The Dance of Light and Darkness

第四部 : 炎の国フェイカン(4)




 鳥がいなくなった後、一行は再び火口の縁まで来た。
「さてと、どうやってあれを取るかという問題に、また戻ってきたわけだが――リルが行くにしても、もう少し火の対策をした方が良いな」
 ディーが火口を見、ついでリセラに目を移した。
「水をかける?」レイニがそんな提案をし、
「とは言っても、ここには水はないけどな」フレイが首を捻る。
「私もブルーも水攻撃は持っていないしね。でも、ブルーと私とで水の防護壁を張れば、いいかもしれないわ」
「それは良いが、あそこまで届くか?」ブルーは懐疑的だ。
「ちょっと届かないわね」レイニものぞき込み、微かに首を振る。
「でも、二人にできる範囲で水結界を張ってもらって、あたしがその中に入れば、きっと大丈夫だと思う。そこから少しあるけれど、それだけなら――行けると思うわ」
「無理をするなよ、リル。厳しかったら、すぐ戻れ」
「わかってるって。ありがとう、ディー。じゃあ、レイニ、ブルー、お願い」
「わかったわ。本当に気をつけてね、リル」
 火口の中に向かって、水の玉のような結界が広がっていった。その中にリセラは翼を広げて飛び込み、そこを出て岩棚に降り立つ。花を手折ると、再び翼を広げて水の玉の中に飛び込んだ。
「ふう。とりあえず取れたけれど、熱かったわ。それに、水の膜をくぐって、少し勢いがなくなったみたい」
「どうせタンディファーガに渡すんだろうから、多少勢いがなくなった方が良いさ。おまえには熱いだろう、リル。俺に貸せ」
 フレイが手を差し出し、リセラが花を渡す。その手は少し火傷をしたようにただれていた。ロージアがその手を取り、治療技をかけた。
「ありがとう、ロージア。でもフレイも大丈夫? それずっと持ちっぱなしは、きつくないかしら。ここを下りなきゃいけないし、ダヴァルに帰り着くのに四、五日はかかるのよ」
「ここを下りる間くらいなら、俺は平気だぜ。片手しか使えないのは、厄介だがな。下へ行ったら、ブランに空き瓶でも出してもらうさ。帰りはそこに差しておこう」
「帰りは……普通に梯子で降りたら、途中で日が暮れる危険がある。降りるのは俺たちでも支えられるだろう。降下するか」
 ディーが考えるように黙った後、そう提案した。
「その方が早いね」アンバーも頷き、
「あれは、怖いんだよな……まあ、ここをまた梯子につかまって降りるより、ましだが」
 ブルーが大きく震えながら言う。
「でもまた、あの赤い影が襲ってきたりしない?」
 心配そうなロージアに、ディーは首を振って答えた。
「いや、たぶんあれはあの鳥の意をくんで襲っているのだろうから、あいつが納得したなら、もう来ないはずだ」と。
 その言葉通り、帰りはもう赤い影に悩まされることはなかった。縄梯子を回収した後、一行は山を下りた。『降下』は翼の民三人が、飛べない五人をそれぞれ二人、リセラは飛ぶ力が弱いために一人だけを抱えて、下へ降りる。上に飛ぶのは負荷が重くて難しいが、下るのは比較的容易だ。もちろん垂直に近い山肌でも、多少の傾斜はあるので、そのまま落下したら岩肌にぶつかる。それゆえ支える方の三人は前方へ飛ぼうとしなければならないし、また支えられる方は決して手を離してはならないが、うまくいけば十五ティルほどで、山を下りられるのだ。
 そうして一行は山を下りた。飛行力に余裕のあるアンバーは、フレイとブルーを抱えても、優雅に曲線を描いて山を下っていき、ディーはそれよりは降下の力が強く、かなりの速さで、山肌ぎりぎりを下りていく。リセラは連れているのがローダガン一人だったが、山肌には触らないものの、落下に近い速度だった。
「ごめんね。あたしあまり飛行能力ないから。でも激突はしないようにするわ。それと、手一本じゃ危ないわよ。あ、でも胴体には抱きつかないでね。羽根が広げられなくなるから。腕全体に捕まって」
「お、おお……」
 ローダガンは目を剥きながら、驚愕の表情で言葉がないようだった。
「ひええ、早くついてくれ〜」
 高い場所が苦手なブルーは目をつぶり、これ以上白くなれないほど顔色を失っていた。
「とはいえ、俺たちはまだアンバーだから、ましなんだぜ。特にリルだとな、本当に落下だ。ローダガンも気の毒に」
 フレイが後ろを見やりながら、苦笑いを浮かべていた。
 そうして麓に着いた八人は、車に残っていた四人と合流し、炎の花はブランが持っていた空瓶に入れて、指示席のわきに置いた。その時には、もうかなり日は傾いていた。
「さて、これからダヴァルに帰るわけだが、とりあえず今日は休んで、明日の朝出発しよう。帰りは行きと同じように、森に入る前に一泊、抜けたところで一泊、そしてエデューだ」
「九日間、ね。全部で。少しは余裕が持てそうね」
 ロージアはみなにポプルを配りながら日を数え、
「何か大きな問題が起こらなければな。まあ、大丈夫だろうが」
 ディーは軽く首を振りながら、みなを見回した。
「少し早いが、日が暮れたら寝よう。見張り当番は、行きからの順番そのままで続けよう」

 帰路には特に大きな問題は起こらず、出発してから十日目の夜に、一行はダヴァルの宿に再び帰り着いた。翌朝、タンディファーガから再び伝令が来た。出発前に来たのと同じ奴隷の少女が、おずおずと連絡装置を捧げ持っている。フレイがそれを受け取り、技をかけると、再び赤髪の尊大な男の姿が現れた。
『おまえらが疑うようだから、受け渡し方法を変更する。感謝しろよ』
 そんな前置きの後、男は言葉を続けていた。
『期限の十二日目、エビカルの三日、昼の八カルちょうどに南五の交差点に来い。おまえら全員で来ても別に構わないが、バギタ内からは出るな。俺たちは向かいの、市民側の交差点にいる。そこで花とファリナを交換する。その時に来なければ、もう取引はなしだ。ファリナは俺のところに置いておいてもいいし、始末しても構わないが、おまえらには返さん。そういうことだ。おまえらからの返信などいらん。そこへ来ればいい。それだけだ』
「わかったと伝えてくれ。いや、返事はいらないんだったな。じゃあ、何も言わなくていい」フレイは吐き薬を飲んだ時のような表情で、その装置を少女に返した。少女は頷くだけで、ちらっとおびえたような視線を再び投げた後、帰っていった。
「でももう、いつの間にかエビカルの節になっていたのね」
 リセラはその日付けに、改めて感嘆したような呟きを漏らしていた。
「そう。いつの間にか、新しい年が明けたわけね。今日はエビカルの初日というわけね」
 ロージアも微かに苦笑を浮かべて頷く。
「去年は本当に、いろいろあったな」
 ブルーが言い、他のみなも一斉に、思い出しているような表情になった。
「まあな。それで俺たちは新年早々、ここで待機か。三日の昼八カルまでな。特にそれまでやることはなさそうだから、少し休もう」
 ディーの言葉に、女性たちは次々と声を上げていた。
「じゃあ、これからは湯屋に行きましょうよ。もう一シャーランも入っていないから」
「それにお買い物も」
「それで明日は、お洗濯をしたいわ」
「そうだな」
 一行のリーダーも苦笑していた。この旅で宿に泊まったのはエデューだけで、あとは野営。しかもそのエデューの町にいた時ですら、ただ宿屋に寝ただけで、湯屋に行ったり買い物をしたりする時間はなかったのだ。
 一行はその日と翌日で、それぞれの用を済ませ、水とポプルも手に入る限り買い足した。

 約束の期日、ダヴァル市南五交差点の、市民区の大通りから赤い大きな車が、三頭の駆動生物に引かれてやってきた。交差点の手前で止まると、中から人が次々と下りてくる。黒い上着とズボンに身を包んだ四人の男たちが先導し、続いて映像では何度も見たヴェイレル・タンディファーガが、その大きな身体を金色の縁取りがついた赤い上着と黒いズボンに包み、ゆったりとした足取りで降りてきた。その後に三人の従者に連れられた少女が、おずおずとした様子で降りてくる。茶色の髪が長くうねって背中に垂れ、少し褐色がかった肌に見開いた大きな茶色の目、あどけなくかわいい感じのその娘は、ひどく肌をあらわにした服を着せられていた。胸のところだけ金色の布で覆われ、赤いスカートもかなり短い。
「ファリナ!!」
 ローダガンが一歩前に踏み出し、叫んだ。しばらく言葉を忘れたように妹を凝視し、そして押し出すように続ける。
「なんて格好をさせられているんだ、おまえは……」
「良く似合っているだろう」タンディファーガは、にやにやしている。
「さてと、花を渡してもらおう。おっと、俺はディルトとは話をしたくない。よそ者もいやだが、まあ、ロッカデールの連中は、ある程度仕方がない。それ以外は、黙ってろ」
 こちら側の十二人は怒りのこもった視線を交わした後、フレイが返答した。
「じゃあ、あんたに話せるのは、俺とローダガンだけか」
「まあ、そうなるが、おまえも口の利き方に気をつけた方が良いぞ。第一、火の民のくせによそ者やディルトと一緒にいること自体、穢れだからな」
 フレイは一瞬何か激しいことを言い返したいような表情を浮かべ、その顔はより赤さを増したが、言葉を飲み込んだようだった。彼は微かに手を震わせながら、空き瓶に入れた炎の花を差し出した。
「約束のものは持ってきた」
「そうか」相手の口元が、かすかにほころんだ。
「では、おまえはそれを持って、交差点の半ばまで来い。こっちからは俺の従者の一人にファリナを連れていかせるから、そこで交換だ」
「わかった」
 フレイは進み、向こうからやってきた黒い服の男と向き合った。
「では、公平を期して、同時交換としよう。こっちがファリナを渡すのと、おまえが花を渡すのを、同時にするんだ」
 フレイは無言で花を差し出し、相手がそれを受け取ると同時に、少女の手を取った。そしてそのまま二、三歩後ろに下がる。相手の男は受け取った花を、タンディファーガに手渡した。タンディファーガはその場で、その花を口に入れた。
「走れ!」
 フレイは少女にささやき、二人は仲間たちのところへ駆け戻る。花を飲み込んだタンディファーガは手を上げ、二人に向かって炎を浴びせた。それは火の攻撃技――かなり激しい勢いで、周りにも熱気が伝わってきた。が、二人に届く寸前、薄い水の壁に遮られた。ブルーとレイニがとっさに水防御を張ったのだ。
「な……水だと?!」
「やっぱりおまえには、約束を守る気なんかなかったんだな。そんなこともありそうだと思ったんで、ブルーとレイニに防御を頼んだんだ。俺とは口をききたくないだろうから、返事はしなくていいが」ディーがそこで口を開いた。
「火は水に弱いってな。だから万能じゃないんだぜ。俺も水には一度ひどい目にあった。ミディアルからアーセタイルに渡る時にな。あんただって海に放り込まれれば、ひとたまりもないだろう」
 フレイは少女とともに仲間たちのところに駆け戻り、相手に向き直った。
「それにしても、ひどい野郎だ。俺はともかく、ファリナは当たったら死んでたぜ」
「お兄ちゃん!」
 少女は顔色を失ったまま、まっすぐに兄の腕に飛び込み、
「ファリナ!」
 ローダガンは妹をしっかりと腕に抱きしめ、それ以上の言葉がないようだった。
「ちくしょう!」ヴェイレル・タンディファーガは悪態をついた。その顔の色は真っ赤になり、髪の毛は逆立っている。
「だが、炎の花のおかげで、こっちはもっと強い攻撃だってできるんだ。そんな弱っちい水防御など、吹っ飛ばしてくれる!!」
 タンディファーガは両手を前に組み、周りのレラを集め始めた。彼の手の中にできた赤みを帯びた光がだんだんと大きくなり、身体を包み込み始めている。
「けっこう大きいのが来るな――みなはできるだけ後ろに下がれ」
「どうするよ、ディー。あのくらいの威力だったら、たしかに水防御も破れそうだな」
 フレイが緊迫した声で囁く。
「そうだろう。ただ、こっちも攻撃していいものかどうかだな」
「向こうが仕掛けてきたんだから良いとは思うが、面倒だろうなあ。だが、放っておいたら、俺たちもやられるぜ。火の神殿の裁量に期待して、やるか? ただ、ダライガはやめてくれよ。街の半分が吹っ飛ぶからな」
「そうだな。じゃあ、ダムルでも出すか。あの勢いを跳ね返すためには……ペブルも頼む」
「いいよ」
 その時、タンディファーガの構えが解け、巨大な炎の壁がこちらに向かってきた。と、同時に紫がかった黒の二つの球体が溶け合って一つになり、その炎とぶつかる。赤と黒は激しく衝突し、砕け散った。爆風は両方に飛んできたが、ディーとペブル以外はみな後ろに下がっていたので、こちら側はほぼ被害がない。タンディファーガ側では何人かが勢いでしりもちをついたが、やはりそれだけだったようだ。
「ちくしょう!」タンディファーガは再び悪態をつき、その顔は赤黒くなった。
「こうなったら、最大出力だ!」
「おやめなさい!」
 その時、鋭い声がした。四頭の駆動生物に引かせた、金の縁取りをし、火の紋章をつけた大きな車が現れ、中から人が降りてきた。金の縁取りをした丈の長い、真っ赤な上衣を着た、タンディファーガとほぼ同じ年くらいの女性だ。真っ赤にうねる髪は長く、背中まで垂れ、赤い瞳。鼻は高いが太くはなく、細くとがって突き出してた。あとから三人、同じように長い装束に火の神殿の紋章をつけた人間が続く。女性は迷いのない足取りで、ディーたち一行とタンディファーガたちの間の空間に踏み込んだ。
「サヴェルガ神官長!」タンディファーガは声を上げた。
「こいつらは騒乱を仕掛けています!」
「私はさっきから、一部始終を見ていました」神官長は鋭い目を相手に向けた。
「そもそもロッカデールから返還要請があった子を、あなたが条件を付けて引き渡すと言ったのです。彼らはそれに従った。そしてあなたはその子を返還した。それで終わりではないのですか? あなたがその後、彼らに攻撃を仕掛けたのは、なぜですか?」
 相手は返事に詰まったようで、顔を紅潮させ、しばらくは何も言わなかった。やがて、うめくような声を出した。
「なぜここが……俺は奴らにしか、取引場所も条件のことも言わなかったのに」
「精霊様のお力を見くびってはなりません。あなたのたくらみなど、お見通しです」
「ちくしょう!」タンディファーガは三度目の悪態をついた。
「おまえなんか……おまえなんか、小さいころ、俺にいじめられて泣いていたくせに!! 運よく神官長に抜擢されたからって、威張ってんじゃねえぞ!」
 タンディファーガの顔はどす赤く、醜くゆがんだ。
「そうだ……俺は炎の花の力を手に入れた。今ではおまえより強い……いや、元からおまえなんか、弱かったはずだ。精霊の力がついているだけだ! おまえがここに来たなら、ちょうどいい。今は俺の方が強いんだ! くらえ!!」
 濁った赤い炎が、男の身体を包んでいった。それは激しい炎の壁となり、神官長めがけて押し寄せる。しかし彼女は顔色を変えず、手を上げ、振り払った。炎は一瞬だけ触れ、そして散った。
「な……馬鹿な……」
「愚かなヴェイレル」神官長は静かな目で相手を見た。
「たしかに昔の私は、あなたに見下され、よくいじめられて泣いていました。それで私の一家は逃げるようにして別の区域に移り、私が十二歳の時から、あなたたちに会うのを避けていました。しかし、さっきあなたも言いましたよね。もう私は昔の私ではない。精霊様のお力がついていると」
「くそう!」憤激が再び男をとらえたようだった。再びタンディファーガは巨大な炎の壁を投げつけたが、最初と同じように粉砕された。
「愚かなヴェイレル。あなたは何もわかっていない」神官長は再びそう繰り返す。
「俺を馬鹿にするな!」
「そう。あなたはずっと人を馬鹿にして生きてきましたからね。馬鹿にされる気持ちはどうですか? あなたは二年前、私が神官長に任命されて、怒り狂ったのでしょう。だからあなたは私を上回る力を得たいと欲し、いつかそれで私を滅ぼそうと、炎の花を欲した。ただ、自力ではそこまで行けない。何度か従者たちを送ってやらせてみたけれど、ことごとく失敗した。ロッカデールからの要請は、あなたにとって素晴らしい機会と映ったのでしょうね。もしそれで炎の花が手に入れられたら、と。そうですね、もし炎の花が損なわれることなく、あなたの手に渡ったのなら、私も危なかったかもしれませんが」
「花が損なわれた……?」
「炎の花は一瞬でも水に触れると、その力は半分になってしまうのです」
「あ、あの時!」リセラが、そこで声を上げた。
「これを摘む時、手に持ったまま水の防御壁を通ったからね」
「おまえら!!」
 タンディファーガは、くぐもった怒りの声を上げた。
「あんたの要請は、炎の花だよな。枯らさずに持って来いとは聞いたが、水に濡らすなとか、そんなことは言われてねえ。枯れてはいなかったから、いいだろうよ」
 フレイはにやっと笑って、言い返した。
「それが幸いしましたね」サヴェルガ神官長は二人に目をやり、微かに笑みを浮かべた。そして目の前の男に、再び厳しい目を向けた。
「ヴェイレル・タンディファーガ。あなたはわかっていない。炎の力はすべて、精霊様が生み出すものであることを。その精霊様の援護を受けた私は、今では多大な力を持っています。あなたは私を攻撃しました。それは精霊様に背くことです。今、私はあなたを滅ぼす権利があります」
「ま、待ってくれ……待ってくれ、ライシャ。おまえをいじめたことは謝る……」
「私を見くびらないでください。そんな小さな恨み言など、私はもうなんとも思っていはしません。あなたを滅ぼすことは、精霊様のご意思です。あなたはこのフェイカンにとって、好ましくない人間なのです。覚悟しなさい!」
 神官長の手から、オレンジ色に輝く球体が放たれた。それはヴェイレル・タンディファーガの身体に当たると、彼を包み込んだ。光が激しさを増し、その中で激しい炎が渦巻いているようだった。その中に飲み込まれたタンディファーガは、断末魔の声を上げた。
「ぐああぁぁ!」
 オレンジの球体がはじけ飛んだ時、黒焦げになった身体が、どおっと地面に倒れた。
 サヴェルガ神官長は表情を変えずに見つめた後、タンディファーガ家の従者たちに目を向けた。
「ヴェイレル・タンディファーガは、ライシャ・レバル・サヴェルガ神官長を殺そうとした罪で、処刑されました。そう伝えてください。これは神殿反逆の罪に当たりますから、神殿からの兵士たちが、そちらのお屋敷に向かうでしょう、とも」
 従者たちは声にならない声を上げ、震えあがった様子で車に駆け戻り、去っていった。
「さて……あなた方には、いろいろとご苦労をさせてしまいまして、すみません」
 サヴェルガ神官長は、ディーたち一行に穏やかな目を向けた。
「本当に、精霊様のご期待通りの働きでしたね。炎の花を減衰させて渡したことも含めて。ありがとうございました。これから私と一緒に、神殿に来てください。ロッカデールからみえた方も含めて。あなた方の車も用意しましたので」
 神官長は真紅の髪と衣をひるがえし、乗ってきた車に戻っていった。その後に、少し小さな赤い車がやってきた。二頭の駆動生物が、それを引いている。従者の一人が、「その車にお乗りください」と告げ、一行十二人は従った。二台の車は市街地を、ダヴァル市中心にそびえる火の神殿に向かって、走っていった。

 炎の神殿は分厚い鉄壁でぐるっと回りを取り巻かれた、広い敷地に立っていた。都市と同じく長方形の敷地と建物で、何本かの太い柱に支えられ、金色の建材にたくさんの赤い稀石がちりばめられている。神殿の門にいる兵士たちは、二台の車が近づくとさっと敬礼して場所を開け、一行は中へと進んでいった。
「炎の神殿に純粋な火の民以外が入るのは、初めてじゃねえか?」
 その光景に、フレイが感嘆したように小さく声を出した。
「そうなのか? そうなるとフェイカンにとっては、なかなか歴史的なことだな」
 ディーが微かに苦笑いを浮かべながら、そう応じる。
 神殿の入り口近くで二台の車は止まり、サヴェルガ神官長を含め数人が降りてきて、扉を叩いた。
「みなさん、降りてきてください。これから中へ案内します」

 一行は火の神殿内部に足を踏み入れた。そこはアーセタイルやロッカデールのそれと同じような作りで、広い祭礼の間は多くの赤い稀石で飾られ、中心にはご神体である、巨大な炎が燃えていた。一行はそのそばを通り過ぎ、奥の扉の向こうへと案内された。廊下を通り、赤に金色の縁取りをした扉の一つをくぐり、部屋の中へと通される。
「ここは私の謁見の間なのです。そこの椅子にお座りください」
 部屋の半分ほどの空間には、十五個の赤い椅子が並べられている。神官長は一行が腰を下ろすのを見てから、金色の机の前にある、大きなどっしりとした赤い椅子に座った。
「みなさん、ロッカデールからはるばるご苦労さまでした。そしてローダガン・バクレイ・フリューエイヴァルさん。妹さんのことで、ご心労をおかけしましたことをお詫びします」
「あ、いえ……神官長様にお詫びいただくなど……」
 ローダガンは驚いたような、恐縮したような表情を浮かべ、首を振っていた。
「いえ、本来はロッカデールから返還要請が来た時、私が強権を発動してでも、ヴェイレルからファリナさんを奪還し、送り返すべきでした。タンディファーガ家のことも、フェイカンの問題も、我々の国のことですから、私たちで始末をつけるのが正しいのでしょう。しかし、みなさんのお力をお借りしたほうが、より良い結末へと導いていける。それゆえに、あなたがたには余計な労力と心配をおかけしてしまったことを、まずはお詫びしなければならないと思ったのです」
 サヴェルガ神官長は長く赤い髪をふわりと揺らして、小さく頭を下げた。
「フェイカンの神官長様が、俺たちのようなよそ者やディルトに頭を下げるとは……前代未聞だな」フレイはあっけにとられたような表情で、そう呟いていた。
「そうですね。私はあまり誇り高い人間ではないのですよ。こんな地位についても」
 サヴェルガ神官長は、微かに笑みを浮かべた。
「私自身も驚きました。先代の神官長が老年になり、力を失って引退した時、まさか私がその後任に選ばれるとは」
「あなたはタンディファーガ家の遠縁であると聞きましたが」
 ディーが話しかけると、神官長はそちらへ目を向け、頷いた。
「ええ、そうです」
「でも、あなたはあのヴェイレル・タンディファーガとは違い、ディルトの俺にも話をするのですね」
「ディルトではあっても、あなたはかなり高貴な方ですよね、元は」
 神官長は微かに笑みを作る。ディーは少し狼狽したような表情を浮かべた。
「失礼、それは言わない方が良いことでしたね。でも私は、先にも言いましたように、誇り高い人間ではないのですよ。家の奴隷になっていたディルトの少女とも、友達になりかけて、親に怒られてしまったことがありますし」
「なんだか……俺とおんなじだな。そんな方が、今は神官長様なのか……」
 フレイがほっとしたような、当惑したようなトーンでそう呟く。
「ですから、私自身も驚いたのです。でも、精霊様にはお考えがあるのですよ」
 サヴェルガ神官長は再び微かに笑い、話を続けた。
「私とあのヴェイレル・タンディファーガは、また従兄妹です。ヴェイレルの家がタンディファーガの総本家で、私たち共通の曽祖父の息子がヴェイレルの祖父、娘が私の祖母に当たります。ヴェイレルの祖父の一人息子が今のタンディファーガ家当主、エヴァルゲです。ヴェイレルは、その一人息子なのですよ。私の祖母には二人子供があって、伯父と私の母です。伯父には二人子供がいて、私は一人娘です。でも伯父の家は五年ほど前、エヴェルゲとヴェイレルのタンディファーガ本家に、潰されてしまいました。もともと自分に近い血筋で、しかも伯父の息子はかなり力が強かったので、タンディファーガ本家にとって、目障りだったのでしょうね。従兄はタンディファーガ家によって陰謀めいたことに巻き込まれ、誅殺されてしまい、伯父夫婦と従妹も攻撃されて、亡くなりました。従兄の犯した罪のゆえに成敗する、と言われて。私の一家も元は近くに住んでいたのですが、さっき話した通り、私は幼少時からヴェイレルにいじめられ、両親は私を連れて身を隠すように、町の外れに引っ越して暮らさざるを得なくなりました。極力会わないように、刺激しないように……それしか、私たちに生き延びる道はないと、父母が言っていたのを覚えています。実際、伯父一家が滅ぼされた時には、本当にその判断は正しかったのだと思いました」
「タンディファーガは気に入らない家を潰すのは知っていたが、親戚筋まで、なのか」
 フレイがそこで、ぼそっと呟いた。
「親戚筋だから、なおさらの部分もあるのでしょうね。いわば、自分にとって代わられる可能性がある存在ですから」神官長は小さく首を振った。
「タンディファーガ本家は、強烈な選民思想の持ち主です。そして、力がすべてだと思っているようです。なぜフェイカンが他の八つの国に戦いを仕掛けて、この世界を制覇できないのか、それを不甲斐なく思っていた。そんな強烈な力の支配欲にかられた人間たちなのです。でも、さすがにタンディファーガも、精霊様や神殿の力に表立って逆らうことはできない。そう思っていたところに、二年前、次期神官長に、よりにもよって私が任命されたんですね。それでヴェイレルは怒り狂った。そのあげく、狂った思いに取りつかれた。私ならきっと排除できる。その後にその権力を、自分が持つのだと」
「それで奴は炎の花を?」
「そうです。あの花は損なわれない完全な状態なら、それを食べるとその者の持っている火の力を、七倍に増幅するのです。ヴェイレルの持っているレラは、もともとかなり強いです。私の倍以上はあります。神官長になる以前の、本来の私のという意味ですが。それが七倍になると、相当強大な力になります。それで攻撃されたら、今の私でも防ぎきれなかったでしょう。だからあの男は、炎の花を欲した。でも何度も従者を送って試してみたけれど、ことごとく失敗した。あの山に登るのは、難しいというより不可能です。私たち火の民にとっては。おまけに花の守護者が遣わすバルラという攻撃者にやられてしまって、誰も山頂までたどり着けない」
「それでロッカデールからの要請に、炎の花という交換条件を出したのか……」
 ディーの呟きに、サヴェルガ神官長は頷いた。
「そうです。もっとも最初はあの男も、ただロッカデールに無理難題を吹っかけて、ファリナさんの返還を拒んだだけだったのでしょうが。しかしロッカデールから依頼された者たちがさまざまなディルトの集まりと聞いて、もしかしたらと、希望を持ったのかもしれません。ディルトの中に翼持ちがいれば、山に登れる可能性があるかもしれないと。みなさんは見事、花を取ってきてくれた。しかも水に触れさせ、減衰させて。あの花は水に触れると、それが増幅するレラは、三倍足らずになってしまうのです」
「それだと、半減以上ね」ロージアがそこで呟く。
「そうです。そのおかげで、あの男のたくらみは不発に終わりました。自分は私を上回る力を得たと過信し、私に攻撃を仕掛けてきたために、あの男とタンディファーガを滅ぼす理由ができた。みなさんのおかげです」
 サヴェルガ神官長は再び髪を揺らして、一行に頭を下げた。
「いえ……お役に立てて良かったです」
 ディーがどことなく照れたように言い、みなも顔を見合わせていた。サヴェルガ神官長は微笑を浮かべて一行に目をやった後、すいと立ち上がった。
「私たちは、これからタンディファーガ家のせん滅に向かいますので、それが終わりますまで、みなさまはここでお待ちください。その後、巫女さまに御目通り願いますので」
「はい……だけれど神官長様、あのタンディファーガのことだから、死に物狂いで反逆するかもしれませんが……」フレイが少し思案気に問いかける。
「そうでしょうね。あのタンディファーガのことですから。エヴェルゲは、素直に降伏はしないでしょう。でも、大丈夫です。私たちには精霊様のお力がついています。それはこの国全体を動かす力で、タンディファーガもその一部にすぎないので、私たちが負けることはありません。そう……もし仮にヴェイレルが炎の花を損なわれることなく手に入れ、私を殺すことに成功しても、あの男が代わりに神官長になれるはずもない。精霊様は決してあの男を認めはしないので、巫女様の間に入った途端、そのお力で引き裂かるだけです。誰かふさわしい、代わりの神官長が任命されるだけでしょう」
「そうなのですか……」
「そうです。それに、心配いりません。ヴェイレルがいない今、タンディファーガ家のせん滅は、そう難しいことではありません。そもそもエヴェルゲは、ヴェイレルの半分ほどのレラしか持っていない。炎の花もない。従者たちを上回る数の兵も、こちらにはいます。たいして時間はかからないでしょう」
「ですが、神官長様……あの家の奴隷たちは、どうなるのでしょうか」
 フレイは不安げな表情だった。みなも同じように、宿に使いに来た、あのおどおどした奴隷少女の顔を思い出したようだ。
「それだけは残念ですが」サヴェルガ神官長の表情が、かすかに曇った。
「しかしエヴェルゲが奴隷たちを解放するとは思えませんので、一緒に犠牲になるしかないでしょう。不運だとあきらめるしかないです」
「そんな……」
 小さな声が漏れた。ファリナが小さく身を震わせ、両手を握りしめてうつむいている。その眼は涙で潤んでいた。
「あなたのお友達になってくれた子も、いたのでしょうね、ファリナさん」
 サヴェルガ神官長は、少女に目を向けた。
「救えないことを許してください。でも、いずれタンディファーガ家の奴隷よりは幸せな生涯を、きっと持てると思います、どの子たちも」
「……はい」
 少女はぽろぽろと涙をこぼしながら頷いた。ローダガンが妹の肩に手を回し、抱きしめている。
「では、待っていてください。ああ、それと、ファリナさんに、もう少し普通のお洋服を持ってこさせましょう」
 そう告げて、サヴェルガ神官長は部屋を出て行った。そののち、神殿に働く人がオレンジのワンピースを持ってきたので、少女はそれを身に着けた。
「ファリナさん。いろいろ怖かったでしょうし、つらかったでしょうね。でも、もう大丈夫よ」
 リセラが改めて、そう声をかけた。それに対しファリナは頷き、ついで身を震わせて、わっと泣き出した。押し殺した感情があふれてきたように。
「本当に、あなたたちにはどんなに感謝してもしきれない。ありがとう」
 ローダガンは妹を抱きしめながら、詰まったような声を出した。
「成り行きだから、気にしないで。あなたも言っていたようにね」
 リセラが少しおどけたように言い、一行も少し笑って頷いていた。




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