The Dance of Light and Darkness : 光と闇の舞踏

第六章  氷の国セレイアフォロス(2)




 セレイアフォロスの首都セヴァロイスに向けて、一行はそれからも旅を続けた。変わらない、白と水色の景色の中を。他の国と同様、時々車とすれ違うが、たいてい相手の方はこちらの車の色に少し驚いたような目を向けて、すぐにまた視線を戻す。この車の緑色が不自然ではないアーセタイルとロッカデール以外では、どこも同じだ。フェイカンでは、先を急いでいるかのように、追い抜いていく車も多かった。今はどうなっているか知らないが、当時は「邪魔だ!」「よそ者はもっと端を走れ!」などと、追い抜きざまに怒声を浴びせられることも珍しくなかった。アンリールやセレイアフォロスでは、車はみな同じような速度で走っていくようで、追い抜かれることはめったにない。
 この世界に特有の、レラと同化して生きるという生物、ナンタムもよく見かけた。アンリールでは青い体毛で、水の中を泳いでいたが、ここセレイアフォロスでは薄青色で、氷の上を滑って移動しているようだ。空も薄青色で雲はなく、空気は研ぎ澄まされているような冷たさだ。
 レイニの生まれ故郷であるソレートの町を出て、街道をずっと北へ進み、六カーロンほど走ったところで、着いた街の宿に泊まる。ここは少し大きめの規模だったので、その夕は湯屋で湯あみをし、服や敷物を洗濯してから、部屋に干して乾かした。翌朝、店にポプルと水を買いに行った。どこの国でも、売っているポプルはエレメントを持たない、ただ単純な生体力の補給に使う用途の白と、その国のエレメントの色が大半で、異なるものは、よほど大きな都会の大きな店でないと扱っていない。この街で一番大きなポプル屋でも、扱っている色は、本来の薄青色と水の青以外では、火の赤と風の銀色が十数個、光の黄色と闇の黒、大地と岩の緑と灰色がそれぞれ十個弱ずつしかなかった。一行は灰色以外のすべての色を、二個ずつ残してすべて買い(いっぺんに全部買い占めてしまうと、万が一後から買いに来る人に申し訳ないと、気づいたからである)、たくさんの白ポプルと水も買って、宿に帰った。ただ旅をしているだけでは、それぞれのエレメントの力を消費することがほぼないので、白だけを補給していれば済む。買い物を済ませて再び宿に戻ったころには、洗濯物も乾いていたので、それを再び荷物に回収して、出発。そして五カーロンほど走った後、次の村に着く。
 この国の駆動生物(地面からレラを取り込んで走る動物)であるパジェミラは、ロッカデールやフェイカンのそれと違って、明かりがあっても夜は走れない性質のため、休ませる必要がある。フェイカンで神殿の報酬として簡易宿という、広げれば雨や外気をしのげる簡単な家になるものをもらったが、アンリールでは一面水で、浮き地面がなければ使えないために野営ができなかった。ここセレイアフォロスでは、地面が冷たい氷のため、いくら敷物を使っても、その上に寝るのは、氷や水の民以外は寒くて厳しい。それゆえ、その次に泊まれそうな町まで、陽があるうちに行かれない場合は、早い段階で泊まらなければならなかった。
 
 キャレーロ村も、そう言った通過地点の場所で、一行が到着したのは、昼の七カルすぎだった。レイニの故郷、ソレートからここまでは、町や村との間隔の関係で、しばらく小刻みな行程が続くのだ。
 この村には、小さな宿屋が二軒しかなかった。最初に訪ねた宿の支配人は、しかし受付机の前に座ったまま、身動きもせずに前を見つめているだけだった。
「今晩泊まりたいのですけれど、部屋はありますか? わたしたちみなで、十二人ですが」
 ロージアがそう問いかけても、返事もせず、表情も動かさずに瞬きだけしている。何度問いかけても同じようなので、一行は諦めて残った一件の宿に行き、幸いそこで泊ることができた。
「しかし、俺たちがよそ者やディルト(混血)だからって、ああいう態度をとる奴は初めてだな」
 もう一軒の宿の部屋に落ち着いてから、フレイが苦い顔で首を振っていた。
「本当よね。感じ悪い」リセラも顔をしかめている。
 翌朝、出立の時に、この宿で働いているらしい女性と行き違った。宿に泊まると、そこで働いている人に時々行き会うことは、これまでにもある。どこでも愛想はないものの、『ありがとうございました』くらいは言う。『お気をつけて』と言ってくれる人も、稀にはいた。しかし、この中年らしき女性は廊下に立ち、こちらを見ようともしなかった。掃き掃除用の道具を手に持っているが、掃除をしている風でもない。一見、完全に止まっているように見えるが、時々思い出したように、わずかに動く。
 昔ミディアルにいた頃、子供のおもちゃを売る店で、自動で動く人形を見たことがあった。ある一定の時間が過ぎると、動きが遅くなり、やがて止まる。その女性はまるで、動きが止まる直前の人形のようだった。
 村を出る道で、近くにある家の扉のそばに、立ったままの女性を見かけた。何をするでもなく、ただ外にいて、空を見上げたまま、固まっているように見えた。村の通りには、ほとんど人もいない。たいていこの時間には、どの町でも何人かの人と行き会うものだが、村を出るまでに見かけたのは、歩いている人が二人、車に乗っている人が一人、それだけしかいなかった。この村自体が小さいことを考えても、明らかに少ない。
「なんだか変な村ね、ここは」
 ロージアが外を見ながら、微かに眉をひそめて、そんな感想を漏らしていた。
「もしかしたら……」
 指示席に座ったクリスタ少年が半分だけ身体をねじり、口を開いた。
「もうすぐ、ここも凍っちゃうのかもしれないです」
「え?」あとのみなが、一斉に小さな声を上げた。
「ぼくの町でもありました。町が凍りつく一シャーランくらい前から、動きが止まってしまう人が、現れ始めたんです。昨日、もう一軒の宿の人を見た時、ぞっとしました。そうじゃなければいいなって……」
「レミルダが凍る一シャーラン前から、あんなふうに動きが止まる人が、現われたっていうこと?」
 ロージアが眉をひそめたまま、鋭い声で問い返す。
「ええ。町が凍り始めるころには、半分くらいの人があんな感じになっていました。まだ動ける人は、逃げようとしたんですが……」
「ここが、どのくらい前からこんな調子なのかはわからないが、急いで先に進んだ方がよさそうだな」
 ディーは腕を組み、前方に目をやりながら、頭を振った。
「あ、ねえ、あそこを見て! 白いものが、たくさん積もっているみたい」
 村を出てから半カーロンくらいは知ったところで、リセラが声を上げて指をさした。
「ナンタムだね、すごくたくさんいる」
 仲間の中では一番遠目の利くアンバーが、そう声を上げる。
「白くなって、固まりになっているんだよ。全然動いていない」
「ここのナンタムは水色なのだけれど、真っ白になるのは、明らかに変ね」
 レイニも気づかわし気に、その方向に目をやっていた。
「動いていないのも、休憩中ならともかくな……あんなふうに積み重なっているのは、見たことがないな」
 フレイも目を細めてその方向を見、ついで東の彼方に目をやった。
「いわゆる“氷の巨人”という奴のせいなのかもしれないな。レラの流れをせき止めているような……いや、違うな、レラを吸い取ってしまっているかのようだ」
 ディーは眉を寄せ、ついで車の前方に目をやった。
「そうすると、こいつら――駆動生物にも影響が出るかもしれない。実際、少し速度が落ちていないか?」
「そうかもしれませんね」
 クリスタも心配げに目をやる。
「おい、ここから次の町までの行程は長いんだ。あんまりゆっくりになったんじゃ、ここから先が困るぜ」
 フレイが当惑の声を上げたが、その思いはみな同じようだ。
「このあたり一帯だけだろうとは思うが、早く抜けないと、ますますレラの力が取られて、速度が出なくなるだろうな」
 ディーが首を振った。実際に車の速度は村を出た時に比べて、三分の二程度に落ちているように思われた。それがさらにゆっくりになっていき、さらに半カーロンが過ぎた頃には、半分近くの遅さになっている。
「このままでは、まずいですね」
 クリスタは首を振り、そして振り返った。
「すみません。氷ポプルを二つくらいください」
「はい」ロージアが袋を探り、水色のポプルを二個、少年に差し出す。
 クリスタはそれを受け取ると、一つは服に付いた内袋に入れ、もう一つを口に入れた。食べ終わると、三頭の駆動生物をつないだ紐を両手でつかみ、声をかける。
「がんばって! 今、力をあげるから」
 少年の帽子についた稀石が光り、そこから薄青い光が肩から腕を伝っていった。それはその手の先から紐を通って、前を行くパジェミラたちに伝わっていく。その身体にかすかな薄青い光がまとわりつき、それと同時に彼らは速度を速めた。見る見るうちに、以前と同じ速度へと戻っていく。車は再び勢いよく走り始めた。
「わあ、すごい。これも何かの技?」
 ミレアとサンディが同時に声を上げる。
「俺たちがミディアルで駆動車を動かしていたのと、同じ理屈だ。レラの放出は、特に技とかじゃないんだよ」
「でもクリスタ君の場合、稀石で増幅されて、力が強くなっているみたいだけれどね」
 ブルーとレイニがそう説明していた。
 それから一カーロンもしないうちに、どうやら車は危険地帯を抜け出したようだった。特にレラを補給しなくとも、駆動生物は普段の速度で進むようになり、一行はさらに北へと進み続けた。そして日没直前に、なんとか次の町に着いたのだった。

 それからしばらくは何事もなく旅が進み、途中立ち寄った町でも、凍ったように動かない人を見かけることもなかったが、キャレーロ村を出てから三日目の午後遅くになって、雪が降り始めた。アンリールで雨がよく降るように、セレイアフォロスでは雪が降ることも珍しくはないようだ。車にはしっかりとした天蓋がついているので、窓を閉めてしまえば中に雪が降りこむことはないし、天蓋のない指示席にいるクリスタは氷の民ゆえ、雪が降りかかることは気にならないらしい。そして日が暮れる一カーロンほど前に、彼らはルフェルドの町に到着した。セレイアフォロスの首都セヴァロイスへ向かう行程の、最後の宿泊予定の町だ。
 いつものように宿を求め、部屋に落ち着いたその翌朝、起きてみると窓の外は白一色となっていた。激しい雪が渦巻いて降っているようで、見晴らしはほとんどない。
「おいおい、これで走れるのか?」
 フレイが窓の外を見て、そう声を上げている。
「ここまで吹雪いてしまうと、無理かもしれません」
 クリスタが当惑したような声で答えている。「パジェミラは雪の中でも走れますが、こんなに周りが何も見えない状態では、行先がわからないと思います」
「そうね。それにしても、こんなにひどい吹雪は、あまり見たことがないわ」
 レイニも首を振り、クリスタも頷いている。
「ぼくもです。レミルダでも、二、三回くらいしか、あったことがないと思います」
「これも、“氷の巨人”とかの仕業じゃないだろうなぁ」
 フレイの言葉に、ディーは微かに苦笑を浮かべていた。
「そうかもしれない。単なる偶然かもしれない。それは、俺にもわからないが、この中では走れないとなると、止むのを待つしかなさそうだな」
「まあ、ここには止まっている人はいなさそうだし、慌てて次へ行かなくても大丈夫なんだろうけれど」と、アンバーが首をすくめ、
「いや、こんなにセヴァロイスに近い場所でそんなことになってたら、大変だろうよ」と、ブルーがむっつりした表情のまま、首を振る。
 吹雪はその日も、その次の日も吹き荒れた。その翌日、やっと止んだ時にはもう昼の五カルを回り、その日のうちにセヴァロイスに着くのは不可能になっていた。それで一行はその翌日、ちらつく雪の中を、この国の首都へと向かったのだった。

 首都セヴァロイスに着いたのは、国境を越えてから十日が過ぎた頃だった。吹雪で足止めされたため、予定より三日遅い。その日はもう遅かったので宿を求め、翌日の朝、氷の神殿へと向かった。
 国を治める精霊を祭る神殿を訪れるのは、六回目だ。氷の神殿はアンリールのものに似て、円形の敷地内に建っているが、建物自体は初めて見る形だった。六つの角と面でできた、六角形だ。建材は透明感のある淡い水色の石で、六つのうち一つの面が入り口のようだ。両側に立った大きな丸い柱の奥に、水色の扉が見える。その扉には、雪の結晶のような浮き彫り模様がついていた。
 門のそばに立っていた守衛に通行証を見せ、中に入る。それは、神殿の敷地内に入る時と同じだ。車は宿に預け、一行十二人は、ここまで徒歩で来ていた。
「中に入る前に、こちらの石に手を触れてください。氷の民の血を引くものは右側を、そうでない人は、左側のものを」
 扉の両翼には、長い脚のついた水盤のようなものが備え付けてあるが、中に入っているのは水ではなく、青白みがかった、丸い透明な石だった。クリスタとレイニは右側のものに手を触れ、それ以外は左側に触れる。石はつるりとしていて、まるで氷のように、ひんやりとした感触だ。触れた瞬間微かな衝撃のようなものが、身体を通り抜けていった。
 扉が開いた。その石に触れることで、開くようにできているのかもしれない。短い通路の奥に広間があり、ご神体が安置されている。セレイアフォロスの神殿広間は建物と同じ六角形で、ご神体を収める大きな器も、その形になっている。床も壁も薄い水色の石でできており、ご神体は大人が二人で両手を広げたほどの幅で、天井まで届く、果てしなく透明な氷だった。雪の結晶模様が壁や器に刻まれ、無数の水色に光る稀石がきらめいている。
 見上げていると、奥の扉が開いて、神官の服を身に着けた人が、二人ほど出てきた。彼らは一行を見、「神官長様が待っておられますから、こちらへ」と告げる。
 
 広場の奥にある、神官長の控えの間らしき部屋に入ると、椅子に座っていた人が立ち上がった。対面する五人目の神官長である人は、女性だった。若くはないが、それほど年を取っている感じでもない。この世界のことを知らないサンディにかつて説明したように、人の年齢は、成人するまでは身体の大きさと、顔のバランスで見分ける。エレメントによって多少のばらつきはあるが、おおむね子供はやや目が大きく、鼻と口が小さい。大人になるにつれて、だんだん眼は小さくなり、逆に鼻や口はしっかりとしてきて、同時に身体が成長する。成人として完成するのが、二二歳から二五歳の間だ。それ以降は、だんだん眉が抜けてきて、髪の色も徐々に薄くなり、身体が小さくなっていく。と言っても、髪が真っ白になることはなく、色は残るので、褪せるような感じになる。
 この神官長は髪の退色と眉の抜けがあまり多くないので、三十代くらいだろう。長い水色の髪を背中に流し、どっしりとした神官長の衣装に身を包んだその顔は、研ぎ澄まされたような鋭さを感じさせた。
「私は氷の神官長、アヴィディマ・ライエヴァリです」
 その人は良く通る声でそう名乗り、一行に前に座るよう促した。
「二シャーランかかりましたね、ここに来るまでに」
 それはここに入国してからでなく、隣国の首都ローリアルネを出てからの日数であることに、ディーをはじめ何人かが気付いたようだった。ディーが代表して、頭を下げた。
「申し訳ありません。急いで来たのですが、途中吹雪で足止めされてしまいました」
「承知しています。それを責める気はありません」
 神官長は平たんな調子で遮った。
「私たちにとって、時間は貴重ですが、いたしかたありません」
「この国全部が凍りつくまえに、ということでしょうか」
 問いかけたディーに目を向け、ライエヴァリ神官長は頷く。
「氷の浸食がここに来るまでに四シャーラン、西端に到達まで三シャーラン、東端で一シャーランと三日、南限で三シャーラン半です。もっともアンリール領までは、浸食しないようですが」
「なぜ、こんなことが起きたのでしょうか。“氷の巨人”の話を、ここへ来るまでに聞きましたが、それなのでしょうか」
「そうです。ただ、ここまで急に来るとは、私たちも思いませんでした」
 ライエヴァリ神官長は微かに眉をしかめ、ゆらりと首を振った。
「気の淀みや思いには、精霊様もかなり以前から気づいておられたようですが、その進行が“巨人”となり、強い力となってこの国を凍らせ始めるまでには、まだ相当長い余裕があるはずであると、感じておられたようです。ところが昨年――そうですね、ちょうどミディアルが滅ぶ四シャーランほど前から、その悪しき力が急に強まってしまったのです。ミディアルの滅亡と何か関係があるのか、ただの偶然なのか、しかとはわかりかねるところもあるのですが」
 神官長は指を額に当て、眼を閉じた。
「ミディアルが滅ぶ四シャーランほど前……」
 呟いたディーに、ロージアが呼応する。
「ちょうど、わたしたちがサンディを見つけた頃かしらね」
「わたしですか?」
「ああ、あなた自身が何かあるわけじゃないし、偶然でしょうけれど」
 ロージアは微かに少女に笑みを作る。
「サンディ自身でなく……彼女が来たことが、きっかけになったのかもしれない」
 ディーが頭を振り、耳の上に手をやった。「異世界の扉が、少しだけ開いたことが、何かこの世界に干渉したのかもしれない。思えば、マディットがミディアルを滅ぼしにかかるようなことをしたのも、その影響だったのかもしれない。いくらミディアルの人々が、年々饗応的になっていったとしても……」
「それは、エフィオン?」
 問いかけたリセラに、ディーは無言で頷いた。
「エフィオンの力は、精霊様と同じ力の源から来るもの。それは正しいのでしょうね」
 ライエヴァリ神官長が同意した。
「この後、巫女様にお目通りとなるのでしょうか?」
 以前の神殿訪問なら、神官長に会った後、巫女の間へ通され、依頼を受けるのが常だった。しかし、神官長は首を振った。
「いいえ、残念ながら、巫女様は今、みなさんにお会いできる状態ではありません」
「それは、どういう……?」
「お眠りになっておられます」
「え?」
 一斉に、みなが驚きの声を上げた。巫女は、決して眠らないのものだからだ。瞬きをすることさえ、稀だ。それゆえに巫女となった少年少女は、精霊が離れた後は盲目となり、身体も衰弱しきって、数年で亡くなってしまうのが普通なのだ。
「それまでにも、時々うとうとされていたようですが、一昨日からずっと眠った状態となりました。これは、大変な異常事態なのです」
「精霊様が眠ったようなものですから、理解できます」
 ディーが恭しく同意する。
「それで、早急にみなさんにお願いしたいのです。“永遠の炎”を取ってきてください。ここが凍ってしまう前に」
「“永遠の炎”……ですか?」
「はい。それがあれば、巫女様を眠りから覚ますことができます」
「どうすれば、取れるのですか?」
「ここから西にずっと進むと、イメルの港があります。小さな港ですが、そこから船に乗って四日くらいで、ロンデロ島につきます。そこはフェイカン領ですが、あちらの神殿に許可をもらいました。そこの洞窟にあるそうです。“火守”が守っていますが、火の精霊様からのお許しがあるので、心配はいらないそうです。サヴェルガ神官長より、そう伝えられました」
 ライシャ・サヴェルガは、フェイカンの神官長だ。フェイカンでの、タンディファーガ家をめぐるトラブルにかかわった折り、接した。おそらく今まであった五人の神官長の中で、最も親しみを感じさせる人だった。
「そうなると、船が必要なのですが、ご用意いただけるのでしょうか」
「それは、もちろんです。港に船を一隻、用意させています。イメルまでは、こちらの車をお貸しします。パジェミラを六頭つけた車ですから、あなた方のものより早く進むことが可能です。船は速度を出すために小さいので、車やパジェミラを積むことはできません。それはあなた方が戻られるまで、港の礼拝所に預けておいてください。そこのものが、あなた方を船まで案内してくれるでしょう」
「はい。わかりました」
「そうして、無事に巫女様が目覚められたら、あなた方にはもう一つお願いがあります。今度は北へ向かい、ディジェレ湖原で、“心のかけら”を見つけてください。“永遠の炎”と“心のかけら”、さらに歌姫の歌、そしてあなたのレヴァイラによって、“氷の巨人”は消えます。そうすれば、凍りついた場所も、元に戻るでしょう」
「ずいぶん、たくさん必要なんだな」
 フレイがぼそっと呟き、慌てたように「失礼しました」と詫びる。
 ライエヴァリ神官長は視線だけそちらの方へ向け、口元を緩めることなく頷いた。
「それだけ、手の付けられない力になってしまったのです。どの時代、どの国においても、レラの偏りや気の淀みによる暴走が魔物となり、獣となり、被害を及ぼすことがある。しかし、その時には必ずそれを解除しうるものが用意され、それを手に入れて浄化できる人が現われる。今の時代においては、それがあなた方なのだと思います」
 神官長は一行を見、さらに表情を引き締めた。
「成功できたら、それに見合う報酬を約束します。そして、船も差し上げましょう。ロンデロ島に行くための船より大きく、車を積むことができるものを」
「わかりました」
 ディーは頷き、仲間たちと眼を合わせた。すがるように見ている、クリスタ少年とも。彼を車に乗せた時から、この氷の国での頼まれごとに乗る覚悟が、みな出来ているようだった。
「いつものことだし」リセラが小さく笑い、
「本当に、おなじみの展開だな」と、フレイは苦笑いする。
「そう。いつもそういうことになるのが、運のめぐりあわせなのだと思うこともあったが――神官長様が仰られたような、そういう役目を我々が担っているのだとすれば、光栄なのか迷惑なのかはさておき、やるしかないのだろうな」
 ディーは髪を振り、息を吐いてから神官長を見た。
 ライエヴァリ神官長は表情を動かすことなく、頷く。
「ありがとう。それでは、庭に車を用意させているので、すぐに出発してください。日没までに、イメル港に到着できるように。着いたら礼拝所に車とパジェミラを預け、そこに宿泊して、翌朝島に向かってください」
「わかりました。車には、そちらからのお人はつかないのですか?」
「必要ならつけますが、指示席に座る人がいれば、みなさんだけでも十分ではないですか?」
「では、車とパジェミラ六頭だけを、お貸しいただけるわけですね」
「そうです」
「わかりました。それではすぐに……と言いたいところなのですが、荷物を宿に置いてきてしまいました。取りに行ってもよろしいですか?」
「その時間が無駄になれば、日没までにイメルに着けません。ポプルや水なら、こちらで用意しました。車に積んであります」
「わかりました。それならば、これからすぐに出立します」

 一行は神殿を辞すると、庭に用意されていた車に乗り込んだ。三人掛けの座席が四列並び、後ろに荷物を入れる箱がある。水色で、氷の神殿の紋章が入った、天蓋付きの車体に、六頭のパジェミラたちがつながれている。荷物箱の中には白と各色のポプル、水の瓶がたくさん入っていた。上着は幸いみな着ているので、行先に難所がなければ、これだけの装備でも、こと足りそうだ。
 クリスタが指示席に座り、パジェミラたちに「イメルの港に、急いで行って」と告げると、彼らは小さく鳴き声を上げて答え、一斉に走り出す。神殿の門をくぐり、セヴァロイスの大通りを通り抜けて、都市の門をくぐる。そして西に向かう街道を、走っていった。駆動生物たちはみな若く、力もあるようで、ここまでに乗ってきた車の二倍ほど、速度がありそうだ。道路はなめらかな氷の上なので、ほとんど振動は感じない。滑るように進んでいく。
 セヴァロイス周辺は晴れていたが、西に向かうにつれ、空から雪が舞い落ちてきた。だが、激しい落ち方ではない。この地方でよくみられる降り方だった。
「そうだ、レイニ。思ったより時間がかかってしまったけれど、頼まれていたものができたよ」
 車の中で、ブランが袋の中を探り、前の座席に座っていた水色髪の女性に差し出した。その手の中には、水色の稀石をはめ込んだ、銀色の首飾りがあった。
「ありがとう、ブラン。とてもきれいね」
 レイニの顔に、優しげな、寂し気な笑みが浮かんだ。彼女はそれを手に取り、愛しむように包んだ後、首にかけた。かつて彼女の妹だったその小さな石が、姉の襟元のくぼみに収まると、小さな光を発した。
「これからは、一緒に旅をしましょうね、メリナ」
 その小さなささやきは、隣に座っていたロージアにしか聞き取れなかったようだが、みなその思いを感じたようだ。
「いきなり未知の島への冒険で、大変だけどな」
 フレイが少しおどけたように声をかけ、
「とんでもない仲間になったと思うかもな」と、ブルーも表情を変えずに言う。
「大丈夫よ。きっと喜んでいると思うわ」
 レイニは微笑み、そっと稀石に触れた。
 やがて白一色の景色の彼方に、鈍い灰色の海が目に入ってきた。その前景には、小さな町の影がある。太陽が沈みかけた頃、一行はイメルの港に到着した。




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