Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

六年目(7)




 僕は義兄を見送ったあと、しばらく黄昏の庭に佇んでいた。にわかに恐怖を感じながら。全米ツアーでは、たしかに多くのトラブルに見舞われた。嫌がらせの手紙や物騒なプレゼント、爆弾脅迫、エアリィへの二度に渡る襲撃。それでなくとも、以前から彼の力を危険と見なす連中はいた。このまま走り続けるのを止めるには殺すしか──そんな台詞を聞いたのは、まだこのアルバムが出る前のことだ。なのに、それでも新しい敵を、同じことを考えるであろう敵を増やそうというのか。エアリィは本当にわかっているのか? わかっていて、自虐的になっているのか? いや、そんなはずはない。なのに、なぜわざわざ新たな危険を作ろうとする──?
『このアルバムを出すのは、ガラスの家に至近距離から特大のボールを投げ込むのと同じだ。飛び散る破片で、君自身かなり傷つく覚悟が必要だ。他のメンバーにも、そのかけらは降り注ぐだろう。それでも投げる勇気が、君にあるかい?』
 マスターが完成した時に聞いた、ローレンスさんの言葉。それが真実であることを、全米ツアーの間に僕らは思い知らされた。彼がエアリィにかけた、『君の無事を祈る』――それは決してジョークでも、軽い気持ちでもなかったことも。だが、騒動はこれで終わりではないだろう。これからもまだツアーは続く。『Scarlet Mission』をシングルカットしたことで、さらに宗教関係、特にカルト連中の反感をより買ってしまったとしたら、これから先無事に済むだろうか。

 全米ツアーの終わり頃、そういう連中の存在を匂わせる不気味な事件があった。サウンドチェックとリハーサルを終えて戻ってきた楽屋のテーブルに、白い大きな箱がのっていたのだ。その中には十字架を逆さまに刺した犬の頭と、棘だらけの真っ赤なバラが入っていた。花束の上に、白いカードが置かれている。あきらかに血と思われる赤い文字で、こう書かれていた。
【アーディス・レイン・ローゼンスタイナー様へ。 
 あなたの罪は万死に値します。我々はあなたの処刑を決定しました。どのみち、あなたは救われませんが、せめて罪を認めて、懺悔なさい。さもなければ、あなたは永劫の地獄をさまよいつづけるでしょう。あなたはそれだけのことをやってしまったのです】
 これがひときわ気味が悪かったのは、金属バット男に侵入されて以来、かなり警備を強化したはずのバックステージエリアにあり、メンバーと一部のスタッフしか入れない部屋のテーブルに、それまで誰も気づかれないまま置いてあったことであり、しかも送られてきたものは黒魔術などで使う、悪魔の呪いのシンボルだったことだった。僕らみなの本名はかなり公に知られているとはいえ、この場にフルネームで名指したことも(しかも血文字で)、不気味さを募らせた。
 エアリィはバラと犬の頭を呆然とした表情で眺め、ついでカードを見ると、ぎゅっと唇を噛んだ。そしてテーブルに手をつき、一瞬震えたあと、頭を振って、セキュリティに白い布を持ってきてくれるように頼んだ。ジャクソンが持ってきたのは白いバスタオルだったが、エアリィは手を伸ばして犬の頭を取り上げると、その頭に刺さった十字架を抜いてやり、その上からそっと手を触れて小さく何かを呟き、そのタオルにくるんだ。それを、さらにビニール袋に入れた。
「かわいそうに、こんなことに使われてしまって。でも、もう大丈夫だよ。ゆっくり眠って」そう呟くと、それをもって楽屋を出て行こうとした。
「どこに行くんだ?」とロブがはっとしたように問いかけると、
「エージェントの人に、適切な処理をお願いしてくる」と答える。
「いや、僕が行ってこよう。おまえはここにいろ」
 ロブも真っ青になりながらも、それを持って出て行った。その背後からエアリィが、「あ、適切な処置って、特に手順あるわけじゃないけど、ごみ箱には捨てちゃダメだって言っといて。できたら、一回燃やして、どこかに埋めてくれるといいんだけれど」と声を上げ、ロブは「わかった」と頷いていた。
 エアリィはテーブルに戻ると、今度はバラの花とカードを包むように、入っていた箱を二つ折りにし、ジャクソンにごみ袋を持ってきてもらうと、箱ごとその中に入れていた。
「こっちは普通のごみでも大丈夫かな。あ、棘がやばいから、うっかり触らないようにって書いとかないと、ダメかもしれないけど。花はきれいなんだけど、残念だな」
「おまえ……ずいぶん冷静だな」
 僕は思わず、そんな言葉をかけてしまった。名指しされた本人より、周りの方が動揺していたように見えたほどだ。僕もそうだが、ジョージも明らかに気分が悪そうな顔をしていた。ロビンは本当に気分が悪くなって吐き、ミックは真っ青になって震えていた。彼らはその意味を、よく知っていたから。あとで僕にも教えてくれた。DogがGodの逆さまで、神の反対者のシンボルであるということも。
 エアリィはそんな僕らを見、小さく首を振った。
「いや、そんなに冷静とは言えないけど、気にしても仕方ないし。あの犬はかわいそうだったけど。でもさ、大丈夫。オカルトや黒魔術みたいなことって、この段階じゃ、まだ効力を発揮するだけの力は、持ってないよ。気持ちだけの問題だから」
 そう、たしかに人を呪い殺すことなんて、実際にできはしないのだろう。ホラーや黒魔術、オカルトなどは、現実には効果がないだろうということも。それはわかっていても、強力な悪意だけは本物だ。いや、殺意といってもいいだろう。念だけで人を殺すことは出来ないが、具体的な行為を伴えば、充分現実になり得る。実際に、二度も未遂事件があったばかりだ。あのカードにも、【処刑を決定した】と書いてあった。それが単なる脅しならいいのだが……。
 思わず身震いをした。残暑の厳しい、暑い日だったにもかかわらず、急に寒気を覚えた。不意に吹いてきた秋の訪れを感じさせるような、冷たい風のせいかもしれない。漠然とした不安と恐怖が、心に忍び込んでくる。来年の四月まで、まだまだツアーは続いていくが、出かけるのが俄かに怖く感じられた。黄昏の空気の影響もあったのだろうか。我知らず、深いため息が漏れた。
 僕は頭を振り、鈍い黄色と赤の混じり合ったような空に背を向けて、家の中に入っていった。この荒涼たるオアシス、妻や子のいない名ばかりの家から逃げ出し、ステラとの確執も忘れて、再び音楽に没頭できるのは、ありがたいことなのだ。それにともなう妨害や危険を恐れるのはやめよう。出来るだけトラブルを遠ざけるため、マネージメントもレーベルもエージェントも、最大限努力してくれているのだから。
 僕は再び深いため息をつくと、一人ぼっちの夕食をとるためにキッチンへと向かった。

 九月になってまもなく、ヨーロッパツアーが始まった。アムステルダムから出発し、西ヨーロッパは言うに及ばず、東欧や南欧も回りイギリスで終わる、二ヶ月以上もの長いロードだ。九月、十月と、僕らはヨーロッパ大陸をかけめぐった。行く先々でアリーナやスタジアムを満員にし、熱狂の嵐を巻き起こしながら通りすぎていく。
 先の全米同様、この道中でもいくつかトラブルが起きかけた。宗教団体のデモにも遭遇したし、おなじみの爆弾騒ぎも二度ほどあり、実際そのうちの一つでは、会場正面入り口近くに置いてあった袋の中に、爆弾が見つかった。それはすぐさま撤去され、公演は一時間半遅れで始まったが。会場近くで銃を持ってうろついていた連中が見つかり、警察に捕らえられたこともある。入場前の荷物検査も、恐ろしく入念だ。だが、幸いにも公演自体に支障が起きるほどの深刻なトラブルには、見舞われずにすんでいる。
 僕らもある程度騒ぎに慣れつつあったし、外の雑音はできるだけカットして、ツアーそのものに集中しようとしていた。相変わらず外出はなかなかできづらいが、待遇は破格だった。ホテルの部屋はロイヤルスイート、移動はほとんど、チャーターした飛行機だ。食事も申し分ない。スーパースターなどという面はゆい言葉が、今では名実ともに現実のものだった。でも歓びや満足だけでなく、煩わしさや不安、当惑も増えていく。結局これも、消えていった幻想の一つなのかも知れない。いや、現実となって消え失せた夢だろうか。

 十月いっぱいまで大陸をめぐり、十一月とともに、僕らはイギリスにやってきた。まず自然保護を訴える音楽祭、『Green Aid21』に出演し、翌日からダブリン、グラスゴー、マンチェスターと回り、移動日をはさんで、最後は五日間のロンドン公演だ。アリーナ三回、スタジアム二回で、合計十五万人を動員する。チケットはすべて、売り出し初日に売り切れている。
 音楽祭とアイルランド公演、イギリス地方公演二回、そしてロンドンでのアリーナ公演三回が終わった。ここまでは順調にいった。とくに目立ったトラブルもなく、ただ熱狂した聴衆たちがいただけだった。

 スタジアムに場所を移した初日、サウンドチェックと取材を終えて休憩している時、僕はふと傍らにあった雑誌を手に取った。最近はどの雑誌でもオンライン展開をしているが、昔ながらの紙媒体も発行している。それはイギリスのある人気音楽雑誌の最新号で、一カ月半ほど前にここのライターが、僕らのヨーロッパツアーを取材するためにミュンヘンまで来て、僕にインタビューして帰った。僕はこのライターをよく知っているつもりだったし、わりといい人だと思っていたから、取材に応じた。その記事が載っているはずだ。
 最初にコンサートレビューを読んだ。現地のファンの熱狂ぶりやステージをかなりリアルに描きだしていて、コンサートそのものは激賛してある。だが、最後にこんなことが書いてあった。
【私は多くの素晴らしいロックコンサートを見てきた。多くの感動的なコンサートも、熱狂し涙する観客たちをも。しかし、かつてこれほど素晴らしく、これほど強烈に人の心を揺さ振り動かすコンサートは見たことがない。そしてこれほど熱狂し、感激のあまり涙を流し、身体を震わせ、果てにはトランス状態にまでなった、すべての観客たちをも。私はこの光景の中に陶酔したが、ホテルへ帰ってくる頃には、畏怖にも似た恐怖をも感じ始めていた。自分はとんでもないものを目撃したのかもしれない、と。
 光景が、鮮やかによみがえってくる。最初の四、五曲、観客たちは衝撃のために立ちすくむ。その目は見開かれ、ステージを凝視し、呆然とした表情で、まったく動くことなく、全身で聴いている。そして曲が終わって数秒後、我に返った観客たちは歓声を上げる。これが導入部だ。やがて観客たちは動き始める。ステップを踏み、こぶしを振り上げ、体を揺らし、時には一緒に歌う。それはロックコンサートによくある光景だ。しかし他と違うところは、彼らはみな、いっせいに同じ動きをしているということだ。どんなに練習をしても、これほどシンクロしないだろうと思えるほど、完璧なタイミングで。同じようにジャンプし、同じように腕を振り上げ、一斉にコーラス部を歌い、一斉に声を上げる。それは一つの糸で操られる、集団マリオネット。観客全員が――そう、私も実はその現場で、同じようにしていた。音楽に完全に我を忘れ、そうしなければならない、という強い欲求に動かされて。誰一人席を立たず、会場にいる三万三千人が、みなひとつのマインドスペースに取り込まれたかのように。
 やがてインターミッションになっても、最初の十分ほどは、誰もその場を動かない。それからやっと、動き始める。トイレに行ったり、飲み物を求めに行ったりする人が出てくる。しかし半数以上の人々はなお、陶酔が覚めやらぬ視線で、うつろにステージを見つめて過ごしていた。
 第二部が始まる。そしてまた繰り返される。この時の導入は一、二曲で、そして再び集団マリオネットと化す。その糸の操り手は、長いプラチナブロンドの髪を煌かせた、世にも美しいシンガー。まだ二十歳のアーディス・レインだ。もし彼がコンサートの熱狂の中『お互いに殺し合え!』と叫んだとしたら、観客たちはほとんど一人残らずその通りにするだろう。それほどの力を持つアーティストなど、かつて存在すまい。これは新興宗教の集団トランスだ。彼らをロックミュージシャンと呼ぶのは、もはやふさわしくないだろう。『Scarlet Mission』において彼らは宗教を否定したが、しかし今や、彼ら自身が一つの宗教になりつつある。だが、若く美しき教組アーディス・レインは、この先彼のバンドを、そして今や膨大な数に膨れ上がったフォロアーたちを、どこへひっぱろうとしているのだろうか? 持って生まれた、すば抜けた美とカリズマ、人を動かす力と、けた外れな音楽的才能という、おおよそ考えうるかぎりの恩寵を与えられた彼だが、その寵愛を注ぎこんだのは、どんな神なのだろうか――】

 まったく、こんなことを書くから、エイヴリー牧師のような人たちが、変な誤解をするんだ。そしてこの人も、力を懸念する人の一人か。たしかにコンサート会場では観客全員がシンクロするが――そして彼の言葉は観客たちには絶対のものだが、そんなことをエアリィが言うわけがないだろう。太陽が西から昇っても。
 僕は首を振って苦笑し、続きを読んだ。僕はロック界屈指のギタリストの一人で、バンドのサウンド面を支えているという、お定まりのちょっと歯が浮くような解説の後、インタビューが載っていた。かなり長いものだ。たしか一時間くらいかかった記憶がある。
 最初の二ページは導入部とでも言うような、どこにでもある内容だ。使用機材とか、曲のギター解説など、今まで多くのインタビュアーたちに話したことと、ほとんど同じことが書いてある。ページをめくった。このあとはプライベートな質問が少し続いている。個人的な質問は、もともとあまり歓迎しないが、今は特に厳しい。でもまあ、そこそこ無難な受け答えだ。それからまた新作の話へと戻っている。

Q:ところで今、『Vanishing Illusions』がすごい話題だね。オンラインのダウンロード販売やストリーミングを平行しているにもかかわらず、発売して半年たたないうちに、CDセールスは全米で一千万に届きそうだし、世界レベルでも五千万近くになって、わがイギリスでもミリオンを軽く突破だ。過去のモンスターセールスを、早くも更新してしまったね。君たちの場合、ストリーミングや動画サイトで繰り返し聞いたり、ダウンロードでとりあえず入手したりした人たちのほとんどが、CDも改めて買っているようだ。形として所有しておきたいと。今はほとんどダウンロードやストリーミング主流で、CD実売はここ数年急激な下降線を描いているこの時代に、まるでバブル時代のような、ここまで桁外れな売り上げを出し、これだけの凄まじい成功を収めたことを、君はどう思っている?
A:アルバムが売れるのはうれしいよ。それだけ多くの人が聞いてくれているわけだからね。でも、そうやって具体的に数字を並べられると、ちょっと戸惑うね。なんだか天文学的数字のようだよ。今でも半分、現実のような気がしないんだ。 
(僕はいつも自分たちの爆発的な大成功の感想を聞かれると、こう答えている。それが正直な気持ちだからだ)
Q:でもこの作品はセールス面でもさることながら、内容についても相当にマスコミを賑わせているね。非常に過激で大胆な内容で、歌詞に書かれている以上のメッセージが、受け手を震撼させるような。それは、意図してそうしたの?
A:さあ、わからないな。歌詞は全面的にエアリィの領分だから。今回のアルバムコンセプトも彼が決めたものだし、僕は全然タッチしてないんだ。僕だって、このアルバムの本当の意味での過激さを、実はマスターを聞いた段階で、やっとわかったくらいなんだ。不意うちを食らったのは、みんなだけじゃないよ。コンセプトの話なら、彼に聞いてくれ。僕は知らないから、答えようがないな。 
(こんな投げ遣りな反応をしただろうか? よっぽど機嫌が悪かったのか……? それにしても、なんだかふてくされているような印象だ)
Q:では、君は今色々と取り沙汰されている論議に、直接的には関係ないってわけかい?
A:そうだよ。僕は実際、迷惑なんだ。色々言われて、騒がしくてね。そもそも僕はこんな問題の多そうなアルバムを、出したくはなかったんだ。ミックやロビン、ジョージも同じ意見だった。エアリィにも、はっきりそう言ったんだよ。このまま出すのは、まずいんじゃないかって。でも、彼はどうしてもこれでなきゃいけないって、きかなくてね。エアリィは今や、アルバム作りにおいてもステージにおいても、一から十まで自分の思うとおりでなければ、気がすまないのさ。それも、表面的には僕らの意見を言わせておいて、民主的に決めていると思いこませながら、僕らの上にプレッシャーをかけるのが天才的に上手いよ。僕らは結局、自分の考えでやっているように思いこんでいただけで、実際はずっと彼に振り回されているだけだと、やっと僕も気づいたんだ。彼は今回、過激にやりたかったんだろう。でもそのとばっちりを僕らまで受けるのは、勘弁してほしいよ。
(こんなことを言った覚えはないぞ! いくら記憶がはっきりしていなくても、決してこんな悪意に満ちたコメントはしていないと誓える。似たようなことは、言ったかもしれない。『騒がしくて困惑している』とか『最初聞いた時は、出すのを躊躇したのは事実だ。でもコンセプトは間違っていないと思ったし、作品そのもののクオリティも満足のいくものだったから、思いきって出すことにしたんだ』と。それはたしかに、本当のことだ。でも、ここに書いてあるようなことは、絶対に言っていない!) 
 記事はさらに続いていく。
Q:そう。じゃあ、このアルバムには君自身の意見は、ほとんど入ってないわけだ。
A:そうだよ。三作目からずっとそうさ。皮肉にも僕の意見が通らなくなってから、バンドは爆発的な大ブレイクをしてしまったけれどね。僕はどちらかといえば音楽を難しく突き詰めたいほうだから、僕の意見を通していたら、ここまで大成功はできなかったかもしれないね。でも、僕はそれでもよかったんだ。まるで借り物のような大成功じゃ、少しも嬉しくないよ。やたら騒がしいだけでね。もうごめんだよ。僕はエアリィのバックミュージシャンじゃない。他人の意志で動かされるのは、もうたくさんだ。僕が今ほしいのは金でも名誉でもなく、自分自身がやりたい音楽をやることさ。
Q:じゃあ、君はなぜ今のバンドにいるんだい?
A:さあね。自分でもよくわからないな。きっと僕の意地なんだと思う。そもそもエアレースは、僕とロビンが、ジョージとミックに合流して始めたバンドなんだ。アーディスはメンバーとしては、五人目なんだよ。バンドを結成してから最初の十ヶ月間、僕らはインストバンドだった。でもずっとインストでいく気はなかったから、彼が入ってくれた時にはうれしかった。まさかあとでバンドを乗っ取られるなんて、ちっとも思ってなかったよ。僕らは当時、仲のいい友達だったしね。
Q:じゃあ、今は違うの?
A:今は……わからないなあ。友達っていうのは、ある程度対等な関係のことだろ? 少なくとも、自分の都合のいいように動かせる人間のことじゃないよね。それじゃ、ただの家来だ。
Q:じゃ、君はいつの日かバンドを自分の手に取り戻したいために、辛抱してるというわけなんだね。
A:そうなんだろうね。だけど、その保障もないから……他の三人が、どちらにつくかわからないし。彼らはアーティスティックな道より、今の大成功の方がいいかもしれないし。だけど、僕は負けたくないんだよ。

 驚き呆れて、僕は思わず雑誌を取り落としてしまった。こんなこと、僕は絶対に言った覚えはない。なぜこのインタビュアーは、こんなありもしないことを書く? これでは何も知らずにこの記事を読んだ人は、バンドが分裂を起こしかけていると誤解しかねない。僕もこんなに不満たらたらの、プライドだけが高い、わがまま人間だと思われてしまう。しかも自分の方向性を『アーティスティックな道』と自画自賛してしまうような、鼻持ちならない奴と。僕は思わず声を上げた。
「ロブ! この雑誌とライターに抗議してくれないか。このインタビューはとんでもないでっち上げだ!」
「ああ、わかった」ロブは床に落ちた雑誌を拾い上げ、頷いていた。
「僕もさっき、内容を読んで驚いたところなんだ。おまえは、こんなことを絶対に言わなかった。それはたしかだ。僕もこのインタビューには立ち会っていたから、覚えている。かなりきわどい質問を振ってくるので、何度か警告したんだが、彼は無視したんだ。終わってからきつく抗議したら、『すまない。でも核心をぼやかしても、騒動は収まらないと思う』と主張し、おまえも『それはあるかもしれない』と言ったから、僕も今後気をつけてくれと注意して収めた。今日発売だったんだな、この雑誌は。それに、このレビューの内容も問題だ。まるでエアリィに対して、ネガティヴなミスリードを狙っているようにも聞こえる。なぜこんなことをするのかと憤りを感じ、すぐに抗議しようと思ったんだが……」
「やっぱり、これは嘘なんだね」ロビンが僕の方へとやってきた。
「読んでしまったんだね、ジャスティン」と、ミックは苦笑を浮かべている。
「君たちも、もう読んでいたのかい?」僕は少し驚いてきいた。
「そう、君が読む前に、僕は読んでいたんだよ。君が取材に行っている時に。ロブがサウンドチェック中に見ていて、『内容を確かめてほしい』と言われたんだ」ミックが頷いた。
「どのあたりから嘘なの?」ロビンが首を傾げて、そう聞いてきた。
「アルバムの内容についての、具体的な質問あたりからだね。僕が急にエアリィの批判をしはじめる所からだよ」
「ああ、やっぱり……」二人は顔を見合わせ、苦笑している。
「あの雑誌の話か?」ジョージも漫画を読むのをやめて、やってきた。
「俺は、どうも釈然としないんだよなあ、あれは」
「でも、あれは完全に嘘だよ」僕は首を振った。
「嘘か……まあ、本当に嘘ならいいがな」
 その口調に、僕は戸惑いを感じた。
「疑うの、ジョージ? 僕が本当にあんなことを言ったって」
「いや、疑っちゃいないさ。おまえはそんなことを、たとえ心で思ったとしても、これほどはっきりとは言わないだろうからな。きっとこれは、でっちあげだろう。そういう意味じゃ、俺はおまえのことを信じてるよ。ただな……まあ、いいさ。おまえがそこまでムキになるなら……おまえは言っていない。それだけは、俺も信じてるよ」
「それなら、いいけど……別に、僕はムキになっているわけじゃないさ。ただ、怒っているだけだよ。言いもしないことをでっち上げるなんて、あまりにひどいじゃないか」
「まあな。記事をでっち上げるなんて、インタビュアーの風上にも置けないぜ。それはたしかだ。しっかりロブにくぎを差してもらった方がいいぜ」
「ああ、もちろんだよ」
「でも今、エアリィが取材中でいなくてよかったね。もし彼がこんなのを読んだら、きっと動揺すると思うんだ。まさか、もう読んでいたりはしないだろうね」
 ロビンは心配そうな表情だった。
「いや……たぶん、読んじゃいないだろう。まあ、あいつはその気になれば、なんでも一瞬で読める奴だから油断はできないが、もともとエアレース関連の記事は、読みたがらないからな。わかる気はするぜ。あれだけあれこれ愚にもつかないことを言われつづけりゃ、誰だっていやになるだろうさ。だから俺らがなに食わぬ顔をしてりゃ、わからないんじゃないのか」ジョージは肩をすくめている。
 たしかに中傷を向けられた本人がこの場にいなかったことに、少しほっとしながら、僕も雑誌をストックの山に戻した。マネージメントの取材制限で、エアリィもこのツアーでは、一週間に一、二度くらいしかインタビューを受けていないが、ロンドンではさすがに需要が多く、全体で五本、そのうち今日は二本入っているのだ。この取材にはロブではなく、パーソナルマネージャーも務める専属スタッフの、モートン・カークランドさんが付き添っていた。
 僕らは、それぞれやりかけていた作業――ジョージは漫画、ミックは新聞、ロビンはペーパーバックを読みはじめ、僕もバッグの中から、読みかけていた小説を取り出して開いた。でも目は活字の上に注いでいたが、文章を読んではいなかった。なんだか妙に動揺する。あんな嘘八百を読んで憤慨したのはもちろんだが、なぜ妙な後ろめたさ──そう、本当にそれに近いものを、感じてしまうのだろう。それに、ジョージはなぜ釈然としない、などと言うのだろう。そしてミックは最初に『読んでしまったんだね』と、僕に言った。僕が読まない方が良かった、ということなんだろうか。そう――ロブもミックも、ロビンもジョージも、すでに内容を知っていたのなら、なぜ僕に注意を促さなかったのか。最初にロブが見て、ミックたち三人には『内容を確認してくれ』と促したのに、なぜ当事者の僕にはそうしなかったのだろう。僕が自分で手に取らなかったら、知らないで済ませることができたら、その方がいい――そんな意味なのだろうか。エアリィだけでなく、僕の方も。少なくともロブやミックの態度には、そんな意図が感じ取れてしまう。ジョージやロビンも何も言わないということは、やはり同じなのだろうか。単なる僕の思い過ごしだろうか。それとも、そのことで余計なトラブルの種をまいてしまうかもと、彼らは恐れているのだろうか。なぜ――こんな明らかにでっち上げの記事で、僕らの仲がどうかなると、本当に懸念されていたのだろうか。僕はそれほど、信頼されていないのだろうか。
 ああ、もうやめよう、考えるのは。プライベートでかなり打撃を受けているというのに、唯一の救いであるはずのバンドまでおかしくなったりしたら、とても遣り切れない。僕は手にした本を読もうと努めた。本当に、もう考えまい。この問題は、終わったのだ。バンドの分裂を狙った悪質な嫌がらせの一つ、そうに決まっている。こんなでっち上げインタビューでこれほど動揺するなんて、どうかしている。それこそ、妨害者たちの思う壺だ。もちろん、内容をゆがめて書くなんて、許せないことだ。雑誌に厳重抗議し、しばらくは取材拒否をしよう。エアリィが読んでいないなら、それだけですませてもいいし、かりにもし彼の目に触れたり耳に入ったとしても、話せばきっと誤解だとわかってくれる。




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