The Sacred Mother - Part1 The New World

第三章   メビウスの環(2)




 午後いっぱい費やして、社会見学は終わった。夕方、部屋に戻ってきた僕たちに、女史は備え付けてあるコンピュータ端末の使い方を説明してくれた。
「今日からあなたがたは準市民扱いですから、みなさんの仮IDとパスワードを入力すれば、ニューヨーク市のマザーコンピュータとコンタクトできます。パスワードは最初に、任意のものを登録してください。今週分の手当てとして、一人あたり二五ドルが入ります。それで食事を賄ってください。それに服飾手当てがそれぞれ五十ドルずつ、特別に加算されますから、着替えを購入してくださいね。コンピュータは左上にある赤いボタンを押すと、セッションが開けます。あとはメニュー画面に従って、キーボードを使って入力してください。とりあえず、あなたがたの帰還が可能かどうかはっきりするまで、この部屋があなたがたの家です。あなたがたが出かけている間に、ミニキッチンスペースに調理器とドリンクメイカーを設置してもらいましたから、自由に使って結構ですよ。カップも人数分と、予備を二つほど準備しました」
 女史は実際にキッチンスペースへ行き、新しく設置されたものを僕らに示したあと、再び僕ら一人一人順番に目を合わせながら、説明を続けた。
「ただランドリーマシンはここに設置出来ませんから、洗濯はランドリーサービスに依頼してください。端末の横にある緑のボタンを押して、31と入力すれば係の者が箱を持って来ますので、その中に必要な洗濯物を入れてください。十二時間で処理をして、部屋に返却されます。食事は前日に、翌日の分を予約できます。当日でも大丈夫ですが、配達までに少し時間がかかりますので、前日までに注文しておいた方が確実ですよ。今日の分まではこちらで用意しますから、明日からの分は、各自でお願いしますね」
「はい」僕らは一斉に頷いた。
「科学者たちの結論が出るまでの間、あなたがたの行動は自由です」
 シンプソン女史は笑顔を浮かべ、そう宣言した。「このドアも内側から開けることが出来るように切り替えてもらいましたから、好きな時に建物の外へ出てもかまいませんし、娯楽施設を利用しても結構です。第一ビルの十五階にある、一般用図書館も使ってもかまいません。十階と二五階に、連絡通路があります。ジムはこの建物の、地下二階にあります。みなさんそれぞれの健康維持プログラムができていますから、それを毎日やってください。市民たちはたいてい、トレーニングマシンをリースしているのですが、ここではできないので、ジムに行く必要があります。第一、第二ビル内にもありますので、そちらを利用してもかまいませんが、毎日やってくださいね。二十分程度で終わりますので」
「はい……」
「最後にこれを、みなさんにお渡しします」
 シンプソン女史は細いブレスレットのようなものを、僕たちめいめいに渡した。水色の、シリコンのような素材で、銀色の字で名前がフルネームで刻まれ、真ん中に小さな銀色のチップがついている。
「もしここに留まることになったら、正式なIDリングをお渡ししますが、それまではこのIDブレスレットをつけていてください。ここでも十六歳以下の人々は、成長途上でサイズも変わるので、このブレスレットをつけているのですが、それと同じものです。はめるのは左右どちらでも構いません。IDチップが甲側の中央に来るようにお願いします」
 僕らがみな、それぞれブレスレットをつけるのを見守ったのち、「それでは、また、会いましょう」と告げて、シンプソン女史は部屋を出ていった。その笑顔はにこやかだが、少し疲れているようで、足取りも重くなっているようだ。午後いっぱい街を歩き回って、大変だったに違いない。
「どうも、ありがとうございました」
 僕らは部屋のソファに戻った。でも、これから何をしていいのか。ここへ来て一週間、言われるままにあっちこっちとひっぱり回され、ほとんどの時間を面接や研究にとられていたけれど、急にこれから自由行動ですと言われても戸惑う。それにじっとしていると、どうしても余計なことばかり考えてしまう。僕らは帰れるのか、本当に僕らの世界はあと十一年で終わるのか。考えたくないこの二大疑問だけに、気持ちがとらわれてしまう。休息はありがたくない。みんなも同じ思いだったようだ。

 コンピュータとのセッションを開いてみた。一般家庭で見たものはデスクトップ型というか、モニターの前にキーボードがあるが、ここにあるものは、モニター画面というか、端末本体は壁に備え付けられたキャビネットの中にテレビのように設置され、ワイアレスの小さなキーボードが、その下の棚に置いてあった。それは持ち運び可能なので、ソファに座って、ちょうどテレビのリモコンのように、操作することができる。
 ボタンを押すと、最初にIDとパスワードの入力画面が現われる。教えてもらったIDを打ち込み、適当なパスワードを入れると、[このパスワードに設定しますか]という画面になるので、OKを押すと、画面が開いて、メニューがあらわれた。

1・物品購入  2・行政Q&A   3・放送   4・旅行  5・その他

 まずは1を押し、最初に明日の食事の予約をした。朝食は一種類しかないが、昼食と夕食はそれぞれ三種類のメニューから選べる。飲み物も頼むことが出来る。クッキーやスナック、果物もあった。これはお茶の時間用だろう。それから、着替えを一組購入した。下着だけはもともと二組あるので、それ以外ものを。就寝着、靴、ズボン、それから上着。最初に支給された上着が均一サイズだったのは、僕らの色の好みがわからなかったからどれでも選べるように、という配慮だったらしい。自分で購入するのは、十二くらいのサイズから選べた。デザインも襟付きやポケット付き、カフス付きなど、いくぶんかのバリエーションがある。どれも無地だが、色も十五種類くらいあった。僕はこの冴えない色のブラウスに飽き飽きしていたので、思い切って赤い上着を注文した。胸元からアンダーシャツが見えるのも気になるから、襟付きで。
 精算時に、IDリング認証がある。でも、僕らにはリングはない。それがもらえるのは、シンプソン女史の説明によると、僕らが正式な市民になったら――つまり、ずっとここに留まることが決定したらだ。僕は、たぶん他のみなもそうだろうが、それがもらえる日が永遠に来ないことを願いたい。IDリングの認証センサーは画面の左横についていて、認証プロセスになると、青く光る。そこにリングを触れさせるらしいが、僕らはシンプソン女史にもらったブレスレットのチップを触れさせる。それで認証完了だ。購入が終わると、画面には残高が表示される。
 そう言えば、リングに紛失や盗難の心配はないのだろうかと、見学時にシンプソン女史に聞いたら、外すこと自体、ほぼないらしい。万が一外れたら、かなり大きなアラームが鳴るという。盗難の心配もない。この世界には犯罪がないから。ブレスレットはチップの情報だけを参照するが(もともと子供用なので、そこまで厳密ではないのだろう)、リングの認証は、その中に記された情報だけでなく、その近辺の血管パターンも見るという。犯罪はないから盗難の心配はないと言っても、将来もその保証はないから、ダブルチェックになっているのだろうか。そう聞いてみたら、シンプソン女史はちょっと微妙な顔で、「そうですね。たぶんそうなのでしょう。必要はないと思いますが」と答えていた。
 一人が注文を終えると、いったんセッションを終わらせ、次の人が同じようにする。それが煩雑だけれど、とりあえず六人とも、最初の購入手続きが終わった。最初の服の地味さの反動からか、みんなも結構鮮やかな色を取り寄せている。エアリィが濃いスカイブルーでロビンがエメラルドグリーン、ジョージはカナリアイエロー、僕がクリムゾンレッド、ミックは濃いラベンダー色だ。こんなばらばらの原色でステージに出たら、照明係から文句が来そうな代物だ。ロブだけは、落ち着いたチャコールグレイを取り寄せていたが。
 注文して十五分もたたないうちに、丸っこい形の配送ロボットが、荷物が積みあがったカートを押して、部屋に届けてくれた。この日の夕食と、明日の食事、飲み物やおやつも一緒だ。明日の分は専用ボックスに入っている。見てみると、一食分ずつトレーの上に真空パックされているような感じだ。これをトレーごと、調理器に入れて温めるらしい。一人分ずつ別のボックスで、上から朝食、昼食、夕食、と入っている。その横に注文した飲み物がセットされ、一番上にクッキーや果物、ポテトチップスなどがある。飲み物は、ここではアルコール類はほとんどなく、ミネラルウォーター、炭酸水、果物ジュース、野菜ジュース、果物ジュースをミネラルウォーターで薄めて甘くした、いわゆる普通のジュースに近いものと、それに炭酸を入れたもの、ミネラルウォーターに少し果汁を入れて甘くしたフレイバーウォーター、アイスティーとアイスコーヒー、豆乳がフルーツ味とコーヒー味、そしてプレーン。豆乳を牛乳っぽく加工したミルク、そのくらいしか種類がない。コーラもジンジャーエールもなかった。近いのはレモンソーダくらいか。飲み物は冷やされているから、このボックス自体に冷蔵機能がついているか、少なくとも保温機能があるらしい。食べ終わった後のトレーや食器、ドリンクのボトルはボックスの中に戻しておけば、翌日の分と入れ替わりに回収されるということだった。
 とりあえずそれは明日分なので、普通に届けられた夕食をとり、キッチンスペースの台に設置されたドリンクメイカーで、飲み物を作って飲んだ。ここの水道水は普通に飲めるようで、それをタンクに入れて種類を選べば、コーヒー、紅茶、ハーブティーが作れる。砂糖やミルクもオプションで追加してくれる。ハーブはどういうブレンドで何が入っているのかはわからないが、エアリィが飲んで言うには、カモミールとレモングラス、ルイボスとミント、それにローズマリーのブレンドらしい。ごちゃまぜだ。彼も「なんか適当に突っ込んだ感じだけど」と、ちょっと妙な顔をしていた。僕はコーヒーにしておいてよかった。流し台の横には小さな食器洗い機も設置されていたので、そこに使ったカップを入れて洗った。

 夕食の後、僕らは交代でシャワーを浴びて、さっそく新しい服に着替えた。下着類と靴下は二枚あったので、洗面所で洗ってベッドスペースに干していたが(僕は今までやったことがなく、ジョージやミック、ロビンも同様だったらしいが、ミュージシャンとしてロードに出るようになって以来、必要な技術として覚えた。さすがに自分の下着までロブやエアリィにやってもらうのは、抵抗があったので――やり方は教えてもらったけれど)、他は一週間ずっと同じものを着ているのが、かなり気になっていたから。今まで着ていた服は、ついでに下着類も含め、早速ランドリーサービスに出した。
 僕たちは再びコンピュータに向かった。最初のメニューを出して、今度は3を押す。放送プログラムだ。

 1・ニュース  2・教養   3・ドラマ  4・子供用カリキュラム   5・音楽  6・その他

 まず一を押してみた。画面が変化し、いくつかの見出しがずらっと並ぶ。その筆頭は、【不可能を越えて。旧世界からの、時の旅行者】だ。そういえば最初にアンダーソン市長の部屋を出てから今までずっと、直径十センチほどの白くて丸いボールのようなものが、僕らの周りを浮遊していた。さすがにこの部屋まではついてこないものの、部屋を出るとまた、どこからともなく現われる。ゴールドマン博士との面接中に一度、これはなんですかと聞いたら、『カメラだよ。放送センターで遠隔操作しているんだ』という答えだった。それで撮られていたわけか。
 試しに番組を見てみると、僕たちが科学者たちと面接をしているところ、テストを受けているところ、さらには今日行ったばかりの街案内まで映されていた。
『彼らは驚いているようです。無理もありませんね』なんていう間の抜けた解説をつけられて、苦笑するしかない。あまりじっくり見る気はしないけれど、他のニュースはこれといって目だったものはなかった。考えてみれば犯罪もないし気象変化もないこの時代では、いわゆる人間的興味をかき立てるような、おもしろいニュースなんて、あるはずがないのかもしれない。
 僕らのニュース以外に目にとまった大きなものは、NA二百六十年、つまり十二年先の五月に五番目の都市シカゴが復興する予定でなので、移住希望者は住居管理局まで、というものだけだった。ニューススタジオの背景には、青い壁に鮮やかな白い文字でこんな文字が書かれていた。
【フロンティアを目指しましょう。新たな街を、ともに築くために】
 一般の、つまり普通の市民たちの出生や死亡、結婚や離婚(めったにないけれど、結婚契約解消と言うらしい)、教育課程に入ったとか終了した、さらに病気やけがのインフォメーションまでニュースになっていた。人が少ないから、こんなことさえニュースになってしまうのだろう。まるでサークルのミニコミ誌か、昔の田舎新聞のようだ。
 次に「ドラマ」を選んでみた。ホームドラマが多い。呆れるくらい暴力や殺人といった血なまぐささがなく、ついでにお色気もない。そういう要素はなくても、面白いドラマはいくらでも作れるだろうとは思う。でも、残念ながらここのドラマ制作班のスタッフには、そういう才覚はないようだ。普通の暮らしをしている善意の人々。出てくる人たちも善人ばかり。そこに、どんなドラマが期待できるだろう。参考までに見たものを言っておくと、まるで小学生のような恋愛ドラマが一本と、家族の和を描いたホームドラマが二本、都市開発の物語が一本。すべてCGだ。人物の動きや表情、背景などみんな結構リアルで、アニメと実写の中間のような感じがするけれど、やっぱり作り物という感じが抜けず、その世界にのめり込むことが出来ない。ビデオゲームの画面でも見ているようだ。ストーリーそのものも、ひどく凡庸だ。ディズニーアニメなどのリバイバル・チャンネルだけが唯一まともだと思えたけれど、やっぱり子供っぽすぎる感が拭えない。それは他のみなも同じようだった。
 最後に「音楽」を選んでみた。一応プロのミュージシャンとして、この時代の人はどんな音楽を聴いているのか、知りたかったこともある。でも、プログラムの選択ジャンルが「クラシック」「ジャズ」「フォークロア」「カントリーウェスタン」、そして「ポップス」しかない。「ロック」は、どこへいったんだ!
 文句を言っても仕方がないので、順々に聴いてみた。クラシックやジャズは、あまり数はないけれど昔の音源をそのまま使用したものと、シンセサイザーの自動演奏とがある。おそらく昔の音源のものは音源ファイルが残っていて、そのまま移行されたようだ。それはまあ、ジャンルそのものが楽しめれば、良いだろうと思う。でも自動演奏の方は、まるでクラシカル・プログレのように響く。ジャズはトランペットやサックスなどの独特なノリが消えてしまって、気が抜けた感じだ。父はジャズの愛好家だけれど、僕はそんなに興味のないジャンルだし。それにしても、この世界の人たちは、自分で楽器を演奏しないのだろうか。プログラムの音楽はすべて打ち込みやサンプリングを使ったコンピュータ演奏だった。
 「ポップス」は、さらにひどかった。曲名一覧が現れるけれど、知らない曲ばかりだ。適当に選択すると、画面に歌手が現れて歌うのだけれど、この歌手たちはみんなヴァーチャル・シンガー、つまり、コンピュータプログラムが作り出した歌手たちだ。ブルネット、ブロンド、茶色の髪、さらにはオレンジや赤、緑の髪の人までいる。目の色もタイプや印象も様々で、コスチュームも違う男女十二人。ドラマと同じようなCGで、実写とアニメの中間という感じは同じだ。僕らの時代でも、ヴァーチャル歌手というのはいないこともなかったけれど、全員がヴァーチャルというのは勘弁してほしい。もともと僕は、ヴァーチャル歌手は大嫌いだ。あの感情も何もない機械的なノリは、どこがいいのかさっぱりわからない。しかも声もコンピュータの合成ヴォイスで、伴奏も他の音楽と同じく自動演奏だ。それに、歌詞もメロディもいろいろなモチーフを適当につぎはぎして作ったような印象を受けた。フォークロアとカントリーウェスタンも嫌いなジャンルながら一応聞いてみたけれど、まったく同じようだ。
 あとでこの印象は、正解だったことがわかった。ここでも人間の作詞家や作曲家、放送作家といった人たちは、一応存在しているらしい。ただ、制作手段は大幅にコンピュータの助けを借りていて、たとえば作曲では正音階のモチーフなどのパターンが数百くらい記録された中から、色々と組み合わせて調整をしているという。多少は自分で付け足す余地もあるのだろうけれど、これでは音楽は感情の産物とは言えないと思う。演奏するのもすべてコンピュータなので、そこに自分の感情が入る余地など、ほとんどありはしない。あまりに機械的すぎて、嫌悪感さえ覚えた。
「ここじゃ、俺たちみたいな音楽ってないんだな」ジョージが首を振り、ため息をつく。
「もし、ここにいなければならないとしたら……そんなことは考えたくないけれど……このままミュージシャンというのは、出来そうにないかも知れないね」ミックが苦笑した。
「どうして? 結構新鮮だから、ウケるかも知れないよ」エアリィは少し納得いかなげに、そう主張する。
「まあ、おまえなんかは、そのままいけるかも知れないな。リアル・シンガー、なんてさ」僕はちょっと肩をすくめた。
「ええ! 僕もヴァーチャルだと思われそう」
「おまえはニュースで知られてるから、ヴァーチャルとは思われないだろう。明らかにCGじゃないしな」ジョージが肩をすくめ、エアリィは切り返す。
「それだったら、みんなもそうじゃないか。ヴァーチャルじゃないリアルバンド、やろうよ、今までみたいに……まあ、そんな仮定、ありがたくないけど」
「本当にな。そんなことは考えたくない」
 僕は頷いた。同時に何人かがため息をついた。
 放送プログラムは、すぐに誰も見なくなった。あまりにも刺激がなさ過ぎて、BGMにすらならない。かえってイライラしそうになってしまうからだ。それは僕だけの意見ではないのは、明らかだった。

 中央庁舎の区画は、円形都市の中心部にある。ここから周辺部の住宅地区や工場地区に向かって、幅十メートルほどの道路が、放射状に十二本のびている。横の移動を受け持つ環状道路は、ほぼ百メートルの間隔であった。すべての道の両側には、十メートルくらいの間隔でポプラや楓の木が植えられ、その間にゼラニウムやパンジー、スノーポールなどのフラワーポットが置かれている。両側に手すりがついた動く歩道、ここではオートレーンと呼ばれるものがあり(左側通行で、道路の両側に一本ずつある)、その外側に幅二メートル弱の歩道がある。オートレーンは交差点からしか乗れないので、とりあえずそこまでは歩いていく必要があるからだ。二本のオートレーンの間は、幅五ートルほどの普通の道になっているので、ここを歩くこともできる。歩いている人は、ほとんど見たことがないが。道はすべて、歩行者専用だ。車はどうしているのかと言うと、道路の上を飛んでいる。歩いていると時々ふっと影が射すことがあって、見上げるとエアカー(ここではエアロカーというのが正式名称らしい)が、上空十数メートルの高さを、ひゅーっと飛んでいく。たまに赤、白、青や緑のプライベート用も見るけれど、行政用の薄い黄色やシルバーの車が多い。でも圧倒的に多いのは、物資配達用のグレーの貨物車で、運転席に乗っているのは配送用ロボットだ。一人乗りの、自転車やバイクのエアカー版もあって、たまにそれが飛んでいくのも見る。
 僕らの滞在している第三庁舎ビルから歩いて外へ出ると、数分で官庁街を抜けて、公園に着く。中央区をとり囲むような形で、二百メートルくらいの幅で円形に広がっているこの公園は、真ん中に二五メートルくらいの幅で、プロムナードが通っている。中央区から伸びる放射道路には動く歩道がついているけれど、プロムナード部分にはない。道や花壇の部分以外は、一面芝生におおわれていた。季節は十一月でも気温はいつも春のようで、花壇にはチューリップやパンジー、カーネーション、水仙やアネモネなどの花が満開だ。噴水近くのバラ園も花盛りだった。
 さまざまな色の大輪のバラを見ているうちに、僕は奇妙なことに気付いた。バラの花には刺がある。それが僕らの時代の常識だ。でも、このバラには刺が一本もない。それに、どんなに研究を重ねても事実上不可能だと思われていた青いバラ、それもはっきりした青い色のバラまで咲いている。もう何があっても驚かないぞと思ったにもかかわらず、紛れもない濃い空色の大輪のばらがいくつも咲いているのを見た時には、さすがに軽い驚きにみまわれた。
 園内にはポプラや楢、楓などの樹木もかなりあって、本来なら紅葉がきれいなはずだけれど、気温差がないためか、さえない茶色とくすんだ緑の中間のような色になっている。そうするとここの人たちは、紅葉も知らないのか。芝生も青くはないが、茶色という感じでもない。植物はこの、日照は少ないが気温は高いという状態に戸惑っているかもしれない――そんなようにも感じた。芝生も花壇も木々も手入れが行き届いているようで、ちり一つなく清められた広いプロムナードには、白い合成樹脂でできた座り心地の良いベンチが、十メートルほどの間隔をおいて設置されていた。
 僕たちの時代、公園には多くの人が集まっていた。子供たちが遊び、恋人たちは散策し、犬の散歩にきている人も少なくない。でも、ここでは数えるほどの人しか出会わない。プロムナードを一周して、ベンチに座っている人の数を数えても、全部で十数人。隣の人と静かに話をしている人もいれば、小型のタブレット端末で本を読んでいる人、眠っている人もいる。歩いている人も、同じくらいの少なさだ。芝生に座っている人は、一人もいない。僕らが通ったことに気づいた人はみな、興味深げにこっちを見、目が合えば礼儀正しく目礼してくれるけれど、だれも話し掛けてはこなかった。そのあと住宅街へ入っていったけれど、ここはますます閑散としている。遊んでいる子供もいなければ、立ち話をしている大人もいない。『外へ出れば他者と交流できる』とシンプソン女史は言っていたけれど、本当にそうだろうかと思いたくなってくる。
 それにしても、人が少ない街だ。ここが本当にニューヨークだなんて、信じられない。僕の知っているニューヨークは、人の肩と肩が触れ合うほど、おびただしい人が行き交う大都会だ。それなのにこの街では、人にあまり出会わない。元の人口が極端に少ないからかもしれないけれど、それにしても半径二キロ半ほどの小さな都市なのに。ここの人たちは、あまり外へ行かないのだろうか? なんて静かな街なんだろう。まるで眠っているようだ。店も一つもないし、おもしろそうなものは何もない。ここにもし暮らすなどということになったら、退屈であくびが出るか、さもなければイライラするだろう、そう思えてしまう。穏やかで平和で静かすぎるというのも、なんだかあまり好きにはなれそうもない――ここへ来た時から感じていたそんな印象を、僕はこの時強く感じた。
 ふと母が昔好きだったという、ジョン・レノンの曲を思い出した。『Imagine』

  国境のない世界を想像してごらん
  そこでは誰も飢えず、貪欲にもならず
  すべての人が愛し合い、平和に暮らしている
  そんな世界を想像してごらん

 ここは、まさにそのものだ。世界は一つになり、争いももめごとすらない。暇も物質も十分すぎるほど充ち溢れているし、気温も湿度も快適に調整されていて、僕たちの時代より、たしかに格段に暮らしやすい。でも、これが理想の社会なのだろうか――本当に。今は問題がなくとも、これから何百年とたっても、こんな穏やかで眠ったような平和が、ずっと続くのだろうか?

 放送プログラムはつまらないし、街にはほとんど遊ぶところもない。ゲームセンターや映画館はおろか、店すらないのだから当然だ。博物館や資料館は一、二回行けば充分だという感じだし、遊園地は子供っぽすぎる。公園は閑散としすぎているし、唯一プールだけは良いと思うけれど、泳いでばかりもいられない。図書館には昔の文献もあるけれど、読書ばかりでも飽きてしまう。何か面白いことはないだろうか――そう思いかけていたころ、僕たちは妙案を思いついた。
 ここでは市民一人一人に、健康維持プログラムが作られ、運動日課が課せられる。トレーニングマシンは、家庭用にすべての運動に対応できる機種があって、それの購入やレンタルができるようなので、普通の人たちは家でやっている場合が多いらしい。でも、僕たちはジムに行ってやるしかない。渡り廊下で他のビルに行くよりはと、いつも同じビルの地下二階を利用していて、昼食後少し食休みをしてから行くのが、日課になっている。
 ジムの入り口には受付の機械があり、リングやブレスレットでID認証をすると、カードが出てきて、同時にディスプレイには、最初に行くべきマシンが表示されている。そこへ行き、カードを差し込むと、マシンが動き出す。時間が来れば止まる。そしてディスプレイ部に次が表示される。すべて終了すると、『お疲れさまでした』と出てくる。再び受付マシンにカードを差し込むと、そこで回収される。そんな感じだ。
 僕のメニューはランニング五分、ストレッチ三分、体幹三分、ウエイトトレーニング三分のコースだ。ただし、どれもぬるい。とんでもなくぬるい。ランニングは歩いているのかと思うくらいのスピードだし、他のプログラムも、汗すらかかないくらいゆるい。短いだけ救いだが、やっぱり飽きてくる。音楽でも欲しいところだが、ジム全体に流れている、ゆるい雰囲気の、たぶんクラシック系だろうと思う、しかも電子音のBGMしかない。レストランや病院じゃないんだから、と思ったが、文句を言ってもしかたがない。
 他のメンバーもメニューはそう変わりないようだけれど、人によって時間は異なる。ロビンとエアリィにはウエイトトレーニングはなく、前者はバランス訓練、後者はダンスのような敏捷性訓練をやっている。ミックは体形のせいか、トレーニング時間が僕らより少し長い。そのへんの違いがあるだけだ。
 たぶん自由時間になってから、三日目くらいのことだろう。その日課で決められた運動をしながら、誰からともなく思いついた。運動! これだ! 身体を動かしていれば楽しいし、あまり余計なことを考えずにすむ。プールもその点良いけれど、他にも何かスポーツが出来ないだろうか。公園の敷地は広いのだし、芝生も自由に立ち入っていいのだから、道具さえあれば――。
 シンプソン女史にその旨を問い合わせ(何か要望があったら彼女を通じて連絡してほしいと、連作先を教えてくれていた)、教えてもらった管理者に連絡をとって、交渉した。驚いたことに、この時代では、ほとんど競技スポーツはやっていないらしい。競争心がすぎると危険かもしれないから、あまり推奨していないのだという。
「普通の人はやってないけれど、禁止というわけじゃないんですよね」と、僕らは食い下がった。
「はっきりと禁止はしていませんけれどね。あなたたちがやりたいのなら、やって結構ですよ。道具は資料館にありますから。ただし、できるだけ壊さないでくださいね。修理はできますけれど、なにぶんにも古いので」担当者は渋々という感じだが、最後には頷いてくれた。
 資料館に行くと、なるほど道具がある。いろいろな種類のボール、テニスや卓球、バドミントンのラケット、野球のバットやグローブ、クリケットの道具、ゴルフのクラブ、スキーの板とストック、スケート靴、サーフボードやローラースケート、インラインスケートに、スケートボードまであった。バスケットのゴールポストやサッカーのゴール、野球で使うベース、バレーやテニスのネットといった大道具は展示室にはなく、倉庫の方に入っている。
 道具は揃っているのだから、一応はいろいろなスポーツがやろうと思えば出来た。でも僕らは六人しかいないから、できるものは限られる。サッカーや野球には人数が足りない。
 僕たちは大道具を担いで、公園でスリー・オン・スリーのバスケットやバレーボール、それからテニスもやった。エアリィは時々プロムナードでスケートボードの曲芸を披露していたし、ジョージと僕も、時々ローラースケートで滑った。でも、このプロムナードは地面がつるつるしすぎて、少々やりにくい。それにヘルメットやガードギアはないから、転ぶと怪我をしそうな気がして、僕はおとなしく普通に滑っただけだ。

 それから昼間は公園でスポーツを楽しみ、夜は図書館で僕らの時代の小説を読んで過ごした。公園でのスポーツは最初僕たちだけが楽しんでいたが、二日三日とたつうちに、だんだん見物人が増えてきた。僕らの周りを浮遊し続けているボール――放送メディアのカメラが捕らえたスポーツ映像が、ここの人たちの興味を引いたのだと後でわかったが、三日目には二十〜三十人、それが四日目の午後には五十人を超えるほどになった。五日目の午前中には、さらに百人近くにまで増えた。
 その日、バスケットボールを見物していた人たちの一人が、何をやっているのかと聞いてきた。大雑把に説明すると、彼らは半ば感心したように聞き、それからは熱心に応援してくれた。得点すると、拍手さえしてくれる。午後からやったバレーボールでも、たくさんの見物人たちが、熱心な様子で僕らを見守っていた。
 僕たちがその後休憩して芝生の上に座り、部屋から持ち出してきた飲み物を飲みながら話している時になっても、見物人たちはあまり帰ろうとせず、僕らの周りを取り巻いて見ていた。話しかけたそうな感じではあるが、遠慮しているのだろうか。僕らから話してみようか、でもちょっと勇気がいるな――と思ったところで、エアリィが立ち上がり、彼らに向かって手を振りながら、声をかけた。
「こんにちは! ねえ、みんなもやってみない?」
 そうきたか。こんなことを言い出すのは、僕らの中では彼くらいだろう。僕には考えつかなかったが、面白いかもしれない。向こうが乗ってくれれば――。
 見物客たちは驚いたような表情で、しばらくお互いに顔を見合わせていたが、やがて一人の若者が、「あ、では、やってみたいです」と、前に出てきた。それに勇気づけられるように、さらに三人ほどが(二人は若く、そのうちの一人は女性で、三人目は中年のおじさんだった)おずおずとした感じながら、前に出てきた。
 そこで僕たちは彼らに、まずマンツーマンでボールの返し方を教え、緩いボールならなんとか打ち返せるようになったところで、新世界側からの参加者四人を交えて、円陣バレーをした。慣れていない四人は失敗も多かったが、打ち返せなくとも、声をかけ、お互いに笑いながら、和やかに遊ぶことができた。その間に見物客たちもますます増えていき、さらに「私にも教えてください」と、新たな参加者が五人ほど増え、最後は二組に分かれての円陣バレーから、お互いに球を打ち合うゲームのようなこともやった。僕ら側はスパイク禁止、強いボールも禁止、という相当にゆるいルールだったが、超初心者相手なのだから、それは仕方がない。そして結果的に、みな楽しむことができたようだった。「ありがとうございました! 楽しかったです」と、晴れやかに帰っていった参加者たちの顔は、街で見かけた姿より、はるかに生気にあふれて見えた。
 翌日の午前中もまたバレーボールをやってみたが、この時の参加者は昨日の倍ほどいた。最後は六対十八人の試合もできた。相変わらず僕ら側はスパイク禁止、強いボールNGだったけれど。午後の三時ごろから始めたバスケットボールでも、十七人ほどの参加者が楽しんでくれたようだった。
「この調子だと、サッカーや野球が出来る日も近いな」そんな甘い期待すら、湧いてきたほどだ。




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