The Sacred Mother - Part1 The New World

第二章   異邦人(1)




 僕は目が覚めた。ハンドルに腕をかけ、その上に頭をもたせかけた姿勢で。ゆっくりと身体を起こしてみる。頭と胸が痛いけれど、我慢できないというほどでもない。打撲だけだろう。後ろに積んであった機材はけっこう崩れていて、細かいものは床に落ちたり、前の座席に飛んできたりしている。
 気を失っていたらしい他の五人も次々に意識を戻したようで、周りを見回していた。みんな、ほとんどケガはしていないようだ。
「なんだ、なんだよ。やっと、またうとうとしていたのに。どうしたんだよ。何かにぶつかったのか?」ジョージが口火を切って、ロブとミックも後に続く。
「いったい、何があったんだ? 事故なのか?」
「すごい衝撃を感じたけれど……何にぶつかったんだろう」
「何かにぶつかったんじゃないよ。光のトンネルをくぐったんだ!」
 僕は首を振った。声が少しうわずるのを感じた。「急にその中に吸い込まれたんだ。中から赤い車が宙を飛んできて……僕たちがそこに乗ってたんだ。本当だよ! 僕は見たんだ!」
「なんだって、ジャスティン? そんなわけはないだろ」ジョージは身を乗り出し、なだめるように僕の肩をポンポンと叩いた。「きっとショックで気が動転したんだろうさ」
「でも、兄さん……僕も……見たんだ……」
 ロビンが首を振りながら、擦れた声でそう主張している。
「うん……僕も見た」エアリィも少し戸惑ったような表情で、頷いていた。
「一瞬、ブラックホールにでもつっこんだみたい、って気がしちゃったな。ブラックホールが光るって、変だけど。あの赤い車、どこから入ってきたのかな」
「それは、わからないけど……ともかく、あの車に僕らが乗ってたろ? 見なかったか?」
「う……ん」
「見た。一瞬、あれ? 鏡?って思った。でも、このワゴンは二人三列だけど、あの車は三人二列だね、シート。運転席が真ん中にあって、ジャスティンが運転してて、ロビンと僕が隣にいて、後ろにジョージとミックとロブ……だから、かなり丸くて平べったい感じで、タイヤがなくて、まんまエアカーみたいだった」
「よく一瞬で、そこまで見られたな」僕は肩をすくめた。エアリィはいろいろと人間離れした能力の持ち主だから、動体視力もものすごいのかもしれないと思いながら。
「まあ……たぶん、鏡効果なんだろうな。他に説明のつけようがない」
 ロブが小さく咳払いをし、首を振った。「自分たちが乗っているように見えたのは、一瞬向こうに映ったものを、見間違えたに違いない。光を感じたというのも、相手の車のヘッドライトだろう。それにしても……赤い暴走車か。おまえたちがこのツアーの代役をやることになったのも、サイレントハートのツアーバスが、この近辺で赤い暴走車に接触されて、事故を起こしたからなんだな。しかも相手の車は逃げ去って、どこへ行ったか皆目わからないときている」
「まるで、陸のヴァンダーヴィッケン(伝説のさまよえる船の幽霊)だね。事故を呼ぶ赤い車なんて」と、ミックが苦笑したような笑いを浮かべ、
「ひょっとして、去年のスィフターの事故も、その車のやつかな?」と、ジョージは首をひねっている。
「いいや。あの時は……単独だ。車らしいものは何もなかった。光だけだったようだ……」ロブが重い口調で言い、追憶を振り切るように頭を振って続けた。「とりあえず機材を積みなおして、もう一度出発しよう。みんな、どこもけがはないな」
「ないよ、大丈夫」僕たちは一斉に頷くと、前の方に飛んできたエフェクターやペダルボード、コード類を拾って戻し、横になったり崩れたりしたケースを、元の状態に直した。
 僕は運転席に戻った。いつのまにかエンジンが止まっていたので、キーを回し、アクセルをふかして、もう一度かける。ハンドルに手をかけ、フロントガラスに目をやった。
「あれ?」
 思わず目を見張った。ロードランプの光が、どこにもない。あたり一面、漆黒の闇だ。
「道がなくなっているよ!」
「なんだって?」ロブが窓を上げ、外を見た。さぐるような視線で見つめたあと、頭を振りながら、ゆっくりと車から降りていく。まもなく、あわただしげに呼ぶ声が聞こえた。「おーい。みんな降りてこい! なんだか少し変だぞ」

 ステップから地面に足が着いた時、草の感触がした。かなり深い。膝まで届きそうなくらい、たっぷり伸びている草むらだ。手で触ってみると少しごわごわしている。たぶん今の季節だから、枯れかかっているのだろう。でも、なぜ草むらなのか。車ごと高速道路から下へ落ちてしまったのだろうか? でももしそうなら、僕たち全員がこんな状態でいられるなんて、奇跡としか言いようがない。それにハイウェイから落ちたなら、すぐそばに道路の橋下駄と街灯の光くらいは見えるはずだ。でも、ここには本当に何もなかった。どこを見回してみても、見えるのはただ闇ばかりだ。空には星の洪水とでも形容するほかはないくらい、無数の星が瞬いている。月は出ていない。フロントライトが照らしている地面には、一面深い草が茂っているのが見える。
 闇に目が慣れてくると、僕たちを取り巻いているのは、この広そうな草原だけだということがわかってきた。晩秋の冷たい風が吹き抜けていくと、さあっーと草の鳴る音がどこまでも響いて聞こえてくる。ときおり虫の鳴き声がする。他には何の音もない。恐怖が湧き上がってくるのを感じた。自分の理解できないことに出会った時に感じる、畏怖にも似た強い恐れと不安。もしやここは、冥界の入り口ではないだろうか? 僕たちはみんな事故にあって死んでしまい、死者の国にいるのかもしれない──そんな途方もない考えが心に浮かんできた。誰も、何も言わなかった。たぶん同じ恐れを感じているのだろう。

 やがて、空が明るくなってきた。夜明けが近づいてきたらしい。思わず小さな安堵のため息が漏れた。こんな広大な暗闇に立っているのが、耐えられなくなってきたところだったから。でも不思議だ。時計を見たら、まだ三時半過ぎだ。この季節の夜明けは、もっとずっと遅いはずだ。それでも、夜は明けていく。地平線にゆっくりと太陽が昇り、僕らが立っている場所を、はっきりと映し出してくれた。
 見渡す限り草の海。所々に木が見えるほかは、茶色の枯れかけた草が、毛足の長い絨毯のように、風になびいている。東西南北、どこを見てもそれだけだ。茶色の平原に広大な円を描いて、地平線が取り巻いていた。空は薄墨色から紫へ、さらにゆっくりと明るい青へと変わっていく。
「ここは‥……いったい、どこだ……?」ジョージが擦れた声で言った。でも、その問いには誰も答えられないようだ。
「まるでここって、マインズデールのランカスター草原を大きくしたみたいだ」エアリィがまわりを見回しながら、小さく首を振った。「こんなに広かないけど。すごいな、この草。伸び放題伸びてる。通り道もないなんて」
「きっと、長いこと人が入ったことがないんだろうね」ミックの声は、普段とは少し変わったように響いた。彼は呟くように続けた。「だけど……ここは本当に、どこなんだろう?」
「それは、俺が知りたいぜ!」ジョージは、いくぶんヒステリックな口調になっていた。「俺たちは九五号線を走っていたわけだろ? 事故にあったらしいのはわかるぜ。だけどなんでいきなり、こんなところにいるんだ? 道はどうした? 農場や家はどこにある? いくら田舎だって、高速のまわりが草原しかないなんてことはないぜ。そもそもここはアメリカ東部のはずだろ。プレーリーじゃない。俺たちは、あの世にでもきちまったのか?」
「あの世ってこと、ないと思うなあ。お迎えもこないし、ニアデス体験の話とも違うようだし。もうちょっと天国ってきれいなはずだよ。草じゃなくて、花畑とか。草原なら、もうちょっと青々しててほしかったな」エアリィがしゃがみこみ、乾いた草に手を触れながら言ったが、冗談なのか本気なのかわからない意見だ。
「十一月だからな。それに川もないし」僕もつられて首を傾げてしまった。
「じゃあ、なんだよ!」ジョージが半ば怒ったように問いかける。
「うーん、夢の中、って可能性もちょっとあるけど……どうかなぁ」
 エアリィは首を傾げ、ちょっと考え込むように黙った後、小さく肩をすくめた。「説明のつかないことって、そういうパターン多いけど。目が覚めたらバスの中とか、病院のベッドの上とか。夢オチってやつだよね」
「おまえは、どうしてそう気楽なんだよ、エアリィ」僕は思わず苦笑した。「でも夢にしちゃ、なんだかリアルすぎないか。僕ら全員が同じ夢を見るのか? 今の僕らは……実体か?」
「さあ。みんなが同じ夢見てるかどうかって、夢ん中にいたら、わかんないし。起きてから聞いてみないと、無理じゃない? まあ、ともかく……連絡できるかな」
 エアリィはポケットから携帯電話を取り出して、画面に目をやった。「だめだ。圏外だぁ」
 僕も取り出して、画面を開いた。たしかに圏外だ。助けも呼べそうにない。他の四人も同じように一斉に携帯電話を出して眺め、当惑した表情を浮かべている。
「写真はとれるけど」エアリィは携帯をかざし、草原の写真を撮っていた。「でも、これだけだね。あとは無理だ。なんにもできないや。で、もしこれが夢だとしても、目も覚めない。連絡もできないってなると……僕らもここに立ってないで、何かした方がいい気がする。そしたらまた、先は変わるかもしれないし」
「そうだろうな、たしかに。ここにいても、助けは来そうにないしな……」ロブがうなるように言い、しばらく考えるように黙った。やがて気を取り直したように顔を上げ、僕らを見回す。「ともかく車に戻って、走ってみよう。壊れていないならばだが。コンパスがまともだったら、とりあえず北北東をめざして……ニューヨークがあるはずの方向へ行ってみるんだ。そうすれば、何かわかるかもしれない」

 ワゴンには新しい傷は、何もついていないようだった。太陽の方向から察するに、コンパスもどうやら壊れていない。僕らは車の中に戻り、ロブが運転して走りだした。だがずっと深い草むらを走っていくので、車体はがたがた悲鳴を上げ、揺れっぱなしだ。
「このワゴンって、四輪駆動だっけ? オフロード仕様?」
「そんなわけないだろ!」
「おまけに、もともとボロだしな。こんな走りをしていて、もつかな?」
「ともかくみんな、しっかり捕まっていたほうがいいよ。それに下手にしゃべると舌を噛むから、用がなければ黙っていたほうがいい」ミックが僕らを制した。
 それから僕たちは黙ったまま、がたぼこ揺られながら、草原を駆け抜けていった。せっかく積み直した機材も、また崩れ落ちてきている。でもこの揺れでは、何回積み直しても同じことだ。中身が壊れていないことを祈るしかない。
 どのくらい走り続けただろうか。僕の時計では、出発してから三時間近くが過ぎた。幸いロブから運転を交替する時、トイレ休憩をかねてガソリンスタンドで燃料を満タンにしたから、しばらくはもつはずだ。でも、景色はほとんど変わらない。頭の上には青い透明な空が広がり、地平線までずっと褐色の草原が続いている。一時間ほど走ったところで、遥か西の方に湖のようなものが見えた。途中、水の干上がった、川の跡らしいところも渡った。その風景のわずかな変化と、ときおり生えている木が、ようやく僕たちが動いていることを知らせてくれる。それがなかったら、同じところを空回りしているような気がしてしまうところだ。
 やがて東の地平線が水色に見え、そこから一、二分走ったところで急に地面が見えなくなった。ロブは叫び声をあげて急ブレーキを踏み、僕たちは一斉につんのめった。衝撃でドラムセットのケース――たぶんタムタムが前の座席まで吹っ飛んできて、さらにシンバルスタンドが、そしてギターかベースのケースが派手に倒れる音がした。ハードケースだからまだよかったが、本当に中身が心配になってきた。
 外へ出ると、目の前は海だった。東から北にかけて、少し灰色がかった青い海原がずっと広がっている。地面が急に落ち込んで垂直に切り立ち、三メートルほど下から、いきなり海になっている感じだ。みな、いっせいに車の中から持ってきた地図を覗き込み、そして目の前の景色を見ていた。ここに来た最初の地点が、光を見たところと同じなら――ボルチモアとフィラデルフィアの中間あたりからスタートし、北北東に針路を取っていて、こんなに早く海にぶつかるはずはない。それも、こんなに断崖絶壁の海なんて。
「地図は、あまり当てにならないということだな」ロブが腕組みをしながら、考えこむように首をひねった。「ともかく、海岸ぞいに走るしか、ないようだ。でも、こんなに急に海が切り立っていると、それも危険か」
「少し西に戻って、それから進路を戻して走ってみようよ」ミックが地図をにらみながら、そう提案する。
「じゃ、こっから僕が運転する!」エアリィが勢いよく、そんなことを言い出した。
「おまえ、まだ十四じゃないか。免許ないだろ」僕とジョージが同時に声を上げた。
「えー、でも、こんなとこに警察いないだろうし、無免許でも捕まらないと思うよ。それに、それいうならジャスティンだって、メリーランドで夜中に運転してたじゃないか」
「気づいてたか……でも、あれは無免許とは違うぞ」
「まあ、そうだけどさ。でも、僕だけずっと楽してて、ナビも回ってこなかったから、一回運転やってみたいんだ。ここなら平気だと思うし」
「遊びじゃないんだぞ、まったく」僕は苦笑したが、たしかにこんな場所では、無免許もなにも関係ないだろう。逆にパトカーに会った方が、ありがたいくらいだ。
 ちょっと不安はあったものの、ためしに運転をやらせてみることにして、僕たちは散らばった機材をもう一度片付け、元の位置に戻してから、再び座席に座った。僕は助手席に座り、サイドブレーキとギアの位置を教えた。
「この車、マニュアルだよね」エアリィはそう確認し、
「ああ、だからエンストに気をつけろよ」僕は頷いた。
 一応兄の車でマニュアル車の運転は教わったものの、僕はクラッチ操作が苦手だ。ロビンも普段オートマ車なので、慣れるまで相当四苦八苦していたし、ミックも同様だったようだ。ロブとジョージは慣れているようだったが。
「OK!」エアリィはギアを戻し、いきなりアクセルを踏み抜いた。クラッチはうまくつながったようでエンストはしなかったけれど、恐ろしいロケットスタートだ。その勢いで僕たちはみんな、今度は後ろへと引っ張られた。再びいくつかのケースが倒れてぶつかる音がした。
「おい! こんな場所でアクセル全開はやめろ! 車が壊れるだろ! それにこれ以上機材を壊すな!」僕はたまりかねて抗議した。
「あ、ごめーん。レースじゃないんだよね!」エアリィは全く悪びれない様子で笑い、時速五十マイルほどにスピードダウンした。それでも結構早い。ロブの時より倍は早い。それに最初のロケットスタートはともかく、それ以降の運転は安定している。まだ十四で免許もないはずなのに、いったいどこで車の運転なんか覚えたのだろう。僕たち四人より、さらにロブより上手なくらいだ。
 少し西に戻り、また北へ。東の窓から青い水平線を見て走っていく。そうして二時間が過ぎた頃、エアリィが後ろを振り向いて告げた。
「ねえ、そろそろガスなくなるよ! 警告灯がついちゃった」
「えっ、とうとうガス欠か?!」ロブとジョージが同時にそう声を上げていた。僕も燃料ゲージは見ていたので、はらはらしていたところだった。ここへ来てから五時間、その前を入れればトータル六時間くらい走っている。燃費としては上出来だし、ここでガスの補給はできないだろうから、いずれ燃料切れになるだろうとは覚悟していた。でも実際、こんなところで車が動かなくなったら、僕たちは立ち往生だ。夢が覚めるのでなかったら、困り果ててしまう。
「あと、どのくらいもちそうか、わかるか?」ロブがきいている。
「このワゴンの満タンっていくつ?」エアリィはそう聞き、僕が教えると、残ったゲージに目をやって続けた。「あと八マイル行けたら上出来かな。時間だと、十分弱。あとは歩くのかな。こんな中で……ホント、何にもないのに。どうしたらいいだろ」
 一瞬で計算したな。僕ももう驚かないが。でも後の方は、僕も同感だ。下手をしたら、荒野で行き倒れるかもしれない。これが夢じゃないとしたら。でもエアリィは困ったと言いながらも、さほど困惑した表情は見せず、前を見ていた。そして数分後、「あっ!」と小さく声を上げた。
「何だ?」僕らが問いかけると、彼はフロントガラスの向こうを指さして答える。
「なんかある。何にもないと思ったけど……ほら、あそこ」
「どこに、何があるって?」
 僕は目を凝らしたが、何も見えない。他の四人も同様だったようだ。
「何もないじゃないか」
「見えない? すっごい、ちっちゃな点なんだよ。でも、木じゃないことはたしかだ。もうちょっと近づくと、みんなにも見えると思うけどなあ」
 いったいエアリィの視力は、いくつなのだろう。本当に、いろいろと能力が人間離れしている。その時には彼にしか見えなかったが、しばらくして本当に、前方に小さな黒い点のようなものが見えてきた。最初は小さすぎてなんだかわからなかったが、もっと近づくにつれ、ようやく形に見えてくる。どうやら建物の集まりのようだ。
「町じゃないか?」ロブが身を乗り出すように前を見ながら言い、
「そうだとしたら、助かったね」ロビンがほっとしたように、ため息をつく。
 やがて車がはずみをつけて、がたんと止まった。警告灯がついてから、たしかに十分弱。とうとう燃料切れだ。降りて歩くしかない。手荷物貴重品は持ち出したけれど、機材はそのまま残していくほかはない。こんな場所では盗られる心配はないだろうし、後でまたここへ来られたら、その時に回収しよう。
 僕たちはめいめいバッグを肩に引っ掛け、歩きだした。空気はかなり冷たい。枯れた草が膝までまとわりついて歩きにくい。でも荒野を当てもなくさまようのではなく、今は遠くにではあるが、目標が見えている。そこをめざして歩いていこう。
 草をかきわけかきわけ、ひたすら歩いた。遠くに見える小さな黒い塊に向かって。でも三十分ほど歩いた時、このままでは先に進めないことを悟らされた。

 突然草原が途切れ、地面が落ちていた。けっこう段差がある。二階の窓から地面を見た高さより、まだあるような感じだ。向こう側には、同じような高さの崖が見える。間に挟まれたこのくぼみの幅は、かなり広そうだ。学校の校庭、二、三個分くらいだろうか。真ん中あたりに、川が流れていた。垂直に切り立ちすぎてはいても、きっとこの陥没部分は河川敷なんだろう。ここを越えなければ先へ進めないけれど、もちろん橋なんかない。でも飛び降りるのには、ちょっと怖い段差だ。エアリィだけは「ここ、降りる?」と確認した後、躊躇なくぽーんと飛び降りてしまったけれど、彼は例外だ。
 去年の十一月、バスケットボールクラブの活動中に、隣でやっていたバトミントンサークルのシャトルコックが体育館の天井、オンタリオ州旗と校旗が下がっているワイヤーに引っかかってしまったことがある。それを彼は取った。バスケットゴールのリングをつかみ、身体を引き上げ、ゴールポストの上に立って校旗へ跳び、それをつかんで反動をつけ、ワイヤーの上に上がった。そのままその上を歩いていって、シャトルコックを下に落として、自分はそこから飛び降りた。高さにして、ほぼここと同じくらいな感じだ。ワイヤーがしっかり固定されていたのが幸いだった。サーカスも真っ青の軽業に両方のメンバーたちも、唖然として見ているだけだった。その身のこなしの軽さがエアリアル(風の精)というニックネームの大元なのだが、もしこれほどずばぬけて容姿が美しくなかったら、間違いなく『猿』とか『ニンジャ』なんてあだ名になったに違いない。
 でも他のみなは、二階の窓よりも高い段差を垂直落下する度胸はないだろうし、僕もそうだ。足を痛めるのが心配だった。高所恐怖症のロビンなどは、目に見えてがたがた震えている。ためらっていると、先に下に降りたエアリィが手を振って呼びかけてきた。
「みんなのバッグ投げて。クッション作っとくから。その上に降りれば、ちょっとはましかも。あっ、割れ物とか、踏んづけられて困るものがあったら、抜いて!」
「ああ、そうだな……それしかないか」
 僕たちはバッグを投げた。僕は壊れるような物は持っていないからそのまま投げたが、ミックはいつも持っているノートパソコンを取り出してから、別々に投げ落としていた。エアリィはミックのパソコンを先に受け取ってから、投げられたバッグを自分のものも含めて一ヶ所に集め、表面をパンパンと叩いて、できるだけ平らにならそうとしていた。こうして出来た即席クッションの上に、僕らは順々に飛び降りた。結果はさんざんなものだったが。僕はロビンの手を引っ張って同時に跳んだが、バッグとバッグの間に足が引っかかり、バッグが前に滑ってしまって、ロビンもろとも後ろにこけた。ジョージとロブは、やはりよろけて大きくしりもちを突き、ミックは前に派手につんのめっていた。他のバッグがクッションになったため、みな怪我はしなかったが。なんとか全員が下へ降りると、僕たちは自分のバッグを取り上げ、足跡や汚れを払い落として形を整えたあと、再び肩に担ぎ、河川敷を歩きはじめた。下の地面は草が短い。少し湿ってもいる。川が増水した時は、ここまで水が来ているのかもしれない。

 すぐ川べりについた。川のふちにも、垂直の断裂面が少し見えている。微かに緑がかった、透明な水が流れていた。でも、底がまったく見えない。歩いて渡れないことは目に見えているけれど、一応深さを調べるために石を一つ投げ込んでみた。でも、いつまでたっても水底を打つ音がしない! もう一つ念のために投げてみたが、やっぱり同じだ。無限の静けさは、恐怖にも似た不気味さすら感じさせた。
「底無し川か……」再び、みんなで顔を見合わせた。
「どうしよう……」こんなに恐ろしく深い川を泳いで渡るなんて、気乗りがしない。これは三途の川なのでは、などという途方もない考えすら浮かんでしまう。これを渡ったら、本当に僕らは現世に戻れないのかもしれない、と。みんな、同じことを思っているようだった。黙りこくって、目の前の流れをじっと見ている。
「三途の川が、こんな狭いってことないんじゃない? 渡し守がいるくらいなんだから。きっと、これ深いだけの普通の川だよ。ネス湖なんかも、底がわかんないっていうし」エアリィがちょっと肩をすくめながら、僕らの当惑を断ち切るように言った。
「あそこはクレバス湖らしいな。ここも……?」僕も首を傾げながら頷いた。たしかに話に聞いていた三途の川のイメージとは違う。深い霧に包まれた暗い大河ではなく、対岸もすぐ目の前に、はっきり見える。
「ともかく、ここを渡らなければ、先には進めないな」ロブがいくぶん擦れた声で言い、僕ら五人は頷いた。
「寒いが、泳いで渡るしかないか。それほど流れは早そうじゃないし、川幅も多少はあるが、行けない距離じゃない。二五メートルプールくらいの幅か……」ジョージは言いかけて、ふと思い出したように弟を見やった。「でも、おまえって、泳げなかったんだっけな」
「うん……」ロビンは、すまなそうにうなだれている。
「実は僕もさ。困ったね」ミックまでが当惑したように告げる。
 カナヅチ二人か。なかなかきつい条件だ。ジョージは二五メートルプールくらいの距離と言ったが――僕にもたしかに同じような幅に見えるが――プールと違ってその幅の川を泳いで渡るというのは、見た感じ早そうではないとはいえ、流れがある分、かなり難しいとだろう。その中を、泳げない人を引っ張って泳ぐなんて、自殺行為だ。でも降りてしまった以上、ここを越えていかなければ、目指す目標(町なら本当にいいのだが)にはたどり着けない。

 話し合った末、ベストの方策は浮力とガイドだろうということになった。泳げない二人には、ともかく沈まないような浮力を与える。ちょうど二人が持っていたバッグは、ルイ・ヴィトンだ。これはたしか水に浮くから、浮き袋代わりになる。新人ロックミュージシャンにはふさわしくない高級嗜好だけれど、こんなところで役に立ったわけだ。ペットボトルの空き瓶をバスの中においてきたのは残念だけれど、洋服を入れているビニール袋に空気を入れて膨らませ、口を閉じたものをいくつか身体につけていれば、浮き袋代わりになるから、これとかばんの合わせ技で、とりあえず沈む心配はないだろう。とはいえ、いくら沈まないからと言って、泳げない人に自力でバタ足でも何でもして、川を渡れと言うのは、無理難題過ぎる。プールならまだしも、ここでは流されてしまう危険が大だ。そこで、ガイドを使う。それは泳げる四人にとっても、進む方向を与え、流される心配を減らしてくれるだろう。ロブがロープというにはちょっと細いけれど、編んだビニール紐の五十メートル巻きを持っていたので、それを半分に切って川面に貼れば、ガイドロープになるだろう。
 僕は小学生の時に泳ぎを習い、良く海でも泳いでいたけれど、得意と言えるかどうかはわからない。エアリィは『泳ぐのは大好き』らしいし、彼の能力的にダメと言うことはあり得ないだろう。ジョージとロブは、最近までジムで週二回泳いでいたらしいし、慣れてはいそうだ。ただ問題は、プールですら浮き輪でぷかぷかするだけだったというロビンとミックが、いくら沈まないようにして、さらにガイドロープがあったとしても、自力で対岸にたどり着けと言うのは、かなり無謀な気がする。
「おまえは俺が引っ張っていく」ジョージが弟に宣言した。「おまえは余計な力を入れないで、じっとしてろ。ガイドロープがあれば、なんとかなる」
「それなら、僕がミックを引っ張っていこう」ロブもそう申し出た。
「僕が引っ張ってってもいいよ」とエアリィも言ったが、ロブは首を振った。
「おまえじゃ、体格差がありすぎる。先に、ガイドロープを張ってくれ。ジャスティンと一緒に。誰かが先に渡らなければならないからな。それで、流れや水の具合を教えてくれ」

 プランが決まったら、あとは実行あるのみだ。でも十一月は、決して水泳に適した季節じゃない。服を脱ぐのにも寒くて勇気がいった。さすがに少し抵抗があったので、下着だけはつけたまま、脱いだ服を丸めて鞄に押し込み、対岸に投げる。鞄は無事に向こう岸に着いた。エアリィも同じことをしたが、彼は上もアンダーがわりの白いTシャツを着たままだ。「脱がないのか?」と聞くと、「だって寒いし」と答える。そして髪をピンクのバンダナを使って、ポニーテールのように上の方で縛っていた。ますます女の子っぽいが、そのままだと邪魔なのだろう。僕もまとめた方がいいだろうか、でももうバッグも投げた後だし、と思案していると、ミックが留めゴムを貸してくれた。僕もできるだけきつく髪をまとめて、それで縛った。ロープの端を岸にある灌木の幹に結び、反対の端を手首に結ぶ。
「じゃ、行こっか」「ああ」僕らは頷きあって、ほぼ同時に水に飛びこんだ。そのとたん、「うわっ!」と声を上げそうになり、危うく水を飲んで沈みそうになった。まるで氷の中に飛び込んだように、衝撃的な冷たさだ。手足がしびれそうになる。しかもちょっと塩辛い。海水が混じっているのだろうか。
 水しぶきの向こうに、淡い金色とピンクの色彩が、さあっと対岸へ遠ざかっていくのが見えた。早い! あっという間だ。泳ぐのは大好きと言ったのは、伊達じゃなかったようだ。でも、水の冷たさは気にならないのだろうか? 
 ともかく、僕も行かなければ。でも、手足がちぎれるように痛い。全身の感覚もなくなっていく。片方の手首にガイドロープを結んでいるので、命綱代わりになって、流される心配はないけれど、水の刺すような冷たさ、それに見た目よりかなり流れが速く、身体に当たる水の抵抗がとてつもなくきつい。これが本当に、二五メートルプールと同じ距離か? 体感では、倍以上だ。
 岸に着いた時、エアリィが僕の手を引っ張って岸に上げてくれたけれど、僕は思わず体の力が抜けそうになってしまって、下手をすれば、逆に彼を水の中へ引きずり落としかねなかったほどだった。水から上がると、全身が麻痺したような感じだ。
「ジャスティン。バスタオル!」と、エアリィが僕のバッグからタオルを引っ張り出し、頭からかけてくれたが、その時の僕は激しい震えで、なかなか身体を乾かすこともままならないくらいだった。
 エアリィはすでに元の服装に戻り、髪も解いて、タオルをベールのようにかけていた。濡れた下着とシャツ、バンダナがビニール袋に入れられてバッグの横に置いてある。早業だ。僕を引っ張り上げてくれた時、彼はもう服を着ていたから、岸についたあと、さっさと着替えたのだろう。僕も震えてばかりもいられない。早く服を着なければ。
「はい、着てた服。それと、下着の着替え用って……これ?」
 エアリィが着替えを出して持ってきてくれたので、僕は急いでそれを着込んだ。服を着終えても、震えが止まらない。
「おまえ、寒くなかったか?」僕は思わず聞いた。
「寒いよ! それに髪、乾かしたい。頭痛くなりそうだよ」
 エアリィは水を飛ばすように髪を振りやった。そしてタオルでもう一度髪を拭くと、ふぁっと髪を風になびかせるようにしながら、「うわ、風つめた!」と、小さく叫んでいる。そりゃそうだ、十一月なのだから。それに犬じゃないんだから、水を振り飛ばすな。かかったじゃないか。でも見た感じ、かなり髪の毛は乾いてきているようだった。弱い十一月の日光を反射して、再び光り始めている。
 僕も人のことは言っていられない。髪をほどいて、タオルで乾かそうとしたけれど、ドライヤーがないと、なかなかちゃんと乾いてくれない。生乾きの髪が張り付いて、本当に僕も頭痛がしそうだ。それに体の芯から冷え切ってしまって、震えが止まらない。
「なんかすごく……あったかいものが飲みたいな」エアリィがぶるっと震えながら、呟き、「本当だ!」と、僕も心から頷いてしまった。
「でもさ、不思議じゃない? こんだけ冷たい水に飛び込んだのに。夢だったら、一発で目さめそうなもんなのに」
「よくあるパターンだな、わ、しまった!ってさ」
「へえ、それって、あれ? 妹がそんなこと言ってたけど、ジャスティンもそうなんだ」
「今はないぞ、もちろん! 幼稚園の時までだ!」
 くだらないことを言っている暇はない。夢はまだ醒めていないのか、さもなければ、これは本当に現実なのか――再びもたげてきた疑問を振りやって、ここまで引っ張ってきたロープの端を、改めてぐるぐると手に巻きつけ、握りしめた。こちら側の岸には結びつけられそうなものが何もないから、僕らが踏ん張るしかない。
「水がすっごく冷たいから、気をつけて! あとね、流れも見た目より結構あるよ。片手はずっとガイド手繰ってく方が、安全だと思う!」
 僕は付け加えることはなかったので、ただ「気をつけて!」とだけ叫んだ。
「わかった!」ジョージとロブは頷くと、服を脱いだ。二人とも下着一枚だ。着ていた服をバッグに入れて、こっち側に投げてくる。二つのバッグは無事に岸に着いた。ロビンとミックも下着姿になり、服をバッグの中に入れると、その口をしっかりと締め、大きなビニール袋の中にすっぽり入れて、固くその口を縛りあわせて閉じた。さらに僕らが奮闘している間に用意したらしい急造浮き袋――ひもに膨らませたビニール袋をたくさんつけたものを、ぐるっとベルトのように巻いている。二人はバッグを浮き袋がわりに抱え、ジョージはロビンと、ロブはミックとしっかり手をつないで、川に入っていった。急激に飛び込むのはこの水温では危ないと、僕の泳ぎを見ていて思ったのだろう。
 ジョージとロブは、ロビンとミックをそれぞれ片手で引っ張って泳ぎはじめた。二、三回バタ足をし、あいた手でロープをたぐって、水面から顔を出して息継ぎ、そしてまた進む。ロビンとミックはバッグの上に覆い被さるようにし、片手でしっかりと抱きかかえながら、もう片方の手でジョージとロブの手をつかんでいる。四人とも、おそろしいくらい必死の形相だ。ジョージとロブも、いくら水泳に自信があっても、このコンディションはつらいだろう。彼らがロープをつかむたびに、流れの方向に負荷がかかる。反対方向に体重を預けながら、ロープの位置が動かないように踏みとどまる必要があって、その仕事も決して楽ではなかったが、川の中の四人とは比較にはならないだろう。
 残り五メートルほどで、ようやくこっちの岸にたどり着くという時、アクシデントが起きた。二本のロープを結んでいた潅木の枝が、何度もしがみついて引っ張ったりしているうちに、折れてしまったのだ。最初にエアリィの側が折れたようで、「わ、やばい!」と彼が声を上げて、前に数歩つんのめり、そこから体勢を立て直して、ロープを手繰ろうとしている。それに手を貸そうとした瞬間、僕の方も折れた。いきなりロープが勢いよく引っ張られる。でもここで僕が手を離すと、ミックとロブが流されてしまう。二人のほうが重いので、僕がこっちを引き受けていたのだ。ロブも、そしてジョージも、幸いなことにロープは握った状態だったらしく、四人はその位置のまま、川面に浮き沈みしていた。  川の流れに持っていかれるロープに引っ張られつつ、僕は必死に踏みとどまった。こっちの岸の手前、二、三メートルのところには、かなり急な流れのエリアがある。僕も少し流されて、出発地点より数メートルほど下流にたどり着いたのだが、手首にガイドロープを巻いていなかったら、もっと流されていただろう。ジョージもロブも、ここまでにかなり体力を消耗しているはずだ。あと五メートルくらいとはいえ、ガイドロープなしで一人余計に引っ張って泳ぎ着くことは、かなり厳しいかもしれない――。
「どうしよう、これ! ここで引っ張ってくしかない?」
 エアリィが緊迫した声を上げ、僕は頷いた。
「そうだ。引っ張るしかない、僕らが!」
「うそ、きっつい! けど、やるしかないか」
「ああ、ロープを離すなよ、絶対。それと、おまえも引っ張られて落ちるなよ! 僕はたぶん、自分の方で精一杯で、おまえの方に手を貸す余裕はない。だから、がんばってくれ」
「わかってる! ベストは尽くす!」
 それ以上、言葉を交わす余裕はなかった。僕は両手にロープを巻きつけ、しっかり握りながら、綱引きさながらに後ろに下がった。とてつもなく重い。巨大な石を引っ張っているようだ。流れの力も強い。僕自身、何度も身体が前につんのめりそうになり、倒れそうになった。そのたびに懸命に足がかりを探して、踏みとどまった。倒れるわけにはいかない。倒れて手を離したら終わりだ。手を離さなくとも、力を緩めたら、僕も流れに持っていかれてしまう。後ろへ――とにかく、後ろへ。僕は身体中からありったけの力をかき集め、腰を落とし、ゆっくりと引っ張った。手が痛いのも、何も気にしている暇はなかった。エアリィの方も見る余裕がないが、少なくとも僕の視界の前に彼はいないし、ジョージとロビンも横の方にまだ見える。とりあえず、大丈夫なのだろう。それしかわからない。おまえの方にはジョージとロビンの命がかかっている。がんばってくれ――心の中で、そう叫ぶしかできない。十一月だというのに、額から汗が噴き出す。ともかく、後ろへ下がらなければ。がんばってくれ――僕は川面に浮かぶ四人に対しても、心の中でそう叫んでいた。ロープを離さないでくれ。冷たい水の中で、速い流れの中で、それでも命綱を離さないでくれ。今――今、引き上げるから――。
 ふっと流れの力が緩くなるのを感じた。どうやら急流を超えたらしい。もう少しだ。僕は一歩ずつ、慎重に後ろへ下がった。相変わらず重いが(たぶん二人合わせて百七十キロは超えているだろう)、水の浮力もあるから、地面を引きずるよりは、いくぶん軽いはずだ。水の流れの抵抗が減った今は――二人の頭が近づき、ロブの手が岸辺をつかむのが見えた。同時に視界の端で、ジョージが同じように川岸にたどり着くのが見える。深いため息が漏れ、僕は思わずその場に座り込んだ。
 ジョージが身体を半分引き上げながら、ロビンの腕をつかんで引っ張ろうとしている。が、それ以上行かないようだ。ロブは身体を半分上にあげることも、苦労している。引っ張っているミックが重いせいもあるのだろうし、たぶんジョージほどは鍛えていないせいなのかもしれない。
 エアリィが前に駆け出していった。「ロブ、手出して! ジョージは大丈夫!?」と声をかけながら、二人を引っ張ろうとしている。そうだ、僕も座りこんでいる場合じゃない。手を貸さなければ、下手をすれば全員また川に落ちる。エアリィが両手でロブとジョージの手を片方ずつ握り、引っ張ろうとしているので、僕はとっさに状況を見た。ミックとロビンは、今はそれぞれロブとジョージにしがみついているようだ。それなら――。僕はエアリィの後ろから手を回して、ロブとジョージの手首をつかんだ。僕の方がリーチは長いので、ほぼ同じような位置で、二人で手をつかんでいる勘定だ。これなら大丈夫だろう。
「エアリィ、せーので引っ張るぞ! ロビン、ミック! ジョージとロブにつかまって、絶対離すなよ!」僕はそう叫び、再び渾身の力を込めて後ろへ下がった。
「え? せーのって言ってないじゃん!」などとエアリィも文句は言っていたが、ほぼ同時に後ろへ下がる。ジョージの身体が上がり、ついでロブが、さらにロビンとミックの身体が、川の中から川岸へと引き上げられた。
「痛え!」と、ジョージが声を上げた。岸辺の小石に擦れたのだろう。ついで咳き込み、水を吐き戻した。ロブもミックもロビンも、同じようにうずくまっている。四人とも、かなり水を飲んだのだろう。「大丈夫?」と、エアリィがその背中をトントン叩いていた。僕も自分に近い方の二人の背中を叩いた。その皮膚は紫色になり、冷え切った粘土のような感触がした。その後も、休んでいる暇はなかった。四人の荷物からタオルを引っ張り出し、身体をこすって乾かすのと温めるのを同時にやり、さらに下着の替えと着ていた服を取り出して、着替えを手伝ってやる。なにしろこっちは二人で相手は四人だ。忙しい。
 着替えを終えた頃、ようやく四人とも口がきけるようになったらしい。
「ああ、もう、死ぬかと思ったぜ!」ジョージは大きく息をつきながら、そう声を上げ、
「ああ、もういやだ。二度とこんな目に会いたくないよ」と、ロビンは今にも泣きそうだ。
「でも……引っ張ってくれて、ありがとう。おかげで……助かったよ」ミックはまだ時々咳き込みながら言い、
「本当にな。無事に切り抜けられてよかった。おまえたちも、大変だったな。礼を言うよ」ロブは嘆息するような口調だった。
「いや、でもみんながロープを離さないでいてくれて、よかったよ」僕はほっとため息をついた。
「うん。良かった、みんな無事で。結構、火事場の馬鹿力ってあるんだなあ」エアリィは片手を振りながら苦笑する。その手は半分、あざで紫色になっていた。
「本当に、おまえらには借りができたな。おまえらが踏ん張ってくれなかったら、俺たちは今頃死んでただろうよ。まあ、これが夢じゃないとしたらだが……本当に、ありがとな」ジョージが改まった口調でそう言い、ロビンやロブ、ミックも頷いている。
 いや、僕は当然のことをしただけだ。エアリィも「貸しとか借りとか、重たくない? あたりまえのことだし」と小さく笑って、肩をすくめていた。
 川を渡るのが、こんなに大変だとは思わなかった。身体はあちこち痛み、重い疲労感が残っている。それはきっと僕ら全員がそうだろう。でもとりあえず後発の四人が歩けるようになると、再び立ち上がって、僕たちは歩きだした。僕は漠然と、早く先に行こうという意識にせかされていた。それに四人を助けるのに奮闘したせいで、僕はすっかり身体がポカポカしていたが、ジョージたちにとっては歩いているほうが、身体が温まるだろう。誰も異議は唱えなかったから、みなも同じ気持ちだったのかもしれない。




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