光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第二部 大地と緑の国アーセタイル(6)




 お昼頃、一行はサデイラに着いた。そこは比較的大きな町で、街はずれには、いくつもの工場が建っている。一行は町の広場に行き、その中央にかかっている、掲示板のようなもの――以前、アーセタイルの別の町でも見たものだ――の前に行った。掲示板といっても、それは大きな四枚の板を組み合わせ、四角くなるようしたもので、その上には、時間を知らせる時計がついている。板の上には、たくさんの四角い紙片が緑の鋲のようなもので止められていた。そこにも文字はなく、本と同じように、濃淡の色模様だけだ。そこに手をかざして、リブレという技を使って、読むようになっている。
「ここに書いてあるのは、みな仕事の募集なんですか?」
 サンディはそう聞いてみた。
「それだけではないけれどね。報告だったり、人探しだったり、お知らせも多いわ」
 ロージアとレイニが手をかざして読み取りながら、答えた。
「あ、でもこれはどうかしら。織物工場で、織り機を操れる人を探しているようよ。五人」
 そうレイニが声を上げ、
「こっちでは、糸を来る装置を操れる人を探しているわ。四人」と、ロージアが言う。
「これは……建築現場だね。四人……」ブランも手をかざしながら言い、
「意外と働き口はありそうだな」と、ディーはほっとしたような表情で結論付けた。

 その日と翌日一日で、一行は仕事をなんとか見つけることができた。土のレラ持ちでなくとも、どんな色でもレラがあれば装置は操れるため、「真面目に働いてくれるなら、いいよ」と言う工場経営者のもと、ロージア、レイニ、アンバーは織物工場へ、リセラとブランは糸繰り工場へ、そしてディー、ペブル、ブルー、フレイは建物を建てる現場で働くことになった。サンディはレラを持たないために、機械を操ることはできず、ミレア王女とともに留守番となった。
 家の方も、宿屋の主人が「駆動生物と車を貸してくれるなら、宿代はいらないよ」と申し出てくれ、十一人が寝るとあまり余裕がないような狭い部屋ではあったが、無償で貸してもらえた。
 サンディはそこで、他の九人が働いている間、部屋を掃除したり洗濯をしたりして過ごした。ミレア王女も手伝おうとした。彼女はここに来た時に買った緑色の丈の長い服を着、髪の毛を後ろで結んで、もはやミディアルにいた頃の王女然とした面影はなくなっていた。ある日、サンディは王女に、「床の上でもちゃんと眠れる?」と聞いた時、「大丈夫。最初はちょっと身体が痛かったけれど、慣れたわ」と、ニコッと笑って答えるようになっていた。彼女も徐々に悲しみと衝撃から、立ち直ってきているように思えた。

 一行がサデイラの街で暮らし始めて、一節と十日が過ぎた。朝、九人は連れ立って部屋を出、誰か一人が部屋の扉を、技を使って閉める。そうすると、留守番をする中の二人は外へは出られないが、誰かが入ってくる心配もないのだ。部屋の中には水桶も含め、必要な道具はそろっているので、掃除や洗濯はできる。そして夕方、仕事に行っていた九人が帰ってきて、ポプルと水で食事をとり、しばらく話してから眠りにつく。その繰り返しだった。一シャーランのうちの一日は休みがもらえ、みなは町に行って湯あみをしたり、買い物をしたりした。
 その日も休日だった。一行は町で湯あみをし、町の広場を歩いている時、四頭の駆動生物に引かれた、装飾を施した緑の車がサデイラの街に入ってきて、一行のそばに止まった。中から長い緑の装束をつけた一人の男が下りてきた。
「君たちか。ミディアルから来た一行は」
「……そうだが……」
 ディーは少し緊張を隠せぬ様子でそう答え、一行も少しはっとしたように、みな一斉に足を止めた。他にも町には大勢の人が行きかっていたが、みな同じく驚いたように動きを止めた。ささやきが広がっていく。「ボーテの神官さまだ……」と。
「準備ができたら、すぐにボーテに来てくれ。精霊様のお告げだ。私はこれからこの町の長のところに行って、話をしてくる」
 その男はそう告げると、再び車に乗り込み、ガラガラと道を走っていった。

「ボーテの神官が、俺たちに何の用なんだ?」
 少し光沢を帯びた緑の車が、駆動生物に引かれて走り去ると、一行は顔を見合わせ、フレイが皆の懸念を代表するように言った。
「まさか、俺たちが王女様を連れてここに来ていることがマディットにばれて、送り返せとか要請されてるんじゃないだろうな」
 ブルーが普段より色を失った顔で、心配げに言う。
 それはたぶん、全員の懸念だっただろう。ミレア王女は無言で震え、サンディは反射的にその手をぎゅっと握った。リセラとレイニは同じように懸念をにじませた顔で、かばうように王女に寄り添う。
「いや……たぶん、それは大丈夫だ」
 しばらく考えるような沈黙ののち、ディーが首を振った。
「本当か?」ブルーとフレイが同時にそう問い返し、
「それなら、まだ良かった。ディーの悪い予感が、ないなら」と、アンバーがいくぶんほっとしたように声を上げる。
「たしかにディーの悪い予感は当たるけれどね。エフィオンの力なんだろうね。今、大丈夫な気がするというのも、それかい?」と、ブランが問いかける。
 エフィオンというのは、知られざるものを知ることのできる力。闇のエレメントの技でもまれな部類であることを、サンディは思い出した。その力は自分で操るというよりも、外から予感や知識と言う形で来るということも。それゆえ、彼女がなぜここに来たのか、ということも漠然とではあるが知っていると、以前ディーが言っていたことも、サンディは思い出していた。あれから二節以上が過ぎた今、自分にかけられている忘却の技が解けるのも、同じくらいの期間になっているということも。それを思うと、いつも漠然とした恐れのようなものを、サンディは感じていた。
「ああ……たぶん、別のことだ。それが何かはわからないが。それほど悪い予感はしない。だが……」ディーは言葉を止め、首を振った。
「だけど、何?」ロージアが少しの懸念を込めた調子で、そう問い返す。
「いや。ただ、アーセタイルにいるのも、もうそれほど長くはないのかもしれない。そうも思えるんだ」
「ええ?」一行は一斉にそう声を上げた。
「せっかく、あたしたちの生活も安定してきたのに?」
 リセラが頭を上げ、少し落胆したような声を上げる。
「まあ……安定はしているかもしれないが、発展性はない。充分に金がたまったら、次を目指した方がいい。そうは思っていたが、少し短いな。まだそれほど金もたまっていない」
 ディーの言葉に、一行の会計係であるロージアも頷いた。
「そうね。荷車の分を取り戻せたくらいだわ」と。
「ボーテの神殿が俺たちに何の用なのかはわからないが、とりあえず宿に戻って出発の支度はしておこう。ただ、駆動生物たちと車を宿主に貸しているから、すぐに返せとは言えないかもしれないな」
「たしかにね。でもボーテの神官の命令なら、いやとは言わないんじゃないかしら」
 ロージアの言葉に、一行はみな考え込むような表情になった。やがてリセラが、思い切ったように提案した。
「まあ、とりあえずあたしたちも町の用事は済ませたんだから、一回帰る? いきなりボーテに来いと言われても、何が何だかわからないし、そのうち何か言ってくるかもしれないから」

 宿に戻ってしばらくたったころ、町の長と名乗る人物が一行を訪ねてきた。都の神官が長のところに立ち寄り、話をしたのだろう。
「そう言うわけだから、君たちは一度ここを引き払って、ボーテに行ってくれないか」
 中年の、恰幅の良いその男は一行に向かって告げた。
「そう言うわけと言われても、俺たちにはよくわからないんだが。俺たちが聞いたのは、精霊のお告げだから、来てくれ、それだけだからな」ディーが苦笑して返す。
「それだけで、じゅうぶんではないかい? 精霊様が告げられたのだ。君たちが必要だと。君たちは今、町工場で働いているらしいが、工場の雇い主たちには使いのものをやって、今節の君たちの賃金を今日中に払うように言っておいた。たぶん、君たちはここには戻ってこないだろうから、一回仕事を打ち切ってくれとも頼んでおいた」
「え、いきなり俺たちクビか?」フレイが不満げに声を上げる。
「違う。敬意をもって、終わりにしてもらう。もちろん君たちがボーデで頼まれた仕事を完遂できて、またここに戻ってきて働きたいと言えば、もちろん戻ることはできる。その点は私も、工場の雇い主たちも、異存はない。ただ、ボーデの神殿の要請が、そうなっているんだ。一回ここでのものを打ち切って、ボーデに来いと。宿の主人にも、話はした。君たちの車は今、彼が荷物の運搬に使っていて、少し遠くまで行っているらしいので、急いで戻したとしても、夕方になるから、今日中の出発は無理だろうがね。神官様もそれは見越しておられた」
 町の長は懐から緑と金色で縁取られた紙を取り出して、差し出した。
「これはボーデの副神官長様からの、神殿への出入り許可証だ。これがあれば、普通の人々には入れない神殿の奥に入ることができる」
「わかった」ディーは頷き、その紙を受け取って二つにたたむと、自分の服の内側に滑り込ませた。ここでは服にはたいてい、右か左の胸のところに、二重の袋状の布が内側についていて、そこに物を入れることができるのだ。ミディアルでは、公演許可証をよくここに入れていたが。
 訪問者が帰っていった後しばらくして、ここアーセタイルの通信鳥が部屋の窓にとまり、窓をこつこつと叩いた。この世界では、ミディアル以外、離れたところとの連絡には、通信に特化した鳥を使っている。アーセタイルのものは薄緑で、ところどころ茶色の模様が入っていて、両方の手のひらを合わせたくらいの大きさだ。茶色い丸い目の、どちらかといえばかわいらしい風貌だった。この通信鳥を使って、一行はサデイラに来て三シャーランがたったころ、ナナンに手紙を書き、その三日後、少年から返信が来ていた。彼は家族で仲良く、その後は暮らしているという。一行はその知らせに安堵したものだった。
 リセラが窓を開けると、その鳥が飛び込んできた。それは足に小さな袋をつかんでいた。一行の真ん中にその鳥は飛び降りると、つかんでいたものを置き、くちばしを開いた。
「ありがとう。君たちはよく働いてくれた。これは未払い分の賃金だ。三つの工場分だ。またこの町に戻ってくることがあったら、いつでも声をかけてくれ」
 それはディーやペブルたちが働いている、建設工場の長の声だった。続いて、織物工場と製糸工場の長の声もした。それは同じように、好意的なものだった。この通信鳥は、そのメッセージをそのまま声ごと写し取り、再現するのだ。
「ありがとう。たしかに受け取った。俺たちの方こそ世話になった」
 ディーが鳥に向かって言い、リセラとロージアも同じように、雇い主に感謝の気持ちを伝えた。その頭をなでると、鳥はこくこくと頷くような動作を見せ、開いた窓から飛んでいった。相手のところに帰り、そのメッセージを伝えるために。
「さてと……思いがけず、ここの生活も終わったな。明日はボーデだ。何を言われるのか、頼まれるのかはわからんが、とりあえず明日に備えて休もう」
 ディーは一行を見回して言い、皆は頷いていた。

 翌日の昼過ぎ、一行はアーセタイルの首都、ボーデに着いた。そこはミディアルの首都エルアナフより規模が大きく、円形構造だ。中心には、土の神殿が建っていった。その壮麗な建物は、街の門からも見えた。一行を乗せた車は、街の門から中心部に向かって伸びた大きな通りをまっすぐに進み、やがて神殿の門に到着した。
「汚い車だな」
 神殿の門のところにいる、門番らしい四人の一人が、そんなことを言った。彼らはみな肩のところまで髪をたらし、緑色の長い服の上から、茶色の鎧のようなものをつけ、手には木の杖を持っている。
「仕方ねえだろ、節約なんだから」
 フレイが聞こえないようにぼそっと言い、
「まったくだ。そっちが呼んでおいて」と、ブルーも口をへの字に曲げている。
「すまんな。俺たちにはほかに乗り物はないんだ。これを……」
 ディーが服の内側から、サデイラに来た神官から預かったという紙を取り出して差し出すと、門番の顔色が驚いたように変わった。
「おっと、失礼。ガーディナル副神官長様のお呼びとは知らなかった。車と駆動生物は、こっちの車置きに入れてくれ。係りの者が世話をしてくれるだろう」
 門番の一人が一転して丁寧な仕草で一行を導き、車と駆動生物を預けたあと――毛布以外の荷物は持ち込んだが――十一人は土の神殿の中に足を踏み入れた。
 神殿の門は、太い二本の円柱で支えられ、外壁は様々な浮彫模様を彫り込んだ、かすかに緑色に輝く石でできていた。ところどころに、緑の稀石がはめ込んである。門の間にある、大きな木の扉の向こうは、礼拝堂だ。ここまでは、アーセタイルの国民全員と、他の国の訪問者さえも、入ることができる。そこは、外壁と同じような素材の石材でできた薄緑色の壁に四方を囲まれた、広い空間だった。床は滑らかな木でできていて、真ん中に円形の大きな、白い石でできた鉢のようなものがあり、両側には太い円柱が建っている。壁や柱には浮彫彫刻の装飾が施され、緑の稀石がちりばめられている。中央にある、白い円形の鉢の中には土があって、真ん中には大きな木が生えていた。その木の幹は微かに金色がかり、広げた枝には少し透明感のある、緑の葉が一面に茂っている。
「これが、ご神木だな」ディーはその木を見上げた。
「アーセタイルは大地と緑の国だから、依り代は木なのね」
 レイニの声は、少し畏怖を含んだように響いた。
「国によって違うんですか?」サンディは問いかける。
「ええ。私の国セレイアフォロスは氷のエレメントの国だから、神殿の石は薄い水色で、ご神体は透明な、溶けることのない大きな氷なのよ」
「アンリールだと、枯れることのない湧き水、噴水だな」と、ブルーが言い、
「フェイカンは、常に燃え盛る火だ」と、フレイは言う。
「そう。国によって違うんだよ。私もボーデの神殿に来たのは初めてだが、アーセタイルの依り代はこの木、決して枯れることのない木なんだ」
 ブランが木を見上げながら言った。彼の双子の姉、ブランの分までエレメントの力を集めた彼女は八歳の時にここに来て、そして精霊の犠牲になったのだろうか――サデイラに来る前、彼の故郷モラサイト・ホーナで聞いた話を思い起こし、サンディは漠然とそう思った。この世界のことはいまだに理解したとは言えないが、その無常の冷たさは、理解できるような気がした。そしてブランは今初めてその神殿に来て、どう思っているのだろうかと。彼の表情は、相変わらず大きな日よけ眼鏡のせいで見えないが。

 広間の奥に、金色の扉が見えた。その扉は閉ざされ、同じく四人の門番らしき人々がそのそばに立っている。一行十一人はその方向に向かい、ディーが再び懐から町長に渡された紙を取り出して、その四人に見せた。
「ちょっと待ってください。聞いてきます」
 門番の一人が扉に手をかざして開けた後、奥に入っていった。そして、再び扉を中から閉める。ひとしきり待たされた後、再び扉が開き、その男が出てきた。
「みなさん、中に入ってください。そして廊下でお待ちください。副神官長様が中にお導きくださるでしょうから」
 男に促され、一行は扉の奥に足を踏み入れた。
 扉の奥は、広い廊下だった。薄緑の石の壁に、広間同様、緑の稀石をはめこんだ、凝った彫刻が施されている。
「おまえには目の毒かな、ブルー」と、フレイが少しからかうように言い、
「うるせえ。俺は色の違う石は、そんなに興味はないんだ。きれいだとは思うがな」と、ブルーがちらっと壁に目をやりながら、首を振る。
「まあ、アンリールじゃ青しかないんでしょうしね」と、リセラも苦笑していた。
 廊下に立って待っていると、サデイラの街にも来た神官が、緑の重そうな衣装に身を包んで、やってきた。手には金の飾りのついた、木の錫杖を持っている。
「土の神殿の副神官長、ガーディナルだ」その男はそう名乗った。
「やっと来てくれたな。とりあえず、その控えの間で話をしよう。入ってくれ」
 彼は廊下にとびとびに並んだ扉の一つに手をかざし、開けると、中に一行を導いた。

「あんたたちに頼みたいことがあるんだ」
 ガーディナル副神官長はその部屋の中の、緑のどっしりとした安楽椅子に腰を下ろし、何客かの長椅子に一行が座るのを待って、そう切り出した。
「頼みたいこと?」
 ディーが一行を代表し、そう反復した。少し眉間にしわを寄せて。
「そう。我が国に『思怨獣』が現れた」
「『思怨獣』……?」
「そうだ。嘆かわしいことだ。人々の濁った思いが、一つの獣を産むほどに膨らんだとは」
「聞いたことはありますが……」
 ディーも小さく息を吐きながら頷いた後、言葉を継いだ。彼もさすがに、副神官長には丁寧な言葉遣いになるようだ。
「そいつを退治してくれというのですか? しかし、俺たちに頼まなくとも、土の強力な攻撃術を持ったものも、ここにはいると思いますが」
「そうだが、君も知っているだろう。思いが集まってできた獣は、攻撃で分解できても、時がたつとまた再結集してしまうことを」
「ああ……浄化が必要なんだな」
 ディーは天井に一瞬視線を向けた後、続けた。
「でも、レヴァイラ使いを探すなら、ユヴァリスに頼んだ方と思いますが?」
「レヴァイラ使いはユヴァリスでも、そう数が多くないうえ、今ユヴァリスは内部で少し取り込んでいるようだ。それが片付くまで待てと言ってきた。だが、長引くかもしれないと。そこで、巫女様が告げたんだ。この国にも、今レヴァイラ使いが来ていると。それがあんたたちだと」
「精霊様はお見通し、か」ディーは苦笑を浮かべ、相手を見た。
「しかし、俺は光のエレメントは四分の一しかないので、レヴァイラを発動させるためには、全形の光がいります。あと四分の三。リルの持っている二分の一の光と、アンバーの四分の一の光、合わせてやっと発動できるので」
「あんたが、そのレヴァイラ使いだったのか? あんたは、かなり強い闇のディルトだろうが」副神官長は少し驚いたようだった。
「そう。俺の光は、四分の一だけです。俺の母方の祖母から受けついだものです。俺は闇の技は七つ使えますが、光技も一つだけ受け継ぎました。それがレヴァイラです。ただ、さっきも言ったように、俺単独では発動できないものです。同じように強い光が、あと四分の三必要になるので。でも都合のいいことに、仲間たちに、その強い光の持ち主がいるのです」
「四分の一でレヴァイラが伝わるというのは……あんたのお祖母さんという人は、どれほど強い光の人だったのだろうな……」
 副神官長は、感嘆したような口調になっていた。
「俺は母方の祖母のことは、よく知りません。母も、あまり話してはくれませんでしたし、俺が小さい時に亡くなったので。ただこの力は、神官長になれるくらい強い光の家系にのみ受け継がれる技だということは、知っています。ということは、俺の光の先祖もそうだったのでしょう。そしてここにいる、リセラも。彼女の見た目は火と風のディルトに近いですが、その母親は神官長や巫女候補が出せるほど、強い光の家系の出身らしいです。彼女はレヴァイラを含め、光の技は一切受け継がず、飛行能力だけがその名残ですが、その光のエレメント自体は、相当強力なものです。そして、この光交じりの風の民、アンバーの父方の祖母も、光の神殿ゆかりの人らしいので、それぞれのかなり強力な光が集まれば、レヴァイラは発動できると思います」
「そうなのか……」神官は、少し固唾を飲むような音を発した。
「ですが、その思怨獣は、今どこにいるのか、わかりますか? レヴァイラをかける前に、いったん攻撃をかけて弱らせないといけないが、それも俺たちがやるのですか?」
「いや、それはこちらも協力する。二人ほど、こちらの神官を派遣する。どちらも強い攻撃技が使える。君たちを助け、そして見守るために」
「そうか……監視も兼ねているわけだな」
 ディーは普段の口調に戻り、かすかに苦笑した。
「そう言うわけでもないが、少しは当たっているかもしれないな」
 ガーディナル神官は微かな笑みを浮かべながら、立ち上がった。
「では、こちらへ来てくれ。これから巫女様のところへ行く。どこで思怨の獣を迎え撃てばいいか、お告げくださるだろう」

 巫女の間は、神殿の一番奥まった場所に作られ、いくつもの扉を抜けた突き当りの、金色の扉の向こうにあった。そこは広間のようになっていて、床には一面真っ白な石が敷き詰められ、真ん中に緑と金色、オレンジの三色で円形の、不思議な模様が書いてある。天井も真っ白く、中央にはガラスのように透明な球に入った光が下がり、部屋を照らしていた。その珠を囲むように、大きな稀石がまるで滝のように垂れている。壁は薄い緑色で、細かい浮彫模様に、やはり緑の稀石がちりばめられていた。
 床の中央にある模様のすぐ後ろに、緑色の大きなふかふかとした椅子が置いてあり、そこに巫女が座っていた。まっすぐな緑色の髪を肩にたらし、稀石の飾りを胸に下げて、神官の服よりもさらにどっしりとした感じの、光沢のある長い緑の服を着ている。巫女といっても、少年らしかった。七、八歳くらいの少年。その手には先端に緑の葉が生い茂った、かすかに金色に輝く木の杖が握られている。その身体全体からは、うっすらとした薄緑に輝く光が放たれていて、整った顔立ちは、奇妙な無表情だった。大きな緑色の目は見開かれていて、薄く濁っていた。透明だが、微かに白濁した池の表面のように。
 巫女は一行が前に進み出ても、表情を動かさず、瞬きもしなかった。そして微かに手を動かすと、その杖の先端の葉たちがこすれあい、かすかな音が鳴った。
「明日、夜の三カルと二十ティルの時、ボーテの郊外、北に二キュービットの地点に、かの獣が現れる。それを退治し、浄化させたのち、再びここに来るが良い」
 その声は子供らしかったが、抑揚がなく、そして微かにこだまするような響きがあった。そしてもう一度、杖を振った。それが来客退場の合図らしく、両側に控えた神官たちが一行を促し、再び部屋の外へと連れだした。

 一行はそののち、ボーテの街の中の、大きな宿屋に送られた。
「とりあえず、本日はここで休まれてください」と、付き添ってきた、神殿に仕える人々の一人が告げた。「明日、昼の五カルごろに、みなさまのお供をする神官二人が来ます。乗り物は、こちらで用意いたしますので。みなさまの乗り物と駆動生物たちは、とりあえずここの宿に預けました。みなさまは、宿代の心配はしなくて結構です。こちらで払いますので。他に、何か入用なものがありますか?」
「できれば光と闇のポプルが欲しい。光は浄化用で、闇は攻撃用だ。そちらも攻撃の使い手はいるらしいが、念のためな。それから他の色付きポプルも、あればいいんだが」
「わかりました。用意します。後ほど届けさせます」
 神殿の人々は頷き、帰っていった。
 
 宿の部屋はかなり広く、床にはふかふかとした敷物が敷いてあって、壁には二段に六つ、合計十二の寝棚がついていた。それぞれに、柔らかく暖かそうな寝具がついている。
「こんな豪勢なところに泊まったのは、初めてだな」
 フレイが周りを見回しながら言い、一行は頷いていた。
「ところで……思怨の獣って、なんなんですか?」
 ボーテの神官から話を聞いてから感じていた疑問を、サンディは口にした。
「そうね。それは変形したレラの怪物、といってもいいかしら」
 レイニがかすかに首をかしげながら、そう説明してくれた。
「レラの力は、その人の思いにも連動するの。もしある程度レラの力が強い人が、強い負の思い――恨みとか憤りとか悲しみとか、そういうものを抱いて死ぬと、その人の持っていたレラが、それを取り込んで残る。それは仲間を呼ぶようにくっついて、大きくなっていって、最初は気の淀みと呼ばれるようなものを作るの。でも、それはたいてい森の奥深くとか、人の入らないようなところだから、あまり害はない。ナンタムたちも、他の土着生物たちも、そういう気の淀みには近寄らないから大丈夫。でも、その淀みが大きくなりすぎると、怪物化するの。それが思怨の獣ね。さらにそれが成長すると、それは凶暴化して人を襲うようになる。そうなる前に退治してくれ、というわけね」
「ボーテの郊外に現れる、ということは、人を襲う一歩手前なんだろうな」
 ディーが眉根を寄せながら、頭を振った。
「おそらく、俺たちがここへ来た時に拾ったナンタムも、そいつに襲われたんだろう。それから一節半以上が過ぎて、もっと巨大化している恐れもある」
「そんなものを退治って、お、俺たちはどうすればいいんだ? ディーは強いからいいだろうが……」ブルーが少し怖気たようだ。
「ああ、とりあえず攻撃術を持たないものは、戦いには参加しない方がいい。危ないからな。でもとりあえず、ブルーとレイニは防御が使えるだろうから、一人ずつ――そうだな、王女様とブランを保護してくれ。もし余裕があったら、サンディも入れてやってくれ。サンディも二人にくっついていた方がいいな。ロージアとペブルは、できれば攻撃で参加してほしい。やられないように気をつけてな。フレイも余裕があったら、頼む。リルとアンバーは、俺が浄化技を出すときに必要だから、それまでできるだけ攻撃が当たらないよう、少し遠くにいて、避けてくれ。ただ、アンバーは飛んでもいいが、リルは飛ぶな。おまえの飛行は光のレラを消費するからな。二人とも、光レラは消費しないよう、もし消費した場合は、ポプルで補給できるよう、常に持っていてくれ」
「わかった」一行は、真剣な面持ちで頷いた。
「それにしても……わたし、巫女様って初めて見たけれど……ミディアル以外では、王様じゃなくて巫女様だと、父さまたちが言っていたから。でも、なんだか……ちょっと怖いような、そんな感じがしたの。見た目は子供なのに」
 ミレア王女が、昼間の光景を思い出したように、小さく言った。
「あの子は、男の子ですよね」サンディもそうきいてみた。
「ああ、巫女といっても、女の子ばかりではないのさ。男の子の巫女も、珍しくはないんだ。あの子もそうだね。僕がアーセタイルを離れた時には、まだ先代の巫女で、その子は女の子だった。今の巫女に交代した時には、僕はここを離れていたから、どこの誰かは知らないが」ブランが説明する。
「まあ、どっちにしろ、巫女は選ばれた瞬間に、その子の心はなくなるからな。人間らしくなくとも、無理はない。その心も体も、精霊が支配しているのだから」
 ディーは頭を振り、ふっと息を吐き出した。
「えっ?」と、サンディとミレア王女は同時に小さな声を上げた。
「それで……新しい巫女に交代したら、元の巫女は……元に戻るの?」
 ミレア王女がそう聞いた。それはサンディも感じていた疑問だった。
「巫女は精霊が宿った瞬間、その衝撃でその子の心は潰れてしまうから、もう元には戻らないわ」ロージアが天井に目をやりながら、答えた。
「わたしは知っている……エウリスにいたころ、わたしの親友が巫女になったから。こんなディルトの私でも、唯一仲良くしてくれた子が……その子も男の子だった。わたしたちの村は、首都から外れていたけれど、そこから使いが来て。彼は巫女に選ばれて、三年半後に家に戻ってきた。選ばれた時のまま身体は成長せず、心は失なわれて、目も見えなくなって……あの土の巫女も、気づいたでしょう? 瞬きをしないのよ。精霊がその体を支配している間は。だから精霊が離れてしまうと、視力を失ってしまうの。それに身体も力を失って、ただじっと眠っているだけになってしまう。元巫女ということで、扱いは手厚いのだけれど」
「そう。巫女は選ばれても選ばれなくとも、その子の人生はそこで断ち切られることになるんだ。おまけに元の巫女はほとんどが、精霊が離れて二、三年で、死んでしまうらしいな。名誉だとは言うが……それに家族にとっては、ほぼ一生の生活保障はされるがな」
 ディーは遠くを見るような表情で、首を振った。何人かが同時にぶるっと震え、サンディもまた寒気に似た思いが走るのを感じた。
「まあ、ともかく、明日の夜は、大変そうだ。今のうちに、休息しておこう。こんなに上等の寝棚で、上等の寝具で寝られることはめったにないぞ」
 ディーが気を取り直したように言い、一同は再び頷いた。




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