The Sacred Mother - Part1 The New World

第三章   メビウスの環(1)




 ここへ来てから、一週間が過ぎた。科学者たちとの面接や検査は、もう終わりだ。最後のテストが終わった日の午後、僕らはこの世界で最初に会った人、エリザベス・シンプソン女史に再会した。
「どうですか、みなさん。こちらには少し慣れましたか? ここも住んでみれば、よいところでしょう?」女史はにこやかに、そう問いかけてきた。
「そう思います。でも……」
 言いかけた僕らを、彼女はなだめるような微笑と言葉でさえぎった。
「帰りたいという気持ちは、わかります。でも今はとりあえず、今あなたがたのいるこの世界について、より知っておいたほうが、よいのではないですか」
「ええ、まあ……そうできれば」僕らは誰からともなく頷く。
「それでは、午後いっぱい、私がここを案内しましょう。今みなさんが暮らしているこの町と社会のことを、よく知っていただくために、」
 女史は僕たち一人一人に視線を合わせた後、再び微笑んだ。
「では、まず、この市庁舎の中からにしましょうね。ここは私たちが行っている移民監査・治安維持以外のすべての行政機能と、色々な分野の学術研究班が存在しています」
 彼女は僕らの先頭にたって歩き出し、まず何度も面接で足を運んだ、四五階建ての白亜の建物を案内して回った。行政機構も社会構造も違うので一概に比較はできないが、僕らの時代感覚で言えば、ここは議事堂と各省庁の本部、それに市役所と研究センターが合併したようなもの、ということか。
「最上階は大統領執務室です。一般の人は入れませんから、ここは除きますね」
 シンプソンさんはそう断り、他のところを一通り全部回ってしまうと、隣のベージュ色の四十階建ての建物へ移動した。ここは僕らが最初に連れていかれたところだ。
「ここは第二庁舎です。私たち移民監査・治安維持班と、医学班、科学検査班、生態研究班、教育班が常駐しています」
 つまり警察と消防、病院に科学技術庁、文部省が入っているということか。裁判所もここだろうか。案内は、その隣のクリーム色の外壁の、僕たちが滞在している四十階建ての建物に移った。
「こちらが第三庁舎。ここはマスメディア。放送機構と、それから物品管理と流通部門が占めています。ここには、旅行者たちのための一時滞在室も、三十部屋ほどあります。あなたたちがいるのも、その一つなのですよ」
「ホテルのようなものなんですね」ミックが頷いている。
「ホテル?」シンプソン女史は一瞬怪訝そうな表情になったが、すぐにわかったようだ。「そうですね。旅行者のための宿泊施設は旧世界でも、あったのでしたね。でも、私たちの事業は商業ベースではないので、宿泊料などとりませんよ」
 彼女はまた別の建物を指差して、説明を続けた。「隣の二十階建ての建物は、物品管理倉庫です。ここには、あなたたちの時代にあるような商店は存在しません。市民は家庭のコンピュータ端末を使って、必要な物品をセンターに注文するのです。それを受けて、配送ロボットが品物を各家庭まで届けます。ただし食料品だけは、注文はここで受け付けますが、実際には市内に五ヶ所ある食品センターから配送されます。配達は各家庭それぞれ決まった時間に行われ、その時に一日三食分の食事と注文された嗜好品、飲み物などを届けるのです」
「自分のうちで料理はしないんですか?」僕は思わず聞いた。
「いいえ。メニューは食糧庁の人間が、コンピュータの助けを借りて決めますが、調理はロボットと機械で行います。分量や工法も、常に一定です。個人で料理をすると、出来不出来の差がありますからね。時には、あまりおいしくない食事をとらなければならないことになります。それより、おいしい食事を常に届けてもらうほうが、ずっといいでしょう」
「三食分、ってことは電子レンジで温めて食べるんですか、料理?」エアリィがちょっと首をかしげ、問いかけている。
「電子レンジは……旧世界のものですね。ここでは調理器と言います。一食ずつパックされた料理をトレーごと入れれば、三十秒で出来たて状態にして、提供してくれます」
 調理器と言っても、調理はしないのか。言い方は変わっても、機能はほとんど電子レンジだ。時間が短い分、僕らの時代のものより、ハイテクなのかもしれないが。
「品物は、ただなんですか?」と、ジョージが聞いていた。
「いいえ。値段はありますよ。市民は品物を注文するたびに、その代価を払います。ただし、金銭の出し入れはすべて、指につけているこのIDリングを通して行うので、紙幣やコインなどはありません。残高がゼロになると、買い物は出来なくなります。ここの通貨はあなたがたの時代と同じドルですが、貨幣価値はきっと違うでしょうね。ここでは市民一人あたり、一週間で二五ドルの基本手当てが政府から支払われています。職業についていれば、それに応じた報酬が上乗せされるわけです。市民一人あたりの食事代は、一日二ドルから二ドル五十セントです。服飾費は大人用で下着一組七ドル、ズボンと夜着が十ドルで上着は十二ドルです。子供のものは大人の半額です。職業上着る服は、今私が着ているものもそうですが、制服扱いになり、政府から貸与されます。だいたい基本手当てだけでも、ある程度の生活は保障されるようになっています。もっとも職業につけるならばその方がいいという認識が、市民たちには定着していますが」
「この世界には、どんな職業があるのですか?」これはミックの質問だ。
「主に行政関係と、生産、流通管理、マスメディア、医療と教育管理、それに学術研究です。ここでは肉体労働はすべてロボットの仕事ですし、いわゆるサービス業というものも、ありません。成人男子の有職率は七十パーセントほどですね。女性の場合、子供が出来ると末子が教育課程を終わるまでは職業につきません。私には子供がなかったので、ずっとこの仕事を続けてきましたが、子供がいるならば、彼らを立派に育て上げることこそ、社会に貢献しうる最大の仕事なのです」
「僕らの時代とは、かなり違うね」
「そうだなあ。家庭だけに満足している女性は、だんだん少なくなってきているからな」
「でもやっぱり子育てが女性の最大の仕事っていうのは、当たっているように思うけれど」
「それって、たいぶ昔の考えじゃない。家事労働だけで大変だったころの。今どき育児が女の仕事、なんて言ったら怒られない?」
「言える。なんだか、倫理観が逆戻りしているようだな」
 僕らのそんな議論を、女史は黙って眺めていた。異なった社会通念に戸惑っているようでもあり、なんとか理解してくれようとしている感じでもある。彼女は説明を続けた。
「ここには、あなたたちの時代のような学校はありません。子供たちは五才になると教育課程に入りますが、教育はすべて各家庭のコンピュータ端末を通して行われます。初等課程から専門課程まで、カリキュラムの進み方は個人の能力に応じて行われ、本人が学びたいと希望する、すべての分野の学習が出来ます。専門課程までで義務教育は終了ですが、そのあと高等専門過程まで終了すると、学術班のメンバーになる資格をもちます」
「ええ? じゃあ、仕事に就くまでは、外に出なくてもすんじゃうわけだ」エアリィが驚いたように、そして考えられない、というようなトーンで声を上げた。
「そうですね。あえて外出をしなければしないで、すんでしまいます。でも、それではどうしても単調になりますから、たいていの若者や子供たちは、時々外へ出ていますよ。レジャー施設も公園もありますから。それに年に一度生体機能テストを受け、健康維持の体操プログラムを毎日こなしていますので、運動不足にはなりませんし、外出の際には他の人たちとの交流も出来ます。社会適応の面での問題はありませんよ。私たちは常に他者に対し礼儀正しく、親切にすることが美徳と教えられてきました。ですから人間関係は、常に良好なのです」
「そうなんですか……」僕を含め、二、三人がそう相槌をうった。ここの人たちがみな、わりと寛大で親切なように思えたのは、道徳教育のたまものなのか。ゴールドマン博士も『常に感情を穏やかに保ち、平和的でいることこそ最高の美徳』と言っていた。たしかにここへ来て接した人は、みんなそんな印象を受ける。穏やかで友好的、争いを好まない柔和な性格になっているような感じだ。そのおかげで僕たちのようなよそ者をも一応は暖かく迎えてくれていて、ありがたいのだけれど、もしここで万一ずっと暮らすことになって、そういう人たちと付き合っていくとしたら──楽しいだろうか? 学校の仲間たちよりもっと、表面的な付き合いになってしまわないだろうか?

 町の中央にあるビルは、この三つの大きな庁舎と物品センターの倉庫、病院、ロボットたちのステーション、博物館と資料館、それに市内に五か所あるという食品センターの一つがあった。このビル群のまわりを幅二百メートルほどの公園が、ベルトのようにとり囲んでいる。公園地帯を抜けると、その外側半分ほどの区域には、クリーム色の外壁の、十階建てくらいの集合住宅が、きっちり同じ間隔で、まるで巨大な白っぽいドミノのように整然と並んでいた。
「ここが市民の居住区です。一つの建物に、およそ五十世帯入居できます。建物は一ヘクタール当たり一棟の割合で建てられ、この町全体で百棟ほどあります。中をお見せしましょう。ここは今、空き家なのです」
 彼女は建物の一つに入り、エレベータを使って四階まで上がると、長い廊下の中央近くにあるドアに、ポケットから取り出したカードを差し込んだ。ドアが開くと、中へ入り、僕たちを手招きする。
 入ってみると、中はかなり広かった。ゆったりとした広さのリビングダイニングに、流し台と電子レンジ、いや調理器と、食器戸棚、食器洗浄機と、冷蔵機能の付いた食品ストッカーが備え付けになっている、小さなキッチンが隣接している。トイレと洗面所、シャワー室、大きな二人用のベッドが備え付けてある主寝室、普通サイズのベッドが一つずつ作り付けになっている個室が三つ、ベッドのない小さな部屋が二つあった。それぞれの部屋には机と椅子、クロゼットが付属していた。スツールと小テーブル、ダストボックスと鏡、時計もある。どの部屋の机の上にも、コンピュータ端末があった。
 コンピュータは僕らの時代のような、個々のPCがインターネットでつながっているというシステムではなく、中央に大きなマザーコンピュータがあり、すべてはそこから回線でつながっている端末という、ワークステーション式のシステムらしい。昔に戻っているようでもあるが、この方が一括管理しやすいらしい。マザーコンピュータは自動修復と高度な人工知能、四重CPUと完璧なバックアップ機能を備えた、僕らの時代のものより遥かに進歩したものだという。各端末には固定のものと可動式のものの、二種類の記憶装置もついているので、個人のプライベートなファイルは、中央のデータベースの割り当て領域だけでなく、そこにも残しておけるようになっている。
 この住居は、四、五人家族の標準世帯用らしい。家にはダイニングの椅子やテーブルも備え付けてあり、リビングのソファや、ガラス細工のようなテーブルまであった。天井にも、照明がついている。シンプソンさんの説明を聞いていると、基本的に大きな家具や器具は、ここの人たちにとっては、家に付属しているものという意識があるようだ。ホテルの部屋に備え付けてある家具や備品のように。それゆえ、家が変われば家具も変わる。その方が引越し荷物も多くなくて便利だ、そんな意識なのかもしれない。家具や調度品は新しい住人が来る直前に清掃やメンテナンスを行い、途中で破損した場合を除けば、約五十年に一度、新しい物に交換されるという。
 引越しは、家族の人数の変動に合わせて行われるらしい。結婚すると同時に、無償で小家族用、四LDKの住居が与えられ、二人目の子供が生まれると、ここのような六LDKの標準タイプへ変更される。さらに五人目の子供が生まれると、もっと大きな八LDKの、大家族用へと住居変更されるという。すべての子供が結婚して独立すると、再び小家族タイプの家になる。割り当て先の住居も、引越しの手配も、引越しロボットの貸し出しを含め、すべて行政がやっているらしい。こちらの選択の余地もないけれど、住まい探しをしなくてもいいというのは、楽だろうという気もする。
 ここに以前住んでいた住民は、三人いた子供たちがすべて結婚して独立したため、小家族用の住居へと三ヶ月前に移ったところだと、シンプソン女史が携帯用端末を見ながら説明してくれた。この端末はゲーム機くらいの大きさで薄く、僕らの時代でもちょうど発表されたばかりの、タブレットパソコンを少し小ぶりにした感じのような見た目だ。彼女の端末からは、この街のすべての住民データが見られるらしい。それではここは以前の住民が巣立ち、新しい家族を待っている部屋なのか。それぞれの部屋の窓にはカーテンがかかっていて、床にも絨毯が敷いてある。そう――本当に、ホテルの調度と同じ感覚なのかもしれない。ただベッドの上にはむき出しのマットレスがあるだけで、それ以外の寝具はない。それは個人で持ち込みのようだ。当然のことだけれど、衣類なども。そして次の住民が引っ越してくる前日、ロボットが家を隅々まで清掃し、消毒してくれるという。
 案内された家は三ヶ月も人が住んでいないわりに、キャビネットやテーブルの上にほこりがない。それほど掃除が必要な感じではなかった。不思議に思ってきいてみると、建物全体に空気の浄化装置があって、小さなほこりや塵はみんな自動的に吸い取られていくのだという。実際に人が住んでいる家では、床は家に備え付けてある自走式の小型掃除機のスイッチを押しさえすれば、自動的に掃除してくれるらしい。大きな掃除は、掃除用のロボットを無償で貸し出してくれる。洗濯はシャワー室の隣に備え付けてあるランドリーマシンにぽんと放りこんでスイッチを押せば、後は自動的に洗って形を整え、乾かしてくれる。それをたたんで引き出しにしまったり、ハンガーにかけたりするのは、さすがに住人の仕事らしいが。シャワーも含め、洗浄用の薬剤はそれぞれ定期的に補充しなければならないし、掃除機のごみが溜まったら捨てなければならないが、それ以外はほとんどメンテナンスも必要がない。食事も宅配制だということは、この時代の主婦は、家事からほとんど解放されているということか。髭剃りや歯磨きは機械を使ってではあるが自分でやるようだけれど、散髪も頼めば理容ロボットが来て、好みの髪型にしてくれるらしい。
 シンプソン女史は僕らを見、にこやかに説明を続けている。「職業を持っている一般市民たちは、ほとんどの人が歩いて通勤します。市の中心部に職場のある人は公園ゾーンを抜けて、生産区に職場のある人は、横の環状道路を使っていくのですが、どちらもオートレーンを使えば、どんなに遠い人でも二十分ほどで着いてしまいますよ」
 オートレーンというのは、動く歩道のことらしい。この町は道路の両側に、動く歩道がある。交差点に来ると普通の路面になり、他の方向に乗り換えることができる。僕たちの市内見学も、その上に乗って移動していた。『オートレーンに乗っていきましょう』と最初にシンプソンさんが言ったので、つまりそれのことなのだと、僕も理解できた。そのスピードは僕らの時代のものよりかなり早く、手すりにつかまっていないと危ないかもしれない。その上を歩こうとすると、つんのめりそうになる。乗り降りは交差点からしかできないが、その前後はスピードが遅くなっている。ここニューヨーク市の直径は五キロらしいから、職場が遠い人でも一時間ほどのウォーキングで着いてしまいそうだけれど、実際はほとんど動く歩道の上で運ばれているわけだから、二十分という数字は頷ける。

 女史は僕らを、次のゾーンへと導いた。住宅地区の反対側には五〜六階建てくらいの高さの、床面積は相当大きそうなグレーの建物が、いくつも並んでいる。
「ここは生産ゾーンです。いわゆる工場街ですね」
 僕らの時代では工場街というと、煤けた煙や異臭が漂う、あまりいい環境を連想しない。でも、ここは違った。煙突から出る煙もなければ、川を汚す排水もない。空気は澄みわたり、外からは騒音すら聞こえない。女史の説明によると、ゴミ処理リサイクルも防音装置も、完全にできているからなのだそうだ。  建物の内部は広かった。床にいくつも置かれた機械の、ブーンという低いかすかなうねりが響いている。機械の間を、何十体ものロボットたちが忙しく立ち働いていた。スターウォーズなどで出てくるようなタイプの、白いプラスティックで出来た、いかにもロボット然とした奴が多く、その中に何人か銀色の人型が混じっている。
「ここは総合衣料工場のうちの一つです。管理員が五階の事務室におりますから、来てもらいましょう」
 すぐに男の人が一人、呼ばれてきた。四十代半ばくらいの年配で、少し有色系の血が入ったような浅黒い肌に、紺色の上着とグレーのズボンと言ういでたちのその人は、僕らに挨拶をすると、少し機械的な口調で(とはいっても、ロボットではないようだが)、あとを引き取って説明してくれた。
「一階部は布を作るところです。集められてきた古い衣服を洗浄し、上着や就寝着は色ごとに分け、他のものはそのまま、汚れをきれいに落としてから、新しい材料を混ぜ、いったん全部分解したのちに、新しい繊維に練り直します。一番向こうのラインが下着用で、真ん中が上着、それからズボン、一番こちら側が就寝着です。出てきた布は二階部に運ばれ、そこで裁断されて製作されます。三階部は製品のチェックと仕訳、梱包です。四階部は商品のストック場所、五階は制御室です。ここにはおおよそ百体のロボットが働いていて、そのうちの八五体ほどが製造特化モデル。残りは汎用型です。管理する人間は十二人います。一日の生産量はフルに稼働すれば千組作れますが、そんなに必要ないので、需要に応じて生産量を調整しています。今のところのペースでは、週三日、三、四時間ずつ動かしていれば、充分ですね」
「服には縫い目がないようですが、どうやって縫製しているのですか?」ミックも疑問に感じていたらしく、そんな問いを投げかけていた。
「ああ、縫製ではなく、熱接着を使いますので」と、管理員の人は答えている。
「あの、コートとか半袖のシャツとか、そう言うものは作っていないんですか?」
 僕が問いかけると、シンプソン女史は笑って答えた。
「作っていますが、ごく少数で、別の工場で作っています。森林保護官のような、職業上外気にさらされる機会のある人たちのためにだけ、用意しているのです。一般市民たちには、そういったものは必要ないですから。都市の中では常に気温は二四・五度、湿度は六五パーセントに調整されていますし、他の都市へはシャトルで移動しますので」
「そうなんですか」半ば感心、半ば驚きだ。そう言えば十一月だというのに、都市の中にいる限りは、外へ出ても寒くない。部屋の中と変わらない感じで、上着を羽織る必要もない。町に植えられた木は、さすがにこの季節は針葉樹以外、葉っぱが少し茶色くなっているが(気温はコントロールできても、日照不足は補えないのだろう)、パンジーや桜草などの花は普通に咲いている。町の中にいる限り、太陽光の強弱はあるものの、気温的には冬はなく、夏もなく、風も雨もなく、作られた自然だけが存在している。そして、町の外は果てしない荒野。不思議な世界だ。まるで砂漠のオアシス、それとも荒野に浮かぶガラスの泡のようだ。

 シンプソン女史は、いくつかの工場を案内して回った。ロボットそのものを製作する工場では、ここで見かけたロボットたちについて、詳しく説明してくれた。マネキン型、金属アンドロイド、プラスティックのロボ型と、三種類のロボットがこの世界にはあり、それぞれ用途が違うらしい。マネキン型は家事雑用、清掃、理美容に使われ、金属型は治安維持や工場の汎用的な仕事に、ロボ型は配送や工場の製造現場、建築現場に特化したもので、用途によって形態も違う。胸につけられている通し番号は、最初の二文字が都市名、次に型(Aはマネキン、Bは金属、Cはロボ型)その後の番号は、それぞれの型の、工場で何番目に制作されたかが記されているらしい。そして半年ごとに工場でオーバーホールされる。ただ、ここのロボットたちのAIには、感情回路がないらしい。「ロボットが感情を持ってしまうと、人間に近いものになってしまうので、望ましくないのです。私たちも彼らのことを、便利な機械と考えています。その方がお互いに望ましいのです」と、シンプソン女史は説明していた。
 この世界が始まった時、人間の数は極端に少なく、外には残留放射線の危険もまだあったため、町を復興するためには、ロボットたちが不可欠だったのだという。疲れを知らず、文句も言わず、人間にとっては危険な環境でも働いてくれるロボットたちによって、この新世界の町が築かれ、生活が営まれている。「ニューヨーク市にいるロボットは、だいたい七千体」と、シンプソン女史は言っていたから、人間の数より二、三千ほど少ないだけだ。その彼らが心を持たないことは、社会の安定に絶対必要なのだろう。
 その他にも、プラスティック工場、家具工場、建材工場、日用雑貨工場、寝具工場、食品工場などがあった。ほとんどみんな週三日、それも半日しか稼働していないので、お休みになっているところがかなりある。稼働している機械やロボットたちは、未来世界の発達した科学の証明だ。仕組みはさっぱりわからないながらも、僕らの時代より格段にいろいろなことが出来ている。
 動物性食品の工場には、とりわけ驚いた。魚は海洋プラントから持ってくる本物を使えるのだけれど(でも大半は、本物をもとにしたクローン、それも食肉部分だけを単純増殖させたものだそうだ)、陸上動物はほぼ全滅しているらしいので、肉や卵、牛乳にいたるまで全部大豆から作り出している。分子レベルから作り直しているそうなので、出来上がりは肉や卵そのものだ。牛乳は大豆から作ると言ったら豆乳を想像しそうだが、本物の牛乳そのものの味だ。ハムやベーコンは、いったん肉に合成したものを燻製にかけて作るので、出来あがりはそっくり。バターは大豆油から作られるから、基本マーガリンと同じなのだけれど、味や香りはバターだ。合成卵と合成牛乳、バター風マーガリン、それから本物の小麦粉を使って、おいしいケーキも焼き上がる。卵白はつのが立つほど泡立てることが出来るし、肉の固まりは焼くとちゃんと肉汁が出てきて、肉そっくりの香りがする。知らなければ、誰もが本物だと思うに違いない。僕も今まで本物と思って、何の疑いも持たずに食べていた。
 肉製品の合成工場を見学している時、僕はふと機械の縁にかけていた手を外そうとして、その下に書いてあった文字に目をとめた。PAT――これはパテントの略だろうが、続いているのは番号ではなく、何人かの人の名前だ。その一番初めに書いてあったのは、A.L.S.Rollingsという名前だった。僕は一瞬驚き、思わず見直した。
「この表示は、どう言う意味なんでしょうか?」と、僕はきいてみた。
「その機械を発明した人たちです。一番上の名は、最初に考案した人。それ以降は、装置に改良を加えた人々ですね」
「そうですか。僕らの時代には特許番号だけれど、ここでは直接名前が入るんですね」
 ミックが僕の手元を覗き込むと、少し驚いたように目を開き、僕を見た。
「偶然だね。君に関係のある人かな、ジャスティン」
「わからないよ。本当にただの偶然なんだろうとは、思うけれどね」僕は首を振った。
「もしこれがおまえの直系子孫なら、俺たちも帰れるわけなんだがなあ」ジョージも覗き込み、頷いている。
「そうなんだけれどね。ああ、でもこれだけじゃ、わからないよ。兄さんの方かもしれないし」
「ああ、そうだね。その可能性もあるね」ロビンは小さな声で言い、首を傾げた。
「まあ、名前だけじゃわからないからな。ジャスティンの一家だけでなく、他にもローリングスさんはいるだろうし」ロブが首を振った。
 そうかもしれない。それ以上、僕らには知りようがない。

 工場街の見学が終わると、次に行ったのは遊園地だった。ここは市の外辺部、住宅区と生産区の間にあって、広さは四ヘクタールほどという。遊園地としてはかなり小ぶりだが、この都市の規模だと、そんなものかもしれない。そこにはメリーゴーランド、観覧車、コーヒーカップにジェットコースター、ゴーカートと、懐かしの遊具がかなりあった。アイスクリームやドリンクの自動販売機もあった。五セント程度ではあるが、さすがに有料だ。でも僕たちにはIDリングがないので、買うことはできない。コインを入れる場所のかわりに、IDリングのセンサーがついているからだ。そういえば、ここでは実際の紙幣はないと、シンプソン女史も言っていたっけ。
 シンプソンさんは微笑んで僕たちを見やり、自分のIDリングで全員に飲み物を買ってくれた。透明なプラスティックボトルに入った、三百ミリリットル入りのそのドリンクを、僕たちはめいめいお礼を言って受け取った。僕は喉が乾いていたので、早速、キャップをあけて飲んだ。透明なのでミネラルウォーターかと思ったが、水を少し甘くしてレモンの風味をつけた、いわゆるフレイバーウォーターのような感じだ。
 乗り物の方は、チケットやお金なしで自由に乗ることが出来た。とはいえ、明らかに子供向けの遊具に、大の男たちがキャッキャと乗る図なんてあまり想像したくないし、実際やりたくない。エアリィですら、「妹と乗らされるだけで充分だし」と、肩をすくめていた。それで僕らは、ジェットコースターに一度乗っただけだった。おまけにそれもまるでキッズコースターのようで、アップダウンやスピードは、かなり物足りない。これで満足できるのはよほどの怖がりか、小さな子供だけだろう。ここの遊園地は絶叫マシンがほとんどないし、あまり刺激的には作られていないのかもしれない。
 敷地内には疑似動物園もあって、本物そっくりに作られた機械仕掛けの動物たちがいた。ライオン、虎、象、シマウマ、キリン、ゴリラにチンパンジー、熊、ウサギ、犬や猫、鳥たち。もちろんみんな作り物だから檻の中に入れる必要はなく、自由に触ることもできる。ためしに触ってみたら、その毛並みはきれいに再現されているものの、どれもぬいぐるみのような感触だった。さすがに触感までは元がないだけに、再現できなかったのかもしれない。もっとも僕だって、実際の大型動物や猛獣に触ったことはないけれど、ウサギや犬猫などはある。明らかに手触りは違った。動画ででも研究したのだろうか、動作はかなり自然な感じで、知らなければ、もしくは触らなければ、本物と思って驚くかも知れない。
 遊園地エリアの中には、室内プールもあった。二五メートルのスイム用、ウォーキング用、スライダーのついたもの、流れるプールに子供用の浅いものと大小五つのプールがあって、プールサイドにはテーブルや椅子が並び、人工の椰子の木やブーゲンビリア、ハイビスカスの花が飾ってある。そしてここにもドリンクやフルーツの自動販売機がある。この中の気温は三十度だ。ここは結構遊べるかも知れない。
 施設は、ほとんどがらがらだった。小さな子供を連れた母親が何組かいるだけだ。「今日は平日ですからね」と、シンプソン女史は言う。ここでもやっぱり、レジャーは週末なのだろう。でも、もともと一万人弱しか人がいないから、たとえ週末でも全員が一斉に同じ所に出かけない限り、たいして混雑はしないだろうとも思える。

 次に見学に行ったところは、農園だった。最初の日に見た、町に隣接しているドームだ。そこは野菜専門で、穀類や果樹などは、少し町から離れたところで栽培されているらしい。作物はすべて水耕栽培で、中で働いているのは、数人の管理要員以外、すべてロボットだ。野菜は、みんな異様に大きい。トマトはカボチャ大で、カボチャは大きな西瓜くらい、きゅうりは糸瓜みたいで、ピーマンは手の平大、ジャガイモやタマネギは両手で持つようだし、人参は大根くらいの大きさだ。突然変異でできた大きな種類を交配させて、作ったものだという。
 野菜農園の次に見たのは、車で北へ五分ほどの距離にある穀物農場だった。ここで栽培されているのは、おもに小麦と大豆、とうもろこしだ。それぞれ一平方キロほどの広さで、擬似太陽ライトをはめ込んだ、専用のドームで覆われている。中には今年に入って四作目という小麦と、もう六回目の収穫を間近に控えた大豆、同じく六作目の種蒔きがすんだばかりというとうもろこしが、ぎっしり栽培されていた。少し離れたところに広がっている果樹園も、種類ごとにドームの中で栽培されている。コーヒーやお茶、カカオ、バナナなどの熱帯植物が植えられている、温室のようなドームもあった。野菜も穀物も果樹も日照と気温を完全にコントロールし、さらに成長促進剤を使うことによって、数倍の早さで成長するのだという。大きな野菜や成長促進は、今の状況なら、そこまでしなくても十分大丈夫のはずだが、将来的に人口が増えても大丈夫なように、なのだそうだ。
 果樹園の向こう側には綿畑があり、さらにその向こうに牧場があった。両方とも、それぞれ透明なドームに覆われた、巨大な温室のようだ。牧場は五、六ヘクタールくらいの広さで、中央に管理棟があり、そのそばに何棟かの飼育小屋が建っている。
 入ったとたん、犬が駆けてきた。どうやらシェパードらしい。僕らに向かって一声二声吠えると、周りを回りはじめた。
「わぉ、犬だぁ!」と、エアリィが声を上げてかがみこみ、撫でると、尻尾を振っている。僕も手を伸ばし、その頭を撫でた。なんだかとても――リアルだ。本物のように。その目もきらきらしているし。これが作り物なら、相当精巧だが――。
 他にもレトリーバーやコリーなど、十種類以上の犬が、あわせて三十匹ほどいた。牧草地では羊や牛が草をはみ、豚や鶏も広い柵の中で放し飼いになっていた。数種類のサルや、十数種類の鳥が飼育されている広いケージもあるし、屋内の建物には、さまざまな種類の猫も二十匹ほどいた。まさかこれもみな、動物園で見たような機械仕掛けの動物たちだろうか? 首を傾げていると、シンプソン女史が微笑しながら、「それは、みな本物ですよ」と教えてくれた。
「えっ、本当に生きている動物ですか?」
 思わずそう声を上げた。てっきり動物は全部、絶滅してしまったのだと思っていた。ゴールドマン博士も一部の小昆虫や深い海の魚以外、ほとんど全滅だったと言っていたし。
「ええ、カタストロフで動物が絶滅したのは本当です」シンプソン女史は頷いた。「これらの動物は、シェルター内に凍結保存されていた受精卵から、発生させたものなのです。人工子宮での培養技術が確立されるまでの間、ずっと凍結保存されていたのですよ。動物が発生したのは、つい二十年ほど前のことです。鶏は胚芽だけを凍結保存し、疑似玉子を作ってかえしたので、他の動物たちより少し発生が早く、今はかなり増えていますがね。動物たちは最初に発生したものから、無事つがいになったものはできるだけ自然に、一匹しかいない、もしくは同性ばかりになったものはクローニング技術を使って増やし、現在ではなんとかこれだけの数になりました。とはいえ、まだまだ実用に使えるほど数が多くないので、ここで厳重に管理し、飼育されているのですよ」
 人工子宮が開発されているとなると、この時代では人間の赤ちゃんも、その中で作られているのだろうか。でも質問してみると、女史は微笑しながら首を振った。
「いいえ。たしかに今の技術力なら、人間も卵子と精子を人工的に受精させ、人工子宮で育てることは可能でしょう。今は人口が極端に少ない時期ですし、そういう技術を駆使すれば、もう少し思うように人は増えるのでしょうけれどね。でも、人間は機械ではありません。まるで製品のようにオートメーションで生まれるのでは、人間の尊厳は危うくなりますし、いろいろ倫理上の問題も起こってくるでしょう。ですから最初に人工子宮の技術が開発された時、かたい合意がなされたのです。これは決して人間には、応用してはならないと。妊娠四、五ヶ月以降の早産児を助けるためにはとても有用ですから、その用途には広く使われていますがね。でも、生命の根本までは操作したくない。ですから、不妊の治療も体外受精止まりにしていますし、遺伝子操作も人工授精や体外受精の際に、奇形や障害、流死産をもたらす染色体異常のものをあらかじめ取り除く以外、基本的にはしません。いくら人口の増加が思うに任せなくとも、生命の誕生があまりに人為的でありすぎるのは、許されない。それが新世界の倫理なのです」
「そうですか……なんだか、安心しました」誰からともなく、複数の声が漏れた。
「ですが、動物たちを再生するためには、バイオ技術はどうしても必要なのです」
 シンプソン女史は牧場で草をはむ牛や羊たちに目をやりながら、言葉を継いだ。「人間と違って、もとがありませんからね。受精卵が凍結保存されていたものはまだ良い方で、骨からDNAを取り出し、クローンの要領で発生させてやらなければ再生できない動物もいるのです。二二世紀の終わりから、世界の各地にロボットを搭載した探索機を送って、さまざまな野生動物や鳥類のミイラ化した死骸や骨を集め、そこからDNAサンプル核を作り、科学センターで凍結保存しています。今飼育中の家畜たちが十分に増えたら、次は受精卵が保存されていた野生動物を再生し、最後にはその他の野生動物のクローン再生を図る計画です。野生動物たちはある程度数を増やしてから、自然の中へ戻すことが最終目的です。鳥も同様です。そのために、単一性しか再現できなかった種は、つがいになるよう、クローニング途上でいくつかのプロセスを経て反対の性を作り出さなければなりませんし、ある程度自然の中に入って淘汰されても大丈夫なだけの数を、作り出せるまでにしなければなりません。それは長い道のりですが、出来るだけ自然の生態系を再現したい、私たちはそう願っています。地球上に私たち人間と微生物と昆虫、一部の小動物と魚、そして植物。それだけでは、健康な生態系は築けませんから。この計画は、来世紀後半くらいには実行に移せるはずです。三十世紀頃までに、以前と同じとはいかないまでも、ある程度健全な生態系を取り戻すことが、人間の人口を増やすことに次いでの、新世界の目標なのですよ」
「そうですね。再現できれば、最高ですね」再び誰からともなく、そんな声が上がった。僕も頷いた。地球に人間だけが残された動物だなんて、悲しすぎる。空には鳥が飛び、草原にはウサギや野ネズミが跳ね、森林には鹿やリスや熊が、サバンナにはシマウマやライオンが走る。しんと静まり返った地球が、再び生命であふれる日が来る──それは希望というより、欠くことの出来ない切望かもしれない。
 牧場の向こうには、数十平方キロに及ぶ広大な森が広がっていた。このあたりの木は、このニューヨーク市が出来た二三世紀半ばから、植林されてきたものだという。木材やパルプは、みんなここから切りだされる。樹木はすべて外気の中だから、野菜や穀物のような促成栽培はできない。だから樹木の利用は最小限に押さえ、その間に自然の力で森林が広がるのを待っているという。天然の森も、いくつか復活しつつあるらしい。
 町の外にあるこうした施設で働いているのは、やはりほとんどがロボットで、人間は管理要員として、基本は街の中のコントロールセンターにいて、毎日交代制で数人が車を使って現場に行っているということだった。

 見学の最後は、町に隣接した発電所だった。ドームの外にある一ヘクタールほどの敷地にあるいくつかの銀色の建物と、黒い台座にのった、数多くの巨大なクリスタル。直径二メートルくらいの大きな丸い、表面には複雑なカットが施されている透明な結晶体が、まるで大きなダイアモンドのように、太陽の光を受けて輝いている。
「あまり長時間見ると、目に悪いですよ」シンプソン女史はそう注意してから、説明を始めた。「このクリスタルで太陽光を偏光集積し、台座を通して電気に変換します。そして後方の銀色の建物に集積し、町へと供給するのです」
「電線はないんですね」と、ロブが問いかけた。
「ええ。ここから町の道路へ通電します。建物の床や壁にも通っていますよ。すべての装置や機械にはみな、その動力をピックアップするユニットがついていまして、それで動いているのです。ロボットもそうです。同時に、それで充電もできるようになっています」
「ええ?」僕は思わず飛び上がった。何人かが同じようにしている。
「そんな上で生活して、人は大丈夫なんですか? 感電しませんか?」と、ミックが少し焦ったように聞いていた。
「大丈夫です。人間はたしかに伝導体ですから、そのままの電気に触れれば感電してしまいますね。でも、ここでは人間には通電しないエネルギーに変換してありますから。台座内部にある従来の電気が、ボックスで変換されるのです」
「え?」黒い台座の一つに触れかけていた僕は、あわてて手を引っ込めた。
「大丈夫です。触っても感電はしませんよ。外壁は絶縁体になっていますから」
「そうなんですか。ああ、驚いた……」
 ほっとはしたが、もう触ってみる気にはなれなかった。視線を落とすと、ふと台座に刻まれている文字が目に留まった。多くの名前の筆頭に、また同じ名前がある。
【PAT. A.L.S. Rollings】
 自分に関係があるかどうかはわからないが、この人は相当な発明家だったらしい。どんな人か思い切って尋ねてみると、新世界黎明期の科学者で「科学の始祖」という尊称を持っている人らしいが、フルネームは知らないという。
「そういうことは、歴史班の人が詳しいですよ。でもあなたがたはまだ、あまりこの世界の歴史など、知らないほうがいいのではないでしょうか? もしあなたがたの時代に帰れたとしたら、不都合ではないですか? 新世界の過去というのは、あなたがた旧世界から見れば、まだ未来なのですから。先がわかりすぎているというのは、かえってよくないことでしょう。あなたがたもここに留まるとはっきり決まるまで、新世界の歴史を見ることはおやめなさい」
「そうですね。わかりました」
 たしかにそうだ。もし僕らが帰れたら──そうなることを切に望んでいるのなら、未来をあまり知りすぎてはならない。先がわかっているなんてつまらないし、怖くもある。




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