The Sacred Mother Part2 - the 11 Years’ Sprint

四年目(2)





 エアリィは僕らが料理を食べはじめた頃に、やっと来た。ゆったりした白の上着の下に濃い水色のちょっと光沢のある生地のオーバーブラウス、ボトムスはウール系のような素材で、色は濃いグレイ。何もアクセサリーは着けていないが、緩やかにうねって背中に流れている髪が、彼の最大の装飾だろう。その姿が現れると、まるで見えないスポットライトが当たったように、会場の雰囲気が一気に華やぎ、明るくなる。彼はそういう得なムードを持っている。僕には到底出せない存在感だ。
 彼は入ってくるなり、「新年おめでとう! って、えー、もうみんないるんだ? 僕が最後? みんな早いなあ」と声を上げ、そして「これが焼きあがんの待ってたんだ。まだ熱いから気をつけて」と、レオナに料理の皿を渡していた。ハーブとケッパー入りのフィッシュパイ。さらに「あとシフォンケーキとカットフルーツね!」と、箱を渡している。エアリィは独身組でも、ベテラン主婦顔負けの家事能力を持つ。亡くなった母親のかわりに一年間実家の家政をしていたらしいし、未来世界から帰って来てから二週間の隠遁期間中も、家事担当だった。プリプロダクション中、よく僕らにお菓子を焼いたりコーヒーをいれてくれたりもしている。ただ基本的に面倒なことは嫌いらしく、凝った料理はあまり作らないようだが。
「ビッグママ、元気? 久しぶり。会えてうれしいな!」と、彼は本当にうれしそうに言い、ビッグママの方も僕らの誰よりも喜色満面という顔で、「あらあ、エアリィ! 本当に久しぶりね! 会いたかったわ!」と叫んでいる。プリプロダクションの後半、彼がいろいろ手伝って以来、彼女はもはや『アーディス君』などと、他人行儀には呼びかけない。相対しての呼びかけで、エアリィとジョージに君づけしないのはビッグママだけでなく、たいていのスタッフがそうだ。開放性の違いだろうか。こういう性格だとパーティは気楽だろうし、楽しめるだろう。でも、みながみな社交的なわけではない。
 僕らには隠れてしまって決して寄りつかないプリシラも「プリス、久しぶり! 大きくなったなぁ」とエアリィが呼びかけると、「エリィおねーちゃん!」と叫んでにこっと笑い、駆け寄っていく。これには僕らも苦笑というより、笑ってしまった。
「えーとね、プリス。呼び方間違ってる。おにーちゃんって呼んで」などと言われても、彼女はまったく気にしていないようだ。きらきら光る髪の毛が欲しいらしく、抱き上げられると盛んに引っ張るので、エアリィもちょっと困っている様子だった。
「てか、こいつ、本当におまえを女と認識してるんだなあ」ジョージは苦笑を浮かべて娘を見つめ、
「男だって認識されたら、泣かれるのかなぁ、僕も」エアリィはちょっと複雑な表情で、肩をすくめていた。
 彼は、ステラにもにこっと笑って、話しかけてきた。「あ、ジャスティンの奥さん、来てくれたんだ。こんにちは、初めまして! まあ、初対面じゃないけど、話すのは初めてだから。ジャスティンから話はよく聞いてるけど、よろしくね!」と。
「あ、はい。初めまして。お会いできてうれしいです。でも……お会いするのは、初めてではないですか?」ステラは目をぱちぱちさせ、そう問い返している。
「うん。面と向かっては。でも結婚式の時に見たし、あとデビュー前のライヴにも、一回見に来てくれたよね、三月に」
「えっ、結婚式、お見えになりましたか?」
 おまえは変装してきたから、ステラには全く認識されていなかっただろう。それにこういう性格なのはわかっているが、人の妻に、しかもほぼ初対面で、おまえより年上の相手に、いきなりため口するな、と思ったが、言っても無駄なので、僕は心の中で肩をすくめただけに止めおいた。ロビンとエアリィの性格を足して二で割ると良い、とジョージがかつて言っていたが、僕はその時、そんなにみんなが平均値になったら面白くない、と思った。でもこの時には、その意見に賛成したい気分だった。
「うん。行ったよ、カツラかぶって。でも、最初にライヴで見かけた時、あ、ジャスティンが写真で見せてくれたガールフレンドさんがいる、って思ったら、すごく怖い顔でにらまれたから、ちょっとびっくりはしたけど。あー、なんか僕、あまりよく思われてないのかな、って……あ、今もそうだったら、ごめんね」
「いえ……そんなことはないです。ごめんなさい……気がつかれてたんですね。そうですよね。でも本当にそれは……気になさらないでください。ちょっと誤解してしまっただけです……」ステラは少し赤くなりながら、口篭もっている。女の子に間違えたなどと、本人には言えないのだろう。彼女が睨んだことは、僕は気がつかなかったが、その三月のギグの後『なぜ、よりによってプラチナブロンドの美少女を入れたの。あの子はきれい過ぎるわよ』と責められたことを、再び思い出した。ステラのやきもち妬きの片鱗は、こんなころからあったわけだ。
「それならよかった」エアリィはほっとしたように笑っていた。
「おまえ、そういえば一人で来たのか?」僕はその横合いから聞いた。
「違うよ。ただ彼女たち、先に洗面所行きたいって……バスルームね。レオナには言ったけど……そろそろ終わるころだろうから、連れてくる」
 彼はいったん広間を出ていき、やがて女性たちを連れて戻ってきた。

「間違えちゃった、あたし。ここの水栓、うちと逆なのね。危うくドレスがびしょびしょになるところ……あっ、こんにちわぁ! わぁ、みなさんに会うの、すごく久しぶり! うれしい! 新年おめでとうございます、みなさん!」
 明るい声と共に、エステルが入ってきた。外へ向かって両手を広げていくような入り方は、本当に兄妹そっくりだ。デビュー前まで、彼女は僕らにも、おなじみだった。バンド練習にいつもついてきて、デビューのきっかけとなったコンテストのオンタリオ州大会にも、決勝が行われたバンクーバーにも同行してきた。その後、みながアパートの隣同士で暮らしていた頃も、わりとよく会った。でもそれ以来なので、三年ぶりくらいの再会だ。あの頃は五、六歳だった彼女も、今は九才。幼さが少し薄れ、少女らしく、そしてしっかりした性格にもなってきているようだ。
 エステルは生まれた時には、双子だったという。でも僕は、相方だったメイベルちゃんには会ったことがない。その子はわずか五歳で、母親とともに事故で死んでしまった。エステルだけが車から放り出され、柔らかい草の上に落ちたおかげで奇跡的に助かったという。でも今はほとんどその影を感じさせないほど、元気で明るく、人懐っこく見える。金色の巻き毛と、えくぼのあるピンク色のふっくらした頬、まつげの長い鮮やかな青い大きな目、ちょっと尖った小さな赤い口元。たしかに、亡くなったお母さんによく似ている。もっとも僕は母親の方は、写真で見ただけだが。彼女も大きくなったら、きっと相当な美人になるだろう。ふわふわした巻き毛にピンクのリボンを結び、フリルと白いレース飾りがたくさんあるピンクベルベットのワンピースを着た少女は、華やかで可憐なスイートピーを思わせた。
 少女の後ろから、二十歳前後の女性が入ってきた。濃い亜麻色の髪を両サイドに三つ編みにして頭に巻きつけ、残りの髪は自然なカールに任せて背中に垂らし、カシミア素材らしい、あっさりしたデザインの薄緑色のドレスを着ている。驚くほどきめの細かい、クリーム色の滑らかな肌に、浮き彫り宝石のような顔立ち。長いまつげに縁取られた大きな瞳は、煙るような紫色がかった灰色だった。それほど背は高くない。エアリィとそれほど変わらないだろう。ハイヒールを履くと、彼女の方が高くなりそうな感じだが、今は白いフラットヒールの靴を履いていた。彼女は、モデルさんで連想したような、すらりとした体型でもなかった。いや、顔や手足はほっそりとしているのだが、ドレスのお腹のあたりが、ふわっと膨らんでいる。その姿に、僕は仰天した。
「紹介するよ。こっちはみんな知ってると思うけど、ご家族には初めてだっけ。僕の妹、エステル・ステュアート。四月で十歳になるんだ。今四年生だよ、小学校の。それで彼女は、アデレード・ハミルトン。僕の……ン、なんて言ったらいいかな。ガールフレンドで生活パートナーってとこ」
「って、おまえ、いつからそういう仲になったんだ?」僕は思わず聞いた。
「そういう仲って?」
「その……子供生まれるんだろ? おまえの?」
 僕は動転したあまり、思わず相手に失礼なことをきいてしまった。
「うん、そうだって。僕も、誰の子なの? って聞いたら、思いっきり怒られたよ」
「おまえ、結構無神経だな、エアリィ。普通男と女が深い仲になって、一対一の付き合いをしているんだとしたら、そんなこと聞いたら、彼女への侮辱になるぞ。身に覚えがないんなら、別だが」ジョージは呆れ顔だ。それはたぶん、僕らみんな同じだろう。
「身に覚え、うーん、まあ、ないわけじゃないけど……僕は自分に子供ができるなんて、全然考えてなかったから」
「おまえなぁ、習わなかったのかよ……」
「原理は知ってるけど……じゃなくて、相性の問題。僕は体質が特殊だから。スタンディッシュ博士に言われたんだ、再検査の時。『君の体質だと、子供は出来づらいだろうね。相手に因子がないと』って。でもその因子って、現代じゃ確かめられないし」
 そんな話を堂々と言うな。未来世界のことは他言無用と言われただろう。僕らだけならいいが、アデレードとエステルもそばにいるのに。幸い、彼女たちは二言三言、二人で言葉を交わしていた時だったので、こちらの言うことに、それほど注意を払って聞いていないようだった。助かった。
 ジョージとロビン、ミックもちょっと驚いた顔になり、ロビンが小声で、「エアリィ、それ、タブーだよ。僕らだけじゃないし、今」と、囁いている。
「あ、そうか。そうだった。ついね」と、エアリィもちょっと慌てたように、小さく言った。おまえは忘れないんだろうが、と思ったが、忘れないのと、思い出さないのは、また別の話のようだ。まったく。
 それはともかく、そうだ――タッカー大統領は、たしかに言っていた。『PXLPは特殊な因子でね、全体の二五パーセントを超えると、相手にPXLSがないと、存在し得ない。人体になる前に壊れるのだろうね』――エアリィはブルーブラッドという特殊体質で、しかもその特殊因子割合が、八五パーセントという非常な高率だった。それでは子供の代に受け継がれるその割合が二五パーセント以下になることは、ほとんどない。限りなくゼロに近いかもしれない。ということは、アデレードはその対応因子の持ち主だったわけか。対応因子の由来も、どのくらいの確率なのかもわからないが、これはある意味たしかに、運命かもしれない。
「でも、焦っちゃったよ、ホント。六月にヨーロッパ行って、十月にオセアニア終わって帰って、会ったら、もう五ヶ月とか言うんだから。ものすごい不意打ちだった」
 エアリィはちょっと肩をすくめながら、そう言葉を継いでいる。
「ごめんなさいね。たしかに驚かせてしまったけれど、でも、電話やメールじゃ言いづらかったから、なんとなく。それでなくとも、大ブレイクの真っ最中だったし……」
 アデレードは隣で、ちょっとはにかんだような微笑を浮かべていた。 「うーん、その辺の事情は、僕にはわかりづらいけど、でも彼女は悩んだんだって。もし僕がダメって言ったら、一人で育てる、って言ってて。え、育児参加させてくれないの?って言ったら、きょとんとして、それから泣き出すし、わけわかんない」
 わけがわからないのは、おまえの方だ。アデレードも困ったような笑みを浮かべて、肩をすくめているし。彼女も悩んだことを後悔しているんじゃないか、とさえ思え、僕も苦笑するしかなかった。それは他のみんなも、同じだったようだ。

「あの……」ひととおり話が落ち着いたところで、ステラがおずおずとした様子で、アデレードに声をかけていた。「すみません……あの……あなたは、一昨年の秋、マダム・クロフォードのファッションショーのラストで、ウェディングドレスを着て出てこられた三人の方の、右側の方ですか?」
「ええ。そうよ……」アデレードは一瞬思い出すように間を置いたあと、微笑んで頷いていた。「え……と。もしかしたら、あなたはジャスティンさんの奥さんですか?」
「ええ、そうです。あの……わたしはステラ・パーレンバーグ……ジャスティンの妻です。初めまして」
「初めまして。会えてうれしいわ。わたしのこと、知っていてくださったの?」
「ええ。おととしのファッションショーで。わたし、あなたが着ていらしたウェディングドレスに憧れて、同じ衣装で結婚したんです。本当に素敵なドレスで、とても素敵なモデルさんだと思ったので……よく覚えているんです」
「あら! ありがとう! 本当に? まあ!」アデレードはちょっと驚いたように目を見張っていた。「一昨年秋のファッションショーね。来てくださったの? ありがとう。あのウェディングドレス! よく覚えているわ。そうよ、あのドレスはわたしも気に入っていたのよ。レースとドレープの繊細な調和がすてきでしょう? あれを調整するのに、マダムと二人で三日くらいかかったわ」
「まあ、本当に? それではどんなに急いでも、三週間かかると言われたわけね。でも結婚式が急に決まったから、無理を言って、十二日間で仕上げてもらったんです。去年の二月に……」
「去年の二月? あら、もしかしたらマダムが言っていた、急に結婚式が決まったお客さん? 『あのドレスを、十二日で仕立てなければならなくなったのよ。手伝ってね』と、わたしもドレープ調整や縫製を手伝った時かしら。お式が三月二日と言っていた……」
「ええ、そうです、そうです! あの時には、すっかりご迷惑をおかけてしてしまって」
 なんという偶然か。共通の話題を持った二人は、それから熱心に僕らの結婚式の話や、ファッション談義を始めていた。その間にエステルは、母親のスカートの裾に捕まっていた黒髪の少女のところへ行き、にこやかな調子で誘いかけていた。
「こんにちは! せっかくだから、子供同士、遊びましょ!」と。
 プリシラはしばらくじぃっと見ていたが、やがてにこっと笑って頷き、手を差し出した。エステルは親切なおねえちゃんと認識されたのだろう。
「エステルちゃんも、しっかりしてきたな、本当に」思わず、そう言葉が出た。
「ン、まあ、みんなを煩わせてたころよりはね。あれから四年近くたってるし」エアリィは妹を目で追いかけながら、小さく頷いていた。
「そうだな。でも、それにしても……」僕は言葉を継いだ。「不意打ちもいいところだぞ。妊婦さんの彼女を連れてくるなんて。おまえも父親になるんだな、エアリィ。僕より早いぞ。おまえ、まだ十八にもなっていないのにな」
「うん。すごくびっくりした、僕自身も。あなたの子よ、って言われて、え、僕の子供? うそ! 全然考えてなかった、って。けど、子供好きだから、いいや。妹たちほどは手かかんないだろうし」
「妹さんたち生まれた時って、君は八歳だったんだよね。じゃあ、覚えているよね。ああ、それに君は忘れないし」ロビンが頷きながら、きいている。
「うん。それに世話もしてたから、母さん手伝って。二人だと大変だしね。だからオムツがえとかミルクとか、泣いたらなだめるとか、そういうのはできるよ」
「ある意味、僕より育児のプロだな」
「ジャスティンはやったことないの? クリスチャンくんのオムツがえとか」
「いや、二、三回しか、やったことがないから。大きいほうは経験ないし」
「俺もまあ、そんなところだぜ。二人目はもう少し関わりたいが」ジョージも苦笑していた。
「それにしてもな、エアリィ」僕は再び言った。「おまえは、もうちょっと晩生かと思ったぞ。ロビンとは違う意味で。子供ができたってことは、少しはエロスについて、わかるようになったのか?」
「えー、わかんないけど……晩生って、どういう意味? それにエロスはねぇ、やっぱり、あまりよくわかんない。物理的なことってまだ苦手だし、恋愛云々ってのも、なんかピンと来ないんだ」
「物理的なことなぁ。でもその物理的な行為がないと、子供は生まれないぜ。医療行為で作るなら別だが」ジョージは半ば呆れているようだ。
「そうだよな」僕も思わず苦笑して頷く。
「うーん。僕はそういうの、全然なくても平気なんだけど。てか、むしろないほうが、平穏で良いと思うけど、普通はそういうの、求めるもんなの、みんなは?」
 そう真顔で問い返されると、僕らは再び顔を見合わせて、肩をすくめるしかない。
「というか、なければ子供は生まれないだろ。あとはそれこそジョージが言うみたいに、医療行為じゃなければ」僕は首を振った。
「うん、だからね、まあ、原因があって結果があるんだけど……そう、僕は彼女のことは親しい女友達って感覚でいたんだ。だから、そういうことも考えてなかったんだけど、でも彼女の側からは、そうじゃないみたいで。そうだなぁ……僕も彼女のことが好きだし、彼女が物理的接触を求めるなら、少しくらい踏み込んでもいいか、って思って。でもさ、二回目だよ。最初が三月で、次が六月で、それで当たり。そんなにヒット率高いもんなのって、ちょっとびっくりしたけど」
「いや、そういうのは相性とタイミングの問題で、一回でヒットする場合もあれば、何百回やってもだめな場合もあって……って、なに言わせるんだ! エアリィ、おまえ、そういうことは、もうちょっとぼかせ。彼女が聞いてないから救いだが、本当におまえ、感覚がずれすぎだな」
 僕は思わず自分の『ヒット率』を考えてしまい、苦笑して頭を振った。同時に、アデレードに対して同情を感じた。アーディスは本当にセクシャル・イノセンス――無知と言うより、捕らえ方がズレているようだ。それゆえ子供のころの忌まわしい体験も、普通の子供より深刻なトラウマにはならなかったようなのは良かったが、大人になってもこれだと、こういう相手と恋愛するのは、なかなか容易ではないだろう、と。実際僕がそう言っても、エアリィは「え、そう?」と、きょとんとした表情で言うだけだ。まったく僕の親友たちときたら、一人は超晩生で、もう一人は完全無頓着で、まともな恋愛観の奴はいないのか。そう思いたくなる。
「じゃあ君も……結婚するのかい? 六月にならないと、法的には無理だけれど」ミックもちょっと苦笑しつつ、そう聞いていた。
「え?」エアリィはその言葉に、ちょっとびっくりしたように目を見張っている。「結婚? なんで? するつもりないけど」
「なんでだよって、それはこっちが聞きたいぞ。子供が産まれるからには、責任があるんじゃないか?」僕は思わずそう言った。
「親としての責任? まあ、それはね。一緒に暮らして、その子の親になるっていうのは、当然だと思うよ。けど、アデルと結婚するってのは、考えてなかったな。そもそも僕が、誰か女の人と結婚するってことがさ。僕が結婚してもいいのかなって」
「おまえ、そういうことを気にしているのか? たしかにバンドは人気絶頂で、おまえはまさにその大看板そのものだから、マネージメントは良い顔をしないかもしれないが、でも……」言いかけた僕をさえぎり、エアリィは頭を振った。
「そういうんじゃないんだ。違う。言葉が足りなかったかな。僕なんかが、本当に結婚して良いのかなって……んー、まあ、戸籍の上じゃ問題ないと思うけど、僕みたいな不完全な男に縛られたら、相手が気の毒だって、そんな気がして」
「はあ……?」エアリィがこんなことを言うなんて、意外だ。まるでロビンみたいな台詞じゃないか。しかも謙遜や言いわけではなく、本気で(はっきりそう感じられる)そう言うなんて。不思議な気がした。彼のようにほとんど完全とさえ思える人間の、いったい何が相手にとって気の毒なほど不完全なのだと。まあ、恋愛観が超絶的にズレていることは否定できないし、いわゆる超草食系なのはたしかだが。
「でもさ、自分の子供が出来たって聞いて、なんかラッキーって思えたんだ。困ったなとかじゃなくて。ホント、自分の子供って、ちゃんと生まれるのかなって思ってたから。もしかしたら彼女が運命の人なのかな、って思えたんだ。パートナーがいて子供がいて、ファミリーって、なんか良いな。僕のファミリーはモザイクみたいだったけど――ステュアートの家のファミリーも好きだけどね。でも、やっぱり一つの血でつながってるファミリーには、かなわないのかもって、時々思うこともあるんだ。モザイクは信頼とか好意とかって絆がないと、すぐ飛び散っちゃいかねないけど、血は水より濃いっていうから」
 ごくあっさりとした口調だったが、僕は少々切なさを覚えた。完全なファミリー。僕らがみな、あたりまえのように持っているものを、彼は生まれた時から欠いている。自らの身体に流れる血の半分は常に空白で、どんな様子でどんな経緯で生まれたのかを語ってくれる人は誰もいず、非血縁者の“父”を渡り歩いたアーディスが新しいファミリーを、自らは求めても得られなかった完全なファミリーを作ろうとしている。その彼があえて結婚という絆を求めないのは、愛情と血縁という絆があれば、紙切れ一枚にこだわる必要はないと思ったのだろうか。エアリィは少なくとも、不誠実ではない。彼に新しい完全なファミリーを作ろうという意思があるのなら、『責任をとって結婚するべきだ』などと突っつくのはやめよう。僕だけではなく、どうやらみんながそう思ったようだ。
「それでさ、とりあえず僕ら、四ベッドルームのとこ借りたから、今はそこで一緒に暮らしてるんだ。子供は三月に生まれる予定だし、三人で暮らすとなると、前のとこじゃ狭いから。去年の十月に、彼女から子供ができたって知らされて、じゃ、急いで住むとこ探さなきゃってなって、物件見に行って契約して。でもすぐに全米第二レグが始まっちゃったから、彼女に先に自分の荷物入れといてって頼んで。それで僕はベッドと寝具とクロゼットを通販で頼んで、そっちへ配達してもらって、ツアー終わったら、そっちへ帰って。それから前の部屋と行ったり来たりだったけど、やっと三日前に、僕の引っ越しもすんだんだ」エアリィはそう話を続けていた。
「それなら、君の今の住所は変わったのかい?」ミックがそう聞き、
「だったら、新住所教えろ!」と、ジョージと僕が同時に声を上げた。
「あ、ごめん。言うの忘れた。今度メールで知らせるよ。それにそこは今年一杯しか、いないと思うし。新しく家を建てるまでの、つなぎだから」
「そうなんだ。君も家を建てるんだね。いつ?」ロビンが聞いている。
「年内くらいには完成させて、引っ越し済ませたいな。とりあえず年が明けてすぐに、土地だけ買ったんだ。リッチモンドヒルに、二エーカー。ドライヴに行った時、売りに出てるの見つけて。十区画分あったけど、売り出されたばっかで、買い手がまだいなかったから、全部買ったんだ、まとめて。郊外だから、市内ほど高くなかったし、どうせなら、広い方がいいかなって思って。それで、不動産屋さんに建築士さんを紹介してもらって、これから家を建てようと思うんだ。ちゃんと家が建って、落ち着いたら、遊びに来てよ」
「ああ、行くよ、もちろん」僕らはみんな頷き、ジョージが笑って付け足していた。「しかし十区画全部買うとは、大胆だな。で、それだけ広い敷地なら、でっかいお城でも建てるのか?」と。
 エアリィは今度のアルバム関連の収入が、僕ら他の四人より倍は多い。作詞作曲の印税があるゆえだが、たぶん千二百万ドルを超えるだろう。もちろん、税金は引かれるだろうが。それゆえ郊外とはいえ、それだけ広い区画をぱっと買えるのだろうし、それに付随した大豪邸を建てることも、余裕でできるはずだ。でも彼は、それほど成金趣味ではないらしい。無邪気に肩をすくめて、答えていた。
「お城? って、なんかアトラクションっぽい、それ。そんなの建てないよ。自分で住みきれないほど大きいお屋敷って、無駄じゃない? 開かずの間がいっぱいできそう。掃除も大変だしさ。部屋は広めがいいけど、個室は五つか六つあれば十分かなって思ってるんだ。あっ、ウッドデッキと屋上テラスはつけたいな。塔の部屋、なんてのもいいかも。あと、ゲスト用の別棟を母屋の隣に建てようと思うんだ。四、五人程度は泊まれるくらいの」
「そうか。わりと普通だな。敷地が広い以外は」僕は頷いた。
「うん。なんかいろいろ、どんな家にしよっかなって考えるのって、楽しいなって思った」
「一から建てると、そうだろうな。僕は建ってた家を買ったけれど」
「俺もそうだぜ。まあ、いろいろ改造は出来るけどな」ジョージと僕は笑って言った。

 その間にも、ステラとアデレードは話を続けているようだった。
「本当に、かわいい赤ちゃんねぇ、今、何ヶ月?」アデレードはクリスを見てにこやかに問いかけ、「三ヶ月なの」ステラはクリスを抱きなおしながら、いとおしそうに答える。
「わたしはね、三月十八日が予定日なの。生まれたら仲良くしてね」
「ええ、もちろんよ。たのしみだわ」
 二人はすっかり打ち解けた様子で、話を続けていた。
「新しいおうちは、どのあたりなの?」ステラはそう聞いていた。
「今はクイーンズパーク近くのコンドミニアムに住んでいるけれど、新しく家を建てる場所はリッチモンドヒルなの。完全な郊外地区よ」
「あら、それでは方角はうちと同じだけれど、少し遠いのね」
「どちらに住んでいるの、今?」
「ノースヨークよ。わたしの実家がヨークミルズにあって、そこから車で十分くらいのところなの」
「あら、そうなの。じゃあ、方向的にはたしかに同じね。車で行けば、三十分くらいかしら。街中に出るのは、少しかかるけれど」
「そうね。でも、どうしてその立地にしたの?」
「もともとあそこの土地が良いって決めたのは彼だけど、わたしも賛成した理由はね、自然環境かしら。緑が多くて、いいところなのよ」
「ああ、わかるわ。子供のためには、花や木に囲まれた所で、遊べるお庭があったほうがいいものね。でも十区画分も敷地があるなんて、すてき。うちももう少しお庭が広ければ、いうことはないけれど。でもわたしの実家も近いから、場所は動きたくないの」
「お宅のまわりがもし売りに出るようなことがあったら、買えば良いんじゃない? そうして新しいお庭にしたり、離れを建てたりすればいいわ」
「あら、そうね。そうしたらお庭も広くなるし、パパとママが長く泊まれるように、きれいな別邸を建てるのも良いわね。すてき!」
 すてきじゃないぞ、ステラ。それはやめてくれ! 僕は思わず心の中で言った。ステラは当然のことだが僕の声なき言葉には気づかず、クリスをちょっと抱きなおしながら、ちょっとためらったような口調で、こんなことを聞いている。
「あの……あなたがたは、いつから一緒に住んでいらっしゃるの?」
「ここ二週間くらいかしらね、まだ。わたしは今のところに十一月から住んでいるけれど、エアリィが来たのはツアーが終わってからだし、しかも体調不良で帰国が遅れて、クリスマス当日に戻ってきたから。でも元々わたしたち、同じアパートメントの住人だから、行き来は何度かしていたわ」
「それでは、偶然同じアパートにメント?」
「そう。前はわたし、もう少しダウンタウン寄りにあるアパートメントで、友達と三人でルームシェアをしていたの。でも一人は地元に近いモントリオールの大学へ行くことになって、もう一人はお母さんが病気になって、実家に帰らなければならなくなって……わたし一人で三ベッドルームの家賃を払っていくのはちょっときついし、広すぎる感じもしたから、前のところへ移ったの。引っ越して二ヶ月くらいたった頃ね、わたしたちが知り合ったのは。一昨年の五月半ばよ。十四日。屋上で偶然出会って……」
「まあ、そうなの。それもロマンティックね」
「まあ、その時にはロマンティックと言える出会いではなかったけれど、たしかに運命の出会いだったわね」アデレードは一瞬視線を遠くに向けて、それから小さく肩をすくめていた。「それから三日後に、その時に借りたバンダナを返そうとして部屋に行ったら、留守だったわ。それからいつ行っても、『今いません』プレートがかけてあって。やっと三ヵ月後に、再会できたのよ。八月二十日だったわね。朝……それも八時ごろ、仕事に行く前に少し時間があったから、もう一度のぞいてみようかしらと思って行ったら、彼がちょうどドアから出てきたところで――それで、わたしの顔を見て『あ、久しぶり』と言って、次の瞬間、倒れたのよ」
「えっ?」
「わたしは驚いて、『どうしたの?』と中へ入ったら、『ごめん。お腹がすいてめまいがした……』って。三ヶ月ぶりに家に帰ってきて、家には何もないからって。それで買い物に行こうとしたんだけれど、ふらふらしてしまったって……いったいなんなの、とは思ったけれど、『とりあえず、ちょっと待ってて』と言って、急いで自分の部屋に帰って、パンと紅茶とフルーツをトレーにのせて持ってきたのよ。こんなに非ロマンティックな再会になるとは思わなかったわ」
「本当に……でも、どうしてそういうことに?」
「さあ……わたしも聞いたのよ。今までずっと留守だったけど、それと関係あるのって。『地獄の特訓受けてて、その後世界旅行に行って、まあちょっといろいろあって、一昨日帰ってきたんだ』って言っていて、『どのくらい食べてないの?』と聞いたら、『うーん。よく覚えてない』って。『なぜ?』と聞いたら、時間感覚がなくなっていたって……なんだか、さっぱりわからなかったけれど」
 それは日付と状況を考えると、失踪してから練習所に戻ってきた日の朝か。空腹のあまり倒れて彼女の世話になるというのも、なかなかに恥ずかしいが、まあ、運命的な再会、なのか、これは? それにしても、彼女が持ってきてくれた朝食をとっている間にでも、さっさと連絡をよこしてくれ、と思ったが、丸一日半寝続けて、当日十一時を過ぎて携帯電話を再充電するまで、僕らに連絡することは完全に頭から抜けていたらしいから、しかたがないのだろう。一、二日なら連絡し忘れることもあると、マインズデールのシスターも言っていたし――戻ってきてからの時間で。エアリィにとっては、失踪中の三週間あまりは、意識の上ではどういう扱いだったのだろうかと、ふと再び疑問に思ったが、それは答えの得られない問いだ。アデレードは話を続けている。
「わたしはでもね、これでおあいこかな、と思ったの。最初に出会った時、彼の部屋でスコーンとお茶を出してもらったから。もっともわたし、最初に会った時には、同性と話しているつもりだったわ。腹が立つくらいきれいで、キラキラ光るプラチナブロンドで、ポジティヴで生意気な、男の子言葉でしゃべる小娘、そんなふうに思っていたの。だから、第一印象は最悪よ。あなたに何がわかるのよ、という反発が大きくて。話していくうちに、はっきり物を言い過ぎるけれど、良い子かもしれないと思ったけれど。だから、『少し落ち着いたら、お茶でもいれるから、部屋来ない?』って言われた時、行ってみる気になったのよ。もうちょっと、この子のことを知りたい気になってきて。それでお茶を飲みながら、いろいろ話したの。まあ、多少話がかみ合わないわね、とは思ったけれど。『あなたも男の人を愛すればわかると思うわ』って言ったら、『ええ? そんな趣味ないよ』って返されたりね」
 これにはステラだけでなく、僕も危うく吹き出しそうになった。さりげなく彼女たちの話を聞いていることを(別に下世話な意味ではなく、ステラがちゃんと楽しく過ごせているかを気にしているだけなのだが)気づかれないよう、必死でこらえたが。
「でも、わたしもとても興味を惹かれたから、この子のことを調べてみようと思ったの。その時には名前はきかなかったのだけれど、十六歳で、ロックバンドでヴォーカルをやっていて、二年前にデビューして、バンドはある程度売れているらしい、ということは話していてわかったから、それを頼りに、仕事場のパソコンで、二年前にデビューしたトロント出身のバンドの一覧を調べて、画像を見て……それで彼のことがわかったの。本当にわりと売れていることとかはわかったけれど、最初はそれでも、わたしは彼のことをまだ、女の子だと思っていたわ。名前を見ても、どっちだかわかりづらいし。でもある記事に『彼』って書いてあったから、『え、あの子、男の子?』と、本当に驚いたのよ」
「ああ、やっぱりそうなのね。わたしもそうだったの。だから、最初にあの人がバンドで出たのを見た時に、ジャスティンに変なことを言ってしまって……」
「ああ、無理はないわね」アデレードは肩をすくめた後、にこやかな調子に聞いてきた。「あなたたちは、どんな風に出会ったの?」
 問われて、ステラは嬉しそうに、僕らの出会いの話を語り出している。ハイスクールのダンスで出会って、声をかけられて、それから……と。しかも、少々の惚気が入り出している。僕はさすがにきまりが悪くなり、そっとその場を離れたが、ステラはついてくる気配はない。やっと彼女にも、楽しい話相手が見つかったということだろう。

 ご馳走はすべてなくなり(ステラのシーフードサラダも好評のうちに、お皿がからになった)、ドリンクもほとんど底をついた。全員参加のマスゲームをやり、談笑し、時は楽しく過ぎていった。クリスはすっかり眠ってしまい、プリシラもジョージの膝で眠り、エステルまでちょっと眠そうにあくびをかみ殺し始めて、僕らは思ったよりも時間がたったことを知った。四時から始まったパーティは九時半にお開きとなり、お互いの家族の親睦という目的も、充分はたされたようだ。
「また来年いらっしゃいね。ああ、その前にエアレースのみんなには会えるわね、四月に。楽しみにしているわ」ビッグママは僕らを玄関まで見送りながら、にこやかに言った。
「ええ、またお世話になります」僕とミックは微笑してそう言い、
「うん。楽しみ!」「ああ、悪いけど、よろしく!」と、エアリィとジョージは笑う。ロビンは何も言わず、ちょっとはにかんだような笑みを浮かべる。ロブもレオナもビッグママも、そんな僕らの反応には、もう慣れきっているのだろう。彼らは微笑を浮かべ、手を振った。「良い休暇を!」と。
 僕らは庭に停めた五台の車にそれぞれ乗り込み、みんなばらばらの方向に走っていった。これから三月まで、僕らはそれぞれの個人に戻る。
「新年会の感想はどうだった?」僕の問いに、ステラは微笑んで答えた。
「思ったより、ずっと楽しかったわ。みなさん、良い方ね。アデレードとは本当にお友達になれそうで、よかったわ。彼女は七月生まれなんですって。わたしと二ヶ月しか違わないのよ。それでね、わたしにマダム・クロフォードの、春のファッションショーの招待券を贈ってくれるのですって。彼女は出ないけれどって。もう赤ちゃん、生まれるころですものね。いずれまたモデルさんに復帰するのって聞いたら、もう引退する予定で、制作側の勉強をしたいって言っていたわ。まだあれだけきれいなのに、もったいないけれど、もともとモデルっていってもクロフォード先生の専属だし、前からデザイン側に興味があったから、ちょうどいい機会だって言っていたわ。彼女が着ていたドレスも、自分で作ったのですって。本当にすごいと思ったわ」
「へえ、そうなんだ。本当にすごいね。君もそのブランドが好きなのなら、ショーの招待券はよかったね。楽しんでおいでよ」
「あら、あなたも一緒に来てよね、ジャスティン。アデレードはチケットを二枚贈るって言っていたから」
「僕もかい……まあ、いいよ。わかった」
 僕は肩をすくめ、車を発進させた。婦人服ブランドのファッションショーなんて、女の子だらけだろうなとは思ったが、僕も彼女の世界に少しは興味を持ってみよう。

 その冬はいつにも増して寒く、吹雪もよく来た。暖かさと太陽を求めて、僕は一月半ばから三週間ほど、妻と息子を連れて、バハマの静かなリゾートビーチで過ごした。まだ赤ん坊のクリスは何もわからないだろうけれど、僕たち二人にとっては新婚旅行の続きであり、子供という絆を経て、より緊密になった夫婦の結びつきの再確認でもあった。その旅行中、静かな浜辺に白塗りの広い洋館が売りに出されているのを見つけた。その家の外観も内装も気に入ったので、翌日その家を買った。バハマで過ごす時の別荘にするために業者を介して掃除を依頼し、調度を整え、信頼のおける管理人を紹介してもらった。海に出て遊ぶためのクルーザーも買った。このくらいの贅沢をする余裕が、今はある。
 でも金銭以外の成功の副産物には、かなり悩まされた。僕が行動する範囲のどこでも、少なくとも若い人たちは、ほとんど僕らのことを知っているらしいのだ。歩いているだけで、すれ違う誰かに振り返られたり、ひそひそ囁かれたりしてしまう。近所のマーケットに買い物に行く時も、雪のない暖かな日に公園へ散歩に行く時も、お気に入りのカフェで一休みする時も、必ずと言っていいほど誰かの視線を感じる。僕の名前が見知らぬ人の間で囁かれる。それだけならまだ我慢が出来るけれど、時々話しかけてくる人がいるのには困る。いったん誰か一人が話しかけてくると、その場にいて僕らを見ていた人たちも、たいてい後からやってくる。ステラは昔のように怒ったりはしないが、困惑の表情でじっと下を見つめているし、クリスは目を丸くしてきょときょと回りを見、やがて機嫌が悪くなって、むずがりはじめる。家族の楽しみがこれでは台無しだ。バハマにいた時もそうだった。なぜプライベートな楽しみに無粋な邪魔が入るのだと心の中で舌打ちしつつ、こっちもファン商売だからそう邪険には出来ない。外に行く時には変装したいなどと思ってしまうほどだが、それもまた抵抗がある。僕は何も悪い事をしているわけではないし、人目を憚らなければならない理由もないはずだ、と。
 でもそんな外野の雑音はあったにせよ、家族三人いつも一緒にいられるオフは、それだけで幸せだ。クリスも毎日少しずつ大きくなっていき、表情が豊かになってきていた。語りかけにも反応するし、声を上げて笑ったりもする。寝返りも出来るようになり、腹ばいになってぐるぐる回ったり、絨毯の上をコロンコロンと転がったりしている。春がくる頃には、もうおすわりもできたし、ハイハイもはじめていた。




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