The Sacred Mother - Part 1 The New World

第一章  プレリュード(2)




 翌日、僕らはジョージの指定したレストランで落ち合い、一緒に夕食をとった。以前にも数回、一緒にここで食事をしたことがあるから、彼の行きつけなのだろう。学生たちの多い、にぎやかな店で、料理の味も良かった。
 料理が運ばれてくる間に、僕らは話を切り出した。バンドが解散したのなら、僕らと一緒にやってみることも考えてほしいと。
「そんなこと、まだ忘れてなかったのか、おまえら。去年の暮れのことだろう、たしか。俺としちゃ、社交辞令のつもりで言ったんだぜ」
 言ったことを忘れてはいなかったにせよ、本気ではなかったことは、僕もある程度わかってはいた。だから、ここまでは予想の範疇だ。
「でも悪いが俺は、新しいバンドを、ちゃんと作りたいんだよ。友達とか、そういうしがらみは抜きで、プロを目指せるようなものをな。だから……」
「ハイスクール生のお遊びには、付き合えないって言うのかい」僕は思わずさえぎった。「お願いだよ。新しいメンバー全員が決まったのなら、あきらめるけど、そうでないなら、トライぐらいは、させてほしいんだ」
「おまえは何ができるんだ、ジャスティン?」
「ギターだよ!」
「やっぱりそうか。リードか? リズムか?」
「両方できるよ。でも、できたらリードがやりたいんだ」
「ヴォーカルは同時にできるか?」
「いや、無理だよ。歌は苦手だ」
「そうか……それで、ロビンはベースだったな」
 弟の方は、無言で頷く。
「ちょうど、ギターとベースは募集しているんだ。だがな……」
「僕らでダメな理由はなんだい? クラブに出られないから?」
「まあ、はっきり言えば、そうだ。できたら、即出演できる年齢の方が良い。まあせいぜい、十八なら許容範囲だ。でもジャスティンもロビンも、やっと十六そこそこだろ。あと三年も待たなければいけない。それは困るんだよ」
 そう言われると、ただうつむくしかなかった。ちらっと見ると、ロビンは涙目になっているようだ。長い沈黙の間に、料理が運ばれてきた。でも、手を付ける気がしない。
「ああ、もう、そんな湿っぽい顔をするな!」
 ジョージはぐいっとビールを飲み干し、グラスを叩くように置いた。しばらく黙ってじっと僕らを見ているようだったが、ため息を吐くように続けた。「わかったよ。オーディションだけは、受けさせてやる!」
「「本当に?!」」僕らは同時に顔を上げた。
「おまえらには、負けた。ただし、本当に一回、一緒に演奏してみるだけだからな! ミックに連絡しておくよ」
「ミックさんって?」
「キーボードの奴だ。そいつと俺だけが、今のバンドメンバーなんだ」
「元のバンドの、キーボードの人?」
「そうだ。ちょっと待て」
 ジョージは携帯電話でメールを打ち始めた。やがて、それをテーブルに置く。
「とりあえず、食おうぜ。温かいうちに」
 僕らは食事にかかった。その途中、ジョージの携帯電話が震えた。彼は手に取り、画面を開いて頷いた。
「ミックもオーケーだとよ。木曜の夜、うちの二番ガレージに来れるか、ジャスティン?」
「ああ、もちろん!」
「僕は?」
「おまえは聞くまでもないだろ、ロビン。うちのガレージなんだから」
「そうか……そうだね」
「ありがとう、ジョージ!」
 僕はフォークを置き、手を伸ばして、その手を握った。硬いタコがたくさんある。紛れもない、ドラマーの手だった。ロビンも「ありがとう、兄さん」と、頬を紅潮させている。
「おお。わかった。ただし、あまり期待するなよ」
「ところで、キーボードのミックさんって、どんな人?」
 二月に体育館のステージ上で見たその人を、思い出そうとしてみた。リードギタリストの後ろに少し隠れるようにしていたので、茶色の髪が長くて、少し恰幅が良かった――そのくらいしか、印象はない。でも音使いや入れるタイミング、メロディなどのセンスが際立っていて、「ああ、惜しいなあ」と思った覚えがある。あのバンドのリードセクションで、唯一ジャンクでない音。くすんだ全体像の中に、きらめく虹色の糸。
「一言でいえば、ちょっと変わってはいるが、真面目な奴だ。俺と同い年だが、学年は一つ上だ。おまえらと一緒で、一年飛んでるからな。それと、おまえらをスィフターファンにした、直接の原因だな。俺がおまえらに貸したCDは、実は奴のなんだ」
「本当に?」
「おまえらが去年行ったショウにも、行っているんだぜ。しかも最前列だ」
「すごいな!」
「ああ。次の日、奴から目いっぱいショウの話を聞かされたぜ。週末家に帰ったら、ロビンに追い打ち喰らったしな」
「ジョージはなぜ、行かなかったんだい? 素晴らしかったのに」
「別に俺も、おまえらほど熱心じゃないが気に入ってはいるから、最初は一緒に行くつもりで、ミックにチケットを取ってもらったんだ。スタンド席だがな。でも、それよりも重要な、野暮用ができた。それで俺が行けなくなったら、あいつは二枚分のチケットを転売して、オークションでシングルの最前席を取ったんだ。定価の十倍近く出してな。まったく、マニアって奴は、俺には理解できないぜ」
 ジョージはふうっと息を吐き出し、再び携帯電話の画面に目をやった。「まあ、とにかく木曜の夜八時に、うちに来てくれ、ジャスティン。夕食は済ませてきてくれよ。うちから迎えを出すか?」
「いや、大丈夫。歩いていけるよ」
「そうか。俺も木曜日は講義が終わったら、家に帰る。金曜は二コマ目からだから、家から出かける。帰ったら、母さんにそう伝えといてくれ、ロビン」
 弟の方は目を輝かせたまま、無言で頷いていた。

 スタンフォード家の第二ガレージは、倉庫のようなだだっ広い場所だ。第一ガレージが自動車用で、こっちは物置らしい。建物の半分くらいは、いろいろな荷物が山積みになっている。家自体は数えきれないくらい来たが、この中に足を踏み入れるのは、二度目だ。五歳の秋、ここでロビンと僕はかくれんぼをして遊んだ。でも子供がかくれんぼをするには広すぎたらしく、ロビンは僕を見つけられなくて、泣きながら「ジャスティンが、いなくなっちゃった」と、母屋に駆け戻っていってしまったらしい。なかなか見つけてもらえなかった僕は、寒いのとお腹がすいたのとで、泣きそうな気分になっていた。それ以来だ。
 中に入ると、コンクリートの床の上に、数客の椅子と、アンプ、キーボード、ドラムセットが並べてある。
「ここで、いつも練習していたんだ」
 ジョージはドラムセットの椅子に座りながら、僕らを見た。
「あ、その前に改めて紹介しておこう。こっちの二人だが、小さい方が俺の弟、ロビン――本名はロバートなんだが、親父と同じ名前なんで、赤ん坊のころからそう呼んでいるんだ。背の高い奴が、弟の友達のジャスティン・ローリングスだ。それで彼が、ミック・ストレイツ。本名はマイケルだ」
 僕たちは改めて向かい合い、握手を交わした。ミックはステージ上で見たとおり、恰幅のいい人だったが、面と向かって見ると、思ったより上背もあった。僕とそう変わらないくらいだろう。髪は垂らしておらず、後ろで一つに結ばれていて、メガネをかけている。きっと、こっちが普段の姿なんだろうけれど、ちょっとギャップがある。それに服装が、かなり自己主張していた。ラベンダー色のポロシャツに紫のバルキーセーター、ミリタリー柄のだぼっとした、ジャージ地のズボン。おまけにゴールドのスカーフだ。
 ミックは笑みを浮かべ、僕たちを見た。その声は低く、話し方はゆっくりしている。
「初めまして。よろしく。昨日ジョージから、君たち二人のことをいろいろと聞いたよ。もうすぐ、二人とも十六になるんだってね。同じ誕生日というのは、面白いね。占星術的には興味深い例だ。アストラル・ツインと言ってね、天文学的双子だ」
 彼は自嘲気味の苦笑を浮かべ、続けた。「すまないね。少し、占いに興味があって」
「大丈夫ですよ。妹も、結構好きみたいですから。あの……何座ですか?」
 太陽星座占いなんて、本当に興味のある人からは馬鹿にされる可能性があると後でわかったけれど、僕が知っているのはそのくらいだ。
「僕は乙女座だよ。分析好きで冷静と言われているが、どうかな」
 ミックは苦笑と微笑の中間のような笑みを浮かべ、手を差し伸べてきた。「それはともかく、同士に出会えてうれしいね」
「同士……ですか?」
「占いじゃないよ。同じスィフターファンということさ」
「あ」――そっちの方か。たしかに同士だ。おまけにこの人のCDがジョージに渡って、僕たちをファンにしたのだから、導師とも言えるかもしれない。
「初めまして。今日は、よろしくお願いします」
 大きくて、柔らかい手だった。でも手の平のわりに指は太くなく、先は固くなっている。最初は爪かと錯覚したけれど、後で見たら短く切られていた。長い間鍵盤を叩き続けて、固くなったのだろう。ロビンのほうは恥ずかしそうに、ほとんど聞き取れないくらいの小さな声で、「はじめまして……」と呟きながら、握手を交わしていた。
「さあ、挨拶も済んだところで、やろうか」ジョージが宣言した。
 僕たちはそれぞれのポジションについて、セッティングをすませた。
「最初は、知っている曲をやってみよう。どんなものなら、弾けるかい?」
 ミックは鍵盤に指を滑らせながら、僕らに聞いてきた。
「『Adam's Rib』でいいですか?」
 時々ロビンと一緒にCD音源に合わせて弾いていた、スィフターのインスト曲だ。
「あれをやるのか? 俺は一応叩けるが、相当難しいぞ」
 ジョージはウォーミングアップの手を止め、声を上げている。
「面白いね」ミックはそれまで以上に、大きな笑みを作っていた。
 音源ではなく、生の音合わせは――ことにドラムスやキーボードと合わせるのは初めてだったけれど、他の音を聞きながら自分のパートを演奏するのは、楽しかった。元の音に加えて、ちょっとしたアドリブも入れた。
 曲が終わってしばらくは、沈黙だった。その後、ジョージが呟くようにもらした。
「うっそだろう……」
「凄いね。この曲のギターパートを、あそこまで完璧に……いや、それ以上にやってしまうなんて」ミックは、僕をまっすぐに見てきた。その頬はピンクに染まっている。
「トーンもサウンドも素晴らしいし……それに、ギターで驚いてしまったけれど、ベースもよく頑張っていたね」
「ああ、たしかに叩きやすかった」
 ミックとジョージはポジションを離れ、隅で何か話していた。声を潜めているのでその内容は、わからなかったが。やがて二人は再び、楽器の前に戻ってきた。
「次は、フリージャムをやってみよう。基本はAで、テンポはミディアム。そうだね……十分くらいで」
「はい」
 フリージャムか。思いつくままにギターを弾くことは、何度もやったけれど、バンドの中では初めてだ。リズムを感じ、他の楽器の音を聞きながら、自分の音を紡いでいく。実際にやってみて、これほど有頂天な気分に浸れるなんて。十分間は、あっという間だった。
 演奏が終わると、ジョージはセットを離れ、僕のそばに来て、思い切り背中を叩いた。
「ジャスティン! おまえは、天才だ!」
「は?」
 ついで弟のそばに行き、その腕をぽんと叩く。
「ロビンも、よく頑張った。よくついてきた!」
 ジョージは自分の頭に両手を突っ込み、髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。
「まったく……まいったぜ!」
 ミックもキーボードから離れ、僕とロビンの間に来た。
「一度、一緒に演奏してみる。それだけのつもりだったんだ、僕たちは」
 彼は眼鏡越しに、その濃い茶色の目を最初は僕に、ついでロビンに向けた。
「君たちがある程度上手でも、クラブに出られるまで三年も待つのは、論外だと思っていた。でも……」ミックは大きく息を吐き、再び視線を僕に向けた。
「君たちとなら、待つ甲斐はあるんじゃないかと思えてきたんだ。ジョージも僕も」
「え、じゃあ……」
 その言葉の意味がわかると、僕は思わず飛び上がった。
「降参だぜ、おまえらには。よろしくな、新メンバーたち!」
 ジョージは両手を広げ、僕らの背中を再びバンと叩いた。
 僕は言葉を失った。ロビンも涙ぐんでいる。この夜、僕たちのバンドが誕生したのだ。

 夜の九時になっていたが、僕たちはその後、ジョージの部屋に集まった。ソファやスツールに腰かけ、新バンド発足の祝宴を開く。
「バンド名って、どうなるんだい? 前のバンド名?」僕は聞いた。
「いや、前のやつは引きずりたくない」
「お世辞にも、うまくいったとは言えないからね。縁起も良くないよ」
 ジョージとミックは、ほぼ同時にそう答えていた。
「面白い名前だと思ったけれど。Cosmic Stringsって。宇宙ひも理論だよね」
「良く知ってるな、ジャスティン。メンバーの一人が、天文物理を専攻しててな。まあ、名前負けってやつだ」
「コンセプトは気に入っていたんだけれどね、僕は」
 ミックは薄い笑みを浮かべ、視線を天井に向けた。「宇宙か……」そう呟き、カップを取り上げて紅茶を一口飲むと、天井に視線を向けたまま、しばらく黙る。そののち、彼はカップを置くと、僕らに向き直った。「いい名前を思いついたよ」
「ほう?」「なんて言うんですか?」
 ミックはジョージと僕に視線を向け、再びうっすらと笑みを浮かべた。
「AirLace」
「エア――レース? どういう意味ですか?」
 飛行機競争を思い浮かべた。でも、あれはRだ。
「宇宙に飛び交う光で織りなす装飾、だね」
「おい、宇宙に空気はないぞ。Airじゃないだろう」
 ジョージの言葉は、僕の思ったことでもあった。それに、宇宙の光は点のイメージだ。光子(フォトン)なら、まだわかるけれど。
「まあ、いいじゃないか。空気は空につながり、宇宙につながるんだから」
「おおざっぱすぎる定義だな」ジョージは首を振っている。
「僕は、なかなかいいと思います。あ、生意気だったら、すみません」この部屋に来てから、初めてロビンが言葉を発した。
「ええ。響きは良いですよね」僕は賛同した。いろいろと意味に疑問があるにせよ、いい感じだ。
「まあ、たしかにそうだな」ジョージは笑い、カップを取り上げた。
「本当はシャンパンと行きたいが、未成年二人だし、今日も寒いしな。AirLaceの誕生を祝って、紅茶で乾杯だ」
 僕らはカップを取り上げ、軽く合わせてから、中身をすすった。
「ただ、まだバンドとしては暫定だね。あと一人、必要だ」
「ああ。インストはそろったから、あとは歌い手だな」
 ミックの言葉に、ジョージも頷いている。
「二人は、歌えないの?」僕は聞いてみた。が、即座に否定された。まあ、前のバンドでもコーラスすらやっていなかったから、僕と同じで、苦手なんだろう。
「二本目のギターは?」
「いや、おまえ一人でいい、ジャスティン。ミックもいるから、ギターがちゃんと存在感を出せれば、一本で充分なんだ」ジョージは首を振り、ついでミックと顔を見合わせていた。「シンガー候補はミックとライヴハウスでも回って、あとはバンドのコミュニティで募集をかけて、なんとか見つけていくか。おまえらとしては、何か希望はあるか?」
「聞いてみないとわからないけれど、好みとしてはきれいなハイトーンの出る人、音程がたしかな人、声が魅力的な人、声量があって、エモーションがある人、かな」
「簡単そうに言うが、何気にめちゃくちゃハードルが高いな、ジャスティン」ジョージは肩をすくめていた。
「でも最低限、それは必要かもしれないね」ミックは頷いて、僕を見る。
「女は、ありか?」
 ジョージの問いに、僕は一瞬考え、首を振った。 「なんだか、いやだ。そこだけフォーカスされそうな気がする」
 別に女性ヴォーカル全般がダメと言う意味ではなく、良いバンドもある。でも、僕の目指すものとは違う気がする。
「じゃあ、できるだけ希望に沿えるよう、探してみよう。難しいだろうけれど。でも今は、僕らは四人だね。来週から、練習を始めよう。練習は週三回、事情が許せば四回でもいいな。家の人に許可をもらえれば――前もここを使わせてもらっていたから、大丈夫だろうけれど」ミックはジョージとロビンに視線を向け、二人はそれに応えて頷いている。
「しばらくは、練習しかできないだろうけれどな。仕事的なものは、あっても単発だろう。だが、仕方ないな。頑張っていこうぜ」
 ジョージがカップを取り上げ、僕らは再び紅茶で乾杯した。

 翌週から学校が終わった後、週に三回、一週おきに週末を入れて四回練習し、五月にやっと初めて、人前で演奏をすることができた。近所のハイスクールでのダンス――交流パーティで、出演料として二十ドルもらった。その学校の担当者は、流行のヒップポップは『俗っぽい』と言い、『あまりうるさくないポップ系を演奏してくれ』という要望を出してきた。僕たちの他にも二つのバンドが出演していて、僕たちは一番目に出た。仕事自体は人気ポップス曲のインストコピーばかりで、僕にはかなり不本意だったけれど、それを埋め合わせて余りあるものを、得ることができた。初めてのガールフレンド。ステラ・フォン・パーレンバークという名で、小柄で金髪、青い目のチャーミングな、品の良い女の子だ。僕のひとめぼれだった。僕らは付き合い始め、僕はますます忙しくなった。
 年齢的にクラブやライヴハウスに出演できないので、なかなか演奏を披露する機会はなかった。五月の演奏が多少評判をとったのか、六月に同じ学校の卒業パーティでの演奏を依頼された。でもその他は、七月と八月に一回ずつ、近所のハイスクールの体育館でやった、アマチュアバンドたちのライヴに出演しただけだ。けれど、今はバンドを育てる時期だ。僕とロビンが十九になって、クラブやライヴハウスというフィールドに出て行けるようになるまでに、しっかりと自分たちの音に磨きをかけよう。もし自信が持てれば、それまでにコンテストや動画サイトを使ってもいい。その思いで、ひたすら練習を続けた。
 そうして、春と夏が過ぎていった。

 練習場に使っているガレージには冷房がないし、あまり音が漏れないように、扉も天窓も閉め切ってある。地球温暖化の影響なのかどうかわからないけれど、冬の厳寒がうそのように夏は暑くなっているから、まるでサウナだ。二台の大きな扇風機が回っていなかったら、熱中症の危険さえ、あるかもしれない。ジョージはいつも上半身裸でドラムを叩いていたし、僕を含めたほかの三人も、ノースリーブシャツにハーフパンツ姿だ。それでもすぐに汗まみれになるので、一時間おきに休憩を入れて汗を拭き、練習が終わるといつもスタンフォード家の母屋でシャワーを浴びさせてもらっていた。
 九月に入ってすぐのこの日も、やっぱり暑かった。練習を初めて一時間後、僕たちは最初の休憩をいれた。タオルで汗を拭くと、クーラーボックスの中からコーラやジュースのボトルを取り出し、のどを潤す。休憩用の椅子はあるけれど、直にコンクリートの上に座った方が、ひんやりとして気持ちが良かった。
「もう九月か。バンドができてから、もうすぐ、半年になるんだね」ミックがそう口火を切った。
「そうだな。そのくらいになるか。あっという間だな。でもバンドとしちゃ、かなりまとまってきたと思うぜ。良いオリジナルのマテリアルもできてきたし。おまえ、本当に良いメロディセンスしているよ、ジャスティン。自分で言うのもなんだが、もし今クラブに出られたら、相当良い線いけると思うぜ。そうだ。来年はコンテストに挑戦するかな」
 ジョージが笑い、ついで首を振った。「ああ……だが、コンテスト系に出るなら、ヴォーカリストがいたほうが、いいんだよな。どうしてもアピールは歌ものの方が強いからな。あのコンテストで、過去にインストで本選に出たバンドなんて、ほとんどないんだ。完全に不可能とは言わないが、厳しいかもしれないな」
「シンガーを探すのが、こんなに難しいとは思わなかったな」僕は思わずため息をついた。
「僕は最初から難航を予想していたよ」
「もともと、ハードルが高いからな」
 ミックとジョージが、ほぼ同時に言う。
 この半年で、ミックとジョージがライヴハウスを回って「これならある程度はいけるかもしれない」と認めた候補者は何人かいたが、もともとよそのバンドにいる人を、ライヴハウスにも出られない僕らのバンドに誘っても、厳しい。動画やコンテスト狙いの線で誘っていくしかないが、それでなんとか一緒に演奏するところまでこぎつけた人が、一人だけいた。携帯電話の動画では一番ましそうに見えた人だったけれど、実際一緒にやってみて、一曲の半分も行かないうちに「あ、ダメだ」と思った。決して下手ではないのだけれど、歌が全く入ってこないし、届いてこないのだ。その後、コミュニティ経由で応募してきた人たちのうち、音源ファイルではましそうに聞こえた二人も、やっぱり同じだった。
「ハードルが上がっているのは、おまえのせいだからな、ジャスティン」
 そうなのか? まあ、最初にいろいろと要望は言ったけれど。
「先に希望を聞いたのは、そっちじゃないか。ジョージ。そんなに難しすぎる条件だとは、思わなかったよ」
「いや、そういう問題じゃないんだよ。おまえは本当に、自覚がないんだな」
 ジョージは首を振り、ミックやロビンと眼を合わせていた。「おまえの音は、存在感がありすぎなんだ。おまえは天狗になる奴じゃないからはっきり言うが、ジャスティン、おまえは天才だ」
 真顔でそう告げられて、僕は言葉を失った。
「だからこそ、難しいんだ。生半可な人では、君に食われてしまうからね」
 ミックも僕を見、言葉を継いだ。「君がいれば、インストバンドとしても行けるかもしれない。ライヴハウスに出られるようになるまでに、動画サイトにいくつか挙げていくしか、披露の機会はないにしてもね」
「僕は……それでいいと思う。このままの状態が、好きだよ」ロビンが顔を上げ、宣言した。声は小さいが。「インストバンドはマニアックなのは、たしかにそうかもしれないけれど、僕らもマニアックだし、そういうバンドもたくさんあるし」
「俺まで、マニアックにするな」兄の方は、少し不満そうだ。
「たしかにインストでもいけるだろう。ある程度は。それで満足できるなら、それでもいいさ。でも、俺はそうじゃないんだよ。あくまで、最終手段にしたいんだ。それに、俺はどうも引っかかるぞ、ロビン。おまえのその意見は、知らない人を入れたくないとか、人前で演奏したくないとか、そんな理由も入っていないだろうな?」
「人前で演奏したくないわけじゃないよ。確かにドキドキはするけれど、好きだよ。知らない人に気後れするっていうのは、たしかにあるけれど」
「やっぱりそうか」
「だって、兄さん。今僕たち四人で、楽しくやっているでしょう? 練習をしていても、こうして話していても。もう一人入ってくることで、この気持ちのいい調和が乱れてしまうのは、いやなんだ」
「おまえにとって、俺とジャスティンはともかく、ミックだって半年前までは知らない人だっただろう。でも今は、あまり直接話はしないにしても、おまえの言う気持ちのいい調和の中に入っているわけだ。五人目が来たら、まあ、よっぽど性格がやばい奴じゃなければ、新しい調和になるだけだ。それだけのことさ」
「じゃあ、兄さん……」ロビンはおずおずと言い出した。「あまり性格の変な人は、入れないで。怖いから」
「どの程度だよ」ジョージはあきれたようだった。「まあ、安心しとけ。俺らにも合わなかったら、お引き取り願うから」
「インストバンドか……」僕は、梁がむき出しの天井を見上げた。高い天窓から差し込んでくる光の中で、無数の埃が舞っているのが見える。
「でもやっぱり僕は、前線のパートナーが欲しいな。歌を入れたほうが一般受けするという以上に、感情とメッセージを確実に伝えられる人がいてくれたらって、思うんだ。言葉がある分、リスナーにメッセージを届けやすいと思うから。そうだな……だから、出来たら歌詞も書ける人がいいな。自分の言葉で、自分の思いを。ちゃらちゃらしたラヴソングじゃなく、スィフターみたいに真剣で深い詞が書けたら最高だけど」
「おい、ますますハードルを上げるなよ、ジャスティン。まあ現実問題、俺たちに詞を書く才はなさそうだから、歌詞が書ける奴っていうのも必須条件だがな」ジョージが苦笑して首を振る。
「それが理想形だね」ミックが頷いた。「難しい条件だとは、たしかに思う。でも、最初から完全に諦めてしまうのは、惜しいと思うんだ。もし、ジャスティンに対抗できるシンガーを見つけられたら……僕は思うんだ。インストバンドでも行けるとは思うけれど、今の僕らは、僕らが目指すバンドとしては、不完全な形のような気がしてならない。最後のピースが完璧にはまれば、このバンドは完全なものになる。そうなれば、より高いところへ行けると」
「そうだな。気長に探してみようぜ。ダメもとでもな。ああ、そういえば、おまえたちの学校は明後日から新学期か?」
「うん。とうとう最終学年だよ」僕は頷いた。
「ハイスクールは早いな。俺たちはまだ十日ある。ジャスティンもロビンも早く十九になれよ。そうすれば堂々とクラブに行けるからな」
「早くといっても、こればかりはどうしようもないよ、ジョージ。どうがんばっても、あと二年半かかることに変わりはない。だからそれまで、僕らに出来るだけのことをするしかないんだ。来年、もしコンテストに挑戦するなら、なおさらだね。その頃四人のままなのか五人になっているのかは、わからないけれど」
 ミックは苦笑気味の笑みを浮かべて首を振り、
「そうだな。ま、ともかく今は練習練習だ。大丈夫。素材はあるんだから、磨きをかけるんだ。さあ、休憩は終わりだ。やるぞ!」ジョージはパンと両手を叩いた。




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