The Sacred Mother - Part 1 The New World

第一章  プレリュード(7)




 プロとしての初舞台。僕は高まってくる胸の鼓動を感じながら、曇った鏡に目をやった。そこに映る自分の姿は、ついに夢の実現へ向けて走り出した、本当の僕自身だと思えた。髪をのばして四ヶ月半、少し金色がかった褐色の巻き毛は、肩を覆う長さになった。でも僕の理想は、もう少し長くしたい。あと五センチくらいは。半端な色だから、思い切って黒く染めるか金髪に脱色してしまったほうがいいなんて、レーベルのA&Rがお節介な忠告をしてくれたけれど、髪を染めるのは嫌いだ。くるくると巻いている金褐色の髪、緑の目、クリーム色の肌。それは決して僕の理想とは言えない。でも親にもらった、母の言葉を借りるなら神が与えてくださった造形なのだから、変えるつもりなんかない。
 僕は髪を掻き上げ、大きく息を吐いた。光沢のある赤いフレンチスリーブのTブラウスに、ストレートのブラックジーンズ、赤いスニーカー、首に二重に巻いたゴールドのチェーン。ずっと弾き続けてきた相棒、赤いストラト。僕はこれからプロのロックミュージシャンとして、ステージに上がる。客席ではなく、あのステージの上に。
「がんばれよ!」一人ずつ背中をポンと叩いて激励するロブの声に送られて、僕らは小走りにステージに出た。四日前にデビューしたばかりの新人だから、観客のほとんどは僕たちを知らない。すごい歓声なんて、起きるわけもなかった。
 ステージ上手側の立ち位置につき、客席に向かい合った時、僕は広大な暗い海のように見える観客を前に、一瞬立ちすくんでしまった。何もできないような気さえして、くるっと背を向けて逃げ返りたいという、強烈な衝動を感じた。それは本当に、一瞬のためらいだった。ジョージがスティックを打ち鳴らすお馴染みのカウントが聞こえると、呪縛は一瞬で解けた。腕を上げ、最初の音を弾く。その瞬間、恐れも不安も消えた。
 跳ねるようなキレのいいジョージのドラムビート、ぴったり寄り添ってグルーヴを出すロビンのベース、彩りを添えるミックのキーボード、僕の指先から弾けるギターの音。ああ、このサウンド。頭の中は、今自分たちが演奏している曲のことだけ、その喜びだけだ。
 アーディスの響きのある独特の声が、楽器群を突き抜けてきれいに力強く通っていく。不思議なトーンだ。エアリィという呼び名のとおり、声に羽が生えて舞っているようだ。一点の濁りもない澄んだ響きを持っているけれど、ロックヴォーカリストに必要な力強さや熱気も失われていない。彼は言っていた。怖くはない。不安もないと。虚勢や強がりではなく、自信過剰なわけでもない、心の底からの自然な思いなのだろう。誰が自分の“居場所”にいて、不安を感じたりするものだろうか。初めて経験するはずのアリーナの広いステージを、まるで生まれた時からずっと踏んでいたかのようだ。
 同じ時期に同じような長さからのばしはじめた髪も、エアリィはもう完全に肩の下、肩甲骨を覆うあたりまで届いている。僕より巻きがかなりゆるい分だけ見た目が長くなるのだろうが、ストレートヘアのロビンよりも長いから、伸びも早いのかもしれない。その淡い金髪はステージで彼が大きく動くたびに舞い上がり、ライトを受けて燦然と──まさにその形容でしか言いようがないほど、まるで光そのものが飛び散ったように輝く。それは彼の、最大の装飾だ。
 四十分の持ち時間は、あっという間に終わった。リアクションは上々だった! トマトや玉子なんか、一個も飛んでこない。下着のような、赤面するものは来たが。上首尾、いや、それ以上だ。アンコールさえ要求された。持ち時間の関係で応えられなかったけれど、客電が再びつくまで、観客たちはアンコールを叫び続けてくれた。最高だ!
「よくやったぞ、みんな! 最高の出来だ!」
 ステージから降りると、ロブが両手を広げながら、うわずった口調で叫んでいた。
「ジャスティン、やったね!! 受けてたよ!」エアリィがはしゃいだような声を上げて、ポンと僕にハイタッチしてきた。バスケットボールの試合以来だ。僕も思わず笑って返した。「ああ、やった、やった! 良かったよ!」と。同じく高校時代バスケをやっていたジョージも加わって、三人でハイ・ファイブ。ロビンとミックとは、普通どおり握手して、健闘を讃えあった。ロブは後ろで腕を組んで、にこにこと笑っている。
 僕たちはその後ケータリングのサンドイッチを、もらいものの甘ったるいパイもろとも平らげ、さらに近くのファミリーレストランで祝杯をあげた。プロという大海へ、最高の船出ができたことを祝して。そしてそのまま翌日の公演地、ハーシーへ向けて出発し、現地に近いモーテルに一泊した。アメリカのモーテルというものに初めて泊まったけれど、これからはお世話になるのだろう。

 ツアーは順調に続いていった。行く先々での受けはかなり良く、アルバムもビルボードのTOP100の真ん中ほどにエントリーし、翌週は三十位台になった。本当にこれ以上はないというほど、順風満帆のスタートだ。たとえ移動はずっとおんぼろワゴン車を自分たちで運転していっても、食事はハンバーガーやサンドイッチが多くても、泊まる場所は郊外のモーテルで、他のメンバーと相部屋でも(ジョージの提案で、いつも同じ組み合わせでなく、部屋割りはローテーションだ)、それを心から楽しんでいた。何もかもが新鮮で素晴らしく見え、満足し、幸せだった。
 あとで思い返してみると、長いロード生活でこの最初の二週間が、僕にとって、そして、たぶん他の四人にとっても、最高のパラダイスだったように思える。希望に胸を膨らませ、ひらけていく未来に目を輝かせて、心に一滴の苦い混じり気もなく、純粋な喜びだけに満ちていた日々を。

 十九日間のツアーは、瞬く間に終盤に来た。いよいよ最後の大詰め。残すところはニューヨーク、そしてファイナルはボストン、その二公演だけになった。ヘッドライナーはボストン出身なので、最後は地元への凱旋で終わるのだろう。その前に、ニューヨーク公演の会場はマジソン・スクエア・ガーデン。憧れの大都会での、憧れの会場だ。なんだか信じられない。
 でも、移動はかなりハードだった。前公演地のアトランタからニューヨークへ、中一日で行く。「なんで、こんな非効率的な組み方なんだろ。アトランタはフロリダとかニューオーリンズあたりと一緒に回って、ニューヨークやボストンは、フィラデルフィアから上がってけば良いのに」と、エアリィが車の中で言っていたが、僕も同感だ。
「まあ、アリーナのスケジュールとの兼ね合いもあるしな。それに彼らとしては、ラストは地元に凱旋したかったんだろう」と、ロブはちょっと肩をすくめていたが。
 元々ヘッドライナーは移動にチャーター飛行機を使っているから、距離はそう気にならないのだろう。チャーター飛行機で移動というと、かなり贅沢に聞こえるけれど、アリーナアクト以上のメインアーティストたちには、そう珍しいことではないらしい。ファーストサポートの人たちは普段バス移動だが(サロンと寝台、それにいろいろな設備がついた豪華なやつだ。一度彼らが僕らを招いてくれて、中を見せてもらったことがある)、今回は飛行機を使うらしい。さすがにチャーターではなく、商業便らしいけれど。機材はどのバンドもトレーラーで陸送になるし、アトランタ‐ニューヨーク間も決して中一日で行けない距離じゃないとは思う。でも、この車は明らかに長距離移動には向いてないから、長時間乗るのは疲れる。おまけに運転は交代制だ。とはいえ、行くしかない。ここを乗り切れば、ニューヨーク―ボストン間の移動は短いのだから、最後の正念場だ。

 アトランタ公演の出番を終えた僕たちは、楽器とアンプ、エフェクターなどの機材を撤収して、車に積み込んだ。郊外のファミリーレストランで夜食を取り、本格的にアトランタを出発したのは夜の十時。それから四時間ほど走り、モーテルで一泊した。次の日の昼前にそこを出発すると、目的地までノンストップ――途中、トイレや食事、給油のための休憩は必要だが。エアリィはまだ免許が取れる年齢ではないから(本人は運転できると主張していたけれど、無免許では論外だ。それに彼はわりと体質的に疲れやすく、一番体調に影響されやすいポジションであるヴォーカリストでもあるのだから、体力温存にもなって、ちょうど良いだろう)、運転はずっとロブを含めた他の五人で、二時間交代でやる。最初にトロントを出発した時に、そのローテーションを決めていた。カーナビなんかついていないから、次の運転当番の人が地図を見ながら、ナビゲータをやることになっている。スタッフの人たちは元々本来のオープニングアクトだったサイレントハートのクルーなので、別に動いていて、僕らとは会場で会うだけだ。
 インターステート85号線をグリーンズヴィル、グリーンズボロと通り、リッチモンドから95号線へ。ここから本来はワシントンDCの手前で、DCエリアやボルチモアを抜けるのに専用パークウェイに入らなければならないのだけれど、アメリカの道路に不慣れな僕たちは分岐を間違え、そのまま95号線を走り続けてしまったから、夕方の渋滞に巻き込まれた。でも仕方がない。どうせ僕たちが通った時間帯はバイパスも混雑しているだろうし、フィラデルフィアまでには、また95号線に合流して戻るのだから、それほど変わりはしないだろう。

 今は午前三時。最初にフィラデルフィアまで行った時以来の、車の中で過ごす夜だ。ジョージア州内の小さなモーテルを出てから、十四時間がたっている。DCエリアを通過する際に渋滞に捕まったおかげで、かなり時間がかかってしまったが、最悪でもお昼までには、ニューヨークに着けるだろう。
 僕は運転当番で、ハンドルを握っていた。半年前に仮免許が取れて本免許になったし、カナダの免許証でアメリカも走れるけれど、僕の年齢で夜中の運転はどうなんだろう。この地域は違法じゃないかな、と、ちらっと思ったけれど、違反をしたり、検問に引っかったりしなければ、大丈夫なのだろう。
 真夜中のハイウェイは、まるで別の世界のようだ。反射板の小さな白とオレンジの光と、ヘッドライトにぼんやり浮かび上がる数メートルほどのラインだけが、唯一の道標だ。ときおり反対車線を走る車がすれ違いざま一瞬浮かび上がり、さあっと消えていく。車が路面のでこぼこを拾ってがたがた揺れるたびに、後ろ半分の座席に山積みされた機材のケースがぶつかりあって、音をたてている。聞こえるのは少し耳障りなその音と、車体にぶつかっては通り過ぎていく風のうねりだけ。CDプレイヤーなんてついていないし、ラジオもアンテナが壊れているのか、上手く入らない。
 車がまた路面のくぼみを拾って、がたんと跳ね上がった。僕は思わず舌打ちした。
「まったく、アメリカの道路って整備が悪いなあ……」
 少なくともカナダには、ハイウェイにこんなひどいでこぼこはなかったような気がする。でも、このワゴンのクッションが悪いから、そう感じるだけかもしれない。だとすれば、アメリカの道路事情だけに責任を擦り付けるのは不公平だろうか。
 機材の山からエフェクトペダルが床に転がり落ち、ボコンと鈍い音をたてた。積み込む時に落ちないようにしっかり固定させたつもりだったが、長時間揺られてきているうちに、ゆるんできてしまったらしい。壊れていないか心配だったけれど、運転しているのだから、拾うわけにもいかなかった。
 車の揺れにもめげず、他の五人はぐっすりと眠っているようだ。横の席でナビゲータをしてくれているはずのロビンまで、かなり前から座席に沈み込んで眠っていた。でも、起こすつもりはなかった。ナビはいらない。この道をずっと、まっすぐ進んでいけば良いだけだから。
 僕は軽く肩を上下させ、二、三回深呼吸をしてみた。片方ずつ手をハンドルから放して、ぐるぐる回す。疲れた。いくら十七才という若さでも、移動にある程度は身体が慣れたといっても、これだけの距離はさすがにしんどい。それに昼間時々うとうとはしていたけれど、やっぱり真夜中は眠い。十二時からロブのナビゲータをして、二時から運転を交代し、あと一時間。四時までの我慢だ。
 トイレ休憩の時に買ったコーヒーに手を伸ばし、残った中身を一気に飲んだ。ほとんどアイスコーヒーになっていたけれど、多少は目覚ましになるだろう。
 また車が大きくがたんと揺れた。その振動で、ロビンが目を覚ましたようだ。ぱちぱちと二、三回瞬きをし、目をこすった後、僕を見てくる。
「あ……ああ、ごめん、ジャスティン。僕、寝てたんだね。君のナビゲータをしなきゃいけなかったのに」
「いいんだよ。この道にナビなんていらないよ。ただひたすら、まっすぐなんだから」
「そうだね。でも君一人じゃ退屈だったんじゃない? みんな寝ちゃってるし」
「まあね。一人だと、ちょっと眠くなるな」
「ごめんね」
「だから、いいって」
「ねえ、ジャスティン……」ロビンはしばらく黙った後、再び口を開いた。
「さっき、夢を見ていたんだ。ハイスクールの夢を。なんだか、すごく懐かしかったよ。考えてみたら今年の春まで、僕ら現役の学生だったのにね」
「そうだなあ。たしかに、あまりにも運命が急転換しすぎたような、まるでジェットコースターにでも乗っているような、そんな感じだからな」
「うん。本当にそうだよ。僕も最初は大学を出てから、本格的なプロ活動ができたらいいな、なんて思ってたんだ。それがハイスクールを出たらすぐで、おまけにびっくりするくらい、何もかも順調なんだもの。なんだか怖いくらいだよ。今でも、時々不思議な気がするんだ。これは本当に現実なんだろうかって」
「そうだよな。僕もそう思うよ。何もかも順調に進みすぎている。こんなこと、本当にありえるんだろうかってね。そういえば、こんなことわざを聞いたことがあるよ。『神は完全な幸福を好まない』って。僕たちは、今まで恵まれすぎたのかな。考えてみれば、僕は今までほとんど挫折とか失望とかを知らないんだ。望んでも得られないものっていうのはなかったし、欲しいものは手に入った。夢もこうして叶ったし」
「君は本当に恵まれた人だよ、ジャスティン」
「おまえだって恵まれているじゃないか、ロビン」
「ううん、僕が恵まれているのは、経済面と家庭環境だけだよ。それだけ恵まれていれば、たしかに幸運には違いないけれどね」彼はしばらく黙ってから、小さな声で続けた。
「でも僕には、どうしても叶えられない望みがあるんだ」
「叶えられない望み? なんだ、それ?」
「君にしか話せないことなんだけどね、ジャスティン。僕は自分の性格が嫌いなんだ。僕は男らしくなりたいんだ。ジョージ兄さんみたいに。さもなければエアリィみたいに、誰とでも気後れなく話して友達になれるような、明るい性格になりたい。彼のポジティヴさが羨ましい。彼がヘッドライナーやファーストサポートの人やクルーさんたちにも、よく声をかけてもらって、可愛がられているのを見ていると、いいなって思ってしまうんだ。矛盾しているよね。自分がもしあの人たちに声をかけられたら、固まってしまうのに。でもあんなふうに明るく笑って言葉を返せたらいいな、とも思ってしまうんだよ」
「エアリィはまあ、ああいう性格だし、見た目も完璧で可愛いから、向こうもつい声をかけて、かまいたくなるんだろうな。それも女の子だと下心があるのかとか、ロリコンとか言われたら面倒だが、あの子は男の子だしな、とか、ヘッドライナーのスタッフさんが話していたのを聞いたこともあるんだ。まあ、マスコット扱いされているわけだな。でも僕は、羨ましくは思わないぞ。あの人たちに絡まれたら気を使うからいやだな、としか思わないから。正直に言うと」
「まあ、僕もそうなんだけどね、実際には」ロビンも苦笑して、肩をすくめている。
「それにさ、たしかに外向的な性格だと、得な場面も多いかもしれないけれど、でもおとなしい人間がダメとも思えないんだ、僕には。社交的な奴もいるし、内気な奴もいる。学校の先生はおとなしい人間に向かって、もっと自分をアピールしなきゃダメだというけれど、それだけが本当にいいことなんだろうかって、疑問なんだ、僕は。みんながみんな、同じになる必要はないと思うし、みんながみんな、俺も俺もって前に出たがったら、鬱陶しくてしょうがないと思う。少なくとも、僕はね。楽観と悲観、外向と内向って、アクセルとブレーキみたいなものじゃないかな。両方必要だっていうのは、車の運転と同じさ。僕の個人的意見だけどね。大丈夫、おまえは今のままで十分すぎるほど良い奴さ、ロビン」
「ありがとう、ジャスティン。君にそう言ってもらえると、うれしいよ」
「それに自分は変えられない、と言うのは、まだ早いんじゃないか。人間、成長すれば進歩もしていくはずだし、僕らはまだ十七なんだしね」
「そうだね……」
「でも、努力はしなきゃならないけれど、無理はするな、とも言うからね。焦らないで、がんばればいい。おまえもさ、自分に自信がなさ過ぎるっていうのは、たしかに直すべきだと思うな。勇気と自信を持って。じゃないと、もし好きな女の子でもできた場合、告白もできずに終わってしまうぞ」
「そうかもしれないね。きっとその子が僕なんかを好いてくれるかどうか、自信が持てないと思うから……」ロビンはちょっと自嘲気味に笑った。「でも僕は、今のところガールフレンドを欲しいとは思わないんだ。君にはいるけれどね。君たちはうまく行っているの、今でも? 君と、その……ステラさん。僕たちがプロになっても、彼女は理解してくれている?」
「ああ、まあね……」僕はあいまいに頷いた。
 ステラは僕の決断を認めてくれた。それは五月のことだ。でも、それから思いもよらない離間者が立ちはだかった。六月、彼女の家に電話をした時、応対に出た家政婦さんにステラへの取次ぎを頼んだら、電話口に出てきたのは父親だった。
『ジャスティン・ローリングス君。実は娘から妙な話を聞いたのだが。君は医者になるのを、やめたのだそうだね』パーレンバーク氏は重々しい声で、そう切り出してきた。
『ええ、そうです』
『では、あの病院を継がないんだね』
『ええ、その資格はなくなりましたから』
『大学へも行かないそうじゃないか。それで、なんだね。よりにもよって、ロックミュージシャンになるとかいう話を、娘がしていた。それもご両親の反対を押し切って、勘当同然に家を飛びだしたと言う。それは本当かね?』
『ええ、本当です』
『正気なのかね、君は?』
『はい、至って正気ですが』僕は思わず、少しむっとして答えた。
『それなら……』パーレンバーク氏は言葉を切ると、断固とした口調でこう宣告した。『もう娘とは、今後いっさい会わないでもらいたい。いいかね。私たちは君が将来を嘱望された医師になり、大病院の次期院長になると思ったからこそ、娘と交際することを許したのだ。君の実家は、あれだけ大きな病院だ。医師という仕事は、社会的にも良いだろうと思った。だが、ロックミュージシャンになるだと? そんなフーテンと、うちの大事な一人娘を付き合わせるわけにはいかない。もう二度とステラに近づくな。わかったか!』
 僕は訴えようとした。僕たちは決して、いい加減な気持ちでつきあっているわけではない。不安定な業界だし、誘惑が多いのも認めるけれど、僕は精一杯彼女に誠実に生きたいと。でも僕が何か言う暇を与えず、電話はがちゃんと切れた。
 それ以来、パーレンバーク家への電話はつながらなくなった。どうやら先方は僕の実家と携帯番号を、着信拒否にしてしまったらしい。一度公衆電話からかけてみたけれど、運悪く母親が取ってしまって、ヒステリー気味に言われた。
 『あなたは私たちをノイローゼにする気! これではストーカーと同じよ! ああ、そんな卑劣な人相手では、気が休まらないわ! どこまで私たちを苦しめたら気が済むの!』最後には泣き出す始末だ。これでは、ますます僕に対する心象は悪くなる。そう悟り、自分から連絡するのはあきらめた。でも、ステラは携帯電話を持っていない。パソコンも持っていないし、インターネットにも疎いという、いまどき化石並みのレトロな人種だから、電話をシャットアウトされてしまうと、僕が取れる連絡手段がなくなってしまう。ステラが公衆電話や友達の携帯から(自宅の電話機には、発信履歴が残ってしまうので)僕に電話をくれるという、一方通行の連絡しかできなくなった。
 それから半年近くが過ぎた今、相変わらずうまくいっているというのは、正しいと言えるだろうか。ケンカをしたわけではないし、嫌われたわけでもない。でも僕たちの交際は彼女の両親には内緒だ。ステラは女友達と会ってくると両親に告げて、その友達にも協力してもらって口裏を合わせ、僕と会う。それが心苦しいと、ステラは時々訴える。今でも僕を愛しているし、両親に反対されても気持ちは変わらないと、言ってはくれているが。
 ツアーに出てから二日後、会場の楽屋にいる時に、ステラは友達の携帯から僕に電話をくれた。でも今アメリカにいると言うと、『あら! じゃあ、電話代が心配だわ。そういうことは、あらかじめ言って欲しいわ。急に決まったのですって? それなら仕方がないけれど。じゃあ、明日は会えないわね。残念だわ。いつ戻ってくるの? 十一月五日? かなり先ね。それなら、そのころにまた電話するわね! それじゃあね』――それが今のところ、彼女と話した最後だ。
「これからも、ずっとうまくいくといいね……」ロビンの口調は優しかった。僕の気持ちを察したように。
「そうだな……」僕は願望をこめて頷いた。
 しばらくの間、沈黙が流れた。
「そういえば、今日はハロウィンだったんだね」ロビンが再び、思い出したように口を開いた。
「ああ、そうだっけ。すっかり忘れてたよ。でも、間違ってるな、おまえ。今日じゃなくて、昨日だ。もう十二時はとっくに過ぎているから、今日は十一月一日さ」
「そうだね。本当に今年は、パーティも何もやらずに終わっちゃったんだ」
「ヘッドライナーと第一サポートの人たちは、今夜ニューヨークでパーティをやったみたいだけれどね。昨日、一足先に飛行機で行っているから。『君たちも一緒に来ないかい?』なんて誘ってくれたけれど、ありがたいんですが、車の移動なので無理ですってロブが答えたら、『そうだったね、それは残念だ。大変だね』って。大変だと思うなら、もう少し移動の楽なスケジュールを組んで欲しかったな。大抜擢してもらったんだから、文句をつけたら罰が当たるけれど」
「そうだね。でも僕、車で移動しているおかげでパーティに出なくてすんで、良かったと思っているよ」
「おまえはパーティ恐怖症だからな。まあ、僕もあまり好きじゃないよ。このほうがずっと気楽だ。身体は疲れるけれどね」
「子供の頃はハロウィン・パーティ、楽しかったけれどね」
「ああ、よくみんなで仮装して、近所を回ったな。僕は毎年おまえの家のパーティに招かれて、ジョイスと二人で行っていたっけ」
「君はいつも王子さまだったね、ジャスティン。ジョイスさんと二人で、妖精の王子と王女を毎年やっていたじゃない。それにゲームをやらせたら、いつも君が一番で」
「アハハ、そうだった。でも、おまえの家のパーティで、そっちの子供たちばかりの中で、ゲストの僕たちがいつも出しゃばっていたことになるんだな、考えてみたら」
「でも君たちはとても似合っていたから、誰も文句は言わなかったよ」
「それなら良かったけれど。僕は子供のころから、目立ちたがりだったのかな。おまえは、いつも目立たない脇役ばっかりやっていたし」
「そう。だって目立つと恥ずかしいし。それに僕はずっと君の後ろにばかりくっついていたよね、ジャスティン。君が一緒でないと何もできなくて。でも本当に楽しかったよ」
 ロビンは微笑して、しばらく黙った後、そっと言葉を継いだ。「子供のころは良かったね。何も知らずに、何も心配せずに。いろんなことがおもしろくて、楽しかった」
「そうだな。だけど、僕たちももう子供じゃなくなって、これからいろんな目にあっていくんだろうけどな。思いどおりにならないことだって、いっぱいあるだろうし。でも子供の頃に戻りたいと思っても無理なことだし、僕は戻りたいとは思わないよ。人間だれでも、成長して行くものだと思うから」
「うん。本当に大人になるって、いろんなことがあるよね」
「そうなんだろうな。まあ、ロブくらいの大人から見れば、僕たちなんか、まだまだ子供なのかもしれないけれどね」
「それはそうだね……」
 僕たちはしばらく黙り、フロントガラスの向こうに流れていくオレンジ色のロードランプを見ていた。やがて、ロビンが再び口を開いた。「今、どの辺かな?」
「今ボルチモアとフィラデルフィアの中間あたり、じゃないかな。良くわからないけれど。朝の渋滞が始まる前には、フィラデルフィアを抜けられるかな」
「そうだね。DCエリアの渋滞、けっこうひどかったものね。ジョージ兄さんが謝っていたけど、僕たち、アメリカの道路を走るのは初めてだから、仕方がないね」
「本当にな。あ、フィラデルフィアまで六十マイルっていう看板があったぞ、今。ということは、このまま走っていけば、四時過ぎにはフィラデルフィアに着ける」
「よかった。じゃあ、早く通れそうだね。もう少し……ではないけれど、先が見えてきたね」ロビンが両手をあわせ、小さく息をついた。
「そうだな」僕も少しほっとしたような気分を感じながら、頷いた。
「でも今僕たち、ボルチモア‐フィラデルフィア間を走っているんだね。九五号線の」
 ロビンの口調は、一転して沈んだように聞こえた。彼が何を言おうとしているのか、すぐに察した。僕たちの憧れだったスィフターが悲惨な事故に巻き込まれてバンド生命を断たれた場所が、ボルチモア‐フィラデルフィア間の、この道路だ。中間点より少しフィラデルフィアよりのところだったと聞いているから、その場所が近いのかもしれない。
 ほんの二時間ほど前に、ロブからその話を聞いたばかりだった。彼はクルーとしてバスに乗り合わせ、事故にあっていた。ロブはちょうど窓を開けたところだったため、そこから外に放り出されて奇跡的に軽傷ですみ、身体のほうは、ほとんど後遺症もないらしい。
『あの時は、みんなくつろいでいたんだ。彼らくらいのビッグネームだから、まるでホテルのような豪華バスで移動していたんだよ。これが最後のバスツアーだろう、とも言っていた。バスの移動は楽しいが、もう自分たちも若くない。次からは飛行機で行こう、と。あの夜、僕たちはワシントンDCからフィラデルフィアに向かっていた。コンサートを終えた後、みんなでお酒を飲んで、軽い食事を取りながら、映画を観て、冗談を言って笑いあっていた。新アルバムのツアーも終わりに近づいていて、動員も反応もかなり良くて、みんな上機嫌だった。それから、ギタリストのアーノルドさんが少し体調不良で、先に休みたいと、ベッド区画へ行った。彼が少し風にあたりたいと言ったので、僕は窓を開けた。その時突然、そうだ、本当に突然のことだった。あたりが眩しく光って、激しい衝撃を感じたんだ。それから何が起きたのかわからないまま、僕は自分が開けた窓から飛び出して、路肩に放り出されていた。バスが横転するのが見えて、次の瞬間、ボンと爆発して炎が吹きあがったんだ。もう、頭の中が真っ白になってしまったよ。これで終わりだ、何もかも……それだけしか感じられなかった。次に気がついた時には、病院のベッドにいたよ。左肩を脱臼し、肋骨にひびが入っていた。でも僕の怪我は軽い方だったよ。あとは、そのギタリストのアーノルドさんしか助からなかった。彼はベッド区画にいて、僕の開けた窓から自力で脱出できたんだ。かなりの重傷だったが。サロン部にいたほかの三人のメンバーと二人のスタッフ、運転手は助からなかった。何か大きな衝撃がかかったようで、即死状態だったと。バスが燃えたが、そのために死んだのではないと。それがせめてもの幸いだったとしか言えないが。他のバスで移動していたスタッフやクルーは全員無事だったが、肝腎のバンドがなくなっては、どうしようもない。本当に、一瞬で天国から地獄へ突き落とされたような気分だった』ロブは考え込むような沈んだ口調で、そう語っていた。
『先には何があるか、わからないものだな。僕たちが堅い地面だと思っていたのは、実は薄氷の上だったんだ。それが人生というものなのだろうが、たいていの人はそのことを知らない。何も知らずに冷たい水に落ち込んで、初めて薄氷の存在に気づくんだ』
 未来には何が待っているんだろうか――? ふと、漠然した恐れを感じた。小さなつまずきの一つ二つはあったものの、比較的順調に進んできた、僕の十七年間の人生。でも、まだ十七年と半年。これから先のほうが、はるかに長い。氷が割れることがあるのだろうか? すべてを失う日が、絶望と悲嘆にくれる日が来ることがあるのだろうか? 今まで漠然とした思いしか抱いていなかった未来に、もしかしたら起きるかもしれない暗転――。
 その時、静寂をつんざくように突然、叫び声がした。
「ダメだ!! ぶつかる! 止まれ!! お願いだから、止まってー!!」
 まるで空気がビーンと鳴動したようなそのトーンと、あまりに切羽詰まった、悲壮でさえある響きに、一瞬考えに耽っていた僕は思わず、反射的にブレーキを踏んだ。
「なんだ?」僕は呆気にとられ、ロビンと顔を見合わせた。
「あ、あ……びっくりした! 夢だったんだぁ!」
 エアリィが座席に起き上がったようだ。どうやら寝呆けて叫んだらしい。
「なんだよ、人騒がせな! びっくりしたのは、こっちのほうだ!」
 僕は思わず振り向いて叫んだ。まったくよりにもよって、なんてことを言うんだ。後ろに他の車がいなかったことを神に感謝しながら、僕は車を再スタートさせた。
「なんか言った、僕?」エアリィはわけがわかっていないような感じだ。
「ぶつかるから、止まれって。ジャスティン、思わず本当に止まっちゃったんだよ」ロビンがくすくす笑いながら説明している。
「あは、じゃ、本当に言っちゃったんだ! ごめーん。変な夢見ちゃって!」
「俺らも起きちまったぞ。まったく、おまえの声はえらい通るからな」ジョージの声がした。ミックとロブも、座席から起き上がる気配がする。どうやら、みんな起きてしまったらしい。
「どういう人騒がせな夢を見てたんだよ、エアリィ」僕は呆れて聞いた。
「んー、なんか本当に変な夢なんだ」そう答える声は、いつになく真剣な感じがした。「今も、まだ変な気分がするんだ。怖いのと不気味なのとで。なんか宇宙空間から見てるみたいな視点で、暗い中に地球が浮かんでて、ゆっくり回ってるんだ。青くてきれいな星だけど、今は病気だ。そんな風に感じてる僕がいて、祈んなきゃいけないなって気がして、けど口をついて出た言葉は英語の祈りじゃなかった。どこの言葉かわかんない、言葉にもできないような響きだった。でも、その意味はわかっていたんだ。『神様、お慈悲を』って」
「なんだよ、それは。本当にわけのわからない夢だな。抽象的すぎて」
「自分でもそう思うよ。けど、それは前フリなんだ。そのあとさ。どっか遠くのほうから、光が降ってきたんだ。宇宙線っていうか、ものすごい巨大な力を秘めた青白い光が地球めがけて飛んでって、最初は近くにいた小惑星に当たって、ぶつかったせいで、それが少し地球寄りに軌道を変えて、地球に衝突はしなかったけど、結構すれすれにかすめてって、それが半分砕けて、砕けた分は隕石の雨になって地球に降り注いで。で、それと同時にその光自体も、地球に当たった。当たった瞬間、光が増幅して地球が包み込まれて、地球自体が震えたように見えた」エアリィはそこで言葉を止めた。僕は運転しているのでその動作は見えないけれど、一瞬彼も震えたような感じを受けた。
「……そこから先は、もう地獄だった。世界中のあちこちから青や赤や白の光が……爆発の光とキノコ雲が上がった。ホントにキノコ雲なんだ。地球にいっぱいキノコが生えたみたいな感じ。そんな、のんきなもんじゃないけど、あれは。そのあと海が盛り上がって、山が崩れて……ああ、今の世界の終わりだ。はっきりそう思えた。そしたら時間が戻って、最初のシーンになったんだ。そこに光が飛んでって。うわ、リピート?! またあのシーン見るのは、やだ! って。だから、思わず叫んじゃったんだ。行くな、止まれって。やめてくれって言おうともしたんだけど、これは抗えない運命なんだって、そんな思いもあって……けど、なんでそんなこと思ったのか、それがわかんないのが、すごく怖かった」
「なあ、エアリィ。おまえ、一連の世紀末映画でも見た記憶があるんじゃないのか?」ジョージは苦笑しているようなトーンで、そう声をかけていた。
「『アルマゲドン』とか『ディープインパクト』とかは、昔テレビで見たけど……んー、なんていうか、ちょっと違うんだなぁ、あれは……」エアリィは続けて何か言いかけようとした感じだったが、言葉を飲み込んだようだった。
「なんかさ、夢でムキになって騒ぐのも変だよね。起こしちゃって、ごめん」
「良いさ。もう一回寝るよ」
 ジョージとミック、それにロブはまもなく、再び寝てしまったようだった。
「おまえは寝ないのか、エアリィ?」僕はちらっとだけ振り返り、きいた。彼は前のシート、運転席部分の背もたれに手をかけ、心もち身体を傾けて、僕とロビンの間からハイウェイの前景を見ているような感じだ。
「うん、なんか目がさえちゃって」
「ショッキングな夢を見ると、なかなか寝つかれなくなるってことあるよね、たしかに」ロビンがちょっと振り返りながら、言っている。
「うん。ま、それもあるんだろうど……なんか変な気分なんだ」
「車にでも酔ったのか、珍しいな」
「違うって、ジャスティン!」エアリィは笑った後、考えこんでいるような口調で、言葉を継いだ。「ねえ、みんなはさ……不思議に思うことってない? どうして自分が今、ここにいるのかって。なんか変な違和感を抱くことって」
「ええ?」僕は一瞬驚き、しばらく考えてから答えた。「この、ミュージシャンとしての自分っていうのが、不思議に思うってことか? それなら、僕らだってそうだよ」
「んー、違う。そうじゃなくって……もっと、その存在自体っていうか」
「つまり……今、自分は本来、ここにいるべきじゃないって感じがすること?」ロビンが少しためらいがちな口調で、そうきいていた。
「それとも、ちょっと違うんだ。いなきゃいけないんだけど、なんか変だって感じで。なぜここにいるのか。いや、何か理由があって、ここにいるはずなんだけど、その理由がどうしてもわかんない。まあ、いいや。考えてもホントにわかんないし、なんとなく怖いから。けどさっき夢見て、妙にズキッとした感じがしたんだ。なんか、心の奥深くが痛い。それに凄く……動揺してる。なんだかわかんないけど。なんだ、これは……なんなんだ……僕は知ってるかもしれない、って。それが何なのかもわかんないけど。今、ものすごくざわざわした気分なんだ。さあ、いよいよ始まるんだ……そんな気がすごくして」
「何がだ?」僕は問い返した。
「わかんないよ。ものすごく、そんな気がするだけさ。今までのことは全部、前哨戦に過ぎない。これからが本番だ。とうとうこれから始まるんだって」
「だから、何が始まるんだよ」
「知らないよ。ただ、何かすごく重大なことだって気がするだけなんだ」
「なんだよ。わけのわからない奴だなあ。だいたい、何か重大なことが始まりそうだ、なんていう気分は、デビューした時にでも感じてほしかっ……」
 僕は苦笑して言いかけたが、みなまで言い終わらないうちに言葉は途中で消えた。突然、僕自身の感覚の糸もぴんと引っ張られたような気がした。エアリィが感じているだろう予感めいた感覚が、一瞬共鳴して伝わってきたように。はりつめた緊張感と、言葉にできない漠然とした畏れのようなもの。印象が浮かんできた。氷が割れようとしている。暗闇の中、歩いている足下の氷が割れようとしている――。
 外は闇。バスが走っていくにつれて、ロードサイドとセンターラインの白とオレンジ色の反射板が、飛びすぎる蛍のように窓の外を流れていく。前にも後にも、車の姿はない。もう何時間も見慣れてきた光景だ。でも次の瞬間、変化が起きた。

 突然、あたりが光に包まれた。何千何万のフラッシュが一斉に光ったような、目のくらむような青白い光が、カーテンのように僕らを包み込み、降りてくる。瞬間、不意に何もかもが消えたような気がした。ロードランプの光も、夜の闇も、ハイウェイの路面も、バスの外壁や椅子、重力すらなくなったように。まったく虚無の空間に包まれたような、そんな感覚だ。自分が今どこにいるのか、立っているのか座っているのか、寝ているのか、それすらわからない。一瞬、気が遠くなりかけた。ふわりと身体が浮き上がるような気分。
 向こうから、何かがものすごいスピードで、こっちの方にやってくるのが見えた。赤いボディをきらめかせた大きな車。タイヤもなく、空を切って旋回しながら飛んでくる。僕は思わず悲鳴を上げ、反射的にハンドルを切ろうとした。でも、この車はコントロールを失っている。相手の車はすれすれのところを飛んでいく。すれ違いざま、対向車のドライバーの顔がちらっと見えた。そんな……そんなバカなことが。運転していたのは、僕自身だった。他の五人も乗っていた。まるで鏡の中へ突っ込んだようだ。乗っている車が違うだけで――。
 次の瞬間、全体が揺さぶられるような大きな衝撃を感じた。外側で渦を巻いていた光がとぎれ、再び重力を失ったような感覚。
(こんなところで、終わってしまうのかな……?)
 憤りと、悔しさと、あきらめにも似た思いを最後に思考が止んで、意識が空白になった。




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