The Dance of Light and Darkness

第四部 : 炎の国フェイカン(1)




 暑かった。比較的冷涼な気候のロッカデールの西に位置するフェイカンだが、国境を越えた途端、むっとするような暑さが一行を包んだ。赤茶けた大地の向こうにところどころ、切り立った山が見える。
 ロッカデールの首都カミラフから、駆動生物に引かせた車に乗って街道を走り、途中の町で一泊して、さらに一日。フェイカンとの国境の町リオエヴァに着いたのは、夜だった。今回は大きな事故もなく、一行とローダガンも加えた十二人は、離れ離れになることなく、そろってここに着いた。とりあえずその日はロッカデール側の宿泊所に泊まり、翌朝、フェイカンに入国した。通貨を替え、駆動生物も取り換える。ロッカデールで“欲の獣”を浄化した報酬の一部として、若く元気な駆動生物カラムナを三頭もらっていたので、同じような駆動生物と交換できた。フェイカンのそれであるタラカルは、濃いオレンジ色に赤く短いたてがみと長い首を持ち、燃えるような赤い目をしていた。
(色は違うけれど、これに近いものを見たことがある)
 そんな思いを、別の世界から来た少女、サンディは抱いた。この世界では、車は駆動生物に引かれて走る。道路からのレラを取り込み、自らの力に変えて進んでいくそれは、国ごとにレラのエレメントが違うので、種類も違う。駆動生物は賢く、一度行った道は覚えているが、行先を指示する必要があり、それは同じエレメントの持ち主しかできない。それ以外の人の言うことは、解さないからだ。
 フェイカンは現在ある八つの国のうち、最も排他的だという噂を、ディーたち十一人は聞き及んでいた。その国の出身であるフレイも、それを肯定した。ロッカデールからフェイカンに入ろうという人はそれほど多くなく、一日平均で二、三十人くらいだと、カミラフ神殿のダンバーディオ神官長が話していたが、この場でも、ディーたち十二人を除けば、五人しかいない。そのうちの三人は仕事上の用らしく、すんなり通されていたが、赤ん坊を連れた女性は、「おまえたちが来たところで何になる、帰った、帰った」と、はねつけられていた。女性は泣いたり頼んだりしているようだが、国境警備兵たちは厳しい顔を崩さない。彼らはディーやリセラたち一行にも、厳しい顔を向け、「いったい何の用が合って、おまえたちのようなディルトやよそ者の集団が、我が国に入ろうとするのだ」と、忌むべきものであるような口調で問いかけられた。
「別に俺たちも、好き好んで入りたいわけじゃない。ただ、先に行くにも、この国の東にある港からアンリールに渡った方が、ロッカデールの港から行くよりも近いというので、通らせてもらおうと、最初は思っていた。でも今は、用ができたんだ」
 ディーは服の内側に取り付けた袋から、カミラフの神殿で渡された、火の神殿の紋章が刻まれた小さな金属板を見せた。その途端、相手の顔色が変わった。
「おまえたちが、ダヴァルの神殿から託された使いだと……」
「カミラフの神殿で、これを渡された。こちらの精霊様と向こうの精霊様同士で話し合った結果らしい。偽物ではない。触ってみるといい」
 国境警備兵の一人が恐る恐るという風情で手を伸ばし、一瞬それに触れると、ぱっとその板から赤みがかったオレンジの光が発せられた。「お!」と声を上げて兵士は手をひっこめ、二、三歩下がると、その板に向かって敬礼した。
「も、申し訳ございません。巫女様、精霊様!」
 そして同僚たちを振り返り、いくぶん慌てた声で続ける。
「この者たちは、ダヴァル神殿の巫女様が招聘されたものだ。通さないと、大変なことになるぞ!」
「大した権威だな……」ディーは呟きながら、その金属片を再びしまった。
「ねえ、あそこにいる人たちは、なぜ断られているのかしら」
 先ほどから気になっていたようで、リセラは警備兵と押し問答をしている女性に目を向け、問いかけた。
「あの女は、男を追ってきたらしい」
 警備兵の一人がそちらへ目を向け、答えなければならないと思ったのだろうか。あまり話したくはなさそうなそぶりながら、そう告げた。
「男はフェイカンの者だと。困ったものだな。ロッカデールへは仕事で行ったらしいが、そこで現地の女に手を付け、子供を孕ませたまま、帰ってきたという。ディルトはもうこれ以上、我が国にはいらん。ロッカデールで何とかしてもらえばいい」
「ロッカデールは、彼らのおかげで、これからは上向いていくだろうが、今までろくに働き口もなかった。ましてやディルトの幼い子供を連れた母親では、暮らしていくのもままならないだろう。どんな事情でその男が帰ったのかは知らないが、会わせてやるべきじゃないのか?」ローダガンが鋭い口調で、主張した。
「おおよそその男は、こっちでもすでに家庭があったのだろう。よくある話だな」
 ディーは首を振り、微かに苦笑を浮かべていたあと、「入国はもう少し待ってくれ。話がしたい」と警備兵に言いおいて、親子のところに歩み寄った。
「困っているようだな」
 そう声をかけると、女性は驚いたように顔を上げた。年はレイニやロージアより、一、二歳上くらいだろうか。薄茶色の肌に、暗褐色のうねった髪が肩に垂れ、目鼻立ちのはっきりとした、美しい女だった。灰色の毛布にくるまれて眠っている赤ん坊は、まだ本当に小さかった。濃いオレンジ色の髪がその小さな頭を覆い、肌も母親よりいくぶんオレンジ色を帯びていて、少し鼻が大きい。ディルト(混血)でも、混ざったエレメントの強弱は人によって違うが、この子は少し火が強めのようだ。
「俺たちはこれからフェイカンに入国するが、会いに行こうとする男の名前と知っていることを教えてくれたら、向こうで調べてきてもいい」
 ディーは重ねて、そう言葉をかけた。
「あら、それはいい考えね」
 あとからついてきたリセラがそう声を上げ、
「ちゃんと責任を取らせなければね。事情によっては、ただでは置かないわ」
 自身も放浪してきた父親に捨てられた過去を持つロージアも、感じるところがあったのだろう。普段は他人のトラブルに、積極的に首を突っ込みたがらない彼女だが、リセラと一緒に来て、そんなことを低く言っている。
 相手の女性はなおも驚いたように一行を見上げていたが、やがてわっと泣き出していた。
「ありがとうございます。わたし……本当にどうしたらいいか、わからなくて」
 泣きじゃくる女性の背中に、リセラはそっと手を伸ばした。
「あたしたちで少しでも役に立てるかわからないけれど、話を聞かせて。あなたがフェイカンへ行きたいわけを」
「そして、あんたがどこのだれかということを、まず教えてほしい」
 ディーが付け加える。
「私は……ジャイエという町のパルナエと申します。彼は……一年前に仕事で来て、二節一緒にいました。でもロッカデール自体が不況になってきて、仕事にならないから帰ると。でも……私は、この子ができてしまったんです。前の節に生まれて、ミラネスという名前を付けました。息子です。あの人の子です」
「そのことを、相手は知っているのかい?」
 フレイもやってきて、問いかけている。
「たぶん。もしかしたら子供ができたかもしれないと、言ったことがありますから」
「それで、慌てて帰ったのかしら」ロージアの声は、険を含んでいた。
「わかりません。でも、その一シャーラン後に行ってしまったから……連絡鳥を飛ばそうにも、私はあの人に飛ばしたことはなく、正確な住んでいる場所もわからないから、無理で。でも、たしかナラーダという町から来たと聞きました。私の両親も兄も、苦り切っていて……ただでさえ不況で、ろくに仕事もないのに、どうするんだって責められて。それで相手の男のところへ行け、って追い出されたんです。ここには乗り合い車で来たのですが、その車代と、ここからナラーダまでの乗り合い車のお金とを渡されて。でも、フェイカンに入れてくれなかったら、私はどうしていいかわかりません」
「無責任な男だな」ブルーがその後ろから、むっすりと呟く。
「男もだが、あんたの家族もひどいな。まあ、ロッカデールはたしかに今までレラ不足で大変だったろうが、フェイカンまではるばる行っても、その男があんたを引き受けるかというと、俺は怪しいと思うぜ。そもそもな、フェイカンって国は、純然たる火の民しか、まっとうな国民として受け入れてはくれないんだ。どの町でも村でも、よそ者やディルトは利用できるところが決められている。そこから出られないし、買い物とかもその専用の店でしかできない。ましてや定住するとなると、仕事はない。奴隷になるだけだ。俺は勧めねえな。あんたも子供も、不幸になるぜ。それくらいなら、まだロッカデールで暮らした方が良い。あそこもまあ肩身は狭そうだが、これからは仕事も増えるだろうし、普通に町の中で暮らせる。火交じりのディルトは時々見かけたしな」
 フレイの言葉に、ローダガンが少し驚いたように問い返していた。
「フェイカンは、そんなにひどいのか?」
「ひどい。まあ、俺たちは神殿の紋章があったから、すんなりと押してもらえたが、普通は単なる通り抜けでも、あまりいい顔はされないし、あからさまに避けられる。だがまあ、ロッカデールとは隣同士だし、お互い産業の上で、切っても切り離せない関係だから、ましな方なんだがな。実際、フェイカンで見かけるよそ者やディルトの大半は、そこ出身だ。でもそれでも、宿屋だってポプル屋だってほかの店もすべて、それ専用のしか利用できないんだ。それもたいてい、街の場末にあってな。普通の奴らはそこに近づきもしねえ。ああ、奴隷はいるんだがな。それは、金持ちの家に仕えている。でも奴隷だから、待遇は期待できないしな。まあ、あんたには気持のいい話じゃないだろうが、ローダガン。だからこそ、妹さんを救い出しに行くんだしな」
「ああ……もちろんだ。ファリナを早くそんな境遇から救い出してやらないと」
「その男の名は?」ディーは女性に、重ねて問いかけた。
「タナンド・カルカ……その下の名前は知りません」
「可能なら、調べてみよう。ナラーダのタナンド・カルカか。あんたはとりあえず、両親のところに帰ったらどうだ。調べられたら、連絡鳥を飛ばすから、ちゃんとした名前と住んでいるところを教えてくれ」
「パルナエ・サバリク・ミアラキーダマです。ジャイエの町の東側、三番通りの家に住んでいました。でも……」
「お金が心配なら、少しだけなら都合できるわ。一節くらいなら、これで暮らせると思う」
 ロージアが服の裏側からいくぶんかのお金を取り出し、女性に手渡した。
「え?」相手は驚いたように、目を見張っている。
「どうしてそこまで、見ず知らずの私にしてくれるんですか?」
「おせっかいかしら。でもここで会ったのも、何かの縁だと思うわ。もしもらうのが気になるなら、働けるようになったら返してくれてもいいし、もしその男に会ってお金を取り立てられたら、そこからもらってもいいから」ロージアは微かに笑みを見せ、
「そのうちに、ロッカデールの景気も良くなってくると思うし。頑張って」
 リセラもにこっと笑う。
「ありがとうございます」女性は涙を流し、拝むような仕草をした。
「これに、あなたの名前と住んでいるところを書いて。相手の男のこともね」
 ブランが小さな紙と書くものを差し出した。パルナエという女性は頷き、しばし紙の上に筆記具を動かす。そこから出てきたものは、やはり淡い色模様だった。
「その男が見つかったら、話をしてみよう。君たちの生活費を送るように」
 ディーがそう告げると、女性は感極まったように、再び激しく泣き出した。
 
「しかし、余計な用が増えたな」
 フェイカンへ入国し、街道を南へ向かいながら、ブルーがぼそっと呟いた。
 この国の街道は、赤っぽい土を強く固めたような路面で、空気は乾いて暑かった。赤茶けた大地が広がり、まばらに木が見えるが、それはアーセタイルやロッカデールにあるようなものではなく、枝のない一本の棒のような形で、てっぺんからすだれのように細く長い葉っぱが広がっている。空は少しピンク色がかった灰色だ。遠くにいくつか、山が見えた。みな火山のようで、頂上から煙が薄くなびいている。時々、乾いた熱い風が吹きすぎていった。
 車の指示席には、フレイが座っていた。「リルでもできるかもしれないが、四分の一だしな」と。その彼は後ろを振り向き、答える。
「成り行き上、仕方ねえな。気にかかっちまったわけだし。どうせダヴァルへ行くまでに、ナラーダを通る。俺が聞いてくるぜ。みんなには、なかなか話しちゃくれないだろうから。たとえ神殿の紋章があってもな」
「そんなものなの?」リセラがそう問いかける。
「そうだ。神殿の権威にはみな弱いが、だからと言って、よそ者やディルトに対する感情が変わるわけじゃねえ。かえって、内心忌々しく思ってる連中も多いだろう。あの国境の奴らにしてもな」
「そう言えばフレイさんは、どうしてフェイカンを離れたんですか?」
 以前ミレア王女が問いかけたことを、サンディが繰り返した。
「そうだな。大した話じゃないが」フレイは前を向き、語り始めた。
「俺はここより東の、フフィンという町に住んでたんだ。両親と、兄貴と姉貴とで。俺は普通に子供時代を送っていたが、俺の伯父は金持ちで、その家に奴隷がいた。岩と火のディルトの、女の子だった。わりと可愛くてさ。髪はオレンジで、眼は茶色くてぱちっとしていた。フェイカンの民はさ、俺もそうだが鼻がでかくて目が小さくて、あまり可愛い感じの子は見たことがないんだよ。俺は伯父の家に出入りして、その子と話をしたりしているうちに、彼女が好きになっちまったんだな。でも奴隷に惚れるなんて、俺の家族からしてみれば、正気を疑われるようなことだった。伯父一家にしても、そうだっただろう。それでその子は、よそに売られちまった。代わりに来たのもやっぱり岩と火のディルトだったが、もっと年かさの女だった。俺は衝撃を受けてさ。その時、俺の親が言ったんだ。ディルトなんて人間じゃない。その子供もまたディルトになるし、気高い火のエレメントを汚すことなんて、許さないと。俺は疑問に思ったんだ。いや、それはそんなに偉いことなのか。火だけが特別だなんて、本当なのか。八つの国は――まあ、ミディアルだけは別種だと俺も思っていたが、その時は――みんなそれぞれ固有のエレメントが違うだけじゃないのか、と。でもそう言ったら、家族は激怒してさ。親父にはひっぱたかれるし、お袋には頭を冷やせと水をかけられるし、兄貴や姉貴からも、さんざん馬鹿にされた。でも俺は本当にそうなのか、外の世界を見てみたいと思ったんだ。他の国では、俺もよそ者だ。その立場に立ってみたら、わかるかもしれないと。それで十八になった時、家を出たんだ。家族からは、もう二度と帰ってこなくていいと言われたがな」
「……おまえのような奴がいるだけ、フェイカンの民もみな鼻持ちならないというわけではなさそうだな」ディーがその背中に視線を送りながら、そう述べた。
「その彼女の消息は、わからないの?」リセラが聞く。
「さあなあ。どこに売ったかとか、伯父は何も話しちゃくれなかったからな」
「奴隷って……お給料をもらわない、召使のようなもの?」
 ミレアが不思議そうに聞く。ミディアルでは王宮にすら、奴隷という身分の者はいなかったのだ。みな労働の対価をもらい、家族も持っている、働き手だった。今までに滞在したアーセタイルでも、ロッカデールでも、その身分の者はいなかった。ロッカデールでは何年かの契約で、賃金を前渡しして働くという労働者たちはいたが。ペブルもかつてそうだったし、ヴァルカ団のヴァルカもそうだ。しかし彼らはあくまで労働者であり、契約年数が過ぎたら、自由になれた。
「罪人以外の、純然たる奴隷がいるのは、マディットとフェイカンだけだろう」
 ディーが微かに首を振った。
「俺はマディットに行ったことはないが、似たようなもんだろうな、お互いに」
 フレイはちらっと振り返っている。
「そうだな。罪人の方は、それに見合う贖罪ができたら、その身分から抜けられるが、純然たる奴隷は、一生そのままだ。それも、みなディルトだ。フェイカンもそうか?」
「ああ。それは同じだ。一回買われたら、一生ものだ。その代金を払って、買い受けられない限りは。それですら、所有者が変わるだけだ」
「なぜ、そうなってしまうのですか?」サンディは納得いかなかった。
「生活のためだな。ディルトはそうでもしなければ、この国では生きていけないんだよ。普通の仕事は、純血の火の民しかつくことができない。ロッカデールじゃ、不況になるまではディルトでも仕事があったらしいが、フェイカンはずっと昔からそうなんだ」
 フレイは赤い髪をバサッと振りやり、少し突っ放したように言った。
「フェイカンは火の国だから、主な産業は金属の精製、加工と、カドルの生産だ。あとの方はともかく、先の方はロッカデールから輸出される金属が元になるから、あそことの関係は深いんだが、そこの工場で使う装置は、純粋な火のエレメント持ちでないと扱えない。カドルの方とか、工場の雑用とかは、多少火交じりならディルトでも、できるんだがな。そういう奴は、その工場をいくつも持っている金持ちに買われている奴隷だ。朝から晩まで、ろくに休む暇もなく、死ぬまで働かされる。若い見眼のいい奴は、家の雑用に使われたりするんだがな。特に女の子は。ちゃんと給料をもらえて、いい待遇で働けるのは、純粋な火の民だけだ。さらに工場の持ち主たちは、働きもしないで、いい暮らしをしている。タンディファーガ家もそうだ。あそこは大規模な金属加工工場と、カドルの方もやっている。その規模は、フェイカンでも一、二を争うくらいだろう」
「そうなのか」ローダガンは難しい顔で頷き、一行は、しばらく黙った。
「それにしても、本当に暑いわね」
 リセラが雰囲気を変えるように、そう声を上げる
「火の国だからな。この国は火山も多いし、地熱も多い。ロッカデールは鉱山が多いから、少し涼しかったが、ここでは上着はいらないぜ」
 フレイは再びちらっと後ろを振り返り、てんでに上着を脱いで汗を流している仲間たちを見やっていた。
「ミディアルの砂漠地方みたいね」リセラがそんな感想を漏らした。
「おまえが、あそこで涼しい顔をしていられたわけだよな、フレイ」ブルーが首を振る。
「そういえば、僕らがサンディを拾ったのはミディアルの砂漠を走っていた時だったね」
 アンバーが思い出したように小さく声を出し、
「そうそう」と、リセラも頷く。
 あの時から、三節が過ぎた。そのことを、漠然とサンディも考えていた。ミディアルで一節近くを過ごし、その後マディット・ディルに攻撃されて、アーセタイルへのがれた。そこで一節と少し。さらにロッカデールへ来て、今は四つ目の国、フェイカンにいる。不思議な気がした。それ以前の記憶は、いまだに空白だ。

 その夜、一行はナラーダの町に着いた。フェイカンの駆動生物タラカルも、カドルの光があれば夜でも走れるので、野営の必要もなく、夜の三カル近くになっての到着だ。街道から町に入る門には警備する人はおらず、そのまま中に入ったが、その先に分岐点がある。
広くまっすぐに町中へ延びる道、同じように広い右側の道、そして細く薄暗い左側の道だ。
「左の道が、バギタと呼ばれる、よそ者やディルトのための区域だ」
 フレイはいったん車を止めさせ、仲間たちを振り返った。
「まあ、俺たちには神殿の紋章があるから、そこへ行かなくとも大丈夫だろうが……それを出せば、文句は言えないだろうからな。ただな……余計なもめ事をおこしちまう可能性も否定できないな」
「まあ、おとなしくその隔離区域へ行くか。神殿の権威を振りかざして無理やり通るよりも、平和だろう」ディーは微かに苦笑し、そして問いかけた。
「おまえはどうするんだ、フレイ? そっちの隔離地域に純血は入れるのか?」
「入れるし、それは問題ないはずだ。ただ、普通の奴らは来たがらないだけでな」
 一行の車は、薄暗く狭い通りを進んだ。小さな店がいくつかあり、湯屋もあるが、夜なのでみな閉まっているようだ。赤土を焼いて四角に成形したものを積み上げて作った建物が、他にもいくつかあった。四角い形で、四階建てくらいの、比較的大きな建物だが、手入れはされていない感じで、少し傾いでいたり、外壁にひびが入っていたりしている。
「あれは工場で働く奴隷たちの宿舎だ」フレイは建物を見やり、そう説明した。
「あの一つの建物に、三、四十人ほどいる。俺も家を飛び出したあと、しばらくバギタをうろついて、そこにいる奴らと話したこともあるから、知っているんだ。連中は質の悪い水と、年に一枚与えられる服と、それからポプルの引換証――ここのポプル屋にそれを持っていって、必要な量をもらうらしいが、それしか雇い主から与えられないそうだ。昼間の時間は、ほとんど働かされている。二シャーラン十六日のうち、一日は休みがもらえるらしいが、たいていはここでごろ寝しているらしい」
 建物の窓から、明かりは見えなかった。もうみな眠っているのだろうか。
 やがて車は、小さな宿屋に着いた。そこの店主は濃いオレンジの髪にひげを生やした、やはり岩と火のディルトのようだ。「あなた様は、ここに来ていいのですか?」と、宿の主人は少し驚いたように、フレイに問いかけていた。
「逆は、禁止されていないはずだぜ。彼らはみな仲間だから、俺は仲間と一緒に泊まりたいんだ。部屋はあるか?」
「はい、空いていますが、それだけ大人数用の部屋はありません。六人部屋を二つ用意しますが、それでいいですか?」
「じゃあ、それで頼む。それと、車とタラカルの小屋もな」
「かしこまりました」
 渡された鍵を使い、車と駆動生物を庭に建てられた小屋にしまうと、一行は二階へ上がった。宿はこの地区の他の建物同様、建てられてからかなりたったような感じで、階段や廊下は、歩くと少し音が出、壁にはところどころヒビが入っていた。天井から吊り下げられたカドルの光も、少し薄暗い。
「ボロだな」ブルーが周りを見ながら、ぶすっと呟いた。
「バギタにあるものなんて、みんなそうさ。だけど安い」フレイが首を振る。
「あの主人はディルトのようだけれど、奴隷ではないのね。そういう身分の人もいるの?」
 リセラの問いかけに、フレイは首を振った。
「いや、ここにある店で働いている奴も、身分は奴隷だぜ。経営者は別にいる。ただここで働かされているだけさ」
「そうなの……」リセラは少し顔を曇らせ、他の女性たちと顔を見合わせていた。

「一日無駄にはなっちまうが、そのタナンド・カルカという男を探しに行ってくるぜ。急いでいるところを悪いな、ローダガン」
 翌朝、起きだしてきたフレイは水を飲むと、立ち上がった。
「それはかまわない。困っている人の力には、なってやりたいしな」
「その男の居場所が知れたら、一度ここへ戻ってきてくれ、フレイ。みんなで会いに行こう。あまりもめ事は起こしたくはないが、おまえ一人より、その方が良いだろう」
 ディーは少し考えるように黙った後、そう声をかけ、
「ああ。まあ、いざとなったら神殿の紋章があるからな。ついでに俺は、湯屋にも行ってくるぜ。宿はともかく、バギタ地区の湯屋には入りづらいしな、純血は。逆にみんなはこっちで入るしかないから、入ってきてくれ」
 フレイはニヤッと笑い、出かけていった。残った人々はしばらくのち外へ出て、店から水やポプルを買った。水はきれいなものとあまり質の良くないものの二種類があり、「旅行者さんなら、きれいなものをどうぞ」と、そこで店番を務めていた、やはり岩と火のディルトらしい年配の女性が勧めてきた。値段は二倍以上違ったが、きれいな水の方が力になるので、そちらを買った。
「ナナンくんなら、そっちの水でも大丈夫でしょうけれどね」
 リセラは再び、そんなことも言った。アーセタイルで出会ったその少年は、質の良くない水から、きれいなものに変える術を持っていたからだ。
「ナナンさんも、農場を手伝って幸せにしているようで、良かったです」
 サンディも思い出し、かすかに微笑んだ。その緑髪の少年からは、アーセタイルで別れてからも時々便りがあり、最新のものはロッカデールでローダガンの合流を待っている時に、来たばかりだった。
 ポプル屋は白と濃いピンク、茶色ばかりだったが、「他の色もほんの少しならある」と、店の奥から持ってきてくれた。それぞれ数個の色つきポプルと、たくさんの白を買い、いったん宿屋に荷物を置いてから、湯屋に行った。火の国で温泉が豊富なフェイカンらしく、湯桶は広くお湯はたっぷりとしていて、熱い蒸気だけのものもあった。そして服屋で半そでの涼しい服を買い求め、宿屋で着替えた。
 ロッカデールでは茶色や灰色の服が多かったが、フェイカンでは赤やオレンジ、それに濃い灰色ばかりのようだ。
「なんだかね、赤やオレンジは、ちょっとあたしには似合わない気がするわ」
 リセラは買ったばかりの赤い、丈の短い半そでの服と濃い灰色の短いスカートに着替えながら、少し苦笑いをして首を振った。
「リボンは赤だし、大丈夫よ。私に比べたらましだわ」
 レイニも苦笑している。彼女の水色の髪に、たしかに赤やオレンジは調和しているとは言い難い。アンバーやブルーも、「ちょっと派手かなあ」「似合わないだろう、この色は」と、首を振っていた。
「ミディアルは良かったなあ。いろんな色があって」
 アンバーは首を振ってそう続けたが、きっとその思いはみなが感じていただろう。
 サンディは今まで来ていた茶色のワンピースからオレンジ色の丈の短いそれに着替え、「でも、サンディはオレンジも似合うわよね」とミレアに言われていた。彼女も同じような服装だ。「あなたもね、ミレア」と、返すと、少し嬉しそうに笑っている。

 昼の六カルを過ぎた頃、フレイが宿に戻ってきた。
「タナンド・カルカという奴について、だいたいわかったぞ」と。
「ご苦労だったな、どういう奴なんだ」
 ディーの問いかけに、フレイは話し出した。
「この町の東に住んでいる、金属精製をやっている工場の持ち主の息子らしい。三人いる息子の真ん中で、原料を買いつけに、ロッカデールにはしょっちゅう行っているそうだ。タナンド・カルカ・ダヴェールフォイというのが正式な名前らしい」
「そうか。じゃあ、おまえが一休みしたら、みなで行くか」
「ああ。俺も水は買ってきたし、湯屋にも行ってきたから、ちょいとこれを飲んだら、行けるぜ」
 そうして一行は宿を出て、道を歩いていった。バギタ地区の道は割とぼこぼこしていたが、そこを抜けて町の大通りへ入ると、一転して滑らかな道になる。周りに立っている建物も同じような材質だが、しっかりとした感じで、窓にも日よけが下がり、店の構えは大きく、窓板も透明でピカピカしている。
 一行が道を進んでいくと、周りの人々が驚いたようにさっと引いていくのがわかった。そして、口々に怒りを含んだ声を浴びせてくる。
「おい! ディルトやよそ者はここには入れないだぞ、帰れ!」
「こんなところで何をしているんだ、帰れ!」
 警備をしている兵隊らしき人間も、すぐにやってきた。
「何をしているんだ。ここは立ち入り禁止だ」
「そうかもしれないが、用がある。それにはフレイ一人より、みなで行った方が良いという判断だ。それにロッカデールを出る時、あちらの神官長様より、これを渡された。これがあれば、フェイカンでも断れないはずだと」
 ディーは再び神殿の紋章を取り出した。一斉に人々が驚きの声を上げるのが聞こえた。警備兵も驚いたようにそれを見、ためらうように手を触れている。そこから再びオレンジの光が立ち上ると、「おお」と小さく声を上げ、「申し訳ございません、精霊様」とひれ伏していた。どうやらこれに触れると、そこに込められた精霊の意思が伝わるらしい。
「わかった。それでは私が先導しよう。おまえたちが、用があるという場所まで」
「そうしてくれるとありがたい。いちいちこれを見せながら行くのも面倒だからな」
 ディーは苦笑し、行先を告げた。警備兵はみなをダヴェールフォイ家まで案内した。
 タナンド・カルカ・ダヴェールフォイの家はかなり広く、どっしりとした作りだった。少し離れたところにある大きな工場で、鉄の精製とその製品の製造を生業としているらしく、窓はきれいに磨きこまれ、そこから見える調度品も質がよさそうだ。庭には大きなポプルの木が三本生えていて、濃いピンクの実をいくつかつけていた。
「この者たちが、タナンド・カルカに用があるそうだ」
 先導してきた警備兵は、応対に出た奴隷の女性にそう告げ、そして帰っていった。
「仲間たちに申し送りをしておこう。あんたたちが帰る時、見かけたらバギタ地区まで先導してもらうように」と、言いおいて。




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