The Sacred Mother Part2 - the 11 Years’ Sprint

二年目(2)




 医師の予告どおり、夕闇が病室を染める頃、ロビンはベッドの上で目を開いた。そしてぼんやりと天井を見つめている。そばに近付くと、彼は驚いたように目を見開いた。
「ジャスティン……来てくれていたの? それとも僕は……夢を見ているのかな」
「この大バカ野郎!!」
 ほっとしたとたん、興奮させないで穏やかに接しろと医者に言われたことも、病院内で大声を出してはいけないことも忘れて、僕はつい怒鳴りつけてしまった。
「なぜ、こんなことをしたんだ!? どうしてだよ!」
 ロビンは僕から目をそらし、長い間天井を見つめて黙っている。その沈黙に耐えきれなくなった頃、彼はポツリと答えた。「僕にも……良くわからないんだ。どうかしていたんだと思う。なんだか、自分がいやになってしまって……」
「どうしてなんだ?」
「わからない。でも……ジャスティン、バンドに僕がいる意義って、あるのかな。人から見れば、エアリィと君がいれば十分なんだし、兄さんやミックはしっかりしているから、君たちにとって、良い後見役になってくれる。でも僕の存在意義って、いったいなんだろう。インタビューだって、人見知りがひどくてあがっちゃうから、ほとんど話せないし、話してもとんちんかんなことを言っちゃう。写真を撮られれば、顔が引きつっちゃうし、レビューでも『存在感がない』って言われる。僕はいるのかいないのかわからないだけじゃなく、みんなの足を引っ張ったりしているんじゃないか、もっと良いプレイヤーが、たくさんいるかもしれないって……」
「いいかげんにしろよ、ロビン!」僕は指を振って遮った。
「そこまで自分を卑下することはないだろう。おまえはバンドにとって必要な人間だよ。少なくとも、僕らはみんなそう思っているさ。そんなことも信じられないのか?」
「でも、ファンの人たちは言うんだよ。『あの三人が怪我をしたって、セッションの人を入れてツアー続行すればよかったのに。たいして変わらないんだから』って」
「は?」僕はあっけにとられ、目を見張った。
「誰がそんなこと言うんだよ。ファンってなんだ?」
「その……ファンサイトがあるよね。掲示板式の……それに、そんな書き込みをしている人がかなりいるんだよ。それに、SNSでも」
「見るなよ、そんなものを!」僕は思わず声を上げた。「そんな無責任な書き込みを、真に受けるな。第一僕らは誰も、そんなことは思っちゃいない。僕だってエアリィだって、そんなことはまったく考えもしなかった。マネージメントだって、レーベルだって……」
 言いかけて、思い出した。降板を申し出た時、相手のバンドとマネージャー、プロモーターには、『でも君たち二人が無事なら、あとはセッションを使っても、かまわないが……ああ、でも急には無理だろうね。残念だが仕方がないか』と、言われたことを。レーベルには、『残念な事故だったね。でも、君たち二人がいるなら、このツアーは仕方がないけれど、ピンチヒッターとしてセッションを三人入れれば、春の海外遠征は可能じゃないか? なんならこっちで良い人を紹介してもいいよ』とさえ提案された。エアリィは驚いたように『えー、無理です!』と声を上げ、僕も驚きと少しの憤りとともに『それじゃ、エアレースじゃないですから』と即答した。そしてロブが『申し訳ありません。やはり彼らは五人で行きたいのです。バンドとしての結束は固いですから』と、頭を下げていた。
 僕らはあまり意識したことはないけれど、取材が回ってくるのも、ほとんどエアリィと僕の二人だけだし、一般的には悲しいことだが、そういう見方も存在してしまうのかもしれない。でも僕らの中では、誰もそんなことは思っていない。
「とにかく、ファンサイトなんて読まないほうが良い」僕は首を振った。
「ファンなんていっても、そんなのが本当のファンだとは思えないよ。それに、僕らはみんなでバンドを支えているんだ。五人全員が」
「うん……」ロビンはかすかに頷いた。「でもね……バンドは五人っていうけど、みんなが五分の一ずつ、平等に貢献しているわけじゃないよね。ポジション的に、ヴォーカルとギターは目立つっていうのもあるけれど、君たちは本当に、存在感が違うから。お客さんだって、ほとんど君たちしか見ていないよ。曲だって、ほとんどエアリィと君と……君たちはジョージ兄さんが言うように、ソングライティングチームだもんね。それからミックがアレンジで……そんな感じだし。僕は自分のパートを考えることしか、やっていないんだ」
「僕らだって、自分のパートをやっているだけさ。どのへんまでが作曲の範疇で、どのあたりがアレンジになるか、という線引きはあるけれど。それに僕らは作曲の印税に、アレンジ分を少し入れているから、それで少しは公平になれたら良いと思うんだ」
「それはそうだけれど……でも僕は、みんなにあまり意見を言えないし」
「言えば良いじゃないか、どんどん。それでこそ、バンドは良くなるわけだろ?」
「うん。そうなんだけれど、僕はただみんなの意見に感心するだけで、それ以上にクリエイティヴな意見なんて、思いつかないんだ。それに……」
「なんだ?」
「君はエアリィとはケンカをしたことがあるけれど、僕とは一回もないよね、ジャスティン。僕との方が、付き合いは長いのに。僕は時々、それを不思議に思っていたんだ。でも最近、気がついたんだよ。エアリィは君に言いたいことを言うから、君のほうもそれで気分を害することがあって、それでぶつかる。ぶつかりそうになることもある。でも彼はそれを怖れていないし、ぶつかってもお互い、後には引きずらない。そういう関係って、良いなって思ってしまうんだ。でも僕は君を失うのが怖くて、君が気分を害しそうなことは言えなかった。それが習慣になってしまって。だから、君と違う意見を思いついた時には、言うことができなかったんだ」
「僕に気を使っていたってことか? 知らなかったな」
「僕は自分の性格が嫌いだって、前に言ったことを覚えている、ジャスティン?」
「ああ。今でも嫌いなのか?」
「あまり好きじゃないよ」
 僕は椅子をおり、膝をついてベッドの上で腕を組み、正面から相手を見た。
「なあ、ロビン。結局、何が言いたいんだ? バンドの現状に不満なのか? 僕はおまえのこと、わかっていると思っていたんだ。おまえは満足していて、このバンドにいるのが好きなんだと思っていた。違うのか?」
「バンドは好きだよ。満足もしているんだ。それは本当だよ。みんなのことも大好きだ。君や兄さんは当然として、ミックのこともエアリィのことも……彼は僕から見れば、まるで異人種って感じだけれど。まぶしすぎる異人種だよ。僕は絶対、ああはなれない」
「あいつは、たしかに異人種かもな」僕は思わず苦笑した。
「で、おまえはあいつみたいになりたいのか?」
「ううん……あこがれるけれど、なれるなれないっていう問題じゃないだろうし」
「そう。人それぞれだしな。あいつにはあいつの、おまえにはおまえの良さがある。あいつとおまえを足して二で割るとちょうどいいのにな、なんてジョージが言ってたけど、そんなにみんなが平均値になってしまったら、面白くもなんともないさ。特性があるから面白いし、バランスも取れると思うんだ。前にも言ったろ? 楽観的で外向きなのと、悲観的で内向きなのは、アクセルとブレーキみたいなもので、両方必要だって」
「うん。それはわかるよ。わかるんだけれど……僕は自分の良さなんて、良くわからないんだ」
「あのなあ」僕は手を伸ばし、相手の無事な方の手を握った。
「おまえ、いくらこんな状態だからって、それはないだろう。僕の言うことが、信じられないのか? みんながおまえを心配して、おまえは良い奴だと思ってるはずさ。もちろん、僕だって。なぜ、そんなことを言うんだよ。なぜ、こんなことをしたんだ」
「わからない。すごく混乱していたんだ」ロビンは微かに首を振った。
「いろんなことがぐるぐるしていて、つい落ち込んで。あの最後の日の話も怖かったし。こんな中にいると、つい生々しく考え込んでしまうんだ。本当に……未来が限られているなら、一生懸命生きても意味がないかもしれない。逆にこのまま行って恐ろしい場面を見るより、その前に死んでしまった方が楽かもしれない。僕がいなくても、バンドにはそんなに影響はないんだろうし、なんて思ってしまったりもして。それに……ああ、それに本当は、それだけじゃないんだ。やっぱり君に言うべきことじゃないし、誰にも言っちゃいけないことだと思うけれど……」
「なんなんだよ、それは?」
「君には、とても言えないことだよ、ジャスティン」
「なんだって?」僕は焦れて彼の手首を握った。
「おまえが僕に言えないことなんて、いったい何なんだよ、ロビン。いつだって僕らは、なんでも打ち明け合ってきたじゃないか。なぜ僕に言えない、なんて言うんだ」
「君に言ってしまったら、きっと君は僕が嫌いになると思うから……」
「なぜだよ? いや、そんなことあるもんか。たとえどんなことだって、僕がおまえのことを嫌いになんてなるわけがないじゃないか」
 ロビンは黙って顔をそむけ、壁を見つめている。なんでもわかっていると思っていたはずの親友のその態度は、僕には衝撃であり、同時にひどく当惑させた。すべてわかっていると思ったのは、僕の思いあがりだったのでは。いくら赤ん坊の頃からの付き合いで、考えていることもなんとなくわかる幼ななじみではあっても、完全にわかりあえると思うのは、幻想なのかもしれない――と。
「わかったよ。無理にきこうとは思わない」
 僕はため息をつき、手を離して、椅子に座りなおした。
 ロビンは僕のほうに向き直った。じっとその淡褐色の目で僕を見、口を開く。
「……僕は君が好きなんだ、ジャスティン」
「えっ?」あまりに唐突に言われた言葉に、僕はすべての動作を忘れたように固まって、ベッドの上の友を見返した。驚きが抜けると、僕は苦笑した。
「ああ、僕も好きだよ。僕らは物心がついた頃から、親友だったものな。当たり前のことじゃないか。なのにどうしてそう深刻そうに、そんなことを言うんだ?」
「そういう意味じゃないんだ。友達として好きって言うんじゃなくて……」
「……おい、よせよ。冗談だろ?!」
「わかっているよ。君には迷惑以外のなにものでもないって。でも、本当にそうなんだ。いつ頃からだったか、わからないけれど、君がいつも僕と一緒にいてくれて、いじめられそうになると、かばってくれて……そのうちに君が僕にとってのすべてで、唯一無二の存在になっていたんだ。ねえ、僕と君とは、どうして幼稚園からハイスクールまで、ほとんどずっと一緒のクラスだったか知ってる? 偶然の結果じゃないんだよ。僕が頼んで……父さんと母さんも僕のことを心配して、クラスで孤立しないよう、君と一緒のクラスになるように、学校に働きかけてくれたんだ。ほら、父さんはいわば権力者だから。でも、君は四年生の半ばで、五年に飛び級してしまった。僕は四年に残されて、君は五年生になった。僕はすごく悲しかった。君とクラスが離れてしまって、本当に独りぼっちになったような気がしたし、君が新しいクラスで友達を作ってしまった時は、すごく寂しくて、悲しくて動揺したんだよ。君を取られたみたいで。あの時は、本当にやりきれなかった。僕はもう、いじめられはしなかったけれど。小学校も三、四年になると、悟るんだろうね。親の権力とか、そういうようなものを。先生も、すごく気を使っていたみたいだし。君が五年生のクラスに行ってしまってからの半年、僕はずっと一人でいたから、五年生に上がる時、クラスの何人かに、僕の友達になってやってくれって頼んだみたい。それで、最初はその子たちが僕のことを気にしてくれたけど、僕は君以外の友達なんて欲しくなかったし、それに恥ずかしくて、何を言ったらいいかわからなくて、ずっと黙っていたら、二週間くらいで、みんな離れていっちゃったんだ。その子たちが、最後に言ったんだ。『もうおまえなんか知らない。先生から頼まれたから仲良くしようとしたけど、金持ちの息子だからって、お高くとまってんじゃないぞ!』って。だから……四年の半ばから五年の前半まで、僕はずっと一人だったんだ。学校が終わって、君が僕のクラスに来て、『ロビン、一緒に帰ろう!』って言ってくれるまで、誰とも口をきかないで、ランチの時もずっと一人で……」
「そうだったのか……」
「うん。あの時の気持ちは今でも覚えているよ。本当に惨めで、寂しかった。君とクラスが離れてから、あまりに僕がふさぎこんでいたから、父さん母さんも心配したんだろうね。『ジャスティン君ともう一度同じクラスになるために、おまえも飛び級するんだ、ロビン。おまえならできる』って、父さんが特別に勉強を見てくれる人をつけてくれた。だから僕も一生懸命勉強して、五年生の半ばで六年生になれて、やっと君に追いついた。また、君と同じクラスになれたんだ。元通りになって、どんなにうれしかったことか。高校へ入って、進学コースになったら、クラス分けが能力別だから、いつもAクラスの君と一緒になれるように、また必死で勉強した。一緒にバンドも組んで……ジョージ兄さんやミックと仲良くなることは、それほど動揺はしなかったんだ。あの二人は年もかなり上だし、友達というより先輩という感じだったからね。でも君はすぐに、ステラさんと付き合い始めてしまった。それが、ものすごくショックだったんだ」
 僕は言葉が見つけられず、ただロビンを見ているだけだった。
「もちろん、それが当たり前だって、思ってはいたけれどね。君にガールフレンドができる、それは避けられないと思ってはいたよ。君はかっこいいし、優しいし、女の子にもてる。よくラブレターをもらっていたしね。でも君自身はあまり興味がなさそうだったから、ほっとしていたんだけれど、ついにガールフレンドが出来てしまった。それでも彼女は別の学校だったし、君たちがデートしているといっても、僕らのスケジュールとぶつかることはない。だから仕方がないのかなって、そのうちあきらめるようにもなっていたけれどね。君の心が他の人に取られている、それはたしかに悲しいけれど、ガールフレンドというのは、また僕らの付き合いとは異質のものだし……そう思ってね。結局君はステラさんと別れてしまったけれど、君たちのお付き合いがうまくいっていたらと、本心から思えるようにもなったんだ。でも、今度はエアリィが登場してきた」
「え?」
「彼の存在は、僕には大ショックだったよ。彼はいきなり君と友達になってしまったからね。君は明らかに彼から刺激を受けて、僕といる時よりずっと楽しそうに見えた。だから僕は焦って……しかもステラさんの場合とは違う、エアリィはクラスメートだし、バンドメイトでもある。常に僕と同じフィールドにいて、君を奪っていく。でも、だからといって、彼を憎むことは出来ないんだ。そう、彼は本当に……僕は光のイメージを感じるんだ。明るいっていうだけじゃなくて、華やかで存在感があって……それに、磁力がすごいよね。普通に接してたら……逆らえない。惹かれてしまう。だから、よけいに葛藤が大きくなるんだ。個人的には、アーディス・レイン・ローゼンスタイナーという人間は好きだけれど……僕にとっては、彼はああなりたいという憧れそのものだけれど、だから余計に、君を取って欲しくはない。今やバンドの中で、君に正面切って対等にものが言えるのはエアリィだけだし、その結果君たちはぶつかることもあるけれど、でもそれが本来友達としての、あるべき姿なんじゃないかなって、思うんだ。僕は君とケンカをしたことはない。君の気分を害しそうなことは、言う勇気がない。君に嫌われたらと思うと、いてもたってもいられなくなるんだ。だから僕は、君の親友とかパートナーとは、言えないんじゃないかなって。少なくとも、僕は君の音楽パートナーにはなれない。君と僕との間には才能も魅力も差がありすぎて、僕は君を仰ぎ見る、君が主で僕が従、それでいいと思っていたんだ。でもね、エアリィがバンドに入ってきて、彼が君の音楽パートナーになって、本当に対等に張り合うのを見てきて……そう、本当に取材だって、一人ずつ全員や五人というのもあるけれど、バンドを代表してとなると、たいてい君たち二人だけだし、だからこの事故みたいに、君たち二人だけが残って助かったっていうことになったりするし……もしかしたら、逆もあるのかもしれないけれど……僕はそこには入れない。音楽作りでもプロモーションでも、ステージでも……それが悲しくて。僕は彼のポジションになりたい。ずっとなりたかったんだ。君と対等なパートナーに。でも僕の持っているものじゃ、絶対無理なんだ。そう思ったら、本当に惨めになるんだ。彼は僕の対極にいる気がする。なにもかも。さっき君は彼のようになりたいかって聞いて、僕はそうは思わないって答えたけど……違うんだ。本当は、僕は彼のようになりたかった。なのになぜ僕は、こんなにつまらない人間なんだろう。彼は僕の理想の具現化といっても良いくらいの人だけど、どうしてその人が現実に存在していて、僕の唯一無二の親友を奪おうとするのだろうって」
 ロビンがこんな風に堰を切ったように話すのは、ずっと長い間胸の中にため込んでいた思いを吐き出そうとしているから――それがわかっていた僕は、黙って聞いていた。何と言っていいか、わからなかったというのもある。的確な言葉は、何も出てこなかった。そういえば未来世界へ飛ぶ前、移動の車の中でロビンは言っていたっけ。かなえられない望みがある。ジョージのように男らしくなりたい。エアリィのように明るい性格になりたい、と。その時には僕はそれほど重大には考えなかったけれど、あの時から『羨ましい』という言葉を使っていた。同行しているバンドのメンバーやクルーたちから可愛がられて、良く声をかけられて、いいなと思ってしまうと。自分が声をかけられたら固まってしまうけれど、とロビンは言っていたが、その性格も込みでの羨望だったのだろうと、僕は理解した。エアリィとロビンは、よくジョージやミックも言っているように、対照的な性格のように僕にも思える。でもそれがロビンにとって、僕を挟んでのジェラシーになるとは、全く予想外だった。おそらく他のみんなも、誰も気づいてはいないだろう。
「でもそれが、ものすごい自己嫌悪にもなるんだ」
 ロビンは窓の方を見ながら、言葉を継いでいた。「僕は心が狭い。卑怯者だって。ジャスティンだけは特別だって思って、自分のものだけにしておくことなんて、出来るわけがない。自分が持っていないものを全部持っている人を妬んでも、仕方のないことだし。でも……そう、初めてエアリィに会って話しかけられた時、僕は小学校五年のころクラスで一緒だった、女の子を思い出したんだ。メアリー・アンっていう。可愛い子だったんだ、金髪で。彼ほどのレベルじゃないけれど。彼女は最初、僕にとても親しげに話しかけてくれた。そして、あの時のエアリィと同じことをした。僕の手を両手で握って……僕はその時も、恥ずかしくて振りほどいてしまったけれど……そして彼女も、『あら、いやだった?』って言った。僕は首を振って……でも心の中では、嬉しさに似たものも感じていたんだ。それなのに彼女も先生に頼まれて、僕と仲良くなろうとしただけだって、あとでわかって、すごくショックだった。だから僕はエアリィに初めて会った時も、思ってしまったんだ。彼はなんでこんなに、僕に親しげにしてくるんだろう。こんなつまんない僕なんて、魅力的じゃないと思うのに。あの時のメアリー・アンと一緒で、心から僕と仲良くなりたいわけじゃない、何か他の理由があるんだろうって。そして思ったんだ。そうだ――きっとジャスティンと仲良くなりたいから、僕をも取り込もうとしているだけなんじゃないかって。でも、ずっと接しているうちに、わかってきたんだ。彼は違うんだなって。本当に僕と仲良くなりたいって思ってる――彼はそういう性格なんだって。やたらと人と仲良くなりたがる人っていうんじゃなくて、エアリィはきっと、簡単に相手を好きになれちゃう人なんだと思う。相手に対して、何も警戒していないんだね。興味を持って、好意を持って、コミュニケーションをとって、友達になりたがる。それだけなんだって。自分が拒絶されるかどうかなんていうことも、気にしていないというか、拒絶はされない自信があるのかもしれない。自分が好意を持って相手に接していれば、相手もきっと自分に好意を持ってくれるだろう、そう思っているのかもしれない。たぶん彼はこれまで、相手に受け入れられなかったことなんて、なかったんじゃないかな」
「ああ……まあ、そうかもしれないな、あいつは」僕は思わず苦笑した。
「本当に彼は僕の対極だね。僕が望むものを、すべて持っている。だからどうしても、嫉妬の思いが強くなってしまうんだ。でも、そう思うとやっぱり、僕のことを友達と思ってくれている人に対して嫉妬するなんて、自分はなんて卑しい人間なんだろうって、イヤになってしまうんだよ。それに君に対しても……僕は子供の頃からずっと君に付きまとって、君の世界を狭くしてしまったんだって思うと、すまなくて。僕のせいで、君は他に友達を作らなかったんじゃないかって。小学校で学年が離れた時、君が仲良くなったジョン・ストロード君やバートラム・スミス君とも、また僕と一緒のクラスになったら、疎遠になってしまったし。しかも、それを僕は喜んでいたなんてね。そんなことを、ここでも繰り返し考えていたよ。それで、ひどく落ち込んでしまって……僕さえいなければ、君のためにもなるんじゃないかって……」
「……おまえがそんな風に感じていたなんて、知らなかったな」
 僕は衝撃から立ち直ると、ようやく言葉を探した。「でも、ほっとしたよ。いきなり『君が好きだ。友達という意味じゃなくて』なんて言われた時には、一瞬固まっちゃったじゃないか。おまえにそういう趣味があったのか、なんてさ。でもよく話を聞いたら、違うんだな。よかったよ」
「でも、この世で一番君が好きだというのは本当だよ、ジャスティン」
「だけど、まさか恋愛の対象として、というんじゃないよな。つまり、友達としておまえを一番好きであって欲しい、という意味だろ?」
「うん……そうなんだろうね」
「じゃあ、ことは簡単だ。僕はおまえを一番の親友だと思っているし、おまえのために縛られたとも交友を狭められたとも、ぜんぜん感じていないよ。だって僕も元々社交的なほうじゃないからね。本当に気の合う友達がいればいい、そんな感じなんだ」
「そう……よかったよ……」
「でもさ、おまえの僕に対する感情って、たしかに愛情に近いのかもな、考えてみると。いや、変な意味じゃないけれど、友情と愛情は違うはずだと思うんだ。でもおまえの見方だと、僕とステラの関係と、僕とエアリィの関係が、ほぼイコールっていうかさ、後者の方が嫉妬する。ごめん、ちょっと理解に苦しむかもしれない、そこのところは」
「うん。普通に考えればそうだよね……」
「恋愛は一対一だけれど、友情はそうじゃないからね、普通。一対多がありえる、っていうか、それが普通の形だろうし。それこそエアリィやジョージあたりは、『友達の友達は友達だ』って感じで、もしその友達に他の友人がいたら、その人とも仲良くなればいいじゃないかって、いうんだろうけれど」
「うん。理論の上では、わかるよ。だからこそ、僕は君に特別な感情を持っているんだろうね。でも……恋愛ではないんだよ。ただ、傍にいて欲しいだけなんだ」
「恋愛だったら、ちょっと困るぞ。僕はそういう趣味はないから、おまえの気持ちにはこたえられない」僕は半ばジョークめかして言い、肩をすくめた。「それに傍にいるといっても、二四時間一緒にいるわけでもない。僕らは親友ではあっても、家族ではないからね」
「うん。でも思うんだ。君と一緒にいる時には、僕はいつも一対一でいられた。二人で話が出来た。今、こうしているように。それがとても安心できるし、自分のペースで言いたいことが言える。でもこれが三人以上になってしまうと、僕は少し居心地が悪くなってしまうんだ。会話のペースが変わって、話についていけなくなってしまう。言うタイミングも何を話すべきかも、ちょっとわからなくなってしまうんだ。だから、みんなの話を聞いているほうが多くなってしまう……」
「まあ……本当に内気な人間には、良くあることなんだな、それは」僕は頷くしかない。「おまえは僕と一対一ではけっこう話すけれど、これにエアリィが入ってきて三人とか、ミックとジョージが入って五人、ロブが入って六人、と人数が増えて行くに連れて、おまえがしゃべらなくなっていくのは、気がついていたよ。まったくしゃべらないわけではないし、おまえから話しかけることもあるけれどな。それにまあ、ジョージも身内だから、おまえと僕とジョージなら、おまえも気楽な感じだけれど」
「うん……」
「まあ僕も、仲間内では気楽にしゃべっているけれど、基本的にはおまえと同類だからな。でもこのバンド内とロブまでは、気を許している。おまえも僕とジョージ以外にも、もっとみんなに気を許せたら、もう少し楽なんじゃないかと思うんだ。まあ、おまえは僕よりもう少し時間がかかるんだろうけれど。でも、ロビン。おまえは楽しくないのか? このバンドにいるのって? 一緒にプレイして、みんなでおしゃべりして。話を聞いて、タイミングを計っているだけで、疲れてしまうか?」
「そんなことはないよ。みんなといて……楽しい」ロビンはしばらく考えるように黙ったあと、頷いた。僕を見た目に、少し光が戻ってきたように感じた。
「本当に楽しいんだ。一緒にステージで演奏して、みんなの息がぴったり合った、いい演奏が出来たって、そう思える時には、本当に楽しいし嬉しいんだよ。お客さんが喝采してくれた時とかも……それは直接僕に向けたものじゃないけれど、でも、僕らに向けられたものには違いないし……」
「ああ、それはステージ上の僕ら全員に向けられたものだ。僕はそう思っているよ」
「うん。それにね、みんなで移動したり、ご飯食べたり、楽屋にいて、話をしている時って……その雰囲気は好きなんだよ。君と二人でいる時とは、また違う感じだけれど。あったかくて、楽しい。それにモーテルで一緒の部屋になった時も……僕も気楽なんだ、一対一なら。エアリィとも、ミックとも。ああ、ロブはちょっと気後れしていた時もあったけれど、途中で慣れたし。だから最近ずっと一人部屋で、少し寂しく思うことも多いんだよ」
 ロビンは目を閉じ、しばらく黙った後、再び目を開けて僕を見た。
「僕は……みんなと一緒にいることが好きだ。君と二人じゃなくても、君も一緒にいてくれるし、みんなが僕のことを受け入れてくれる。そうだね……友情は恋愛とは違う。広げていけばいいんだ。友達の友達は友達だ、なんて、エアリィやジョージ兄さんみたいな、外交的な人しか当てはまらないって思ってたけど、本当の友達になればいいんだよね、エアリィとも。彼はもう、そう思ってくれているんだし。君に思うことを言ってしまったら、なんだかこだわりが取れた気がする。今なら、そう出来そうな気がするんだ……」
「逆に、おまえに友達と思われてないなんて知ったら、あいつはショックを受けると思うぞ」僕は再び、思わず苦笑した。
「そうだね……」ロビンも苦笑いしている。「なんだかそう思ったら、僕はとんでもなく人でなしなことをしてきた気がするよ」
「おまえにとっては、友達は僕一人で、他に作る気はないって思い込んでいたせいだろうな。でもさ、友達っていうのは恋人とは違う。一人だけじゃなくたっていいんだ。それにさ、たぶんおまえの嫉妬心は、結局、自己嫌悪の裏返しなんだと思うんだ。自分は取るに足らない、なんて思っているから、自分を凌駕する奴に、嫉妬してしまうんだろうよ。それに自信がないから、僕をとられる、なんて変なことを思ってしまうんじゃないかな。でもな、自己嫌悪なんてつまらない。もうやめろよ。おまえはいやな奴でも、卑怯でもないさ。僕はおまえが好きだし、親友だと思っている。他に何人友達が出来ても、そこは変わらないさ。だから、おまえにとっても、きっとそうだと思うんだ」
「そうだね」ロビンは再び頷く。
「恋愛と友情は違うからね。おまえは僕に、恋愛感情を持っているわけじゃないだろ? もしそうだったら、きっとエアリィよりステラのほうが、嫉妬対象になるだろうし」
「恋愛感情……いや、君とそんなことをしたいとは思わないよ」
 ロビンの顔は赤くなり、恥ずかしそうに片手で毛布を引き上げている。
「おい、そこで赤くなるなよ! やめてくれよ」
「ごめん。変な意味じゃないんだ」
「わかってるよ」僕は笑って首を振った。「でもさ、真面目な話、そういう意味じゃないとしても、あまりに僕のことを重く考えすぎているんじゃないのかな、おまえは。おまえと僕は親友同士だ。それは何があっても変わらない。でも友情と恋愛紙一重というのは、あまり健全じゃないと思う。だから……そうだ、いいことがある。おまえも恋をすればいいんだ。好きな女の子が出来れば、僕が誰と仲良くしようと、全然気にならなくなるはずさ」
「できるかな……こんな僕を好きになってくれる女の子なんて、いるかな」
「またそうやって自分を卑下する! いいかげんにしろよ、ロビン。おまえ、ここに来て、ふさぎ虫にとりつかれたんじゃないのか? いつもよりひどいぞ。だからこんなバカなことをしたんだろう」
「そうかもしれないね。母さんも帰ってしまったし、朝から晩までここに一人でいると、しんから寂しくなってしまうのは、本当だもの。トロントで一人暮らしをしている時には、そんなに寂しくないんだけれど、ここはロサンゼルスだし、お医者さんも看護婦さんも知らない人だしね」
「そんなことじゃないかと思ったよ。それでよけい、いろいろ変なことを考えたわけだな」
「そうかもしれない……」
「でも、本当におまえは死にたかったのか? それほど自分がいやになったのか?」
「イヤになっていたよ、あの時は。君が励ましてくれたから、もうそうじゃないけれど。でもね、どんなに自分がいやになっても、やっぱり死ぬのは怖かった。薬が効き始めてきた時、僕はものすごく恐ろしくなったんだ。イヤだ、助けてって。やっぱり死にたくないって……死ぬような理由なんて、ないんじゃないかって。バンドにいて楽しいのに……そう、さっき君が僕に問いかけたことを、僕はあの土壇場でも思っていたんだ。でも、すぐに意識が朦朧としてきて……ああ、君が来てくれなかったら、僕はあのまま死んでしまっていたかもしれない。君が助けてくれたんだね。ジャスティン」
「それは本心だよな、ロビン」
「うん」
「もうこんなことはしないでくれよ、お願いだから。それにな、もっと自分に自信を持って、自分を好きになってくれよ。おまえは決してバンドの足を引っ張ってなんかいないし、どうでもいいメンバーなんかじゃない。僕はもちろん、エアリィもジョージもミックも、そんなことちっとも思ってないだろう。おまえ宛のファンレターだって、ちゃんと来てるんだぞ。読んだだろう? おまえにも、ちゃんとファンはいるんだ」
「うん。二、三十通だったけれど、来ていたね。全部読んだよ。うれしかったし、恥ずかしかった……」
「それに、僕はおまえとは無二の親友だと思っているし、おまえのために世界が狭くなったなんて、ちっとも思っていない。信じてくれよ」
「うん……ありがとう、ジャスティン」
「そしておまえも、もう少し世界を広げることだ。僕のためじゃなく、おまえのために」
「うん、僕もそう思う。今は」
「じゃあ、もう大丈夫だな」
「うん、大丈夫だよ。でも、ジャスティン。お願いがあるんだ。このことは、みんなに黙っていてほしいんだ」
「ジョージに一発張り倒されたほうが、おまえには薬なんじゃないのか?」
「いやだよ。もう、十分後悔しているんだ。二度とこんなことはしないって誓うから。お願いだよ。僕がこんなにバカな人間だったなんて、君以外に知られたくないんだ。恥ずかしすぎて、本当にたまらないよ。だから、お願いだから……」
「本当に誓うか?」
「うん。絶対に大丈夫だよ」
「じゃあ、僕からは言わないよ。ただ、ちょっと厄介だな。ここはカリフォルニアだから。自殺未遂者は再発防止のために、精神科医のカウンセリングを受けなければならない決まりだろ? まあ、守秘義務はあるだろうけれど、家族にまで伏せておけるかな」
「うん……でも、さすがは病院のもと跡取り息子、詳しいんだね」
「そんなことを言っている場合か」僕は思わず苦笑した。「でも、僕が今日ここに来る気になったのは、きっと守護天使のお導きだろうな。間に合って、本当によかったよ」
「本当にありがとう、ジャスティン。君にはどんなにお礼を言っても、言いたりないよ。君は僕の命の恩人だね」
「自分で死のうとしておいて、命の恩人もないもんだ」
「それを言わないほしいな。もう絶対に、二度とばかな真似はしないから」
「二度もあってたまるか!」僕は再び苦笑した。
「そういえば、今日は何の日か知ってるか? 僕らの誕生日だろ、十九才の。だから、ケーキを買ってきたんだ。おまえはまだ食べられないだろうから、冷蔵庫にでも入れておいて、明日一緒に、一日遅れでお祝いをしないか? 男同士で寂しくさ」
「ありがとう、ジャスティン。本当に……」ロビンは泣き出しそうな顔で頷いている。
 その時、看護師さんの一人が部屋に来て、ロビン宛の郵便を持ってきた。僕はそれを受け取り、差出人を確かめると、その四つの包みを彼のベッドの上に置いた。
「ロビン、誕生日カードとプレゼントが来てるぞ。エアリィとミックとジョージ、それにロブから。みんなもおまえの誕生日、忘れてなかったんだな」
「うん……」ロビンは包みを開き、カードを読んで頷いている。その頬にまた、涙がこぼれていった。たぶん彼らからのお祝いは、僕のところにも届いているのだろう。オフ中の場合は、いつもそうだった。
「僕たちは幸せな共同体だよな」僕はロビンの背をぽんと叩いた。
「うん……」ロビンは頷き、再び涙を流している。
   もう大丈夫だ。孤独な環境が災いして、生来の悲観性が極まったための気の迷いだろうが、今は僕の知っているロビンに戻ってくれた。そう確信して、僕は全身の力が抜けたような安堵を覚えた。

 数日後、カウンセリングを担当した医師も、こう保証してくれた。
「少し不安症の傾向は認められるけれど、病的なものではないし、精神的な異常はまったくない。かなり内気だが、健全な若者だよ。自信を喪失したのがきっかけだろうが、今は建設的な考え方に向かっているようだし、家族や友人たちとの信頼関係も良好と見うけられる。また繰り返す恐れは、ほとんどないと言って良いね」
「ああ、よかったです。ありがとうございます」
 僕はロスに留まり、毎日病院に顔を出していた。カウンセリング当日も。そして医師からこの言葉を聞き、安堵していた。ここでは自殺未遂者は、この保証がなければ退院もかなわない。患者のプライバシーにかかわることなので、基本的に部外者の僕には、カウンセリングの内容を詳しく知ることは出来ない。でもきっと、このメイヤー医師のカウンセリングでも、ロビンは僕に言ったことをすべて正直に打ち明けたのだろう。未来への恐怖以外は。そして僕にしたように、将来への希望をはっきり言ったに違いない。
「もう一度退院の時にカウンセリングをするけれど、それで大丈夫なら、晴れて退院だね。ところで、君は患者の一番の親友らしいね」
「ええ、そうです」
「すべてを理解しあえ、信頼できる友は貴重なものだよ。特に君は彼にとって、自分のより良き分身とみなしている感じだしね。できればずっと、そうあってもらいたいね。ところで君の名前は、ジャスティン・クロード・ローリングスさんといったね。患者も君もカナダのトロント出身で」
「ええ、そうですけれど」
「いや……もしかしたら君は、セント・テレジア総合病院院長の、ジョン・クロード・アーヴィングさんを知っているかい?」
「あ、父ですけれど……」
 メイヤー医師は一瞬驚いたように目を見張り、ついで僕の手をとった。
「おお、君はやっぱり、アーヴィングの息子さんか!」
「父をご存じなのですか?」
「ああ。昔、マッギル大学で一緒に学んでいたんだ。僕らは大学の寮のルームメイトで、親友だったんだよ。いや、これは奇遇だね。君は若いころのアーヴィングの面影があるんだ。それに彼の奥さんと同じ姓で、彼と同じミドルネームだから、つい聞いてしまったのだが。そうか、やっぱり息子さんだったのか」
 メイヤー先生は僕の顔を、改めてじっと見ているようだった。
「うん。髪の色や顔立ちが、よく似ているよ。君の目は、アーヴィングの母親似だね。あの人も、きれいな緑の目を持っていたんだ。一度休暇中に一週間ほど、彼の家に遊びに行ってお世話になったことがあるが、その眼がとても印象的な、美しい人だった。僕の母親より、十歳くらい若かったしね。アーヴィングも目の色は父親譲りだが、他は母親に似ていたから、君は彼より、もっとその血を受け継いでいるのかもしれないね。いや、アーヴィングは医師としても有能だったが、若い時にはずいぶん好男子でね。女の子によくもてたものだ。君もきっとそうなんだろうね。彼はトロントで勤務していた大病院で、院長先生の一人娘と恋に落ちて結婚し、戸籍の上では奥さん方に改姓したが――そうしないと、子供たちが奥さんの姓を名乗れないからね。でも仕事の上ではずっと自分の旧姓を使い続けていて、今はそこの院長だという話を聞いていたんだよ。やっぱり、そうだったのか。もしやと思ったんだが。ここ十年ほど、すっかりご無沙汰だが、彼は元気でやってるかい?」
「ええ! じゃあ先生、あなたは学生時代、父の親友だったのですか?」
「そうだよ。私はノヴァ・スコシアの生まれなんだが、マッギルを卒業して、すぐLAに来たんだ。こっちで結婚して、もう三十年以上ここに住んでいるがね」
「そうなんですか。ええ、父は元気でやっています。院長になっても、外来と病棟、両方を受け持って、忙しい人ですよ。経営の方は、事務長に任せっきりで。医者という仕事が好きで、誇りに思っているって、よく言っています。でも兄は、自分は医者には向いていないって言ってコンピュータ関係の仕事をしているし、僕もトロント大の医学部へ行く予定だったんですが、結局行かないでミュージシャンになってしまって、父には親不孝をしてしまいましたけれど」
「そうか。アーヴィングらしいな。彼ほどの熱意と精力を持った医者を、私は知らないよ。もっとも、あのおかたい頑固者アーヴィングの息子さんの一人がロックミュージシャンとは、たしかに少々意外だったがね」メイヤー先生はにやっと笑っている。
「だが、そういう点は、私もたいして変わらんよ。うちのひとり息子は、ハリウッド志望だからね。そのうちに有名なシナリオライターになるんだと、夢みたいなことを言っているが。まあ、子供の進路まで親は口出しできないからね。頭の痛い問題だよ」
「そうなんでしょうね……」僕は苦笑するしかなかった。そして言葉を継いだ。世間の狭さに驚いたが、父の友人だったら頼みやすい。
「あの……ドクター、ロビンがこんなことをしてしまったと……できれば誰にも知られたくないんです。マスコミはもちろんですが、家族や友達にも。それはできますか?」
「医師には守秘義務があるからね。看護婦も無論、そうだ。だから我々の側から、外部の連中にその事実を告げることはないさ。ただ、患者の家族に関しては、当然別だがね。今回は患者の家族が来ず、君がその家族に依頼された看護人ということだったから、家族に準ずるものとして報告したわけだが、もちろん最優先は患者の家族だ。もし問われたら、断る権限は我々にはないんだ」
「そうなんですか……」
「ただ、カウンセリングに患者の家族が来なかったのは……もしかしたらご家族は、まだ知らないのかい? 彼が自殺未遂したことは」
「ええ。でも彼の家族と昔からの知り合いで、彼のことを頼まれたというのは本当です」
 ロビンに請われたので、僕はスタンフォード家には何も知らせなかった。担当の医師には、『僕は彼の家族と懇意だから、代わりに報告しておきます』と言っておいたが。『今いろいろと忙しいらしいので、僕が彼のことは引き受けたと伝えたら、お願いしますとのことでした』とも言った。後者の方は嘘ではない。そのいきさつを、僕は正直に話した。
「外科病棟も、いろいろチェックが甘いね」メイヤー先生は苦笑を浮かべていた。そして、しばらく考えているように黙って僕の顔を見た後、再び口を開いた。
「私は何も聞かなかったことにしよう。家族に問われなければ、あえて語ることもない」
「ありがとうございます!」
 僕は思わず医師の両手を取り、頭を下げた。あとは外科病棟の担当者がその結果をスタンフォード家に報告しないよう、僕がメイヤー先生から聞いた話を報告しておいたと、またもや嘘をついた。すっかり共犯者だが、乗り掛かった舟だ。スタンフォード夫人には、少しロビンが精神不安定になってカウンセリングを受け、その分退院が遅れるけれど、今は大丈夫、と電話で報告した。ちょうどスタンフォード家では、長兄ブライアンの奥さんが最初の子供を流産してしまったらしく、家の中があわただしいので(スタンフォード夫人がロビンの看病の途中でトロントに戻っていったのも、そのためだった)、ロビンのことは僕が面倒を見るという申し出を、感謝して受けてくれていた。往復の交通費とロサンゼルスでの滞在費はこちらで払うから、退院までロビンをよろしく、と夫人は本当にありがたそうな口調で言っていたものだ。
 それで僕は家族代理として、退院までロビンの病室に通った。退院前のカウンセリングでも、無事『もう繰り返す恐れはない』と判定された。その翌日、トロントからスタンフォード家の副執事さんがやってきて、諸手続きを済ませた。胃洗浄という処置項目に、真相を知られはしないかとびくびくものだったが、副執事さんは領収書にちらっと眼を走らせた後、表情を変えずに書類をクリアファイルに入れ、アタッシュケースに収めていた。そして『ジャスティン様、本当にお世話になりました』という言葉とともに、交通費とロサンゼルス滞在費用にしては少し多いのでは、というくらいの金額が入った封筒を渡された。そして三人で、ファーストクラスを使ってトロントまで帰った。『ロビン坊ちゃまは、まだお身体が弱っておられるから』らしい。僕にとっては、初めてのファーストクラス経験だった。
 家に帰ってきたロビンは、腕の骨折が完治し、医師の許可が下りるとすぐに、再びベースを取り出して毎日練習に励んでいたようだ。僕も時々彼の家に行き、一緒に練習をした。そして聞いた。「結局、あれは知られずにすんだのか?」と。
「うん。お祖父さんと父さんには聞かれたけれど、薬を間違えて飲んだって言ったら信用してくれたよ」と、ロビンは答えていた。うちでは間違いなく、それで納得はされないだろうけれど、彼らも知ってか知らずかわからないが、それ以上触れないでいたようだ。そしてジョージやほかの家族には、何も言わないでくれたらしい。
 そのころにはジョージやミックもすっかり本復し、練習を再開していた。僕もよけいなことは考えないよう、毎日無心にギターを弾き続けた。することがなかったせいもあるし、僕自身もう一度自分と音楽を、しっかりと見つめ直したかったからだ。




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