Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

十年目(1)




 また一年が過ぎた。残りは、もう二年足らず。運命は、すぐそばまで近づきつつある。恐怖はたくさんだと思いながら、どうしても考えてしまう。特にクリスマスやニューイヤーになると、痛切に思わずにはいられない。この時は、あと何回味わえるのか、と。
 クリスマスや年末年始はステラやクリスとともに過ごし、その後僕は再び自分のプロジェクトに戻った。今年は休暇中ということで、恒例の新年パーティもなかったので、新しい年になって四日目には、もう作業再開となる。クリスマス休暇に入る前に、レコーディングはほとんど終わっていた。あとはミックスダウンを残すだけだ。

 レコーディングは一ヶ月ほどスタジオに泊まり込み家族と離れたが、ミックスダウンは市内の自家用スタジオなので、家から通った。この年は珍しく雪の少ない暖かな冬だった。ミックスダウン中、ミックは何回も陣中見舞いに訪れ、ロビンとジョージも時々やってきた。完全休養となって十ヶ月が過ぎ、そろそろ二人とも、音楽が恋しくなってきたのかもしれない。ジョージの場合、冬場は小麦畑もお休みだし、放牧できないので家畜たちの世話も完全に雇い人任せとなり、暇なせいもあるのだろう。
 年が明けて十日ほどたったある日、たまたま三人の訪問が重なり、奇しくもスタジオにバンドのインスト四人とローレンスさんが揃うことになった。レコーディングでリズム隊をやってくれた二人は、ミックスダウンには参加しなかったので、ローレンスさんはこんな提案をした。
「今ミックスしている曲ね、どうだい、一回この五人でやってみては」
 それは、まったく愉快なアトラクションだった。アルバムに入れるつもりはなかったが、エクストラトラックとして録音したりもした。
「やっぱり楽しいな、演奏は。俺も、そろそろ戻りたくなってきたぜ」
 ジョージが笑いながら言い、
「うん。やっぱり音楽は最高だね」ロビンも目を輝かせる。
「でも、完全なAirLace復活は、あと半年待たないと、だめだけれどね」
 ミックの口調には、かすかに焦れたような響きがあった。
 みんな、そろそろバンドが懐かしくなってきたのだろう。実際、僕も自分のやりたかった自分だけの音楽、それが実現できた今は、またバンドに戻りたくなってきている。音楽の陶酔、高揚感、それは今でも十分得られているし、このメンバーで少しライヴもやってみたいな、という思いもある。だが、あのエアレースでの突き抜け方には、とうてい及ばない。今さらながらにアーディス・レインの存在は大きいのだと、感じないわけにはいかなかった。もしエアリィが今フリーの状態で、彼もまたそろそろ戻りたいと感じているのなら、二、三月あたりには予定を早め、再始動となったかもしれない。しかし彼は五月まで、スケジュールは空かない。
 エアリィは今、Aqualeaのメンバーとして活動中だ。しかも彼が九月下旬にスタジオ入りしてからは、ほとんど音信不通状態だった。彼らのレコーディング作業は、プリプロダクションからミックスダウンまでずっと、SBQのホームスタジオであるフロリダで行われ、集中力を乱さないためにという理由で、ほぼ外部をシャットアウト状態だったのだ。その間はマネージメントですら、なかなか連絡が付かず焦れていたらしいが、二週間ほど過ぎた頃、向こうのマネージャーからお詫びの電話があったという。
『彼らはいつもレコーディングの時には、そうなるんですよ。我々も入れないんです。巻き込んでしまって申し訳ないですが、彼らはとても彼を尊重していますから、信用してください。お願いします』と。
 本当に文字通り相手を信用するしかなく、一抹の不安を抱きながら待っていたところ、十月の終わりにようやくエアリィから『連絡つかなくてごめん。あのスタジオ、島にあるせいか、携帯の電波入らないんだ。今、ウェストパームビーチに来てるから、買い物に。夕方、また戻るけどね。僕は全然大丈夫だから、心配しないで!』と、カークランドさんに電話が入ったらしい。普段常に一緒のチームA、カークランドさんやジャクソンですら、置いてきぼりを食らったようだ。途中でのべ二週間くらい、プロのエンジニアが入ったらしいが、基本はほぼ四人だけの作業だったらしい。レコーディングは十一月下旬にアップし、年明けにアルバムリリースの予定らしいが、その合間の休みには、映画のアフレコのため数日ロスに行き、二週間ほどは家族と旅行に出かけたらしい。
 年末になって、ロブ経由で間接的に僕らに連絡が来た。アクアリアが一月下旬からツアーに出るが、アルバム一枚のマテリアルでは、インストで引っ張っても二時間もいかないので、エアレースの曲を数曲拝借してもかまわないかという打診だ。なんでもSBQの曲は三曲ヴォーカルパートを付けてシングル用ボーナスとして収録したので、エアレース側からの曲も、ライヴという形ででも、入れてみたいと。わざわざ僕らにことわってくるところがエアリィらしい。自分で作った曲でも、バンドの産物なのだからみんなの共有財産だ、そんな意識を彼はずっと持っていてくれるのだろう。その思いに感謝をこめて、もちろんかまわないと僕は答え、どうやら他の三人も同じ返事をしたようだった。しかしOKはしたものの、僕らのナンバーをSBQの三人がどういうアレンジをかけて演奏するのかと思うと心中はかなり複雑だし、なんとなく聞くのが怖いような気もしていた。

 その後しばらく音沙汰がなかったが、おりしも僕ら四人が揃ったその日の午前中に、エアリィから手紙が届いた。普段はメールだが、今回はCD同封だからだろう。消印はトロントではなく、ロードアイランドだった。
【ヤッホー、ジャスティン。元気? ソロの調子はどう? こっちは今のところ、アルバムのマスターが完成して、取材やらビデオ撮りやら、そういう煩わしいこともやっと一通り終わって、半分忘れかけてた映画のアフレコも済んで、今半オフ中だよ。それでアデルと娘たち、それにエステルと一緒にスイスにスキーに行って、今はニューポートに来てるんだ。プロヴィデンスの友達にも会えたし、楽しくやってます。(うーん。月並みな表現だな) 二週間後にロードが始まるんで、来週からリハーサル始めないといけないんだけどね。休みも終わり。あー、もっと遊んでたい! けど、仕方ないね。
 遅ればせながら、CD送るよ。セルフプロデュースだったけど、曲作りからミックスダウンまで、二ヶ月半で出来たんだ。SBQの人たちは感覚的なアプローチだから、遊んでる時間も多いんだけど、まとまりだすと早いんだよ。一日で一曲出来たりさ。でも、こんなタイトルだからって、誤解しないようにね。六月までに、一度くらい会えるかな? ソロが完成したら、送ってくれるとありがたいな。楽しみにしてるから。じゃ、BYE!】
 そして、こんな追伸がついていた。
【ロードで演奏するエアレースのナンバーは、三、四曲になる予定。『Parade』と、『Far Beyond』と、『Beyond the Night』これは決定。あと、もしかしたら、『Cloudburst』が入るかも知れない。みんながOKでよかったけど、バンドのナンバーをアクアリアのメンツでやるのは、違和感かもなあって気もしてるんだ。あっ、最初に言い出したのは、僕じゃないからね! メイビスさんなんだ。エージェントはたまたま両方同じだったから、変えてないんだよ。考えてみたら、あの人とも長いつきあいだよね】
 やっぱりな、と思わず苦笑した。それにしてもタイトルを誤解するなとは、どういう意味だ? そう思ってCDを見ると、ジャケットは水彩、いや、たぶんパステルペンシルで描いた絵だ。一面の水。青く透明に揺らめく空間に、生まれたばかりの赤ん坊が浮かび上がるところ。幻想的でもあり生命感に満ちたこのデザインは、いったい誰のものだろう。少なくともサイケデリックなSBQ側のイメージとは違いそうだが、僕らのジャケットを描いているハーバートさんとも、タッチが違う。
 絵の隅に、小さなサインがあった。Arthis Reine――あっ、これはエアリィが自分で描いた絵か。彼はサードアルバムの制作時、バンドロゴを完璧なタッチで再現してみせた。その気になれば、ジャケットくらい軽く描ける絵心もあるのだ。そういえば以前、絵が描けるんだな、と言った時、『映像を写すだけだから、簡単じゃない?』と、あっさり答えていた。そんなことが言えるのは、彼だけだろうが。エアリィの二人目の子供、ティアラは水中出産だったというから、その時のシーンをスケッチしたものかもしれない。アルバムタイトルは『Birth』──なるほど。誕生ということは先がありそうだと、一部には誤解を招くかもしれない。だからか。でも誤解するなというからには、エアリィにはアクアリアをパーマネントなバンドにするつもりは、ないということなのだろう。
 僕はスタジオに出かける前に、郵便を受け取った。でも全部を聴いている時間はないし、作業の合間にでもゆっくり聞こうと、手紙だけ読み、CDは持って出かけた。ジョージとロビンのところは、たぶんセント・キャサリンズの方に送られたようだが、ミックのところにも、ほぼ時を同じくして届いていたらしい。そして彼もやはり、僕と同じように考えたのだろう。同じサンプルCDを持ってきていた。しかしその後も、即興セッションに興じたり作業を進めたりで、なかなかCDをスロットにかける機会はない。でもその気があれば、みんなが集まった時点で、ちょうど良いから聴くこともできたのだ。実のところ、僕らにはその勇気がなかったのかもしれない。
 エアリィのサイドプロジェクトには、僕らにとってもちろん期待もあるのだが、やはりそれ以上に複雑な思いが絡むようだ。SBQへのライバル意識かもしれないし、エアリィもやはり僕らのバンドの一員なのだから、他のバンドを率いて欲しくはないという、不当な束縛意識なのかもしれない。さらには、もし新しいコンビネーションが自分たちより上だったら、という恐れもあったのだろう。
 だが、思いがけないところで、僕らは再会することになった。その夕方の休憩時間に、ラウンジのテレビで。

 テレビはミュージックチャンネルだったが、ほとんど聞いてはいなかった。それでも自分たちの曲がかかると見てしまうが、それ以外はまったくのBGMとして聞き流しながら、お茶を楽しんでいたその空間に、突然洪水のようなギターサウンドが切り込んできた。みな思わずびくっとしたように頭を上げ、話を中断してテレビに眼をやった。シルーヴァ・バーディットだ。浅黒い肌に長い黒髪を振り乱し、赤の短いタンクトップに黒のレザースパッツ、極彩色のスカーフを頭と腰に巻き、首には三重のシルバーチェーン、両腕にタトゥーという、相変わらず派手な姿だ。音もそれに負けず派手だ。でも、とてつもなく素晴らしい。思わず鳥肌が立つほどに。でも彼が出ているということは、これはSBQのビデオなのか? それとも、ひょっとして――?
 画面の隅に出てきたバンド名とタイトルを確認し、僕は思わず身構えた。Aqualeaのアルバム先行シングル、「f(Forte)」のプロモーションビデオだ。彼らには、かなりの露出が最初からついて回る。AirLace同様、音楽チャンネルをつけていれば必ずかかるだろうことは、当然予期できたはずなのだ。それにしても、イントロからこの迫力。怒濤のようなリズム隊とギターでびっしり埋め尽くされたこの空間に切り込むのは、容易ではないだろう。そう、普通のシンガーなら。でもエアリィには、そんな危惧は無用だ。登場して来るや、彼はあっという間に楽器群を従えてしまった。まるで暴れ馬を楽々乗りこなすロデオのように。その姿は、僕らのバンドで歌っている時とは、かなり違う。髪がちょっと短くなったせいか、衣装のせいか、それともサウンド自体の変化の影響だろうか。
 エアリィはミュージカルに出る時、肩を覆うくらいの長さに髪を切った。映画出演でさらに肩に触れる程度の長さに切り、そこからまた伸ばしたのか、アクアリアのバンドショットでは、ミュージカルの時より少しだけ長いくらいになっている。そしてMVでは、胸の上あたりまで伸びていた。その上から虹色に光る長いスカーフを巻き、同じく光る素材でできた、鮮やかな濃い水色のオーバーシャツ。相変わらずゆるみを持った長めのシルエットだがストレートラインで、胸元は深めのVカット、そしてフレンチスリーヴだ。この手の青は色の白い金髪系の人にしか似合わないだろうと普段から思っているので、僕は着たことがないが、彼はまさに典型的なはまり方だ。それに目の色とも調和する。AirLaceでも白についで、濃淡の差はあれ、水色系は良く着ていた。短くても半袖だが。それに、白いサテンのハーフレギンス、ピアスやタトゥーはさすがにしないが、首には二重に巻いた金のチェーン、右手に金の三連ブレスレット。彼にしては露出度が多い、ずいぶん派手な格好だ。あとの面々とのバランスを考えてのイメージチェンジだろうが、その姿はエアレースのエアリィではなく、アクアリアのアーディなのだという感じを、強く抱かせた。そういえば、シルーヴァ・バーディットは記者会見で、アクアリアにおいては、アーディスをエアリィとは呼んで欲しくない、と言っていたことを思い出した。
『それは、もうひとつのバンドに属するものだから』と。エアレースからのファンには――特に女性ファンには、その要請は無理だろうが、シルーヴァは新しく得た相方のホームの残像を、切り離したかったのだろう。だが、その言葉に僕はひそかな反発を覚えたものだし、他の三人も同様だったようだ。当の本人は、『あー、僕はその辺、そんなにこだわってないんだけど』と、ちょっと肩をすくめていただけだが。
 アクアリアのヴィジュアルは、バンドショットが出た時から、巷で『美女と野獣たち』と言われていたが、画面で見ても、そんな感じだ。だが、決してアンバランスな印象にはならなかった。むしろ非常に強いインパクトと効果を与えている。それにもまして四人の力のぶつかり合いの凄まじさ、恐ろしいまでのテンションは今までのSBQにはないし、AirLaceにもなかったろう。思わず全身が総毛立ち、震えた。なんという、ものすごいインパクトを放射しているのか。それでも曲の主題、エアリィが放射している有言無言のメッセージは相変わらずダイレクトに飛び込み、心を揺り動かす。アクアリアでもやはり、彼はモンスターなのだ──。
 ビデオクリップが終了し、別のアーティストのものになった。だが、彼らのあとでは、思いっきり間が抜けて聞こえる。僕らはテレビを消し、黙り込んだ。たっぷり二、三分くらいは、みんな沈黙していただろう。
 ローレンスさんが深いため息とともに、口火を切った。
「はあ……さすがだね、としか言いようがないね。予想以上だ……」
「エアリィの奴、半分別人みたいだな」そう言ったのはジョージだ。
「でも、はまりすぎてて怖いよ」と、ロビンが首を振る。
「なんだか……このままAirLaceが空中分解したら、イヤだね。そんなことはないだろうけど……」
「ないだろうさ、絶対」僕は強く頭を振った。
「でも、なんだか本当にCDを聴くのが怖くなってきたな。シングルでこれだ。アルバム全体じゃ、どうなんだろう」
「でも、ちゃんと聴いてみる必要はあるね。CDは持ってきたんだろう?」
 ローレンスさんの言葉で、僕らは初めてAqualeaのCDを聴くことになった。
 感想を簡潔に書いてしまえば、バンド以外の音楽で、これほどのインパクトと感動を受けたのは初めてだ。AirLaceともSBQとも違う、両者の融合が生み出した、紛れもない最高傑作だ。アルバムの幕開けとなる『f(Forte)』からラストの『A Bland New World』までの十曲、六五分間の、息もつかせぬ激流。しかし力で押し切るような単調さは微塵もなく、非常に起伏の激しい、緩急自在の流れになっている。『Bloody Sunrise』の僕らのどの作品よりも強いへヴィネス、どういうチューニングをやっているのだろうと一瞬考えてしまうほどの『Colorful Psyche』の混沌、まるで慟哭するようなパワーバラードの『In a Long Lasting Night』、疾走感が圧倒的な『Wheels in Motion』深い絶望から一筋の光がさしてくるような『Between Dusk and Dawn』、そして最終トラックのすべてを振り切って昇っていこうとする力。誕生というタイトルが語るものは、混沌の中からもがき生まれる希望。
 その凄まじい衝撃力、混沌の深さの中から激しく押し出されてくる強い上昇力は、エアリィが表現したかった、もう一つのコンセプトだったのだろう。僕らには、おそらくこれほど完璧には体現できなかったに違いない。僕らは混沌を知らない。深い絶望も知らない。SBQのメンバーならできる。彼らはみな、一度は地獄を見た人たちなのだから。だからこそ成しえたコンセプトだ。その音楽はリスナーを異様な深い感動に突き落とすことは、間違いない。でも僕らが素直に思いきり感動できないのは、あたかも自分たちのバンドの音楽を、裏返しから聴いているような気分のせいだろう。僕らはみな非常に心を動かされ、かき立てられながら、同時に妙に落ち込んだ。
 バンドの中心人物がソロ活動をする、それはわりと良くあることだ。他の人とのサイドプロジェクトをするのも。だが、ほとんどは『バンドの方がいい』という評価に終わり、メンバーは何となく安心したりする。もしエアリィとSBQとのジョイントが、僕らの過去の作品より、わずかでもうまく行かなければ、僕らとのコンビネーションの方が自然で、エアリィにとっても最大限自分の持ち味を発揮できるものであるなら、安心できただろう。でも恐ろしいことに、Aqualeaは僕らのバンドと、まったく同等のクオリティをキープしている。いや、インパクトの上では勝っているだろう。アグレッシヴさとセクシュアリティ、これも完全に僕らの上を行く。
 その日はあまりに衝撃が大きすぎて、自分の作業をする気が失せてしまった。あれほど満足して作り上げたはずの作品が、おとなしすぎてつまらないと感じてしまう。結局その日はAqualeaのアルバムを何度か聴き、ため息と苦笑ののち、家に帰った。

 でも、ここでめげては情けなさ過ぎる。僕は翌日、もう一度スタジオへ行った。ローレンスさんとロブも来ていて、ミックもいる。ロビンとジョージもトロントの家に留まったようで、スタジオに顔を出していた。
「今日は徹底的に話し合った方が良さそうだね」
 ローレンスさんが苦笑しながら、そう言い出した。
「作業はそれからでも良い。ともかくみんな、昨日のように自信喪失状態でいたら困るよ。本当にエアレースが空中分解しかねないからね」
「ここまで来て、こんな事態になるとはな」ロブは複雑な表情だ。
「まったく、あと一息でバンドのピークに達する、最後のダッシュに備えての活動休止期間じゃなかったのかい?」
「そのつもりだった。いや、今でもそうさ」僕は首を振った。
「じゃ、もう一度自分の足元を見なければね」
 ローレンスさんは微笑し、僕らを一人一人見た。
「たしかにアクアリアは素晴らしい。君たちがショックを受けたわけはわかるよ。アーディス・レインという音楽的モンスターの完全な受け皿が、君たち以外にもう一組存在したということがね。だが、それ以上深くは考えないことだ。人は人だ。君たちはSBQじゃない。エアリィが最終的に君たちよりSBQを選んだら、という危惧を感じているとしたら、それは彼に対する信頼が足りないと言うべきだろう。どちらも完璧な受け皿には違いないが、シルーヴァ・バーディッツ・クエイサーとエアレースのインスト四人は、明らかに持ち味が違うんだ。同列に考えるべきじゃないね。ジャスティンがシルーヴァのような格好をして、ああいうスタイルのプレイをしても不自然だろうし、逆に彼がジャスティンのようなスタイルでやっても、はまらないだろう。つまり、そういうことさ。二人とも天才には違いないが、志向するスタイルはまるで違う。それがバンド全体の違いにもなっているんだ。たとえばだ。僕は今日、SBQのアルバム、純粋なインストのアルバムを一枚、持ってきてみた。彼らの二枚目だが、たとえば、この四曲目の『Atonally』これでも良い。ちょっとカヴァーしてごらん」
「カヴァーですか?」
「そうだ。向こうだって、君たちの曲をカヴァーするわけだろう。君たちがやっていけないことはない。アクアリア版エアレースの曲を聴けば、もっとはっきりわかるだろうが、今は逆のサイドからやって見るんだ。SBQ曲のカヴァーをね。ただし、コピーじゃない。自分の感性を入れる。キーボードは入っていないから、ミックは自分でパートを付け加える必要があるね。ちゃんとできたら、試しに録音してみよう。どういうものができるか。そして、聴き比べてみると良い。オリジナルと君たちのカヴァーバージョンを。そうすれば、お互いの特性の違いがはっきりわかると思うよ」
「わかりました」
 僕らは頷き、言われたとおりやってみた。まず曲を聴き、自分流の解釈も入れてカヴァーする。起伏が多く、変拍子、リズムチェンジ、ポリリズムといった仕掛けもたっぷり入った、かなり難易度の高い曲だ。でも自慢ではないが僕らも、難しすぎてカヴァーできない曲などない、そう言えるくらいの技術はあるつもりだ。一、二時間ほどで全員がマスターし、その上でアレンジを少し変えた。ミックは新しいパートを付け加え、演奏がこなれてきたところで、録音に挑んだ。そして、出来上がったものを聴き比べてみる。
「ああ!」
 全員が、声を上げた。音の違いは一目瞭然だ。SBQのオリジナルは攻撃的でシャープな、密度の高いきらびやかな音だ。だが僕らのバージョンは、派手にエッジが立たない。インパクトはSBQの方があるだろう。でも僕らの音には繊細さがあり、伸びやかさがある。インストだけを単純に比べて見れば、単に特性の違いでしかなかった。それがエアリィのパートナーとしてコンビを組んだ時、AqualeaとAirLaceのサウンドの違いとなって現れたに過ぎない。
 インスト陣の特性の違いをエアリィが自分のカラーに取り込んで反映させた結果、両者の音像の違いは増幅した。アクアリアの音像は派手さとインパクトで勝っていたために、最初圧倒されたのだが、試しに『Vanishing Illusions』や『Polaris』といった自分たちのアルバムと聴き比べてみると、僕らも決して負けてはいない。エアレースにはエアレースの音がある。それはどちらが勝るとか劣るとか、そういう問題ではなく、単にサウンド特性の違いだ。
 そう確信できた時、やっと僕は自信を取り戻すことが出来た。同時に決心した。もっと自分の特性を最大限に磨き、再びAirLaceとして結集した時に、より輝いて反映させようと。そのために、もっと精進しなければ。
 僕だけでなく、他の三人も同じだったようだ。数日後、ジョージは早々とセントキャサリンズの家と農場を雇い人にまかせて、トロントに戻ってきた。その翌日には、ロビンも隠れ家から引き上げてきた。
「農場経営は、もうちょっと年をとってからでいいさ。俺は今、猛烈にやりたい気になってきたぜ」ジョージは断固とした口調でそう宣言し、ロビンも頷く。
「やっぱり、僕たちはバンドで演奏している時が、一番幸せだね。それにまだ小説を完成させるには、機が熟していないよ」と。
「僕も今は、聴講しているゼミが一つしかないから、もっと音楽に時間を割けるよ」
 ミックの口調な静かだが、隠し切れない熱がこもっていた。
(六月までに、もっと自分の特性に磨きをかけて、レベルアップしよう)
 僕も含め、それが全員の思いだったに違いない。アクアリアに負けない、エアレースの音楽を作るために。
 より満足できる結果を求めて、僕も何曲かレコーディングをやり直した。二曲新規に追加もした。ソロなのだからメンバーは固定でなくとも良いし、何もバンドの人と一緒にやっていけないという制約はないはずだと開き直り、ジョージやロビン、ミックと一緒に、何曲か録音した。そこにローレンスさんが加わる形で。作業は予定よりかなり時間がかかり、マスターが完成したのは、二月の半ばだった。
 配給会社にマスターを渡す時、担当のA&R部長であるシュレーダーさんに、名義について聞かれた。ジャスティン・ローリングスとしてのソロ名義で出すのか、暫定的なバンド名を付けるか、と。僕はしばらく思案した。たしかにソロとして始めたことだが、これだけみんなの手を借りている。自分一人だけでは、とうてい成しえなかったものなのに、何もかも自分で背負って立つようなソロ名義にするのは、おこがましいような気がした。ことにローレンスさんにはアレンジから演奏、プロデュースまで全面的にお世話になっている。しかしリズム隊は彼に紹介してもらった二人と、エアレース本来の二人の二組が参加しているので、一括したバンド名は付けられない。そこでローレンスさんと二人の名義にしようと打診したら、ローレンスさんは今さら自分の名前を表に出すのは、やめてくれと強く言う。結局悩んだ末、みんなの意見も採り入れて、Justin Rollings Project、略してJRPに決めた。略し方といいSBQみたいで、なんだか安易だなあという感もあったが、プロジェクトのつかない個人名義よりは、みんなの存在をアピールできるのでは、というのが採択の理由だ。タイトルもしばらく考えた末、『Circle』──そう決めた。それは始まりも終わりもない、完全な形だ。

 アルバムリリースは三月の末になった。そのため、ライヴをやる期間は一ヶ月半くらいしかないし、ローレンスさんもちゃんとしたツアーは勘弁してくれと言うので、いくつかの都市を回って、ギグをするだけにとどめた。イギリスや日本などいくつかの海外オファーもあったが、時間がないので遠慮した。
 トロント、モントリオール、オタワ、バンクーバー、ニューヨーク、シカゴ、ボストン、デトロイト、ロサンゼルス、シアトル、サンフランシスコ――リストに上がったこれらの都市で、四月上旬から一ヶ月で十八回公演。AirLaceの時に比べれば、かなりゆったりしたペースだ。それもすべて千人弱から多くて千五百人くらいの、大規模クラブや小さなホールで行う。エアレースや現在ロード中のアクアリアのスタジアムツアーから見れば、観客数は一桁違うどころか、場合によっては二桁近く違い、当然ギャラも多くないが、僕個人としては、すべての観客が見通せる小さなホールでのプレイは、新鮮だろうと思えた。気の合う仲間たちと楽しく演奏しあうという嗜好にも、合っているように感じられた。

 三月の半ばに、サンプルCDが完成した。ジャケットに顔を出すのは勘弁してくれと、最後まで抵抗したのだが、シュレーダーさんはあくまで主張した。
「君の場合、名義だけでなく、ジャケットに顔写真を入れた方が、買い手も認識しやすいのではないかな。あっ、エアレースのジャスティン・ローリングスだ、とね」
 それだと全面的にバンド人気に頼っている感じになるじゃないか、とあまり気分は良くないが、結局ローレンスさんと二人、ギターを構えた、ちょっと恥ずかしいショットになってしまった。(これにはローレンスさんも決まり悪がっていたが、僕がどうしても一緒に撮ってくれと拝み倒して、道連れにした。ただし、前面に出るのはあくまで拒否されたので、僕が正面でギターを構え、その後ろからローレンスさんが斜めに構えて映っている)
 完成したCDを僕は自宅のステレオで、ステラと一緒に聞いた。彼女はまずジャケットの僕がりりしいなどと恥ずかしいコメントをし、何回も熱心にCDを聞いたあと、真剣な口調でこう言ってくれた。
「素敵なアルバムだわ、ジャスティン。とてもあなたらしい。暖かくて、ほっとする音よ」
 それを聞いた時、僕はたとえ数千人の評論家たちにけなされたとしても、なお自信を持っていられるような気がした。実際は大いに安心したことに、彼らもたいてい好意的に受け止めてくれたが、妻の賛辞は評論家たちのどんな誉め言葉よりも僕の励みになったし、『地味だ』『華がない』『内輪で盛り上がっているだけ』等々といった一部の批判にも、心を動揺させずにすんだ。

 妻の是認を得た僕は、ついでもう一部CDを取り寄せた。どんな批評家より、もっともその評価が気になる人――エアリィに送るために。でも彼はロード中なので確実に送り届ける機会がなく、アクアリアがツアーの中休みで一時トロントに戻ってきた三月末になって、やっと直接本人に会って手渡した。この時には、もう発売直前だった。
 ステラはアデレードに、クリスはロザモンドに会うために一緒にリッチモンドヒルに行ったので、訪問はにぎやかだった。エアリィも今は髪もほとんど以前の長さになっているし、ちょっと長めのセーターにジーンズの普段着姿だと、印象はほとんど変わっていない。
「ちょっと遅くなったけど、おまえずっとロード中だったから、今になっちゃったよ」
 僕はCDを差し出した。
「あー、ついに出来たんだ、ジャスティンのソロ!」
 エアリィは渡されたアルバムを受け取ったが、ジャケットを見るやいなや、吹き出している。「なんだよ、これ! いかにもギタリストのアルバムですって感じだなあ! 芸がない!」ときたものだ。
「笑うなよ! 僕だって、恥ずかしいんだから! それに僕は、おまえみたいにジャケットの絵を描けるほどの画才は、全然ないんだよ。だから全面的にシュレーダーさんの希望通りになってしまったんだ」
「シュレーダーさんのセンスだと、絶対そうだよ。あの人、普段から僕らに表ジャケットに写ったらって、すぐ言うじゃないか」
 エアリィはちょっと肩をすくめ、インナークレジットに目を止めると、再び声を上げた。
「何、これ! ゲスト参加にミックとロビンとジョージ? ひっどいな、反則だ。これじゃ、ジャスティンのソロって言うより、ゲストを三人入れた、エアレース・マイナスワンだ。そうまでして僕を省きたかったのかって、ちょっとひがんじゃうぞ」
「違う、違うって、エアリィ! 成り行きなんだよ。はじめから意図したわけじゃないんだ」
 冗談で言っているのはわかっているが、僕は彼らの参加経緯を話し、彼もそれで納得したようだった。でも僕ら四人を再び音楽へ、向上するのだという強い意志へ駆り立てたきっかけが、エアリィのアクアリアだったこと、そしてその時に僕らが感じた微妙な感情は、彼には伝わっただろうか。アクアリアのトロント公演に呼ばれながら、結局口実を作って行かなかった心理をも、わかってもらえるだろうか。ミュージカルスターや映画俳優ではなく、ロックシンガーとしてのアーディス・レイン──ことに他のバンドでの彼を、やはり観客の立場で観たくなかったし、自分たちの曲が変えられるのを聴くのも気が進まない。だが、そのことをエアリィに話しても、『なんで?』と、怪訝な顔をされるのが落ちだろう。彼にはきっと縁のない感情だろうから。
 このあとプロジェクトのメンバーみんなと、各地のホールでギグをやるつもりだと言うと、彼は心から羨ましそうな表情になった。
「あっ、ずるいな! そんな楽しそうなこと、四人だけでやるなんて……あ、アーノルドさんも一緒か。いいな!」
 五人揃うと結局バンドのシークレットギグになってしまうからという理由でなく、エアリィの参加は物理的に不可能だ。アクアリアは来週からワールドツアーで、世界各地を駆け足で回り、五月半ばから再び北アメリカをめぐる。日程は五月の終わりまでぎっしりだ。彼もそれがわかっているからこそ、言うのだろう。
「アクアリアでは……楽しくやれているか?」
 僕は思わずそうきいた。そのジョイントプロジェクトは世界規模で爆発的な反響を呼び、セールス的にもエアレースと変わらない、驚異的な結果を残した。エアレースでは女性優位だったファン層も、アクアリアではほぼ同数、ライヴの需要の多さも変わらず、スタジアムツアーなのにチケットをとるのが一苦労な状態だという。この三ヶ月間のAqualeaの大爆走は世界中を巻き込んだ大旋風と化し、今ではマスコミやファンたちからのラブコールが、僕らの耳にも、いやでも入ってくる。『アクアリアが一発きりではもったいない。やめるな!』と。同時に『でも、エアレースが終わっちゃうのは、困る! サイドプロジェクトでやって』という声とのせめぎ合いが激しく、騒々しくなっていた。それだけに、僕らもまた不安になりはじめていた時期だった。エアリィの心の中でも、この二つの声が葛藤していたらと。
 でも、彼は僕の質問の深い意味までは、理解しなかったようだ。ちょっと首を傾げて笑い、こう答えただけだった。
「うん。シルヴィーは兄さんみたいな存在だったし、他の二人もおもしろい人たちだから、ま、楽しいよ。エアレースとは違った意味で。けどさ、ツアーの初日には、思いっきりびびったんだ。コンサート終わって、ホテルで飲み会やるからって言われて行ったらさ、女の子が部屋に七、八人いて。みんな、すごい格好で。で、僕は『あー、僕やっぱり部屋に帰る』って、そのままUターンして逃げたよ」
「それは……確かに驚いただろうな、おまえも。僕もきっと、驚いて逃げ帰ると思うよ。でも本当に、絵に描いたようなロックンローラーだな、SBQは」僕は思わず笑った。
「そう。普段から、そんな感じらしいから。だから僕は、その辺のお付き合いには参加しない。マリファナも気持ち悪くなるから止めてって、わがまま言わせてもらってるし。匂いに耐えられないんだ。タバコも気を使わせちゃってるしね。それは多少はいいって言ったんだけど。だから彼らには、三人で楽しんでって。僕には付き合えない部分が多いから。でも僕がそうやって、要望出してばかりいるせいかな。レコーディングの時も、あんまり遊んでばっかりだから、『いい加減作業しようよ! じゃないと泳いで帰る』なんて怒ったりもしたから……彼らに『ミ・レーヌ』ってあだなつけられちゃった」
「ミ・レーヌって……完全に女名だな。どういう意味だ?」
「リズム隊の二人がヒスパニックなんだけど、で、ミ・レーヌ……私の女王様。僕のミドルネームのレインが、フランス語読みレーヌで、女王だから、それにスペイン語のmi、英語で言うとmyをつけて。適当に混ぜた感じ」
「ぶっ!」僕は思わず吹き出した。
「でもなんか、わかるような気がするな」
「わからないでほしいな、まったく! アンジェリィだけでもやなのに、これ以上その手の呼び名、要らない。そこまで僕は、わがまま言ってないつもりなんだけど。それに女王様って、ないだろって。このミドルネーム、恨みたくなるよ。『はいはい、女王様』とか、もうホントやめてって感じ。だからまあ、僕も多少は譲歩して、女の子抜きの飲み会とかなら、付き合ってるんだ。でも、やばいよ、夜遅いってか、三時四時とかまで平気で飲んでるから、たいてい僕は寝落ちするんだ。で、次の日ベッドの上で目が覚めたら、昼間の一時とかで。わ、飛行機移動ぎりぎりって感じになっちゃう」
「別世界だな、本当に」僕はそう言うしかない。
「そう。そんな調子だから、こないだのロードは楽しかったけど、うーん、なんかいつも以上に疲れた感じ。それで二回もダウンして、シルヴィーたちにも心配かけちゃった。ショウの時間もロード期間も短かったのに。正味二時間ちょっとだよ。だから、久々にサポートもいるんだ。会場以外、接点ないけど」
「そうか。まあ、なんとなくわかるな」
「ああ、で、時々すごくみんなが懐かしくなったりするんだ」
「そうか……」
 僕はいくぶんほっとして頷き、「まあ、聴いてくれよ」と、僕のプロジェクトのCDを彼の家のステレオにかけた。最初の数曲はアーノルドさんに紹介してもらったリズム隊。それからときおり、エアレース・インスト版プラス、ローレンスさんのナンバーが入る。
 しばらくは、お互いに黙って聴いていた。下手に僕が解説なんかするより、彼は音楽からすべてを読みとれる。何曲目かに進んだところで、エアリィはこんなコメントをした。
「ジャスティンらしい音だな。なんかもっと違うものになるのかな、って思ったけど」
「やっぱり、もっと冒険した方が良かったのか?」僕は思わず問い返した。
「じゃなくてさ、バンドの音楽とは違うものをソロにしたいっていうのかと思ってたんだ。けど、なんかほっとしたな。これって紛れもないジャスティンの音だし、ローレンスさんのからみ方も、すごくおもしろい。さすが、って感じ。……ああ、この曲のメンツはエアレースのインスト版だ。アーノルドさんプラスの。なんか、すっごい懐かしい音だなぁ。ジョージに、ロビンに、ミック……のびのびして、あったかくって、やっぱりみんなの音って気持ちがいいな」
「そうか、よかったよ。曲の方はどうだい?」
「ん……ジャスティンの曲だって、よくわかる。展開の予想はなんとなくついちゃうけど、美旋律メーカーだよね、ジャスティンって。それでも躍動感があるところが凄いと思うし」
 エアリィは決してお世辞を言う人間ではないから、この評価は僕にとって新たな自信になった。彼が僕らの音像の中に、安心できる何かの価値を見い出してくれたことも。




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