Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

六年目(9)




「まあ……いくぶん安心したぜ、ジャスティン。今のおまえを見てたらな。本心から分裂を望んじゃいないって、よくわかったからな」
 ジョージが僕の背中に手をかけ、軽く叩いた。
「そう落ちこむなよ、ジャスティン。人間誰しも、聖人じゃないからな。おまえがそう思うのも、俺だってちょっとは理解できるぜ」
「そう。誰だって、みんな基本的には自己中心なんだよ。自分が王さまだと思いたいのさ。それが人間としての本能だし、また煩悩だとも思うんだ」
 ミックも頷きながら僕を見、落ち着いた口調で言う。
「みんなも……やっぱり、そうなのかい?」僕は思わず頭を上げてきいた。
「ジャスティンが言ったことかい? そうだね。似たような感情は、多少あるかもしれないね。僕は外に行くと、見られることは多いけれど、あまり話しかけられはしないんだよ。『エアレースのミックね』『ああ、キーボードの』『実物、本当に太ってるわね』なんて言われて、終わってしまうことが多いんだ。それで僕が傷つかないと思うかい? 中には『サインください』という人もいるけれど、たいていそんなに熱心じゃない。彼ら彼女らからすれば、僕は彼らが大好きなグループのメンバーだけど、本当にそれだけで、僕自身にはほとんど重きを置いていないんだな、と思い知らされる。それは、あまり愉快な気分じゃないさ」
「うん。僕もそうだよ、それは。話しかけられても困るけれど、全然気づかれなかったり、『ああ……』って認識だけされて素通りされたりすると、ちょっと複雑な気分になるし」
 ロビンは肩をすくめ、
「俺もそうだな。見られはするが、『誰だっけ?』『エアレースのドラムだよ』『ああ、ああいう顔してたんだ。ちょっとごついね』なんて言われる。複雑だよな」
 ジョージは苦笑して、頭をかいている。
「だが、おまえはましだろう、ジャスティン。おまえはまず間違いなく、話しかけられたりサインを求められたりするだろうからな。かなり熱心に」
「まあ、それはそうなんだけど……それはそれで煩わしいかな」
 僕はちょっと肩をすくめた。
「俺たち三人とおまえとの間には、大きなラインがあるんだよ、ジャスティン。ファンや関係者には。でもまあ、俺たちも最初からそれはわかってるし、諦めている部分もある。おまえが持っているものには、俺たちは到底叶わない、と。おまえは才能もあるし、カリズマもある。エースになれる奴だ。俺たちは裏方だが、その中で自分のベストを尽くそう。俺たちがいなければバンドは困るんだ。セッションを入れればいいなんて言われないよう、がんばるぞ。最初から、俺たち三人はそういうメンタリティだから、ファンのそういう言動に多少傷つきはするが、出来るだけ気にしないようにしている。そうだよな」
 ジョージの言葉に、ミックとロビンも頷いていた。
「だがサードアルバム以来、エアリィとおまえの間にも大きな線が出来ちまった。しかもこのラインは、どうやっても踏み越えられない。それが、俺たちも気になっていた部分なんだ。ジャスティンは完全な二番手に落ちるのには、慣れていないだろうと思ってな」
「そう。ローレンスさんが一昨年の夏に言ってたみたいに。君は聞いていたんだよね、ジャスティン」ロビンが僕を見、
「ああ。本当にローレンスさんの仰っていたことは、すべて当たっていたよ」
 僕はため息をついて頷いた。
「さらに悪いことに、エアリィ本人はド天然だからな、言ってみれば。わかっていて、あえて言っているわけじゃない。あいつはマジでずれてるんだ、感覚が。だから俺たち四人の、なんていうか、そういうコンプレックスを理解できない。人より劣ると言う悔しさが、あいつにはまったくわからないんだろうな。というか、そもそも人に優劣をつけると言うことすら、考えもしないんだろう。だから、『えー、みんなおんなじだよ〜』とか、素で言ったりもする。まあ、あいつはそういう奴だってわかってるから、腹は立たないが、多少神経を逆撫でされることはあるからな、俺も。そういうことを言って角が立たないのは、本当に平均的な奴だけだ。あきらかに上のやつが言うなよ、とな。でもそれが、あいつにはわからないんだ」
「それはあるね、たしかに」
 ジョージの言葉に、僕は思わず小さな笑いを漏らした。ローレンスさんもあの時、似たような事を言っていたなと思い出しながら。
『あの子はものの見方や考え方が、他のみんなと違っている。それゆえに、自分が理解できない感情に対して、無頓着になってしまう部分もある。いい関係を築いているうちは、そういうナチュラルな無頓着さも笑い話で流せるんだ。だがその関係がきしんでくると、相手の神経を逆なでする原因になる。そこだけは注意が必要だね』と。
 ジョージは膝をついて僕と同じ目線になり、続けた。
「だから、おまえが言ったような感情は、俺たちも大なり小なり持ってるのさ。ただ、悪感情にはなっていないし、排除したいとも、まったく思っちゃいない。俺たちはみんな、あいつのことが好きだ。ネガティヴな気持ちより、そっちの方が大きいからな。あいつはバンドの活力だ。前にミックが言ったように。いないと寂しいし、何か一本肝心なものが抜けたような物足りなさを感じてしまう。しかも、あれだけとんでもない才能とステータスにもかかわらず、ド天然で無邪気で、俺らみんなのことを信頼しきっているから、その信頼に応えたいとも思う。それにエアリィを排除したって、俺たちがナンバーワンになれるわけでもない。俺たちは元々、裏方のメンタリティだからな。バンドをとんでもないところへ引っ張って行くあいつのパワーに、ただ感嘆するだけなんだ。だがまあ、おまえは単純に驚くには、ちょっとばかり才能がありすぎたし、エース的なプライドも持っていた。それだけさ」
「そう言ってくれると……少しは気が楽になったよ。ありがとう」
 僕はふっと大きく息をつき、立ち上がった。
「そう。君は本当に才能のある人なんだ、ジャスティン。君は真の天才だ。君は聞いていないかもしれないが、去年君が参加したディーン・セント・プレストン氏の曲は、君のギターのインパクトがあまりにも強すぎて、歌を霞ませてしまったために、向こうのエンジニアやプロデューサーは、君のギターの音圧を下げようとしたり、エッジをなくそうとしたり、相当苦労したらしいけれど、それでも君の音が突出するのは避けられなかったようなんだ。だけど、このバンドにおいては、その君さえも取り込まれてしまう。それだけ特殊なバンドなんだ、AirLaceは」
 ミックは僕の目を見ながら、腕を軽く叩いた。
『長い音楽生活の間には、真の天才と言われる人たちも見てきました。でもその人たちにさえ到達できなかった。それが未踏の領域なんです』
 四年前、集中練習のあとに行った旅の途中、ローレンスさんがそう言っていた。僕が(自分で認めてしまうには、まだくすぐったさが残るが、しかし無意識領域では、はっきりと自覚していた)ギターの天才だったとしても、それでもその領域には手が届かない。その領域に行ってしまったエアリィとの間には、どうしても踏み越えられない線が存在する。そう、ジョージが言ったように。そのことに対して、しかし僕のプライドは抵抗し続けていたのだろう。自分には決して到達できない領域ゆえに、どんなにそこに近づこうとも、超えられないそのラインのために僕は焦れ、もう少しなのに、少なくともミックやロビンやジョージより、近いところにいるのに――そんな傲慢さとともに、よけいに焦燥の気持ちが強くなっていったのだ。僕自身には、まったく自覚されないままに。
「ジャスティン。まずは正直にそれを認めることだ。君は誠実な上に、正義感や道徳観念が強い。それは君の美点でもあるけれど、同時に自分の心を縛る枷になることもあるんだ。いつも正しくあろうとするその心は、自分の中の悪感情や、人間として当然持っている原始的な欲望を認めまいとする。そうして君のネガティヴな感情は、潜在意識の中に封じられてしまう。それがたまって大爆発が起きたんだ。いずれは爆発する運命だったんだよ」
 ミックは静かにそう言葉を継いだ。
「ああ、本当にそうだった。僕は今、はっきりそう自覚したよ」
「たとえ爆発する形になったとしても、君の中のその思いを君自身が自覚できて、良かったんだと思う。そう、逆に言えば、今爆発してくれて良かったのかもしれない。これ以上潜在意識の中にネガティヴな思いを封じ続けると、もっとひどいことになったかもしれないからね」
 ミックの言葉で、僕はあらためて気づいた。そうだ。僕はつい三十分ほど前までは、ネガティヴな気持ちなど、ほとんど意識していなかった。あくまで自分の気持ちは変わりないと、思い込み続けていた。もし封印を切られず、このまま膨らみ続けたら、どうなっていたのだろう。
 去年、ディーン・セント・プレストンとのセッションで僕が連中の妨害工作に捕らわれた時、奴らが最後に言っていたことが、不意によみがえってきた。
『分裂でなく内乱を狙うという意味が、わかりますか? これは遠まわしの三段論法です。まずローリングスのもっとも大事にしているものに、打撃を与える。そして、よりフラストレーションを感じやすい状態にする。その状況では、たとえ今は友達だと思っていても、我々が望む感情をだんだん持つようになってくるでしょう。人間ですからね。そうすれば、やがて味方にも……』
『善良な人間が堕ちていくのを見るほど、快いことはない。かつての親友を手に掛けてしまって後悔する図、など、想像しただけで愉しいではないですか』
『いやみなぐらい善良なバンドがクーデターで崩壊する、か。面白いね』
 今爆発せず、もっとたまり続けていたなら――僕の闇の心は、アーディス・レインという存在を排除することを願っていた。間接的にではあるが、『出て行け』と言ってしまったように。それがもっと膨らんでいき、そして暴発することになったら――。
『連中が目標としているのは、ジャスティンを使ったエアリィ潰しなのだろうと思う』
 ローレンスさんはそう言っていた。妨害者たちの話からも、最終的な目標は間違いなくそこなのだろう。でも僕が――いくらネガティヴの塊になり、排除したい気持ちが暴発したとしても、積極的に友を手にかけるとは思えない。そこまでは――僕は殺人者にはならない。だが、このまま闇の気持ちが膨らんでいき、暴発してしまったら――。
 ふっと、イメージが浮かんできた。致命的な場面での一押し。たとえばビルの屋上や、海に面した断崖のような――いや、ビデオ撮影でもなければ、そんなところへなど行かないだろうが、まったくないとは言えない。さもなければ、夏に何度かあったように、一つ間違えば命を奪われても不思議ではない攻撃をされた時、あえてエアリィの邪魔になるような行動をとってしまう可能性だってある。彼の集中を乱すような行為や、もっとひどい場合には犯人を後押ししてしまうような――。
 激しい寒気を感じた。自分がまるで別の誰かに変貌したかのような、あの経験をしてしまった以上、絶対にないとは言い切れない。そしてたぶん、やってしまってから僕は我に返る。そうなったらもう、取り返しがつかない。それは分裂よりひどい、最悪のシナリオだ。『双方にとって、非常に悲劇的なことになってしまう』と、かつてロブが訴えていたように。エアリィは百パーセントは死なないかもしれないが、仮に生き延びても、僕に裏切られたという衝撃は残るだろう。もし最悪、命を落としてしまったら――いや、そんな事態は、仮定でも恐ろしくて考えたくない。そして僕は犯罪者に成り下がり、その人生は破滅する。ステラやクリスまでもが、自分の名誉欲のために親友を殺そうとした最低の犯罪者の家族という目で見られてしまう。いや、そこまであからさまに発覚しないような罪でも、僕はその呵責に耐えきれないだろうし、今はネット社会だ。僕への疑惑は広がり、同じような目で見られてしまうだろう。
 僕はとんでもないところへ向かって、突き進んでいたのかもしれない。己の人間的な弱さや傲慢さのために。僕は再び床に膝をついて、震えた。
「ま、まあ、行き着くところまで行っちまわないで、良かったな、本当に」
 他のみなにも、僕の思っていることが伝わったのだろう。ジョージの声は少し震えていた。見上げると、ロビンとミックも青ざめた顔をしている。
「それに比べりゃ、今の状況は、まだまだ救いようがあるぜ。まあ、いきなり『出てけ』は焦るけどな」ジョージは再び、僕の肩をぽんと叩いた。
「わかってるよ。たしかに今爆発した方がましだったとはいえ、あそこまでひどいことを言うつもりはなかったんだ。自分の中にあんな思いがあったことなんて、ちっとも気づかなかった。あの時の僕は、別の人間だったと言いたいくらいさ」
 僕は首を振り、立ち上がった。
「でも、もう取り返しがつかないかい? 手遅れかい? エアレースは分裂するしかないのか? ああ、もしそんなことになったら、僕は自分が許せないよ」
「バンドが分裂するかどうか、それはおまえ次第だ。ただ俺たちは、そんな事態はいやだ。それははっきり言うぜ。このまま五人で行きたい。最悪分裂になったとしても、無条件でおまえについて行くとも、約束は出来ない。まあ、最悪の場合には、最終的にはたぶんそうなるのかもしれないがな」
 ジョージの言葉に、ミック、ロビンも再び頷いている。
「ああ。わかってるよ。僕はエアレースの分裂なんて、望まない。最初から、望んでなんかいないんだ」僕は強く頷いた。
「僕は大事なことを見失っていた。僕たちはなぜミュージシャンになったんだ? バンドを結成した、そもそもの動機は何だった? 有名になりたいからじゃない。成功したいからでもない。ましてや、自分がヒーローになるためなんかじゃないんだ。音楽をやりたいから、一緒に音楽をやっていて楽しいから、幸福だから。僕たちの音楽を聴いてくれる人が感動したり、好きになって欲しいから、だから僕は音楽を始めた。バンドを作った。なのに、それを忘れていたんだ。僕たちは幸福な仲間だったのに。僕ら五人、ずっと一緒でいたい。誰も失いたくはないよ」
「僕たちもそうだよ。みんなで一緒にいて楽しくて、一緒に演奏するのが楽しくて、お客さんも喜んでくれる。だから僕たちは一緒にやっているんだ」
 ロビンは熱っぽい口調で同意し、
「そうだよ。そして、その気持ちがある限り、たぶん大丈夫だ。君が本気で現状維持を望むなら、エアリィもわかってくれるだろうし、バンドも続いていくことが出来ると思うんだ」と、ミックは頷く。
「まあ、結構なことを言っちまったから、取り返すのは大変かもしれないがな。でも、修復できないことはないさ。エアリィが人を許さないなんてことは、絶対ないだろうからな」
 ジョージは僕の肩を、再びぽんと叩いた。
「ああ。あいつはそういう奴だよ……」僕は頷いた。
「本当に、あんなことを言って、悪かったと思う。それを謝りたい。それに、まだ話は終わっていない。あれだけが僕の本心じゃないんだ。そのことも伝えないと」
 僕は立ち上がった。そして、ふと思った。今作のプリプロダクションの初日、あの忌まわしいセッションのことを話した時、『でもプレストンさんって、幸せな人には見えないな。むしろ寂しい人だって印象なんだけど、ジャスティンの話聞いてると』そんなエアリィの言葉と、『こいつはいい奴だよ、決して裏切らないからな』と犬を見ていたプレストンさんの目を。そう――あの人は、たしかに寂しい人だ。それはかつての相棒、カール・シュミットさんに裏切られたから。彼らは小学校時代からの親友だったという。同じ相手に恋をして、その彼女が最終的にカールさんを選んだ時も、二人の友情は続いていたと聞く。その親友が、さっきの僕のように突然豹変した。無二の親友と信じ、バンドへの情熱もともに分かち合っていると信じていた友の、突然の裏切り。そのことはプレストンさんに非常な衝撃を与え、彼は二度と人を信頼できなくなったのかもしれない。そうだ。実際、彼も言っていた。『もう誰かと共同作業なんてたくさんだと思い、バンドを解散させた』と。それだけ大きな衝撃だったのだろう――そう理解した時、彼に対して感じていた憤りと憎しみが消えた。プレストンさんが僕に対してやったことは決して許せないが、恨んでもどうにもならないことなのだ。憎しみや憤りは心を腐食する。嫉妬も。
 僕はふっと息をついた。でも、僕らは違う。そうはならない。僕はカール・シュミットさんの二の舞はしない。エアリィは僕が離反したとしても、根本的にプレストンさんとは人間の質が違うから、まったく違う道を行くだろうが、それでも僕らの道はここで分かたれたりはしない。最後まで――僕はもう裏切らない。

 僕は個室のドアを叩いた。しかし、返答はなかった。いくら呼んでもドアを叩いても、返答もなければ物音ひとつしない。閉じこもってしまって出てこないというタイプではないと思っていたので驚いたが、それだけ衝撃が深かったのかもしれない。だがここの鍵はラッチ式だから、中から開けてくれなければ、外からは開かない。
 そこで僕はふと思い出した。『ラッチ式の鍵だから、細い定規を突っ込めば、なんとか開けることができた』と、去年シルーヴァ・バーディットが彼の身の上を話していた時、言っていたことを。ぴったり密閉したものなら無理だが、木造の農家のドアなら、可能だったのだろう。ここのドアもプレハブ的な作りだから、少し隙間がある。無理やり開けて入るのは、デリカシーがないと言われればそれまでだが、あまりにも反応がないので、多少の実力行使をする必要があるかもしれない。僕はそのことをみなに話し、全員が頷いた。そこでロブが持っていた定規を隙間に差し込み、上にスライドさせて、鍵を開けた。
 僕らは「入るぞ」と声をかけ、中に踏み込んだ。
 着替えや、一人で落ち着きたい時に使っているこの小部屋は、五つともみな作りが同じで、衣装クロゼットと小さなテーブル、椅子が置いてあるだけだ。会場によってはカーテンやスクリーンで仕切られただけのこともあるが、ここはアルコーブ式になっていて、鍵もかかる。ファンからのプレゼントは、数の格差をあまりあからさまにしないようにとの配慮で、この小部屋に置いた箱の中に入れておかれるのが常だ。ロード中ずっとステージ衣装などを入れておく専用クロゼットは、間違えないように、メンバーで色が違う。エアリィは青に近い水色、僕は深い色合いの赤、ロビンが明るい緑でジョージが黄色、ミックはラベンダー色だ。この色合いは、僕らが未来世界で取り寄せた上着の色だ。
 その濃いスカイブルーのクロゼットの前にある大きな箱の中には、プレゼントがたくさん入っていた。しかも箱が一つでは足らなかったようで、その隣にももう少し小さい箱が置いてあり、そこにもあふれるように入っている。さすがに桁違いの多さだ。今までにもエアリィは、寄せられる膨大な量のプレゼントに、【使いきれないし、着きれないし、もったいないから、僕のプレゼントに回すお金は、他の用途に使ってください。音源買ってもらったり、ライヴに来てくれること、それで僕らのギヴアンドテイクは完結しているはずだから】と、二、三回個人ページの更新に書いたらしいが、効果はあったのだろうか。まあ、一時はホテルの一部屋を占領するほど来たから、それに比べれば改善されたのかもしれないが。僕ら五人全員みなそうなのだが、すべて中身は一度スタッフによって開封され、包装を外して、中身と送り主のメッセージだけが、透明なビニール袋の中に入っている。食べ物や花、ぬいぐるみや人形の類は、中に何か混入している可能性が排除できないので、受け取れない。それがルールだ。本も過激なものや悪趣味なものは、僕らに届く手前ではじかれる。それゆえ、衣類や小物、アクセサリーや無害な本、ゲームソフトや小さな電化製品が多いが、それは大小さまざまな、カラフルなシャボン玉のように見える。そしてその横に小さなテーブルと椅子が置いてあるのだが、彼はテーブルの上に両肘をつき、深くうつむいて頭を支えているような格好で、じっと座っていた。
「エアリィ、おい……さっきは悪かった。僕はどうかしていたんだ。もう一回話を聞いてくれ……」
 僕はその肩に手をかけた。その途端、彼はぱたんと前に落ちた。腕が外れてクロスするような状態でテーブルに投げ出され、その上に突っ伏すように、うつ伏せになっている。完全に眠ってしまっていたのだ。勢い込んでいた僕は、その瞬間、思い切り拍子抜けした。さんざん外で呼んでも反応しなかったわけが、寝ていて聞こえなかっただけだったとは。
 もともとエアリィは一回寝てしまうと、眠りが浅くなったタイミングでなければ、めったなことでは起きない。昔バスでオーバーナイトの移動していた頃などは、明け方ホテルへ着いて起こされても、五回に四回くらいは、セキュリティにそのまま抱えて運ばれていたくらいだから。そんな運搬は体格差あってのことなので、僕とホッブスでは、たぶん無理だろうが。セキュリティが来る前は、バスの運転手さんが背負って連れて行っていた。特に終盤、ツアーの疲れが溜まってくると眠りがちになり、加速度的に寝起きも悪くなる。回復のために、身体が眠りを欲しているのだろう。
 それはともかく、別にエアリィだって、気楽に居眠りをしていたわけではないだろう。僕が言ったことが、彼にショックを与えなかったはずはない。あの体勢で寝ていたということが、その衝撃の深さを物語っている。気持ちを落ち着けようとしているうちに、疲れの方が勝って、眠ってしまったのだろう。
 彼も疲れている。精神的にも肉体的にも、たぶん僕らの誰よりも――もともと体質的に丈夫ではなく、よくツアー途中で熱を出すのだが、今回はそれ以上の疲労があったのだろう。五月にツアーに出てから今まで半年間、激しい賛同と一部の過激な妨害との十字砲火を浴び続け、凄まじいファン攻勢、マスコミの取材、中傷や嫌がらせ、時には生命の危機にまでさらされて、それでも彼は平常心でいようとしていた。その気丈さゆえに、僕も気づかなかった。自分にふりかかってくる火の粉を払うことばかりに、一生懸命になりすぎて。『君の無事を祈る』と、ローレンスさんも言ったのに、僕にはその思いが欠落していたのかもしれない。バンドメイトで、親友だと思っていたのに――。
 エアリィのプロヴィデンスの友人、トニー・ハーディングとその仲間たちはあの忌まわしい事件の後、九歳前だった彼に、『何かあったら守ってやるから』と言ったという。でも僕は逆に背を向け、彼がトラブルに見舞われるたびに、(自分がまいた種じゃないか)という冷ややかな傍観者の思いで、眺めていたのかもしれない。自分自身のイライラと、さっき暴発してしまった嫉妬から来る、ネガティヴな思いのために。エアリィも人のネガティヴな側面を理解することはないのかもしれないが、その存在には敏感に気づくのだろう。だから彼は、あの時僕に問いただそうとしたのかもしれない。距離が遠くなったと言って。
「なんかさ……学校で良く居眠りしているやつがさ……爆睡している時って、こんな体勢で寝てなかったか」
 ジョージは苦笑と慈しみの入り混じったようなトーンで口を開いた。
「そうだな……でも、さすがにエアリィも学校では、ここまで爆睡はしてなかったな。僕が知っているのは、最終学年の一年だけだけど」僕も頷く。
「プロになってからは、よくあったね。新世界から帰って、ボルチモアのスターバックスで合流した時も、こんなふうに寝てしまっていたし、初のオーストラリアで、時差ボケの中での記者会見の時にも、こんな感じで落ちていたよ。ぱたんと寝るのって、本当に子供みたいだよね」ロビンはほんの微かに笑い、言葉を継いでいた。
「僕は思うんだ。エアリィって、僕らの中じゃ一番若いけど、それだけじゃなくて、その年以上に子供の部分があるんじゃないかって。子供っぽいっていう意味じゃなくて、逆に、すごく大人の部分もあるけど。僕も、なんとなくわかってきたよ。彼がおそらく無自覚に周りを振り回してしまうのは、元々の気質なんだろうけれど、その子供の部分のためなんだろうなって。それに強い力と磁力が伴っているから、結果的にそうなるんだろうって」
「そう。純化された子供的な部分は、あるのだろうね」
 ミックが手を伸ばし、テーブルの上に広がった淡い金色の髪を一房取った。そしてそれを背中側へ戻しながら、言葉を継いだ。
「不思議な子だと思うよ。そう言うと、本人は嫌がるけれど。時々、あまりにも桁外れな力のために、僕も巷で言われていることを、ふと考えてしまうことがある。エアリィは本当に、僕らと同じ人間なんだろうかって。ローレンスさんが言われていたように、人間には到達できない場所が未踏の領域なら、そこに行き着いてしまった彼は、人間を超えていることになるから。でも本当はどうあれ、彼は僕らと同じ、無力な人間の部分も持っている、確実に。そうも思える。そして彼が実際はなんであれ、僕らは仲間だ」
「そうだね」ロビンが頷き、言葉を継ぐ。
「ジャスティンだけじゃなくて、僕らも遠くなってるって、あの時エアリィは言っていたけれど……たぶん僕らも、気づいてはいなかったけれど、このVIの騒動で、『なんでこれをやろうとしたんだ』って、彼を責めちゃっていた部分って、あると思うんだ。心の奥底で。僕らも納得したはずなのに。でも僕は今、それに気づいた。だからもう責めない、それに羨まない。そう決めたよ」
「本当にそうだな、ロビン。俺もだ」ジョージが静かな口調で頷く。
「僕たちは仲間だ」僕は静かに繰り返した。
「僕たちは幸せな共同体だった。これからも……そうありたい。それに今なら、本心から言える。僕はおまえを恨まない、妬まない。そして、おまえのことが心配だ。おまえを守るのはセキュリティやマネージメントの仕事だが、でも僕は、おまえと一緒に戦う。もう二度と……背は向けない」
「おい、寝ている奴にそんなこと言っても、聞こえないぞ、ジャスティン」
 ジョージが苦笑して僕を見た。
「いや、いいんだ。起きていたら、絶対に笑うから。それに僕も面と向かっては、面映くて言えないよ」僕も苦笑すると、手を伸ばして肩にかけ、揺さぶった。
「エアリィ、起きろ! まだ話したいことがあるんだ! 開演ぎりぎりまで寝ていられると、時間がなくなる。準備もあるし、夕食もあるし、話もあるんだ!」
 相変わらず、寝起きは悪い。ツアーの終盤で、本当に疲れてしまっているのだろうなと思いつつも、僕は揺り起こし続けた。最初の一、二分ほどは、なにも反応しなかったが、ようやく彼は目を覚ました。眼を開き、身体を起こすと、しばらくぼんやりと部屋を見ている。そしてぱちぱちっと瞬きをし、片手で髪をかきあげながら、呟いた。
「寝ちゃったんだな、いつのまにか……やな夢みた……」
 そしてゆっくりと振り返り、周りを取り巻いた僕らに目を移すと、しばらく黙った後、言葉を継いだ。
「いや、違うんだ。夢だったら良かったな。変な夢を見たんだって、思えたら」
「夢だと思ってくれたら、それでも良い」僕はその肩に再び手をかけた。
「実際僕も、その方がありがたいよ。だけど、もう取り消せるものでもないから、仕方がない。認める。あれは僕の本心だ。否定はしない。僕は長いこと、ああいうネガティヴな感情を、意識しまいと殺し続けてきた。だから、あんな大爆発が起きたんだ。あれは僕のシャドウの反乱だ。ユング的に言えばさ。でも、信じて欲しいんだ。それが僕の心のすべてじゃない。悪い感情を思い切り表に出して、自分で認めたら、それに支配されることはなくなったんだ。だから僕は前言を撤回する。エアレースの分裂なんて言う事態は、僕らは誰一人として望んではいない。みんな、今のまま行きたいと思っている。本心からね。おまえに引きずられたり巻きこまれたりするのも、覚悟の上だ。僕らは運命共同体なんだから。それでおまえを恨んだりなんて、絶対にしない。本当だ。信じて欲しい」
「なんかまた……白ジャスティンになったな。さっきのは黒、なんだ。元に戻って、ほっとしたけど」エアリィは僕を見、弱々しく笑った。
「もう黒には変身しないさ」僕は苦笑した。
「爆発したら、黒は消えた。光が当たって、影が消えたみたいに」
「でも、また黒になるかも……って思うと、ちょっと怖いな。たぶん僕は、自分を変えることができないから。でも、状況が変わらなくて、自分も変わらないなら、また同じことになっちゃいそうな気がするし……」
「僕らは変わったぞ」僕は首を振って遮った。
「だから、繰り返しはしない。バンドの現状も、おまえのことも、自分自身のことも、以前より、よく理解できるようになった。おまえには、何か大きな目的があるんだろう。僕らには想像できないような、おまえ自身もそれに逆らえないような、無意識の大きな何かが。だからあえて、VIを作った。ああいう形で。反発も覚悟の上で。それは、その目的のために、必要だったからだ。それがなんなのかはわからないが、少なくとも悪いものでは絶対にない。より良い何かのためになんだということは、僕にもわかる。僕らも、おまえを信頼する。だから、ついていこうと思う。ただ、黙ってついていくわけではなく、自分の意見は、これまでどおり言わせてもらうが。そして、さっき僕が言ってしまったことは……おまえは忘れることはできないから、本当に悪かったと思う。許してくれ。でも、それはもう考えないで、過ぎた問題だと思ってくれるとありがたい。それに、おまえと組んだことでのネガティヴな側面を、僕は言い連ねてしまったが、それ以上にポジティヴな側面の方が多いのも、事実なんだ。僕らだけでは到底到達できない音楽の高みに、おまえは連れて行ってくれた。それはたしかに怖いが、同時にあの高揚感や達成感は、おまえ抜きには絶対ありえない。僕の能力も最大限以上に引き出すことが出来て、飛躍的に成長できた。アーティストとして、最高の境地だ。成功がうんぬんじゃなく、僕はそれだけで満足なんだ。だからこれからもずっと、一緒にやっていきたい。僕だけじゃない。ロビンもジョージもミックも、みんなそう思っているんだ。僕らは五人だ。いつまでも」
 僕の横で、他の三人もしっかりと頷いていた。
 エアリィはしばらく何も言わず、僕をじっと見ていた。その言葉が本心なのかどうか、それを測っているような視線だが、疑っているわけではない。それははっきり感じ取れる。僕も正面から見返した。もう探られても困るような感情はない。ネガティブな感情暴発も、たしかに本心には違いなかっただろう。しかし今言ったことも、紛れもなく僕の本心なのだ。どちらの心がより強いかといえば、圧倒的に後者だ。今は、間違いなくそう言える。
 エアリィもそれを理解したのだろう。やがて、ほっとしたように笑った。
「ありがとう。さっきはホント、このバンドを出なきゃいけないのかなって思って、すっごく悲壮になってたんだ。やっぱりいいことも、長くは続かないんだな。アイスキャッスルに行く前に、一回クラッシュする定めだったんだろうかって。僕はこれから、どうしたらいいんだろうって思ったら、でもその先が、何も考えられなかった。頭の中が真っ白になるって、本当なんだなって……よかった。ここにまだいることができて」
「僕らもそうだ。おまえがいなくなったらなんて、決して考えたくない。悪い心や妨害に負けて、落ちたくはない。潰れたくもない。最後まで、一緒に進んでいきたい。だから一緒に行こう、最後まで。これからもよろしくな」
 あまり大きな言葉は使いたくなかった。彼が寝ている間に言ったような。だが、これもかなり大きいな、と言ってしまってから思ったが、彼が笑わないことを祈りながら、僕は手を差し出した。
「うん。ずっと、そうできたらいいな。なんか、みんなにもこれからも、いろいろめんどくさいことに巻き込んじゃうことになるかもしれないけど……ごめん。でも、ありがとう」
 エアリィは笑うことはせず、最初は左手を出しかけ、「あっ、右か」と手を変えて、僕の手を握ってきた。彼はファンたちと握手する時にも、癖なのか、時々利き手が先に動いてしまうようだ。その手を握った時、ふと夢の中で握手したアリステアさんの手の感触が、一瞬よみがえってきた。あの人も指の長い、細い手だったが、それでも男らしい大きな手だった。でもエアリィはそれより一回り、下手をすると二回りくらいは小さいだろう。指は長く、すらっとはしているが、本当に女の子の手に近い。――胸の奥に、愛しさに似た、熱いものを感じた。いや、変な意味じゃない。彼は表面は気丈で、何でもできる超人だが、同時に生身の傷つきやすい一人の人間なのだな――その手の感触は、改めて僕にその思いを起こさせたからだ。
 ここ二年ほどの間に少しずつ入ってきた、微妙な影。それが完全に消えた瞬間だった。僕は思い出していた。四年前、異国の星の下で感じた思いを。『トロント時代も、幸せだと思う。みんなと友達になれて、一緒にバンドをやれて』エアリィにそう言われた時、僕も完全に同じ気持ちを共有していた。彼はそれからも、同じ思いをずっと抱き続けていたのだろう。『このバンドは僕のホームだと思ってる』と、シルーヴァにも、はっきりそう言っていた。しかし僕の方は、それを少しずつ変質させてしまっていたのだ。僕の心の弱さのために。だが四年の歳月を経て、ようやく僕もあの時の気持ちを取り戻すことができた。
 ジョージやロビン、ミックもほっとしたような、うれしそうな声をあげて笑い、僕らを抱き抱えるように押し寄せた。「良かった。良かったな!」と、熱っぽい口調で、しきりに言っている。ああ、これだけ愛情深い仲間たちに温かく見守られている自分は、なんて幸せなのだろう。みんながいてくれることを、これからもみんなでやっていけることが、本当にありがたく思えた。
 僕たちの思いは、周りにも伝染したようだった。ロブはうつむいて目頭を押さえているし、スタッフやクルーたちも、いつのまにか控え室から出てきて、この小さな部屋のドアのところに集まり、見守ってくれていたようだった。僕は一つの家族の存在を感じた。バンドの仲間たち、ロブ、スタッフやクルーたち、みんなみんな、大きな一つの家族だ。僕らのバンドを取り巻く、普遍のかけがえのないファミリーだ。それは僕だけでなく、みんなが感じていた思いだと言うことを疑わなかった。
 僕たちはその時、バンドにとって何回目かの新しい出発点に立ったのだと感じた。そのたびごとに、絆は深まっていく。今もそうだった。バンドの中の刺が消え、友情が再び元どおりにつながった。その晩のコンサートは、新たな興奮と幸福をそそぎ込んでくれた。僕たちは五人、みんなが好きだ。みんな幸せだ、一緒にやれて――そんな思いを強く感じた。明日でヨーロッパ公演は終わりだが、まだアジア・オセアニア、そして二度目のアメリカ公演が残っている。周りの喧騒は変わらないだろうが、これからはずっと楽しくやって行けるだろう。その先は、またレコーディング。五年先まで、未来は祝福されているように感じた。これで僕のプライベートさえ順調なら、これ以上言うことがないほど幸せなのだが、格言も言っている。神は完全な幸福を好まないと。




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