The Dance of Light and Darkness

第三部:岩と山の国ロッカデール(6)




 カミラフはアーセタイルの都市のように円形ではなく、石を切り出して積み上げた外壁が、四角く街を囲んでいた。エダルの町もそうだったが、どうやらロッカデールでは、都市は四角構造らしい。フレイとディーの話では、フェイカンとマディット・ディルも同じく四角形構造らしく、他の国のメンバーたちの話では、それ以外は円形らしい。そして、ミディアルは両方の特徴を取り入れて、六角形の構造を取っていたという。
 首都だけあって、カミラフはエダルの三、四倍の規模がありそうだった。中央にそびえる石造りの神殿が、街のゲートからも見える。エダルや途中通ってきた町には、門に守衛がいなかったが、ここでは左右に二人の門番がいた。一行の車が中へ乗り入れると、二人とも近づいてきた。『何の用だ』――おそらくそう聞かれるのを誰もが予期していたと思うが、彼らの口から出てきたのは、まったく違う言葉だった。
「ディルトと他国人の集団だな。ミディアルから来た――おまえたちの到来を、精霊様は知っておられた。本日はもう遅いので、こちらで指定した宿で休んでもらうが、明日の昼四カルに、神殿に来てくれ、とのご伝言だ」
「ああ――わかった」
 ディーは少し驚いた表情で頷いた。他の人々も、同じようだ。
 守衛の一人は懐から、一枚の紙を取り出した。
「これが今夜の宿泊先だ。もう話はついている。これを見せてくれ」
「わかった」
 ディーは渡された紙を、指示席にいるペブルに回した。ペブルはその上に手をかざし、内容を読み取ると、駆動生物たちに指示を出す。
 一行の車は門を通り抜け、そこに指定された宿屋に到着すると、渡された紙を差し出した。宿の主人は丁寧な態度で、車と駆動生物を専用の小屋にしまった後、一行を部屋に案内した。そこはアーセタイルの首都ボーデで泊まった時のように、人数分の寝棚がついた広い部屋だった。「宿泊代は……」とロージアが言いかけると、「いえ、それは神殿からいただいております」と、主人は恭しい態度で述べる。
「追い返されなくて、おまけにまた豪勢なところに泊まれてよかったが、明日は何を頼まれるのだろうな。無理難題じゃなければ、いいがな」
 フレイが首を振っていたが、それはおそらくみなの思いでもあるだろう。

 カミラフにある岩の神殿は、アーセタイルの首都ボーテにあった土の神殿と、構造は同じようだった。何本もの太い柱に支えられ、壁にはたくさんの稀石、ここでは緑ではなく、茶色と黄色の中間のような色だが、それが飾られていた。ただ、ボーテの神殿は緑がかった石でできていて、浮き彫り装飾も丸みを帯びた弦の模様だったが、ここの神殿は灰色の石で作られ、浮き彫り模様も直線的だ。
 ディーたち一行十一人は通信屋に寄って、ローダガンに通信鳥を飛ばした後、神殿に来ていた。神殿の守衛たちも彼らの到着を知っているらしく、通行証などは見せずとも、中に入れてくれた。広間に入り、ここロッカデールの象徴である、つるりとした灰色の巨大な岩を眺めていると、奥から濃いブロンズ色の、少し光沢のある衣装(ボーテの神殿で神官たちが着ていた緑の服の、色違いのもののようだ)をつけた男が二人やってきて、一行を奥の間に導いた。そしてアーセタイルの時と同じように、控えの間に通された後、巫女の間へと導かれた。
 ロッカデール神殿の巫女は、銅のような色の髪と深い灰色の目を持った、まだ七、八歳くらいにみえる少女だった。その眼はアーセタイルの巫女と同じように瞬きをせず、少し薄い膜が張ったように見える。手に持った杖の先には、光沢をもった丸い金褐色の石がついている。
「ずいぶん遅かったな」
 巫女はディーたちを見ると、最初にそう言った。その声は柔らかい少女のものだが、抑揚はなく、少しこだまするように響く。アーセタイルの巫女もそうだったが、言葉を発しているのは精霊で、巫女はその媒介にすぎないゆえ、そう響くのだろう。
「だが、遅れた事情は知っている。だから、説明は不要だ。それに、おまえたちがここに来た経緯も知っている。アーセタイルの精霊にそう要請したのは、私だからな」
「はい。それで……どんなお話なのでしょう」
 ディーがいつもよりかしこまった様子で、そう返答する。
「それは、そこにいる神官長、ダンバーディオに聞くがいい。私は長いこと、話をすることはできぬ。おまえたちがそれを引き受けてくれることを、私は望む」
 巫女は手にした杖を振った。鈴のような音がした。それはアーセタイルの時と同じ、退場の合図だ。傍らに控えた、ブロンズ色の衣を着た男が立ち上がり、「それでは、あとは私が説明しよう」と一行を促して、別の間に移動した。

「君たちもロッカデールに数日滞在したなら、我が国の問題がわかるだろう」
 執務室らしい部屋で、どっしりとした椅子に座りながら、ダンバーディオ神官長はそう切り出した。アーセタイルの神官長、マナセルは女性だったが、この人は背の高い中年の男性で、重厚な衣の下にも、がっしりとした体格をうかがわせた。
「それは、レラの減衰ですか?」
 ディーが一行を代表して、そう答えた。
「そうだ。おかげで我が国の産業は大打撃を受け、職を失った労働者たちの中には、犯罪に走るものもいて、街の治安も悪化している。ヴァルカ団はその最たるものだが、それもこれもレラの減衰が鉱物の減少を招いたからだ」
「それはわかります。しかし、それで我々ができることが、あるのでしょうか」
「順序だてて説明しよう。レラが減衰した理由だ。それは“欲獣”のせいなのだ」
「“欲獣”?」
「そうだ。それは文字通り、欲の塊だ。人々の思念が――充足することを知らず、もっともっとと欲する心が、長年の間に積もり、集まり、とうとう“獣”の姿をなしたものだ。飽くことなく欲する欲望、渇望と言ってもいい。それが“欲獣”となった後、際限なくレラを飲み干し始めたのだ」
「聞いたことがありますね。なるほど……」
 ディーは眉根を寄せた。さすがに神官長や巫女、精霊相手では、彼も物言いが丁寧になる。ミディアルでも王様にはそうだった、と、サンディは思い出し、少し面白いような感覚を覚えていた。ディーは考え込むような表情のまま、続けている。
「良くない思念が集まりすぎると、そこから“獣”が生まれる。アーセタイルの“思恨獣”しかり。でも“欲獣”は死んだ人の魂ではないから、単純にレヴァイラは効きませんよ」
「そうだ。長年の人々の“欲”が集まって獣になったものだからな。“思恨獣”のように、ただレヴァイラで昇華するわけにはいかない。“清心石”が必要なんだ」
「“清心石”?」
「そうだ。数百年前、我が国には一人の偉大な聖者がいた。その人は大きな力を持ち、なおかつ、とても清い心を持っていた。その聖者が亡くなる時、己の清らかさ、欲を一切持たないその清さを、透明な石に封じ込めた。それが“清心石”だ。それはその聖者が入滅した北の山、アデボナ山の奥にあるという」
「それを取ってきてくれと?」
 ディーは普通の口調に戻って、そう問いかけていた。
「一つ目の依頼は、そうだ」
 ダンバーディオ神官長は表情を変えず、頷いた。
「“清心石”にたどり着くまでには、いくつもの障害を越えなければならないが、我々の持つ岩の能力だけでは不可能なものが、かなりある。だが君たちなら可能だろうとの、精霊様のお告げなのだ。それが無事に取れたら、精霊様が“欲獣”の出現場所と時間を教えて下さるので、そこに行って、退治してほしい。まず“清心石”をその芯に命中させ、その後レヴァイラをかければ、“欲獣”は昇華できる。吸われたレラも元に戻る。これが第二の依頼だ。もちろん、褒章は望むものを与えよう。頼む。このままではロッカデールは荒廃してしまう。ぜひ君たちの力を借りたいのだ」
 ダンバーディオ神官長の表情には、苦渋に近いものがあった。膝を両手に置き、頭さえ下げた。精霊と巫女の次に権力と力のある、神官長という地位にあるものがここまでするのは、滅多にないことに違いない。それだけ今のロッカデールは困窮している。そのことは、数日の滞在でも、ディーたち十一人にも理解できるものだった。仕事を失って困窮する人々、生きるために犯罪に走ってしまうものだけでなく、生き延びられずに命を落としてしまうものも、きっといるのだろう。
 みなは当惑気味に顔を見合わせた。が、すぐに心は決まったようだった。
「……やってみてもいいです。成功できる保証はないですが」
 ディーが十一人を代表して、そう答えた。
「おお!」神官長の表情が、安どと喜びをのぞかせた。
「巫女様は仰った。君たちはきっと引き受けてくれると。やはり間違いはなかった」
「ただ、我々もやるだけはやってはみますが、命を賭してというほど、ロッカデールに深い義理はありません。無理だと思ったら引き返しますが、それでもいいなら」
「それはわかっている」
 ダンバーディオ神官長は頷いた。しかしその瞳の中には、不安というより、自信のようなものが覗いていた。

「しかし、向こうは俺たちの来ることも、依頼を引き受けることも、知っていたんだなあ。あの神官長も、俺たちが失敗するわけがないみたいな顔をしていたし」
 再び宿の部屋に帰った後、フレイが少し首を振りながら言った。一行は神殿を出た後、『明日の朝迎えに行く。こちらで車は出すから、心配はいらない』と告げられ、様々な色のポプルがつまった袋と、褒章の一部だろう金額を渡された後、ここに戻ってきたのだ。
「精霊には、予知能力があるものもある。ロッカデールの岩の精霊も、きっとそうなのだろうな」ディーは微かに苦笑を浮かべ、一行を見回した。
「だがまあ、俺たちにはそんな能力はないし、明日どんな目に合うかもわからないが、とりあえず今日は休むか」
「そうね。成功すればかなりの報酬が期待できるし、ミディアルでやっていた仕事依頼のようなものだと思えば、悪くはないのかもしれないわね」ロージアが頷き、
「それでここの困っている人たちを助けられるなら、言うことないじゃない」
 リセラが明るくそう付け加える。
「ただ、そのために俺たちが危険になるのは、割りが合わないがな」
 ブルーがぼそっと言った。みなは苦笑を浮かべ、顔を見合わせていた。

 翌日の朝、神殿からの迎えが来た。金茶色の幌がついた立派な車に、三人の神官だろう男たちが乗っている。
「我々は君たちをアデボナ山の入り口まで送っていく」
 三人のうちの一人が、そう口を開いた。
「ここから車で、二カーロンほどの距離だ。そこから、七カーロンの間、そこで待つ」
「その半端な時間は、どういう意味なんだ?」
 フレイがみなの疑問を代表するように、そう聞いた。
「アデボナ山にあるその洞窟は、入って七カーロンがたつと、入口がふさがる。それは攻撃技でも破壊することはできない」
「えっ、それなら、その時間内に戻らないと、出られなくなるっていうことかい?」
 アンバーが驚いたように声を上げた。
「冗談じゃないぜ!」と、フレイも叫んでいる。
「かなり危険だね、どう考えても」ブランも驚いたような表情だ。
「そんな話は聞いてないぜ」と、ブルーもむっつりとして首を振っている。他のみなも、程度の差はあれ、心配げな表情になっていた。
「君たちならできるだろうと、精霊様は仰っている」
 カミラフの神官たちは、表情を変えない。
「乗ってくれ。今更否とは言わせない。君たちは昨日、引き受けたと言った。それを破るのは約束違反だ」
「危険と感じたら引き返すとは、言ったはずだが」ディーは抗弁した。
「それは本当に危険を感じたら、という意味で受け取った。いきなりやりもせずにそう言うのは、約束が違う。中に入って、本当に危険だと思ったら、出てきてもいいが」
「でもその時には、きっと入り口が閉まっているなんてことに、なりそうだがなぁ。逃げ場がないじゃないか」と、フレイがぼやいた。
「そうね。でも、仕方がないわね。ここで断ったら、厄介なことになりそうよ」
 ロージアが諦めたように首をすくめ、
「そうだな。神殿と精霊に逆らったことになるから、俺たちはロッカデールのお尋ね者となるわけか。ちゃんといろいろ内容を聞かなかった、俺が悪い。仕方がない。やるだけはやってみないとならないだろう」
 ディーも首を振り、そして神官たちを見た。
「ただ、お願いがある。この二人――サンディとミレアだけは、ここに残しておきたい。もしここから先が険しいものなら、この二人は非力だ。危険に巻き込みたくはないし、また俺たちにとっても、足手まといになるかもしれない」
「えっ?」サンディとミレアは同時に声を上げた。
「でもそれで、みなさんが帰ってこなかったら、わたしたち、どうなるんですか?」
 サンディは思わず声を上げかけ、『連れて行ってください』と続けようとして、黙った。たしかに自分たちは非力だ。『足手まとい』というディーの言葉は真実だろう。彼はそれ以上に、自分たちを危ない目にあわせたくはないという思いが強いことは、わかっていても。ミレアも同じように声を上げかけたが、やはり同じことを思い至ったのだろう。うつむいて、黙ってしまっている。そして涙をこらえているように、さかんに瞬きをしていた。サンディは黙って、その手を握った。
「その二人は置いていくだろうことも、精霊様はご存じだ」
 神官は少女たちを見やった。
「精霊様のお力を疑うわけではないが、もし我々が戻れなかったら、彼女たちが路頭に迷うことのないよう、計らってもらいたいのだが」
「心配ない。万が一、精霊様のお見通しが外れた場合、この二人はアーセタイルに送る。我が国は、君たちが失敗するとますます困窮するだろうから、先はない。君たちは向こうでも貢献してくれたし、向こうも受け入れてくれるようだ」
「そうか……それなら万一の場合も安心だ。だが一番は、我々が失敗しないよう、無事に帰ってこられるよう、務めることだな」
 ディーは一行を見回し、他の八人も少し緊張した面持ちで頷いている。
「わたしたちは、ここでできることは何もないですか?」サンディはそう訴えた。
 一行のリーダーは、少女たちに向かい、微かに笑った。
「うまく行くように、俺たちがちゃんとここに帰ってくるように念じていてくれ。ここは“思い”の世界だ。ほんの少しでも、それが役に立つかもしれない」
「わかりました」
 サンディは両手を組み合わせた。ミレアも真剣な表情で頷く。
 二人の少女たちを宿に残し、一行はカミラフの神殿から来た車で、出発した。

 目指す山のふもとに車が到着すると、三人の神官は一行に少し大ぶりの布袋を渡した。
「“清心石”を取るのに必要な道具が入っている。これを君たちに渡すようにとの、精霊様のお告げだった」
「わかった」ディーがその袋を受け取った。少し重みがある。
「それで、その洞窟の入り口はどこだ。それも探せと言うのか?」
「いや、入り口はあそこだ」
 神官の一人が上を指さした。アデボナ山は、鋭く高い岩山だった。斜面は固い岩肌で、こちら側はほぼ垂直に近く切り立っている。その山のかなり高いところに、洞穴の入り口のようなものが見えた。
「わかるだろう。我々が中に入れないわけが。この岩山をあそこまでよじ登らなければならないのだ。今までにも何人かが試したが、みな途中で転落した」
「かなり高いな。あの高さは、アンバーでないと無理だな」
 ディーは山を見上げながら、首を振った。
「でも僕も、一人じゃないと、あそこまでは無理かもしれない」
 アンバーも上を見上げながら、少し困惑したような表情をする。
「そうすると……だ」ディーは渡された袋の中を探った。
「これか……」
 取り出したのは、非常に長く細い紐のようなものだった。ただ、一本の紐ではなく、はしご状に組まれている。
「アンバー、これを持って、あそこまで飛んでくれ。たぶん入り口には、これをひっかけられるところがあるだろう。俺たちはこれを使って、登っていくしかない。俺やリルは途中まで行かれるだろうが……」
「それなら、僕はこれをひっかけたら、一回降りて、みんなをできるだけのところまで運んでいくよ。あとは頑張ってもらうしかないけれど」と、アンバーが申し出、
「俺もできるだけ、みなを上げられるところまで連れて行こう」
「あたしも。あまり高くは上がらないかもしれないけれど」
 ディーとリセラも頷いていた。
 アンバーは細い紐のはしごを持って、洞穴の入り口まで飛んだ。岩肌に沿ってそれが垂れ下がると、彼も下に降りてきた。
「ちょうど入り口のところに、岩が二本出っ張っていたから、そこに引っかけてきた」
「そうか。じゃあ、行くか。まずはアンバー、ブランを連れて、できるだけ高いところではしごに取りつかせてやってくれ。俺はその後で、レイニを連れていく」
 ディーの言葉にアンバーは頷くと、白髪の小男を後ろから抱えて、入り口までの高さの三分の二を超えたところまで飛び、ブランをはしごに捕まらせた。「ありがとう」とブランは頷き、梯子を上り始める。その下で、ディーがレイニを抱え、半ばほどのところではしごへと導く。彼女も礼を言うと、登り始めた。
「あたしも行く? 誰を連れていったらいい?」
「おまえはいい、リル。できるだけ飛んで、あとは登っていけ。アンバーと俺で上げていった方が、高く行けると思う。ただ、あまり大勢で登ると梯子の強度が心配だから、ブランが上に着いてから行ってくれ」
「わかったわ」
 リセラは安堵とほんの少しの落胆の表情を見せながら、頷いている。
 そうして一行は、上に登っていった。ブラン、レイニの後はリセラ、そしてロージア、ブルー、フレイ。その後アンバーはペブルを山の中ほどで梯子に捕まらせると、そのまま彼自身は上に行って洞穴の入り口に降り立ち、ペブルが上りきったところで、ディーが山肌三分の二ほどの高さから登り、みなが入り口にたどり着くことができた。
「ありがとう。アンバー、ディー。あなたたちはポプルを補給した方が良いわ」
 ロージアが風と闇のポプルをそれぞれに放った。
「さて、ここから七カーロンで戻るわけか」
 ディーは闇ポプルを食べ終わると、行く手を見た。洞窟の入り口は広く、中へと続く道が伸びているが、光が届く範囲の先は、暗く闇に沈んでいた。
「ライマの使い手は、うちにはいなかったな」
 彼は仲間たちを見渡した。ライマは光の技で、暗闇を照らすものだ。
「光技では、ライマは初歩的なものなんだけれど」
「でも、あたしたちは使えないのよね。やり方の本があれば、覚えられるのかもしれないけれど」
「そう。たぶんリルなら大丈夫だろうし、僕でもできるかもしれない。でもユヴァリスに行かないと、本は手に入らないね」
「そうよね。今は無理だわ」
 アンバーとリセラが顔を見合わせて、そう言いあっていた。
「たしかに、ライマの本があれば大丈夫だろうが、ユヴァリスまでお預けだな」
 ディーは苦笑し、再び渡された袋の中を探った。
「あった。カドルだ。これを使えというわけか」
 彼はその灯りをフレイに持たせると、ブランを振り返った。
「時を測る装置で、七カーロン測ってくれ」
「わかった」ブランは自分の袋の中から、時を測る装置を取り出した。
「今から測るよ。これを七回ひっくり返すまでに、ここに戻らないと」
「無事に戻れるよう、願おうぜ」フレイがそう言い、
「無事に戻ってこられたとしても、またここを下りるわけか」
 ブルーがさらに青ざめた顔で、ちらりと振り返った。彼は高いところが大の苦手のため、ここまで登るにも相当の葛藤を経てきたのだろう。
「戻ってくるときに迷わないように、印をつけた方が良いんじゃない?」
 リセラがそう提案した。
「あなたにしては優秀ね、リル。確かにそうだわ」
 ロージアが頷き、ディーは再び袋の中を探し、白い小さな棒を取り出して、岩肌をこすった。後に白い軌跡が残った。
「つまりこれか。分岐を曲がるたびに、これで印をつけていけばいい」
「それでは、印は私が書いていくわ」
 レイニがそう申し出、その棒を受け取った。

 一行はカドルの灯りを頼りに、洞窟の奥へと進み始めた。奥は岩を削って作ったらしい、下へ降りる階段のようなものがあり、それをかなり降りたところに、広い空間があった。
 その空間の奥に、先へ続く通路が見えていた。しかし途中で、炎の壁のようなもので遮られている。それは一直線上に並んだ、背の高い炎だ。
「俺の出番か?」フレイがそれを見て、低く言った。
「そのようだな。俺たちでは、火が燃え移るだろう。そこを抜けると、奥の壁に何か書いてあるようだ」
 ディーが炎の向こう側を透かすように見、微かに眉をしかめた。
「ロッカデールは岩の国なのに、火とはね」ブランも目の前の炎を見上げ、
「入り口もあれだけ高かったから、風要素もあったのだろうな。つまりここの仕掛けは、岩ばかりではないということだ。だからロッカデールの連中は誰も入れなかったんだろう」
 ディーが首を振った。
「じゃあ、行くぞ。この火で明るいから、カドルはいらない。誰か持っててくれ」
 フレイは手にしていた照明装置をペブルに持たせると、髪をぎゅっと後ろで束ねるようにつかみ、炎の壁に突進していった。その身体には、薄いオレンジ色の膜のようなものが現れ、まといつくように覆っている。彼は炎を潜り抜け、向こう側に到達した。その身体に火は燃え移ることなく、傷ついた様子もない。
「さすがは火の民だね」
 ブランが感嘆したように小さく声を上げ、何人かが頷いていた。
 向こう側の壁に到達したフレイは、いくつかの色がにじんだように見える場所に手をかざし、内容を読み取っているようだった。やがて場所を移動し、壁の一点に手を当てる。しばらくのち、通路を隔てていた炎が消えた。
「大丈夫だぜ、こっちに来ても」
 フレイが仲間たちを振り返って告げる。やがて、彼ら全員がこっち側に来た。

「あの壁にはなんて書いてあったんだ?」
 さらに奥へと向かいながら、ブルーが尋ねた。
「汝の来し方と、ここへ来た目的を語れ、とよ」
 フレイは頭を振って答えていた。
「その壁の、光る点に手を当て、そこへ向かって、とな。それで俺はそこへ行って手を当てたら、何か思う間もなく、向こうはわかったようだ。で、火が消えた」
「試験のようなものかもしれないな。ここは“清き心”が眠る洞窟だから」
 ディーは少し考えるような沈黙の後、行く手に目をやった。
「ここから先も、そういった仕掛けのようなものがあるのかもしれない」
「そういう仕掛けって、あらかじめその聖者がここにこもる時に作ったって事かい?」
 アンバーが少し不思議そうに尋ねる。
「そうだ――エフィオンの力で、知ることができた。この聖者はこの洞窟をその力で作り上げ、その奥深くにこもって、自らの身体を、その“清き心”を凝縮させたものに変えようとした。いつかそれが必要になる時、その試練を超えたものだけが、それを手に入れられるように。自らが亡くなった後も、そこに残る意思によって、仕掛けを動かしているようだ。それだけ力が強かったのだろう」
「でも、ディー。その聖者も空は飛べないのでしょう? どこから入ったのかしら」
 リセラが不思議そうに問いかける。
「下にも、入り口があった。しかし自分がそこから入った後は、封印してしまったようだ。今は出入りできない。だが、たぶん……そうだ。“清心石”を手にすれば、その封印は解けるはずだ」
「ということは、帰りはそこから出られるというわけか……」
 ブルーがほっとしたように言う。
「無事に取れればだけれどな」フレイがそう言い足した。
 一行は半カーロンほど、洞窟の中を歩いた。途中二回ほど分岐を超えたが、ディーがエフィオンの力によって、正しい方向を示し、レイニが帰りの目印を壁につけたのち、進み続けた。下の方の出口が開くかもしれないので、そこを目指す場合には不要だが、もし引き返す場合には、目印はあった方が良いからだ。

 やがて一行は、再び広い空間に出た。そこを遮っているのは、深い水だった。奥へ続くドアは水の中にあって、今は閉ざされている。深い水の底に、何かが書いてあるようだ。
「私たちの出番のようね」レイニがかすかに苦笑を浮かべる。
「どちらが行く、ブルー? あなた、それとも私?」
「清い心だったら、レイニの方が無難だろうがなぁ」
 フレイが首をすくめながら、そんな意見を呟いた。
「うるせえ」
 ブルーはそちらに怒ったようなまなざしを投げると、水面を見つめた。
「清い心だったら、たしかに俺ははじかれるかもしれないが……ここはまず俺に行かせてくれ。俺がダメなら、レイニに頼もう」
(意外だな)と言いたげに見つめる仲間たちを見やり、ブルーは首を振った。
「俺もな、わからないんだよ。どこまで俺はまともになれたのか。だから……」
「試してみたいというわけか」ディーが残りの言葉を引き取った。
「いいだろう。行ってくれ、ブルー」
 青髪の若者は無言でうなずき、水の中へと潜っていった。そして水底に書かれたものを、読み取っているようだった。一点、水の中に光る部分があり、そこに手を押し当てて、しばらくの時間が過ぎた。フレイの時よりも長い、かなりの間――が、やがて水が少しずつ引いていった。向こう側の出口と同じ高さになるまで水かさが引いたのち、水位の減少は止まり、同時にその扉が開いた。そしてそこから、水の上に橋が架かった。決して幅は広くなく、一人ずつしか通れないが。その上をみなは渡っていった。最後にブルーが水底から浮かび上がり、橋の上に上がって仲間たちに合流した。
「試験には、無事合格したようだな」
 先を進みながら、ディーはブルーを見やって、微かに笑った。時間制限があるので、立ち止まって話しているより、歩いていた方が安全だからだ。
「少し辛かったがな」
 ブルーは首を振り、ついでに水しぶきを振り飛ばした。
「おまえのは、なんて書いてあったんだ?」フレイが知りたがった。
「書いてあること自体は、おまえと同じだ。が、手を当てたら、幻が浮かび上がってきた。水の神殿広間にいて、そこから稀石がキラキラとこぼれながら、床に降ってくるんだ。たくさん。俺は思わず拾いそうになって、手を伸ばした途端、これが目に入ったんだ」
 ブルーは腕にはめた装飾を振った。
「俺が得たもの、失ったもの――それを思い出すといい。ディーはこれをブランに作ってもらう時、そう俺に言ったな。それを思い出した。だから、拾っちゃだめだと思い、ただ見ていた。見ているだけでうっとりした。そうしたら、水が引き始めたんだ」
「良かったわね、ブルー」リセラがそう声をかけ、言われた方は少し照れたような、決まりの悪そうな顔で、頷いている。

 そこから先には、大きな試練はなかった。人が一人やっと通れるだけの隙間がいくつかあったり(ペブルはつっかえて、全員で押したり引っ張ったりして、やっと通った)、高めの段差があったり(飛べるものは飛び、あとは“翼の民”の三人が後ろから抱えて下ろした)、飛び越えるには広い幅があったりし(これも先の場合と同様だ)、五か所ほどの分岐を超えたが、最後に一行は大きな岩の扉の前にたどり着いた。その扉の前に、何か書いてある。ディーが手をかざし、それを読み取った。
『汝らは清い心を持っているか?』
「“清い心”というものが何なのか、自分がそれを持っているのか、俺にはわからんが」
 ディーが苦笑を浮かべて呟くと同時に、岩の扉が動いた。そして開いたが、白い幕のようなものが下りている。
「これをくぐれというわけか。清くない心の持ち主は、そこではじかれるんだな」
 ディーは再び苦笑いを浮かべた。
「とりあえず、行くか。はじかれたら、それまでだ。中に入れた奴だけで、何とかするしかないな。みんな、一人ずつ行こう。俺は最後に行く」
 仲間たちはお互いに顔を見合わせ、おそらくは一度その試験をくぐっているはずのフレイとブルーが最初に行った。二人とも、無事に向こうへ抜けた。続いて女性陣、リセラ、ロージア、レイニが行き、その後でアンバー、ブラン、ペブルと続く。みな無事に通過した後、最後にディーが行った。彼もまたはじかれることなく、向こうへと抜ける。
「我々は“清き心”の仲間たちらしいな」
 ディーは一行を見渡し、微かに笑いを浮かべた。
「そう認めてもらったみたいね」
 リセラもいたずらっぽく笑って頷く。
「仮にサンディやミレアがここに来ていたとしても、大丈夫な気がするわ。あたしたちみなが通れるなら」彼女はそう言い足し、他のみなも頷く。
「まあ、おまえが通れる時点で、甘いよな」
 フレイがにやっと笑ってブルーを見、
「なんだと?」と、言われた方は、いつものように突っかかっている。
「これも込みでな。確かに甘いのかもしれん」
 ディーは苦笑を浮かべ、そして行く手に視線を移した。全員が一斉に同じようにする。
 そこは広い空間になっていて、真ん中に大きな柱が通り、その柱を中心に円形の台座のようなものがある。その台座の中心に、透明な、輝く結晶があった。そこを取り巻いて大きな円状のくぼみがあり、そこには水がたたえられている。内側の台座からその上に、橋のような通路が伸びていた。
「あれが“清心石”か」
 ディーが呟き、歩み寄った。台座へと延びる通路の横にも、何か書いてある。
『その身体に岩か土のエレメントを持つもの。そしてより心清きものだけが、清き心の塊を動かすことができる』
「ブランはエレメント持ちにならないとしたら、ロージアかペブルだけだな」
 ディーは二人に目をやった。
「ペブルは大食らいだから、ロージアの方が良いんじゃないか?」
 フレイとブルーがほぼ同時に、そんな意見を述べる。
「でもわたしも、そこまで心が清いか、自信はないわ。かなり雑念は多いのよ」
 ロージアは少し自信がなさげに首を振る。
「そうだな……二人のうちのどちらかが、より純粋か、ということなんだろうな、この場合」ディーは再び考えるように、銀髪の女性と太った若者に目をやった。そしてしばらく考えているような沈黙の後、思い切ったように言った。
「ここは、ペブルが行け」と。
「ええ? おいらで大丈夫かな?」
 言われた方は、自信がなさげだ。
「ペブルは大食らいだが、それは必要だからだ。いつもおまえは、必要以上には食べない。他の奴の必要分を大幅に超えているから、わからないのだろうが。それにおまえは、本当に心が空っぽだ。悪い意味じゃない。それだけ純真なのだろう。おまえは人を恨まない。自分を捨てた親さえも。二人とも、ここまで来れているのだから、“清い心の持ち主”とは認められているわけだが、ロージアは頭がいい分、いろいろな思いが交錯することもありそうだ。それが悪いわけでは、まったくないが、より純真、ということなら、何も考えていないペブルの方が適任だと思えるんだ」
「純真とバカは多少違いそうだが、まあ、当たっている部分もあるかもな」
 フレイがそれを受けて言い、
「選ばれたからと言って、あまり喜べそうにない理由だな」と、ブルーも呟く。
「よくわからんけど、まあ、行ってみるよ。おいらが失敗しても、ロージアもいるしね」
 ペブルは相変わらずのんびりとした口調で言い、のしのしと通路を歩いて、台座の上の石をつかんだ。彼が条件に合わなければ、石はどんなにしても引き抜けないのだが、ペブルが両手で石をつかんだ後、それはいともやすやすと持ち上がった。微かに白い光が、そこから立ち上った。
「成功だ! ペブル、それを持ってこっちへ来い。戻るぞ! ブラン、ここに入ってから、どのくらいの時間がたった?」
「今四回目をひっくり返したところだよ」
 ディーの問いかけに、ブランが答える。
「四カーロンか。残りは三カーロン。元来た道を引き返すには、少し厳しいな……」
 その時、ほんの微かに下の方で、岩が動いたような音がした。ほんの微かな音だが、アンバーにははっきり聞こえたようで、ディーもまたそれよりは微かだが、その気配を聞いたようだ。ディーは頷き、声を上げた。
「下の入り口が開いたようだ。そっちの方が、たぶん早い。そこから出よう。急ぐぞ!」




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