The Dance of Light and Darkness

第三部:岩と山の国ロッカデール(7)




 カミラフから来た神官たちは、アデボナ山の入り口が見える道の端に車を止め、交代でその入り口を見守っていた。
「彼らが入って、もうじき七カーロンだ。でも、まだ出てこない」
 一人が時を測る装置を見ながら、懸念を浮かべた表情で首を振った。
 もう少しで日が沈む時間だ。やがて大きな音を立てて、入り口が崩れた。無数の小さな岩が降るように落ちてきて、それがおさまった後には、かつて入り口のあった場所は普通の山肌と変わっていた。ころころと小さな石がいくつか、山肌を転がって街道まで落ちてきた。
「時間切れだ……」神官たちはうめきに近い声を上げた。
「失敗したのか……?」
「まさか精霊様のお告げが外れるなど……」
 彼らは茫然とした様子で、入り口があったところを眺めていた。
「こうなった以上は仕方がない。神殿に帰って、報告しなければ……」
 神官たちは悄然とした面持ちでしばらく見つめた後、ため息をついた。
 車を展開させ、元来た方へ帰りかけて、神官の一人はもう一度山の方を見た。
「もう出てくることはないだろう。諦めろ」もう一人が言う。
「ああ……もう日も暮れるしな。早く帰った方が良いだろう」
 先の神官は空に目を移し、そして小さく声を出した。「鳥だ」
「鳥なんて、珍しくはないだろう」
 三人目が苦笑いをしながら、その方向に目を向けた。
「いや、変わった鳥だなと……」
 最初の男が言い、ついで言葉を止め、息を呑んだ。
「違う! あれは人間だ! あれは……」
「あれは……彼らの一人だ、風ディルトの!」
 アンバーが、かなりのスピードで飛んできていた。そして空中から、声を上げていた。
「待ってえ! 行かないで! 戻ってきたんだよ!!」
 彼は、あっけにとられている三人の神官たちの車の前に降り立った。
「ディーに言われたんだ。あなたたちが勘違いして帰っちゃうと困るから、おまえ先に行って知らせて来いって」
「どうやって、出てきたんだ? もう入り口は閉じてしまったが」
 神官の一人が驚きの表情を浮かべながら、そう問い返す。
「下の出口が開いたんだよ。そこから出てきたんだ。でも山の向こう側に出ちゃったから、ここまで戻るのに、歩いて半カーロンぐらいかかるだろうって」

 清心石を取ってから開いたもう一つの出口に続く道は、長い一本道だった。分岐もなく、障害もなかったが、一人ずつやっと通れるくらいの幅しかなかった。それは『清心石』を持ったものを先頭にしないと、開かない道だった。さらにその石は、最初に取ったもの、ペブルから誰かに渡すことはできなかった。そうしようとすると、とんでもない重さになり、動かすことができないのだ。仕方なく一行はペブルを先頭にして、細い一本道を進んだ。道幅はペブルの身体ギリギリなので、その歩みは遅かった。やっと光が見え、外へ出たのは、最初に入ってから七カーロン、その期限にわずか数ティルしか余裕がなかった。
 出たのは入った場所とは反対側だったので、道を回り込む必要があった。一行が歩き出して間もなく、背後の入り口が崩れて閉じた。
「向こうも閉じたのだろうな」ディーが頭を振り、そして告げたのだ。
「そうすると、早合点して帰ったかもしれないな。精霊様がこっちの出口のことを神官たちに告げたかどうか、怪しいしな。でもカミラフまで歩いて帰りたくはない。アンバー、おまえの速度なら、彼らの車に追いつけるだろう。行って、俺たちは後から行くから待っていてくれと、知らせてくれ」

「それで、僕は先に来たんだ」
 アンバーは今までの経緯を簡単に語った後、そう付け加えた。
「おお! それでは、成功したのだな?!」
 神官たちは感嘆に満ちた声を上げた。
「ああ。仲間の一人が持ってる。でもあの石は、最初に引き抜いた人しか持てないみたいだね。だから僕は持っていないよ。後から来る」
「ああ。それはわかっている。あの石は土か岩のエレメント持ちにしか扱えないからな」
 神官の一人が頷き、もう一人が急いたように続けた。
「君の仲間たちは、この街道を歩いてきているのだな。それなら待っていないで、迎えに行こう。君は乗るかね? それとも飛んでいくか?」
「乗せて。ここまでに、かなりエレメントを使っちゃったから」
 アンバーは車に乗ると、服につけた袋の中から風ポプルを取り出し、食べていた。その背中から広がった翼がするすると服の中に回収されていくのを、神官たちは珍しそうに眺めた後、車を走らせた。もう日はかなり落ち、空も山肌も薄墨色に染まっている。そうして十ティルほど進んだ先に、ポツリと赤い炎の点が見えた。それはカドルの灯りのようで、その後から歩いてくる七人の姿が黒い塊のように、うっすらと見える。
「迎えに来てくれたか。それは良かった」
 ディーが車の姿を認めたらしく、ほっとしたような声を上げた。
「ああ。無事成功したらしいな。本当に良かった。乗ってくれ。これからカミラフに帰る」
 神官たちも安どの表情を浮かべていた。

 夜の神殿は、どことなく幻想的な印象だ。アデボナ山から戻った一行は、そのまま宿屋ではなしに、巫女に謁見するのだと、まっすぐここに連れてこられたのだ。外にはたくさんのカドルが吊るされて灯され、その灯りに浮かび上がって、装飾に使われている稀石がキラキラと光り、濃い灰色に見える建材の中に、小さな光を蒔いたように見える。中に入ると、広間は明るい。ご神体である岩を取り巻いて、少し金色がかった光が部屋を照らしているのだ。それはカドルの光ではなく、このご神体自体から出るものらしかった。その奥は、少し白っぽい光の玉がいくつか、神殿内を照らしている。それはほの明るいが、月光にも似て、少し冷たい感じの光だった。
「無事に、清心石を取れたようだな。ご苦労だった」
 巫女は一行にそう告げた。
「明日より五日のちの夜、“欲獣”は、デナ山の山頂に具現化する。浄化を頼む」
 そののち、再び巫女は杖を振った。
 巫女の前を下がった一行は、再び神官長の間に通された。
「よくやってくれた。あと一仕事頼む。その清心石を、“欲獣”に投げ込み、そののちレヴァイラをかければ、浄化は完了するだろう」
 ダンバーディオ神官長は一行八人を見ながら、微かに険しい表情を残しながらも、明らかに安どの表情を浮かべて、そう告げた。
「“欲獣”は攻撃してくることはないのか?」
 ディーは少し気づかわしげに、そう問うた。
「“思恨の獣”とは違う。“欲の獣”と文字通り貪欲さの化身なので、外に攻撃には出ない。ただ、岩のレラを吸ってしまう。だから我々は、あっという間にレラを吸われて、死んでしまうだろう。だが君たちは、大丈夫そうだな。土も被害は受けるが、岩ほどではない。吸収の速さが、数倍遅い。だから、すっかり土レラが吸われるその前に“清心石”の所持者は、それを離すといい。レラと一緒にそれは吸われ、相手の中心に届く」
「そこでレヴァイラか。タイミングは難しそうだな」
「君たちなら、できるだろう」
 ダンバーディオ神官長は、得心したような表情を浮かべていた。
「デナ山はここから車で北に八カーロンほど行ったところにある、高い山だ。そこまでは、我々が送っていこう。ただ、山には頂上に向かう細い道があるが、そこは車では入れない。歩いて登っていってもらう必要がある。両方で、二日ほどの余裕が必要なので、今から三日後の朝、そちらへ迎えの車を差し向けよう。それまで、ゆっくりと休んでくれ」

 サンディとミレアはその間、宿の部屋で待っていた。話をし、眠り、そして祈った。アーセタイルで身の振り方は考えてもらえると保証はされたが、二人だけでこれから生きていくのは、あまりに心細い。仲間たちの無事な帰還を、彼女たちは必死で祈り続けていた。しかし彼らは夜中になっても、帰ってこない。ミレアは涙をいっぱいため、真っ青な顔になっていた。サンディも心が潰れそうな思いがしたが、自分より年下のミレアのため、少しでもしっかりしなければ――そんなことを、必死に思っていた。
(わたしがしっかりして、守っていかなければ――)
 サンディは、ふっと不思議な思いにとらわれた。この思いは、今が初めてではないような気がする。昔から、ずっと思っていたような――。
 その時、外に車の音がした。窓を開けて見てみると、その日の朝早くここを出立した、神殿の車が宿の前に泊まり、ディーたち九人が下りてくるところだった。宿の入り口に掲げられたカドルの赤い光の下で、その姿が見えた。サンディは思わず歓声を上げ、ミレアの手を取った。王女もまた歓喜の表情を浮かべ、声を上げていた。少女たちは抱き合った。

 部屋に帰ってきた九人は留守番の少女たちにアデボナ山での体験と、“浄化”のために必要な、これからの行程を語った。
「その“獣”というのは、どこか特定の場所に現れるって言いますが、それはあちこちに移動しているんですか?」
 サンディは不思議に思い、そう問いかけた。
「違う。そうだな、あんたには“獣”の概念はわかりづらいかもしれないが、それは“思い”の集まりだから、形も存在も一定ではないんだ。普段から、どこかに、目に見えない場所に存在しているが、時々形を成す。その形を成した場所にその時間に行けば、形として見えるが、それ以外は目には見えないわけだ。目に見えない存在である時には、そう害はない。その存在にも気づかない。ただ、形になってしまうと、それは悪さをする。“思恨の獣”の場合は絶望感から攻撃性を帯び、“欲の獣”はその貪欲さの性質ゆえに、レラを飲み込むらしい。それを具現化という。そして、また目に見えない存在に戻る。これを繰り返して大きくなるんだ。その“欲獣”が次に具現化する場所が、デナ山の頂上で、五日後の夜なわけだ。だから、その時にそこへ行かなければならない。それで、ペブルがその“清心石”を相手に投げてしまったら、そこでレヴァイラをかけて浄化しないと、次の機会はない。石は一つしかないからな」
 ディーは少女たちを見ながら、そう説明した。
「そうなんですか……」
「それにしても、不思議なんだよなあ、この石」
 ペブルが服の内側についた袋から、その石を取り出して眺めながら、首を傾けていた。それは彼の大きな手の中にすっぽりと包み込めるような大きさで、白い輝きを放っている。
「もとは大きかったんだ。おいらが両手でつかんで、引っこ抜いたんだから。それがこの大きさになっちまって、全然重くもなくて。でもさ、これをとろうとしてみな」
 彼は石を持った手を、サンディたちに差し出した。ミレアが少しおずおずと手を伸ばし、その石をそっとつかんだ。少女の顔色が変わった。
「重い……動かない」
 サンディも同じようにやってみたが、その石はまるでペブルの手のひらに張り付いたようで、途方もない重さになっていて、動かすことすらできなかった。
「投げてみても、ダメなんだよ。投げられるんだけど、取れないんだ」
 ペブルはその石を、ひょいとブルーとフレイの間に投げた。二人は慌てて身をかわし、その間に石は転がって落ちた。
「おい! やめろ! 俺たちを殺す気か!?」
 ブルーとフレイが同時に、そう声を上げている。
「この石、他の誰も拾うことはできないのよ。重くて」
 ロージアが床に落ちたその透明な石に目をやって首を振り、
「そう。俺でも無理なんだ」と、ディーも苦笑いをする。
「これを取って、下の通路から抜けようとした時、俺たちは誰も先に進むことができなかった。ペブルを最初に通さなければ。それで、ペブルはこの通りの身体だから、細い通路を抜けるには誰かほかのものに渡した方が良いと思い、ロージアに渡そうとしたが、できなかった。他の誰がやっても。それで投げようとしたら、投げられることに気づいてやってみたら、これがとんでもなく重くてな」
「そうだ。俺はとってみようとして、危うく手を砕くところだったんだぜ」
 フレイが思い出したように手を振りながら、顔をしかめた。
「でも、おいらが拾うと、全然重くないんだよなあ」
 ペブルは床に落ちた石を拾い上げ、それをつるりと指で撫でてから、再び懐にしまった。
「“清心石”は、最初の持ち主しか認めないということだ」
 ディーがその様子を眺めながら、再び微かに笑って首を振り、言葉を継いだ。
「“欲の獣”の浄化は、四人でこと足りるのだろう。ペブルにその石を投げ込んでもらい――あの神官長の言うように、レラを吸われる時に放せばいいそうだから――その後、俺がリルとアンバーの助けを借りて、レヴァイラをかける」
 レヴァイラは光の最高技の一つで、ディーは四分の一の光ではあるが、それが使える。ただしそれを発動させるには、全形の強い光が必要で、そのためにリセラの二分の一の光とアンバーの四分の一のそれが必要になり、合わせて全形の光となって技が出せる――以前、アーセタイルの首都ボーテ近郊で、“思恨の獣”の昇華をした時に見たその技を、サンディは思い出していた。
「四人でこと足りるなら、留守番をしていた方が楽そうだな。疲れたしな、今日も」
 ブルーはぼそっと、そんなことを言う。
「ふん。高い山を一日かけて登りたくないんだろう」
 フレイは小さく鼻を鳴らし、首を振った。
「まあ、おまえたちはここでサンディやミレアと留守番でもいい。ロージアも土レラを吸われる危険があるから、残った方が良いかもしれないな」
 ディーは苦笑いを浮かべながら、仲間たちを見やった。
「また留守番ですか?」
 サンディとミレアは少しがっかりしたように声を上げる。
「留守番しといた方が良いぜ。行っても何かできるわけじゃないし、山道は危ないしな。大変だろう」フレイが二人を見やり、そして続けた。
「でもまあ、俺は行ってもいいぜ。やれることはないだろうが、四人だけというのも少し心配だしな。まあ、ディーがいるから大丈夫だろうが」
「私も行こう。何か道具で役立てるものがあるかもしれないし、ロージアが行かないなら、怪我した場合、薬があった方が良い。私は吸われて困るレラもない。非力ではあるが、山道を登るくらいはできるだろう」
 ブランもかすかに首をすくめながら、そう申し出る。
「わたしは、ふもとまでは一緒に行くわ。山には登らないまでも」
 ロージアの言葉に、残る四人も「そこまでなら、まあいいだろうな」「ここで待っているより、気が楽です」「そうしましょう」と、口々に賛同の声を上げた。
「それでは、五人には車でついてきてもらうか。そして、ふもとで待っていてもらおう。山には六人で行って。まあ、今日はもう遅い。寝よう」
 ディーが一行を見回し、提案した。夜ももう半ばを過ぎている。みなは頷き、それぞれの寝棚に引き取っていった。

 三日後、再び神殿から迎えの車が来た。迎えの神官たちに事情を語り、留守番の五人はその山のふもとまで、もともと乗ってきた車で同行することを告げた。迎えの者たちは、このこともすでに了承しているようだった。
「それでは我々が先導するので、君たちはひとまずみな君たちの車に乗り、ついてきてくれ。それと、君たちのカラムナはだいぶくたびれているようなので、新しい、若いものを三頭用意した。それに引かせれば、我々の車と同じくらいの速度が出るだろう。成功報酬の前渡しとして、渡しておく。君たちのカラムナは神殿で引き取って使った後、繁殖屋に持っていこう」
「おお、これで車だけじゃなく、駆動生物も立派になったな」
 フレイが喜びの声を上げた。残りのみなも同じような表情だ。今まで道中共にしてきたカラムナたちには多少の愛着があるが、彼らもまた神殿で使ってもらい、そののち余生が過ごせることが保証されていることで、一同の気は軽くなったようだ。
 一行は新しい三匹の駆動生物を車につなぎ、先導する神官たちの車の後をついて出発した。指示席にはロージアが座った。ペブルは“清心石”を持っているため、浄化に向かわなければならない。それまで、ゆっくり休養させようという意図だ。
 その日、日没近くなるころ、二台の車はデナ山のふもとに着いた。そして街道を外れ、広い野原の中で野営することとなった。
「“欲の獣”が現れるのは明日の夜だ。山を登るのは、明日の朝が良いだろう」
 先導の神官たち(“清心石”を取るために同行した三人と同じ人たちだ)は告げた。
「それでは、見張りを立てた方が良いだろうか」
「いや、私が結界を張る。その中にいれば大丈夫だ」
 神官の一人が立ち上がり、杖を振りながら周りを回った。薄茶色に微かに輝く霧のようなものが、その周りを取り巻いていった。
「ありがたい。それなら車の中でも、ぐっすり眠れるな」
 一行はポプルと水といういつもの食事をとった後、車の中に戻って眠った。

 翌日、“浄化”に加わる六名は、山頂目指して出発した。
「夜道を下りるのは危険なので、“浄化”ののち、君たちは山頂で夜を明かしてもらうことになるだろう。雨は降らないと思うが、敷物とカドルは必要だ。これを。他に水やポプルも入っている」
 神官たちは装備の詰まった大きな袋と、少し小ぶりなものを取り出した。
「ほんじゃ、これはおいらが持っていくよ」
 ペブルが大きい方を受け取って、ひょいと肩に担ぐ。
「君は“清心石”を持っているんじゃないのかね?」
「でもその石、重くないんだ。それに荷物運びはおいら、得意だからね」
「じゃ、俺も少し持つか。そっちの小さい袋を貸してくれ。俺は上では役に立たないからな」フレイが手を出して、小ぶりの方を受け取った。
「では、帰ってくるのは明日なのね。気をつけてね」
 車に残る五人を代表してロージアがそう声をかけ、残る四人も真剣な表情で頷く。
「あとはみな、女ばっかだな。ここに残るのは」
 ブルーが少しきまり悪そうに周りを見回し、
「それなら、あたしだって登り組の中では、女一人だからね。まあ、無理しないで。大丈夫よ」リセラが笑って、そう青髪の若者に声をかける。
 そして六人は出発した。

 山頂へ向かう道は狭く、険しかった。突き出た木の枝に洋服が引っ掛かったり、ゴロゴロした石に躓きそうになったりしながらも、一行は進んだ。ディーとペブル、それにフレイは登り道にもさほど息を乱すことなく進んでいくが、あとの三人には少し辛そうだ。
「山は登るもんじゃないよ〜。少し休もうよ」
 中腹まで来たところで、アンバーが立ちどまった。
「そうだな。風の民には、山は飛んで超えるものだな。二、三段階あるだろうが。おまえは先に飛んでいくか?」ディーは苦笑して、そう答えていた。
「それはいやだ。上でみんなが来るのを、一人で待っていないといけないからね。だから、休もうよ」
「そうねえ。あたしも賛成」リセラが息を弾ませて頷いた。
 道具箱を担いで登ってきたブランも、少し苦笑いをしながら「私も、そうしてくれると助かる。情けないね。自分から言いだしたのに」と、立ち止まっていた。
「そうだな。まだ昼間だ。少し休憩するか」
 ディーも仲間たちを見やって、立ち止まる。一行は少し開けた斜面に敷物を敷いて座り、水と白ポプルをとった。そして半カーロンほどそこで休憩すると、再び上を目指した。それから、さらに八合目付近で再び休憩した。
 山頂に着いた時には、陽はちょうど地平線に沈んだところだった。眼下の平原や森の向こうに、カミラフの街と、いくつかの村が見えていた。周りを取り巻くように、高さはさまざまの、多くの山が見えている。
「ロッカデールは本当に、山が多い国なのね」
 リセラが周りに広がる景色に見入るように、そう呟いた。
「きれいとは言えないけれど、この薄墨色の中では趣があるかもしれないわ」
「山が多いこの地形ゆえに、この国では鉱山産業が盛んだったのだがね」
 ブランも道具箱を地面に下ろしながら、景色に目をやり、そして続けた。
「山道でけがをした者はいないかい? 手当をするよ」
「あ、ありがとう。あたしは結構すりむいちゃったわ」
「僕も腕に枝を通しちゃった」
「俺は石を踏んでこけたな」
 リセラ、アンバー、フレイがそれぞれ薬を塗ってもらった。ブランは最後に自分の傷にも、調合した薬を塗っていた。それはレラには影響しない草を数種類調合して、作ったものだ。鳥に運ばれてロッカデールに来た時、木の枝で足を怪我したミレア王女に、ローダガンが当てた葉っぱのように、炎症を抑えたり、傷の直りを早めてくれたりする効能を持った草が、いくつか存在している。
「俺とブランは浄化に関係ないから、どこか隅っこにどいていたいが、巫女様は山頂と仰っただけで、そのどこに出るのか、わからないんだなあ」
 フレイが少し不安げに周りを見回していた。
「そうだな。真上に出現されたら、いくら攻撃はしてこないといっても、衝撃で弾き飛ばされるだろう。飛べれば何とかなるが、三人は無理だな……」
 ディーは思案するように、同じくまわりを見回していた。山頂は比較的広く、平らで、その下はさっき上ってきた山道が急な下り坂となってあり、あとは鋭い岩肌ととがった葉っぱの灌木や木々に覆われている。長時間退避できるような場所は、山頂広場のほかはなかった。彼はさらに空を仰いだ。
「エフィオンは、今は下りてこない。どこに出るかは、わからないが……もう少し直前になればわかるだろう。とりあえず、すぐに動けるよう、地面には座りこまない方が良いな。あそこに大きめの石がいくつかある。人数分はありそうだから、そこへ行って座ろう。そして、ポプルを補給しよう。レラは使っていないから白だけでいいが、念のため光は補給しておいた方が良いな」
「ポプルはこの中だな」
 フレイが持ってきた袋の口を開け、中身を取り出した。たくさんの白と、いくつかの黄色、そして緑が一、二個。白は山に登ってくる途中でいくつか消費したが、それでもまだかなりあった。ペブルはその白ポプルを十個ほど一気に食べ、さらに二、三個追加していた。みなもそれぞれ必要に応じた白と、そして光系三人はレヴァイラをかける時のために、黄色ポプルを手に取った。光エレメントは消費していないものの、少しでも減衰しているとレヴァイラを発動することができないので、念のために補給しておいた方が安全なのだ。ただそう量は必要なく、リセラで一個、ディーとアンバーは一つのポプルを半分にして分け、食べていた。
「さて、あとは待つだけだな」
 レラの補給が終わるとディーは空を見上げた。あたりはすっかり暗い。月のないディエナの夜は真の闇と化すので、フレイが荷物の中からカドルを取り出し、置いた。
「あまり長くかからなきゃいいがな」と、同じように空を見上げながら。

 それから三カーロンほど、一行は待った。やがて、暗闇の中からかすかな音が聞こえた。無数のささやき声のような――闇の中に、濃い灰色の影が渦を巻くように現れた。それにはたくさんの目があり、多くの腕があった。その中心が、大きく開いた。まるで大きな口のように。
「出てきたぞ! フレイ、ブラン。おまえたちは後ろへ下がれ。山頂から落ちないよう、気をつけてな。リル、アンバー、俺たちももう少し下がろう。ペブルはそのままでいい」
「はいよ。おいらも立った方が良いかい? でも、大丈夫かい?」
「そうだな。たぶん土レラを吸われていくと思うが、闇レラは無事だと思うから、そう心配はないだろう。ただ、吸われつくす前に、その石を放て」
 ディーが言うと同時に、周りの空気が動き始めた。それはその“獣”の大きく開いた口へと向かう流れだが、人間ごと押し流すような勢いのものではない。山頂にいる六人のうち、その獣が吸うレラ、岩と土を持っているものはペブルしかいない。あとの五人は、上昇する風を感じるだけだ。山肌からも、うっすらと茶色味を帯びたレラが流れていく。こうしてこの国は徐々にレラを失ってきたのだろう。
 フレイはブランの手を取り、素早く大きめの石の後ろに回り込んで、しゃがんだ。ディーはそれぞれの手にリセラとアンバーの手を取り、二、三歩後退する。ペブルはその場に立ち上がった。と、彼の身体がうっすらと緑色を帯び、それが幅広の布のように、その“獣”の開いた口の中へとたなびき流れていく。
「ペブル。“清心石”を放て!」ディーが短く指示した。
「お、お……そうだ」
 太った紫髪の若者は懐に手を突っ込み、透明な石を取り出した。それを投げ上げる。彼の身体から相手に流れていく緑色の帯に、その石の輝きが絡み、一緒に吸い込まれていく。それが口の中に消えた次の瞬間、音が変化した。それまでは無数のささやき声『欲しい』『もっと』『これじゃ足りない』――そんな風に聞こえる声だったものが、一瞬静まり返った。そして声にならないものに変化した。『おおお……』とも『ぼぼぼ……』ともつかない響きに。そしてその胸の中心から、白い光が四方にあふれだす。
「今だ! レヴァイラをかけるぞ。リル! アンバー! 光をくれ!」
 ディーが叫び、やがてもう一つの光があふれた。微かに黄金色を帯びた浄化の光。それが白い光と混ざり合い、溶けあって、そしてはじけ散った。その中で、“獣”も散っていった。ちょうどアーセタイルで、“思恨の獣”を昇華した時のように。ただ、“欲の獣”はその時に生きていた大勢の人間の“念”の集まりゆえ、それは浄化されて空中に散りうせていく。それは空に吸収され、やがて薄い雲となった。その雲はロッカデール全土を追いつくすように広がり、そこから雨が降り始めた。茶色みを帯びた、灰色を帯びた、レラの雨だった。
「これで、ロッカデールも救われるだろう……」
 ディーが大きく息をつきながら、声を出した。その髪はレヴァイラをかけた時にすべて金色に染まったが、今はまた下の方から徐々に黒く戻りつつある。
「良かったわ」リセラもほっとしたような表情で微笑み、頷いた。
「さてと、ペブルもご苦労だったな。山を下りるのは明日だから、レラを補給して、眠っておこう」
「ほんじゃ、こんなかに敷物があるんじゃないかな」
 ペブルは地面に置いた大きな袋の口を開いた。中から組み立て式の四本の柱と屋根の幌布、そして柔らかい敷物が出てきた。一行はそれを組み立て、必要なポプルを食べた後、眠りについた。




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