The Sacred Mother Part2 - the 11 Years’ Sprint

四年目(4)





 録音が完了すると、みな自分の部屋へと引き取っていった。もう夜中の十二時を回っていたので、この日の作業はおしまいだ。
 スタジオを後にした僕は、自室のドアを開けながら、我知らず小さなため息を漏らした。その瞬間、はっとした。なぜ作業を終えて、ため息なんかつくのだろう。心からの深い満足の吐息は、何度となくついた。でも、これは少し違う。何かが違う――。
 シャワーを浴びに行き、着替えてベッドに寝ころんだ時、僕はその理由に気づいた。まるで自分がスタジオミュージシャンになったような気がしたからなのだと。ただ決められたとおりに演奏しただけ。エアリィが最初に弾いたパートを、そのままなぞっただけ。ギターソロまで完全コピーで、僕自身の意見や意向が入る余地が、まったくなかった。『Abandoned Fire』は百パーセント、エアリィのものだ。『これは僕の歌だ』と、本人が言ったとおり――彼は別の意味で言ったような気はするが、文字通りこの曲だけは、作詞、作曲、そしてアレンジまで、エアリィ一人のフルクレジットになるだろう。他の曲は少なくとも、編曲だけは僕らも入れたが、これはアーディス・レインただ一人の作品だ。他とは違う――。
 いいや! 軽い驚きに見舞われて、僕は思わず飛び起きた。何も違わないのではないか。程度の差はあっても、自分で書いた『Remember Your Moment』をのぞけば――もっとも、歌メロと一緒に、いつものごとくかなり修正を余儀なくされたから、作曲は共同クレジットだが――前回も今度のアルバムの作品も、ほとんどの曲がエアリィのものじゃないだろうか。『Abandoned Fire』は、たしかに極端な例だ。夢の中のサウンドトラックという性質ゆえに、すべてのパートが最初から彼の頭の中にきっちりあって、それがあまりに完璧だったために、僕らインストの四人が付け足す余地は何もなかった。でも他の曲だって──たしかにエアリィは直接的には、何も指示はしない。インストパートに関しては、完全に僕らに任せている感じだ。でも彼は、歌メロと同時に曲の枠組みと構成、キーとテンポを決めている。『構成は暫定だから、フレキシブルにしていいんじゃない?』と、彼は言うものの、僕らにはそれ以上のものが見つけられないので、いつもそのまま採用している。アレンジでも僕ら四人が行き詰まるたびに感想と意見を言い、結局それが正しい解法となって、その後のアレンジが形作られる。僕ら四人もアレンジ上の選択肢にぶつかり、判断に迷った場合、エアリィに『どれがいいと思う?』と聞く。彼の客観的な意見を聞きたいだけなのだが、結果的にはほとんどの場合、その判定がそのまま採用になる。エアリィ本人はたぶん、ほとんど意識していないだろう。でも、ポイントポイントで僕らはコントロールされている――僕ら四人は自分たちですべてを決めていると思いこみながら、決められたデザインに到達する道を、苦労して捜し求めているだけではないだろうか。
 実際、今度のプリプロダクションにおいても、僕らが仕上げた最終アレンジに、エアリィが新しいパートを付け足すことを提案して、仕上げた曲がいくつかある。『At the Storm of the Midnight』のエンディング部と『Cloudburst』中間部のエレクトリック・ヴァイオリン。『The Story Weaver』イントロ部のフルート。こういったプラスアルファはエアリィが自身でやることになるが、歌のない部分だから、差し障りはないだろう。しかし、こういった追加パートに関して、僕らはまったく考えつかなかった。ドラムス・ベース・キーボード・ギター、この四種類の楽器の組み合わせで、しかもライヴでの再現性を考慮するなら、あまりオーバーダビングをせず、せいぜいギターの多重録音くらいにして、あとでライヴ用に一本でアレンジしなおす。僕らインスト陣には最初から、その枠組みが頭にありすぎるのだろう。他の音を持ってきて、という考えは、正直僕にはあまり湧いてこないし、他の三人も同様のようだ。指摘され、実際にできあがりを聞いてみて初めて、アクセント的に入るそういった他の音が、単なるアクセントやスパイス以上に、曲の表情や印象を完璧なものに膨らませることを理解する。
 でも僕は(たぶんミックやロビン、ジョージも)その時には、さほど深く考えなかった。ただそのアイデアに感心し、それがベストだと納得して、採用しただけだ。だが考えてみたら、エアリィがそういったアレンジのスパイスを僕らに指し示すということは、たぶん彼の頭にあるできあがりのイメージに、僕らの完成品が少々届かないことを意味するのではないだろうか? だから彼はそういう形で、アレンジに参加してくるのかもしれない。無我夢中で気づかなかったが、前作でも、そういうことは起きていたのだ。『Children for the Light』――空前の大ヒットになった前作は、今にして思えば、ただ一人の意志しか、反映されていなかったかもしれない。アーディス・レインの意向、それがすべてだったのでは。僕を含めたインスト担当の四人がやったことは、ベストなアレンジを練り上げたあの苦闘は、結局エアリィが求め、心に描く音像を完璧に実現することと、イコールだったのではないだろうか。
 あの作品自体に不満は決してない。自分があそこまでやれたことに対する満足は、かつてないほど大きかったし、今もそれは変わってない。でも、僕はいつからバイプレイヤー(脇役)になってしまったのだろう。前作は僕らのステータスを天まで舞い上げた。でも同時にエアレースというこの共同体を、以前のツートップ型から、完全なワンマンバンドにしてしまっていた。僕は一応ある程度の評価と名声を得て、バンドのナンバー2という立場にはなっている。でも、それだけだ。
 かつてロビンが、ロスアンゼルスの病院で言っていたことを思い出した。
『僕たち三人がいなくても、君たち二人がいればツアーを続行できるじゃないかっていう書き込みを見て、落ち込んだ』
 今は、僕もそちら側に落ちているのかもしれない。『僕たち四人がいなくても、彼がいれば……』と。そう、もしあの時のような状況で、さらに僕も怪我で続行不可能になったとしても、今だったらエージェントやレーベルは、エアリィに向かってこう言うに違いない。
『残念だったね。でも、君がいれば……』と。彼は間違いなく、あの時と同じように、『えー、無理です!』と返すだろうが。だが観客たちにとっては、その時と同じように『全然なくなるより、その場のセッションを入れてでも見たい!』となるのだろう。アーディス・レインさえ残っていれば。
 あの集中練習前に、エアリィはソロ独立の話を断った。『バンドの中のOne Of Themでいい』と言って。でも結果的には、あまり変わらない事態になってしまった。彼の中のモンスターが目覚め、未踏の領域に踏み込み、まったく別種の、今まで以上に突出した存在になったゆえに。普通の人間である、僕ら他の四人と違って。
 前回のツアーで、エアリィがトロントへ来る前に六年間いた街、プロヴィデンスで初公演をした、その時の異様な熱気を思い出す。あの時はおそらく観客全員が、いや、街の人たち全員が、バンドではなく、アーディス・レイン個人だけを最初から認識し、歓迎していた。それは僕にもはっきり感じられた。プロヴィデンスはエアリィの第二の故郷だから――そう思って自分を納得させていたが、でも例えばオタワはミックの故郷ではあるが、そこに行った時にも、観客たちは別に彼を特別扱いして歓迎はしない。もし僕に第二の故郷という街があったとしても、あれほど歓迎はされないような気がする。僕はバンドのナンバー1スターではないから。
 そして今度のアルバムも、前回と同じプロセスを通っている。僕がやること、ミックやロビン、ジョージがやること、それはすべて、たった一つの流れの中に取り込まれている。エアリィの描く音像、カラーの反映という巨大な渦巻きに。奇跡は二度起きた。前作に勝るとも劣らないクオリティとテンションをキープできたのは、中心となったアーディス・レインの爆発力が変わらなかったからだ。僕らは、ただ巻き込まれただけ。それにエアリィはその気になれば、すべてのパートができる。それも意外な発見だった。ただ、あえてやらないだけだ。そういえば二年前の世界旅行中、ヴォイストレーナーを勤めたフレイザーさんが、インドの高原のキャンプ地で、ローレンスさんに言っていた。アーディスは頭で思ったとおり、身体を動かすことが出来る。反復練習は必要ない、と。彼は演奏方法さえ理解すれば、すぐに楽器をマスターできる。ピアニストの演奏風景を見ただけで、その通り弾けるとさえ、フレイザーさんが言っていた。実際ピアノとヴァイオリンの高難度曲を一見で再現したと。ならば、いつも僕らの演奏を見ているエアリィにとって、四つの楽器をマスターすることなど、わけもないのだろう。一人ですべてを作り上げることも、造作もないことなのだ。スタジオでなら。ならば、僕らの存在異議は──バンドとしての存在異議は、本当に絶対的なものだろうか。

 その時に感じた気持ちは、奇妙なものだった。不安だけではない何かが、心の中に忍び込んでくる。それは少なくとも不満だとか悔しいとか、そういうはっきりとしたネガティヴな感情ではない。羨望とも、少し違う。バンドの主導権を完全に取られたからと言って、友に対する気持ちが変わるわけではない。
 第一エアリィ自身に、自分の意向がバンドとその音楽すべてを形作っているという自覚は、まったくといっていいほどないだろう。彼は五人目のメンバーであり、バンドの中では最年少、いや、今のところスタッフやクルーも含めて、一番若い。三日前に、彼の十八歳の誕生日を、みなで祝ったばかりなのだから。実際の主導権には、そんな要素など無意味なのだが。エアリィはスタッフやクルーなど、周りの人たちに対して、すぐにいわゆるタメ口になってしまうとはいえ、見下しや命令口用でものを言ったことは、僕が覚えている限り一度もなかった。みなに良く話しかけ、みなからも良く話しかけられている。移動のバスのドライバーさんにも、『長い距離、お疲れ様〜』と、コーヒーを持って行ったりする。僕も彼らの仕事に敬意は表し、『ありがとう』といつも言っているが、心の中では一線を引いてしまっているところが多少ある。でもエアリィは、そういうラインをあまり引かないようだ。彼も大勢の共同体の中の一人、そんな認識でいるのだろう。
 バンドに関しても、実態はどうあれ、彼自身は自分を『バンドの中の一人』と考えているようだ。その中で詞を書き、曲を作り、自分の意見を言っている。あくまで参考として。その意見を僕らが受け入れるか拒否するか、それは僕らの自由だ。押し付ける権限は、自分にはない。そう思っていることも、普段の言動を見ている限り、僕にも推測できる。バンドの大看板、そしてメインソングライターでもありリリシストでもある、そんな立場なら当然あるはずのおごりや傲慢さは、彼にはまったくないようだ。いや、建前はきれいごとを言っていても本心では他のメンバーを見下している、そういう輩もいるが、エアリィの場合、そういう二面性はない。そう、五年間親しく付き合って、はっきりそう言える。彼は常に、本心で言動をしているように見える。彼に奢りや優越感、傲慢さや慢心がないのは、おそらくそういう人間的なネガティヴさが、生まれつき欠落しているからなのかもしれない――そう思えるほどだ。理不尽なことをされれば怒るし、喜怒哀楽の感情も、その起伏もわりとある方だと思うが、誰かを『嫌い』とか『憎い』などと言ったのを聞いたことはない。そう、あのセカンドアルバムのプロデューサーに対してさえ、エアリィは『視野が狭い』とは言ったが、『嫌い』とか『やな奴』とは口にしなかった。僕ら他の四人はみな、一度ならず言ったが。
 彼にとっては、人間は優劣をつける対象ではないのかもしれない――そう、前にも何度かそう思ったが、なにかができるできない、なにかを持っている持っていない、それは優劣の対象にはならない。『それって、結局バリエーションだよね』と、本人もかつて言っていた。でも、『ほとんどできる』『ほとんど持っている』立場のアーディスがそれを言うというのも、かなり無頓着だな、と僕はその時思ったものだ。
 僕はどうなんだろう──ふと、そう思った。優劣にこだわっているのだろうか。自分は一番になりたいのだろうか? いいや、そんなことは思ってはいない。どのみち、なれやしない。このバンドでは――。
 僕は頭を振って、起き上がった。一つ、自分が全くノータッチだった曲ができただけで、こんなに動揺するなんて、どうかしている。ジャスティン・ローリングスよ。少し深呼吸でもして、落ち着け。前作も今回のアルバムも、僕は精一杯やった。自分のベストを尽くし、時にはそれ以上のものを引き出そうと苦闘し、その結果大きく成長できた。それでいいはずじゃないか。ミュージシャンとして望みうる最高の境地だ。自分の思うとおりでなければイヤだなんて、ばかげたわがままだ。おまえはいつから、そんないやな人間になった。
 再びため息がもれそうになるのをかみ殺し、僕は大きく息をついた。そして、外へ出た。なんだか少し気が立っているようだ。気分転換をして眠ろう。食堂へ行って、何か飲んで――深夜は料理人さんも休んでいるので、セルフサービスになるが、コーヒーはサーバーに入っているし、紅茶やココアの用意も出来ている。お酒もある。

 廊下を歩いていると、ロビンが自分の部屋から出てきた。
「どうしたの、ジャスティン?」彼は少し驚いたように僕を見た。
「おまえこそ、どうしたんだ?」僕は問い返した。
「なんだか眠れないんだ。だから、食堂でココアでも飲もうと思って」
「なんだ。実は僕もなんだ」
 僕たちは連れ立って一階へ降りた。

 食堂のドアは開いていて、中から声が聞こえてくる。どうやらすでに先客がいるようだ。声のトーンから判断すると、ロブとローレンスさんだろう。ドアのすぐそばまで近づいた時、ローレンスさんの声が言葉となって、僕の耳に飛び込んできた。
「……ジャスティンは、気づいたかもしれないね……」
 僕は思わずドキリとして、そのまま足を止めた。驚いたのもあり、自分のことを話しているのが明らかな中に、当の本人登場というのも何となく気まずいだろうと思ったせいもある。立ち聞きというのも行儀はよくないが、何の話をしているのか気になった。ロビンもその後ろから、同じように足を止め、聞こうとしているようだった。
「まあ、ジャスティンも天才ですからね……」ロブが嘆息するような口調で言っていた。
「そう。彼はまれな天分の持ち主だ。それに気概もある。忠実なバックバンドとなることなど、決して望まないだろう。だが、好むと好まざるとに関わらずそうなってしまうという危機に目覚めたら、心中は決して穏やかではないだろうね」
「ギタリストって、結構自意識は強そうですからね」
「おいおい、僕にそれを言うかい?」ローレンスさんは笑っているようだった。
「でも、たしかにギタリストは自意識の強い人が多いよ。プライドもね。才能のある人なら、なおさらだ。それと同様に、シンガーもたいていは自意識が強い。だから、お互いにぶつかりがちなんだが。いや、僕らはそうではなかったがね、幸い。グレンとはよくケンカもしたが。彼は見た目と違って、わりと短気な奴だったからね。でもあとには引きずらない、さっぱりした奴だった」
「そうでしたね、本当に……」
「それに、必ずしもすべてのシンガーとギタリストが、仲が悪いわけではない。逆に切っても切れないコンビもいるわけだ」
「そうですね。そういうバンドは強いと思います」
「そうだね。ただエアレースの場合、もうそういうレベルは超えてしまっているが」
「ええ……まあ、たしかにそうですね」
「ジャスティンほどの天分の持ち主なら、ギターインストバンドをやったとしても、立派に成功できるだろうと思う。一昔前にスーパーギタリストを次々と発掘して名を馳せたプロデューサーが、去年の暮れに出したバンドが、いきなりブレイクしただろう。究極のインストバンドとか言われて。もっともインストバンドというのは、あまり広く一般受けはしないものだから、成功のレベルには限度があるというのが、正直なところだけれど。たしかに、そこのギタリストは凄いよ。真の天才だ。でもジャスティンだって、傾向は違うが、同じくらい天才だよ。しかし彼の場合、現実にはそのギタリストほど、評価はされないかもしれない。プレイの傾向と、自らが主導になれないためにね」
「しかし、それはあくまで自己顕示欲の強いギタリストなら不満に思う、ということでしょう、アーノルドさん」ロブの口調は真剣だった。「ジャスティンは、そんなことは思いませんよ。彼は他のギタリストのことなんて気にしていないし、ギターヒーローになりたがっているわけでもありません。とても友達思いで、誠実で純真で、良い子なんです。彼の願いはバンドの成功と自らの技術の向上、それだけです。名声など望んじゃいないし、妙な野心などないはずですよ」
「たしかにあの子たちは、本当に理想的な関係を築いている。メンバー全員が信頼と友情で結ばれ、一緒にいることを楽しんでいる。アーティストとしても成長し、大成功を納めた。ああ、本当に……バンドとしては最高に幸福な境地だろうね。だが、これからが本当の正念場だ。この業界は魔物だらけだからね。アーティストが大きくなればなるほど、その魔物も大きくなるんだ。君は彼らをそういうあらゆる敵から守りたいと言っているが、君や僕やレイモンドたちの力にも、限界はある。本人たちにしてもね。ジャスティンだって、決して聖人じゃないんだ。彼だって人並みの欲望を持っているだろう。ロブ、思い入れは必要だ。アーティストに惚れぬいてこそ、マネージャーとして真に理想的な仕事が出来る。だがね、思い込みと現実を混同してはならない。忘れてはいけないんだ。彼らだって人間だということを。人間的な弱さはあると思うべきだ。それぞれにね」
「え……ええ」
「ただ、はっきり言ってしまえば、エアレースというバンドにおいて、ミック、ジョージ、それにロビンについては、ほとんど心配はないだろうと思う。別に変な意味じゃない。彼らは、自分たちが置き換え可能な部品だとは思っていないだろうし、あとの二人も決して、彼らに対してそんなことは思っていないだろう。僕もそうは思っていない。彼らはエアレースというユニットには、必要不可欠なパーツだ。だからこそ彼らは自らの立場を誇りに思えるのだし、また実力上の距離をはっきり感じているから、忠実なフォロワーとなることに、さほど心理的な抵抗はないんだと思う。だがね、ことジャスティンになると、話は別だ。彼ほど飛び抜けた能力の持ち主に、プライドはないだろうか? 嫉妬心はないだろうか? それも相手の力に、自分が努力すればなんとか手が届くというのなら、まだ救われる。その思いをバネにして、いっそうの精進に励めるし、良きライバルとして健全な友情がはぐくめるだろう。しかしこの場合、はっきり言って次元が違う。相手はモンスターだからね。だが、だからといって他の三人のように感嘆しながらあきらめるには、彼の天才が邪魔をするかもしれない」
「ですが、アーノルドさん。ジャスティンにそんなこだわりはないと、僕は思っています。彼は非常に謙虚ですから、妙な嫉妬心など、持たないと思うのですが。少なくとも、僕にはそう見えます。マネージャーとしての欲目もあるのかもしれませんが、それでも……」
 しばらく沈黙があった。かちっと小さくライターをつける音がし、再び煙草の匂いがかすかに漂ってきた。ローレンスさんは再び口を開いた。
「そうだね。彼もきっと、そう思っているだろう。もし彼が今僕らの話を聞いていたら、冗談じゃない、そんなことは思っていない、と、少し気を悪くするかもしれないな」  再びどきっとした。別に気は悪くしていないが、僕はまさに、(そんなことはない。取り越し苦労だ)と、思っていたところだったのだから。
「だがね、ジャスティンは本当に、プライドを持たないのだろうか? 本当に自分の実力を認めていないだろうか? そんなはずはないと思うんだ。なるほど、彼ほど育ちの良い子ならば、自慢や勝ち誇りは人間として恥ずかしいことだとしつけられ、謙虚さを身につけるだろう。同時に友達に対して悪い考えを持つなど恥ずかしいことだと、教えられてきたのだろう。その通りだと思い、育った良い子なんだ、彼は。だが良い子の本当の心は、当人にすら、わからないのかもしれない」
「じゃあ、ジャスティンが誠実で謙虚で、誰にでも親切なのは、作られた良い子だからとおっしゃりたいんですか」
「いや、そうは言わない。だが、彼はすくすくと伸びてきた大木のようなものだ。強い突風や嵐にあったら、ぽきりと折れてしまう危うさを持っていると、僕は感じてしまうんだ。その危険性を、君も頭に入れておいたほうがいいよ、ロブ。その危うさゆえに、かりに僕が妨害者の立場で、エアレースに1−2分裂をしかけるとしたら、まず確実にジャスティンの方から崩していくことを狙うだろうからね」
「そうですか……やはり」
「ただ、今のエアレースに1−2分裂を仕掛けるメリットがあるかどうかというと、かなり微妙だろうね。1−2分裂というのは、ツートップ型には非常に有効なんだが、今のようだと、2を離反させても仕方がない、と思う可能性は高い」
「……そうなんでしょうね。去年の最終公演での、ジャスティンへの脅し内容を聞いている限りでも……分裂ではないんでしょうね、妨害者の狙いは。エアリィの存在は、業界のある種の人間やアーティストたちには、非常に脅威なのだろう。それだけは、僕にもはっきりわかります」
「タブーを犯してしまったのだからね。業界のタブーを」ローレンスさんは声を落とした。「未踏の領域は、それだけ怖いということだ。前作のデモを聞いた時も衝撃を受けたが、今回はそれ以上だ。未踏の領域に入っただけじゃない。彼はさらに奥へと突き進んでいるように思える。今日の『Abandoned Fire』にしてもだ。ヴォーカルを録っている間中、僕は全身に鳥肌が立っていた。あれだけの感情とイメージと力を放散するシンガーは、いや、他のあらゆる芸術家を含めても、彼しかいないだろう。あの子のオンとオフには少しギャップがあるが、スイッチが入ってオンになると、もう誰にも止められないし、周りをすべて霞ませてしまう。本当に次元が違う。それが未踏の領域なのだろうが」
「そうですね……本当に」
「それにね、僕は気づいた。その中にいると、自分の能力も最大限に引き出されるようなんだ。インストの四人も、ベストな演奏を決めるのに、ほとんど時間がかからない。前作のデモを聞いていて、もしかしたらと思ったので、ガイドヴォーカルを本気で歌ってもらったんだが、これほどの効力だとは思わなかった。それに監修している僕たちのほうも、感覚が研ぎ澄まされ、ベストの判断が苦もなく出来る。ミキシングでもベストの音バランスが、ほぼ迷わず出来るんだ。だから前作のミックスダウンも、実質の作業は十日ほどで終わってしまったほどだ。よほど自分の調子がいいのだろうかと思ったが、他のアーティストではその現象は起きない。AirLace限定だ。今回のレコーディングも非常に楽だった。ミックスもきっとそうだろう」
「ええ。コンサートスタッフも、同じようなことを言ってしましたよ。サウンドチェックでの音決めが容易だと。他のエフェクトもそうです。本当に特異な空間なんですね」
「ああ。彼らのコンサートスタッフは、半分以上僕らの元スタッフだから、話をする機会は何度かあったが、同じことを言っていたね」
「そうですね。スタッフはかなりの部分、Swifterから引き継いでいますから。美術、照明、音響、ヴィジュアルのそれぞれの監督、何人かの助手、モニターミキサー、プロダクションマネージャー、パイロテクニシャン、音響設計、ドライバー。社長が一昨年の暮れに、完成したアルバムを聴いて、声をかけたらしいですね。『来年の夏には、うちでもう一度アリーナツアーが必要になる。賭けてもいい。準備もあるから、出来たら春から身体を空けておいてほしい』と。社長は先見の明がありました。彼らもみな喜んで来てくれて、それからずっとお世話になってます。実際にはそれより早くなってしまったので、最初の全米で合流できなかった数人も、ヨーロッパからは無事参加できましたし、次からは料理人とレーザー担当の人も入るそうです」
「君とレオナ、それにレイチェルも移行組だろう。最初から関わっているだけに、僕らのクルーだった頃より、三人とも出世しているけれどね」
 ローレンスさんは少し笑っているようだった。
「そうですね。レオナはツアーコーディネイターに、フォーリー女史はステージマネージャーになっていますし。一番出世しているのは、僕ですがね」
「最初に彼らのことをレイモンドに報告したのは、君だからね。一番くじも君が引き当てたわけだし。良かったじゃないか、ロブ。素晴らしいアーティストを君の手で育ててみたいというのが、君の夢だったんだろう?」
「ええ。本当にそれはうれしく思っています」
「本当に良かった。そのおかげで、僕らの元スタッフたちにも、新たな居場所ができたんだ。もっともみんな口をそろえて、『Swifterの時より三倍はハードですよ。七連続公演、全部違う都市とか、移動が一晩で七百マイルとか、鬼畜なスケジュールを組まないでくださいと、レイモンドに言ってもらえませんかね。バンドは若くても、僕らはもう若くはないんですから』と苦笑していたけれどね」
「最初のヘッドラインツアーですね。最初に彼らの手を借りた。あれは本当に、エージェントもマネージメントも、かなり興奮状態だったのだと思います。まるで熱に浮かされたような。それで、与えられたチャンスを最大限に生かそうと、とんでもなく詰め込んだんでしょう。僕も同行していて、途中で後悔しました」
「そうらしいね。それからは、まあ、七連続はなくなったが、でもその後のツアーも、四連続五連続は当たり前だからね。オーバーナイトの長距離移動も変らないし、厳しいよ。スタッフ連中は、全部のツアーが終わってから疲れが抜け切るまで、一ヶ月かかったとぼやいていたからね。ギャラに恵まれているから、それでも大丈夫なのが幸いだ、と言っていたけれど。まあ、僕らも二十代前半くらいまでは、そのくらいのペースで回っていたけれど、数千人級のシアターだったから、それほど大掛かりなプロダクションではなかったし」ローレンスさんは懐かしむような口調で言い、一呼吸入れた。おそらく煙草を吸っているのだろう。少し匂いが強めに漂ってくる。そして再び続けていた。
「しかし、それはともかく……あの子の力は、周りをすべて昂揚させるんだな。未踏の領域……そう考えると、畏怖に近い思いを感じてしまう」
「そうですね。僕も時々そう思います……」
「このパワーは使いようによっては、非常に怖いものだ。回りを昂揚させるだけならいいが、聞いているものを揺り動かし、考えを変えさせるほどの……リスナーへの作用が、非常に強烈だからね。あの子は今に世界を変えるかもしれない、そう思えるほどに。それまでにどんな音楽を好んで聴いていても、それを霞ませ、押しのけて、非常に熱心なファンに変える。今まで愛好していたものは二番手に落ちるならまだいい方で、完全に捨ててしまうことも多々あるようだ。そのせいか、今までメインストリームだったアーティストたち、このCD不況でも強い売り上げを記録していた人たちが、軒並み売り上げが激減している。彼らにとっては、本当に死活問題なんだ。そんな一極集中を、業界は歓迎しない。しかしそれとは別に、その潜在的な危険性を指摘する人もいるんだ」
「潜在的な危険とは?」
「それは、洗脳だ。リスナーを感化する力だ。善に向かっている分にはまったく問題はないが、仮に邪悪な人間だったら、とんでもないことになる」
「ああ……そうですね」ロブは一瞬黙ったが、すぐに続けていた。「でも、エアリィなら大丈夫でしょう」と。
「そうだね。僕もそうは思う。前作も今作も、非常にあの子らしい前向きなパワーに満ちている。だから、逆に思うこともあるんだ。彼だからこそ、その力を使いこなせるのだと」
「ああ、それはあると思います、僕も。その力が彼を選んだ、そんな気もしますから」
「エアリィはなんというか……不思議な子だ。外見のインパクトも凄いが……世界で最も美しい少年とか、そんな形容はマスコミのキャンペーンにありがちだが、あの子の場合は本物だろうと思う。もっとも、世界中の美少年を全部見たわけではないけれどね」
「まあ、そうでしょうね。でも、僕もそう思います。今まで見た中で最大で、最強の美の持ち主じゃないかと。彼がもし女の子だったら、とんでもなかったでしょうね」
「たしかにそうだね」アーノルドさんは少し笑っているようだった。「それにあの子は初対面の人に対しても、ほとんど構えないね。だから僕も明るくてポジティヴで、フレンドリーな子だな、という印象を最初は持っていた。言ってみれば、ロビンと対照的な感じだ。どちらが良いとか悪いとか、そういう問題じゃないが。はじめのころ、エアリィの性格は自己肯定意識が高いからなのだろうか、と僕は思った。才能にしろ容姿にしろ、あれだけ桁外れのものを持っていて、自分に自信が持てないなどということは、ありえないだろうからね。しかし、すぐに僕は思いなおした。いや、違う、そういうレベルの問題じゃないと。それに、いわゆる外向的な子というのは、まあ、偏見かもしれないが、人間的にはあまり深みはない、という感じが多いんだが、それにも当てはまらない。歌詞だけを見てもね。あらゆる意味で、あの子は規格外なんだ。常人の常識では、当てはまらない子。それゆえ、モンスターが覚醒したのかもしれないが。あの時の異様さは、その場にいなければわからないだろうが、本当にぞくっとした。彼がオンになった状態というのは、その内なる超人が覚醒して、一体化している時なんだろうと思う」
「そうなんでしょうね。あなたのおっしゃることは、僕も完全に同感です。まあ……僕は、そのエアリィの異常な状態を見てはいないんですが、ジャスティンの話を聞いていても、尋常ではなかったことだけはわかります。そしてその後から、エアリィは変わったような気がします。オン状態の時だけでなく、オフの時でも、少し」
「そう……どこがどうとは、言いづらいんだけれどね。でもたしかに、それは僕も感じる。あの子の覚醒前に十日ほど一緒に旅をして、覚醒した後の二回のレコーディングで、ミックスダウンも含めて、トータル三ヶ月弱一緒にいて、その少し変化した部分と、変わらない強靭な核というべき部分があるのだということもわかってきた。あの子は大いなる無垢の心、そんなイメージだ。およそ世俗的なものやネガティヴな思いというものにも、縁がないように思える。それゆえに、その力の使い手たる資格を持ち、そしてそれゆえに、価値観や物の見方も、他の子たちと少し違う気がする。だから他の人が気にすることに対して、少し無頓着になってしまう部分も否めない。ネガティヴさは皆無でも、ナチュラルすぎて、周りを振り回してしまうような感じだね」
「本当にそうですよ、それは。僕も手を焼かされています」ロブは苦笑しているようだった。
「いい関係を築けているうちは、そういうナチュラルな無頓着さも、笑い話で流せるんだ。でも、その関係が軋んでくると、相手の神経を逆なでする要因になってしまうかもしれない。そこだけは注意が必要だね」ローレンスさんはそう言葉を継ぐ。
「そうですね……」ロブは真剣な調子で、頷いているようだった。
「二年前、フレイザーさんから未踏の領域へ到達する可能性を聞かされた時、僕はそれが実現しなければ良いと願った。天才であっても普通のアーティストであるならば、ここまでモンスターにはならなかっただろうが、ここまで妨害者を作ることもなかっただろう。生存危機にさえ直面するかもしれない妨害に。そう、反対勢力にとっては、アーディス・レインというのは消し去りたい対象以外の、何者でもないだろうからね。そういえば……君は気づいているだろうか、ロブ。あの子がオフで少し変わったといえば、時々……ふっと人が変わったような表情をするということを」
「いえ……どのような感じなのですか、それは」
「隔絶された孤独……失ったものに対する悲しみ……そう、いってみればそんな感じだ。僕にもその思いはあるから、よくわかる。いや、同情はしてくれなくて良いよ、ロブ。それにたぶん、エアリィの場合は同じ精神性を有する人、同類のいない寂しさかもしれない、そう思うんだ。今日も、そう……インスト陣が一生懸命パート練習をしていた時、コントロールルームから見ていて、ふっと一瞬そんな表情をした。彼はあまりに何でも出来すぎ、能力も突出しすぎているから、おそらく努力してなにかをやり遂げる喜びとか、力が拮抗した相手と競う喜びを知らない。それはある意味、不幸なことかもしれないと、僕もふと思った。僕が声をかけたら、一瞬でその表情は消えた。そして肩をすくめて言っていた。『こういう時って、見てるだけで、なんか僕にも他にやることあったらな、って思う。ついよけいな、ほかのこと考えちゃうし』って」
「まあ、退屈しのぎに苦労するというのは、わかりますね。ロードにしろレコーディングにしろ、時間が半端に空く時、他のみなは本を読んだりゲームをしたり、テレビを見たりするんですが、エアリィは本一冊を五分で読んでしまいますから。ゲームにしても、RPGは『あー、レベル上げがだるくてやだ!』と言いながら最速クリアするし、アクション系もとんでもないスコアで、あっという間にクリアしてしまうし、ガチャ引きのレア率も異常ですね。おまけに、飽きるのも早いです。テレビや映画を見ていても、それだけでは退屈みたいで」
「あの子の場合、ロードやレコーディング中の暇潰しの読書には、一日百冊以上の本がいるだろうね。このスタジオの蔵書も二、三日で全部読んでしまったようだし、一度読んだら完璧に記憶できるから、読み返すこともないわけだしね」ローレンスさんは苦笑しているようなトーンだった。「でもそういう突出した能力は、モンスターの覚醒前からあったわけだから、避けられないものではあったのかもしれない。未踏の領域へ入らなかったら、これほど業界の脅威にはならず、ジャスティンにとってのフラストレーションの種も起きなかっただろうと思っても、それはもう実現しなかった仮定でしかない。起きてしまったことは、覚悟を決めて受け入れるしかないからね。ではその中で、彼らにとって何が最善なのか、何が一番幸せなのか。それをレイモンドも僕も、そしてもちろん君も考えていかなければならないんだ」
「そうですね。ええ……本当に僕もそう思っています」
「そしてたぶん、妨害者が仕掛けてくるとしたら、ジャスティンを使った、エアリィ潰しなのだろうと思う。去年の脅迫のように」
「でも、ジャスティンがそこまでするとは、僕は思えないです。いくら……仮に、もし今後フラストレーションが存在してくるとしても……去年にしても、どちらもできないと、彼は非常に悩み苦しんだのですから」
「今の段階では、たしかにそうだ。それに将来的にも、彼がそこまで行くとは思えない。性格的にもね。ただ、多少の潜在的な火種があることは認識すべきだと思う」
「でもアーノルドさん、僕はどうしたらいいのでしょう」ロブは訴えるような口調になっていた。「そんな事態が万一起きるようなら、僕は耐えられません。せっかく今彼らは幸せに、満足して……このエアレースという共同体を築いているのに、そんなことが起きたら双方にとって、非常に悲劇的な結末になってしまう。僕は何としても、彼らを守りたいのです。今のまま、彼らの純真さを曇らせることなく、友情を損なうことなく、業界の魔の手からも守って、行かせてやりたいのです。なんとしても……」
「それは難しいと思うよ、ロブ」ローレンスさんは厳粛な口調で答えていた。
「君はさっき三つのことを言ったね、ロブ。彼らの純真さを曇らせることなく、友情を損なうことなく、業界の魔の手から守りたいと。そんなにいっぺんに全部は無理だ。特に最後のものについては、まず避けられないだろう。だが最初の二つは、もって行きようでなんとかなる。ひと波乱ふた波乱は、きっとあるだろうけれどね」
「そうですか……」ロブはいくぶんほっとしたような口調だった。
「だが、波乱につぶれないようにしなければ、どうにもならないよ、ロブ。僕が今一番気になるのは、ジャスティンのプライドだ。才能ある人間が、本気で自分を認めないなんていうことがあるだろうか? その謙虚さが人間としての自然な感情、もっと認めてもらいたいとか、人より劣るのはいやだかと、そういう思いを封印してはいないかが気になる、それだけなんだ。だからこそ、君も思いこみを捨てて正直に彼らに向き合わないと。彼らの純真さと友情を失わせたくないと思うなら」
「そうですね……」

 そこまで聞いて、僕は「行こう……」声には出さずにロビンを呼び寄せる、食堂には入らず、そのまま部屋に戻った。
「ジャスティン……」部屋の前まで来て、ロビンはためらいがちに僕を見た。
「ねえ……僕の部屋にチョコレートならあるんだ。ココアじゃないけれど……良かったら来て、チェスでもしない?」
「そうだな……」僕はしばらく考え、頭を振った。「いや、いいよ。あまり気が乗らない。ごめんな」
「そう。そうだね……寝た方がいいね」ロビンは微かに笑ったあと、遠慮がちな口調でこう聞いてきた。「ねえ、ジャスティン……気には、していないよね?」
「気にするって、何を?」そう問い返したものの、その意味ははっきりわかっている。
「いや、いいんだ……」ロビンは首を振り、そして訴えるように付け足した。
「大丈夫だよね、ジャスティン。僕たちこのまま……五人とも変わらずに行けるよね」
「大丈夫さ。心配するなよ!」
 僕は強く請け負ったあと自分の部屋に入り、ベッドに寝ころんだ。だが、漠然とした軽い苛立ちも感じていた。ロビンはなぜあんなに心配そうに、僕に念を押すのだろう。ローレンスさんの言ったことは、たしかにショックだが、彼もロブも決して悪口を言っていたわけじゃない。僕らを心から心配し、気遣っていてくれる。僕らに好意を持っていてくれる。それゆえの言葉なのだ。それにローレンスさん一流の鋭い分析は、かなり当たっているのだろうと思える。自分のことは、今一つ納得がいかないが。
 僕は起きあがり、灯りを消してから、もう一度ベッドに寝転んだ。眠ろうとつとめながら。でも、なかなか寝つかれなかった。今のところバンドは順風満帆だ。前作の大ブレイク、そして今度のアルバムもきっと成功できそうな、たしかな予感がある。二作続けてのモンスターセールスということになったら、バンドのステータスはさらに舞い上がるだろう。もはや一過性のブームとは言えなくなる。外敵もますます多くなるだろう。でも、僕らは負けたくない。ただでさえ外敵の多いこの世界で、内側からぐらついたのでは、行き着く先は、きっと転落しかない。信頼と理性、友情と向上心、誠実さ。それは絶対に離してはならない命綱だ。だから僕も、しっかりしなくては。業界の魔物につけ込まれるような心の弱さを、見せてはだめだ。まわりに飲まれたくない。信頼も友情も失いたくはない。




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