Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

九年目(3)




 六月半ば過ぎに、僕らは再び会った。約束通り、ジョージの農場で。エアリィと僕とミックがそれぞれの家族を引きつれ、三日ほど滞在したので、母屋の客用寝室はいっぱいになったが、五月よりもさらににぎやかな、楽しい訪問だった。
 プリシラ、ジョーイ、クリスにロザモンドとティアラが加わって、子供軍団はエネルギー全開という感じだ。長い金髪を両側にリボンで結び、ピンクギンガムのブラウスにオーバーオールというおそろいのスタイルで決めたローゼンスタイナー姉妹は、その父親同様、本人の意図とは関係なしに、そこに存在するだけで一座の中心になるようだ。子供軍団の花形は紛れもなくロザモンドで、初めての馬にも颯爽と乗りこなし、雇い人に教えてもらいながら器用に牛の乳を絞り、鶏に突つかれながらも負けずに籠に追い込み、卵を拾う。そして本当にうれしそうに、屈託なく笑う。その笑顔に雇い人たちさえへろへろになっているようだし、クリスとジョーイは何度も「ロージィ、すごーい!」と歓声を上げながら、彼女の後をついて回っている。プリシラは小さなティアラに夢中で、「かわいい! あたし、こんな妹が欲しかったわ!」と、付きっ切りで面倒をみていた。
「ここはすてきな場所ですね。わたしも小さい頃、大叔父の農場に一夏いたことがあるんですけれど、なんだか凄く懐かしいわ。子供にはこういう環境、良いですよね、本当に」
 アデレードが感嘆したような口調で、そう声を上げていた。
「僕はサニーサイド農場を思い出すけど、ここはあっちより広いなぁ」
 エアリィはちょっと笑って、周りを見回している。
「なんかホント懐かしいな。自分で農場やろうとは思わないけど、時々行くには良いよね」
「おまえも自分ではやる気はないのか、エアリィ? おまえもいちおう農場経験者なんだろ。俺よりはできるんじゃないのか?」ジョージがそう言っていた。
「僕はやってたっていっても、七歳になる前の、四ヶ月くらいだけだしね。手伝おうとはしたけど、ほとんど役には立たなかったんじゃないかな。牛や馬の世話も嫌いじゃないし、今ならあの時よか多少は力もあるから、頭から飼い葉かぶんなくてもすみそうだけど。堆肥でもかぶった日には、けっこう悲惨だったよ。カブトムシの幼虫とか、落ちてきて。飼わせてもらったけど。バーンズの小母さんに頼んで」
「たまにいるらしいな、堆肥には。でも、おまえが堆肥かぶったことあるって? 俺が肥だめに落ちたよりウケるぞ、それは」
「えー、肥だめに落ちた? そっちの方が絶対ひどい! でもなんで、フタ開いてたの?」
「日光消毒とか言ってな。熟成と消毒にな」
「そうなんだ。運悪すぎ!」
「俺も本当に、自分の運を恨んだぜ!」
 そうしてひとしきり大笑いした後、ジョージは再び口を開いた。
「しかしな。まあ、今は無理だろうが、引退後は牧場で悠悠自適なんて言うのも、悪くないんじゃないか?」
「余生かぁ。なんか年取った自分って、想像できないな」
 エアリィは小さく頭を振っていた。
 特殊体質なら、年はとらないのかもしれない。外見上は。未来世界でタッカー大統領が言っていたことを思い出し、僕はふとそう思った。新世界初代大統領アルシス・リンク・ローゼンスタイナー、通称夜明けの大主は、二十代後半くらいの外見のまま、八二歳まで生きたという。ドリアン・グレイの肖像さながらに、四十歳になっても五十歳になっても、そして老人になっても同じ容姿というのは、ものすごく違和感だろうな、と思えた。仮に世界が終わらないとしたら――僕らが七十代の老人になった時、エアリィがほぼ今のままの容姿だったら――違和感過ぎて、世間の目も奇異に見そうだ。
「でも、いずれみんな年をとるのよ。あなただって、七十になってもそのままとは、とても思えないわ」そんなことは知らないアデレードは、微笑みながら肩をすくめている。
「それにしても、子供たちは、すっかりここが大好きになったようだわ。ああ、うちも時おり遊びにいける親戚の農場があればよかったわね」
「あら、じゃあ、ここに来れば? いつでも大歓迎よ」パメラが即座に声を上げた。
「そうだわ。この夏にここへいらっしゃいよ。十分部屋もあるし、子供たちも喜ぶわ、そうしてもらえたら」
「あら、まあ……それだったら本当に嬉しいけれど、でもご迷惑じゃありません?」
「大丈夫よ。人は多い方がにぎやかだし、お互いに良いんじゃないかしら」
「おお、そうだ。おまえ、七月から映画だろ、エアリィ。その間、またアデレードさんとお嬢ちゃんたちはトロントで留守番なんだから、いっそのことこっちへ来てもらったら、いいんじゃないか。ここはセキュリティもしっかりしているし、心配ならもう少し警備を増員してもらえばいい。な?」ジョージがそう提案していた。
「ええ? そうしてもらえたら、娘たちは喜ぶだろうけど……でもさ、悪くない?」
「悪くないぜ、全然。気楽にしてもらえたら」
 それから短いやり取りの後、七月八月の二ヶ月、アデレードと二人の子供たちは、ジョージの農場で過ごすことになった。それが決定されるとクリスは心底うらやましそうに、「僕も行きたい! 行きたい!」と繰り返し、それで息子も一週間ほど、親子三人でお世話になることになった。滞在費は、ジョージが「そんな堅苦しい心配、するなって」と受け取ってくれなかったので、厚意に甘えている。エアリィはさすがに二ヶ月も妻子が世話になるわけだから、いくらジョージに、「俺がこんな道楽できるような身分になれたのも、もとを言えば大部分はおまえのおかげなんだから、借りを返すような気でいてくれ」と言われても、やっぱり気になるらしく、「じゃ、設備投資!」と、牧場に散水するスプリンクラーをプレゼントしていた。ジョージもそこまで断るのは悪いと思ったのか、アデレードがかえって気を遣うのではないかと心配したのか、「おお、ありがとな」と、素直に受け取っていた。結果的にこの夏は記録的な少雨だったため、このプレゼントは大いに役立ったのだったが。

 六月の終わりから七月にかけ、僕は家族を伴い、プリンスエドワード島の実家の別荘で三週間を過ごした。休暇旅行の行き先に海が多かったのは、僕のこだわりかも知れない。でも僕が一番見ておきたかったものは、愛する家族と一緒の思い出を胸に焼き付けておきたい場所は、やっぱり僕の原風景ともいえる夏の海だ。白い砂浜、紺碧の海、溢れる光を。
 プリンスエドワード島にきてしばらくたったある日、僕は砂浜に座り、海と戯れる妻子の姿を見つめていた。クリスは海水パンツの上から白いTシャツを着て、砂浜でスコップを手に遊んでいた。ステラはその傍らにしゃがみ、作業を見守っている。やがて砂山とトンネルが完成し、満足したクリスは駆け戻ってきて、僕の手を引っ張った。
「ねえ、パパ! 一緒に遊ぼうよ!!」
 息子は僕を見上げ、弾んだ声でそう誘いかける。
「よおし!」僕は笑って一緒に海に入り、フロートの上に乗せてやった。
「パパ、どうして海は青いの?」
 クリスはフロートの上に寝そべり、波を叩きながら聞いてくる。
「バハマでもキプロスでも、プリンスエドワード島でも、どこも海は青いんだね」
「海は空の色を映して青いんだって、聞いたことがあるよ」
「じゃあ、お空はどうして青いの?」
 あくまで知的好奇心に燃えているらしく、息子はなおも尋ねてきた。
「地球が青いからだよ」
 僕は苦し紛れにそんな返答をした。光の反射云々の話は、まだ六歳にもならない子供には、難しいだろうと思えたからだ。
「じゃあ、地球はどうして青いの?」クリスはなおも、そう問いかけてくる。
「生命が宿っているからさ」
「じゃあ、生命は青いの?」
「まあ、たぶん、そうなんだろうね」
「ふうん……」クリスは不思議そうにまわりを見回す。そしてしばし考え込んでるようだったが、ふと矛盾する記憶を見つけたらしい。
「でもいつか、パパ言ってたよ。命は赤いんだって。ぼくが手をけがした時。血が赤いのは、命があるからだって言ってたよね。ねえ、どっちが本当なの?」
「まいったなあ」僕は返事につまって頭をかいた。
「両方とも生命の色なんだよ。そうだ、緑もそうだね。木や草は緑だろ?」
「うん。でも幹は茶色だよ」
「茶色は大地の色だよ。いろんなものを生んで育てる、お母さんみたいなものさ」
「じゃあ、お母さんは茶色なの? でも僕のママは茶色くないよ」
「人間のお母さんは、いろんな色をしているんだよ」
「どうして?」
「あのね、クリス、いろんなことがわからないのは当たり前だけれど、必ずしもみんな、答えが見つかるとは限らないんだ。おまえが大人になったら、もっといろんなことがわかってくるよ」
 僕は息子の質問攻めにすっかりまいってしまい、打ち切ろうとした。ステラは僕らの会話を聞いていたのだろう。笑いながら、軽く頭を振っている。
「最近、いつもこうなのよ、クリスったら。一日中どうして、なぜって聞いてばかりいるの。わたしもなかなかうまく答えられなくて、困っているのよ」
「知りたがりやなんだね。いいじゃないか、それだけ知的好奇心がおおせいなんだよ」
 僕は笑って息子の頭を撫でた。
「ねえ、パパ。どうしてキャベンディッシュの砂浜は赤いの? バハマやキプロスでは白いのに。誰かが転んで血が出たの?」
 クリスはまたもや謎を発見したらしく、再びそんな質問を繰りだした。
「違うよ。この砂浜には銅が交じってるのさ。銅は赤い色をしてるからね。それでこんな色になっているんだよ」
「銅って茶色のコインと同じもの?」
「そうだよ。よく知ってるね」
「ふうん……」息子は不思議そうに砂をすくって眺めている。
「じゃあ、この砂を集めたら、二セントコインになるのかな?」
「色々手間を加えなければダメだけどね」僕は笑いを堪えながら答えた。
「ふうん」クリスは頷き、相変わらず好奇心に目を輝かせて、目に入る風景を見回している。そんな息子の様子に、思わず言葉が出てきた。
「クリス、おまえにとって、世界は楽しいところなんだね」
「世界ってなあに?」
「おまえのいるまわりの、すべてさ」
「うん。ぼく、楽しいよ」
「そうか。景色はきれいかい?」
「うん」
「そうか、じゃあ……」僕は息子の頭に手をおいて、ゆっくりと続けた。
「覚えておきなさい、クリス。おまえの心のアルバムに。いろんな景色をね。いろんな珍しい動物たちも、いろんな遠くの国たちも、海や空も、花も木も鳥も、牧場の緑も牛や馬たちも。そう、おまえの見たすべてをね」
「ぼく、そんなに覚えきれないよ」
 クリスは口を尖らせて、抗議を申し込んでいる。
「見ていればいいんだよ。そうすれば、自然と覚えられるさ」
 僕は遠くの海原に目をやった。その言葉を、自分自身にも言いきかせながら。世界の姿を、この景色を覚えておきたい。やがて失われるなら、心の中から永遠に消えないように。いつか再び、現実に取り戻せるように、記憶に刻み付けて、とっておきたい。二年半が過ぎ去った時、この景色はもはや僕たちの記憶の中にしか存在しない、在りし日の世界の残像となってしまっているかもしれないのだから。

 七月下旬にトロントへ戻ってから、僕はそろそろ自分の課題にかかる予定だった。ミックが大学院の夏休みを利用して、市内のスタジオで新人バンドのプロデュースを始めたという話を聞き、陣中見舞いに行った時も、大いに刺激された。でも心はまだ、完全には熟しきってはいない気がする。今しばらくは休養したい。ゆっくりと本を読んだり、庭の手入れをしたり、子供と遊んだり、妻と語らって過ごしていたかった。僕は自分の心に逆らうことはやめ、夏が終わるまでその思いに従った。
 クリスの要望で一週間ほどジョージの牧場に遊びに行き、戻ってきた八月初めから、家族三人でハリファックスから豪華客船に乗り、フランスのカレーまで、二週間のクルーズを楽しんだ。僕らの船室は、リビングルームとプライベートデッキのついた大きな部屋で、窓から海が見えた。青く輝く海、吹き抜ける潮風、心地よい波の律動、そういうものに囲まれて、家族三人、ゆったりデッキで日向ぼっこをし、海を眺め、食事やお茶を楽しむ。それは究極の楽園だった。それから南仏の町で一週間ほど過ごし、帰りは同じような客船で、十三日間かけてカナダに帰った。

 九月下旬、僕は雑誌でAqualeaの始動を知った。エアリィとシルーヴァ・バーディッツ・クエーサーとのジョイントプロジェクトである。映画のクランクアップが九月一日と聞いているから、それから三週間あまりで、もう次が発足しているわけだ。アデレードと子供たちが気の毒になる。今回のインターバルには、エアリィは家族とともに中南米へ旅行に出かけたらしく、僕らと会うことはなかった。映画の方はこれから編集作業に入り、年末にアフレコをして、公開は来年の五月か六月になるという。その頃はまだこのプロジェクトでの活動時期か、さもなければ僕らの再始動時期になるので、映画のプロモーション活動ができるかどうかは微妙だ。下手をすると主役不在のプロモーションになりそうだが、この過密スケジュールでは致し方ないのだろう。
 今回のアクアリアでの活動では、いったんマネージメントやレーベルとの関係が切れる。一時出向という感じだろうか。とはいえ、SBQ側に行くわけでもない。双方のマネージャーが補佐につく形ではあるが、アクアリアとしての独立形態になるらしい。アルバム一枚とシングル三枚、それに付随するものだけの単発契約で、さぞかし壮絶な争奪戦があっただろうことは想像に難くないが、決まったレーベルはかつてのB社(大手だし待遇もいい、売り出しも上手いところだが、アーティストにあれこれ注文をつけるところでも有名だ)だった。Aqualea側は契約に当たり、『音楽面にもプライベートにも、絶対干渉してこないように』という条件をつけ、相手もそれを飲んだらしい。

 僕は雑誌を下におくと、小さなため息をもらした。
「どうしたの、ジャスティン。ため息なんてついて」
 ステラがお茶を運んできながら、僕の傍らに腰を下ろして問いかけた。
「いや……ちょっとね」
 僕はカップを取り上げ、苦笑した。今さらエアリィに嫉妬やライバル意識など、まったく燃やしてはいないが、これだけ派手に走られると、少し焦りを感じる。それが今のため息の正体だ。ステラも下に置かれた雑誌を見て、少しだけ理解したらしい。
「アーディス・レインさんも忙しいのね。アデレードがこの夏、牧場で嘆いていたわ。わたしたちみんなは長期休暇で、旦那さまといつも一緒にいられるのに、彼女の所だけは、長くて一ヶ月しかいてくれない。トータル三ヶ月弱だと、普段のインターバルと同じだって。わたしは思わず同情してしまったわ。才能や人気がありすぎるのも、家族にとっては、ありがたくないわねって」
「まあね。あいつは絶対、英気は養えないな。大丈夫かな。休養あけに過労なんてことにならなきゃいいけど」
 僕は苦笑すると、スコーンを一つつまんでお茶を飲み、カップを置いた。
「でも、正直言って、僕は少し焦っているんだよ、ステラ。仕事の話は、あまり君には、したくないんだけれど……」
「あら、どうして? わたしには、わからないから? まあ、たしかに完全に理解は出来ないけれど、わたしなりに、わかろうとはしているのよ。少なくとも、今までよりはね」
 ステラは口をとがらせる。
「いや、君にはあまり興味がないだろうと、思うからさ」
「そんなことはないわ。あまり立ち入るのは差し出がましい気がして、遠慮しているだけよ。あなたのお仕事ですもの。わたしが関心を持たないはずはないわ」
「ありがとう。じゃあ、言うけれどね。まあ、休暇中他のメンバーが何をしても、それは自由だ。ミックは大学院の夏休み中に新人バンドのプロデュースをしたし、エアリィにしてもミュージカルや映画は、まあ新分野だし、『凄いなあ』と単純に是認できる。でも今度のプロジェクトだけは、ちょっと複雑なんだ。僕らのバンドと同じロックのフィールドで、違う相手と別のバンドを組むっていうことがね」
「え、え……それは、なんとなくわかるわ。つまり仲の良い、同じグループの友達が、別の知らないグループに入っちゃったみたいな感じね」
「まあ……それにも近いね」僕は思わず苦笑した。
「でも、そういう単純な問題だけでもないんだ。エアリィが今度組む相手は、究極のインストバンドだ。そう言っても過言じゃない。だから来年の夏に僕らがまた活動を始める時、今のままの僕らだと、彼はきっと物足りなく感じるだろうなと思えるんだ。だから、ちょっと焦ってもいるんだよ」
「でも、あなたはとても上手だし、素敵なギターが弾けると思うわ、ジャスティン」
 ステラは僕の腕に手をかけ、熱心な眼差しで僕を見上げた。
「もう少し、自信を持っても良いのではないかしら。わたしは、その、アーディスさんが今回組むお相手のギタリストさんのことは、あまりよく知らないけれど、あなたの演奏は誰にも負けないくらい素敵だと思うわ。わたしはあなたのギターの音が好きよ。暖かくて優しくて、のびのびとしていて」
「そう言ってくれるのは、君だけだよ、ステラ」
 僕は肩をすくめ、手を伸ばして妻を抱き寄せた。

 その夜、僕は久しぶりにギターを取り出した。アクアリア始動のニュースは、僕の創作意欲の火種に刺激を与え、駆り立てる発火点になり、妻の無邪気な信頼は、発火した火種を燃え立たせる、清らかな燃料となった。さて、やってやろう。僕もバンドから離れた一ミュージシャンとして、自分の力を試してやろう。そんな気分になっていた。
 それから数週間、僕は部屋で曲を書き続けた。アルバム一枚分のマテリアルが出来上がるまで書いた。最初からギターインストルメンタルを目指したので、“歌”としてではなく、あくまで“曲”としてだ。そして三週間あまりで、十曲のラフスケッチを完成させることができた。出来上がったものは完成形ではなく、譜面とギター一本で表現される“曲の赤ちゃん”でしかない。これに形を与え、完成された作品として世に出すまでに、まだまだしなければならないことが、たくさんある。 
 曲を完成させ、録音してアルバムの形態にするためには、どうしても他のミュージシャンの力が必要だ。僕はマルチプレイヤーではない。同じ弦楽器だから、なんとかベースは弾けるかもしれないが、ドラムスはまず無理だ。どんなに練習したとしても、僕の腕では素人芸の域を出ないだろう。リズムマシーンを使うのも、求める音像とは違う。それに何から何まで自分一人でやるというのは、下手をすると単なる自己満足で終わってしまう危険性がある。ジャスティン・ローリングスという一個人の力を最大限に引き出すには、外的刺激が不可欠だ。エアレースでは、その外的な相互作用が最大限に働いていた。ジョージとロビンのリズムセクション、ミックのキーボード、それに何といってもアーディス・レインという最大の台風の目が存在していて、僕の力も限界以上にさえ引き出された。そのエアリィの強力な駆動力がなく、ジョージとロビンのサポートもミックによる刺激もない、いわゆる無風状態では、とてもこれがソロだと胸を張って言える出来のものは、作れないだろう。バンドでやっている時と全く同じ音の作りで、しかもバンドの時の方がずっと良いというのであれば、ソロなど作る意義はないと思う。バンドを超えるというのは難しい、いや、どう考えても無理だが、せめて『そうか、ジャスティン・ローリングスには、こんな一面もあったのか。こういうギタリストだったのか』さもなければ、『ジャスティン・ローリングスの個性がしっかり反映された、良いアルバムだ』と、聴いている人に肯定的に認識してもらえるようなものでなければ、発表するかいはないだろう。
 そのためには、他のミュージシャンの助けが必要になる。それも、僕の力を引き出してくれるような、凄腕のミュージシャンの。だが、そんな人がいるだろうか? バンドのメンバー以外の誰が、ふさわしいと言えるのだろう。そういう点では、力量は僕らより上かもしれないメンバーと組むエアリィは幸運だ。彼の過去の出会いがシルーヴァ・バーディッツ・クエイサーという究極のインストバンドとつながったわけだが、僕には残念ながら、そんな人脈はない。せめて、もう少し普段からパーティなどに顔を出したり、コンサートを見に行ったりして、ミュージシャン仲間のつきあいを確保しておけば、もう少しはましだったかもしれない。でも仮にそうだったとしても、『これぞ!』という人はいないだろう。今の音楽業界を見渡しても、僕が『凄いなあ』と思えるような現役ミュージシャンは、少なくとも手が届く範囲にはいない。
 
 ここまで来て、完全な袋小路に入ったような気がした。考えあぐねた末、僕はミックに連絡を取り、学校が終わってから、家に来てもらった。音楽知識が豊富で思慮深い彼なら、何か良いアドバイスをしてもらえるかもしれないと。僕は自宅のパーラーで、そういう自分の思いをすべて彼に話した。
「うん。それはたしかにそうだね」
 ミックは頷き、しばらく考えるように沈黙した後、言葉を継いだ。
「ジャスティンがソロを作るという話を聞いた時、そこだけはちょっと問題だろうな、と僕も思ったよ。まあ、オーディションをすれば、君なら結構名だたるフリーの人たちが、来てくれるだろうけれどね。でも、そこからが問題だね」
「ああ。そこから選ぶとなるとね。それに、誰が来るかわからないし」
「それなら、ジャスティン。君が今、僕らのバンド以外で、一緒にやってみたいと思うミュージシャンはいるかい? 相手が受ける可能性がどうとかを考えずに、だよ」
「一緒にやってみたいミュージシャンか……」僕は考え込んだ。
「今はいないな。少なくとも今のシーンに、そんなに心を動かされるミュージシャンは、多くないよ。技術が凄いって言うだけじゃ、いやなんだ。フィーリングがあって、考え方も共鳴できて、自分の音にぴったりはまるって思える人じゃなきゃ。そんな人は心当たりがないよ。みんな以外にはね」
「尊敬しているミュージシャンもいないかい?」
「そうだね。実際、業界に入って、かなり幻想を払われたし」僕は苦笑した。
「ただ、一つだけはあるよ。Swifter。ローレンスさんのバンドだけはね。今でも凄かったなって思えるんだ。商業的な成功という意味では、他にもっと売れているバンドがたくさんあったけれど、二十年以上もの間、成功しながらも、なお向上心とミュージシャンシップを持ち続け、常に革新的だったという意味で、彼らを超えるバンドを僕は知らない。でも無理だよ。スィフターは今ではローレンスさんしか残っていないし、彼は僕と同じギタリストだもの……」
 そのとたん、一つの啓示が電流のように身体を貫くのを感じた。だが、これが答えではないのか? ワンギターバンドにこだわる必要など、ないではないか。刺激を求めるのに同業の人を求めて、何が悪い。僕が今バンドのメンバー以外で一番やりたい人は、アーノルド・ローレンスさんだ。昔からそう思っていた。その事実に改めて気づき、はっとした。彼は僕らがデビューする一年近く前に、不幸な事故でバンドの仲間たちを失い、、現役を退いた。それ以降、僕らの三枚目のアルバムからずっとプロデューサとして、バンドのアドバイザーとして、AirLaceを側面援護してくれている。しかしローレンスさんは以前、言っていたっけ。『今でもギターは弾いている。死ぬまでずっと、弾き続けていくだろうね』と。ローレンスさんの比類無き才能が、今も衰えずにいるなら――もう一度現役に戻ってもらって、一緒にギターが弾けたら。それはまさにかつてのギター少年、ジャスティン・ローリングス個人としての、見果てぬ夢だった。その夢を実現できないだろうか――。
「それは、意外な盲点だったね」
 僕の考えを話すと、ミックも驚いたような表情になった。
「でも、考えてみれば、たしかにおもしろいかもしれない。君とローレンスさんのツインギターなんて、考えただけでもスリリングだよ。それにローレンスさんは僕らよりはるかに人脈があるから、リズムセクションを探すのにも良いだろうし。でも、あの人自身に、現役に戻る気があるかな? まずはそれからだよ」
「そうだね。とりあえず連絡して、会って、話してみるよ」
 僕ははじかれたように立ち上がり、電話をかけた。直接ローレンスさんにつながるナンバーは知らないので、まずはロブの所へ。バンドの活動休止に伴って、彼は今マネージメント会社本部で、メンバー個人の活動や公式サイトの運営などを、統括的に管理している。エアリィの課外活動には専属マネージャーのカークランドさんがいるので、ミュージカルも映画も、それに今回のSBQとのジョイントプロジェクトにも、ロブは付き添っていない。週に二、三回連絡を取って、動向をチェックしているだけだ。たいていロブは会社にいる。たとえ不在でも、常に携帯電話は持っている。彼を捕まえるのは容易だった。それに僕には専属クルーやセキュリティはいてもマネージャーの専属はいないので、どっちにしてもロブの協力が必要だ。
「なんだって! アーノルドさんとアルバムを作りたい?」
 ロブは電話の向こうで声を上げた。そしてしばらく黙り、咳き込むように続けている。
「それは、おもしろいな。うん。おもしろいよ! あの人にもう一度ギターを持たせる。しかも、おまえと一緒に。それは本当に、おもしろいアイディアだ」
「ロブもそう思うかい?」
「ああ。往年のファンが泣いて喜ぶぞ、きっと。ただ、アーノルドさん自身にその気があるかどうか、わからんが。あの人は今、市内のスタジオで若手バンドのプロデュースをしているんだ。ギタースクールの講座も持っているし、忙しいらしい。とりあえず連絡を付けてみる。彼の都合をきいて、一度三人で会って話し合おう」

 三人で話し合いが持てたのは、それから三日後のことだった。僕はマネージメントオフィスに赴き、改めてローレンスさんとロブに、自分が思っていることを語った。
「驚いたね。僕にプロデュースでなくて、ミュージシャンとしての参加依頼だなんて」
 ローレンスさんは苦笑を浮かべていた。
「君がソロを作るつもりだという話は聞いていたし、どういうものになるのかな、と期待はしていたんだが。リズムセクションの人選に困っているようなら、多少は伝手があるから、何人かいい人を紹介してもいいだろうか、と考えてはいたんだ。でも、自分にお鉢が回ってくるとはね」
「リズムセクションの候補者たちも紹介して下さい、ぜひ! どんな人たちなんですか?」
 僕は思わず身を乗り出した。
「今フリーで、腕が確かで、僕が知っているドラマーは四人いる。ベーシストは三人。僕が声をかけてみるから、彼らがOKしてくれたら、君がオーディションをしてみてくれないか。みなテクニックは確かだが、どちらかといえば職人気質な人が多い。でも、君の個性には合っているかもしれないね、ジャスティン。君が良かったら、連絡しておくよ」
「はい。ぜひお願いします。でも、その人たちだけでなく、あなたも参加してくれませんか? お願いします。プロデューサーもお願いしたいんですが、ミュージシャンとしても、ぜひ」僕は再び身を乗り出して頼んだ。
「まいったな……」ローレンスさんは苦笑いしたままだった。
「君はせっかく安らかな眠りについている僕を、また揺り起こそうというのかい? 君にもう一人ギタリストなんて、必要ないと思うけれどね。君の力量なら、一本で十分だよ」
「だめですよ、それじゃ。刺激がないから」
 僕は自分の考えを繰り返した。彼と一緒にやりたいと思うまでの経緯を。
「外的刺激か。たしかに。まあ、自分で何もかもやるというのは、単なる自己満足の世界で終わる可能性は否定できないし、飛躍もできないというのはわかる。それにエアレースというバンドには、たしかに君にとって、この上ない強力なドライヴが存在していたからね。でも刺激しあうパートナーが欲しいのなら、僕でなくても良いのではないかな。実力と個性のあるヴォーカリストでも探した方が良いよ。その方がインストバンドより、ずっとアピールしやすいはずだ」
「実力と個性のあるヴォーカリストなら、いるでしょうが……でも、エアリィに匹敵できるような人って、いると思いますか?」
「ハハ、そう言われると……たしかにね」ローレンスさんは苦笑して、首を振った。
「だから僕は、歌ものをやるつもりはないんです。あくまでインストで行きたいんですよ。同じ形態にしてしまうと、どうしても比較されてしまう。絶対、超えられないものに。だから僕は僕独自のやり方で行きたいんです」
「なるほどね、たしかに」
 ローレンスさんは頷いた。インストとしていきたい理由は、わかってくれたようだ。しかし肝心の要請には、なかなかうんと頷いてくれない。彼は苦笑して、なおも繰り返す。
「でも、なにも僕でなくたって、いいんじゃないかな」と。
「あなたしかいません。他にやりたい人は、僕にはいないんです。あなたは僕にとって、あこがれの人だった。あなたのようになりたくて、ギタリストになったといっても良いくらいです。バンドとしての枠を離れて、ただの一人のギタリスト、ジャスティン・ローリングスとして作品を作るのだから、僕のルーツにあなたは不可欠です。おねがいします。Swifterの他のメンバーの方に思いがあるから、他の人とプレイはしない。あなたは昔、一緒に世界旅行に行った時、高原のキャンプ地で、フレイザーさんにそう仰っていましたね。すみません。僕はつい聞いてしまったんですが。でも……僕はあえて、それでも頼みたいんです、あなたに。みなさんとの思い出を大事にしたいという気持ちはわかるんですが、エドウィンさんもハービィさんもグレンさんも、あなたがずっと現役のギタリストとしての自分を封印したままなのを、喜んでいらっしゃるでしょうか」
 僕は我を忘れて、テーブルの上に身を乗り出した。その後、つい興奮して、ローレンスさんの心の中に踏み込みすぎたような後悔を感じ、トーンを落とした。
「すみません。僕なんかが、出すぎたことを言ってしまって」
「いや……」ローレンスさんは首を振り、かちりとタバコの火をつけた。そして煙を吐き出すと目を閉じ、しばらく沈黙したあと、静かに口を開いた。
「そうだね。彼らは言うかもしれない。『もういいんじゃないか、ローリー。他の人とプレイをしてみれば。おまえが認める奴なら』と」
「えっ……?」
「いいよ。君と一緒にギターを弾こう」ローレンスさんは僕を見、笑顔を浮かべた。
「僕で役に立つかどうかわからないが、出来るだけのことはしよう。久しぶりに現役に戻る、か。腕がさびついていなければいいが」
「わお!」
 その言葉を聞いた時、僕はうれしさのあまり、我知らず叫んでしまった。そして感激のあまり彼の手をぎゅっと握り、「ありがとうございます!」と、何度も繰り返した。
 ローレンスさんは、少し面食らったようだった。
「おやおや、天下のギターヒーローが、まるでただのファンみたいだね」
「僕はあなたのファンだったんですよ。今でもそうです!」
「……光栄だね、それは」
 ローレンスさんは、再び少し照れたような笑みを浮かべていた。
「じゃあ、とりあえず、今後の予定を決めないとね。とりあえずアルバムを一枚、作るだけだね。まさか僕にツアーをしろとは、言わないだろうね」
「ツアーはたぶん、日程的に無理なんじゃないかなと思います」
 僕はしばらく考えてから答えた。
「今から作ると、リリースは来年の二月か三月くらいでしょうから。でも、ライヴも少しはやりたいです。ツアーというのじゃなくて、小さなクラブとかホールでギグをやってみたいんです」
「そうだね。まあ、そのくらいなら、なんとかつきあえるかな。だがとりあえず、僕はまだ仕事が残っているから、来月の、たぶん十日くらいまでは動けないよ。その間にドラマーとベーシストの候補者に連絡を取っておくから、オーディションをして、誰とやるか決めてくれ。あと、どこのスタジオにする? もう押さえてあるのかい?」
「ええ。元々自家用スタジオを使う予定ですから。あとはあなたの希望を入れて、ということなんです、アーノルドさん。ラセット・プレイスは使えますか? もし使えたらそれも含めたいのですが」ロブが答える。
「ああ、たぶん大丈夫だよ。それにしても、あとはトロントの『AIRS』か。そうだね。あそこは君たちの自家用スタジオだ」ローレンスさんは頷いた。
「ええ、新しい場所で、とも考えたんですが、僕はあまり新しい環境にはなじめないから、慣れたところの方がいいんです。それにミックスダウンで外国へ行くのは、半分観光のようでおもしろいんですが、作業をするなら、やっぱり国内の方が落ち着くんですよ。でも、一緒にやる人の顔ぶれが違うから、じゅうぶんにフレッシュだと思います」
 僕は首を振り、そう答えた。
「そうだねえ。でも、僕らはフレッシュといえるのかな。僕はもう五十を超えたし、リズム隊の候補者たちは、みな三十代から四十代だ」ローレンスさんは笑っている。
「正直に言えば、君には悪いが、かなり地味なアルバムになってしまうんじゃないかい? いかにも通やオールドファンが好みそうな、職人気質の作品が出来てしまいそうだね。君らしいといえば、たしかにそうでもあるが……」
「ええ。僕はそれでもいいんです。通好みの職人気質が僕らしいとおっしゃいましたが、そう言っていただけると、うれしいですよ。地味だっていいんです。もし、セールス的にぱっとしなくたって、気にはしない。自分で納得のいく良い作品が出来て、それをわかってくれる人が少しでもいてくれたら、僕は大満足なんです」
「ジャスティンらしいな。でも、そこがおまえの良さだよ」ロブがにやっと笑い、
「本当だね」と、ローレンスさんも頷いてくれた。
 こうして、ようやく僕のプロジェクトも動き始めた。レーベルも、バンドと変えていない。新しいところを探すのも大変だし、通好みのインストアルバムを作りたいとなると、なおさらだ。それで良いと言ってくれるなら、今のところで不満はない。ローレンスさんのバンドも元々同じ会社と契約していたし、新しいところを探さなければならない義理もなかった。

 十一月初めに、ローレンスさんから紹介してもらったリズム隊の人々をオーディションし、もっとも僕のフィーリングにあったと思うドラマーとベーシストにお願いすることにした。そして三人で改めて、市内のホームスタジオで音あわせをした。リズム隊の二人はスタジオミュージシャン暦が長く、どちらもテクニックは確かで、なおかつ呼吸も合う。それほど派手ではないが、変拍子やポリリズム、変速リズムや変化技、手数の多いフレーズといった僕好みの技術にも長けていて、なにより安心感があった。十日ほどたって、約束通りローレンスさんも合流してくれた。初めて僕のあこがれのギタリストと一緒にジャムをした興奮は、なかなか的確な言葉では表せない。まるで十五才の時に戻ったように心ときめき、全身の血が沸き立った、そんな思いだ。

 それからケベックにある高原のプライベートスタジオにこもり、僕らはクリスマス直前まで、アルバム作りに没頭した。いつもと違うメンバーで、いつもと違う音楽を。バンドで体験するエキサイトメントとはまた違う、新鮮な気分を感じた。僕の音楽が出来ていく。僕だけの音楽が、というとローレンスさんや他のメンバーたちに対して、語弊があるが。僕が彼らに命令するなど、とても恐れ多くて出来ない。でも彼らは僕の意向を理解してくれ、なおかつ自分の持ち味を殺さずに、アイデアを生かしてくれた。彼らのプレイに僕も大いに刺激され、お互いにフィードバックが重なって、アイデアが膨らんでいく。その中心は僕だ。エアレースにおいてエアリィがやってきたことを、今僕自身が自分のプロジェクトでやっている、それに近い感覚だ。それはたしかに快感だと、認めざるを得ない。でもローレンスさんたちも『楽しいし、満足だ』と何度も言っれくれた。それがお世辞ではなく本心だと感じとれるから、僕がいつもバンドで感じている思いも、やっぱり幸福なのだ。でも、たまには太陽になれるのもいい。この一年間の猶予がなかったら、こんな機会はなかっただろう。




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