Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

七年目(6)




 夏になるころには南北アメリカが終わり、十日間のオフを挟んで、のびのびになっていたアジア・オセアニアツアーが始まった。どこへ行っても以前と変わらぬ、いやそれ以上の熱気と歓迎の中、日々は過ぎていく。妨害や嫌がらせもあいかわらずあるが、前半と比べれば中断後の後半は、減っているようだ。会場警備は恐ろしく厳重であることは変わりないし、ホテルの警備も同様になっていて、常に警察が、不審人物がまわりにいないかどうかチェックしている。会場の敷地内には、ぐるっと広く境界ロープが張られ、駐車場内も含めて、数箇所に作った出入り口でチケットを確認される。チケットのない人は、そこで門前払いとなり、ロープの内側には入れない。ファンたちも結束し、自衛団的なものさえ作られていると聞く。大きな事件がないのは、そういった積み重ねが功を奏しているのかもしれない。
 今度のアルバムが巻き起こした一連の大騒ぎ、とどめは世界中をうならせた『Green Aid21』から十日もたたないうちに起きた、暗殺未遂事件。それがバンドの知名度をさらに引き上げ、そして一般報道番組までが、それに関連して僕らの音楽をバックに流したため、結果として思わぬことが起きた。今までの僕らのメインファン層は十代から二十代で、その上の世代もいないわけではなかったが、全体の一割半弱――そういう認識だったのだが、この半年余りの間に三十代以上のファンがかなり増加したという。ファンたちが親世代と反発ではなく対話しようという姿勢になって、その過程で僕らの音楽を聞かせる、ということもあったらしい。その結果、対大人として個人レベルで対立していたものが、徐々に解消されていったらしい。親世代も、こちら側にくることによって。そんな現象が起きてしまったのだ。だが僕らにとっては、対立の一部解消はたしかにほっとしたが、これ以上の飛躍はまったく望んでいなかっただけに、戸惑いも大きいのも事実だ。ことに、エアリィはその最たるものだろう。バンドの、と書いたが、その中心は常に彼であったことは言うまでもないことだから。世代を超えて響く、強力な音楽の力に加え、かなり上の世代たちにとっての『ステア様』――祖父である映画俳優アリステア・ローゼンスタイナーのファン地盤を、かなり引き継いだこともあるのだろう。エアリィがその孫であることも、報道加熱するうちにファンたちの親世代(その全盛期を知っている人たち)にも、普通に知られるようになったらしいからだ。
 でも僕の気持ちはもう波立たない。エアリィのステータスや僕の評価がどうであろうと、バンドとしてみんなが協力して成り立っているのだという意識が、僕ら五人の心にあるかぎり、バンドの成功は僕ら全員の成功だ。それは降伏でも妬みでもない、一種の同化意識なのだろう。僕らは一つの共同体なのだという確固とした認識を持ち、その中で僕は自分自身のベストを尽くすことに、心から歓びと興奮を感じることができる。その幸福感は何物にも代え難いほど大きい。
(光と影、陽と陰、それを字面の印象だけで、受け取らないでください。それは紙の裏表、もしくは男と女のように、それぞれの役割において必要不可欠な対なのですから)
 あの幻影の言葉を、僕はふと思い出した。そしてやっと、心から同意できた。思えばバンドが大成功して以来、この意識に完全にたどりつくまでの四、五年間。僕にとって、長い道程だったような気がする。

 八月の終わりに、僕らは最終公演地ロンドンにやってきた。突然の事件でキャンセルされた最終公演。それは十ヶ月近く遅れて、やっと実現されることになった。せっかくロンドンまで来たのだから、一回きりではもったいないというプロモーターの熱心な説得のせいで、結局スタジアムで四日続けてやることになってしまったが。
 その最終日に、僕はフロア最前列の上手、僕の立ち位置の前にいるニコレット・リースと再会したのだった。ゲスト席はステージから十数メートル離れているので、彼女の姿があまりよく見えない。それで僕は主催者に頼んで、特別にこの位置の二席を押さえてもらったのだ。
 ニコレットは去年の十二月に別れた時よりも、落ちついた印象を受けた。長い黒髪を編み上げ、白い花飾りで押さえて、白いブラウスにラメの入った黒のスカート姿だ。きらきら光る大きな黒っぽい瞳は変わらないが、頬紅の差し方や口紅の色が、以前よりかなり洗練された雰囲気を漂わせている。隣には二二、三才くらいの実直そうな青年が立っていた。寄り添って一緒にステージを見上げている。彼女の恋人だろうか。
 ほっと安堵のため息が漏れた。僕の愚かさから、傷つけてしまった乙女。彼女は今、新たな恋を得て、旅立とうとしているのか。僕は思わず言葉をかけたくなった。『久しぶりだね。幸せそうで良かった』と。しかし、もちろんそんなことはできないし、言ったとしてもこの中では聞こえないだろう。僕の気持ちを言葉に出さず、二人にしかわからない方法で、伝え得ることはできないだろうか。
 一部と二部の間の休憩時間に、僕はみなに頼んだ。彼女の思い出の『Cascade』と、それに僕たちの思い出と今の気持ちにふさわしい、最新アルバムからの曲『One Night Stand』を特別に演奏したいと。その理由も簡単に話した。だが、最新アルバムはまとめて十二曲の完全演奏だから、そこに他の曲を入れるわけにはいかない。
「じゃ、セカンドアンコールでやる? 『One Night〜』二回やることになっちゃうけど」
 エアリィは一瞬考えるような沈黙の後、そう提案してきた。
「そうだな。それが一番良い位置かも」僕は頷いた。
「なんか言った方がいい? それともジャスティンが言う?」
「言わないよ! おまえも、余計なことは言わないでくれ。まあ、唐突のセカンドアンコールでその選曲だと、他のお客が違和感抱きそうだから……そうだな、僕の要望だ、とだけは言ってもかまわないが」
「ジャスティンの特別な誰かに捧げますって?」
「おい、余計なことは言うなって、言ったじゃないか。それじゃ、あからさま過ぎるだろ! 『ジャスティンの要望で、特別にセカンドアンコールをやることにしました』くらいにしておいてくれよ」
「わかった。初めにそう言っとけば良いか。それで演奏スタート、と」
「まあ、それはそれで憶測を呼びそうだけどな。でもまあ、奥さんはネット見ていないなら、ばれないか。それにしても、『Cascade』は今回やってないからなあ。その前のツアーでも途中で落としたから、ちとブランクあるぜ。せめてリハの時に言ってくれれば、練習できたがなあ」ジョージは少し不安げに首をひねっている。
「ごめん、そうだね」僕も後悔したが、もう遅い。
 みなの了承を得てから、僕はスタッフルームに行き、その旨を伝えた。
 ショウの本編が終わり、アンコールへ。本来これで終わりなのだが、今夜だけはセカンド・アンコールを行う。最初は『Cascade』――二年ぶりの演奏だったが、ブランクは関係ない出来だ。一度最初のフレーズを弾いたあとは、身体が覚えている。ジョージやミック、ロビンも幸い同じだったようだ。
 そして曲は今日二回目の演奏となる、『One Night Stand』へ。僕はギターを弾きながら、じっと彼女を見つめていた。ニコレットも、自分のためにこの二曲が演奏されたのだということを――このセカンドアンコール自体が、彼女だけに捧げたものであることを、知ったのだろう。大きな目を見開いて僕の方をじっと見たまま、両手をしっかり握り締めて、身じろぎもせずに立っている。

 君と僕の出会いは、束の間の夢だったね
 君は僕に幻想を投影し
 僕は君にやすらぎを求めた
 あのひとときは真実
 たしかにそう言えるけれど
 二つの流れが一瞬交差しただけ
 お互いに行く先は違うから

 さよなら 一夜の恋人
 すべては夢、そして幻
 ゆっくりと薄れていく陽炎
 さよなら 束の間のファンタシー
 僕たちはその時愛し合い
 また違う道を行く
 時の流れに消えていく記憶のかけら

 そんなこともあったねと
 いつか懐かしく思うだろうか
 瞬間の煌き
 一夜の熱狂
 流れすぎていく思い

 バイバイ、一夜の恋人
 楽しい思い出をありがとう
 また僕たちの道は交わることもあるかもしれないけれど
 もう会えないかもしれないね
 でも、君に出会えてよかった
 さようなら、元気でね
 
 これは、一見行き刷りの恋を歌ったものだが、本来は『Scarlet Mission』と同じ、ラブソングの形をとった隠れテーマの曲だ。『一夜の恋人』は、流行、もしくはファッションを意味する。そして一回目、第二部のアルバム完全再演中は、その意味だけで伝わってきた。しかし、二回目は明らかに違う。文字通りの意味――僕の思いを反映したかのように。
 僕たちの場合は一夜の付き合いではないけれど、やっぱり束の間の夢だった。僕は彼女にありきたりの『今でも愛してる』というフレーズは言えない。どんなに非難されても、それはやはり真実ではないし、かえって彼女を過去に縛り付けてしまう結果になってしまうだろう。だから僕はこの曲をニコレットに贈った。今の僕の気持ち――やさしい思い出に対する感謝と、少しばかりのほろ苦さ。そして束の間の夢を忘れて、早く真実の愛に目覚めてほしいという思いをこめて。その思いの中、ギターを弾いた。彼女との思い出。ホテルでの出会い、公園での再会、そして彼女の部屋で暮らした十日間。情景と感情がカレイドスコープのように心に展開し、僕の感情を煽り立て、胸を締めつける。ニコレットの半生や、彼女の思い、それさえもが心に飛び込み、揺さぶってくる。
(わたしはあなたを愛したことを、これっぽっちも後悔していない。貴重な思い出をありがとう。あなたはわたしの大事な人、そう、今でも。でもわたしは、この人を愛しているの、今では。彼は職場の先輩で、前からわたしを見守っていてくれたらしいわ。名前はカーティス・ロバートソン。わたしはカートと呼んでいるの……)
 えっ? 僕は一瞬びくっとして頭を上げた。ギターを弾く手は止まらないが、はっと軽い衝撃に見まわれたのだ。なんなんだ、今のは? どうして、そんなことまでわかる? 今、たしかにニコレットの声が聞こえたような気がした。同時に彼女のほうもはっとしたような表情になり、僕を見ている。一瞬、目が合った。
((ありがとう……))
 僕らの心の声が重なって響き合ったような気がした。
 曲は後半の間奏へと進む。ギターソロだ。僕はステージセンターに進み出、同時にエアリィがドラムセットの前まで後退しながら、僕に向かってちょっと笑い、指を軽く振った。(気持ち、ちゃんと伝わった? お互いに)――そんなニュアンスが感じられる。
 ああ、そうか――あれは彼が開いたマジック、歌を通じてのステージと観客席との感情のキャッチボール、そしてシンクロナイズ、その一バリエーションとして、ニコレットと僕の間に一瞬、感情回路がつながったのだろう。そして僕は改めて気づいた。最後のスタンザ――これは、アルバム本来の歌詞じゃない。まるで僕の気持ちそのもの、それを言葉にして歌ったようなものだ。これは完全に僕のための『One Night Stand ver.2』とでも言うべきものなのだ。それゆえに、僕とニコレットの心がつながった――。
「ありがとう!」
 僕は声に出して言うと、もう一度ニコレットの方に向き直った。彼女は胸の前に両手を組み合わせ、まるで祈るように僕を凝視している。僕は自分の思いをすべてぶつけて、ソロを弾いた。
(ごめん。僕のやったことを許して欲しい。君がそれをただの思い出に替えて……あまり苦くないことを祈るけれど、今の新しい恋を、真実の恋を大事にして欲しい。来てくれてありがとう)
 僕は“共感”のマジックは使えない。僕は未踏の領域へは達し得ない人間だから。でもこの思いだけは伝わったと信じている。ニコレットただ一人にだけは。
 ステージライトの残照の中、ニコレットの目に涙が光っているのが見えた。彼女は僕を見、かすかに頷き、そっと手を振り、そして小さく微笑した。
(ありがとう……さようなら)
 声は聞こえないが、その表情は明らかにそう語っている。
 僕は彼女に向かって微笑んだ。同じ言葉を心の中で繰り返しながら。
 それ以降、ロンドンのコンサートでニコレットの姿を見かけることはなかった。ホテルやコンサート会場、空港に群がるギャラリーたちの中にも、もう彼女はいない。でも僕はそれからもロンドンに来るたびに、ニコレットの姿を探している自分に気づく。たとえ目には見えなくとも、僕は彼女の存在を感じる。なんとなく彼女はそっと遠くから見ているような気がしてしまう。僕の心の片隅にいつも佇んでいるように。

 最終公演が終わった。本来の予定から五ヵ月も遅れて、三回目のワールドツアーも終わりを迎えた。思わぬ中断で二回に分かれてしまったため、アルバムが出てから、もう一年と四ヵ月近くがたっていた。その間にかの問題作は空前のレコードセールスを記録し、ロンドンからトロントへ帰ってきた時も、空港にたくさんの出迎えがきている。その大騒ぎの中、僕らは再び家路に着いた。
 夏の名残の、よく晴れた暑い日だった。車から降り我が家の門をくぐると、小走りに出てくる息子と、その後ろから笑いかける妻の笑顔が迎えてくれた。僕の願っていた、最高の出迎え。待ちのぞんでいた我が家。ホームだ。これから二ヵ月間あまりは、またここにいられる。愛する家族と一緒に。

 夏から秋へと季節は進み、九月の半ばにロビンとセーラが結婚した。『あまり派手な式はしたくないんだ。本当に祝福してほしい人たちだけに、集まってほしいんだよ。もちろん、みんなも。でも……僕なんかじゃマスコミも注目しないだろうけれど、みんなが来ると、マスコミとかファンが来ちゃう可能性もあるよね。それは嫌だな。でも、みんなには絶対に来てほしいんだ』――再開ツアー中に挙式予定を聞いた時、ロビンはそう答えていた。その日にちはロンドンへ最終公演に行く前の短いオフの間に、スタンフォード家とセーラの家の人々とも協議したようで、ロンドンへ行く飛行機の中で知らされていた。家族同伴でなく、僕単独で来てほしい、とも。同じようにエアリィやミックにも『家族は同伴しなくていいよ』と告げていた。ジョージは身内だから、また別だが。
 場所は彼の実家の教区にあるプロテスタント教会で、僕も七〜八年前まで通っていたところだ。もっとも僕らにはかの宗教否定騒動があったから、教会がすんなり頼みをきいてくれるかという懸念も、多少あった。でもこの教区はスタンフォード家が絶大な権限をもっているので、牧師さんも頼みを断れなかったらしい。しかし、正式に来た式の招待状を見て、僕は目を疑った。式の開始時間は午前七時だ。朝食は式後のパーティで出るそうだから、家で済ませなくともよさそうだが、今僕はかなり郊外に住んでいるので、これに間に合うように行くには、五時半には起きなければならない。朝早ければ、余計なギャラリーは来ないだろうとの読みなのだろうが、こんな早起きは初めてだ。
 式に集まったのはロビンとセーラ双方の親族――スタンフォード家の方は、バーナード翁をはじめ両親、長兄ブライアンの一家、ジョージの一家、伯父伯母一家と大勢いたが、セーラの方は両親と母方の伯父、彼女のトロントでの下宿先である、父方の叔母一家だけだった。セーラは一人娘で、伯父は独身のため、従姉弟も叔母一家の子供二人だけだという。そして彼女の親友三人。二人は保育学校の友達で、もう一人はハミルトンにいた頃からの友達――この人がセーラを心配して、僕らの曲を送った人だそうだ。それに、バンドのメンバー。ジョージは親族側なので、エアリィとミックと僕、ロブ夫妻、それにロビン専属の二人のスタッフ、チームRの、ベーステクとセキュリティだけだった。ベストマンも付き添い娘もいなかった。
 ロビンがタキシードを着るのは、僕の結婚式以来だ。あの時にはベストマンだったので銀ねず色だったが、今は花婿として白いタキシードを着ている。髪は肩に垂らしたままだが、やっぱりこの方がロビンらしい。彼は頬を紅潮させ、ひどく緊張しているように見えた。セーラは純白のウェディングドレスを着ていた。オーガンジーで、緩やかなストレートライン、スタンドカラーの襟元にパールのネックレスを飾り、七部袖だがほとんど膨らみはなく、飾りらしい飾りも付いていない。それが純白と相まって、清楚なイメージだった。茶色の髪を後ろに引きまとめて結び、後れ毛の間から見え隠れする耳には、小さなトルコ石のイヤリングをつけていた。その上からシフォンのベール――純白で、同じようにあっさりとした、小さなヘッドドレスのついたベールをかぶっている。頬を染め、瞳を輝かせたその表情は、清らかで初々しい花嫁そのものだ。
 九月の朝の光の中、二人は結婚し、その後花嫁花婿を囲んで、教会からは徒歩五分ほどの距離にあるロビンの実家まで、全員で歩いて行った。通りには、他には誰もいなかった。あとでわかったことだが、この道はこの時間スタンフォード家の守衛さんたちが張り番に立ち、一般の人たちが通れないようにしていたらしい。

 ウォールナット・フィールドの広い庭の芝生には、真っ白なクロスをかけた丸いテーブルが七つと、背もたれのついた白い洒落た丸イスが、ひとテーブルについて八客並べられ、小さな銀色の縁取りがついた名札がおいてある。それぞれのテーブルの上には、ガラスの水盤にいけたバラやランの花が飾られていた。横の方には長い白テーブルがあり、コックさんたちが五人並んで、出来立ての朝食を提供していた。モーニングステーキ、ソーセージ、オートミール、新鮮な果物のフルーツパンチ、ヨーグルト、シリアル、パン。絞りたてのフレッシュジュースと、コーヒー、紅茶。スタンフォード家にふさわしく、食器はヨーロッパ製の高価な陶器を使い、食材もすべて最上級だという。
 普段よりもかなり早く起きたため、少し寝不足であまり食欲はないが、おいしそうな匂いにつられ、僕は朝食を皿にとり、名札が置かれた席についた。ここはバンド関係者席なのだろう。エアリィ、ミック、ロブ、レオナ、ベーステクのアルバートと専属セキュリティのトーマス・シングルトン、それに僕の七人だが、空いた一つの椅子に「俺は親族席より、こっちのほうが落ち着く」と、ジョージが時々家族から離れ、座りにきていた。スタンフォード家の親戚たちも、トレント家の家族親族友人たちも、同じように朝食を皿に取り、席について、回りの人たちと話しながら食べている。そういえばジョージとパメラの結婚披露も、やはりこんな感じだったな、と僕は思い出した。彼らは僕らがデビュー直前の十月初めに式を挙げ、やはりこの庭でパーティが行われた。僕らバンドのメンバーもみな出席した。あちらは午餐会で、出席者はこの倍くらいいたが。
 食事が半分ほど進んだ頃、僕らのテーブルまでスタンフォード夫妻が来て、
「みんなには本当にお世話になって、感謝しているよ」
「本当に、いつもありがとうね」と、言葉をかけてきた。
「でもこの進路で良かったと言えるのかどうか、みなさん的にはわからないと思いますが……」と、僕は思わずそう返した。すると、あとから来たバーナード翁が、笑みを浮かべて、僕たちに言ってきた。
「いや、あの小さなロビンに心から満足できる居場所を作ってくれた君たちには、本当に感謝しているんだよ。おかげであの子は幸せになれた。可愛い嫁さんも見つかったしな」
 翁は笑った。スタンフォード夫妻も、その言葉に笑顔で頷いている。
「それに、君たちのマーチャンダイズ・ビジネスに関わらせてもらったしな。あれも、なかなか好調なんだよ」
 バーナード翁は、そうも付け足した。そういえば、サードアルバムの発売時から、バンドのマーチャンダイズ関連の製品流通をお願いしているから――『どうせなら、質良く低コストのほうが良くないか? うちはそういうの得意だから、頼んでみようぜ。関わらないとは言ったが、ビジネスチャンスは別だろう』とジョージが提案し、父親のロバート氏が快諾してくれたのだ。ファンベースが拡大するにつれ、マーチャンダイズ市場もかなりの規模になったので、結果的に双方にとって大正解だったのは間違いない。そうすると、スタンフォードグループとも、完全に無関係というわけではないのか。
 途中、セーラの友人たち三人に彼女の従妹も加わった四人が、顔を赤くしながら僕らのテーブルにおずおずと来て、「すみません、プライベートなのに。でも……わたしたちと一緒に写真をとってくださいませんか」と声をかけてきた。僕たちは「いいよ」と頷き、一緒に写真をとった後、彼女たちが持ってきた色紙にサインもした。

 みなが朝食を食べ終わった頃、ロビンは一生で一度のことをした。花嫁を伴って、自分から来客たち一人一人の所へ赴き、挨拶をして、二言三言言葉を交わしたのだ。そして最後に僕らのテーブルへ来た時、彼は明らかに感激しきったような顔で僕ら一人一人を見、口を開いた。
「ありがとう、みんな。色々と親身になってくれて、祝福してくれてありがとう。それに、こんな朝早くに来てくれて、本当に嬉しいよ」
「まったく、こんな早起きは初めてだぞ」
 僕は肩をポンと叩きながら笑った。
「でも、よかったな。おめでとう。奥さんを大切にして、幸せに暮らせよ」
「ロビンって絶対、言われなくても愛妻家じゃない?」エアリィはちょっと笑って言い、
「まあ、それはそうだな」僕は肩をすくめた。
 それをにこにこ聞いていたロビンが、突然こんなことを言いだした。
「ねえ、エアリィ、ジャスティン、お願いがあるんだ。図々しい頼みだけれど、君たちならきっと、きいてくれると思うんだよ。僕たちに、お祝いをしてほしいんだ」
「えっ? お祝い、まだ届いてないか?」
 僕は少しきょとんとしながら、聞き返した。エアリィも少し驚いたような顔で見ている。結婚式のプレゼントはささやかながら、もうみんな贈っていたのだ。
「そうじゃないんだ。プレゼントはもらったよ。ありがとう、二人とも。大事に使わせてもらうよ、本当に。みんなが祝ってくれているのは、本当に痛いくらい感じるんだ。でも今この場で、君たちが僕に歌の贈り物をしてくれたら、最高だなって思って。『(No one could be an)Angel』を」
「ああ……でも、あれって、結婚式にはどうかなって思うけど。ロビンの自作の奴のほうが、良くない? 花婿から花嫁に捧げる歌っていう方が」
 エアリィは少し不思議そうな表情で、そう問い返していた。
「あれはね、本当にお花畑だから、いいんだ。人に聞かせられるものじゃないよ」
 ロビンは少し恥ずかし気に顔を赤らめ、首を振る。
「でも、シングルのボーナストラックになったんだし、人は聞いてるよ、きっと」
「そう思うと、すごく恥ずかしいけれど、でもあれって、あの『Scarlet Mission』のボーナストラックだから……カップリングがジャスティンのインストで。きっと一回聞いただけで、あとは忘れているよ、僕のおまけなんて」
「そうかなぁ……」
 エアリィは懐疑的だったようだが、僕はきっとそれは、当たらずしも遠からずだろうと思った。あのシングルを買った人は、おそらく付属している音楽ビデオとメイキング目当ての人がほとんどだ。カップリング曲には僕のインストも含め、それほどのインパクトはない。動画サイトに挙げられたその曲たちの再生数も、他のカップリング曲とそれほど変わらない数字だったし、コメントもなんとなく予想できるので、読んでいなかった。
「『Angel』は彼女の、特別な曲なんだ。だから……」
 ロビンは傍らの花嫁を見た。セーラも頬を紅潮させ、小さな声で言っている。
「お願いします。もしできましたら……」
「うん……まあ、そう言うなら、いいよ。でも、今って食べたばっかりだから……十五分くらいしかたってないから、もうちょっと食休みさせて。食後三十分は欲しいんだ」
「わかった。じゃあ、もう少ししたら、お父さんとロブにスピーチを頼むから、それが終わってからで、お願いできる?」
「まあ……その後なら、大丈夫かな」
 ロビンとセーラがなぜ、この曲をこの場で聴きたいと思うのか、エアリィには細かい事情は、わからなかったかもしれない。花嫁の過去のことは、僕以外誰にも話していないと思うから。だが花婿の真実の愛を祝うなら、やはりこの曲しかないだろう。
「僕はじゃあ、アコースティック・ギターか。アンプラグドだな。ぶっつけ本番だけれど、なんとかなるだろう。でも、ピアノのパートはどうしようか」
「ピアノは外に出せないから、ギターだけでいいよ。アルバートに言って、僕のギターを持ってきてもらうから」ロビンは首を振っている。
「こんなところで、特別ライブショーか?」ジョージが笑いながら肩をすくめた。
「一曲だけだよ」ロビンも笑って、傍らの花嫁を見やっている。
 彼は両親のところへ駆けていき、話にいったらしい。やがてスタンフォード家の執事さんが進み出て、中央に備え付けられたマイクに向かって告げた。
「みなさま。本日はこんなに朝早くからお集まりいただき、ありがとうございます。しばらくご歓談いただきましたが、ここで当家主人、ロバート・スタンフォードより、みなさまにお話があります。その後、本日の花婿であるロバートのマネージャーであるロバート・ビュフォード様より、お祝いのスピーチをいただきます」
 ロバートだらけだな、と僕は思わず小さく笑った。他の参加者たちも同じように感じたらしく、会場からも軽い笑いが起きている。これでもし僕の義兄、ロバート・エイヴリー牧師が司祭だったら、ロバートそろい踏みだ。彼の教区はスカボローだし、宗派も少し違うので、それはないが。
 彼らが話している間に、ロビンのベーステクであるアルバート・グリーンウェイが許可を得てお屋敷に入り、ロビンの部屋からアコースティックギターを持ってきた。暑くなってきたのと、少々弾きにくくなるので、僕はスーツの上着を脱ぐと、椅子の背にかけ、そのギターのチューニングを整えた。
「んー、こんな朝早くじゃ、ちゃんと声でるかなぁ。食後三十分、ぎりぎりだし」
 エアリィも同じように水色のソフトスーツの上着を脱いで椅子にかけ、タイを緩めると、シャツのボタンを二つ外しながら首を振っていた。歌うには、のど周りを締め付ける物は邪魔なのだろう。クラシックの声楽家は歌う二、三時間前から何も食べないというが(飲み物は必要だが)、ロックはそこまで厳密ではないことが多い。でも、やはり食事の直後は声が出にくくなるのだろう。
 彼はグラスに水を注ぐと、ゆっくりと一口飲み、そして息をついた。ちょうどそこでロブの話が終わり、執事さんが「ありがとうございました」と礼を述べた後、一息おいて告げる。
「えー、それではここで、本日の花婿ロバートの盟友であるジャスティン・ローリングス様とアーディス・ローゼンスタイナー様に、花婿のリクエストにより、一曲演奏していただきます」
「来た!」エアリィはちょっと肩をすくめて小さく笑い、
「ハハ、これはこれで緊張するな」僕も少しだけ苦笑する。
 僕たちは中央に進み出た。執事さんが椅子を一つ据え付けてくれたので、僕はそれに座り、ギターを膝に乗せてかまえる。そしてエアリィがマイクを取って、言った。
「えーと、ロビン、セーラさん、おめでとうございます。二人のリクエストで、『(No one could be an)Angel』をやります。結婚式の定番曲っていう感じじゃないけれど……まあ、一応ラヴソングだから、かな。ぶっつけ本番、アコースティックアレンジです」
 彼はそのマイクをスタンドに戻すと、高さを下げて、僕のアコースティックギターの前にセットした。スピーチを聴いている間に、一本しかないマイクで、どうやったらバランスが取れるか、二人で相談した結果のセッティングだ。「これだけのスペースだったら、マイク要らない」と、エアリィは言っていたし、アコースティックギターの音を少し増幅させた方が、バランスとしてはいいだろうと思えたからだ。
 僕は軽くギターのチューニングを確かめた後、イントロを弾き出した。
 朝の透明な空気に、アコースティックギターの美しい音色が響きわたる。やがてすうっと歌が入ってきた。このうえもなく澄んだ穏やかな、優しいトーンで。ノンマイクでも十分通るその歌声が、アコースティックバージョンで、普段よりほんの少しだけテンポが遅いことも相まってか、僕たちの耳にはある種のゴスペルのようにさえ響いた。

 君は愛なんて、信じられないという
 もう二度と、愛にめぐり合うこともないと
 偽りの愛に、君はひどく傷つけられたから
 もう何もかも信じられないと

 真実の愛を見つけて、それはきっとどこかにあるから
 悲しみに沈んだまま、心を閉ざすことはやめて
 君は愚かだった、盲目だった、軽率だった、落ち着かなかった
 偽りの優しさと、幻の愛に幻惑されてしまった
 そう、たしかにたくさんの間違いを犯してきたけれど
 そこから新しくスタートすることは出来るから

 思い出を学びに変えて
 君らしさをなくさないで
 本物の愛は、きっと君を待っているから
 真実の愛を見つけて

 君は天使にはなれないから、許せなくてもいい
 誰も天使にはなれないから、間違いだってする
 完全な人間なんて、きっといない
 みんな弱さを持っているから
 道に迷うこともある
 周りが見えなくなることも
 でも、とり返せない間違いなんてないから
 いろいろなすれ違いや、誤解
 届かなかった思いや言えなかった言葉
 それはきっと、みなが抱えている思い
 
 誰も天使にはなれないから
 完璧な愛なんて、きっとない
 でも、君の本当の愛を見つけて
 探せば、きっとどこかにあるよ
 過去の悲しみに泣くことはあっても
 その影の中に今を隠してしまわないで
 君の本当の愛を見つけて
 
 この曲のインスピレーションは、かつて身も心も捧げた恋人に捨てられて、絶望していたアデレードへ向けた思いなのだそうだ。この曲が収められた前作『Eureka』のプリプロダクションの時、そう言っていた。でも、もうその当時、彼女との間にロザモンドが生まれていたあとなのだから、彼女の“本当の愛”というのは、おまえにならないか、と僕が言ったら、エアリィはきょとんとした顔で、『え? そう? いや、それは考えてなかった』などと答えていたが。
 曲自体は『愛に傷ついた人へのエール』となり、美しく切なく、時には激しい、心に残るメロディーと、彼の“共感と感情をすべての人の心に響かせるデリバリー”とで、多くの人の心を揺さぶり、この曲にインスパイアされたドラマもいくつか出来たという。それゆえ、ある意味僕らのファン以外にも知られている曲ではある。そして曲の主題からして、セーラのハミルトン時代からの親友アメリアさんが、この曲を彼女に贈った理由もわかる。
 それは、たしかにあまり結婚式には、あまりふさわしい主題とはいえないかもしれない。だがエアリィの歌は聞き手の心に、その主題にまつわる、あらゆる感情を喚起する。コンサート会場のような場では、さらに集団コミュニケーション、もしくは共感、時にはテレパシーさえ引き起こしてしまうが、ここではただ一つの感情だけが伝わってきた。暖かな祝福が。それは周囲の人たちの思いを吸収してふくれあがり、僕の心をも洗われるような優しさに満たされていく。その感情は、ロビンたちにも通じているのだろう。彼らに喚起されているであろう様々なシーン、感情、その上から圧倒的な優しさと祝福に包まれて、この歌は彼らの心にはどう響いているのだろう。
 セーラは途中で、感極まったようにうつむいていた。紅潮した頬に、あとからあとから涙が流れ落ちている。何度も白い手袋で頬を拭い、最後にはその手を口元に当てて泣いていた。それは浄化の涙だ。彼女の過去を洗い、ロビンのこだわりをも流し――ロビンは花嫁の肩を抱き、何度も頷きながら、自分のハンカチで彼女の頬を伝う涙を拭いてやっていた。彼自身も泣きながら。
 曲が終わると、エアリィはこう締めくくった。「二人の本当に、祝福を」と。
 僕も、間髪を入れず叫んだ。
「おめでとう、ロビン! セーラさん! 幸せに!」
 数秒の沈黙の後、そこに出席している全員から、大きな拍手がわき起こった。これだけの人から起きるとは思えないほど、大きな音量で。花嫁と花婿は、まだ頬を濡らしたまま、足早に僕らに近づいてきた。ロビンはやにわに手を伸ばし、エアリィと僕の手を同時につかむと、かすれた声で言った。
「ありがとう、ありがとう、本当に……最高のプレゼントを、ありがとう」
 セーラも僕らを見上げ、繰り返していた。
「ありがとうございます。本当に……」と。
「よかった。けど、花婿も花嫁もそんなに泣いちゃってたらダメだよ。笑って!」
 エアリィはあいた方の手でロビンの肩をぽんと叩き、
「でも、悲しい涙じゃないよな」
 僕もあいた手で、もう一方の肩を叩いた。
「うん……本当に、ありがとう」ロビンはそう繰り返す。
「おめでとう、しあわせにな」
「うん。月並みだけど、それしか言えないな」
「うん……本当にありがとう」
 ロビンはそれしか、言葉が出てこないようだった。



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