Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

六年目(12)




 ロブが僕たちを迎えにきた時には、かなり夜もふけていた。
「エアリィはどうなったんだい、ロブ!? 大丈夫だったかい?」
 僕らは一斉にそう聞いた。僕だけでなく、他のみなも、それは何よりも口に出したかった疑問だったのだろう。
「ああ……そうだな」
 ロブはしばらく黙ったあと、深いため息とともに言葉を継いだ。
「大丈夫かどうか……それはわからない。でもとにかく、今はまだ生きている。一応はね。幸い、心臓直撃にはならなかったようだ。だがそれでも、かなり厳しい状態だよ。あんな至近距離から、破壊力の強い銃でまともに撃たれたのだから。即死しなかったのが奇跡だと、医者に言われた。詳しいことは、向こうに行けばわかるだろう。それとも、もう二時近いから、今日は休むか? 明日行っても、同じことだろうから」
「今行くよ。病院側が許可するならね」
 僕らは四人同時に頷き、それぞれのバッグとコートをひっつかんだ。
「アデレードさんは明日の午後、こっちへ着くそうだ。トロントを夕方の飛行機で発つと、マネージメントから連絡が来た。子供も一緒に連れてくる。妹さんも一緒に来ると言っていた」ロブは待たせてあった車に乗り込みながら、そうも告げた。
「エステルちゃんまで? それにロザモンドちゃんは、まだ二歳半ちょっとじゃないかな。はるばるロンドンまで連れてくるのって、大変じゃないのかい?」
 僕は軽い驚きを感じ、声を上げた。
「出来る限り肉親を呼べと、医者が言うんだよ」
 その言葉に、思わずぞくっと震えた。実家の病院でもそうだが、患者の親族を呼び集めるのは、危篤状態に陥って、今にも死にそうな時なのだから。
「医師の診断によると、三八口径の、破裂型の銃弾で撃たれているということだ。ただ、あの弾丸は本来ならば、人体に入ると完全に破裂して飛び散るんだが、医者によると、今回の場合、半分ほどになった芯の部分が摘出できたらしい。左肺を貫通して、肩甲骨で止まっていたと。不完全、というか半分不発だったのかもしれない。そのために肺はひどく損傷したが、心臓は致命傷を逃れた。発砲の際に反動で、数センチ左側にぶれたのも幸いした。それに銃弾が半分不発だったことも。そうでなかったら、確実に即死だったそうだ」
「ああ……」
 僕は、そしておそらく他の三人も、ぞっとしながら、息をのむしか出来なかった。
 ロブは頭を振り、深くため息をつきながら、話を続けている。
「だが肺の損傷は相当ひどい。左肺はほとんど全摘出になったし、右も三分の一以上失った。心臓の外側や、胸部大動脈にも破片が刺さっていたらしい。CRTで解析した医師団は即座に『これは、絶対に助からないだろう!』と声を上げたほどだそうだよ。それでも低体温法を使ってなんとか手術をして、心臓や動脈は切除するわけには行かないので、刺さった破片を一つ一つ抜いたが、摘出した破片の数は心臓と大動脈合わせて七二個だったそうだ。これでも少ない方だとは言っていたが、組織はかなり損傷している。でもそれ以上は、手の打ちようがない。二リットル近くも出血したのに、血液型がまったく合わないから、輸血すら無理なんだ。だが、今のところエアリィは生きている……というか、死んではいない、と言ったほうが正しいのだろうか」
「それは……どういう意味だい、ロブ?」僕は掠れた声で問い返した。
「向こうに行ってみれば、わかるよ」
 ロブはそれ以上、説明してはくれなかった。

 真夜中だというのに、病院の周りはものすごい人だかりだった。キャンセルになった最終公演の観客がそっくり移動してきたのではないかと思えるほどの人がごった返していて、入るのに一苦労だ。
 僕らは病室に入った。僕は実家の病院の経験から、瀕死の重傷を負って危篤状態にある人というのは、生命維持装置につながれて、がんじがらめの状態にあると想像していた。でも、エアリィはただベッドの上に寝ているだけだった。胸の下あたりまで毛布がかけられ、白に薄いブルーチェックのパジャマを着ている。普段の彼は前開きのパジャマはほとんど着ないから、カークランドさんか誰かが買ってきたのか、病院備え付けのものかもしれない。パジャマの開いたボタンの隙間から、白い包帯が見えた。手術後のバンテージなのだろう。その顔には、まったく血の気が感じられない。紙のような白さだ。右手首に、血圧測定器がつけてあった。それとパジャマのボタンの間から出ている、心拍を測定する器械のコードだけが、身体につけられた付属品だ。
 エアリィは、ただ眠っているのか。それとも、もう死んでいるのだろうか――そんな恐ろしささえ感じられるほどの静けさだった。だが、すぐにぽーんと小さな心拍計の音が響いた。思わずほっと安堵のため息が漏れる。でも、何かおかしくないだろうか? 僕はすぐに気づいた。パルスの来るのが遅すぎる。ぽーんと小さな山が来て、五、六秒間ずっとフラット、そしてまた次の山が来る。これでは、心拍は十かそこらだ。こんなにゆっくりとした鼓動で、生命の維持が出来るのだろうか――?
 五、六秒に一回のパルスというサイクルが、まるで時計仕掛けのように続いている。そう、モニターの心拍数表示も、九から十二の間を行き来している。血圧も表示されているのだが、上が四十前後、下は測定不能という、危機的としか言いようのない値だった。
「いったいこれはどういうこと、ロブ……?」
 僕は少し声がかすれるのを意識しながら聞いた。
「見ての通りだ」彼は長いため息を吐きながら、首を振った。
「これで大丈夫なのかい? 生命維持装置をつけなくて……」
「これがあったからな」
 ロブは枕元に置いてある一枚のカードを取り上げて見せた。
「生存意志カードだ。万が一自分が危篤状態に落ちた場合、いっさいの延命治療を拒否するとある。薬品過敏体質なので、薬も使わないでくれとも書いてある。エアリィのカードケースの中に、アレルギーカードと一緒にこれが入っていた。だから本人の意思を尊重したわけだ」
「あいつ、いつの間にそんなものを……」
「署名日付が今年の八月になっている。だから、夏の全米が終わってからだな。あのツアーで二度も危ない目にあったから、さすがにエアリィも身の危険を感じたのかも知れない。これがまさか本当に必要になるとは、思いたくなかっただろうが……」
 ロブは唇を噛み、そっとカードをテーブルに戻した。
「だから、今はこんな状態なんだ。気管切開もしないし、人工呼吸器も付けない。栄養点滴もしないし昇圧剤も打っていない。それでも手術後二時間くらいまでは、生理食塩水とブドウ糖の輸液をしていたが。失った血液のかわりにね。酸素マスクもしていた。でも今の状態では、あまり意味がないらしい。医者が言うには、体中の器官が、ほとんど機能を止めているらしいそうだ。動いているのは、わずかに心臓だけだよ。このテンポでね。心臓もかなり傷ついているから、これでも動いているのが不思議らしいが。脳波はフラットではないが、重昏睡の波形らしい。だがこれでは、まるで昏睡というより仮死状態だ。呼吸もしていないらしい」
 無呼吸――思わず、僕自身の心臓も止まったような気がした。それなら、人工呼吸器をつけなければ、十数分で死んでしまうだろう。普通ならば。だがロブの話では、エアリィはこの状態で、もう三、四時間ほど経過しているという。不思議だが、それ以上は考えたくなかった。長時間その状態が続いて、大丈夫なはずがないからだ。
 ロブは手を伸ばし、そっとパジャマの腕に触れ、そのままベッドの上に力なく垂れている手に触れた。その表情がますます曇り、手を放して僕らを見る。
「おまえたちも、触れてやってくれ……」
「触っても大丈夫かい?」僕は問い返した。
「動かさなければ、大丈夫だ」
 僕は手を伸ばした。でも左手には何か握られている。指の間から金のチェーンが出ていて、ちかちかと、かすかな光が断続的に漏れている。
「ああ、これはクリスタルのペンダントだ。エアリィが生まれた時に持っていたらしいが……それを彼はずっとかけていたというが、手術の時はずしたんでね。でも、モートンがお守りになりそうだから持っていた方がいいと、握らせたんだ。気休めみたいなものかもしれないがね」
「ああ……あのペンダントか。そうだね。彼は赤ん坊の時、その結晶を握っていたって、マインズデールのシスター・アンネが言っていたっけ。いったんシスターが預かって、エアリィが十歳の時に返したって」僕は思い出して、頷いた。
「でも……これに当たって助かったっていうふうには……ならなかったんだね」
 ロビンが小さく呟き、
「そんな映画や小説みたいな話は……現実にはないだろうね」
 ミックが微かに首を振る。
 たしかに――僕はその指の間から漏れるかすかな光を見つめながら、思った。もし外側でなく、内側に弾丸がずれたら、その可能性もあっただろうが、そんなにピンポイントでうまくいく可能性は少なかっただろう。それにしても、このペンダントは普段から発光しているのだろうか。インドの寺院でエアリィがトランス状態に落ちた時、彼はこのペンダントを手に握った。その時にも光っていたが、普段かけている状態で、服の上からわかるほど発光していたことは、覚えている限りない。夏、薄着の時も。
「どうしてこれは、光るんだろう……?」僕は思わずそう呟いた。
「さあなあ。どういう仕掛けになっているのかは、わからんが……」
 ロブは平坦な口調で答え、首を振る。今はその謎は、どうでもいいのだろう。
 不思議に思ったが、僕もそれ以上深くは考えられなかった。僕はその上から左手に触り、ついで右手にも触れ、そっと握った。昨日の夕方だ。僕らが仲直りの握手をしたのは。あの時、その手は微かに温かかった。元々彼は手が温かいほうではなく、寒いと冷たくなることも多いが、握るとほのかな温かみがある。でも今は、まるで氷に触れているようだ。ましてや昨夜のように僕の手を握ってはくれない。思わず身震いし、暗澹とした気持ちで手を離した。他のみんなも同じようにし、そしてうつむいている。
「冷たいだろう。まあ、この心拍と血圧では無理もないが。体温は三十度そこそこなんだよ。手術のためにいったん下げたら、もう戻らないんだ」
 ロブは物憂げにため息をついていた。
「まるで冷凍睡眠ですね」
 やがて回診にやってきた主治医が、そんなことを言った。
「理論的には可能かもしれませんが……それに、これはちょっと違うとは思いますけれどね。心臓が動いているのだから、生きているとは言えるのでしょうが。それに脳波もフラットではないですし。ほんの微かに命の火が、身体のごく中心に、今にも消えそうに灯っているような、そんな感じなのでしょうかね。しかし私どもも、生前意志で積極的治療を拒否されていますから、これ以上手の打ちようがないのですよ。薬品アレルギーカードもありますし、生食とブドウ糖の輸液しか打てませんから。血液型も単なるRH(−)ABとは違うようで、かといってボンベイでもなく、まったく一般のものと適合しませんし。なんというか、不思議な患者ですよ」
 そういえば未来世界で科学検査をやった時、エアリィの血液型はRH(−)ABの亜型、という表示だったことを思い出した。亜型ってなんだ? とその時には思ったが、近いけれど少し違う、ということなのだろう。だから輸血に適合する血液がないのか。
「それで、彼は助かるんですか、先生?」
 僕らは口々にそう問いかけた。
「普通なら、もうとっくに死んでいても、おかしくない状態ですよ。手術室に運び込まれた時には、生きているのが奇跡だと思いました。できるだけの処置はしたのですが、正直無駄だろうとも思えました。手術中持ちこたえられるかどうかも、怪しいものだと。これだけの損傷をおって助かった患者など、いませんからね」
 ドクターはかすかに首を振った。
「ですが、この状態はなんと言っても、初めての症例ですから……どう言っていいのか、わかりません。こういう状態でも生きているのが、不思議だとしか言えないのです。それに、あんなに傷ついた心筋が、よく一分間に数回であれ、鼓動できるものだと。幸い内側まで達した傷はなかったので、胸腔内に血液が漏れる心配はないんですが。外側の傷はほとんど止血していますし、漏れても少量でしょう。しかしそれでも……今後も、とても楽観は出来ないでしょうね。今は微かに灯っている命の火も、いつ消えてもおかしくはないと思います。正直に言いますと。なにせ呼吸もしていないのですから。今生きているだけで、奇跡ですよ」
「せめて人工呼吸器だけでも、付けてもらえませんか!」
 僕は思わず声を上げた。
「でも、このカードがありますからね。本人の意思ですから」
 医師は無情に首を振る。
 もしかしたらこの人も敵の一味ではないかと一瞬思ってしまうほど悔しかったが、やはり僕も納得せざるを得なかった。患者の意思は、医療行為に優先する。実家の病院でも、輸血拒否や人工呼吸器の装着拒否をめぐって、医師と家族でもめることが時々あるという。裁判沙汰になりかけたことさえあったらしい。それゆえ、病院側もあまり積極的には、患者の意思に反する治療はしたくないのだろう。それに、気管切開は発声器官にダメージを受ける可能性が高いので、こんな生死の瀬戸際でなかったら、避けたいことは事実だ。

「まあ、そう言うことなんだ……」
 医師が出ていったあと、ロブが重苦しいため息とともに、うなるように言った。そして、ぼんやりとした口調で、こう付け加えた。
「ただ不幸中の幸いだったのは、あの子も無事だったし、他のファンたちも無傷だったことだな。ジャクソンはかわいそうなほど、しょげ返っているがな。人質が解放された時点で、すぐ飛び出すべきだった。だが犯人がまだ銃を持っていたし、爆弾もある。だから、躊躇したんだと。無理もないことだ。あれだけの距離があるからな。そこへ行きつく前に犯人に起爆されて、吹っ飛ぶ危険性が相当あるだろう。それでも彼は、責任を感じているようだ。結果的にエアリィを守れなかったことに」
「あの場では、ジャクソンでなくても無理だよ。彼は専属セキュリティだからと言う思いが強いんだろうけれど、やっぱり同じ危険を考えて、セキュリティは誰も動けなかったんだから。彼が一番早く飛び出したのは、専属の意地なんだろうな」
 僕は力なく首を振り、そして続けた。
「ファンたちが巻き添えを食わなかったことだけは、良かったけど……」
「そうだな……」ジョージが同意し、ロビンとミックも頷いている。
「そう。あそこでジャクソンが危険を冒して飛び出さなかったら、どうなっていたかわからない。ファンたちはエアリィが撃たれたことで相当動揺していたし、あの少女のように、攻撃しようとしたかもしれない。そうしたら、もっと悪いことになっていただろう」
 ロブが物憂げに言葉を続けた。
「でも、彼もエアリィが撃たれたから、たがが外れて、あのスピードで飛び出したわけだし……」
 僕はふと思った。あのジャクソンの“突貫スピード”ともいえる異常な速さ、躊躇のなさは、エアリィが撃たれてしまったという衝撃で、理性や自制が飛んだ結果なのだろう。通常では、あの速度は出ない。さらに向こうの方にも、『目的は果たせたのに、今さら自爆するのか?』というためらいがあった。だから彼の突進で、犯人たちを蹴散らせた。それを引き出すためには、エアリィ自身はあいつらに撃たれる必要があった。そう、あの場での犠牲を最小限にするには、それしか手がなかったのかも――だから彼は、あえて自分の身を危険に晒したのかもしれない。かつて六歳の時、他の子供たちを助けるために、八階の窓から飛び降りたように。
「あの三人の身元はわかったんだ。どうやら地元のカルト(新興宗教集団)の信者そうだ。でもその教祖の男は、『彼らが勝手にやったことでしょうから、私は何も知りませんよ』と言っていたらしい。当人たちも教団とは何の関係もないと、頑強に主張しているしね。警察も個人的な犯罪として処理するしかないらしい」ロブは唇を噛み、話を続けた。
「だが、ともかく直接的な動機はやっぱり『Vanishing Illusions』らしい。何といってもあれはマインドコントロールを解いてしまうから、それを利用して力を広げようとする連中には、許すべからざるものだったらしいな。とくに『Scarlet Mission』は、直接的に作用するからな。在宅信者たちも、ロックミュージックは聴くなと言われているらしいが、CDショップの店頭でも、普通の店でも流れているから、それで聞いてしまうことがきっかけだという。さらに知らなくとも、耳にした人の話で二次的、三次的に広がっていく。そのカルトでも、そのための脱会者が二千人近くに上ったらしい。信者が七千人くらいの教団で、二千人だ。ほとんどが在宅信者、それも若い世代だ。そこは一度入ると、脱会はなかなか難しいんだが……脱会者に信者たちが嫌がらせをしたり、連れ戻そうとしたりするらしい。しかしいくらカルトとはいえ、一度抜けてしまった人を拉致したり、怪我をさせたり持ち物を壊したりすれば犯罪だ。だから、そこまで派手な手は打てない。それに今回はあまりにも数が多くて、とても対処できなかったらしい。それで何とかしなければと、彼らも焦っていたようだ。でも、これは氷山の一角だ。他にも似たようなケースは、きっと山ほどあるだろう。僕らも精一杯ガードしてきたんだが……追い付かなかった。それが悔やまれるよ」
「そうだね。まさかホテルの警備員に化けて、ファンを人質に取るなんて思わなかったし。しかも、Suicide Bomberだったなんて……」ミックは首を振っている。
「ああ。犯人たちは、個人的にも、かなり憎悪があったらしいんだな。だから、最悪自分の命がなくなってもと、実行役を買って出たのだろうな。どうやらあの子を押さえていた男の恋人と、銃を付きつけていた奴の妹、それにあの中年男の十六才の一人娘が、ともに『Scarlet〜』をきっかけとした脱会者なんだよ。あの男は在宅信者だが、ほぼ毎日教団本部に詰めているほどの、熱心な信者だった。娘の方は、土日は朝から教団のカリキュラムに参加して、平日は学校へ通い、その足で夕方の礼拝に参加すると、家に帰ってくる毎日だったという。彼女は、ロックやポップスは悪魔の音楽で決して聞いてはならないと教えられ、世俗と交わってはならないと、学校で友達も作らず、話もしたことがなかったらしい。ただ教団の仲間に、ひとつ年上の親しい友人がいたそうだ。その友人が、八月の頭に脱会した。『父さん母さんは信者だから、わたしは弟と一緒に抜けて、伯母さんの家に身を寄せる』と。なぜ、ときいたら、彼女は答えたらしい。『わたしは偽りを信じていたことがわかったから。彼らの音楽はちっとも悪魔的じゃない。むしろ天使のようよ。わたしは○○というCDショップの店頭でビデオを偶然見たの。あなたも一度、見てみると良いわ。人生が変わるから』と。その友人は、同じようにファンになったという十四歳の弟と一緒に、その宗教に元から反対していた伯母の家に駆け込んだらしい。そしてそこから教団に、内容証明郵便で脱会届を送ったそうだ」
「そうか……それで、その娘も?」僕は問い返した。
「ああ。それから彼女は、初めてインターネットカフェに入り、動画を検索したという。彼女の大切な友人をたぶらかしたのは、どんなものなのか、見てやろうという気になって、『AirLace―Scarlet Mission』その友人が告げた言葉を頼りに。そして見た。衝撃のあまり、彼女は憑かれたように連続再生をかけ、そして『Vanishing Illusions』のCDを買った。たまたまその日、ショップに入荷していたらしい。八月なので学校はなく、教団のカリキュラムはあったが週五回だ。それでその合間に、彼女は父親の目を盗んで、CDをずっと聴いていたらしい。父親はほぼ年中無休で教団にいたから、家には彼女一人と言うことも、よくあったそうだ。教壇はロック音楽を禁止していたが、教団が作る音楽は推奨されていたので、家には再生装置があったんだな。父親に見つからないように彼女はベッドの下に慎重にCDを隠し、聴いているうちに、疑問がわきあがってきたという。友人が言ったことは本当だ。教団は信じるに値しない。ここにいたら、自分はだめになる、と。だが友人と違い、彼女には身を寄せられる近い親戚はいない。生き別れた母親にも連絡する手段がない。教団は脱会者には厳しい。見つかったら連れ戻されて、罰を受ける可能性もある、と。ただ無理やりに連れ去ることは違法なので、脱会者たちは常に警報ブザーを持ち歩き、複数で行動することがほとんどだ。教団に反対している親戚たちも結束している。だから教団は、そういう脱会者には手出しはしない。でも自分には、その伝手はない。迷った末、娘は思い切ってエアリィに手紙を書いた。たぶん届かない。それでも、頼れる人は彼しかいない、と。もっともその時には、彼女は彼を女性だと思っていたらしいが。あの外見だし、アーディスという名前も、エアリィという呼び名にしても、男性とはわかりづらいのだろうね。ともかく彼女は自分の状況といきさつを書き、わたしを迷妄から覚ましてくれたあなただけが頼りだ。あなたはわたしの新しい教祖様なのだから、どうしたらいいのか教えてくれ、その通りにするから、そう書いたそうだ。その手紙がたまたまエアリィの手元まで届き、彼はそれを読んで返事を書いた。普通ファンレターの返信はきりがないから、基本的にはしない。公式サイトの個人ページにメッセージを書くぐらいなんだが、あまりにも切迫した訴えで、なおかつプライベートなことだったから、返事を書かなくてはと感じたんだろう。娘はその返信にすっかり感激し、そのアドバイスに従って考え、九月に入ってから、勇気を持って脱会したんだ。学校帰りに脱会者の支援施設へ電話し、そのままそこへ駆け込んでね。CDと――もうその時には全部そろっていたそうだが――身の回りのものだけを持って。その直後、あとの二人の恋人と妹も同様な経過をたどり、娘の後を追った。その娘は、今は十年ぶりに会った母と弟と一緒に暮らしているが、参考人として警察に呼ばれたんで、僕も話を聞いてきたんだよ。その娘は今もお守りにしていると、泣きながら手紙を見せてくれた。僕はそのコピーをとらせてもらって、持ってきたんだ」
 僕たちはロブが広げた紙片をのぞき込んだ。発信日付はツアーのインターバル中の八月末だ。連日それこそ山のように届けられるファンレターの一部をオフの間に少し読んでみたらと渡されるのが慣例だから、問題の手紙も偶然中に入っていたのだろう。

【マーガレット・ローデスさんへ。
 初めまして。手紙読みました。ありがとう。君の悩みはわかりました。でも、間違っても僕を君の新しい教祖さまにすることだけは、やめて下さい。はっきり言ってしまえば、僕は君の人生に責任を持つことは出来ないし、その資格もないです。だって、君の人生はあくまで君のものだから。教祖様にしろ僕にしろ、結局は不完全な人間です。完全なものがあるとしたら、それは神です。今は完全な“神”を見出すことが出来ないならば、かわりに自分自身を信じてください。君の心の声を聞いてください。君は何をしたいのか。君が本当に望んでいる生き方は、何なのか。君の幸せとは、何なのか。目を閉じて考えると、やがて君の心が答えを運んでくれると思います。
 僕は何かを考えたい時には、自然の中に一人で出るのが好きです。その景色の中で、無になれるから。それが無理なら、自分の部屋でも。まあ、一人の時限定だけれど。君も君の方法を見つけて、君の心の声を聞くことが出来たら、その声に従ってみると良いでしょう。もちろん君だって不完全な人間だから、その判断は間違っているかもしれない。でもほかの誰かの決断じゃなく、君自身の決心だったら、仮に間違ったとしてもやり直せるし、自分自身で責任も持てるでしょう。それが僕に出来る、唯一のアドバイスです。もしその結果どうしても脱会したくて報復が怖いなら、そういう人たちの手助けをしてくれる場所をいくつか知っていますから、参考までに電話番号を書いておきます。たぶん君の住所だと、ここが一番近いから。脱会したら、どうすれば教団に連れ戻されずにすむか、その人たちがアドバイスしてくれると思います。ここはもう、いろいろな宗教から、千人くらいの脱会を手助けしていると聞いています。
 君はまだ十六才なのだから、これからもいろいろと人生で選択を迫られることが出てくるでしょう。でも、それで悩んで考えて、自分で決めて乗り越えて行かれるようになれば、きっと君はより成長できると思います。がんばって!
                  君の上に幸運がありますように  
                 アーディス・レイン・ローゼンスタイナー】

「あいつらしい手紙だな……」
 そう言ったきり、僕らは黙りこんだ。元々彼は教祖を神とするカルトには否定的な見解を持っているから、この返信では結果的に脱会せよと言っているのと同じ、と言われても仕方がないだろう。ただ犯人がこの手紙を見たかどうかは怪しいが。もし父親が見ていたら確実に破られて、娘の手に残っていることは、ありえないだろうから。
「あいつらは、この内容は読んでいないはずだ」ロブもそう言った。
「だが、手紙をもらったという話は聞いたようだ。娘が脱会組織へ駆け込んだいきさつを教団で調べているうちに。それで、思ったのだろう。『VI』アルバムだけでなく、手紙でも巧妙に脱会をそそのかしたのだと」
「この内容を読んでたら……あの人たち、少しはわかってくれたのかな」
 ロビンが呟くように言い、
「いや……無理だろうね。彼らにはきっと……届かない。僕も彼のアドバイスは正しいと思うし、真理だと思う。でも、偏見に凝り固まった人たちは、真理を見抜く目が失われているんだろう。レンズが曇りすぎているのだろうね」ミックが静かに首を振る。
 僕も同感だ。エアリィが書いていることは、至極全うな、そして彼らしい真理だと思う。彼がこの返信を無造作に書きとばしたのでは決してないことも、はっきりとわかる。そもそもファンレターに返信を書くこと自体、かなり異例なのだ。彼なりに考え、精一杯の誠実さを持って書いたのだろう。相手の娘にはそれが伝わった。だが、偏った考えに凝り固まった男たちにとっては、ただ脱会をそそのかしたという結果しか見えなかったわけだ。内容を仮に読んだとしても、同じようにしか感じなかっただろう。
「バカ野郎! そんな物騒な宗教から目を覚まさせてやって、何が悪いって言うんだ。とんでもない逆恨みだぜ!」
 ジョージが声を上げ、僕も心の中で同時に同じ言葉を繰り返した。エアリィがやったことは、なんだ。あのアルバムを中心になって作った。ほとんどの曲を書いた。そのコンセプトと感情をリスナーに伝えるため、歌った。アメリカとヨーロッパを回って、コンサートをした。それだけだ。だがその結果、少なからぬ人々の人生を変えさせ、おびただしい人たちの称賛を浴びる一方で、ここまで狂的な憎悪をも引き起こしていたなんて。これが境界を踏み越えてしまったことに対する反作用なのだろうか。恐ろしかった。だが、やはりひどく理不尽だという思いも拭えない。
「連中は、あの場でも言っていた通り、ちょうど我々がヨーロッパツアーに来ていたから、絶好の報復の機会と考えていたようだ。ベルリンやパリのように数日間滞在する街にも、行ったことがあると。だが、どっちの場合もホテルを探しだしても、まず単独行動がないし、エアリィの驚異的な身体能力についても聞いていたので、正攻法では無理だと悟ったらしい。それに我々も用心していたからね。ロンドンには、我々は一週間弱滞在する予定だった。連中の地元でもあることだし、最後のチャンスと思ったらしい。ホテルを二日目に突き止めてからは、ホテルと会場、両方の出入り口に詰めてチャンスをうかがっていたそうだ。だが、やっぱり隙がない。一度買い物に出た時を狙ってみようとしたが、いつもガードやギャラリーが多くて、なかなか近づけない。仮に素早く近づいていったとしても、攻撃をかわされる確率の方が高いし、周りに取り押さえられてしまうだろう、と。そこで、逆にそのファンを利用しようと思いついたのだそうだ。盾にとって脅せば、乗ってくるかもしれないと。それも、コンサート会場は警察がいるので、交渉が成立しにくい。だがホテルの方ならあるいは、と思ったらしい」
「そうか……」僕らは唇を噛み、頷いた。
「『あいつを殺せたら、それで本望ですよ』あの男は、そう言っていたらしい。『信者を爆弾や銃でたくさん殺したところで、本尊を叩かなければ、意味がないですからね。最悪の場合はホテルで機会がなかったら会場の方に行って、表で待っているファンどもを、銃と自爆テロで血祭りにあげようと思っていました。せめてもの報復にね。ホテルで行動を起こせても、あいつが出てこなかったら、同じことを考えていたんですが、あっさり出てきてくれて、拍子抜けしました。ね、本人が殺せと言ったのだから、殺人ではないんじゃないですか』などと、ふざけたことを言っていたそうだ。『その状況で、そんな理屈が通るはずがないだろう。立派な殺人罪……いや、今のところは殺人未遂だ。それと脅迫罪と、未成年者略取だ。十三歳の女の子を、人質に取ったんだからな。他にも警備員から制服を奪った強盗罪と、彼らを物入れに閉じ込めた拉致監禁罪、それに銃刀法違反や騒乱罪など、かなり積み重なるぞ』刑事さんがそう言ったところ、その男は驚いたように『殺人未遂……へえ、まだ死んでないんですか。しぶとい奴だ、畜生。あの銃で胸を撃ったら、たとえ直撃せずとも、心臓もろとも中はぐしゃぐしゃになって即死するはずだと、聞いたんですがね』と言ったらしい。銃を撃ちなれていない素人だと、発砲の衝撃で手元がぶれるのは珍しくないが、あれだけの至近距離だから、たとえ半分不発弾だったとしても、普通だったら即死のケースだと、警察も言っていたよ」
 ロブが深いため息をつきながら、首を振った。
 僕は何も言えなかった。犯人たちに対する憤りの他に、感情が湧いてこない。そしてさらにあのホテルで騒ぎが起こらなかったら、最終公演会場の外で惨劇が起こったかもしれないのだ。それを考えると、ぞっとした。どちらがいいか、という問題ではないのだが。
 長い間、沈黙だけで時が過ぎる。やがてジョージがこらえ切れなくなったように、自分の太ももを叩いて――本当はベッド柵を叩きたかったような感じだが、振動を与えないようにと思ったのだろう――声を上げた。
「おい、エアリィ! 昨日の今日じゃないか! なんで、そういうことになるんだよ! 俺たち、いつまでも五人でやって行こうって、言ってたばかりじゃないか!!」
 その声には、涙が入り混じっていた。おそらくそれは、僕らみなの思いだっただろう。誰も何も言えず、ロビンやミック、ロブも泣いてしまっている。でも僕は泣きたくなかった。泣いたら、もうだめだと認めることになってしまうような気がした。
 考えが漠然と巡っていく。昨日までの僕だったら、この事態になって、目が覚めたのだろうか。たぶん――エアリィに対して感じていたネガティヴな思いは、決して憎悪ではないから、やはりはっとしただろう。それに僕は本当に、彼に出て行って欲しいと思ったことはない。僕の影の部分は、決して百パーセントを占めることはなかったから。あの時以外は。でもそれを克服し、バンドの中のとげが消え、五人の絆を取り戻したその翌日に、彼は“出て行って”しまうのだろうか。こんな形で。それは、たとえ一時的にであっても、友に悪感情を持ってしまった僕に対する、罰なのだろうか。

 それからの一週間は重苦しく、また騒々しい日々だった。事件の翌日昼ごろ、アデレードが泣きはらした顔でやってきた。妹のエステルも、動転した様子で病室に駆け込できた。『お父さんと兄さんが、もう少し様子がはっきりしたら行くって言っていたわ』と、エステルが翌日、言っていたこともぼんやりと覚えている。
 三日目の午後、それまで病室に入れなかった小さなロザモンドが、初めてやってきた。重苦しい沈黙の中を。その日の朝から、かすかに打っていた心拍が、不安定になり出していた。時には一分に二、三回という状態を時々繰り返し、『もう、いよいよだめですね』と医師は首を振り、僕も、そしてたぶん他のみなも、悲壮な決意を固め始めていたころだった。それで、ロザモンドに会わせなければ――エアリィに意識はなくとも、小さな娘に会わせたい。ロザモンドの方も、父に会いたいだろうと――せめて生きている間に。その思いでの、父娘の対面だった。
 しかしロザモンドがトロントから同行してきたシッターさんに連れられて、病室に入ってきた時には、心拍が一分間途絶えてしまった状態だった。間に合わなかったのか――僕らが呆然とする中、そんな事情など何も知らないロザモンドは、ぱっと表情を輝かせて、ベッドに駆け寄っていた。「パミィ! ロージィ、来たよ! おっきして!」と声を上げ、ベッドに飛び上がろうとしている。そして柵でつまずいたのか、そのまま乗り越え、一回転して父親の身体の上に着地していた。
 ピッと微かに計器の音がした。僕は頭を上げた。心電図の線が、小さく動いている。ロザモンドが乗った衝撃だろうか。でもその山は、数秒後にまた現れた。さらにまた数秒後にも。鼓動が再開している。まるで小さな娘にエネルギーをもらったかのように。相変わらず一分間に十前後という低いペースながら、コンスタントなリズムを取り戻していた。僕はしばらく呆然と心電図を見つめ、そして歓声を上げた。その場の他のみなも、同じようだった。アデレードは泣き笑いの顔で、ベッドから娘を抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。「ロージィ! ロージィ!」と娘の名を繰り返し叫び、「ありがとう、ありがとう!」と、再び繰り返している。エステルも同じように歓声を上げ、小さな姪の頭をくしゃくしゃに撫でていた。泣きながら。ロザモンドは最初きょとんとし、周りの人たちとベッドの上の父親を交互に見たあと、泣き出した。
「泣かなくてもいいのよ、ロージィ」
 アデレードはいくぶん落ち着いたのか、娘を再び抱きしめ、優しく声をかけていた。
「驚かせてしまって、ごめんなさいね。本当にありがとう。あなたのおかげよ……ママも泣いているけれど……今はちょっと、うれしくて泣いているの」

 ただこれは、幸運な偶然だったのだろう。二歳の幼女が瀕死の人の病室にいられる時間は、そう長くはない。一日十分か十五分ぐらいが、妥当な線だった。幼いゆえに状況がわからないので、何をするか予断を許さないし、彼女自身も父親の、明らかに普段と違う姿をずっと見ていると、違和感や不安を感じてしまうだろう。でもアデレードは看護についていて、子供の面倒を見る余裕は、ほとんどない。
 その彼女の付き添いを病院側に認めさせるのには、一悶着あった。石頭の病院関係者が『面会謝絶で絶対安静の重病人の付き添いは、配偶者か肉親に限る』と、看護を許可しなかったからだ。『延命処置はしない』という誓約書のサインも、エステルに求めていた。彼女は実の妹だからだ。付き添いも妹ならOKだが、アデレードではだめだと言う。だが、たとえ籍は入っていなくとも、彼らはロザモンドという子供もいる、実質上の夫婦だ。イギリスだって、事実婚は認められているはずだ。せっかくトロントから駆けつけてきたのに会わせてもらうこともできず、廊下で泣いていた彼女を見るに見かねて僕たちは猛然と抗議し、ようやく付き添いを認めさせたのだった。
 幼いロザモンドの世話は、同行してきたベビーシッターさんとエステルが交代でやっていたが、時々僕たちも世話係を買って出ていた。ロザモンドは人なつっこく、まるでお人形のようなかわいらしさと、女の子にしては活動的な性格を併せ持っている。でも、ある程度遠慮しているのか、あまりわがままを言って困らせることはなく、ききわけも良い。僕は彼女の相手をすることによっていくぶん気が紛れ、救われた気分だった。ただ、いつも広い庭を駆け回っているせいか、外遊びが大好きで、しょうちゅう外へ出たいと訴える。少々もどかしく、かわいそうでもあった。元気にあふれた幼児が、二六時中ずっとホテルの部屋に閉じこめられていては、退屈なのはよくわかる。天気のいい日にハイドパークあたりへでも連れていってやりたかったが、今は外に出すわけにはいかなかった。まだあのカルトは健在だし、同じような反対勢力も、かなりの数があるだろう。その連中が罪のないファンに手を出した以上、同じように罪のない子供に危害を加えないという保証はない。やはり、よけいな危険を犯すわけにはいかなかった。
 僕らの周辺は、かなり騒然とした状況だった。一部には『射殺された』などという早とちりの誤報が流れたし、実際のところも『生命の危機に瀕している』のには違いないのだから、ファンたちの騒ぎは想像にあまりある。
 公式サイトにある彼の個人ページは事件後、記事がいったん全部下げられ、管理者の【私たちにできることは、祈ることだけです。あなたの祈りを伝えてください】というメッセージと、ファンたちが書き込みを寄せるためのPrayer Bookというコーナーだけになっていたが、そこは一、二日で八桁を超える祈りの書き込みで埋まり、日々倍増する勢いで増えていった。公式サイト自体、異常に重い状態が続いている。ホテルや病院の周りには、いつも大勢のファンたちがうろうろしていた。まさか同じ人がずっと居るわけではないだろうが、入れ替わり立ち替わり、事件の夜からずっと、ほとんど人数が減らないようだ。騒いだら迷惑だと諭されてからは、おとなしく立っているか座っているかしているが、僕らや関係者が出入りしようものなら、すごい騒ぎになる。
 彼らの関心はわかる。みんな、エアリィがどうなったか知りたいのだろう。気持ちはわかるが、騒ぎはまわりに迷惑がかかる。それも、僕らがあまり外に出られない理由の一つだった。彼らの関心は僕らも同じだ。問いかけられても困る。僕らにも先の展望がどうなるかわからない、不安な一週間だった。でも一番返事に困ったのは、ある日ロザモンドが大きな青い目をまん丸にして、こう問いかけてきた時だった。
「どうしてパミィは、いつも、ねんねしてるの? いつ、おっきするの?」
 パミィという呼び方はパパとマミィの合成らしいが、普段ならば笑ってしまうその呼び名にも、僕らは注意を払う余地はなかった。彼女が小さいなりに、何か尋常でない事態が起きているのを理解し始め、強い不安を感じているのがわかっているだけに。
「そのうちにね、きっと起きるよ……」
 僕はしばらく黙った後、子供の美しい金髪の頭をなでながら、やっと答えた。
「起きたら、言ってやるといいよ。『お寝坊さんね』って」




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