光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第二部 大地と緑の国アーセタイル(3)




 全員がそろったところで、一行は宿屋に引き返した。ディーとペブルの分も宿泊手続きをすると、みなは再び部屋の床に座った。
「遅かったから心配したぜ、ディー。大丈夫だったのか?」
 フレイがそう口火を切った。
「心配させて、申し訳なかった。少し北に行き過ぎたようで、俺たちは森の中に落ちたんだ。そこで柔らかいくぼ地を見つけて寝ていたら、思ったより寝すぎてしまったらしい」
 ディーはみなを見回してから、連れを振り返った。
「詳しいみなの話はあとで聞こう。それより……」
「ああ」ペブルは頷いて、胸元のポケットに手を入れ、中から何かを取り出して、片手に乗せて見せた。それは彼の大きな手のひらより一回りくらい小さく、薄い緑色の毛におおわれた、ふわふわしたボールのように見えた。が、よく見るとそれには茶色くて細い三本の足がある。胴体の真ん中付近に、大きな傷跡があった。
「ナンタムだね。でも、弱っている感じかな」
 ブランがのぞき込む。
「そう。怪我をして弱っているようなんだ。野営したくぼ地で見つけた。ロージア、こいつを直せるだろうか?」
「怪我は治せると思うけれど……」
 ロージアはペブルの手からそのボールのような生き物を受け取り、そっと掌の上に乗せると、もう一方の手で包むようにし、目を閉じた。少し緑がかったレラがその手から発せられ、渦を巻くようにその生き物を包み込んでいく。一ティル(一カーロンの七十分の一の単位)ほどで、傷は消えてなくなった。目を見張るサンディに、レイニが「あれは土のレラの技の一つで、ファレムと言う、回復系のものよ」と、説明してくれた。魔法、と言う言葉が一瞬サンディの脳裏をよぎっていったが、その言葉の意味をはっきりと思い出すことはまだないものの、これは近いが違う種類のものかもしれない、という感じも漠然と覚えた。
「傷は治ったけれど、この子はレラの補給をしないと、元気にならないと思うわ」
 ロージアが手の上の生き物をそっと撫でた。
「そうなんだろうな。ナンタムはレラと連動して生きているから。だから連れていくのも、俺よりペブルの方が適任だろうと思って預けたんだが。あいつも半分は土だからな」
 ディーも、かすかに首を振っている。
「この子は、ポプルは食べないんですか?」
 サンディは聞いてみた。ディーは頭を振り、答える。
「ポプルを食べるのは、人間ぐらいだろう。たいていの生物は地面やら空中にあるレラを直接吸収して、生きているんだ。人間はそれができないから、ポプルを介するしかないんだがな。特に、このナンタムという生物は特殊で、ある意味レラの塊的な存在なんだ。レラを吸収する時もあり、放出する時もある。普段は群れでいて、レラの豊富な場所にいるんだが、こいつは何かの事情ではぐれたらしい」
「濃いレラが必要なら、エリムが使えないかな」
 ナナンがそこで言い出した。
「ああ。レラを集めて、ポプルにする前にナンタムに吸収させればいいかもしれないね」
 ブランが頭を上げ、同意する。
「やるだけやってみよう。貸して」
 ナナンはその生き物をロージアから受け取り、手のひらにのせると、もう一方の手をその上にかざした。ポプルを出した時と同じように、濃い緑色のレラがその間に溜まっていく。それは、その薄緑の生物に吸い込まれていくような感じだった。
 しばらくすると、それは震え始め、まん丸い茶色の二つの目が、球体の真ん中にぽっかりと開いた。そしてぱちぱちっと瞬きをし、ぶるっと大きく身を震わせると、立ち上がり、ぴょんぴょんと跳ねるような動作で、少年の肩に這い上がった。
「お、元気になった」
 ナナンは自分の肩に這い上がった生き物をなでた。
「良かったわ、元気になって。あたしは初めて見るけれど、かわいいわね」
 リセラも手を伸ばし、なでようとした。それはちょっと身体をすくめて、身を引くような動作をする。
「そういえば、リルはミディアル育ちだから、ナンタムを見たことはないんだな。ミディアルにはナンタムが育つほどのレラがないから、いないんだ。白いナンタムというものはないしな。他の八つの国には、それぞれ固有のエレメントのナンタムがいる。そいつは土のナンタムだから、土のエレメント持ち以外に触れられるのは、嫌がるんだ。だから俺も触れない」
 ディーはかすかに苦笑を浮かべながら、リセラとナンタムを交互に見る。
「そうなのね、残念。じゃあ、この子に触れるのは、ナナンくんと、ペブルとロージアだけね。ああ、ミレア王女も少し土が残っていそうだから、大丈夫かしらね」
 リセラの声には、残念そうな響きがあった。ミレア王女が少しおずおずと手を伸ばして、小さな生き物に触れ、そっと撫でた。それはちょっと身を摺り寄せるような動作をし、それを見た王女の顔が、小さくほころんだ。
「かわいい……」
「私は土だが、色抜けだから無理だろうかね」
 ブランが苦笑しながら、手を伸ばした。触れても嫌がりはしないが、うれしそうでもない。サンディがやっても同じだった。その毛はふわふわしていて、コティの実に似ていた。
「無色は他のエレメントがないから、嫌がりはしないんだろうな」
 ディーは再び苦笑して首を振り、言葉を継いだ。
「俺たちは前にも言ったように、少し方向を間違えて飛んだようで、バジレの北にある森に落ちたんだ。夜だったから、ペブルと二人、とりあえず休めそうなところを探しているうちに、下に草が茂っている、広いくぼ地に出た。湧き水も近くにあった。おあつらえ向きの場所だ。そこで水を飲んでポプルを食べ、寝た。だが思ったより、俺たちは疲れていたらしい。目が覚めたら朝だったが、丸一日寝ていて、さらに次の日の朝になっていたことは、ここへ来て初めて気づいた。起き上がって、水を飲みに行こうと思ったら、このはぐれナンタムが倒れていた。来た時には気づかなかったが、俺は夜目が効くから、いたらわかったと思う。たぶん寝ているうちに来たんだろう。弱ってはいるようだったが、死んではいないようだった。そこで俺は、ふと昔、俺の年取った親戚が言っていたことを思い出したんだ。『新しい土地に行ったら、まずナンタムの後についていくといい』と。まあ、迷信かもしれないが、アーセタイルでは右も左もわからない。それでこいつを連れて帰って、ロージアに治療してもらおうと思ったんだ。ナナンくんがいてくれて、回復もできたし、おかげでこいつも元気になった」
「そうね」リセラは頷き、少年の肩に乗っている生き物を見やった。
「新しい土地に行ったら、ナンタムの後についていけ、って、そういえばあたし聞き覚えがあるわ、子供のころに。お父さんが昔、言っていたの。同じことを。ただ、ミディアルにはナンタムはいないから、無理だなって笑っていたのよ。思い出したわ」
「僕は初めて聞くけど、まあ、ナンタムはエレメントの重要な一部だしね」
 アンバーが頷き、ブルーとフレイも同意している。
「でも、ナンタムの後についていくって、どうするの? その子に先導させるの?」
 ロージアが少し怪訝そうに聞く。
「ああ。たぶんこいつは、元の群れに帰ろうとするんだろうけれどな。ナンタムの移動スピードは、本気になると早いから、歩いては追いつけないだろう。車がいるな。駆動生物付きの。ここでは手に入れられないから、まずもう少し大きな町に行こう」
 そう言うディーに、サンディは少し心配そうに聞いた。
「でももし、この子が道を外れて森の中とかに行ってしまったら、大丈夫ですか?」と。
「いや、ナンタムは賢い。同じエレメント持ちの人間の言葉は理解するようだ。道路のはじを行ってくれ、と言えば、従ってくれるはずだ」
「そうなんですか……」
「そう。だからナナンくん。君が一番エレメントの力が強そうだから、そいつに伝えてくれないか。明日俺たちは乗り合い車で近くの大きな町、そうだな、ここだと、ティルカナか。ここへ来る途中に、標識があった。そこへ行く。そしてそこで車を一台手に入れて……借りるのは無理だな。買うことになるだろうが、そこから君が来たところまで、道の端を進んで帰ってくれと。俺たちが追いつける速さで」
 ナナンは「わかった」と頷いて、ディーの言葉と同じことを、肩に乗った生物に伝えた。それは少し体を傾けて聞いているようなしぐさを見せ、それから頷くように体を縦に振っている。
「それでだ、ナナンくん。君が急いでいないなら、ナンタムを群れに返して、近くの村なり町なりに行くまで、俺たちに付き合ってくれるとありがたいが。そいつは君に一番なついているようだからな。その後ラーダイマイトまでの乗り合い車の切符を買うか、もし近ければ車で送って行こう。どうだろう」
 ディーはその様子を見て、そう言葉を継ぎ、
「あ、ああ、もちろん!」と、少年は表情を輝かせ、頷いていた。
「じゃあ、明日出発ね。とりあえずティルカナ行きの乗り合い車に乗りましょう」
 リセラが言い、みなは頷いた。そして船が沈没してからバジレに来るまでの話を、改めて話し始めたのだった。

 その翌日、ようやく全員がそろった一行は、アーセタイルで出会った少年ナナンとともに、港町バジレをあとにした。乗り合い車の客車は二一人乗りなので、一気に十二人が乗ると満員になった。他に十人ほどの客がいたからである。
「珍しいな。乗り合い車が満員とは」
 一番前の、少し張り出した座席に座った男は振り向き、苦笑いを浮かべていた。
「本当は一人オーバーだが、まあ、いいだろう。小さいのは詰めて座ってくれ」
 男は正面を向き、車につながれた三頭のサガディと言う駆動生物に向かって声をかけた。
「頼むよ。いつもの通り、ティルカナまでだ」
 それだけで、サガディたちはわかっているようだった。三頭は足並みをそろえて前に進み、車は走り出した。その速度は、ミディアルでの駆動装置付きのものと、そう変わらない。緑色に塗られた屋根のついた客車には、固い木でできた椅子が並んでいる。三人掛けのものが七列だ。その最後尾の三人用椅子に、ブラン、サンディ、ミレア王女、ナナンが身を寄せ合って座った。その前の席では、ペブルが半分くらい座席を占め、その横にほっそりした二人の女性、レイニとロージアが、やはり身を寄せ合って座っている。
「ティルカナって、ここからどのくらい遠いのですか?」
 サンディはブランに聞いてみた。
「そうだね……だいたいの距離は見当がつくけれど、このスピードが我々の車の平均スピードと同じくらいだとしたら、たぶん二カーロンかかるかかからないか、くらいだろうか」
 白髪の小男は少し考えるように黙った後、そう答えた。
 バジレの町を出てしばらくすると、道はなめらかな土の色になった。その両側に、緑の草原が広がる。西側にはなだらかな山があり、東側には、ところどころ森が見える。その森の間から、海も見えた。サガディという駆動生物たちは道を知っているようで、前に座った男が何も言わなくても、道の分岐を曲がっていく。そこに立った標識から、その方向が正しいことは、一行にもわかった。

 ブランの言うように、二カーロンもしないうちに、乗り合い車はティルカナに着いた。そこは港町バジレよりは大きくて賑やかだが、ミディアルの都エルアナフよりは小さかった。街の門を入ると、道は再び石畳になる。その街の中央にある広場で、乗り合い車は止まり、乗客たちは下りていった。
「さてと、まずは稀石商を探そう」
 広場に降りると、ディーは周りを見回した。
「車を買うにしろ借りるにしろ……ポプルも買わないといけないしな。まずは金が必要だ」
「車が買えるほど、緑の稀石はあったかしら。あればいいけれど」
 ロージアは少し心配そうに、再びみなから集めた稀石を袋を入れたものを、衣服の上からそっと押さえていた。
「前から思っていたのですが、稀石と言うのは、なんなんですか?」
 サンディはきいてみた。宝石、という言葉がよぎったが、それと同じものだろうか。
「稀石は、レラが凝縮したものなのよ。美しいし、レラの力も豊富だから、主に神殿の装飾に使われるけれど、人にも装飾品として使われるの。その人の持つレラを強めてくれるから。主に神官とか、兵士が多いけれど」
 レイニがそう答えてくれた。
「そして、ここはアーセタイルだから、必要なのは緑――土のレラの稀石。それ以外は価値がないし、買ってくれない。ミディアルはいろいろな国からの稀石が手に入るから、全部の種類があるけれど」
 ロージアもかすかに頭を振りながら、そう付け加えている。
「それではわたし、稀石商とポプルを売っているお店を聞いてきます」
 サンディはバジレでしたように道行く人たちに話しかけ、道を尋ねた。彼女の見た目は土の民に似ているゆえ、他の人々が聞くよりも教えてもらいやすいかもしれないと言われた故でもある。そして必要な情報を聞き出すと、それを仲間たちに伝えた。
「ありがとう。じゃあ、行くか」
 ディーは異世界の少女に目をやると、ふっと笑った。
「しかし、おまえさんを拾った時には、こんな風に役に立ってもらえるとは思っていなかったが、おまえはいい子だな、サンディ。気が利いて、働き者だ」
『あなたは気が利いて、働き者ね――』
 ふと同じ言葉が、サンディの脳裏をかすめた。かつての言葉で。しかし一行のリーダーの言葉は、彼女が今思い出したそれより、はるかに暖かく感じられた。サンディは少し恥ずかし気に顔を赤らめ、ほんの少し笑った。
「でもまさか、アーセタイルに来ることになるなんて、あの時には夢にも思わなかったわね。そこで、彼女の外見が役に立つということも」
 ロージアがかすかに苦笑気味の微笑を浮かべながら、小さく首を振った。それに対し、何人かはため息をつき、何人かは頷いていた。

 稀石商で、緑の稀石をほとんど――残ったものは、中くらいの大きさの五、六個だけだった――この国の通貨に換えると、一行はポプルを売る店で、緑以外のエレメントのポプルを買った。それは大きな町の、比較的大きな店でしか扱っていなかったので、バジレでは買えなかったのだ。一行がミディアルから持ち出してきた色付きポプルも、もう残り少なくなってきたので、補給は必至だった。そののち、車を扱っている店を探し出し、そこの主人に交渉して、車と二頭のサガディを買うことができた。駆動生物の値段は高かったが、二頭ともあと一年から二年で引退するというものを買ったので、若いものの半額で手に入れることができ、車の方も椅子のついた乗用でなく、何もなく、ただ木の枠と床、そして布製の簡単な幌のついた、荷物用の、ある程度使い古されたものを買ったために、全体では用意した通貨の三分の二強を費やすだけで済んだ。車を扱う商人は、古びた毛布も格安で売ってくれたので、それを床に敷いた。
「若干狭いが、あんたたちみなが座れるだけの広さはあるよ。寝ることは無理だろうがね。せいぜい三、四人だ」
 店の主人は小さく笑った後、聞いてきた。「ところであんたたちは、ミディアルから来たそうだが、駆動生物の扱いは知っているかい?」と。
「どこの国でも、同じような性質なら……知っている。人の言葉をある程度は理解し、何度か行ったことのある道なら、目的地を教えれば行ってくれる。それ以外は、方向指示と止まれ、進め、前の車についていけ、と命令する。夜は少しの水の補給と、睡眠がいる、のだろう? 夜でも走れるかどうかは、国によるが」
 ディーの返答に、店主は頷いていた。
「そうだな。その通りだ。他の国でも、駆動生物は同じなんだな。夜走れるかどうかだが、この国では無理だ。日があるうちだけだな。それと、知っているかどうかはわからないが、駆動生物はその国のエレメントの持ち主の言葉でないと、理解しない。ディルトでもいいが、ともかく土が入っていないといけないから、誰か土のエレメント持ちの人が、指示席に座ってくれ。右側のやつはポル、左のはナガという。ポルはあと一年と二節で、ナガは一年と四節で引退だ。その時には、サガディの繁殖屋に持っていってくれ。いくらかは金をくれるだろう」
 その日はもう夕方になっていたので、一行は駆動生物と車は明日の朝取りに来ると店主に告げ、火の力を入れたカドルという、夜の照明と暖を取るための道具と、毛布を数枚買ったあと、宿屋を探して泊まった。そして朝になると、再び店に行き、昨日買ったばかりの車と二匹の駆動生物、ポルとナガを引き渡してもらった。

 荷車の前には、木の椅子が備え付けられた、箱状の突き出しがあった。前日に乗った乗り合い車でも、同じような席が先頭にあり、男が駆動生物たちに行き先を指示していた。
「ここには土のエレメント持ちが、乗らないといけないんだな」
 ディーはかすかに苦笑を浮かべ、仲間たちを振り返った。
「ということは、ペブルかロージアか、さもなければナナンくんだな」
「おいらはこの席、狭すぎて乗れないな」
 ペブルは身体をゆすりながら、首を振っている。
「そうだろうな。それなら、ロージアか……ああ、ナンタムを放して、その後を追うわけだから、ナナンくんはどうだろうか」
「え? ぼくが指示席に乗るの?」
 ナナンはちょっと驚いたように目を丸くし、声を上げた。
「君は指示席に乗ったことはないか?」
 ディーに聞かれ、少年は首を振った。
「いいや。うちには小さい荷車と、パナっていうサガディがいるけど、いつも新しい父さんが指示席に乗ってるから。でも何度か後ろに乗ったことはあるから、やり方は知っているよ。でもちょっと、緊張するなぁ」
 ナナンは頭を振り振り、指示席に乗り込んだ。残りの十一人は敷物を敷いた荷車に乗り込み、そしてディーが告げた。
「とりあえず、町の北門まで行くように言ってくれ。速度は普通で」と。
「わかった」
 ナナンは頷き、同じ言葉を二頭の駆動生物たちに伝えた。二頭はかすかに首を縦に振り、頷くような動作を見せた後、動き出した。そして町の門までくると、車をいったん止めるように指示した。
「ナンタムを放してくれ」
 ディーの要請に、ナナンは頷いた。そして両手に持ったその、ふわふわとした薄緑色の、玉のようなその生き物に向かって語りかけた。
「いいかい、ナンタム。君の仲間たちのところへ帰るんだよ。でも、あまり早く行き過ぎないで。それに、道路のはしを通って行ってほしいんだ。ぼくたちも、君の後についていきたいから。もし君の群れが遠くて、日が暮れても行きつけないようなら、日が沈む前にいったんここに戻ってきて」
 その生き物はつぶらな二つの目を見開いて、何か言いたげだった。そしてちょっと、身体を横に傾げた。
「ううん。君の仲間に入りたいわけじゃない。人間は、入れないでしょ、ナンタムの群れには。ただ君が無事に仲間のところに帰るのを、見たいだけなんだ」
 少年の言葉は、生き物にも分かったようだった。頷くような動作を見せ、ぴょんと地面に飛び降りる。それは後ろのサガディたちと、車に乗った人々をちょっと見やると、ぴょんぴょんと跳ねるように、道路を走りだした。
「あのナンタムの後を追って」
 ナナンがすかさず、駆動生物たちにそう指示した。彼らもまた頷くような動作を見せた後、走り出した。車もかすかに揺れ、滑らかに広がる土の道を動いていく。道路のはじ、道のぎりぎりをぴょんぴょんと走っていくナンタムと、その後を追う二頭の駆動生物、それに引かれた車。そして、そこに乗った十二人。車の速度は昨日ティルカナに来た時に乗ったものよりも、ほんの少し遅いが、それでもかなりのスピードだ。
 
 なめらかな土の道の両側には、草原が広がっていた。緑の草の中に、ところどころ色が見える。ピンク、黄色、白、赤の花の色が。まばらに木も生えていて、緑の葉が茂っている。野生のポプルの木もところどころにあるが、普通の木が多いようだ。空は青く、光が降り注いでいて、車が進むにつれ、風が吹き抜けていった。
「雨が降ったら、この幌じゃ横から降り込んできそうだな」
 フレイが少し顔をしかめて、そんなことを言った。
「そうね。でも贅沢は言わないの。ちゃんとした客車は高かったんだから、しかたないじゃない」リセラが軽く頭を振って言い返した後、目を輝かせて言葉を継いだ。
「それにしても、のどかな景色ね。緑がとてもきれい。さすがは大地と緑の国ね。今日は天気がいいから、気持ちいいわ」
「アーセタイルは、こういう平地が多いよ。特に南半分は」
 ブランも外に目をやりながら、頷いていた。
「それに、雨のことも、そう心配しなくていいだろうと思う。ここはあまり、雨は降らないから。こんな風に晴れた天気が多いんだよ」
「雨は降らなくても、植物は多いんですね」
 不思議に思うサンディに、ブランは答えていた。
「土のレラには、植物を育てる力が豊富にあるからね」と。

 その日一日、車は走り続けた。夕方太陽が地平線に沈みそうになり、空がオレンジに染まると、ナンタムは止まり、一行を振り返った。指令席のナナンも駆動生物たちに「止まれ」と指示を出し、車は止まった。ナンタムが再び跳ねるように、少年の膝の上に這い上がってきた。
「まだ着かないんだね。君の群れには」
 ナナンが問いかけると、それはかすかに頷くように体を縦に振る。
「それなら今日は、ここで野営だな。幸いこの天気だから、外で寝ても大丈夫だろう」
 ディーは仲間たちを見、そう宣言した。道から少し外れた草原の中で、一行はその夜を過ごすことにした。二頭の駆動生物、ポルとナガに水をやり――水のボトルもティルカナで、かなり補給していた――十二人は柔らかい草の上に毛布を敷いて、車座になって座った。真ん中にカドルを置き、そのそばに白いポプルを持ったかごを置く。今日は誰もエレメントの力を使っていないので、白で十分だった。それにただ車に乗っていただけなので、それほどの力も使っていない。みなめいめいに白ポプルを一個だけ取り――ペブルは三個だったし、ナナンはエリムという技を使って、自分で緑ポプルを出して食べていたが――ボトルの水を飲んだ。
「こうしていると、なんだかミディアルを旅していたころのようね」
 リセラが空を見上げ、言った。そこには相変わらず星があり、丸い月が出ている。
「そうだな……」
 何人かが、頷いていた。あのころと違うのは、三台の幌に覆われた車と人力駆動車の代わりに、二頭の駆動生物と古い屋根付きの荷車があり、荷物も圧倒的に少なく、そしてこれからどうなるか、誰にもわからないという事実だけ――いや、それがみなにとって圧倒的に大きな懸念だっただろうが、この場ではだれも口には出さなかった。
 二頭の駆動生物は水を飲んでしまうと、車につながれたまま、草の上に足を曲げて座り、眠り始めたようだ。
「もし町の外で夜になったら、車につないだままでいい。ちゃんとした宿屋に泊まったら、専用の小屋があるけれどな」と、車を買った店の主人が言っていたので、車と連結している胴衣と紐を外してはいなかったのだ。
「万が一、寝ている間に誰かにこいつらを持っていかれても困るから、交代で見張りをした方がいいだろうかな」
 ディーは車の方を見やりながら、言った。
「アーセタイルでは、そういう連中は多くないだろうけれど、まあ、本当に万が一の可能性がないとは言えないから、用心はした方がいいだろうね」
 ブランが首を傾げながらも、同意する。
「船の時と同じように、王女様とサンディは除外ね。あと、ナナンくんも」
 リセラの言葉に、サンディは「わたし、できます」と、首を振った。
「攻撃はできないですけれど、誰かが来たら知らせるくらいは」と。
「それなら十人で二人ずつ、二カーロン交代でやろう」
 ディーは少女を見やり、かすかに笑った。そして視線を空に向け、飲みかけていた水のボトルを置くと、首を振って言葉を継いだ。
「それにしても、ずいぶん遠くまで来たようだ。はぐれナンタムといっても、それほど遠くまで群れから離れているとは、思わなかったんだが」
「そうね。それにナンタムは最初見つけた時には、怪我をしていたのだから……不思議ね。おとなしい性質のナンタムが、なぜ、何に襲われて怪我をしたのか。そしてこんな遠くまで、群れからはぐれてきてしまったのか」
 ロージアはナナンの膝に乗っているその生き物を見ながら、考え込んでいるようだった。
「ナンタムの気持ちって、あのミヴェルトではわからないのですか?」
 サンディはそう聞いてみた。
「ミヴェルトは人間限定だ。それに、そいつは土のナンタムだからな」
 ブルーが相変わらず、むっつりした口調で言って、首を振った。
「でも、ナナンくんには、ある程度わかっていたみたいね。ナンタムが不思議そうに見ていた時、あなた言ったでしょう? 君の群れに入りたいわけじゃないって」
 レイニが思い出すように、少年を見た。
「うん。なんとなくわかるよ。こいつの言いたいこと」
 ナナンは膝の上のその生き物をそっと撫で、頷いた。
「それは土同士の意思疎通なのか、それとも君がその子に信頼されたということかな」
 ブランがいつもかけている日よけ眼鏡をはずしながら、頷いていた。
「そうだ。もし君がそいつの言いたいことをわかるなら……群れの場所までにはあとどのくらいかかるか、そしてなぜあんなに遠くまで行ったのか、それを聞いてくれないか?」
 ディーの言葉に、ナナンは頷いた。そして同じことを膝の上にいる、その生き物に問いかけた。それは丸い目を見開いて、じっと少年を見上げていたが、やがてその三本の足をパタパタとさせ、かすかに身体を震わせた。それをじっと見ていたナナンは頷いて、そっとその生き物をなでた。
「ここからは、そんなに遠くないって。それから、けがをしたわけは、よくわからない。何か大きなものに襲われて、運ばれて、飛ばされたようだって」
「何か大きなもの? それは……どんなんだ?」
 ディーが懸念をにじませた表情で、そう問いかける。
「なんだか大きなもの……そんな感じのものが、頭に浮かんだよ。茶色くて、渦を巻いていて、爪がある……」
「茶色か……それなら、ここに属するものだな」
「どうかしたのかい、ディー? たしかにここにナンタムを襲うものがいるっていうのは、気にかかるけど……」
 アンバーが不思議そうに顔を上げて、そう問いかけた。
「いや。もし黒かったらと懸念したんだ。ミディアルのように、マディットがここまで来たのかとな」ディーは首を振り、言葉を継いだ。
「特に俺たちは、ミディアルの王女様を連れている。ミディアルから誰も逃すな、とマディットの軍隊が命令されていたとしたら……実際、ミディアルから脱出した船には、不着の呪いがかけられていたようだ。だが……大丈夫だったようだ。連中はそれだけで、あとの生き残りを追うつもりはないらしい」
 彼は深く息をついた。
「不着の呪いって?」みなは一斉に、そう問い返す。
「ミディアルから脱出した船をみな、目的地に着けないようにする。とてつもなく強力な、闇の技だ。おそらくそんな真似ができるのは、神官長クラスだ。それも、闇の精霊の力を借りてできるものだ」
「それも、あなたのエフィオンの力で知ったの?」
 ロージアが比較的冷静な口調ながら、緊張した声で問い返す。
「ああ。ナナンくんの話……海の上は荒れていたが、陸地は晴れていたということを聞いた時、わかったんだ。俺たちは幸い脱出してアーセタイルに着けたが、他の船はみな沈み、誰も目的地には着けなかったようだ。ここを目指したものも、少し遠いが、ユヴァリスを目指したものも……そして乗っていた人間は、みな海で死んだようだ。ミディアルの人間は、それほどレラが強くないから、嵐に逆らって目的地に着ける力を持っている者は、いなかったんだろう」
「だから、ミディアルからの船は来ていないって、バジレの水夫が言っていたのね……」
 リセラが少し青ざめながら、つぶやくように言った。
「だが幸い、それ以上マディットは係る気はないようだ。ミディアルはともかく、他の精霊が支配する国にまで、生き残りを追いかけていく気はないらしい。今のところは。ただ、ミディアルの王女様が生きてここにいるという話は、あまり人には言わない方がいいな。アーセタイルに着いてから、彼女の身分をここの人間に、誰か言ったか?」
 ディーは周りを見回してそう問いかけ、ほかのみなは顔を見合わせた。そしてリセラが代表して答えた。
「いいえ。ただ、ナナンくんは別だけれど」と。
「ぼくは人には言わないよ、絶対! これからも!」
 ナナンは緑色の髪を揺らして、そう声を上げ、
「それならよかった。ぜひそうしてくれ」と、一行のリーダーはほっとしたような面持ちで少年を見、頷いていた。




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