光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第二部 大地と緑の国アーセタイル(2)




 空は晴れていて、海は穏やかだった。きめの細かい白い砂が、一行が歩くにつれて足元でほんの少し音を立て、あとに浅い足跡を残していく。かすかな風が、陸地から海に向けて吹いていた。
「昨日の嵐が嘘みたいに、静かね」
 リセラは海と空に目を向けた。
「本当に、昨日の嵐はすさまじかったからなあ」
 アンバーも海を見やり、小さく首を振る。
「でも、こっちは晴れてたよ」
 ナナンは一行を見、ついで海に目をやった。
「本当に、変な感じだったなあ。ここの上は星が出てるのに、海の上には雲がすごく集まってて、稲妻が光るのも見えて」
「アーセタイルの陸地は晴れていたのか……」
 ブランは不思議そうな口調になりながら、色付き眼鏡越しに空を見あげていた。

 一カーロンほど歩いた時、「あっ」とアンバーが声を上げた。
「どうしたの?」
 問いかけるリセラに、彼は答える。
「この先の海辺に、誰かいる」
「えっ?」リセラとブラン、サンディが同時に声を上げた。
「人影かい?」ブランが重ねて聞く。
「そう。人だ……二人」
 アンバーは行く手に目を凝らすようにしながら、答えた。彼は風の民の能力である、並外れた視力の持ち主だった。そうしていつもいち早く、なにかを見つけるのだ。彼の示す先は、一行六人の進行方向だ。その方向へ歩いていくにつれ、他の人々の目にも、行く手に小さな黒い点が見えていた。
「あれは……」アンバーがいち早く駆け出した。
「ブルーだ、たぶん。それで、フレイが寝てる」
「えっ?」リセラが声を上げ、ブランとともに後を追って走り出した。
 サンディとミレア王女も少し足を早めかけている。
「どうしたの?」ナナンが少し怪訝そうに聞いていた。
「たぶん、わたしたちの仲間の人が、この先にいるみたいです。ブルーさんとフレイさんといって、船から泳いでここに渡った人たちなんですが」サンディが答えた。
「船から泳いで、っていうことは、水の民なのかい?」
「ええ。ブルーさんは。フレイさんは火の民だということですが」
「火の人間に水は厳しいだろうなぁ。ぼくは、火は四分の一だけど、泳げないし」
 ナナンは少し身震いをしているようだった。

 近づいていくにつれ、二人の姿ははっきりみなの視界に入ってきた。ブルーが砂浜に跪き、砂浜に寝ている状態の赤髪の男の肩をゆすっていた。「おい、フレイ、おい! 起きろ!」と、声をかけながら。その声には、少し恐れの響きがあった。
「やっぱりブルーとフレイだ! 会えてよかった! どうしたんだい?」
 いち早く駆け付けたアンバーが声をかける。その声でブルーは振り向いたが、その顔はすっかり色をなくしていた。
「おお、アンバー! みんなも! 助かった! だが、こいつが目を覚まさないんだよ」
「ええ? どうして?」
「陸地までもうちょっとってとこで、波に持ってかれたんだ。慌てて引き返して拾ったんだが……それまでも、だいぶ波をかぶったからなあ。背中でぎゃあぎゃあ騒ぐから、うるさいと思ってたんだが……こいつが静かなのは、よけいいやだ。ここへ着いてかれこれ二カーロンはたつが、こんなずっと有様なんだ。こいつ……まさか死んだ……んだろうか」
 ブルーは気分が悪くなったような顔で、かつてのけんか相手を見ていた。
「いや……まさか。それに、二カーロンもたってたら……もし死んでいたら、溶けはじめているよ」アンバーも心持ち青ざめながら、そっと手を伸ばして砂浜に寝ている赤髪の男に触れていた。
「火の民に水は天敵だからね」
 少し遅れてやってきたブランがそのそばに屈みこみ、首や顔を触り、ついで手に触れた。
「どうしたの、フレイ? 水にやられちゃったの?」
 リセラも心配げな表情で砂浜に座り、見ている。
「……大丈夫」
 ブランはしばらく調べるようにあちこち触った後、頷いた。
「気を失っているだけだと思うよ。ただちょっと水の力が強すぎて、自分を守るために、一時的に仮死状態みたいになっているだけだ。ロージアがいれば、ファレムで回復できるだろうけれど……」
 彼は背中にしょっていた小さな袋を下ろし、その中をしばらく探しているようにかき回した後、小さな瓶を取り出した。その中には、少しピンクがかった透明な液体が入っている。「これでも大丈夫かな」と呟いて、ブランはその蓋を開け、フレイの口を開けさせると、その中身を数滴たらした。
「ぶわっ!」
 その液体が口に入ってしばらくすると、フレイは目を開き、飛びあがるように上半身を起こした。
「あ、気がついた!」
「良かった!」アンバーとリセラが、同時に声を上げる。
 フレイには仲間たちに目を向ける余裕はないようで、砂浜にうずくまって、激しくせき込んでいる。やがて彼は、かなりの量の水を吐き出した。
「ああ、もう、くそったれ! 死ぬかと思ったぜ」
 声が出るようになると、うめくように言う。
「おまえが暴れるから、波にさらわれる羽目になるんだ」
 ブルーは安心したのか、いつもの口調に戻っていた。
「だって、無理だぜ。あんなに続けざまに波をかぶっちゃ! おまえは平気だろうけどな」
 フレイは首を振り、そこであらためて気づいたように、周りを見回した。
「あれ、みんないるぞ……全員じゃないが」
「ああ……アンバー組とリセラ組とは、ここで合流できたようだ。一人、見慣れないやつがいるが」
 ブルーはほかの六人に目を向けていた。リセラは再び、ナナンと一緒に来ているわけを二人に説明した。
「ああ、そういうことなのか」ブルーとフレイは、同時に頷く。
「リルたちを助けてくれたことは、恩にきる、少年。ミディアルがなくなっちまったのは、あんたにも俺たちにも、あいにくだったがな」
 フレイはナナンに向かい、声をかけた。
「いや、まあ、そんなたいそうなことじゃないし」と、少年は繰り返す
「あなたはブルーに感謝すべきよ、フレイ。波にさらわれたあなたを、もう一度拾い上げてくれたのですもの」リセラがそう付け加えた。
「ああ……まあ、その辺は、ありがたいと思っている……」
 フレイは相手を見ずにぼそっと言い、
「ふん……あとでディーに叱られるのも、いやだからな」
 ブルーは砂浜に目を落とし、ぶぜんとしたような表情でそう返す。
「結局それで俺を助けたのかよ」
「そんなことないと思うわよ。ブルーはあなたのことを、本当に心配していたんだから」
「余計なことは言うな、リセラ。あれは少し慌てただけだ」
 ブルーはきまり悪げな顔で、もごもごとした口調になっていた。
 フレイも一瞬、軽い驚きの表情を見せ、言葉を探しているようだったが、やがて激しく首を振り、強い口調で言った。
「ま、まあ、ブルー、ともかく、恩に着る! だが、ここだけにしようぜ。こんなの、俺たちらしくねえからな!」
「ああ、もちろんだ」
「それにしても、口の中がとんでもなく苦いな」
 フレイは口をゆがめ、砂浜に唾を吐いた。
「吐き薬を飲ませたからね。ロージアがいれば治療技が使えるんだが、彼女がいないんで、これしか方法を思いつかなかったのさ。そんなに時間に余裕がなかったから、空ボトルと洋服の加工道具と、いくつかの薬しか持ち出せなかったんだが……役に立ったね」
「そうか。ブランにも世話になったな。もうちょっと口当たりがよければ、もっと嬉しかったんだが……」
 そう言うフレイに、ブルーがむっつりした口調に戻って返す。
「美味い薬なぞ、あるものか。吐き出させるなら、余計だ」
「そう、これは特別苦いんだよ。そうしないと、吐き薬にならないからね」
 ブランも少し微笑を浮かべていた。
「二人とも、歩けるようなら出発しようか。僕らはみな、ナナンくんが道を知っているから、案内してもらっているんだ。港町バジレまで」
「異論はないが、少しだけ待ってくれ。レラを補給するのを忘れていたんだ」
 ブルーの言葉に、フレイも頷く。そこで一行は、再びその砂浜に腰を下ろし、二人がポプルを食べ終わるのを待った。そしてここでもナナンがダヴィーラの技を使って海の水を浄化し、二人に渡していた。
「なかなか役立つ少年じゃないか。バジレまでしか一緒じゃないのは惜しいな」
 フレイがそう言い、ブルーも頷いていた。
 二人が元気を回復すると、今や八人になった一行は、再び砂浜を歩きだした。一カーロンほど歩くと、砂浜は終わり、木がまばらに茂った林になった。真ん中に、細い小道がついている。そこをさらに一カーロンほど歩くと、その林は、別の方向から伸びてきた、灰色の石で舗装された道路で途切れていた。再び右側には海が見え、その道路は直角に曲がって、北へと延びている。その先に、小さな港町が目に入ってきた。
「あそこがバジレだ」
 ナナンが指さして、そう告げた。

 アーセタイルの港町バジレは、ミディアルの港町ディスカより少し規模は小さく、埠頭には三隻の中型船が停まっていた。もう荷物は積み終わったか、降ろしたかしたのだろう。十数人の水夫たちはみな手持無沙汰な様子で、木の箱の上に座っていた。その後ろ側の区画には、木でできた大きな箱型の車――下には六個の車輪がついていた――が何台か停まっているが、駆動車のようなものはない。その後ろには大きな平たい建物が建っているが、ドアは閉まっているので、その中は見えなかった。
 埠頭部分の奥には町がある。碁盤の目状に走る石の道路に、民家が立ち並び、その間に店が点在している。食料と水を売る店、洋服を売る店、雑貨屋。宿屋もたぶん、どこかにあるのだろう。
「アーセタイルに着いたらバジレで落ち合う約束だけれど、ここまでにはいなかったわね。ディーたちとレイニたちは……」
 リセラは町の中央にある広場に立ち、あたりを見回した。
「まあ、幸いそんなに大きな町じゃないから、探せば見つかるんじゃないかな」
 アンバーが言い、
「あくまで来ていればな」と、ブルーが付け足す。
「具体的な場所って、決めてなかったのかい? 広場で会おうとか」
 ナナンは少し不思議そうに問いかけた。
「修羅場だったんだぜ、少年。そんな余裕はないさ。それに俺たち、アーセタイルに来たのは、もともとこの国出身のブランとペブル以外初めてだから、バジレがどういう町「だかも、知らなかったんだ。ブランやペブルも、行ったことがないらしいしな。とにかく……探すしかないか」フレイが首を振って答える。
 一行が町を歩いていると、すれ違う人々が目を向ける。茶色、もしくは緑の髪と目、濃淡はあるが、少し茶色っぽい肌の色ばかりの人々の中で、異質の色は目を引くのだろう。たいていは好奇心のようだったが、中には少し顔をしかめて身を引くものもいる。
「なんだか本当に、視線を感じるわね。ここへ来てから。ミディアルではそんなことはなかったのに」リセラが当惑したように、かすかに首を振り、
「本当にね」と、アンバーも苦笑いを浮かべている。
「でも、あからさまに嫌がっている人は、それほど多くなさそうだ。アーセタイルは穏やかな民だというのは、たしかなのかもしれないな」
 ブルーが相変わらずぶすっとした表情ながら、そんな意見を述べた。
「少なくとも、フェイカンよりはましだということは、わかるがな。ありがたいんだろうが……」フレイも周りに目をやりながら、頷く。
「ましなのかなあ、これでも。他の国は知らないけれど」
 ナナンが少し怪訝そうに首を振った。
「私も他の国のことは知らないけれどね。どこでも、ミディアルのようなわけにはいかないだろうな。あそこは雑多な人間がいたから」
 ブランが小さく首を振る。
「国が変わっても、言葉は同じですか?」
 サンディはふと思いついたように、問いかけた。
「だって、ぼくと話が通じているんだし、あたりまえじゃないか」
 ナナンが再び不思議そうに返す。
「世界が変われば言葉も変わるだろうっていうことは、わかるけれど……あなたの世界では、国が変わると、言葉も変わるの?」
 リセラも少し驚いたように聞いていた。
「たぶん……よくわからないですが」
「だとしたら、それはえらく不便だな。ミヴェルトが大活躍しそうだ」
 フレイは首をすくめていた。
「でも……レイニさんのミヴェルトは、わたしもここに来た時すごく助けられましたが、異なる言葉でのコミュニケーションですよね。でも、言葉がどこも同じだとしたら、その能力は……わたしたち異世界の人との交流にだけ、使われているのですか? 光や闇の国は、巫女の候補を外から連れてくることもあるとディーさんが言っていましたが、そういう人のためにだけ……でも、水ですよね。その能力」
「水の中には……アンリールとセレイアフォロスでは、たまに違う言葉をもって生まれてくるものもいるんだ。数百人に一人くらいの頻度だがな。原因はわからない。だが、その言葉は時に予言を発したり、他のなにかからの事象を伝えたりすることもあるとされる。そういう異言もちはラリアと呼ばれ、ミヴェルトは主にその言葉を伝達するために使われるんだ。まあ、他の世界の言葉にも適応できるから、たまにユヴァリスやマディットから通訳要請がかかることもあるんだがな」
 ブルーは少女にちらっと視線を向けながら、説明している。
「そうなんですか……」
 サンディは頷いた。それも漠然と「この世界の知識」として、彼女の中に記憶されたもの中に、付随する感情はなく付け加わっただけだった。以前の記憶を持たない彼女には、この世界のこと――世界には果てがあり、レラというエネルギーによって動かされ、人々はその使ったエネルギーを補給するためだけに食事を――ポプルというレラの塊のような果実と水だけを取るということ。力の種類が違う八つの国に精霊と巫女、神官が国を治め、人々は異なる種類の力が混じることを嫌い、混血はディルトと呼ばれて、その固有の国ではあまり居心地がよくないことが多く、そのためにミディアルが建国されたということ。でもそのミディアルは「不純すぎる」という理由で闇の国、マディット・ディルに滅ぼされた――そういうこの世界のすべての知識――最後のものは彼女自身も巻き込まれ、心の痛みとともにその経験を共有したが、それ以外は今のところ、彼女にとってはまるでたんすの引き出しに無造作に入れられた『知識』にすぎないのだ。まだ今は。
 サンディはしばらく考えたあと、ふと思いついて、頭を上げた。
「わたしたちがここでは珍しいなら……ディーさんやレイニさんたちも、きっと珍しかったはずです。町の人に聞いてみたら、覚えているんじゃないでしょうか」
「あら、それはいいアイデアかもね」リセラが声を上げた。
「あまり敵意むき出しのやつに聞いても、答えてはくれなさそうだが……」
 ブルーが周りを見回し、
「そういう人じゃない人を選んで聞けばいいさ。ここはまだ、結構いると思うからね」
 ブランが提案し、こう続けた。
「それは、サンディが聞きにいったらいいんじゃないかな。ミレア王女様でもいいけれど、かなり白が混じっているし、王女様に使い走りをさせるわけにもいかない。サンディなら、見た目は完全に土の民だから、相手も私たちが行くよりも、気を許すだろう」
「わかりました。聞いてきますね」
 サンディはそれまでつないでいたミレア王女の手を放すと、王女ににっこりと笑いかけ、一行から離れた。そして道端で、港でたくさん見かけたような木製の荷車に水の瓶を積んで売っている女の人のところへ行くと、再びにっこり笑って訪ねた。
「すみません。ちょっと聞きたいんですが、水色の髪をした女の人と、銀色の髪の女の人、それか黒髪に少し金色が混じった男の人と、黒髪の太った男の人を見ませんでしたか?」
「ほかの国の人と……ディルトさんだよねぇ、それは」
 茶色の髪が肩に垂れ下がり、くすんだ緑の丈の長い服を着た、中年すぎに見えるその女性は、少し驚いたように瞬きをして、サンディを見やった後、少し離れたところに立っているリセラたち一行に目を向けた。
「ずいぶん色とりどりな人たちだけど、あんたのお連れさんかい?」
「ええ。わたしたち、ミディアルから来たんです」
「おや、ミディアルから!?」相手は驚いたようだった。
「あそこはマディットに滅ぼされたんじゃないかい?」
「ええ。でもその前に逃げてきたんです」
「よく無事に逃げられたねえ」
 相手はさらに驚いたように、見つめていた。
「ええ。でも嵐にあって、船が難破したので、わたしたち、ばらばらに陸地を目指して、ここで落ち合う約束をしたんです。それで、はぐれた仲間を探しているんです」
 そう説明するサンディに、店の女性は再び驚いたような表情でしばらく沈黙した後、思い出そうとするかのように視線を空に向けた。
「黒髪の人は……二、三人見たけれど、金まじりは知らないねえ。あ、でも水色と銀色の髪のきれいな女の人が二人、連れ立っているのは見たよ。一カーロンくらい前だったかね。ここで水を買って行ったっけ」
「本当ですか? どっちへ行きました?」
「右手の方に行ったよ。銀髪の人の方が、『湯屋へ行きましょう』って言っていたのが聞こえたから、そこへ行ったんじゃないかね」
「お湯屋さんって、どこですか?」
「その通りを右手にまっすぐ行って、ポプル屋の角を右に曲がってすぐだよ」
「ありがとうございます! あ、今わたしたち、お金持っていないんですけど、お金ができたら、お水買いに来ますね!」
 サンディは礼を言うと、仲間たちのところへ駆け戻り、今聞いた情報を伝えた。
「あら、よかったわ! それはきっとレイニとロージアよ。あたしたちもお湯屋さんに行きましょう。一度身体をきれいにしたいわ」
 リセラが声を上げ、ミレア王女もこくっと無言でうなずいている。
「一カーロン前なら、二人とももう出ちまってる可能性は高いがな。それに、稀石を金に換えないと、湯屋には行けないぞ」
 ブルーが首を振って言い、「ああ、そうね」と、リセラも思い出したようだ。彼女は、今度は自分自身で水売りの女性のところへ行き、稀石商の場所と、レイニとロージアとみられる二人の女性について、確認に行ったようだった。その後、一行は稀石商で少し大きめの緑の稀石を五つほど、アーセタイルの通貨に換えてもらい、水売りの女性からお礼として六本水のボトルを買うと、湯屋を目指した。そして、ちょうどその中から出てきたレイニとロージアに再会できたのだった。
「あら! よかったわ、会えて!」
 レイニが驚いたように目を見開き、声を上げた。彼女もロージアも湯上りらしく、髪の毛もきれいに梳かされ、新しい洋服を着ていた。
「本当に、会えてよかった! でもお湯屋に行ったって聞いてから一カーロン半はたっているから、もう二人ともとっくに出ちゃったのかと思ったよ」
 アンバーが感嘆したように言い、
「本当に、かなりの長風呂だな」と、ブルーは呟く。
「その前に、新しいお洋服と袋を買っていたのよ。着替えは船と一緒に沈んじゃったから」と、レイニはかすかに笑いながら答え、
「あなたたちもお湯に行く前に、新しい服と袋くらい、買った方がいいわよ」と、ロージアもかすかに口元をほころばせながら、そう勧めた。
「そうね。たしかにそうだわ。洋服屋はさっきの道にあったから、戻って買ってきましょう。レイニ、ロージア、あなたたちはこれからどうするの?」
 リセラの問いに、レイニが答える。
「とりあえず、宿屋を見つけて泊まろうと思っていたの」
「じゃあ、あたしたちも、まず宿屋を探すわ。お宿を決めてから、お洋服を買って、湯あみをすればいいから」と、リセラが言い、
「そうだな」と、男たちも頷いていた。
「あ、あのさ……バジレに着いたことだし、お仲間も見つかったなら、ぼくはもう、帰った方がいいかな……」
 そこでナナンがちょっともじもじしながら、そう言いだした。レイニとロージアも初めて気づいたように彼に目を向け、そしてリセラが少年と一緒に来たわけを再び二人に繰り返した。
「それは、本当にありがとう。それで、あなたはこれから家に帰るの?」
 レイニは少年に向かって微笑みながら、そう問いかけた。
「ああ……ほかにどうしようもなさそうだし……母さんや新しい父さんも、きっとがっかりするだろうけどなあ」
「でも、ラーダイマイトまでの乗り合い車は、もう出てしまったんじゃないかな」
 ブランは少年の方に、軽く手を置いた。「たいていどの町でも、他の町へ行く乗り合い車は昼の四カルまでには出てしまうからね。もう七カル近いんだから、明日までは帰れないよ。今日は私たちと一緒に、宿屋に泊まったらいい」
「あら、それがいいわ!」リセラが声を上げた。
「あなたは、家に帰るだけのお金は持っているの?」
 ロージアが問いかける。いつもより優し気な口調だ。
「ああ。ミディアルまでの船の切符代は返してもらったから」
「そう。でも、それはとっておくといいわ。あなたの町までの乗り合い車の切符は、わたしたちが買うわね。リルたちを助けてもらったのと、ここまで案内してもらったお礼に。宿代も心配しなくていいわよ」
「あ、それは、ありがとう……」
 ナナンはちょっと顔を赤らめ、頷いていた。

 一行はその後、バジレに二件ある宿屋のうちの一つに泊まることに決め、その後、すでに湯あみと着替えの購入を終えているレイニとロージア以外の八人は、改めて町へ出かけてその用事を済ませてきた。そして夕方、宿屋の部屋で床に座って食事をした。その部屋には両端に二段になった木の寝棚が二つずつ、合計八つ取り付けてあり、マットと毛布が置いてある。一行は十人なので、二人は床に寝ることになるが、床にも柔らかい敷物が敷いてあり、毛布が二枚置いてあった。みなはミディアルでしていたように、丸くなって座り、ポプルを食べ、水を飲んだ。
「あなたはきれいな水を自分で作れるけれど、ナナンくん。宿屋の人にもらわないと水自体がないから、これをどうぞ」
 リセラは水売りから買ったボトルを、少年にも手渡していた。ナナンはそれを「ありがとう」と受け取り、ポプルの方はロージアが緑のポプルを渡そうとするのを、「大丈夫」と断ると、手の間にレラを集めてポプルを生み出す、エリムという技を使って、自分で緑のポプルを出して食べていた。
「自分でポプルを出せるのって、便利だな」と、フレイがそれを見て感心したように言い、
「でも、それを作り出すのにレラを使うことになるから、普通の人よりたくさんポプルがいるのかな、補給は」と、アンバーは少し首をひねっていた。
「そうなんだよ。これを出すのに、レラが半分要るから、普通の人は一つ食べればいい時、ぼくは二つ要るんだ」
 ナナンは頷きながら、出した緑ポプルを食べている。
「でもそうすると、残り半分のレラは、どこから来るんですか?」
 サンディは不思議そうだった。
「周りから集めるんだ」
「その技は、じゃあ、アーセタイルならではだわね。もしミディアルにあなたが行っていたら、あそこはレラが少ないから、白しかできないかもしれないわ」
 レイニは微笑んで言う。。
 みなが食事を終え、一息つくと、リセラは小さくため息をついて、仲間たちを見回した。
「とりあえず、落ち着いたわね。あたしたち、九人は合流できたし。ディーとペブル以外」
「いや、俺はあの二人は、とっくに着いてるかと思ったぜ」
 フレイは首を振った。
「せっかく合流できたが、リーダーがいないと困るからな」
 ブルーがぼそっと言う。
「いくらペブルが重いとはいえ、ディーは力の強い人だから、海に落ちたりしたとは思えないわ。きっと何かの事情で遅れているのよ。明日にはきっと会えると思うわ」
 レイニがいくぶんきっぱりした口調で言い、全員が頷いていた。
 そして一行はそれぞれの寝棚に行き――ブランとフレイは床に寝たが――船の中での波に揺られての眠りではなく、動かない土地の上での、柔らかいマットと毛布にくるまって眠った。

 翌朝、起きだしてきた十人は、とりあえず全員が合流し、今後どうするか決まるまで、その宿に泊まることに決めた。ナナンにも、「ディーやペブルにも、あなたを会わせたいから」とリセラが言い、ほかのみなもそれに賛成したので、それまで彼も一行に加わることになった。そして彼らは昨日湯屋で着替えた、それまで着ていた服をいつものように洗濯しようとして、洗濯機は船と一緒に沈んだことを思い出し、料金を払って、宿屋の人に頼むことにした。洗ってもらった服を部屋に付属している小さなベランダに干しているとき、その向こうの道路を何台もの車が走っていくのが見えた。車自体は昨日港で見た、車輪が六つついた木製の四角いものだが、それを引いているのはミディアルのような駆動車ではなく、動物のようだった。茶色で、人間よりも少し大きく、少し首は長く、長めの足が六本あり、尻尾とたてがみは緑、丸い二つの目は濃い茶色の、柔和な顔立ちをした動物――あれに近いものを、見たかもしれない――そんな記憶のかけらが、サンディの脳裏をかすめた。それが二頭、時には三頭で、たくさんの荷物を積んだ車を引っ張っている。その中に一台、木製の大きな車――車輪は八つあり、中には緑色の椅子がいくつもついていて、人も十人ほどそこに座って乗っている、木製の天蓋のついた車が、三頭のその動物に引かれて、通って行った。
「あれが乗り合い車だよ。どこに行くのかは、わからないが」
 ブランがそう説明した。
「あの、車を引っ張っている動物は……?」サンディが聞いた。
「あれはサガディという生物で、道からレラを吸収して、エネルギーに変えて走るんだ。ミディアルでは我々は駆動車を使って、自分のレラを伝えて進んでいたけれど、彼らは駆動装置を体の中に備えている、駆動生物なんだよ、いわば」
 ブランは少女の方に向き直り、そう説明してた。
「あなたのイメージする動物とは、少し違うかもしれないけれど」
 レイニがサンディの両肩に後ろからそっと手をかけ、付け加えていた。
「レラが補給され続ける限り、彼らは疲れを知らない。同じような駆動生物は、どこの国にもいるけれど、国によって種類は違うの。たとえばアーセタイルではサガディだけれど、私がいたセレイアフォロスでは、水色の、もうちょっと細長くて流線型で、毛はなくて、足は四本の、パジェミラと言う動物が車を引いているのよ。駆動生物はどこでも、生まれて三年たつと車を引く仕事について、それから十五年たつと引退し、死ぬまでの七年くらいで繁殖をするの。彼らは人間のいうことはとてもよく聞く、賢い生き物よ」
「そうなんですか」
 サンディは少し驚きを含んで、行きかう車を眺めていた。同じように、ずっとミディアルでは駆動車の引くものしか見ていないミレア王女も、不思議そうに見ている。

 その日はみなで港に出て、水夫たちから話を聞いた。中には彼らを少し胡散臭そうな目で見る者もいたが、かなりの人たちが気軽に話をしてくれた。
「ミディアル行きの船は、当分出ないよ」
 恰幅のいい水夫の一人がそう告げた。
「向こうからも、しばらくは来ないだろう。あそこからの珍しい機械やきれいな織物が、当分手に入らないのは痛手だろうがね。昨日、マディット・ディルの神官からこっちの神殿に、書簡が来たらしい。通信鳥を使って。その内容が今朝、こっちにも来たんだ。町の長のところにね」
「ここでは、どうやって連絡を取り合うんですか?」
 サンディはそっと仲間たちに聞いてみた。
「連絡を受け持つ鳥がいるんだよ。ミディアルに来た、マディットの伝言鳥のように、直接声でいうものと、書簡を届けるものがいるが。その鳥の種類は、駆動生物と同じように、国によって違うんだ」
 ブランが小声でそう説明していた。
「なんて言ってきたんですか?」
 ロージアが落ち着いた声で尋ねた。
「これから一年の間、ミディアルは閉鎖することになる。そしてマディット・ディルの属国となり、生き残った者たちはその罪をあがなうため、それまではマディットの神殿奴隷となる。一年がたった後は、再び彼らはミディアルに戻されて、それまでの生活ができるらしいが、あそこにいた王の代わりに、マディットから監督者たちがやってきて、厳しく統制されるだろう。しかし、そのころから貿易は再開する予定だ。人の数は今までよりかなり減っているだろうから、労働力確保のための移住者は、審査をして受け入れるが、ディルトのみで、純血種は入れない、ということだった。今朝、町の長がここに来て、そう言っていたんだよ。だから一年間はミディアル行きの船は出せないし、向こうからも来ないだろう。実際、一シャーランほど前に来た船以来、あそこから船は来ていないんだ」
「あら……それならあの時、港町ディスカから逃げ出せた船は、いなかったのかしら。あたしたち以外……」リセラは少し表情を曇らせ、
「でも、他のところへ行ったのかもしれないわ」と、ロージアは首を振った。

 一行が港から町へ引き返す途中で、通りの向こうから見慣れた二人の男が近づいてきた。長い黒髪で頭頂部にひと房金色が混じった、背の高い男と、黒髪の巻き毛の、でっぷり太った男。
「ディーとペブルだわ!」
 リセラが小さく叫んだ。同じように、みなが――おそらくナナン以外――声を上げている。
「おう! みんな無事に合流できたようだな、よかった!」
 ディーは大股に近づいてきた。その後からペブルが体を揺らして、小走りにやってくる。
「遅かったじゃないか!」
「心配したよ!」
「でも、本当に良かった!」
 そんな声が口々に上がり、みながひとしきり再会の喜びを分けあった後、リセラはナナンを二人に引き合わせ、少年が同行しているわけを話した。それに対し、一行のリーダーはほかの皆と同じように、短い感謝の言葉を口にし、少年もまた再び照れたように返礼していた。




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