵に立って、僕は再び夜空の雪の舞を見つめる。十二年の時は、僕たちの立場を、天と地ほどに変えてしまった。そして、世界はまもなく引っ繰り返ろうとしているのか。でもそのことは、まだ誰も知らない。僕たち六人以外は――。
 僕は考えを失い、ただ祈りの言葉を呟いていた。この年が無事に暮れるなら、何も惜しまないだろう。あの時、あの雪の夜の決断から、すべては始まっていたのだろうか? いや、たぶん、もっと前――僕が僕になる前に? この運命のカウントダウンは、本当はいつから始まっていたのだろうか――。




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