The Sacred Mother Part2 - the 11 Years’ Sprint

一年目(2)





 三週間の休暇が終わると、新しいサイクルが始まった。僕らは一年前より、確実に成長できているはずだ。いろいろな経験をしたし、多くのことを考えさせられた。技術的にも百回以上ステージをこなしてきたことで、かなり進歩していると思う。きっといい作品ができるに違いない。今の僕たち、現在の心に完全にふさわしいアルバムを。スタジオ入りした時は、そんな期待感でいっぱいだった。それはきっと僕だけでなく、他の四人もそうだっただろう。
 僕にはバンドを結成した時から変わらない、確たる思いがあった。聞いている人に何かを与えられるような音楽を作りたいと。どうしてもヴォーカリストを入れたかった理由の一端も、そこにある。声と言葉という媒介を通れば、聞き手との間により広く直接的なコミュニケーションが可能だから。音楽はエンターテイメントだという意見にも反対はしない。でも、それは自分たちが作りたい種類の音楽じゃない。その方針の元にファーストアルバムを作ったのだし、今回もそうするつもりだった。少なくとも僕を含めたインスト担当の四人は、最初からその方向で意見が一致していた。僕は特に音楽の好き嫌いが激しいほうで、マニアックと言われようが、好きなものは徹底して聴きこむし、嫌いなジャンルは聞きたくない。ロビンとミックも同じような嗜好の持ち主だし、ジョージにしても多少間口は広いものの、基本的傾向は変わらない。
 ただ、エアリィは明らかに、僕たちとは違う音楽スタイルの持ち主だ。僕からみれば完全に無節操としか言いようのないくらい、なんでも聴く。広く浅くのめりこまずの典型で、特定のお気に入りも持たず、ジャンルのこだわりもないようだ。クラシックやジャスからポップス、カントリーにいたるまで聞くけれど、ヘッドフォンで何かを聞いていることはほとんどない。BGMとして聞き流しているだけ、という感じだ。
 最初はそんな彼の音楽スタイルに、僕は多少の危惧を持っていた。でも実際に曲作りに参加するようになって、その懸念は完全に吹き飛んだ。彼は理想的な『最後のピース』だ。とかく複雑にしたがり、また地味になりがちな僕らの音楽を、ラジオフレンドリーとまでは言えなくとも、近いところまで持って行くことが出来る。複雑なインスト陣と補完的に働く、耳に残る、フックに富んだヴォーカルメロディ。でも定型的ではなく、少し捻って、要所要所でインストとシンクロし、曲の表情を膨らませる。そして歌詞。ありきたりなラヴソングや『パーティしようぜ』ではなく、もっと真剣で、自分や外の世界を見つめるような、時には社会的とさえ言えるそれが、音楽と相乗効果になってリスナーにアピールする。それがファーストアルバムでこれだけ早い成功を収めることが出来た、主な理由の一つなのだと思う。
 休暇中に、僕はなんとか二曲書いた。エアリィも『あまり浮かばなかったけど』と言いながら、二曲書いてきた。ロードの最後の方で、スタジオを借りてやったセッションでも一曲出来たし、それまでにも三曲ある。あと、二、三曲新規に作れば、アルバムのマテリアルはそろう。
 そして予定通り、九月が終わるまでに、全部で十曲が完成した。アレンジはまだ少し練る余地があるが、それはレコーディングに入ってからでも、詰められるだろう。

 九月下旬、作業中のスタジオにロブが来て告げた。
「十月から本格的なレコーディングをするが、ロスのスタジオで行う予定だ」と。>
「え? ロス? て、ロサンゼルス?」僕らは顔を見合わせ、問い返した。
「そうだ。ある有名プロデューサーが、おまえたちのセカンドアルバムのプロデュースを引き受けてくれた。十月いっぱい、という約束で。デビューアルバムを気に入ってくれたらしい。ただ、彼の地元がロサンゼルスだから、そこまで行く必要がある」
 ファーストアルバムには、さほど有名ではない中堅どころのプロデューサーを起用し、その仕事ぶりは僕らにとって、可もなければ不可もなかった。この人は僕らにとってマイナスはもたらさないにせよ、プラスも与えてはくれないだろう。そんな印象を抱いた。だから、セカンドアルバムに有名プロデューサーが名乗りを上げてくれたことに、興奮した。ただこの人が過去に手がけた作品は、わりとストレートな聞きやすいサウンドばかりなのが、ちょっと気にはなったけれど。

 この危惧は、あとになって的中することになる。ロサンゼルスに行った当日、僕らのデモを聞いたプロデューサー氏は、首を振りながらこう告げた。
「悪くはない。君たちのデビューアルバムも良かった。でも、もっと改良の余地はある。どちらもね。ひとつには、インストの自己満足が多すぎる」
「えっ?」僕らは顔を見合わせた後、相手を見た。
「あのね、プログレッシヴロックは、ハードやヘヴィーという言葉が頭につこうが、基本、オタクのジャンルだ。オタクっぽい格好をした連中が、どこまで難しいことが出来るかという自己満足のためにやっている、もしくは哲学っぽく見せるためにやっている、と。でも君たちのイメージに、それは似合わない」
「そう……ですか?」
「そうだ。君たちは、脱プログレをすべきだ。やたら変拍子だのリズムチェンジだの転調だの、へんてこな構成を盛り込んだ曲はやめるべきだ。リズムはできるだけシンプルにして、踊れる曲にした方がいい。それに、曲の構成は変にいじらない方が良い。ヴァース、コーラス、ミドルエイト。そのくらいのパートがあれば、充分じゃないか」
「…………」
「あともう一つは、歌詞の内容が真面目すぎる、というかね、まるでパンクバンドみたいな、フラストレーションを語ったり、プログレバンドみたいなファンタジーはやめるべきだ。いや、少しくらいなら、アクセントになって良いよ。でも、全体にもうちょっと軽くした方がいい。君のようなタイプのシンガーには、そのほうがあっていると思う」
「えー、重いですか? どのくらいなら許容範囲ですか?」
 エアリィが納得いかなげにきくと、プロデューサー氏は指を振って答えた。
「十曲あったら、真面目系は三割でいい。あとはそうだな、もうちょっと元気な曲を書けないかい?」
「元気な曲……って? エール系とか?」
「いや、それは場合によりけりだね。人によっては押しつけがましいと感じる人もいるだろう。聞いている人が楽しくなるような、うきうきするような曲が良い。もしくは、『彼女にこの思いが届いたら良いな』とか『君の魅力にぞっこんさ』とかだね」
「うぇ! やだ! 吐きそう」
 エアリィだけでなく、僕も思わず吐きそうな気がした。冗談じゃない。
「ラヴソングを馬鹿にするんじゃないよ。世の中の曲の八割以上はラヴソングだ。そしてたいていのヒット曲もね。愛は普遍の命題だ」
「でも僕たちは……ラヴソングはやりたくないんです」僕は我慢できず、顔を上げて言った。「他の人たちはそうでも、僕たちは……もっと人の心の奥に届くような主題が……」
「愛が人の心に届かないとでも言うのかね、君は」プロデューサー氏は鋭い口調で遮った。そして吐き捨てるように続ける。「ラヴソングを軽薄と馬鹿にし、小難しい哲学もどきをありがたがる、典型的なプログレオタク脳だな。まあ、スィフターファンなら無理もないが」
 彼はデモをおさめたCD−Rを、僕たちに突き出した。
「一週間猶予を与えるから、アレンジしなおし。良いね。原則その一、曲の構成を複雑にしない。ヴァース、コーラス、ミドルエイト、それ以外のパターンを作らない。A−B−A−B−B、もしくはA−B−A−B−C−B。それ以外は禁止だ。そして一曲五分台が、長さの上限だ」
「Aダッシュとかはダメですか。ちょっとしたバリエーションは」エアリィが納得いかなげな表情ながら、そう聞いていた。
「フェイクくらいなら多少は許す。でも、その程度に留め置くように」プロデューサー氏は答え、さらに言葉を継いだ。「原則その二、小難しい主題は三曲まで。残りはもっと軽くすること。半分は、ラヴソングにすること」
「えーっ!」
「えー、じゃない。私は、君たちのためを思って言っているんだからね。その三、変拍子を入れる曲は三曲まで。それも一曲につき、十二小節まで。リズムチェンジ、転調曲も同様。良くて一回。それを含め、ひねりの入ったアレンジは全体の半分以下に抑えること。イントロ、間奏、コーダはソロを含め、十六小節以内。以上を踏まえて、やり直してきてくれ。私は八日の日にまたここに来るから、それまでの宿題だ」

 プロデューサー氏が出て行くと、僕らは顔を見合わせた。
「本気で……?」エアリィは肩をすくめて、当惑したように言い、
「嘘だろ」僕は呆然と呟くしかできない。
「歌詞、書き直すのやだな。ラヴソングなんて、どうやって書いたらいいかわかんないし、どうやって歌ったらいいかも、わかんないや」
「そんなもの、書かなくていい!」僕は思わず頭を振った。「デモの曲のままで良い。僕らは僕らのやり方で、アレンジをしよう」
「あの人、怒りそうだけどね」
「良いものを作れば、考え直してくれるかもしれないじゃないか」
 僕はその時には、本気でそう思っていた。他の三人も、「僕たちは僕たちのやり方を貫こう」と、支持してくれた。

 僕たちは翌日から、レーベルが借りてくれたロサンゼルスのスタジオにこもって、アレンジ作業に没頭した。プロデューサーの出した条件は無視し、自分たちが納得の出来る、最善と思えるアレンジを。ホテルではコストがかかるので、未来世界から帰ってきた時、ボルチモアで借りていたような家具付きの短期滞在者用アパートを拠点にして(食事はさすがに自炊ではなく、デリやファーストフード、ファミレスを使った)、朝の十時から夜の十時くらいまで、スタジオで作業に没頭した。一週間後、最終デモが出来た。それは今の自分たちの最善と思える出来だと、その時の僕は思っていた。みなも満足しているようだった。
 しかしそれを聞いたプロデューサーは、そのCD−Rを床に叩きつけ、足で踏みつけた。そして怒鳴った。「君たちは、私の言うことを聞いていなかったのかね!」
「あ……いえ」僕にはそれしか言葉がなかった。他の四人も同様だったようだ。
「じゃあ、なぜ私の指示に従わない!」
「僕たちには……それが最善だと思うからです」僕は思い切って頭を上げ、相手の目を見て答えた。
「君たちの最善! は、それを自分でわかっていると。たいそうな自信家だな。だったら、プロデューサーなんて必要ない。全部自分でやったら良いんだ!」
「自分のことは……たぶん自分が一番良くわかってると思う。でも主観的な視点だけじゃ見落としもあるかもしれないから、客観的な視点で見てもらうために、プロデューサーさんが必要なんじゃないかって……指示を丸無視してしまって、ごめんなさい」エアリィは少し頭を下げた。そして相手を見ながら、言葉を継ぐ。「でも貴方が見ている僕たちの良さと、僕たちが思っている自分の売りには、ギャップがあるんです。それが問題かな、と」
「それなら、君たちはどっちを取る? 主観と客観と」相手はふっとため息を吐くと、腰に手を当て、いくらか落ち着いたようなトーンになって、僕たちをじろっと見た。
「君たちが私の指示に従えないなら、私はプロデューサーとして、ここにいる意味はない。さっさと降りるさ。君たちは君たちで、自分の望む作品とやらを作ったら良い。ただし……」彼は腰に手をやったまま、一息おいて、言葉を継いだ。「今から新しいプロデューサーを探していたら、アルバムの年内完成など、まず無理だろうな。主だったところは、すでにスケジュールはいっぱいだし、第一、君たちのような頑固なバンドを引き受けるプロデューサーなんぞ、まずいないだろう。君たちが自分でプロデュースをすれば別だがね。だが、君たちにプロデュースのノウハウがわかっているのかい? 自分でミックスできないなら、エンジニアも探さなければならないぞ。あと一ヶ月で。出来ると思うかね、そんなことが」
 彼はゆっくりと僕たちを見まわし、ついで煙草を取り出した。カチッと火をつけ、ふうっとひと息長く吐き出してから、再び口を開く。
「それに、私はレーベルにも苦情を言わなければならなくなるな。せっかく好意で引き受けたのに、あの連中は私を侮辱した、不愉快だ、と。あそこも私との関係を切られたら困るだろうから、君たちは困ったことになるぞ。他のレーベルも、多かれ少なかれ、同じようなものだ。味噌のついたバンドの引き受け手など、ありはしないだろう」
 プロデューサーが降りる。それは僕にとっては願ったり叶ったりだが、それだけではすまない。代わりのプロデューサーを見つけられないようにし、レーベルもクビにしてやる。他のところにも手を回して、移籍もできないようにする、という脅しつきだ。
 プロデューサー氏は、再び煙草の煙を吐き出した。
「本当に、ただでさえ期間が短いのに困ったものだ。一週間、完全に無駄になった」
「本当に申し訳ありません」ミックが頭を下げて謝っている。エアリィももう一度、「ごめんなさい」と小さく頭を下げていた。謝ることなんてないだろう、と僕は思ったが、あとで二人に聞いたら『勝手に指示を無視されたら、怒るのも仕方ないかなと思って』と答えていた。それは、たしかにそうかもしれないが――。
 プロデューサー氏は微かに表情を緩めた。
「いいだろう。謝罪した二人に免じて、特別にもう一度だけ、チャンスを与えよう。あと一週間。今度は完璧に、私の指示通りのデモを作るんだ。そうでなければ、私はプロデューサーを降りる。もう時間もなくなるしね。それがリミットだ。その後はどうなるか……わかっているだろうね。では、また一週間後に来る」
 彼は僕らをゆっくりと見まわしてから、足音を響かせてスタジオを出ていった。

 残された僕らはスタジオの床に座り込み、お互いに顔を見合わせた。難しい局面にきてしまった──無言のうちに、みんなの表情はそう語っていた。
 しばらくみんな黙っていた。やがてエアリィが苦笑を浮かべて、肩をすくめた。
「ああ、やっぱり怒られちゃったなぁ。悪い予感してたんだ。あの人、頑固そうだから」
「僕らの考えが、甘かったんだね……」ミックも深いため息をつく。
「あの人、プロデューサーとしては有名な人かもしれないけど、柔軟性あまりないね。思い込み激しい感じ」エアリィは小さく頭を振り、
「彼の初期の作品は、そうでもなかったよ。良いものが多かった。でもだんだん、変わっていったんだ。名声で、慢心が入ってしまったのかもしれないね」
 ミックは肩をすくめている。
「成功して慢心して、視野が狭くなるって言うのは、よくある話だけどな」
 ジョージが首を振り、耳に指を突っ込んでぐりぐりとやった後、続けた。「でも現実問題、困ったぜ。どうすればいいんだろうな」
「うん。きつい選択だね。プライド飲み込んで妥協するか、突っ張りとおして干されるか」
 エアリィは再び肩をすくめ、他の四人を見やる。
「そうだな……」僕らはひとしきり黙り込んでしまった。
「まあ、みんなでゆっくり話し合ったほうが良いね。とりあえず休憩室に行こう」
 ミックが立ち上がった。
「じゃ、なんか飲む? 持って来ようか?」
 エアリィがそう申し出た。このスタジオにはドリンクサーバーが設置してあって、紙コップだが、コーヒー、紅茶、そして水とコーラが飲める。彼はこういう雑用にも、率先して動いてくれる。僕ら四人の腰が重すぎるだけかもしれないが。
「ああ……悪いな。じゃ、コーヒーがいいな」
 僕は頷いて、みなは休憩室に移動した。

 ソファに座り、コーヒーを飲みながら、やっぱりしばらくは無言だ。
「みんなはどう思う、正直なところは」ミックが全員を見て、静かに口火を切った。
 ジョージとロビンは顔を見合わせたあと、二人の意見を代弁するように、ジョージが頭を振って言った。「ここで契約を切られるのは、痛いな。たぶん、最低でも二年くらいは俺たち、干されるぞ。あのプロデューサーは、たしかに業界には力のある奴なんだ。まあ、落ち目になったらわからないが、今のところはな。だからあいつの目の黒いうちは、俺たちはせいぜいカナダローカルでしか、活動できなくなる。サポート話もなくなるだろうし、かといって俺たちは、ライヴハウスには出られない。国内の小さいホールなら行けるかもしれないが、その程度だな。その間にアメリカでは、俺たちのデビューアルバムなんて、忘れられるだろう。だから、それを取り返すのには……どのくらいかかるんだろうな」
「三、四年かかかってしまうかもしれないね。一度地に落ちてしまったら、そこから這い上がるのも、容易ではないだろうし。あの人の言うとおり、一度傷がついてしまうわけだから、僕らは。そこから今のレベルに戻れるかどうか、その保証もないしね」
 ミックが緩くかぶりを振りながら、微かにため息をつく。
「祖父ちゃんに頼んで圧力をかけてもらう、というのも無理だしな。俺たちには一切関わらない、っていう約束だから」
「それは禁じ手だよ、ジョージ。僕も同様だ。頼めばやってくれるかもしれないけれど、それをやったら、負けだ」
「そうだよな」ジョージはため息をついて首を振り、ついで聞いてきた。
「おまえたちは、どう思う? エアリィ、ジャスティン。実際バンドの看板で、ソングライティングチームでもある、おまえたちは」
「妥協はいやだな、僕は」僕は首を振った。
「うん。妥協って、やな言葉だよね、たしかに」エアリィはちょっと肩をすくめた。「けど、あの人の条件だと、やばいね。絶対大妥協、避けられないし。あの人の思う僕らの売りって、なんか違う。予言してもいいよ。あの人の言うとおり作ったら、絶対失敗する。僕らのキャリア的には」
「ああ。あの人の思う僕らの良さは、なんなんだ? ボーイズバンドになることか? ファーストの何を見て気に入ってくれたんだ? さっぱりわからない!」
 僕は思わず髪をくしゃくしゃとかきむしった。
「うわぁ、ボーイズバンド、やばい。ああいうノリって、やだ。自分じゃやりたくない!」エアリィは声を上げ、僕は叩きつけるように同意した。「僕だってさ!」と。
「それにエアレースの売りって、違うと思うんだ。複雑なインストと構成があって、でも僕はあんまり難しくしないようにしてて、だって、全部難しくしちゃうと、ハードル高くなりそうだから。その辺がうまくバランスしたのかな、って思うんだけど」
「そうだ。その通りだ」
「だから、僕たちって言ってみれば、個人料理店だと思うんだ。ちょっと凝ってて、複雑な味わいの、でもおいしい料理が売りの。でもそれを、あの人はファミレスに近づけろ、って言ってるわけだよね。万人向けだけど、どこ行ってもそんなに変わらないやつ」
「そうさ! でも僕らはファミレスを目指しているわけじゃない。おまえのアナロジーを借りるなら。小さな独立した料理屋で、独自の味を持っていて、常連客が通ってくれるような、そんな店を目指しているんだ。スィフターみたいに」
「このバンドって、スィフターが目標だったんだ」
「今さら驚いたみたいに言うなよ、エアリィ。スタンスだけな。音楽は僕ら独自のものじゃなきゃ、意味がないから。でも、あの人の言うとおりやっていたら、僕らはただのファミレスになってしまう。いや、食べ物屋のアナロジーは、どうも調子狂うな。まあ、ともかく、僕らの個性は死んでしまうだろう。エアレースというバンドのアイデンティティがなくなってしまう。僕は自分のやりたい音楽を、信じる音楽をやりたいよ」
「じゃ、ジャスティンはキャリアのロスより、信念貫きたいってこと?」
 はっきりそう言われると、少しひるんでしまう。自分の信念だけでバンド全体を巻き込んで、何年も足踏みさせて良いものだろうかと。
「心情的にはそうしたいさ。でもその代償を考えると、完全にそう思い切る勇気は、ことに僕だけの意見では決められないというのが、正直なところだな。おまえはどう思っているんだ、エアリィ?」
「んー、今、考えてるんだけど……これ、ホント究極の二択だから。アーティストとしての信念とプライド、それと何年かのキャリアのロス、天秤にかけてどっちが重いか。普通の状況なら信念のほうに傾いてもいいと思うけど、元々の年数が限られてる中で、避けて通れるロスをあえてするのって、まずいのかなぁって気もするし……」
「ああ……」そうだった。僕らには最初から、十一年という制限がある。
「そうだ。それを思うとね。僕はやっぱり、ここで喧嘩別れするのは得策ではないと思えてきたよ」ミックがそこで頭を振り、はっきりとした口調で言った。
「じゃあ、ミックは妥協しても平気なのかい?」僕は思わず咎めるように聞いてしまった。
「妥協か。君にはなかなか飲めないだろうね、ジャスティン。僕もたしかに悔しいよ。あの人の目指すサウンドは、僕らの本質ではない。それは僕もわかっているよ。出来ることなら、妥協なんてしたくないさ。でも長い目で冷静に考えると、今突っ張るのは賢明ではないっていう気がするんだ」 「うん。今の状況だったら、しょうがないのかな。妥協をとっても」エアリィが小さなため息とともに頷いた。「理想だけじゃ、現実は乗り切れない時もあるのかも。どっちに転んでもきつい究極の二択なら、運が悪かったって思って、より被害の少ない道をとったほうがいいと思う。ここであの人に逆らって何年も無駄にするより、不本意なアルバム一枚作って、一、二年我慢した方が、被害は小さいから。次は、あの人と組まなきゃ良いんだし」
「そうだなあ」ジョージとロビンも頷いている。
「それしかないのか、やっぱり」僕も同意せざるをえなかった。アーティストの信念、誠実さ――それは僕らを支えるバックボーンだ。でも今は、それを捨てなければならない。アルバム一枚分の回り道と、一度地に落ち、不遇の何年かを経ての再スタートでは、答えは明白だ。十一年という時間しかない僕らには。時には引く勇気も必要なのだ。非常に苦しい道には、変わりないけれど。

 翌日から苦しい作業が始まったが、一つの救いがあった。
「一つ、提案があるんだけど」
 作業が始まる前、エアリィは僕らを見、こんなことを言い出したのだ。
「元の奴も、録っとかない? ぶっ壊す前に。ここの機材で、ちゃんと」
「どうやって?」僕は頭を上げ、聞いた。
「コンソールのマニュアルあったから、僕も操作できると思うんだ。時間ないから、本当に突貫だけど。テイク取り直してる暇もないと思うし。それで音源が取れたら、こっそり外付けのハードディスクに入れて、で、こっちは消しちゃう。いつかさ……本当にいつか、リミックスとか出せる機会があったら、そっちを出せるように」
「そうだな!」その考えは、僕たちを元気付けてくれた。いつ日の目を見るのかはわからないが、希望は残せると。
 その日、僕たちは二日間かけて、元のデモを、気合を入れて録り直した。スタジオの機材を使って。ヴォーカル録音以外はエアリィがエンジニアをやり(本当に彼の学習能力には恐れ入る)、歌撮りはミックがコンソールとマニュアルをにらみながら録音した。そして完成した全十曲を元の二四トラックのまま外付けのHDDに取り込み、それをミックのPC――いつも持ち歩いているノートパソコンに接続し、トラックごとにDVD−Rにバックアップとして記録する。スタジオに残っている元のデータは消去した。いつ日の目を見るかはわからないが、これから行わなければならない破壊行為の前に、元の姿をとっておきたいとの、僕らの願いをこめて。

 その翌日から、苦しい作業が始まった。プロデューサーの条件どおりにアレンジや構成、リズムを単純にし、イントロやソロ、コーダなどのインスト部をかなりカットして、十六小節以内におさめ、長い曲は六分以内に短縮する。歌詞も三曲を残して書き直し――エアリィ自身も「うわ、すっごい軽薄! やけになって軽くしすぎた。こんなの歌いたくない!」というようなものから、「しょうがないから、友達カップルの応援歌にしちゃお。これもラヴソングだよね、一応」「あー、これも見た目なんとかラヴソング風に出来たかな。ホントは普通の対人関係なんだけど」などというものまで、バリエーションはあるようだけれど、プロデューサーの言う“内容を軽くする”作業をやっていた。その結果歌メロが合わなくなってそっちも書き直し、ということも何度かあった。それでまた楽器部分とのアンサンブルがあわなくなることもあったが、じっくり考える時間はない。
「もう良くない? アレンジ。シンプルにしろって言うなら、思い切りシンプルにしちゃえば」と、エアリィが頭を振って、半分投げたような口調で言い、僕も(たぶん他の三人も)半ばやけになって、コードをなぞったような、ほとんど何も考えないアレンジをかけたものもあった。
 アルバムのタイトルトラックでもある組曲『The Land of Fortune』──新世界でのセッションで作った曲をふくらませ、寓話的な叙事詩に仕上げた曲は、元の三部構成の第一部とラスト二分だけを残し、あとをばっさり切るという大手術をした。歌詞もより軽く、まったく違う意味合いのものに書き直していた。そのため歌メロも変わり、インストのアレンジも結果的にかなりシンプルになり、最初のヴァージョンとはまったく別の曲、似ても似つかないものになった。
 妥協しなければならないとわかっていても、曲が目の前で、どんどん壊されていくのを見るのは苦しかった。それは手塩にかけた作品――愛しい子供が傷つけられ、生気を失い、無残な姿になって死んでいくのを見ているような気分だ。しかも手を下したのは、自分だ。やめてくれ! 僕が作りたかったのは、こんなものじゃない! そう大声で叫び出したい衝動にかられながらも、なんとか作業――いや、破壊を終え、デモを録った。喜びとは程遠い、屈辱感と悲しみだけだ。それは苦い失望だった。

「とても良い! やればできるじゃないか!」
 一週間後やってきたプロデューサーは、新しいデモを聞くと、満面の笑みを浮かべた。
「では、これが君たちの答えと思って良いんだね。私にプロデューサーをやってほしいと」
「はい……」僕たちは誰もがうなだれながら、頷くしかなかった。
「そうか。それなら私もそうしよう。ただし、条件がある」
 プロデューサーはにやりとした笑いを浮かべ、僕らを見回した。「君たちは、最初に私の指示を無視した。そして私のプライドを傷つけた。そのことを詫びてほしい。そうすれば私も感情的なわだかまりを水に流して、今夜から気持ちよく作業に取りかかれる。二週間も無駄になったから、早く作業を始めないといけないからね」
「お詫び……ですか?」ミックが少し驚いたように、そう問い返している。
「そう。それがけじめというものだ。まあ、君たち全員でなくともいい。みなを代表して、君と君に、私に謝罪してくれればいい。まあ君は、最初に二度ほどごめんなさいと言ってくれたが、若干真剣みが足りなかった。そしてそっちの君は……ひとことの詫びもない」
 彼は、最初はエアリィに、そして次は僕に目を向けた。
「ごめんなさい、だけじゃ、だめですか?」エアリィが相手を見て、少し当惑したように問いかける。
「そうだね。行為を伴って欲しい。まあ、靴にキスしろとは言わないが、ちゃんと膝をつき、私の足元に手をついて、こう言ってくれたら良しとしよう。『わがままを言って、本当にごめんなさい。これからはどうか、よろしくお願いします』とね」
「えっ」僕たちはそう言ったきり、絶句した。ここまでプライドを飲み下さなければならないのか。音楽で大妥協させられただけでなく。プロデューサー氏を殴って、その場を飛び出したい衝動に駆られたが、それではすべてがふいになる。
「わかりました……」エアリィがふっとため息をつき、小さく頭を振った。少し青ざめた顔で、ちょっと唇をかんだあと、その場に跪き、プロデューサー氏に言われたとおりの台詞と動作をやってのけた。でもその声は、少しだけ震えていた。氏はにやっと笑い、手を伸ばすと、髪をくしゃくしゃっと少しかき乱すように、その頭を撫でた。それを見て、僕は思わず嫌悪の寒気が走るのを感じた。
「よし、良い子だ」氏は満足そうな表情を浮かべると、一呼吸をおき、一転して厳しい表情で僕に目を向けた。「さあ、次は君の番だ」
 僕は一瞬固まった。そんなことは、とても出来ない。身体が震えだすのを感じた。でもこの場で自分がやらなければならないことは、はっきりしている。みんなのためにも。
 僕は何度かためらった後、よろよろと跪いた。そして床に手をつき(相手の足のすぐ前に)、震える声で同じ台詞を言った。だが心の中は憤激でいっぱいだった。こんなことまでして、と。
「よし!」プロデューサー氏の声とともに、ぐいっと手荒に髪を引っ張られる感じがした。撫でられるのも嫌だが、これはこれで屈辱だ。再び勝ち誇ったような声がした。
「君も素直さを覚えることだな。これが第一歩だ」

「あの野郎! 調子に乗りやがって!」
 その日、宿泊先のアパートに帰ってから、ジョージがすっかり憤慨している口調で言った。「災難だったな。しかし、よく我慢したな、二人とも」
「うーん、謝らないといけないかも、とは思ったけど、まさか跪かされるとは思わなかった」エアリィはあえて軽い調子で言っているようなトーンで、肩をすくめていた。僕はしかし、まだ憤激と屈辱感で、とてもあっさりそう言える気分ではなかった。
「しかし、本当に……前途多難だな」ジョージがため息を吐くように言う。
「のっけから、これではね」と、ミックも顔を曇らせ、頷いていた。
「ごめんね、二人にだけ、いやな思いをさせて」ロビンが謝ってくる。
「おまえが謝ることはないさ」僕はため息をつき、首を振った。
「まあ、バンド代表として、おまえら二人が貧乏くじを引いた感じだが……でも、それだけじゃなさそうなのが、いやな感じだぜ」ジョージは顔をしかめた。
「それって、どういうこと?」エアリィが不思議そうに、そう聞いている。
「おまえは無自覚なんだな。ともかく、あいつに手を出されないよう、気をつけろよ。あいつは男も女も見境ないらしいからな。まあ、おまえの年だと、その勇気は向こうにもないだろうから、心配しなくてもいいのかもしれないが」
 ジョージの言葉の意味がわかると、僕も思わずぞっとした。エアリィは一瞬ぽかんしたように目を見張った後、ぶるっと震え、「えー、気持ち悪!」と声を上げた。
「そういえば、あの人はそうだったね」と、ミックまで重々しい顔で頷いている。
「それから、ジャスティンはな……あいつに目をつけられたんだな。生意気だ、と。だからきっと、嫌がらせをされるかもしれないぜ」
「ああ……」僕はため息とともに、頷くしかない。それはあのプロデューサーの言動から、僕もうすうす感じていたことだったからだ。
「でも、今更やめるってわけにもいかない……よね」エアリィが小さく頭を振って僕らに問いかけ、
「そうだな……」と、みなが頷いている。
「進むしかないね。君たちが払った犠牲を無駄にしないためにも」ミックがため息交じりに言い、
「そうだ。さっさと終わらせてしまおう。あいつとの作業は」僕は再び深いため息をついた。

 レコーディングは二週間で終わった。この二週間のレコーディング中も、僕にとっては、ただの苦行でしかなかった。それは、他の四人もそうだっただろう。
 プロデューサー氏はジョージ、ミック、ロビンの三人に対しては、ほとんど空気のような扱いだった。わずか一、二テイクで「ああ、いいよ、OK」と、気の抜けたような言い方をし、何かを問われても、一言二言短い答えを返すだけで、自分から話しかけることはほとんどない。ロビンなどは最初から最後まで、一言も口をきかないで終わったようだ。そういうそっけない態度の相手に話しかける勇気はなかったのだろう。
 エアリィに対しては、ヴォーカル録音の時には二、三テイクでたいていOKになるが、それ以外の時には、「私にコーヒーをいれてくれないか。メーカーでなく、ちゃんとドリップしたのを私専用のカップで」とか、「水割りを作ってきてくれ。私用のスコッチで、分量をちゃんと守ってくれよ」などと、何かと雑用を言いつける。エアリィは、もともとそういう雑用は率先してやる方なのだが、言いつけられるたびに(えー、また?)という表情をする。小さく声に出して言うこともある。無理はないだろう。彼としては、やらざるをえないのだが。その様子は不謹慎だが、ゼウスに給仕するガニュメデスのようだ。そして彼が頼まれたものを持って良くと、プロデューサー氏はにやっと笑い、「ありがとう」と一応お礼は言う。そしてその飲み物を傍らに置くと、手を伸ばして触りたがる。肩だったり背中だったり、腕だったり――相手が女の子だったら完全にセクハラだが、紙一重だ。おまけに見る目つきが、明らかに他の四人と違う。
 このプロデューサーは金髪の美人美形タイプが好きで、ジョージが言ったように男女見境ない――そんな評判を、僕も後で知った。もしかしたら僕らのプロデューサーに名乗り出たのも、そのせいじゃないかと勘繰りたくなったが、はっきりその証拠はないから、何とも言えない。それにやはりジョージが言ったように、エアリィは十五歳なので、考えるのもおぞましいことだけれど、『手を出したら』犯罪だ。だから向こうも、その程度で抑えているのだろう。それが幸いと言えば、幸いなのだが。でもこのタッチも、無理もないことだが、本人にとっては嫌なようで、手渡したら、さっと相手のリーチの届かないところに逃げていた。が、そうすると今度は、相手は渡される前に手首を握り、「逃げないでくれよ」などと言う。あまりにも見かねて、一度僕はエアリィに「今度やられたら、思い切り蹴とばしてやれよ」と言ったことがあり、ジョージなどは「あいつのコーヒーに下剤でも入れてやれよ」などと言っていた。たぶん実行はしなかったと思うが――「そこまではやりたくない」と言っていたから――手を払うことは時々やっていた。
 そして明らかに、僕は氏に嫌われているのだろう。やはりジョージが懸念していたように、意地悪をされている、そう感じることの連続だった。「違う! もう一回!」鋭い調子でそう言いながら、何回も取り直しを命じられる。でも、何がどう悪いのかは言ってくれない。「そんなことは自分で考えろ。君は何もかも自分のことはわかっているのだろう?」と皮肉たっぷりに言うだけだ。そう言われても自分では、OKテイクと変わらないと思うことが多い。そして時々、僕にも雑用を言いつける。「君も少しは、人のために動いたらどうだね」と。ジャケットをハンガーにかけてこいとか、帽子を取ってこいとか――飲食系はエアリィに頼むことがほとんどなので、僕に来るのは身の回りの雑用だ。そんなこと自分でやれよと言いたいのを我慢して、言われたとおり動くと、お礼を言われるどころか「そんな持ち方があるか。しわになるだろう」と怒られる。ただでさえ不本意なレコーディングなのに、ますますストレスとイライラが募るばかりだ。
 でも、こんな小さな嫌がらせの積み重ねも、録っている作品そのものが満足のいくものだったら、それほど心に刺さりはしないだろう。肝心の作品が、あの無残な残骸だから――その痛みゆえに、よけいにその棘がこたえてしまうのだろう。
 期待に満ちて始まった作業は、苦い失望と怒りの中に終わった。アルバムは、たしかに仕上がった。でも、これを我が子だ、誇りと満足を持って作り上げた作品だ、と言うことなど、とても出来ない。誰かに押しつけられた、気の合わない継子。そんな印象だ。どの曲も、比較的無事だった数曲を除いては、無残に作り変えられた残骸。思い入れを持って演奏することは出来ない、僕らの本質とはかけ離れたもの。こんなものを、僕らのアルバムとして出したくない。さっさと没にして、最初にとったデモから作りたい。でもどんなに悔いても、もう遅すぎた。



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