Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

七年目(4)




 翌日、僕の家にホッブスがタクシーでやってきて、二人一緒にマネージメントオフィスに向かった。その一室でロブとレオナ、マイクと僕の四人で話し合いがもたれた。ホッブスにはこれまで通り僕の専属セキュリティとして続けて欲しいという僕の希望を伝え、彼もそうしたい意向であること、さらにホッブスがかつて妨害者の協力者となっていたが、それは決して悪意のあるものでなく、今は相手に脅しをかけられても、きっぱり妨害者たちとは手を切っていることも、はっきり伝えた。彼が告白した、いくつかの事件の真相も。
 ロブは話を聞き終えると、僕に向かってきいた。
「わかった。それでもおまえは、ホッブスに専属セキュリティとして続けて欲しいというのだな、ジャスティン」
「ああ」僕は頷いた。
「心から信用できるか? 一度裏切ったものを?」
 ロブの言葉に、マイクは耳まで真っ赤になっている。
 僕はちらっと彼を見やり、答えた。
「ああ、信用できるさ。彼は絶対に大丈夫だ」
「そうか」ロブは頷き、ついでホッブスに向き直った。
「信用していいんだな、ホッブス」
「はい。絶対に信頼は裏切りません。二度と」
 マイクはロブを見、しっかりとした口調で答えていた。
「わかった。ではこれまで通り、ホッブスにはジャスティンの専属セキュリティを務めてもらおう。レオナも異存はないね」
「ええ。やっと本当の信頼関係ができそうね」
 レオナは微笑みを浮かべて、僕たち二人を見ていた。
「本当の信頼関係?」僕は問い返した。
「ええ、そう。アーティストとスタッフの間には、そういう関係があることが理想なのよ。セキュリティともね。あなたの場合は、ジャスティン、信頼はしているけれど、どうも一枚、間に障壁を置いてしまうのよね。ロビン君はそれこそ、三枚くらい置いていそうだけれど。でもどうやら、あなたはやっとその障壁が除かれそうだという気がしているわ」
「そう。そうかもしれないな」
「まあ、なんにせよ、いいことだ」ロブもかすかな笑みを浮かべて、頷いた。
「実はな、我々はすでにホッブスが、かつて妨害者連中に協力をしていたことは、知っていたんだ。どこまで関与していたかということまでは、わからなかったが」
「えっ!」僕は思わず声を上げ、ロブを見た。
「……ジョン・モーガンがしゃべったんですか?」
 マイクは詰まったような声で問いかけていた。ジョン・モーガンというのは、去年の全米から新しくセキュリティとしてきた三人の一人で、ロンドンでガラス玉を投げた、あの男だ。
「ああ、あの事件の後、ロンドンの病院で彼が話していたよ。ジョン・モーガンとは三年前の全米ツアーの時、シンシナティのコンサート会場の入り口で、君は会っているはずだ、ホッブス。少なくともモーガンは、君をはっきりと覚えていた。君も覚えているはずだとも言っていたが」
「ええ、知っていました、モーガンのことは」マイクはのろのろと頷いた。
「ですから、彼が去年の全米ツアーから新しいセキュリティとして入って来た時には、驚きました。それで、もしかしたら妨害者たちがなにか良からぬことを目論んで、あいつをもぐりこませたのかと思い、一度モーガンの部屋を訪ねていって、二人きりで話したことがあります。そうしたら彼は、たしかにあの時、妨害者たちに雇われて会場にやってきた、と言ったのです。あの包みの中身はなんだったんだ、と聞いたら、彼は答えていました。『花火みたいなものだ。当たると爆発するようになっていた』と」
「花火?」僕は思わず声を上げた。
「そうだ。最初はパイロスポットに誘爆させようとしたが、パイロはドラムライザーの後ろで遠いので、断念したらしい。かわりにその花火をより強力にして、当たったら爆発するように仕掛けたものらしい。それを、エアリィに投げようとしていたらしいんだ」
 ロブが重々しい口調で、答えていた。
「えっ?」
「でも結局モーガンは最後まで、投げられなかったらしいですね。一曲目から、すっかり魅入られてしまって。恐ろしく感情が揺さぶられたと、あいつは言っていました。俺は何をしているんだって。メジャーリーガーを目指して、ずっと野球をやっていて、でも挫折してからは酒びたりで、いろいろなアルバイトをしながら、どれも続かずに、その日暮らしを送っていた。そんな自分が恐ろしく情けなく思えた。そう言っていました。そして終盤、『Through the Window』を演奏した時、あいつは……そう、モーガンも虐待経験者なんですよ。母親が今の父親と結婚する前、実の父親にひどい暴力を受けていて、それを思い出して、その場で泣いてしまった。この人も自分と同じ経験をして這い上がった人なんだ。だから自分は妨害するのではなく守りたいと、強烈にそう思ったそうです。それで彼はまず警備会社に勤め、それからアーティスト関係の警備に強い会社に転職して、こうして幸運にも採用されたのだと言いました。そんなにとんでもないことだったのかと僕は驚いたのですが、モーガンの言葉に嘘はないと思ったので、それ以上は言わなかったのです。モーガンは僕に聞いてきました。君はまだ妨害者の片棒を担いでいるのかと。僕はそれで彼に簡単に事情を話し、今はきっぱりやめていると言ったのです。それでお互いに、この話はもうやめにしよう、誰にも言わないでおこうと話したのですが」
 ホッブスが頷きながら、そう説明していた。彼が自宅で告白した時この話を黙っていたのは、ジョン・モーガンへの配慮だったのだろう。そして去年の全米ツアーで、ホッブスの母親が危篤でありながら帰らなかったのは、新しく入ってきたモーガンへの警戒――彼の言葉に本当に嘘はないか、それを見守るためもあったのだろうと、僕は悟った。
「ああ、モーガンは元々、アンチだったらしいな。振られた彼女がファンだったことも、よけい面白くなかったと。そのあたりは、去年の夏の金属バット男と同じだが。だから、妙な裏アルバイトに応募してしまらしい。捕まっても上等だと。そう、その金属バット男が言っていた闇サイト、モーガンもそれ経由だったらしい」
「ああ。今は閉鎖されているっていう奴だね。闇サイトに関しては、僕もよくわからないけれど……」
「そうだ。まあ、だいたいそういうところは薬の売買だの、偽造カードやウィルス、バックドア、名簿の横流しやハッキングなどのツール、そんなものが取引されているんだがな。くだんのサイトは閉鎖されたが、ああいうものはまたすぐに立ち上がる。もぐらたたきみたいなものだ」ロブはふっと息をついた後、僕らを見た。
「主流はそういう違法な取引なんだが、たまに強盗計画とか襲撃計画とか、そんなものも出てくるらしい。それで、なのだろう。だがモーガンはライヴで百八十度転回した。そう言っていた。『俺はそれからも時々あのサイトを覗いて見ていたんですが、何度か【アーディス・レイン抹殺計画】というトピックが出てくるんで、気になっていて……俺のIDははじかれるんで、それ以上中には入れませんでしたが。あそこは閉鎖されたけれど、新しいところでも同じようなことが起こっているとしたら……まさか今回も、カルトを装ったあいつらの差し金なんじゃないでしょうね』と、とても心配していた。いや、あれは本物のカルトだろうが、連中が後押しした可能性も排除はできないな、と僕は答えた。警察の話からすると、犯人たちに銃や爆薬を調達するのに、一枚かんでいた可能性もあるんだ。あの銃の破壊力や爆弾の威力について、犯人が『〜と聞いたのに』という言い方をしていたところからしても、誰かに手渡されたものには間違いないのだから。まあ、教団からなのかもしれないが。それにあの邪魔な運搬車も、連中の差し金の一部だったかもしれないらしい。だが、それは証拠もなく、確かめられないから、それ以上突っ込んだ捜査は出来ないと言っていた。それに、その前の全米での狙撃事件でも、犯人への依頼者があいつらの誰かである疑いはかなり濃厚なんだが、はっきりした証拠もないと言われていたし……ともかく、相手は警察に尻尾をつかまれないよう、かなり慎重になっているようだ。それでともかく、モーガンが少しでも妨害者たちのことを知っているなら教えてくれと、聞いたんだ。彼は、相手の正体は知らない、例のサイト経由だから、依頼者の素性はわからないようになっていると。それで、これは言わない約束なのだが、ホッブスもあまり知らないと思う、と言ったんだ。その何日かあとで、あの時には動転してしまって、ついホッブスとの約束を破ってしまったが、彼も今は相手との関係を断っているし、逆に自分との関係を問いただしてきたりもした。とても良い奴だから、何も聞かなかったことにしてくれと、我々に懇願してきたりもした。だからモーガンのことを悪くは思わないでくれ」
「そうですか……わかりました」ホッブスはやや頬を紅潮させながら、頷いていた。
「我々も、あれからいろいろ調べた。敵の正体は、社長いわく、ある程度見当がついた、ということだった。ただ、正面切って戦争はしないほうがいい、完全に叩き潰すことは、仮に出来たとしても、容易ではない相手だ、とも。だがやりようによっては、交渉をかけられる。そうも言っていた」
「そう……」僕も頷いた。
「ああ。それに相手は時々、臨時雇いの職員を使って、撹乱に来ていたようだ。ニューヨークのホテルの従業員や、ロサンゼルスのアリーナの夜間警備員のような。我々の公演の一週間から二週間前に雇われ、その後すぐに辞めるような。ホテルの薬物を検査にまわしておいてくれと頼んだその依頼は、そいつのところで潰された。そいつが引き受け、そして何もせず、むしろ焼却所で処分し、辞めたそうだ。アリーナの警備員も、裏口の鍵を開け、夜中の数時間、館内の監視カメラをオフにして、さらに相棒の警備員たちのコーヒーに睡眠薬を入れて、眠らせていたことがわかった。その男も、そのあと一週間で辞めたそうだ。それにホッブスが言ったように、エアリィの部屋に発煙筒を投げ込んだり、あの金属バット男を手引きしたり、楽屋にあの犬の頭や蛇を置いたりしたのも、そういった連中なのだろう。難しい問題だ。でも我々に出来ることは、精一杯防御に努めるしかない。連中の正体がある程度わかった今なら、今までよりは楽かもしれないが」
 ロブはため息をついた後、ふと微笑して言葉を継いだ。
「しかし、我々はモーガンも君もクビにする気はないよ、ホッブス」と。
「モーガンはロンドンでとっさに行動し、邪心のないところを証明してくれた。後で告白してきたことからも、彼の誠意は本物だと思う。それにホッブス、君もジャスティンに告白したわけだ。そして彼は君を許した。だから問題はない。我々も君の忠実さに疑問を抱いてはいないよ。この問題を、他のメンバーに話す必要はないと思う。我々の間だけに収めておこう。ただ、もし言ったとしても、みなはわかってくれるだろうと思う」
「あ……ありがとうございます、ビュフォードさん」
 マイクは感極まったような口調で、深く頭を垂れた。
「ただ、本当にこれから続けていけるかどうかは、来月にならないとわからないがね」
 ロブが重さを含んだ口調で、そう続けた。
 一瞬ぽかんとした僕も、すぐにその意味を悟った。
「そう。エアリィが二月上旬に退院するんだ」
 ロブは僕らを見ながら頷いた。
「バンドのみなには言わなかったが、彼はクリスマスが明けた朝から、ずっと眠り続けていたんだ。一週間。ヴァイタルサインは全部正常なんだが、深く眠っていて、どうしても起きなかった。もともと彼は入院中、眠りがちだったが。おまえと病室で会ったころでも、一日十四、五時間は寝ていたらしい。『あの時以来、久しぶりに花に埋もれて寝てる夢ばっかり見てた』とも言っていたが。でも、ここまで眠りっぱなしというのはなかった。クリスマスのお祝いを病室でやったせいで疲れたのか、何か悪い反動が起きたのかと、我々はひどく気をもんだのだが、新年が明けてから、やっと目が覚めた。そしてそこから、急速に回復しているようだ。相変わらず眠っている時間は多いが、もう酸素マスクも必要なくなった。普通に話も出来るようになった。それで、また状況が急変することがなければ、二月上旬に退院予定で、それから一週間もすれば、普通に生活できるようになるだろう、ということだった」
 花に埋もれて眠る夢と言うのは、エアリィにとってのヒーリングドリーム――癒しの夢なのだろうか。ふと、そう思った。彼はロンドンの病院で、まだほとんど寝ていた頃にも、そんなことを口にしていた。『ああ……なんか久々に……花に埋まってた』と。子供のころ、ひどい暴行を受けて気を失った時に見ていたという『花に埋もれて寝ている夢』――元々エアリィの体質は高い回復能力があると未来世界でも聞いたが、実質的な損傷をかなり受けた時には、さらにその特殊な“癒しの夢”が発動するのかもしれない。しかしその眠りは、今の彼をどこまで回復させてくれるのだろうか。
「そう……」僕は思わずごくりと固唾を飲んだ。
「その時になればわかる。復帰は単なる希望的観測に過ぎないのか、それとも期待通り続けていかれるのかが」
 ロブはデスクの上に両手を握り合わせ、重々しい表情で僕を見た。
 そうか、退院まで、あと一ヶ月か。仮定としてではなく、現実としてバンドが存続できるかどうかが決まる、その時が。僕は身体に小さな震えが走るのを感じた。

 重大な気がかりはあったにせよ、冬の日々は穏やかに流れていった。寒さは相変わらず厳しく、氷点下二桁も珍しくなかった。雪もしばしば降った。僕たちは暖かな家の中で、真っ白になった庭を見ながら過ごした。雪の晴れ間には雪掻きをし、厚いスキーウェアに長靴と帽子で完全武装したクリスと一緒に雪だるまを作ったり、雪合戦をやって遊んだ。そんな日には息子は寒さをものともせず、目を輝かせ、頬を真っ赤にして駆け回っていた。雪の間は家に閉じこめられて、元気を持てあましていたのだろう。
 遊んでいるクリスを見守りながらの語らい、小さな息子が眠ってしまってからのひととき。以前の、いやそれ以上の親密さが、僕ら夫婦の間にも戻ってきていた。再び家庭が心やすらぐ、幸福の場所となったのだ。たとえキャリアの方が重大な転換点を迎えようとしていても、ステラとクリスがそばにいてくれたら、かりに最悪の答えが出たとしても耐えられるだろう――そんな気さえした。

 一月も終わりに近づいてきたこの日も、やはり寒い日だった。朝から雪が降りしきり、気温は氷点下二十度を超えた。朝食を終えてからも、僕らはほとんどリビングを動かず、床で遊んでいるクリスを見守り、ときおり声をかけながら、ステラは編み物、僕は読書をしていた。
 時計が十一時を告げてすぐに、来客を知らせるチャイムが鳴った。台所で昼食の支度にかかっていたトレリック夫人がインターフォンで応対し、ややあってから彼女はリビングに来て告げた。
「若旦那さま、お友達のロビン・スタンフォードさまとおっしゃる方がお見えになっていますが、ガレージのシャッターを開けましょうか?」
「ロビンが?」
 僕は本から顔を上げ、驚いて聞き返した。インターフォンの画像に映っているのは、たしかにロビンだ。裏に毛皮のついたキャメルのコートを着て、フードをすっぽりとかぶっている。彼の後ろにパールグレイの中型車──ロビンが愛用しているフォードのセダンが停まっていた。
「ああ、シャッターを開けてください。僕が迎えに行きますから」
 僕は廊下に掛けてある黄色いダウンのコートをはおり、庭へ出ていった。車をガレージに入れてもらい、玄関でコートを脱ぐと、僕らはパーラーへ入った。全室床暖房とセントラルヒーティングシステムで、家の中はある程度暖かいが、ストーブをつけていないせいで、ここはリビングより少々寒い。僕は急いでヒーターをつけ、何か熱い飲み物を持ってきてくれるように、トレリック夫人に頼んだ。
 ほどなくして、ステラが自ら銀の盆に湯気の立つカップを二つのせて入ってきた。ロビンの好きな、ラムを入れた熱いココアだ。
「いらっしゃい、ロビンさん。こんな寒い日に大変だったでしょう。ゆっくりしていってくださいね」ステラは愛想良く微笑みながら、カップをガラスのテーブルに置いた。
「あ……ありがとうございます」
 ロビンはちょっとはにかんだように答え、小さく会釈する。
 ステラはカップを置くと、すぐに部屋を出ていき、僕らはしばらく黙ってココアを飲んだ。カップが半分ほど空になった時、ロビンは顔を上げ、唐突に言った。
「ステラさんは、いい奥さんだね、ジャスティン」
「あ、はは……まあね。最初の頃よりは、少し愛想が良くなったかな」
 面と向かって妻を誉められ、僕は少し照れながら頭をかいた。
「でもまあ、よく来たな。こんな天気なのに。おまえ雪の日のドライヴは、あまり好きじゃなかっただろ?」
「うん。でも君に会いたくなってね。君のところも、せっかく水いらずで楽しんでいるのに、お邪魔をしちゃって悪いけれど……」彼はちょっと肩をすくめ、しばらくだまって熱いココアをすすっていたが、やがてぽつりと言葉をついだ。
「でも、みんないいね。羨ましいな、家族がいて……」
「おまえだって、恋人がいるだろ? うまくやっているか?」
「うん……」ロビンは頷いて、またしばらく黙った。
「もうすぐ、二月だね……」
「ああ」その言葉が単に時候の挨拶なのか、別の意味を含んでいるのか、わからなかったので、僕も簡単に相槌を打つにとどめた。
「どんな結果が来るにせよ、僕はもう覚悟を決めたんだ。エアレースが続くなら僕は全力を捧げるし、もしそうでないなら、僕は音楽界を引退して、作家を目指そうと思って」
「だめな場合も考えているのか。おまえらしいな。僕は考えていないよ」
「僕も信じてはいるよ。でも、僕はどうしても悲観的に見てしまうんだろうね。万が一という可能性も、常に考えてしまうんだ。それで、毎日が不安だった。だから僕は、心の支えが欲しかったんだ。どんな状況になっても支えてくれる、港の錨のような。君にはステラさんがいるし、エアリィにはアデレードさんが、ミックにはポーリーンさんが、ジョージ兄さんには、パメラ義姉さんがいる」
「それでこそ、セーラさんの出番があるというものさ」
「うん……」ロビンはちょっと照れたように笑ったが、表情がもう一つさえない。
「どうしたんだよ、ロビン」僕は微笑を引っ込めて、相手の顔を見た。
「セーラさんとの間に、何かあったのか?」
「そう見える?」
「おまえの顔に書いてあるよ」
「そうかな……」ロビンは手を上げて頬に触り、ちょっと苦笑した。
「何かあったのか? 僕で良ければ、相談に乗るぞ」
「うん……」ロビンはココアを飲み干し、カップをテーブルに置いた後、顔を上げた。
「そうだね。元々そのことで君のところへ来たんだもの。聞いてくれる、ジャスティン?」
「ああ、もちろんさ」
「実はね……僕は一昨日、セーラにプロポーズしたんだ」
「へえ!」思ったより早い展開だ。
「やったじゃないか、ロビン!」
「うん。ありったけの勇気をかき集めてね」
 彼は微笑した。でもその微笑には、どこか悲しみの影があるようだ。
「ひょっとしておまえ、断られたのか?」
「ううん。そうじゃないけど……ああ、でも断られたのも同じかな」
「どういうことだよ」
「うん。つまりね……セーラは言うんだ。僕はありのままの彼女を愛しているわけじゃない。彼女は僕の思うような、純真な乙女じゃないって」
「つまり……どう言うことだ?」
「僕が勝手に理想を作っていただけなんだよ」ロビンは苦い笑いを浮かべた。
「女の子に対する幻想、というのかな。恥じらいを持った乙女のような。初めて手をつないだ時、初めてキスをした時、恥ずかしがって赤くなったり震えたりする。そうだね、セーラは本当にそうだったんだよ。だから、僕も彼女が理想の純真な乙女だって思っていたんだ。恋を知らない、真っ白いゆりの花のような」
「はあ……そういえば、ステラもそんな感じだったけれどな」
 僕らは本当に、似たようなタイプに惚れるのだろうか、と妙な感慨を抱いてしまった。
 ロビンは浮かない顔で話を続けている。
「でも、彼女は僕に言ったんだ。わたしは汚れた女だって。彼女は学校の音楽教師と恋に落ちて、その人の子供を妊娠したこともあるんだって」
「えっ!」
 ステラタイプだと思ったら、アデレードタイプだったわけか。エアリィなら気にしないだろうけれど、ロビンだったら衝撃を受けるのもわかる気がする。
「それが、ひどい話なんだ」ロビンは憤慨したような顔で、話を続けた。
「相手の男は、本当にひどい奴なんだよ。セーラはハミルトンの出身で、音楽少女だったらしいんだ。四歳の頃からバイオリンを習っていて、十六歳から音楽専門学校に通っていて。それで十七才の時に、その音楽学校の先生が好きになって、相手も彼女を好きで、二人は付き合いだしたらしい。でもその先生は、あとでわかったんだけれど、もう結婚していたんだ。セーラはそれを知った時、とてもショックを受けたけれど、相手は夫婦生活は破綻している。妻とはいずれ別れて、君と結婚する。本当に好きなのは君だけだ、なんて調子のいいことを言ったらしいんだ」
「ああ。それは、あれだな。不倫男の常套文句だな」
 僕は思わず苦笑した。まあ、実際、本当にうまくいっていない場合もあるけれど。
「そうなんだよね、本当に。でも彼女は、それを信じてしまったんだって。それから間もなく、彼女は赤ちゃんができたことに気づいて、そのことを相手に告げたら、その男は蒼白になって、堕胎してくれとセーラに懇願したらしいんだ」
「……それでどうなったんだ?」
「彼女は嫌だって、頑として聞き入れなかったらしい。赤ちゃんを殺すことなんて、できないって。それで、産まれたら認知だけしてほしい、そう頼んだらしいんだ。父親知れずでは、かわいそうだからと。しばらくそれで揉めたけれど、相手もあきらめたらしく、『わかった。そうしよう。それで、その子が生まれたら、妻とは別れる。君と結婚しよう』そう言ってくれたらしい。セーラはとても嬉しかったそうなんだけれど、それから十日後に、彼女はショッピングセンターで――そこは入り口に長い階段があって、その上で相手と待ち合わせていたらしいんだけれど、そこから落ちてしまったんだ。相手が上がってくるのを見つけて、階段側に寄ったところを、誰かに後ろからぶつかられたらしい。それで流産になってしまって。妊娠三か月に入ろうとしていたところだったんだって。彼女の両親は娘に赤ちゃんができたことも知らなかったらしいから、流産と聞かされて仰天して、相手は誰だと問い詰めたらしいけれど、彼女は口を閉ざして言わなかったらしい。相手は彼女が階段から落ちた時、救急車を呼んで、でも付き添うわけにはいかないと、その場を離れたらしい。相手は彼女の入院中も、一度もお見舞いに来なかったけれど、それでもまだ彼は既婚だし、両親の目を憚ったのだろうと、セーラは思ったんだって。実際その男も、あとでそんなことを言っていたらしいし」
「そうなのか……運が悪かったんだな」
「そう思うよね。でも、そうじゃなかったんだ。それから一か月くらいたったころ、彼女は一人で買い物に出かけて、少し公園で休憩していた時、二人の男が同じ公園の、普段人が入らないような木の多いエリアに入っていくのを見たんだ。一人は彼女の恋人で、もう一人は知らない人だった。何か人目をはばかるような雰囲気が気になって、セーラは相手に気づかれないよう気をつけて、そっと近づいて話を聞いたらしい。それでわかったんだ。あれは偶然の事故なんかじゃなくて、彼女の恋人がその男に五千ドルの報酬を払って、彼女が階段の上に来た時にわざとぶつかり、落としたんだって。相手が階段を上がってきながら頷いたのは、セーラに向かってじゃなくて、その男に合図するためだったらしい。相手は元から、セーラに子供を産ませるつもりはなかったらしいんだ。奥さんと別れる気もなくて。奥さんは恩師の娘だから――そんなことも言っていたらしい。彼女は茫然として、ひどく動転して、思わず買い物袋を地面に落としたから、向こうも気づいて――ぶつかった男の方は、もう少し金が欲しかったからそれをネタに揺すろうと思ったんだが、もう知られた以上はしかたがない。最初の報酬はもうもらったからと、ニヤッと笑って逃げ去ったらしい。『あんたもとんだ男に惚れたもんだな、お嬢さん』そんな捨て台詞を残して。相手の男は真っ青になって、ぶるぶる震えていたって。セーラも荷物を拾って、駆け去ったらしい」
「……とんでもないな。それで……どうなったんだ?」
 僕はそれしか言葉がなかった。
「彼女は最初、怒りに我を忘れて、すべてをぶちまけて相手の男を窮地に陥れてやろう! そう思ったらしい。それでまず、母親に話したらしいんだ。そうしたら、母親も驚いて怒っていたけれど、暴露するのはやめなさい、あなたが傷つくだけだ――そう言われたんだって。彼女が見たと言っても、それだけでは証拠にはならない。録音でもしていない限りは、相手にしらを切られたら泥沼になるだけだ。それに、相手が結婚しているとわかった後も付き合ってしまったあなたにも非があると、言われてしまうだろう。気持ちは今以上にズタズタになってしまうに違いない、と。それでセーラも、思いとどまったらしい」
「ああ……それが賢明だったと、僕も思うよ」
「でも、彼女は怒りと絶望と悲しみの持っていきどころがなくて、ものすごく落ち込んだんだよ。自分に対しても、あんな男に騙されていたのかって、ひどい自己嫌悪に陥って。だからセーラは、それから半月くらいの間、部屋に閉じこもったまま、ただ死ぬことばかり考えていたらしいんだ。音楽も聴きたくなかったらしいんだけれど、心配した彼女の友達が【元気を出して、と言うのも無理かもしれないけれど、たまたま運悪く偽りの愛にあたってしまったんだと思って。すべてを否定しないで】というメールと共に、音楽ファイルを添付してきたらしい。本当は違法なんだけれど。それが、『(No one could be an)Angel』だったんだって」
「へえ、そうなのか。でもまあ、たしかに違法には違いないけれど、それは許容範囲だろうな」僕は苦笑した。
「うん。その友達はセーラの親友で、その音楽教師との付き合いを知っていた。破局の真相も、セーラが打ち明けたから知っていた。彼女はただ一人、真実を知る友達だったんだ。でも、その友達の慰めや励ましも、今の絶望しきったセーラの心には届かない。そう感じてしまって、それならと、その曲を送ったらしいんだ。それでセーラは一回くらい、聴いてみようって思ったんだって。音楽に今の気持ちを慰めてくれる力なんてないだろう、そうは思っていたけれど、友達がせっかく送ってきてくれたのだから、と。そして聞いて、思わず泣いてしまったって。彼女は音楽家になるために努力してきたけれど、これほど力のある音楽は聴いたことがない。友達やクラスメイトが騒いでいたけれど、本当に、こんなにすごいなんて、と、すごく驚いたそうだよ。あの曲を聴いて、悲しいけれどとても優しい気分になれたし、慰められた、まだ世の中には愛は存在しているのだから、もう一度それを待ってみようという気分になれたんだって。それで、動画サイトでその曲のPVを何度も見て、CDは売り切れになっていたからダウンロード販売で『Eureka』を買って、『Children〜』も買って、CDはネット販売で入荷待ちして手に入れて、ずっとくりかえし聞いているうちに、新しくスタートを切りなおしてみようって気になれたらしいんだ。それで思いきってトロントへ出て、叔母さんの家に身を寄せて、幼稚園の先生の資格を取るために、昼間は保育助手をして、夜は学校へ通っていたんだって。去年学校を卒業して、晴れて先生になれたんだよ。幼稚園の先生になろうと思ったのは、もともと子供が大好きだったのと、生んであげることが出来なかった赤ちゃんへの償いのようなものと、両方の理由なんだって」
「そうなのか。だからおまえVIのプリプロダクションの時、自分なりの『Angel』を作りたかったって、言っていたんだな」
「うん。そうなんだよ。彼女はあの曲が一番好きだったから。あれがきっかけで、彼女は僕らの信奉者になったわけなんだ。それまではクラシック一筋で、ロック系やポップスなんかは聴いたことがなかったんだって。バンド名と、アーディス・レインという名前と顔だけは知っている、という程度だったらしいんだ。彼女の行っているお店で、FMやロック系音楽をBGMで流しているところは、なかったらしいし」
 ロビンはふうっとため息をつき、言葉を続けた。
「でも僕、自分で曲を作った頃には、あれほど彼女が『Angel』を好きだと言っていた本当の理由を、考えたこともなかったんだよ。そういえば僕が曲を書いていった時、現実感がない、夢見てる感じって、エアリィに言われたわけもわかったよ。今になってね」
「そうか。そういえばおまえ、花畑のピクニックは行ったのか?」
 僕はその時の会話を思い出し、そう聞いた。
「うん。エアリィから教えてもらった場所に、去年の五月初めに行ったよ。ツアーのリハーサルに入る直前に。トロントから車で三時間くらいかかったけれど、途中の景色もきれいで、素敵なドライヴだったよ。そこもまだ花は咲き初めだったけれど、本当にきれいだった。イメージどおりの場所で。そこで僕たちは初めて、キスをしたんだ。その時セーラは赤くなって、ちょっと震えていた。それに少し涙ぐんでいた。僕は本当に、すごく幸せだった。これ以上ないほどに。思わず僕も少し泣いてしまったんだ」
「そうか。彼女は本当に、純情なんだな」
 頷きながら、僕は思った。二人が本格的に付き合い始めたのは十一月で、初キッスが翌年五月か。相当な晩生だ。ロビンらしいが。
「うん。本当に、あのころに戻れたらな、って思ってしまうよ。どうしても……」
「でも、もう今となっては取り戻せないのか、本当に。彼女の過去を知ってしまったから」
「いや。そう言うわけじゃ……」彼は口篭もった。
「でも、やっぱり知ってしまったら、もう知らないころには戻れないと思うんだ。僕は汚れない天使のイメージを彼女に投影して、それを信じ込んでいたんだ。僕は本当に大事にしてきたんだよ、彼女のことを。それなのに、もうすでに他の誰かに汚されて傷つけられていたって知るのは、やっぱりショックなんだ」
「まあ、おまえは固いからな、その点。わかるよ。自分自身が潔癖で純潔を通しているんだからと、無意識に相手にも同じものを求めていたんだろうな」
「そうなんだろうね。僕はセーラを……ああ、愛しているんだよ、本当に。でも、やっぱり僕が大事にしてきた彼女のイメージは傷ついたし、過去を笑って受けとめられないんだ。セーラが過去に愛していた男がいる。それに子供までできたっていうことは、もうすでに男を知っているわけだよね。僕はそいつに嫉妬してしまうんだ。ひどい奴だから、憎悪さえしているよ。でも、そんなひどい男に抱かれたのかって思うと、やっぱりショックなんだよ。そんな自分の度量のなさが、本当に情けないんだ」
 ロビンは両手で頭を抱えた。
「セーラがなぜそんなことを打ち明けたのか、僕にはわからない。黙っていてくれた方がずっと良かったのに。黙っていたら、何も知らずにいられたのに。そうしたらこんな苦しみをせずに僕たちは結婚して、幸せになれたのに。セーラは僕の愛を試してみたかったのかもしれない。すべてを知って、幻想を壊されても、なお僕は彼女を愛せるかどうかと。でも、ありのままを知ることが、そんなに大切なことなのかな? ああ、アルバムタイトルじゃないけれど、これも消えた幻想だ。僕には耐えられそうもない。話を聞かされて、僕は驚いてしまったし、彼女を慰めるような言葉も、それでも愛しているとも言えなかった。実際、何も言えなかったんだよ。僕はひどく情けなくて、惨めなんだ。セーラは最後に泣き出して、『やっぱりだめでしょう。わたしは』そう言って、帰ってしまった。それ以来連絡もないし、僕もどうしていいかわからなくなってしまって、連絡をする勇気もなかったんだ。なんて言っていいか、未だにわからなくて……」
「そうか。おまえらしいと言えば、おまえらしいな。たしかに真相を知らないですませることだってできたんだろうし、何も知らなければ、おまえも迷うことはなかっただろう。でもセーラさんにしてみれば、本当でない自分を愛されても、それは本当の愛なんだろうかって、そう思ったのかもしれないな。本当の自分をわかって欲しい、たとえ今の幸福が壊れても……彼女にとっては幻想の愛でなく、真実の愛が欲しかったんだろうと思うよ」
「そうだろうね。僕もそう思うよ……」
「でも真実の彼女を、おまえは愛せないわけだろう?」
「いや、そんなことはないよ……」
「愛している、でも許せないという心境か?」
「許せないというわけでもないんだ。本当に許せないのは、相手の男だよ」
「セーラさんはその男を、今でも愛しているというわけじゃないんだろう?」
「とんでもない。以前は憎んでいたし、今じゃ軽蔑しているって言っていたよ」
「そうか……」
 僕は半ば無意識にテーブルを指で叩いていた。お互い愛し合っているはずの二人なのに、彼女の以前の過ちが心に引っかかっている。まるで去年のステラと僕のようだ。立場は逆転しているが。だからかどうかは知らないが、僕の心情はセーラに同情的だった。幻想を抱かれたまま隠しとおして結婚することを拒んだ彼女の潔さに、ひそかに拍手を送りたい気さえした。ロビンの性格ではショックを受けるのも無理はないと思うが、幻想はいずれ破れるものだ。
「セーラさんは勇気があるよ。彼女はおまえの愛を失うかもしれない危険性を覚悟の上で、真実の自分を知ってもらいたいと願ったんだ。彼女は誠実な人だし、正直だ。僕は経験がないから想像でしか言えないが、もし僕がおまえの立場だったら、その彼女の誠実さを買いたいと思うよ。真実を知るショックよりもね」
「そうだね……」ロビンは考えに沈んでいるような表情で頷く。
「おまえがセーラさんに惚れたのは、彼女が清純な娘だと思ったからだけなのか?」
「いや、違うよ。彼女は優しくてひたむきで、飾らないから。思いやりがあって、同情深くて感激やで、誠実だから。セーラは素晴らしい女性なんだ。彼女といると本当にほっとするし、ありのままの僕を出しても嫌われない、そんな安心感がある。お互いに静かだし、話をしていても本当に楽しい。僕はセーラと付き合い始めて、オフが退屈ではなくなったんだよ。でもね、今の彼女だけで充分だ、過去は関係ないってわかっていても、気持ちの上でのこだわりが、どうしても捨てられないんだ。それが情けなくてね」
「まあ、おまえが過去やこだわりを捨てるのは、とりわけ難しいと思うよ。おまえの性格を良く知っているだけに、それはわかる。でも、おまえは本当にそれでいいのか?」
「どういうこと、ジャスティン?」
「おまえは過去にこだわるから、思い込みにこだわるから、そんな経験をした女性を受け入れることは、どうしてもできない。そんな自分が情けないけれど、彼女とはもう終わりになっても仕方がない。もし本当にそう思っているのなら、僕は何も言わないよ。これからおまえの幻想にあった、本物の純真無垢な子を探せばいいさ。そういう娘はあまり多くはないと思うけれど、ステラだってそうだったし、広い世の中には少なくとも何人かは、いるだろうからね。でもセーラさんほどの人に、また会えるのか? おまえが一緒にいて、ほっとできる女の子で、しかも純真無垢な娘が?」
「いや……たぶんそんな人は、いないだろうね……」
 ロビンはしばらく考えるように黙った後、決然とした表情で首を振った。
「セーラは僕が初めて愛した女の子なんだ。彼女がいてくれて、僕は君へのこだわりも気にならなくなった。たしかに君が言ったことは本当だったよ、ジャスティン。君だけを向いていなくてすむ最良の方法は、恋をすることだって。でも僕はその恋にめぐり合うまでに、二三年近くもかかったんだ。今彼女と別れてしまったら、もう二度と恋には、めぐり合えそうもない。そんな気がしているよ」
「じゃあ、迷うなよ。彼女はおまえの生涯の恋人だ、そう思えるのなら、もうとっくに終わったことにこだわって、本当の愛を取り逃がすなんて、もったいなさすぎるぞ。過去にこだわる気持ちなんて、まるめてごみ箱に叩きこんでしまえよ。おまえの性格じゃ難しいだろうけれど、それ以上に彼女を愛しているなら、できるはずだろ? それができないのなら、彼女とおまえは縁がなかったのさ。そう思って、あきらめるんだな」
 ロビンはしばらく下を向いて、黙ってじっと考え込んでいるようだったが、やがて頭を上げた。そして僕をまっすぐに見ながら、決然とした表情で頷いた。
「そうだね。君の言うとおりだ、ジャスティン。彼女を失うのはいやだよ。セーラは僕の生涯の恋人だ。はっきりそう思っていたのに、なぜ僕は終わったことに、いつまでもこだわっていたんだろう。彼女の心は無垢なんだ。彼女の純真さは演技なんかじゃない。ああ、つまらない幻想にこだわって、悩んでいた自分も一緒にごみ箱に捨てたい気分だ。ありがとう、ジャスティン! 思い切って君に相談して、本当によかったよ」
「がんばれよ。僕はこういう経験はないけれど、でも一つだけ経験者として言えることがあるんだ。愛には、しばしば試練が訪れるってね。どんな形にしろ、なんらかの障害は起きてくるんだ。それを乗り越えて、初めて愛は強くなれるんだと思うよ」
「そうだね、ありがとう!」
 ロビンは僕の手を握って頷いたが、すぐに心配そうな表情になった。
「でも、セーラは僕を許してくれるかな。彼女は僕を嫌いになったりしていないだろうか。あんな反応をしてしまった僕を……」
「おまえも本当に、いつまでも不安症な奴だな、ロビン」
 僕は苦笑して、その背中を軽く叩いた。
「当たって砕けろ。おまえの今の気持ちを正直にぶつけて、彼女の言葉を待て。許してくれるかなんて迷っていたら、謝り時を失うぞ。もっと彼女を信頼しろよ」
「それも経験者の忠告?」
「そうさ」僕は苦笑した。
「ありがとう、ジャスティン。君は本当に頼れる親友だよ」
 ロビンはもう一度僕の両手をぎゅっと握ると、立ちあがった。
「帰るのか? もうお昼だぞ。一緒に食べないか?」
「ありがとう。でも、ここでお昼をご馳走になるより、早くセーラに連絡をしたいんだ。もう一度彼女と話し合って、プロポーズをやりなおしてくるよ」
「そうか、わかった。がんばれよ!」
 僕はもう一度背中を叩き、ガレージまで友を送っていった。




BACK    NEXT    Index    Novel Top