The Dance of Light and Darkness : 光と闇の舞踏

第五部 水の国アンリール(1)




 カルアル海峡は、フェイカンとアンリールを隔てる海である。海峡というだけあって、対岸はかなり遠くにではあるが、見えていた。両国の間には、物資の行き来はあるものの、人の往来はほとんどないらしい。フェイカン側の国境の町カルサを抜ける時、一行はその国境警備兵に告げられた。
「向こうから迎えの船が来るまで、二カーロンくらいかかるだろう。ここの門を抜けた先の波止場で、待っているといい」
 その口調はロッカデール側から入国した時よりいくぶん和らいでいるようだが、それでもその底に、抑えきれない微かな軽蔑や排斥の感情が入っているようだ。神殿からの『おごりを捨てよ』というお達しを、さすがにそれに従わなかった時の罰を見て、飲み込まざるを得なかったようだが、長年染み付いた思いは、そう短時間には変わりはしないのだろう。ディーたち一行十一人は程度の差こそあれ、その思いを感じたような表情で、お互いに顔を見合わせていた。
 駆動生物たちは国が変わると使えないので、感謝の言葉をかけてフェイカンの店に委託し、代わりにアンリールで同じような生物と引き換えられる札を三枚もらった。通貨に関しては「アンリール側で交換してくれ」とのことだった。

 駆動生物がいないので、みなで綱をつけて車を引っ張り、波止場で待つこと二カーロン以上たって、対岸から船がやってきた。船と言っても、平たい板のようで、三頭の水色をした流線型の生き物が、それを引っ張っている。先端には小さな座席がついていて、そこに青い髪と衣装に身を包んだ、比較的小柄な中年の男が座っていた。
「珍しいな。フェイカンから人が入国してくるとは。と言っても、あんたたちはほとんどディルトなんだな。全部で十一人。そのうち一人はフェイカンの民で、もう一人は我がアンリールの民か。だが疵人なんだな」
 その言葉を聞いて、ブルーはさらに青ざめていた。『疵人』とはどういう意味か、をさすがにリセラさえ問い返すことなく、みなその意味がおよそわかったようだ。『元罪人』なのだろうと。その扱いゆえに、ブルーは祖国を出たのだということも、みなわかっていた。以前、彼がそう話していたからだ。稀石に対する執着心から、一度神殿の稀石を持ち帰ってしまい、罪に問われた。罪は償ったが、一度罪を犯してしまうと、扱いはディルトよりひどい、と。
「改めて、通行証を見せてくれ」
 男の言葉に、ディーは服の内側に着いた袋から、水の神殿の紋章がついた小さな板を出した。男はそれを手に取り、ひっくり返して見たのち、返してよこした。
「わかった。あんたたちの入国は、精霊様が許可されたということか。それなら我々が拒否する理由はない。乗ってくれ。その板の上に車ごと」
 一行は車を板の上に押し上げ、その座席に座ると、頷いて男は駆動生物たちに命じた。
「アンリール側に戻れ」と。

「あれがアンリールの駆動生物なの?」
 海峡を渡る船の上で、車の座席に乗ったまま揺られながら、リセラは前を行く生物たちを見、ブルーに問いかけた。
「ああ。ヴェクサという。あいつらは陸の上より、水の方が得意なんだ」
 問われた方は頷き、同じように前方に目をやっていた。三頭の駆動生物たちは、その濃い水色の体表を水の上に半分ほど出していた。首は短く、尻尾は扇形で、幅広の四本の足が水面を叩くように、水をかくように進んでいく。その速さは他の国の駆動生物たちが陸上を走る速さと同じくらいだった。
 対岸に到着すると、国境の門を抜け、アンリール側に入った。入ってすぐに駆動生物屋があったので、フェイカンからの引換証を見せて、さっき見たものと同じような三頭の駆動生物をもらい受けた。それを車につけ、ブルーが指示席に座る。ロージアはフェイカンの通貨を、アンリールのそれに両替していた。
「通貨を交換したら、渡し代を払ってくれ。百ラナだ」
 一緒に川を渡ってきた男が、そう言ってくる。「金をとるのかよ」と、フレイが小さく呟いていたが、「それが不満なら、フェイカン側からも、こっちへ来る手段を考えてくれればいい。いつも我が国から迎えに行くからな。物資も。それなのに、いつも文句を言うんだ。おまえさんもそうだな」と、男は切り返していた。
「まあ、今までは向こうから来ればいい、そんな感じだったんだろうが――今までのフェイカンではな。それが選民思想か――ああ、俺としたことが、余計なことを言っちまったな」フレイは少し恥じたような顔をした。
「ただ、アンリール側じゃ、国境の渡しが儲けになっているから、フェイカンに手段を講じられるのも、あまり好まないかもしれないんがな」
 ブルーは首を振り、思い出したように付け加えた。
「そうだ。街道に出る前に、浮き板も買っておいた方が良いぜ。車屋に置いてあるはずだ」
「浮き板?」
「ああ。ここの街道はさ、運河がほとんどなんだ。水の上を行くことになるから、それがなきゃ、車が沈む」
「そうなのか」
 一行は店でそれを買い、車に取り付けた。それは白くて細い、二枚の軽い板で、車の側面に取り付けられるようになっている。作業が終わるころにはもう日も暮れかけていたので、彼らは店で地図を買った後、宿屋を探して泊まった。アンリールの駆動生物は、夜は走れないのだ。十一人が泊まれる部屋はなかったので、六人部屋二部屋に分かれた。

「港からエウリスに渡るのなら、ほぼアンリールを斜めに横切ることになるね。駆動生物の速度がほかの国と同じだとしたら、五日くらいはかかるだろう」
 その夜、みなが一つの部屋に集まってポプルと水を補給し終えた後、ブランが地図の上に手をかざして、そう切り出した。
「もしセレイアフォロスに行くなら、ここの首都ローリアルネが分岐点になるね。北に行くとセレイアフォロスとの国境の町サラティマ、東に行けば港町ラヴァルフィに行きつく」
「その港から船が出ているのね。エウリス行きの他にもあるの?」
 リセラの問いに、白髪の小男は頷いた。
「昔は、ミディアル行きもあったみたいだけれどね。ユヴァリス行きもマディット行きもあるけれど、便は少ないみたいだ。一節に一、二度くらいだね。エウリス行きは一シャーランに一、二回で一番多い」
「俺も昔、その港からミディアル行きに乗ったんだよなあ」ブルーがぼそっと呟き、
「エウリス側だと、パディルの港だよね。たしかに、ラヴァルフィ行きは多かったっけ。パディルからなら、ユヴァリス行きの船も同じくらい出ているけれど」
 アンバーは少し思い出しているような表情で、そう言い添えていた。
「港から船に乗るなら、エウリスに渡るのが近いし、便もよさそうだな。そこからユヴァリスに行くのも、ここからまっすぐに行くよりも楽だろうし」
 ディーも地図の上に手をかざしながら、頷いた。目を上げ、水色髪の女性を見る。
「レイニ、君としてはどうだ? 一度セレイアフォロスへ戻ってみるか?」
「私としては、あまり戻ってみたい理由は特にないから、いいわ」
 レイニは微かに眉根を寄せ、苦笑いのような表情を作ったのち、首を振った。
 ディーはしばらく目を向けた後、再びみなを見回した。
「そうか。ではとりあえず、港町ラヴァルフィを目指そう。首都を通って、五日か。だが…」一行のリーダーは青髪の若者に目を向けた後、言葉を継いだ。
「ブルーにとっては、あまり通りたくない場所か? ローリアルネは」
「そうだな」
 問いかけられた方は、口角をますます下げながら、苦い顔を作った。
「今回我々は精霊様に頼まれた仕事はないから、迂回することはできるな」
 ディーの言葉に、ブランが再び地図に手をかざし、頷く。
「そうだね。ローリアルネの一つ手前の町から東の街道を行って、途中からまた北に進めば元の道に合流できる。一日くらいは、余分にかかるだろうけれど」
「じゃあ、そうするか。それでは今日はもう寝よう」
 その言葉を合図に、女性たち五人、リセラ、ロージア、レイニ、サンディとミレアは頷いて立ち上がり、隣にある自分たちの部屋に戻った。二つの部屋に分かれる場合は、基本的に女性と男性別になることが普通だった。アーセタイルからロッカデール、フェイカンと進むうちに、かなりの金額がたまったものの、アンリールでは職を探す当てがなく、これからもどうなるかわからないため、できるだけ節約をしなければならない。それゆえ、寝棚はなく、床の敷物の上にさらに厚い敷物を敷き、薄い布団にくるまるだけの、比較的安価な部屋だった。翌朝、一行は出発した。

 町の門を出ると、広い運河に入る。その向こうも湿地帯のような土地や、大小の池が点在していた。見渡す限り山はなく、大きな木も見えない。池の上に浮かんだ様々な形と大きさを持った葉っぱと、湿地帯に茂る細長い草だけだ。両側に着いた浮き板の力で、水の中でも車はふわりと浮き上がり、まるで船のように水面を滑っていく。駆動する三匹の生き物たちは、その青い体をくねらせながら器用に泳いでいっているようだ。
「ここでは、あまり野営はできなさそうだな」
 景色に目をやりながら、ディーは苦笑いを浮かべていた。
「そうだな。アンリールにはそもそも、乾いた土地が少ない。町や村に少しあるくらいだな」指示席からブルーが、後ろを見ないままそう答えている。
「こんな水だらけのところは、落ち着かないな。さっさと通り抜けようぜ」
 フレイは小さくぶるっと震えながら、身をすくませている。
「おまえには、そうだろうな。車から落ちるなよ」
 相変わらずブルーは前を向いたままだが、その声には少しからかうような響きがあった。
「でも野営はできない、駆動生物も夜は走れないとなると、宿泊地を慎重に決める必要があるね。そうなると、通り抜けるのに一シャーランくらいはかかるかな」
 ブランが再び地図に手をかざし、首を傾げる。
「そうだな。街の間で日が暮れると立ち往生になるから、早めに泊まっていかなければならないからな」ディーも頷く。そして地図に手をかざし、言葉を継いだ。
「だいたい六カーロンくらい走ったところで、次の町に着く。さらにそこからその次の町に行くには、七カーロン半くらい。その次は四カーロン、次が約五か。そうなると、そこはそのまま行けそうだが、それ以外は町ごとに泊まらなければならないな」
「まあ、仕方ないわね。先を急ぐ旅でもないから、焦らずに行きましょうよ」
 リセラが小さく首をすくめながらも、笑った。
「いや、俺は先を急ぐ。というか、早く通り抜けたいが、無理なんだろうな」
 フレイが観念したような表情で手を合わせ、
「それは俺も同じだ。だが、仕方がない。ここではそんなにさっさとは行けねえからな」
 ブルーは相変わらず前を向いたまま、首を振っていた。

 一行は次の町で泊まり、翌日はその次の町で、さらにその次の日は、中間の村を飛ばして、サラールの町に着いた。この時には、かなり日没が迫っていたが、日の暮れる前には町の門をくぐることができた。
 アンリールの町はどこも街道と同じく、幹線道路は水路になっていた。水路の横断には、浮石という平たく丸いものが水面に浮かんでいて、その上を渡る。駆動生物と車が通ると、その浮石はいったん横に並び、通り過ぎるとまた元のように、道路上を横断するように並ぶ。水路の両端には大人が両手を広げたくらいの幅で、歩道がついていたが、それも水の上に浮かんでいる。浮石もその歩道も、人が上に乗っても沈むことはない。ただ、微かな振動を感じるくらいだ。アンリールに入ってから通り過ぎた街でも、宿から外に出て、湯屋や店に買い物に行くときは、一行もその上を移動していた。身体の重いペブルが乗っても、軽いブランが乗っても、沈み具合にさほど差はない。ただフレイは「ふわっふわしてて頼りねえ。それに落ちそうでひやひやするぜ」と、しょっちゅう口にし、「おいらも固い地面の方が良いな」と、ペブルも首を振っている。この国は建物の自体も円形の白い『浮き地面』に乗っていることが多く、その下は水だ。空気はひんやりしていて湿っぽく、空はいつも少し灰色がかかった薄い青だった。
 
 町に着いて宿に入り、駆動生物たちを小屋に預けてすぐ、夜になった。以前の二つの町で湯あみや買い物は済ませていたので、その日は部屋に入ると、すぐに水とポプルを補給し、部屋に引き取って休んだ。この宿では四人部屋三つに分かれた。そして翌朝、再び出発した。
「次はマーロヴィス。ここから六カーロンほどで着くね。そこからこの水路をまっすぐ通って行くと、この国の首都ローリアルネに出るけれど、そこを通らないなら、途中分岐をカレノ村に向かう。そこまでだいたい、四カーロンくらい。そこから次の町まで七カーロンあるから、通過しないで、泊まらないといけないね」
 ブランの言葉に、ブルーは頷いた。
「ああ、俺のせいで回り道させて、すまねえな」
「まあ、急ぐ旅でもないし」
 リセラはいつものように笑い、みなも肯定の声を上げていた。

 広い水路を、駆動生物たちに引かれて、車は進んでいた。両側に付けた白い浮き板の先に微かに波しぶきが立ち、水は微かに緑がかった青で、底には規則正しく切り出された石が並べてあるのが見える。側面も同じようだった。
「ここはさ、自然にできた川じゃなくて、道なんだよ。掘って周りを固めて作ったんだ。町の中の大通りもそうさ。ロッカデールからフェイカン経由で、切り出した石を買ってさ」
 アンリールに入った初日に、ブルーがそう説明していた。
「周りも水だらけなのにね。わざわざ水の道を作ったのね」
 不思議そうなリセラに、ブルーは首を振って横に目を向けていた。
「だがな。見ての通り水にも浅いところと深いところがあるし、沼みたいなところもある。やっぱり道をちゃんと作っとかないと、どこに向かってんだか、さっぱりになることもあるしな」
「それはたしかにそうね」リセラも微かに笑って頷いていた。
 水路の両端は石の壁になっていて、その上に時々指示板が立っている。次の町までの距離や、分岐点での行く先などが記されている。それがこの水の道の指標であり、意義なのだろう。
 ナンタムたちを見かけることもあった。この国では青い体毛で、のんびりと水の上を集団で泳いでいる。見る限り、ロッカデールやフェイカンのように、明らかに活力を失っていたり、過剰になっていたりはしていないようだ。ここでは特に大きな問題は起こっていないのかもしれない。精霊からの要請もないようだし――ナンタムたちの様子で、そんな思いを新たにしたものも多かったようだ。ディーやリセラ、ロージアも、そんな言葉を口にしていたし、他のみなも賛同の表情を浮かべていた。

 日が少し傾いてきたころ、次の目的地、マーロヴィスまで二十キュービットという表示板を過ぎた。あと一カーロンもすれば、着くというその時、急に指示席のブルーが声を上げ、次いで「止まれ」と叫んだ。三頭の駆動生物たちは止まり、車も止まる。少し勢いをつけて、車が揺れた。
「どうした?」
 ディーが声をかけた。しかし彼も、車から顔を出して前を見たほかの仲間たちも、ブルーが答える前にその理由を知った。
 行く手の水面が少し波立ち、人が浮かび上がってきた。サンディやミレアよりは年上だが、リセラより少し若いだろう年頃の少女だった。整った顔立ちに、青く長い髪が濡れて水面に揺れ、大きな青い瞳でじっとこっちを見ている。その唇はアンリールの住民の常に漏れず、少し厚かったが、肉感的な感じで、口角は少し上がっていた。
「あぶねえぞ。道を渡るなら、浮橋を使え。泳いで渡るな」
 ブルーが指示席から叫ぶと、少女は口を開いた。しかしその声は流れるささやきのようで、聞き取れない。
「おい。ちょっと待て」ブルーは振り向いて仲間たちを見た。
「この子はラリアだ。俺にはわからない。ミヴェルト持ちじゃないからな。レイニ、頼めるか?」
「私も触れていないとわからないから、ここに上がってきてくれるように頼める?」
「わかった。とりあえず車に上がってきてくれ」
 ブルーが声をかけると、その娘は頷き、滑るように泳いで車の浮き板に近づいてくる。
「ラリアって何?」ミレア王女がサンディに問いかけ、
「なんだったかしら。一度レイニさんに聞いたんだけれど」と、聞かれた方も首を傾げる。
「アンリールとセレイアフォロスに時々生まれる異言持ち、だったと思うわ」
 リセラも記憶を手繰ろうとするかのように視線を上に向けながら、答えていた。
「そう。ラリアというのは、異なる言葉を持って生まれてくる人。水と氷の国に、稀に出現するの。特別な力があると言われているわ。その言葉を仲介する技がミヴェルト、私が持っているものね。ラリアの身内には必ずミヴェルト持ちがいるとも、言われているわ」
 レイニが微かに笑って説明する。
「でも、ブルーさんの言葉はわかるんですね」
 不思議そうなサンディに、レイニは頷いた。
「相手の言うことはわかるのよ。水なら水の、氷なら氷のエレメントの人の言葉なら。だから彼女には、ブルーの言うことはわかる。私の言うことも、わかると思うわ。それ以外はダメだけれど。でも彼女の言葉はミヴェルトを介さないと、わからないの」
 その間に少女は車の浮き板に取りつき、身体を持ち上げてその上に乗った。何人かが助けて、車の上に乗せた。その身体は冷たく、長い髪や青い丈長の服からも、しずくが垂れている。その髪の青い色調には、ところどころ水色が混じっていた。
 リセラは荷物から敷物を一つ取って、少女の上にかけてやった。
「乾かした方が良いわよ。あ、あたしの言葉は、わからないのかもしれないけれど」
 少女は不思議そうに眼を見開いていたが、真意はわかったのだろう。微かに笑顔になると、敷物を身体に巻き付けた。
「ところで、このままマーロヴィスまで向かってもいいか?」
 ブルーが振り向いて問いかけると、少女の顔に微かに怯えの表情が走った。
「少しだけなら、このまま話を聞いても大丈夫かもしれないな」
 ディーが空に目を向け、太陽の傾き具合を眺めた後、告げた。
「この子は怖がっているようだ。もっとも、俺の言葉も通じないだろうが」
「まずこの子の話を聞いてみましょう」
 レイニは頷いて、少女の手を取った。
「あなたの名前と、どこから来たのかを教えて」
 少女の口から、またささやくような、水のせせらぎのような言葉が漏れた。レイニは頷き、その言葉を仲間に伝えた。
〈わたしはセアラーナ。セアラーナ・パルカフィス・ノーレと言います。ローリアルネの北にあるパラモナ村の出身です。助けてください!〉
「助けて?」その言葉に、全員が表情を動かした。
「どういう事情なのか、話して」
 レイニの問いかけに少女は頷き、再び話し出した。その言葉をレイニが伝える。
〈神殿の歌姫候補の一人に、わたしは選ばれたのです。でも別の候補の家の人が、わたしを排除しようとしてきて。もう一人の子も、その人たちに排除されてしまいました〉
「神殿の歌姫?」
 不思議そうな一行を前に、ブルーが説明を始めた。
「アンリールには、神殿歌姫がいるんだよ。水の精霊様は、音楽を好む。ああ、俺たちがミディアルでやっていたようなのじゃなくてさ、もっと厳かな――精霊様に慰めと力を与える“歌姫”と呼ばれる存在があってな。だいたい三年で力尽きて、声をなくして交代するから、そのたびに新しい歌姫が必要になる。これには条件があってな、別に歌姫っつっても、巫女と同じで、別に男だってかまわないんだが、必ず十六才以上十八歳以下の、ラリアでなければならない。神殿歌姫の報酬は家族郎党一生遊んで暮らせて余りあるほど多いし、箔もつく。とんでもなく名誉なことなんだ。まあ、神官長ほどの権威はないがな」
「ほう……それでこの子を含め、三人が候補に選ばれたわけか」
「人数は、その時によって違うんだ、ディー。巫女様が指定する地域の中で、指定年齢の歌の上手いラリアが、そんなにいない場合もあるからな。今回は三人だったんだろう、たぶん」
「それで、排除するというのはどういう意味なんだ?」
 ディーの問いかけをレイニが繰り返すと、少女は再び口を開いた。
〈脅して、辞退するように強要するのです。他の候補の人は、お金も渡されたとも言います。さもないと、命の保証さえできないと〉
「それ、ひどいわね!」
 レイニが少女の言葉を伝えると、リセラとロージアが同時に声を上げた。
〈わたしは神殿歌姫になりたかった。ラリアに生まれた時から、ずっと目指していたから、諦められない。巫女様の前で歌って、それでだめなら諦めますけれど、その機会さえ失われるのは嫌だった。わたしの家族も、賛成してくれた。でも、そのために両親や弟が危険にさらされるのは嫌だから、わたしが機会を得るまでは、セレイアフォロスへ逃れてほしいと、わたしは頼みました。わたしの祖父はそこの人だから。母はミヴェルト持ちで、わたしの言うことは母にしかわからなかったのですが、母が父と弟には伝えてくれました。それでわたしはどうするの、と聞かれたのですが、わたしは大丈夫、そんな確信があったのです。きっと誰か助けてくれる人がいると〉
「ラリアの中はエフィオンに似た、未来や過去を感知する力を持っている人もいる、とは聞くわね」レイニは少女の言葉を伝えた後、そう呟いていた。
「この子もそうなのかしらね」ロージアが少女に手を伸ばし、そっと触れた。
「わたしが触っても大丈夫かしら」
「ナンタムじゃないから、それは平気よ」
 レイニは小さく笑った。セアラーナという少女も少し不思議そうなまなざしを向けたが、微かに笑みを浮かべている。
「この子は四分の一氷が入ったディルトなのか。いや、もともと兄弟国だから、ディルトっていうほどじゃないんだがな、レイニもそうだし」
 セアラーナはブルーに目を向けた。
〈でも氷が入ったディルトが神殿歌姫になるなんて、っていう人もいます〉
「でも兄弟国だしな。そう変わんないだろ? 誰が言うんだ?」
〈競争相手の代理という人が〉
「そりゃあ、あてにならない意見だな」フレイがそこで声を上げた。
「俺の言葉はわかんないだろうから、通訳してくれよ、ブルー。まあ、俺はアンリールのことは知らないがな」
「俺もおまえと同意見だ」ブルーは微かに苦笑を浮かべた。
「だが、ここでこうしていても、らちが明かないな」ディーは首を振った。
「とりあえず事情はわかった。このままマーロヴィスに向かおう。水の中に立ち往生しているわけにはいかないからな。この子の追手がいるかもしれないが、それは俺たちが守ればいい」
「そうね」レイニは頷き、その言葉を少女に伝えた。
 セアラーナは少し怯えの色を見せ、少し震えたが、手を握り合わせて、頷いた。
 ブルーが駆動生物たちに指示を出し、車は再び進み始めた。
「町に入ったら、あなたは見つからないように、座席の下とか荷物の下に隠れていればいいと思うわ。宿に入ったら、あなたは小柄だから、ディーやペブルの後ろにいたらいいと思うし、わたしたちがその周りを囲めばいいわね」
 ロージアが少女に目をやりながら言い、
「そうよね。大丈夫よ、任せて。あたしたちが守ってあげる」
 リセラはセアラーナの肩に手を回し、その濡れた髪に頬を押し当てていた。ラリアの少女も、異なるエレメントとしか持たない彼女たちの言葉はわからないものの、その思いはわかったのだろう。安堵したような笑みを浮かべ、同時にその瞳から、涙が零れ落ちていた。両親と離れて、彼女はここまで一人で来たのだ。サンディもそっとその腕に触れ、にっこりと笑いかけた。言葉は通じないが、思いは通じると信じて。




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