光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第二部 大地と緑の国アーセタイル(5)




 やがて車は、一軒の農家の前に差し掛かった。ナナンがいくぶんためらったような声で、「止まれ」と指示すると、駆動生物たちは止まった。指示席の少年は、後ろの人々を振り返って答えた。
「ここが、ぼくの家なんだ」
「そうか。じゃあ、ここでいいな。俺たちは帰るか? それとも君のご家族にこれまでのことを説明したほうがいいのか?」
「うん……じゃあ、ぼくの家族にも会ってください」
 少年は指示席から降り、荷車に乗った一行を見上げた。残りの十一人は頷いて、車から降りた。
 誰かが来た気配を察したのだろう。中から、一人の女性が出てきた。中年と言うほどではないが、若いとも言えない年頃の、少しふっくらとした女性だ。緑の髪を後ろでゆるくまとめ、薄い茶色の、丈の長い服を着ている。その女性の緑の目が、ぱっと輝いた。声を上げ、大股に近づいてきて、腕を広げ、少年を抱きしめる。
「ナナン! どこへ行っていたの!? ミディアルへの船が出なかったのだから、すぐに帰ってくると思ったのに! 心配したのよ!!」
 女性の後ろから、二人の子供が駆け出してきた。五歳くらいの女の子と、三歳くらいの年齢の男の子。女の子の髪は緑で、男の子は茶色い。二人は歓声を上げて、「ナナン兄ちゃんが帰ってきたー!」と叫んでいた。
「ごめんなさい。母さん……それに、パミア、リム」
 ナナンは家族を見て、ついで下を向いた。
「でも……ぼくが帰ってきたら、がっかりするんじゃないかと思って」
「何を言っているのよ! そんなわけはないでしょう!」
 母親が即座に声を上げた。その眼に、うっすらと涙が光っている。
「でも……」
「あなたをディルトにしてしまったのは、私のせいだわ。だから、あなたがもしあの人のところで、差別を受けることなく伸び伸びと暮らしたいというなら、それがあなたのためなのかもしれない。そう思って、ミディアルに行くことを承知したのよ。あなたが私たちと暮らしたくないなら、と」
「ぼくは……ここで暮らしたくなかったわけじゃ、ないよ」
 ナナンは激しく目を瞬いていた。
「でも、ぼくがいなければ、みんなは本当の家族になれるのかもって思って……」
「何を言っているんだ。君も家族だ」
 大きな声が聞こえた。もじゃもじゃの茶色い髪に、薄茶色の肌をした、がっしりとした体格の中年男が出てきて、茶色の眼でじっと見ている。
「お父さん……」
「そうだ。私は君の父親のつもりだ。実の父ではないかもしれないが。だから君が実の父親を選んだ時には寂しかったが、そういうものなのかもしれないとは思った。だが、私は今まで君を家族じゃないなんて思ったことはないぞ」
「そうよ。あなたは私の子よ。そして、パミアとリムのお兄ちゃんでしょう。アシムは私の夫で、あなたの新しいお父さんよ。私たちは、家族よ。あなたも含めて」
 母親も目に涙をためたまま、そっと息子の背中に手を回す。
 ナナンは、そんな家族たちをじっと見ていた。が、やがてうつむいて泣き出した。
「うん……ごめんなさい」

「良かったわね、本当に……」
 その光景を見ながら、リセラもそっと涙をぬぐっていた。
「昨日はナンタムで、今日はナナンくんか……」
 ブルーは少し苦笑するようなトーンで言い、
「故郷に帰る、ね……」
 ロージアの口調は冷静ながら、感動も隠せないようだった。
「本当に良かったです」サンディも、思わず声が漏れた。
 そこでナナンの家族たちも、一行に気づいたらしい。両親が「この方たちは?」と問いかけ、ナナンがこれまでのいきさつを簡単に説明していた。
「ありがとうございます。ナナンをここまで無事に連れてきてくださって」
 母親は感謝の眼差しを向け、父親も同じように感謝の言葉を口にした。
「いや、もっと早くつれてこられなくて、申し訳ない。心配をさせてしまったようだしな」
 ディーが一行を代表して答えた。
「とんでもないです。この子を保護してここまで連れてきていただいて、そしてこの子に家に帰るように言ってくださったこと、本当にありがたいです。その上、こんな高価なものまでいただいてしまって……」
「いや、俺たちも、かなり世話になったし。ところで、一つだけ聞きたいが……この町には、俺たちが働けそうなところは、あるだろうか」
「ラーダイマイトは農家が多いので、それだけ大勢のみなさんを雇える家は、ないかもしれませんね……」
 ナナンの母親は一向に目をやりながら首を傾げ、言葉を継いだ。
「糸づくりの工場も、ここでは小さい規模でしかやってませんし。ほとんど実のまま出荷するんですよ、パディムも。ですから、ここよりもサデイラの街に行った方が、お仕事はあるかと思います。あそこは糸や織物の工場街なので」
「そこはここから、どのくらいの距離にある場所ですか?」
 ロージアが聞いた。
「ラーダイマイトからボーデに向かう街道の途中に、サデイラに向かう分岐があります。ここからですと、そうですね……その車で行かれるのですよね。そうすると、五カーロンくらいでしょうか」
「今から行くと……日が暮れるギリギリね」
 リセラは空を見上げ、ディーも頷く。
「それなら、出発を急がないといけないな」
「それよりは、今晩はうちに泊まりませんか?」
 ナナンの義理の父親である、アシム氏が申し出た。
「母屋にはあいにく、それだけ大勢のみなさんを泊める部屋はないんですが、パディムの収穫を保管しておく、広い納屋があるんです。納屋といっても板張りの床もあるし、窓もあります。今は収穫の時期ではないので、普段は子供たちが遊び場に使っているところです。今夜はそこに泊まっていただいて、明日の朝出発されれば」
「そうしてください。車とサガディはうちもあるので、そこの小屋に入れていただければ、いいですから。その余裕はあります。そうしていただけませんか? 私たちもみなさんにお礼がしたいのです。一晩のお宿と、それからお水くらいしかないですが。でもお水はふんだんにありますよ。井戸があるので、それとダヴィーラを使えば、いくらでもとれるんです」母親の方も熱心な様子で、勧めてくれた。
「そうだ……あなたがたはダヴィーラ使いでしたね」
 ブランが言う。ダヴィーラとは、普通の水や汚水からすら、きれいな水を抽出できる土のレラの技だ。
「まあ、家内とナナンとパミアしかできないですけれどね。ダヴィーラとエリムは。でもおかげでずいぶん助かっていますよ」
 父親が笑いながら、付け加えていた。
「それでは、お言葉に甘えて、そうさせてもらうことにしようか」
 ディーが仲間たちを見回し、一同は頷いた。

 その夜はナナンの家の納屋で眠り――木の床に、一家がかき集めてきた寝具と、持ってきた毛布で、比較的快適な眠りだった――朝、一行は再び出発した。ナナンとその一家は、ダヴィーラで作り出した水を大きな器に入れてくれた。二、三日は持つほどの量だった。一行は一家に別れを告げ、昨日までナナンが座っていた指示席には、ロージアが座った。駆動生物サガディは土の要素を持った人間の言葉しか理解しないので、ナナンが離脱した今、土のディルトはロージアとペブルしかいないのだ。だがペブルは体が大きすぎるため、指示席には座れなかった。ブランは土の民だが、エレメントを持たないので、やはり指示は出せなかったのだ。そして一行は、ラーダイマイトをあとにした。
「あの子がいなくなって、少し寂しいわね」
 リセラは遠ざかる町を見ながら、呟いた。
「でもナナンさん、きっとご家族と幸せに暮らせますよ」
 サンディの言葉に、みなが頷いていた。

 都市間をつなぎ大陸を通る広い道は、白っぽい土に覆われていて、車三台分くらいが通れる幅だ。ミディアルでもアーセタイルでも、車は道の左側を通っているようだった。道路の境界には、同じような大きさの丸い灰色の石が並び、その向こうは草原が広がっている。ところどころに森や、なだらかな丘が見える。アーセタイルに来てからずっと、同じような景色だった。
 ラーダイマイトの町が完全に見えなくなった頃、ディーは前を見たまま、口を開いた。
「ところでブルー、ナナンくんがいるうちは言わなかったが……おまえはまだ、昔の癖が抜けきっていないのか?」
「えっ?」
 青髪の若者は、びくっとしたように顔を上げた。
「バジレで宿に合流した時、分けて持たせた稀石をロージアに返したが……おまえは一つだけ、返さなかっただろう」
「……わかっていたのか……」
 ブルーは黙り込んだ。やがてぶるっと身を震わせると、ポケットの中から青い稀石を取り出し、「すまない!」と声を上げた。
「もうやらないと思ったんだ! ずっとそう思ってた。でも実際、稀石を手に持っちまったら……我慢できなかったんだ!!」
「本当かよ。おまえがアンリールを出なければならなかった、災いの元じゃねえかよ。懲りないやつだな……」
 フレイが横を向きながら、ぼそっと吐き出すように言う。
 ブルーとフレイは他の血が混じらない純血種だと、サンディは思い出した。最初に、そうレイニが説明してくれた。ブランも純血なのだが、彼は『色抜け』なので、エレメントの力がない。土のエレメント持ちなら意思疎通できるはずの、土の駆動生物たちやナンタムとも言葉が通じないのも、そのせいだろう。でもエレメントの力は減衰していないはずのフレイやブルーが、どうしてミディアルに来て、ディルト(混血)たちの中で行動を共にしているのか、サンディは漠然と不思議に感じていたのだった。今、その一端を垣間見たのだが、それを自分は突っ込んで聞くべきではないだろう――そんな思いも感じていた。
 ブルーはうなだれて身を小さくしているようで、少し震えてもいた。そんな彼を一行はしばらく眺めていた。やがてディーが口を開いた。
「それは返さなくていい。持っていろ」
「えっ?」ブルーは再び驚いたように顔を上げた。
「いいのか……俺が持っていても……」
「おまえの稀石への執着は、病気みたいなものだろう。一つ持っていれば、少しは気が休まるんじゃないか? そして同時に、戒めにもなるだろう。それを見て、思い出すといい。それがおまえに何をもたらし、何を失わせたのかを」
「ありがとう……すまない。本当に……」
「じゃあ、それも私が加工してあげようか。ナナンくんにあげた腕輪のように、目につくところに着けていた方が、効果があるだろう」
 ブランがそう申し出た後、さらに言葉を継いだ。「それで一つ、みなにお願いがあるんだ。サデイラに向かう前に、モラサイト・ホーナによってくれないか。この道の、サデイラへ向かう分岐の一つ前に、そこへ向かう分岐がある」
「モラサイト・ホーナか。それはたしか……」
 ディーがそう言いかけ、リセラが言葉を引き取った。
「そう。ブランの出身地じゃなかった? ナナンくんにそう説明していたわよね」
「そうだよ。あそこに私の家があるんだ。家に帰って、道具箱をとって来たい。船と一緒にあらかた沈んでしまって、最低限のものしか持ち出せなかったからね。これからものを加工したり、薬を作ったりるにも、もう少し道具があった方がいい。家にはあるんだ。昔、ミディアルに行く前に使っていた、予備のものが」
 ブランは前を見たままだった。小さな顔の大半を覆い隠している日よけ眼鏡のせいで、相変わらず表情は見えず、その声にも何の感情も反映してはいない。
 一行はそんな彼をしばらく見、そして顔を見合わせた。やがてディーが頷いた。
「わかった。じゃあ、ロージア、モラサイト・ホーナの分岐点に来たら、その方角に行くように指示してくれ」
「わかったわ」
 サガディたちは進み続け、カラカラという軽い車輪の音とともに、一行十一人を乗せた荷車も進み続けていった。

 太陽が西に傾きかけたころ、一行はブランの故郷、モラサイト・ホーナに着いた。そこはなだらかな丘の中腹にある、比較的小さな町だった。郊外地区には小規模なポプルの農園があり、それ以外はポプルの木より丈の高い、がっしりした木々の林に囲まれている。町の中ほどには小川が流れ、小さな橋が架かっていた。道は町の入り口で終わっていて、そこから滑らかな地面が広がり、小さな家が点在している。道はなくとも、乗り物が充分進んでいけるほどの間隔があった。
「あなたの家ってどこ、ブラン?」
 指示席に座ったロージアが、すぐ後ろに座っている白髪の小男に向かって問いかけた。
「橋の先の、二件目の家の庭先を右に曲がって、その奥だよ」
 彼は答えた。故郷を見つめるその目は相変わらず大きな日よけ眼鏡に隠され、その表情は見えない。ロージアは頷き、サガディたちに指示を出して、車を進めた。間もなく彼らは、小さな一軒の家の前に着いた。
「ここが私の家だ」
 ロージアは車を止めた。ブランは敏捷な動作で車から飛び降りると、扉に手をかざした。その手から発せられるレラは白いが、それでも扉は音を立てて開いた。
「今日はここに泊まるかい? ここからサデイラにそのまま行くよりも」
 ブランは仲間たちを振り返って、提案する。
「ああ……まあ、たしかにそうさせてもらえば、便利かもしれないな」ディーは頷き、
「宿代は浮くわね。でも、大丈夫なの?」ロージアが問いかける。
「大丈夫だよ。家には誰もいない。それにそこの小屋に、車とサガディは置いておける。うちにも昔は、いたんだ。今は使っていないけれどね」
 ブランは広い庭の中に建っている小さな小屋に向かうと、再び扉に手をかざし、開けた。
「ここは………鍵ではないんですか? 扉の開け閉めは」
 サンディは不思議に思い、聞いてみた。
「そうだね。宿のようなところでは鍵を使うが、たいてい個人の家は、レラを使って開け閉めをしているんだよ。セマナ――レラの色は問わないから、私でも使える」
「………でも、皆が皆、その技を使えたら、鍵の意味が……」
「基本セマナは閉めた人にしか、開けられないのよ」
 レイニが微笑んで、そう説明してくれた。
「あ、でもそれって………時には不便ではないですか? 出かけている間に、家の他の人が帰ってきたら……」
「その場合、その人が以前セマナを使ってここを閉めていたら、開けられるんだ。ちょっと強いレラがいるけれどね」
 ブランはそう説明した後、ロージアに向かって「ここにサガディたちを入れてやって」と指示した。言われた方は頷き、駆動生物たちを車ごと小屋の中に入れ、連結具を外してやった。ペブルが車に積んだ桶から水をくみ、サガディたち用の水入れに注いで、飲ませてやっている。そして彼らが地面に横たわり、休息に入ったのち、一行は車から必要なものを持ち出し、再び扉を閉めた。最後にブランが技を使って、再び扉に鍵をかけた。
「さてと、みんなは中に入って」
 ブランは母屋の扉を大きく開きながら、促した。
「この中には寝棚も四つあるよ。全員分はないけれどね」

 ブランの家は二階建てになっていて、一階部分は大きな広間と、元は両親の部屋だったらしい、寝棚が二つ並んだ部屋があった。階段を上がると、二つの部屋がある。その左側の部屋が、元のブランの部屋らしかった。寝棚と、大きな机、そしてたくさんの本と、見たことのない器具が並んでいる。
「ずいぶん、たくさんの本を集めたのね……何の本?」
 リセラが周りを見回しながら、声を上げた。
「薬の調合とか、加工とか、そういう本だよ」
 ブランはその並んだ背表紙に目をやりながら、そう答える。相変わらずその表情は見えないが。
 この世界にも、本はある――サンディはそんな思いを感じながら、ブランに許可を得て、並んだ本の一冊を手に取ってみた。町を歩いている時も、本を売っている店は見かけた。ミディアルでも、アーセタイルでも。ただ、開いても何が書いてあるのか、まったくわからなかった。そこには、文字すらない。うっすらとした色の染み――グレーだったり、青かったり、赤かったり、緑や黄色だったり――鮮やかではない、かなり薄い色合いの模様が、おそらく紙でできているだろうページの上に広がっている。どのページも。
「ああ、本を読むのには、リブレという技が必要なのよ」
 レイニが不思議そうな少女の様子を見て、そう説明してくれた。
「リブレは……わたしができる、たった一つの技です」
 ミレア王女がそこで、そう言いだした。
「じゃあ……これを読んでみてくれる?」
 サンディはその本のページを広げて、王女に差し出した。
 ミレア王女は頷き、ページの上に右手をかざした。そこからうっすらとした白いレラが広がり、やがてページの色を吸収したように、少しずつ染まって、再び手に吸着されていくようだった。
「わぁ……この本、すごく難しい……わたしには、わからない」
「そうだろうね。十二歳の王女様には、難しいと思うよ」
 ブランは微笑し、少女たちから本を受け取ると、元の本棚に返した。
「向かい側のお部屋は、どなたの部屋? ブランの兄弟さん?」
 リセラがそう問いかける。
「そう……私の姉の部屋だった。姉といっても、私たちは双子だったけれどね」
 ブランは頭を振ってそう答え、そして言葉を継いだ。
「道具箱は見つかった。明日出発前に、持っていこう。とりあえず下に降りて、夕食にしないかい」
 一行はその言葉にうなずき、階下に降りた。

 ブランの家の広間には、厚い敷物が敷いてあった。一行はその上でいつものように車座になり、ポプルを食べて水を飲んだ。
「みんなは、遠慮しているんだね。なぜこの家に誰もいないか、どうして私がここを出たのか、聞きたいけれど聞けない、そんな感じだ」
 食事が終わると、ブランは微かな笑みを浮かべ、一行を見た。
「まあ、俺たちみんな、それぞれに事情があるわけだからな。言いたくないこともあるだろうし、その辺はわかってるさ」フレイが言い、
「話したい気分になっていたら、聞くよ」と、アンバーも頷いていた。
「そうだな……ここへ帰ってきた以上、話さないと、とは思っていたんだ」
 ブランは水を一口飲むと、再び一行を見て、話しだした。
「私の家は、製材を生業としていた。森から切った木を買い取り、庭で板に加工して、木材商に売る。今サガディたちを入れている小屋の隣に、もう一つ大きな納屋があるが、あれが製材したものを保管しておくところだったんだ」
 そして彼はそこでサンディを見、言葉を継いだ。
「ああ、製材といっても、ミディアルのように道具を使ってやるわけじゃない。父は土のレラで、木を切る技が使えた。母は同じく、その表面を滑らかにする技が。その分レラの消費は激しいが、うちの庭には二本、ポプルの木がある。父や母は、そのポプルを口に入れながら、作業をしていた。子供のころの記憶に、その姿が残っている」
「そうなんですか……」
 サンディは不思議な思いを感じながら、頷いた。
「父と母はそうやって働いていたが、長い間子供には恵まれなかったと聞く。姉と私が生まれたのは、二人が結婚して十年たったころらしいから。そしてそう……サンディとリルは、それにアンバーと王女様も、聞いていただろうが……私たち五人が合流した時、ナナンくんが言っていたことを。片方の子にすべてのレラが集まる双子が、生まれることがあると。そう、私たちは双子だったが、すべてのレラは姉に集まった。私が持っていたものも、すべて彼女に吸い取られ、私は残りかす状態で生まれてきたんだ。だから私は『色抜け』になった」
「『偏った双子』ね。わたしも聞いたことがあるわ」
 ロージアがそこで、思い出したように頷いた。
「そう。そしてそのために、私は土のレラを持たず、セマナとリブレしか使えない。扉の開け閉めと、本を読むこと――それだけが、私の技のすべてだ。でも私の分までレラを吸い取った姉は、強力な土の力を持っていた。彼女は鮮やかな緑の髪と眼を持ち、ダヴィーラとエリム以外は――ナナンくんが使っていたそれは、特定の家系しか使えない土の技だから、私の家系では使えなかった。だがそれ以外の技は、すべて出来た。だが彼女は、決して傲慢でもわがままでもなかった。明るく、面倒見のいい性格で、父母に愛され、私も慕っていた。『わたしがあなたの分の能力を取っちゃったんだから、あなたができないことは、わたしが代わりにするわ』と、よく言っていた。そして彼女が八歳になったころ、神殿から使いが来たんだ。彼女は巫女候補に選ばれた、と」
 ブランはそこで言葉を止めた。何人かが息をのんだような音の後、沈黙が下りた。
 サンディは思い返していた。かつて、ミディアルでディーが言っていたこと。この世界は、精霊の力で成り立っている。その精霊の力を具現化するために、巫女が必要で、その巫女は精霊を宿すことになるから、三年ほどで限界が来る。すると、次の巫女が必要になり、次代になれそうな素養を持った人々が集められる、と。
「巫女候補になることは、最高の名誉だ。私たちはそう教えられて育っているから、姉は喜んで、迎えの神官たちに連れられて首都ボーテに向かった。私もその時には、姉が誇らしかった。でも父と母は、あまりうれしそうじゃなかった。今思うと、その時から、悲しみをこらえているような感じだった」
 しばらくの沈黙ののち、ブランはそう話を続けた。
「それで……お姉さんは……?」
 リセラが恐る恐ると言う感じの口調で、いくぶんかすれた声で問いかけた。
「姉は巫女には、なれなかった」
 ブランは口調を変えず、そう答えた。何人かが、再び息をのむ音が聞こえた。相変わらず大きな日よけ眼鏡のせいで、その表情は見えないが、ブランは天井に視線を向け、そしてサンディを見た。
「そう……サンディは知らないだろうから、説明するよ。巫女になれなかった人が、どうなるのか。前にディーが言っていたことを、覚えているかい? 精霊の力は、巫女を媒介として伝えらえる。巫女は精霊を宿すわけだから、負担がかかって、三年くらいで交代になる。その時、国で何人かの候補が選ばれてくる。精霊は、それ自体は光る球のようなものだ。巫女候補の子供は――そう、たいてい十歳以下の子供なんだ。男の子女の子は問わないけれど、とにかくレラの強い子供が、その珠の前に連れてこられる。自分の力を宿すにふさわしいと精霊が認めると、精霊はより小さく、より輝く珠となり、その子の中に入る。そして一体化する。その子が次の巫女だ。そうでない場合は――精霊は光る聖獣に姿を変え、その子を食らってしまうんだ。そうすることで、その子の持っていた力を、自らの力に吸収するわけだ」
「えっ……」サンディはそう言ったきり、あとの言葉が出なかった。同時に、何人かが身震いをしていた。
「食われると言っても、相手は精霊なのだから、苦痛はないと聞く。一瞬で終わると。そして姉は聖獣に食われ、その力の一部となった。彼女がボーテに行って一シャーランが過ぎた頃、姉は小さな稀石となって帰ってきた。聖獣は不合格だった巫女候補を食うと、そのレラの名残を排泄する。その稀石が、我々の元に戻されてきたんだ」
 ブランは再び天井を仰ぐと、少し間をおいて、話を続けた。
「父と母の嘆きと悲しみは、はかりしれなかった。二人は姉だけに、すべての希望をかけていたのだから。彼女は父母の誇りであり、生きがいだった。それを失って、二人は生きる力をだんだんと失い、私が十二、三歳のころ、相次いで死んだんだ」
 彼はため息を一つつくと、再びサンディを見た。
「そう。サンディのために補足しておこう。この世界では、レラは生きる力によって生み出される。もう生きていたくないと思ってしまうと、レラが減衰し、身体は力を失っていく。そしてやがて、本当に死んでしまうんだ」
「……」サンディは言葉を探したが、何も言えなかった。
「巫女制度は……この世界にとっての、呪いのようなものね」
 ロージアがそこで、微かに体を震わせながら、低くそう呟いた。
「だが、それがなければ、この世界は維持できない……」
 ディーの口調は、苦いものを噛んだように響いた。
「そう。そしてそれは名誉なことだとされる。実際、そう捕らえる親もいるだろう。だが、私の両親は違った」
 ブランは首を振り、再びため息をついた。
「それからブランは……どうしたの? ご家族がみんな、死んでしまって……」
 リセラがためらいがちな口調で、そう問いかける。
「十年くらいはそのまま、ここで暮らしていたよ。巫女候補になると、巫女になれなくとも、相応の手当てはもらえるからね。父母がいなくとも、生活には困らなかった。だからここでいろいろな本を読み、私でもできる技術を勉強していた。いつかそれを生かして、ミディアルに行きたいと思ってね」
「そういやブランって、そんななりだけれど、俺たちの中では、一番年長なんだよなあ。二六だっけ?」フレイが思い出したように、声を上げた。
「そうだよ。私は二三でここを出て、ミディアルに行ったからね。そこで君たちに合流したんだ」ブランはそこで、みなを見回した。
「さあ、身の上話も済んだところで、寝ようじゃないか。私は元の部屋で寝てくるが、王女様とサンディは、父母の部屋の寝棚を使うといい。あとはここで、眠れるかな?」
「ああ、大丈夫だ」ディーは頷き、一行は寝支度を始めた。

 翌朝早く、一行が出発の準備をしている頃、一人の女性が家を訪ねてきた。小さな赤ん坊を胸のところで、ひものようなもので結わえて抱いた、比較的若い女性――長い茶色の髪を後ろで一つに結わえ、緑色の目のその女性は、丈の長い薄緑色の服を着ている。彼女は急いだ足取りで、庭に入ってきた。
「ブラン! 帰ってきていたの!? 昨日、この家に明かりがついていたから、まさかと思っていたのだけれど……」
「やあ、ティナハ。いや、ちょっと荷物を取りに来ただけだよ。もう出発するんだ」
 ブランはその女性に目を止めると、少し明るい声で答えていた。
「そうなの……でも、良かったわ。あなたが無事で。ミディアルが滅んだって聞いたから、捕虜になってマディットに連れて行かれたのじゃないかって、心配していたの」
「ありがとう。大丈夫だったよ。君も元気そうだね。その子は、君の子かい?」
「ええ」女性は頷き、そっと赤ん坊の頭に手をやった。
「わたし、二年前にジェセダと結婚したの。この子はわたしたちの、最初の息子よ」
「それはよかった。そうなればいいと、私は思っていたんだ」
 ブランは微笑み、そして言葉を継いだ。
「私はもう、モラサイト・ホーナに戻ることはないと思う。いや、三年前もそう言ったが、今度は本当だ。君の幸せを祈っているよ、ティナハ」
「ありがとう……」
 女性はしばらくそこに立っていた後、踵を返して去っていった。
 
「彼女は、私の家の隣に住んでいる一家の娘なんだ」
 次の町、サデイラに向かう車の中で、ブランは仲間たちに説明していた。
「ティナハという。私と同い年だ。彼女は姉と仲が良くて、私もよく一緒に遊んでいた。姉が死んでからも、彼女はよく家に遊びに来た。彼女は、私の唯一の理解者だった」
「ブランは……彼女と仲が良かったのに、なぜここを離れたの?」
 リセラが少し不思議そうに、そう聞いていた。
「仲が良かったからこそ、私はここを離れないといけない、そう思ったんだ」
 ブランは首を振って答えた。相変わらず、その表情は見えないが、その声は少し動揺を表していた。
「私たちの仲が、恋愛に発展していってはいけない。ティナハの両親からも、そう言われた。そう。昨夜、私は言った。いつかミディアルで生きていけるように、技術を学ぼうと。それは、本当は違う。最初は、ミディアルに行こうとは思わなかった。ここで、私にできる技術を学び、生活を立てられたら……そんなことを思っていたんだ。アーセタイルでも、必ずしも医療術を持った人間ばかりではない。それに全員が、加工のレラ持ちでもない。そこに自分の生きる道があるかもしれない。そう思っていた。私は、ティナハとの関係が心地よかった。彼女のそばで生きていけたら、そうも思っていた。しかし、彼女が私のことを好きだというのが、彼女の両親の大きな懸念だったらしい。好きといっても、まだ恋愛ではなかったはずだが……私も、彼女と結婚しようとは思わなかった。私は色抜けだ。もし子供が生まれたら、その子はディルトにはならないまでも、彼女の土のレラを、相当に減衰させた状態になってしまうだろう。せっかく、彼女自身のレラは標準以上に強いのに……だから、私はここを出る決心をしたんだ。それは正しかったようだ。彼女は純粋な土の若者と、結婚したようだ。ジェセダも、私は知っている。仲はあまりいいとはいえないがね。でも、悪い奴じゃない。私は彼がティナハを好きなことは知っていた。いい結果になってくれて、ほっとしているんだ」
 一同は、それに対して、なんと返答していいかわからないようだった。彼の決断は正しい、とするのが一般的なのだろうが、その後ろにある感情を思うと、そうも言えないようだ。殊にみな、エレメントが混じることのデメリットを、よく知っているからだろう。
「……まあ、おまえが決断に満足しているなら、それでよかったんだろう」
 ディーがしばらくの沈黙ののちに言い、
「そのおかげで、あたしたちも、頼りになる仲間が増えたわけだしね」
 リセラが比較的明るい調子でそう付け加えていた。
 ブランはほんの少しだけ微笑んだ後、家から持ち出してきた袋の中を探り、細い銀の鎖をつけた、青い稀石を取り出した。
「そうだ、ブルー。君の稀石ができたよ」
 青髪の若者に差し出す。それはここへ来る時、彼が一つだけ返さなかったものだった。ブルーは「ああ」と頷き、手を伸ばして受け取っていた。
「それも、ナナンくんのものと同じ作りだ。腕に巻いておくといい」
「では、今度は私がつけてあげるわ」と、レイニが頷いて、ブルーの左手首に鎖を巻き、止めた。
「ありがとう」ブルーは頷き、その輝きを見つめていた。その目は心なしかうれしそうで、キラキラと輝いていたが、やがて少しばつが悪そうに、一行を振り返った。そして、一つ咳払いをして言い出した。
「あー、知っている者もいるだろうが……不思議に思っているのもいるだろうな。ことにサンディや王女は。ブランのように重い話じゃないが……」
「どっちかと言えば、馬鹿な話だな」
 フレイが少し鼻を鳴らして、遮る。
「うるさい! ああ……だが、そう言われても、仕方のない話だ」
 ブルーはもう一度咳払いをすると、青白い顔の両方に、青の色を濃くしながら、話し始めた。「俺の家は、アンリールの首都で稀石商を営んでいたんだ。俺は子供のころから、家の商売道具の、きらきらした稀石が好きだった。それで時々持ち出して眺めては、親父やお袋に怒られていたんだ。時々どうしても我慢が出来なくなって、持ち出したその石を自分のポケットに入れて持ち歩き、そのたびに見つかって、とんでもなく怒られていた。でもその輝きに、俺は魅せられてしまって、手元に置いておきたい衝動が抑えられなくてな。水の神殿に行って、きれいな稀石の装飾を眺めているのも好きだった。本当に素晴らしくて、時間がたつのも忘れた。だが俺が十八くらいのころ、神殿に行って眺めていたら、たまたま装飾の稀石が一つ外れて、床に落ちているのを見つけてな。ついつい出来心で、それをポケットに入れて、持って返ってしまった」
 青髪の若者はますます顔の色を濃くしながら、もう一度咳払いをした。
「もちろん、そんな行為が許されるわけはない。すぐに神官たちにわかってしまって、俺は捕まった。そして罰として二年の間、牢屋に入れられ、働かされた。まあ、仕事自体はそれほどきつくはなかったが、神殿に対する罪を犯した罪人として、俺の将来はなくなったも同然だった。両親も二人の兄弟も、俺との縁を切ると宣告し、牢屋から出ても、おまえに帰る家はないと言われた。それでもまあ、一年くらいはアンリールでなんとか仕事をして、生活はしていたんだが、この印がな……」
 ブルーは、右手の袖を、左手でまくり上げた。前腕、手首とひじの中間あたりに二本、赤い線が刻まれていた。
「これは神殿の罪人のしるしなんだ。これがある限り、アンリールではディルトより、よそのエレメント持ちより、扱いがひどい。だから俺は、ミディアルに向かったんだ」
「こいつはそもそも、俺たちの仲間に加わったのだって、俺たちの金を盗もうとしたからなんだぜ」
 フレイの言葉に、ブルーはますます青くなった。
「すまなかったな……ミディアルでも、いろいろ仕事は探したんだが、なかなか難しくてな……で、ディーに一撃でやっつけられて、もう本当にダメだと思った。だが……こんな俺でも仲間に加えてもらった時に、もう二度とやるまいと思ったんだ。……現物を前にすると、なかなか難しいが。ありがとうな……これは、お守りにするぜ」
「そいつがおまえのさがだな。まあ、頑張って乗り越えろ」
 ディーが穏やかな口調で告げ、
「ええ……ブルーさんは、悪い人ではないと思います」
 サンディは確信に近い思いを持って、そう言えた。
「あたしたちももう、三年半一緒にいるから、大丈夫よ」と、リセラも頷く。
 他の仲間たちも頷く。それに対し、ブルーは無言で、感謝をこめたような眼差しを投げていた。




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