The Dance of Light and Darkness

第四部 : 炎の国フェイカン(5)




 サヴェルガ神官長が部屋に戻ってきたのは、それから二カーロン半ほど過ぎてからだった。出ていった時と変わりない様子で、優雅な動作ですいと椅子に座る。
「みなさま、お待たせしました」
「タンディファーガ家の処置は終わったのですか?」
 フレイが問いかける。
「はい。タンディファーガ本家は滅びました。屋敷は焼け落ち、あそこの人間はもう誰も生きてはおりません。タンディファーガの財産は、すべて神殿が没収しました」
「そうですか……あっけないものですね」
 フレイの感想に、神官長はほんの少し笑みを浮かべた。
「みなさま、巫女様にお目通りする前に、お食事にしましょうか。それぞれの色のポプルも用意していますので」
 やがて運び込まれてきたポプルと水で夕食を終えた後、一行は部屋を出た。控えの間で両手を火にかざして清め、巫女の間に入った。
 床に描かれた赤い紋章の奥、金の縁取りをされた赤い大きな肘掛椅子に座った火の巫女は、七、八歳くらいの少女だった。ふわっと背中に垂れた赤い巻き毛に赤い瞳、細くて高い鼻、小さな赤い口。手に持った杖のようなものの先端には、小さな炎が燃えていた。巫女は他の国のそれとおなじように、瞬きをせず、平伏した一行をじっと見た。
「ごくろうだった」
 子供らしい響きだが、やはりどこか遠くにこだまするような声で、巫女が口を開いた。
「巫女様のご依頼とは、どのようなものなのでしょうか」
 ディーが膝をついたまま、そう問いかけた。
「選別してくれ。滅ぼすものと、助かるものを。それには、おまえたちが適任だ」
「は?」一行は驚いた表情で、目を見張る。
「詳しいことは、神官長から聞くが良い」
 巫女はそれだけ言うと、杖を振った。炎が揺れ、かすかな音が鳴る。唸るような音色だ。それが退出の合図であることを理解している一行は、立ち上がって巫女の間をあとにした。アーセタイルでもロッカデールでもそうだったが、精霊は巫女経由で話をするのだが、あまり長くはできないようなのだ。

「精霊様は、この国の人々の選民意識から来る暴走を、懸念されています」
 再び謁見の間に戻ると、サヴェルガ神官長は口を開いた。
「自分たちは特別だ。自分たちは他より偉い、と。その思いはいったん心に巣くってしまうと、減じることは難しいのです。それは、心地よい思いなのですから。他者を見下すこと。自らの優越を誇ること。たやすく怒り、たやすく攻撃し、踏みつける。それが高じると、ヴェイレル・タンディファーガのように征服欲が強くなり、気に入らないものを滅ぼしたり、さらには他の国も支配下に入れたりしようと欲する。それはこの世界では、あってはならない思想なのに。その人々の誇りは怒りとなり、この国のレラは不自然な形で増幅されている。それはやがて、この国の火山を噴火させるでしょう」
「え?」一行は驚いたような声を上げた。
「それで、俺たちにその噴火を止めてくれと?」
 フレイが問いかける。
「いいえ」神官長はゆっくりと首を振った。
「精霊様は、それは望んでいません。最初は防ごうと思われたようですが、ここまで来てしまうと、押さえることは難しい。それなら、噴火させて発散させ、昇華したほうが後のためにはいいと」
「でも噴火したら、フェイカン全体が相当被害を……だってこの国は、火山国なんだから」
「そうです。下手をしたら、国民が死に絶える危険があります」
「……それを承知で?」
「ええ」神官長は壁に目をやり、頷いた。
「フェイカンに害をなすような国民はいらない。ゆがんだ選民思想から、他の国とのバランスを崩してしまうような危険をもたらすものは、排除する。精霊様は、そう決断されたのです」
「それで、滅ぼすものと救うもの、なのか」ディーが呟いた。
「あと三日後に、このダヴァル市を取り囲む三つの火山が噴火します。この町に住む人々の誇りと怒りの、レラの暴走によって」サヴェルガ神官長は静かな口調で告げた。
「ただし、この神殿だけは精霊様の結界によって守られます。ですからあなた方は、これから宿に帰り、明日、車と荷物を持ってここに来てください。こちらからの車が迎えに行きますから。ローダガンさん、ファリナさん、あなた方をロッカデールへ返すのは、フェイカンのこの動乱が、おさまってからになります。その方が安全です。向こうの精霊様には、すでにこちらの精霊様から伝えてあります。もっとも、フェイカンの動乱が何であるかは、ロッカデール側には伝えてありませんが。みなさんには、神殿のはずれにある宿舎にて、お泊まりねがいます。みなさんの車と駆動生物は、こちらで預かります。お帰りの時にお返ししますので」
「はい。それで、俺たちはどうすればいいのですか? 餞別してくれ、と巫女様は仰いましたが」ディーが問いかけた。
「明日の朝、神殿からのお触れが出ます。バギタ地区を廃止し、町のすべてにディルトも他国民も自由に立ち入りできるようにすると。そして奴隷制度を廃止し、他の国と同じように、適切な賃金を払った契約労働者にすると」
「え?」
「それに賛同できるものは、その証として、昼の四カルから七カルの間に、神殿前にいるディルト集団から札をもらうように。その札と貴重品、大事なものを持ち、いる場合は奴隷も連れて、二日後の夜、神殿までくるようにと」
「それであたしたちが、その札を配る役をするの?」リセラが声を上げた。
「もらいに来る奴が、果たしているかな? バギタ廃止、奴隷廃止なんていったら、かなり騒動になるだろうし、怒る奴も多いだろうな」
 フレイは懐疑的な表情を浮かべていた。
「そうでしょうね。でも、そういう人たちは、フェイカンの今後のためには不要な人々です。でもあなたがたは、札を受け取らなければ滅ぶなどとは、決して言わないでください。ただ指定された時の間だけ、神殿前にいて、取りに来る人に札を配ってください。札は、その時にお渡ししますので。その次の日も、同じことをしてください」
「他の町でも、同じようなことをするのですか?」ロージアが問いかける。
「そうですね。あと二つ――ビブドとランバでも、お願いします。この二つはダヴァルに次ぐ都会ですし、神殿の支所もあります。ここを含め、この三つは、歪んだ誇りや怒りの持ち主が多いところですから。その他は――大丈夫でしょう。この三つの町の顛末と神殿の声明で、脅しと教訓が効くと思いますから」
「わかりました」
 ディーは頷いた。その表情は恐れているようでもあり、いぶかしんでいるようでもあった。それは他のみなも、同じようだった。

 一行は神殿の車に乗って宿に帰り、翌朝迎えの車の後について、自らの車に乗って、炎の神殿に赴いた。神殿内の別棟にある宿泊施設に荷物を置いて待っていると、サヴェルガ神官長が再びやってきて、火の紋章が入った袋を手渡した。
「その中に札が入っています」
 見ると、それは手のひらに乗るような金属の小さな薄い四角の板で、真ん中に火の神殿の紋章が刻まれていて、光に当てるとオレンジ色に輝いた。
「俺たち全員で配った方が良いんでしょうか」
 ディーが問いかけると、神官長は再び髪を揺らして首を振った。
「みなさん全員でなくともいいです。市民の中には、怒って何かを投げたり攻撃しようとしたりする者もいるでしょうし、危険もありますので。こちらからも見張りをつければ、少し緩和されるとは思いますが、それでは完全な指標とはならないと精霊様は仰います。申し訳ありませんが……それゆえ、ロッカデールのお二人と、まだ年若いそちらの少女さんたちは、出ない方が良いかと思います」
「またお留守番なの」ミレア王女は少し不満げにそう声を上げたが、
「危ない目に合うよりはいいだろう」と、ディーに苦笑されつつ諭されていた。
 ローダガンとファリナ兄妹、そしてサンディとミレアを宿舎の部屋に残し、九人は指定された時間、神殿の入り口に立って、来た人に札を配った。それはたしかに、簡単な仕事ではなかった。札を取りに来る人より、怒って不愉快な言葉を投げつけたり、手近な石や物を投げてきたりする人の方が、はるかに多かったからである。
「俺たちは決して認めないぞ! 帰れ!」
「ふざけるな! 誰が認めるものか!」
 中には取りに来ようとする人を、妨害しようとする者もいた。
「腑抜けめ! おまえには火の民の資格はない。受け取ったらひどいぞ!」
 これには、フレイも相手をじろっとにらみ、言い返していた。
「ほう。おまえは神殿の意向に逆らうのか? 資格がないのはどっちだ」
 それで、たいていの人間は悔しそうに引き下がるが、中にはさらに悪態をついてくるものもいた。
「神殿の権威が何だ! 誇りを持てない精霊様など、偽物だ」
「精霊様を否定するとは、救いようがないな。おまえこそ火の民の恥だ」
「よせ。そこまで言う輩には、何も通じないだろう。無駄に喧嘩になるだけだぞ、フレイ」
 ディーがそこで釘を刺した。
 結局その日は、札を取りに来たのは十五家族だけだった。
「ダヴァル市には一万近い家族がいるはずだが、たった十五か。少ないだろうとは、思っていたが……明日はどのくらい来るのかわからないが、この調子では、ほとんど全滅しかねないぞ」
 その夜、フレイが顔をしかめて言った。
「問題なのは、来ようとしているのに妨害している連中だな。そいつらを排斥はできないんだろうか」
 ディーも疑問を呈していたが、そのことを神官長に相談してみると、彼女は少し悲しそうな顔で首を振っていた。
「巫女様に取り次いでみますが、たぶん、救えないかと」
 翌朝、再び巫女の間で謁見した時の答えは、神官長の予測通りだった。
「妨害に負けるような、弱き心はいらぬ」
「精霊様は、ダヴァル全体が滅びることになっても良いとさえ、思っておられるようです」
 神官長の間に引き取った後、ライシャ・サヴェルガは眉を曇らせながら告げていた。
「悪しきものを一掃し、まっさらのところから新たに起こすのが、一番良いと。良き種は残したい。しかし強さを兼ね備えたものでないと、価値がないと」
「厳しいですね」一行には、それしか言葉がないようだ。
「こうしている間にも、市民たちの怒りのレラが高まっているようです」
 サヴェルガ神官長は微かに頭を振った。
「今朝のお触れが、その怒りを増幅させ、今にも爆発寸前になっています。明日の夜にはその力が頂点に達し、三つの火山を噴火させるでしょう」
 アーセタイルでもロッカデールでも、人々の思いの集合体がレラの暴走を招き、そして“獣”を生み出した。その“獣”はディーの持つレヴァイラという昇華技で対応できたが、ここフェイカンでは暴走したレラが獣にならず、直接火山の動きと連動するようだ。それゆえ、止められるとしたら、人々の思いを鎮静化させるしかない。ゆがんだプライドと怒りを捨てさせること――それが無理なら、強制的に持ち主ごと滅ぼしてしまうしかない。それが火の精霊が出した結論なのだろう。ただ、心根に叶うような人々は残してもいい、と。
――なんだか、こんな話を聞いたことがある。そんな思いが、サンディの心をかすめた。神は悪しき人間たちを滅ぼしたが、心に叶う一族だけを助けた――それ以上の思いを探ることは、できなかったが。

 翌日も札を配った。昨日と同じ光景が繰り返され、その中を十八家族だけが、札を取りにやってきた。時間が来て、彼らが撤収した後、神殿から一羽の赤い鳥が放たれた。それは他の国でもあったような、伝言鳥――二日前の朝、バギタ地区と奴隷制度の廃止を告げたものと同じだった。飛びながら、その鳥はお触れを告げていた。
『札を受け取ったものは、その家族と家財道具、車、駆動生物、奴隷たちを連れて、夜の七カルに神殿に来てください。途中あなた方を妨害しようとするものが現れたら、受け取ったお札を、彼らに掲げなさい。彼らは神殿への反逆の罪で、罰を受けるでしょう』
 サヴェルガ神官長の声で、そのお触れは繰り返された。
 神殿の門には、薄い結界のような幕が張られていた。ディーたち一行からもらった札を掲げて通るものだけが、そこを通過できる。こうして三十三組の家族たちがすべて入り終わると、神殿の門は固く閉ざされた。

 神殿の広い庭に、百数十人の人々と車、駆動生物たちが集まっていた。ディーたち一行も、そこにいた。
「これから何が始まるのでしょう?」
 札を受け取った若者の一人が、話しかけてきた。
「たぶん……もうすぐわかるだろうよ。ところで、ここに来るまでに妨害されなかったかい?」フレイが少し心配そうに、問い返している。
「邪魔はされました。札を取りに行く時も、ここに来る時も。うちも父と兄が承知せず、家に残っているんです。持ち出せたものも半分だけで。僕は母と、それから友達とでここへ来たんです。うちには奴隷はいなくて」
「うちは家族ごと来たけれど、近所の連中にこぞって、行ったら一生のけ者だと脅されました。今ここに来る時も、行かせないと取り囲まれたけれど、このお札を掲げたら炎が噴き出て、それでみんな恐れをなして逃げてしまいましたが」
 もう一人の若者も、そう同調していた。
 神殿の外が騒がしくなってきた。大勢の人々が集まってきているようだ。
「お触れを撤回しろ!」
「俺たちは従わないぞ!」
 そんな怒号がいくつも重なって聞こえる。

 半カーロンくらいの時間が過ぎた頃、突然遠くから唸りが聞こえた。低く、地面が鳴動するような音に続いて、激しい爆発音が、続けざまに起こる。街から少し離れたところに見える山の山頂から、激しい炎が噴き出した。続いて別の爆発音。さらにもう一回。と、無数の炎をまとった噴石が、街に降り注いだ。それは炎の雨のようにダヴァル市全体に襲いかかり、やがて街は炎の海と化した。空も大地も赤く染まり、その中で人々の悲鳴と物の倒れる音、噴石がぶつかる衝撃音が入り乱れる。神殿の庭に集まった人々は茫然とし、すくみ上っているようだった。しかしこの神殿自体はうっすらと赤い膜に覆われ、噴石はその上で砕けていった。
「結界で守られているんだな、ここは」
 ディーが上を見上げながら、呟いた。
 ローダガンは妹を抱き寄せ、サンディとミレアは手を取り合いながら、赤く染まった空を見上げる。リセラもロージアもレイニも、そしてブルー、フレイ、アンバー、ペブル、ブランもみな、各々に驚きと畏れの表情を浮かべて、燃え上がる街と空を見ていた。
 
 炎が街を焼き尽くし、鎮火したころ、サヴェルガ神官長が庭に出てきて、みなを見回した。
「みなさん。ダヴァル市は市民たちの怒りと歪んだ誇りが生み出したレラの暴走により、火山の噴火を引き起こして滅びました。彼らは自らの感情のために、滅んだのです。ですが、みなさんは違う。みなさんは、これからの新しいフェイカンを築くのにふさわしい人々と、精霊様がお認めになったのです。三十三組、百十七人。少ないですが、あなた方はわが国の希望です。これから私たちとともに、力を合わせて新しいダヴァルを、そして新しいフェイカンを作っていきましょう」
「もったいないお言葉です」
 そんな声とともに、人々はひれ伏していた。

 それから五日後、一行はビブド市に着いた。バギタ地区と奴隷制度の廃止は、ここでは一行が到着する前日に出ていた。街の門に着いた一行は、「まだ市中が不穏ですゆえ」と、ここの神殿支所に勤める神官三人の車に先導され、神殿内に直接連れて行かれた。支所であるから、中には精霊も巫女もおらず、副神官長一人に二十人あまりの神官と百人ほどのそれに仕える人々がいて、建物もダヴァルのそれより一回り以上小さい。大広間にはダヴァルのご神体から分けてもらったという、消えない炎が燃えていた。
 一行は翌日から二日間、再び札を配った。ダヴァルと同じように反発するものも多く、妨害もあったようだが、二日間でダヴァルよりも多い四一組、百三十人余りの人々がその夜、神殿支所の庭に集ってきた。そして、ダヴァルと同じようなことが起きた。この街に近い二つの火山が噴火し、街は壊滅したのだ。しかし神殿支所の敷地内だけは結界で守られ、無事だった。その後、ダヴァルから伝言鳥が飛んできて、サヴェルガ神官長のメッセージを伝え、ビブドの副神官長も同じことを繰り返した。

 それから五日のち、一行は三つ目の街ランバに向かった。そのころにはダヴァルとビブドが火山の噴火で壊滅したこと、その前にお触れが出されたことは伝わっていたらしく、ここでは札を取りに来た人は、百組近くに上った。そして人々や荷物でごった返す神殿支所の庭で、一行は三度目の大噴火を見た。ただ勢いは、最初のダヴァル市のものより、だんだんと小さくなってきているようだった。
 ランバ神殿支所の庭でサヴェルガ神官長の伝言を聞き、副神官長の話も終わり、人々は明日からのために、とりあえず神殿支所の庭に、その日は寝ていた。それはダヴァルでもビブドでも同じだ。神殿から支給された、布製の簡単な家の中に敷物を敷き、そこで眠る。ディーたち十三人は、神殿で用意された宿泊所に戻って眠った。
 翌朝、起きて水を飲んだ後、神殿支所の広間に赴いた一行は、副神官長から告げられた。
「みなさん、ご苦労様でした。一度ダヴァルへ戻られるよう、神官長様からのご伝言です」
「わかりました」頷いたディーに、フレイが言う。
「なあ、出発する前に、もう一度庭に行きたいんだが」
「庭は避難してきた連中でいっぱいだぞ」
「ああ、そうだが……昨日、ちらっと見かけたんだよ。いや、人違いかもしれないが」
「誰が?」問いかけるリセラに、フレイが答える。
「いや、昔仲良くなった奴隷の子にさ」
「そうなのか……それなら、みなが簡易家をたたんだ後に、見てみるといい。見つかるといいな」
 ディーの言葉に、フレイは頷いていた。「ああ、助かる」と。

 庭は相変わらず、人でごった返していた。ダヴァルやビブドよりはるかに多くの人数がいるから、当然なのだが。最初は人々の間を縫うように探していたフレイだが、そのうちじれったくなったのか、大声で何度も叫んでいた。
「ヴィムナ!! ヴィムナ・ラヴール! この中にいるかぁ!?」と。
 すると庭の一角から、誰かが頭を上げ、立ち上がった。
「私のことですか?」という、小さな声が聞こえた。
 フレイはその方向に、人をかき分けるように進んだ。行きついた先には、二十歳くらいの女性が立っていた。褐色を帯びた肌、オレンジがところどころ混じった、褐色の巻き毛に丸い茶色の眼。オレンジの服を着たその女性は、やってくるフレイの姿を見て、眼を見開いていた。
「フレイ様ですか? もしや!」
「ヴィムナ! やっぱりそうだったのか!」
 フレイは近づき、相手の手を取った。
「おまえがどこに売られたのか、俺は知らなかった。まさかランバに行ったとは! おまえの主人が、ここに連れてきてくれたんだな。本当に良かった!」
「ええ。ご主人様たちは迷ったようですが、神殿のお告げには従った方が良いと仰って。私ももう、身分は奴隷ではないそうです。引き続き、働かせてはもらうようですが。フレイ様は、フフィンにいらっしゃると思っていました。ここでお会いできるなんて……」
「まあ、おまえのことでも、いろいろあってな、俺は家を出たんだ。その後ミディアルに渡って、この仲間たちといるんだ」
 フレイは集まってきたみなを示した。
「フレイ……おまえはここに留まるか?」
 その時、ディーが口を開いた。
「ここはおまえの国だ。おまえと仲の良かった娘とも再会できたのだし、おまえの嫌ったフェイカンは、これからは良くなっていくだろうから……」
「俺を追い出さないでくれ、ディー」
 フレイは決然とした表情で、首を振った。
「俺はまだ、世界を見飽きたわけじゃない。まだミディアルとアーセタイル、ロッカデールしか行っていない。新たなミディアルと作るという夢も、まだ叶っていない」
「それでいいのか?」
「ああ。その夢が叶ったら、俺はフェイカンに帰る。そのころは、きっと今よりいい国になっているだろう。そうしたら、またおまえをここに訪ねてくる、ヴィムナ。ただ、長い月日だろう。おまえがここにいなくとも、他の誰かと結婚していても、それは仕方がない。だけど、俺はきっとまた会いに来る」
「はい……お待ちしています、フレイ様」
 娘は両手を組み合わせ、頷いた。その瞳から、涙が一筋零れ落ちた。

 再び戻ったダヴァルの街は、廃墟だった。中心部にそびえる神殿だけが無傷で、後は一面の灰が広がっている。残った人々はその灰を片付け、布でできた簡易家に寝泊まりしながら、再び生活を築きなおしているようだ。
「ランバの街の大噴火と同時に、新たなお触れが全土に出ました。バギタ地区と奴隷制度を廃止、よそ者やディルトを排斥したり軽蔑したりしないこと。それが精霊様のご意志であり、それに逆らったためにダヴァルとビブド、ランバは滅んだと。歪んだ誇りや怒りは捨てないと、自らの怒りの炎で滅ぶことになると。三つの街の悲劇が、さしもの傲慢な人々をも震え上がらせたようで、他の町では、反対の声はほとんど上がっていません。すべての町には神殿から使者を使わし、改革を速やかに実行していけるようにしていきます。ここダヴァルには、他の町から来た人々も今後増えていくでしょう。いずれまた、にぎやかな都会になると思います。ディルトも他の国の人々も、普通にどこでも行ける国に、都会になっていくでしょう」
 サヴェルガ神官長は謁見の間で、一行にそう告げた。
「みなさまには、いろいろとお手数をおかけしまして、手助けもしていただきまして、ありがとうございました。火の神殿からの褒章は、少ないですがこれを」
 手渡された袋の中には、フェイカンの通貨が入っていた。アーセタイルやロッカデールでもらった報奨金の半分以下だが、それでも決して少なくはない額だ。
「それはみなさんがアンリールに入る時、向こうの通貨と交換してください。みなさまはここに入国する時、この後はアンリールへ行くと言われたようですから、精霊様同士でお話しし、みなさんがアンリールを通過する許可もいただきました」
 サヴェルガ神官長は、薄い金属片をディーに手渡した。ロッカデールで渡されたものと同じ薄さと大きさだが、色は青く、中には水の紋章が描かれている。
「ありがとうございます」
 ディーはそれを受け取り、服の内側の袋に収めた。
「それと、簡易家もお渡しいたします。野営の時に、きっと役に立つでしょう」
 布でできた簡易家は、使わない時には小さく折りたたむことができ、広げて組み立てると、屋根と壁を持った家のようになる。入り口部分を上にあげることで、中に出入りできるものだ。ここでも避難していた人々が神殿の庭で使っていた。
「ありがとうございます。助かります」
 ディーは礼を述べ、差し出された赤い布の袋は、フレイとブルーが受け取った。
「フリューエィヴァルご兄妹さんにも、長らく足止めしてしまって、申し訳ありませんでした。明日こちらの車で、ロッカデールの国境まで送らせていただきますので。ロッカデール側では、あちらの神殿の方がお迎えに来られるそうです」
「ありがとうございます」
 ローダガンとファリナも、深く頭を下げていた。

「本当にあなたたちには、何とお礼を言っていいかわからない。ありがとう」
 翌日、神殿の車の後ろ座席に座ったローダガンは、再び一行に感謝のまなざしを向けた。
「もうお礼は良いって言ったじゃない。気をつけてね」
 微笑んで言うリセラに目を向け、ローダガンはその手を握った。
「リセラ……いや……何でもない」
 そして間をおいて、言葉を継ぐ。
「もし君たちの新しいミディアルが実現したら、いつか遊びに行きたい」
「ええ、来てね」
 リセラは笑みを浮かべ、その手を軽く握り返していた。
 兄妹を乗せた車が三頭の駆動生物に引かれて、走り去ってしまうと、ディーが一行を見て告げた。
「さあ、俺たちも出発するか。次はアンリールだ」

「フェイカンでの報酬は、簡易家と二千ヘナか。二十日以上かかった割りには、大したことないな」
 アンリールとの国境の町、カルサへ向かう道中で、ブルーが首を振って言いだした。ヘナとは、フェイカンの通貨だ。
「まあ、仕方がないだろう。ここで俺たちがしたことと言えば、札配りだけだからな。その謝礼と考えれば、多いくらいだろう」ディーが苦笑いを浮かべ、言う。
「苦労して山登りして炎の花を取ってきたのは、神殿の依頼じゃないしね」
 アンバーも小さく首をすくめ、
「でもローダガンもファリナちゃんを見つけ出せて、一緒に帰れたんだから、良かったわ。苦労したかいはあったと思う」
 リセラはそう言い、しばらく黙ってから続けた。
「でもね……アーセタイルでもロッカデールでも……特にロッカデールでは、あたしたちが頑張って、国が救われたっていう嬉しさがあったけれど、ここではね」
「ダヴァルとビブドとランバ、この三つの街は見せしめになってしまったが、他の町の人間は、まあ救われたと言えるのかもしれないな。フェイカンの火山すべてが、爆発して滅ぶよりも」ディーも頷く。
「まあ、そうでもしなきゃ、懲りなかったろうし、ここの連中は。俺はこれで良かったと思う」
 指示席に座ったフレイは振り返ることなく、きっぱりした口調で言った。
「ところでフレイ、おまえ、本当に帰らなくて良かったのか? せっかく好きだった子と会えたんだろ?」
 ブルーが重ねて問いかける。
「おまえは、よっぽど俺を追い出したいようだな、ブルー」
 フレイは振り返り、苦笑いに似た表情を浮かべた。
「ヴィムナと会えたことはうれしかったが、あいつの将来、俺の将来、それを今決めるには早いような気がするんだ。俺はまだしばらく、みんなといたい」
「じゃあ、早くフレイが故郷に帰れるように、あたしたちも新しいミディアルを早く見つけなければね。あ、早く追い出したいわけじゃないわよ」リセラが笑って応じ、
「そうね」と、レイニとロージアも笑顔を浮かべて頷きあう。
「次はアンリールかあ」
 ブルーは前を見たまま、大きくため息をついていた。
「帰りたくねえな。おまえもそんなことを言っていたが、フレイ。俺の場合、深刻さが違うぞ。俺はあそこじゃ、元罪人だからな」
「アンリールの神殿からは何も依頼されなかったようだし、通過許可だけもらったから、用がなければさっさと通り抜けて、次へ行こう」
 ディーは再び苦笑いを浮かべて青髪の若者を見、
「そうね。抜けるだけなら一シャーランもかからないでしょうから」と、ロージアも頷く。
「アンリールから、どこへ行くかだね。陸地続きでセレイアフォロスへ行くか、船でエウリスに渡るか」
 ブランはアーセタイルで買っていた地図の本に手をかざし、首を傾げた。
「それはアンリールに入ってから、決めましょうよ」リセラは提案する。
「仕事を探すなら、それにどこにも属していない島を探すなら海へ出て、エウリスへ渡った方が早いが、どうなるかな」
 ディーは空を見上げ、言葉を継いだ。
「アンリールに行けば、たぶん、次の道は開かれるのだろう。そんな気がする。さっさと通ろうとは言ったが、素直に通り抜けられるかどうか、だな」
「悪い予感はやめてくれよぉ、ディー」
 アンバーが抗議するように声を上げた。
「いや、悪い予感じゃないから、心配しなくていい」ディーは微かに笑った。
「だが、良いかどうかも、よくわからない。はっきりしないんだ。だから、それほどたいしたことではないと思う」
「だといいわね」
 リセラはちょっと首をすくめて苦笑し、みなも顔を見合わせていた。
 空は相変わらず赤っぽい色で、地面も赤茶けた、いつものフェイカンの風景だ。風は乾いていて熱く、道は埃っぽい。しかしあちこちに見える火山から、今噴煙は上がっていないようだった。その中を、三頭の駆動生物たちに導かれて、車は進んでいった。アンリールとの国境の町、カルサへと。




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