光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第二部 大地と緑の国アーセタイル(1)




 気がついた時、リセラとサンディは白い砂浜の上に、あおむけに倒れた状態だった。波が届かない場所に寝かされていて、背中からは暖かい砂の感触がした。嵐はすっかり収まり、夜も明けたようで、空は青く、太陽が柔らかく照らしている。
 リセラはゆっくりした動作で身を起こし、同時にサンディも起き上がった。
「どうやらあたしたち……生きてるみたいね」
 リセラが軽く頭を振りながら言い、
「ええ……助かったみたいです」
 サンディも周りを見回しながら、頷く。
「荷物は無事?」
「ええ」
 サンディはポケットを探り、腰に付けた袋を見て、その上から触って確かめた。
「稀石の袋もポプルも、あるみたいです」
「良かったわ。あたしも、どうやら無事みたいよ」
 リセラも同じように荷物を確かめながら、ほっとしたような声を出した。そして髪の毛に手をやり、頭を振る。いつもつけている赤いリボンがほどけて、ピンクの髪が背中に垂れ下がっていたが、その先に辛うじて、そのリボンが髪の毛に絡むように引っかかっていた。リセラはそれをつかみ、再び安堵したような声を上げた。
「良かった! リボンが流されていなくて!」
「それは……大事なものなんですか?」
 その口調から、きっとそうなのだろうと感じたサンディは、そう尋ねた。
「これは、パパの形見よ」
 リセラはそのリボンを丁寧にたたんで、スカートのポケットに入れた。
「まだ髪が乾いていないから、乾いたら結ぶわ」
 リセラは目の前に広がる海に目を向けながら、言葉をつづけた。
「それにしても、あの時には、もうだめかと思ったわ。助かったのは、奇跡ね」
「ええ。わたしも海に落ちた時、もうだめだと思いました」
 サンディも不思議そうに、海に目を向ける。

「あ、気がついたんだね」
 その時、背後で声がした。その声で、二人は振り向いた。
 それはまだ、成長期前期ぐらい――ミレア王女やサンディと、あまり変わらないだろう年頃の少年だった。少しオレンジがかった肌の色に、緑の髪の毛がまるで葉っぱか海藻のようにうねって頭を覆い、肩まで触れている。黄色い半そでの、だぼっとした上着に深緑の半ズボン。丸い茶色の目を見開いて、少年は二人を見ていた。
「あなたは?」リセラが問いかけた。
「ぼくはナナン」少年はそう名乗った。
「ナナル・バナン・タラージャンってのが正確な名前だけど、みんなはナナンっていうんだ。あんたたちは?」
「あたしはリセラ・マリ・ファリスタ。この子はサンディ。アレキサンドラよ」
「ふーん。そう」
「あなたはアーセタイルの人?」
 リセラはそう問いかけた。
「そう。もうちょっと北の、ラーダイマイトって町から来たんだけど」
 ナナンと名乗る少年は頷き、そしてつけ加えた。
「ただぼくは、純血じゃないんだ。四分の一、火が入ってる。だからこんな肌色なんだ」
「そうなの。その町は、ここからは遠いの?」
「そう。乗り合い車で、バジレまで八カーロンかかった。けっこう長旅だよ」
「バジレまで行ったの?」
「そう。ミディアルに行きたかったんだ」
 少年は海を見つめ、そう答えた。
「やっとお父さんからの連絡が来て、行けることになったから」
「お父さん?」
「そう。ぼくのお父さんは火と土のディルトで、七年前にここを出て、ミディアルに行ったんだ。それからぼくはお母さんと暮らしていたんだけれど、いつかお父さんの後を追って、ミディアルに行こうと思ってたんだ。あそこはここみたいに、純血の土じゃなくても、差別されないから。お母さんもすぐに純血の土の人と結婚して、弟と妹が生まれたから、むしろぼくはいない方がいいかなと思って、お父さんのところへ行きたいって、お母さんと新しいお父さんに言ったら、それなら連絡をしてみようって言ってくれて。バジレからミディアルに行く船に乗る人に手紙を託して、それで前の節にやっと、お父さんから返事が来たんだ。来たいのなら、来てもいいって書いてあった。そこの農園で働いてくれるならって。お父さんはミディアルで、ポプル農園の仕事をしているらしいんだ」
「そうなの。お父さんのお名前って、わかる?」
「ヴァリス・ラシージャ・エンガシアン」
「ポプル農園の……ヴァリス・エンガシアンさん……火と土ディルトの……」
 リセラは思い出そうとするかのように海に目をやって沈黙した後、頷いた。
「わかった。あたし、その人を知っているかもしれないわ。ナランディンの町の郊外で、ポプル農園をやっている人ね。もう一人、エマルスさんと共同経営で。赤毛の人ね。目は緑で。わりと背が高くて、がっしりした体つきの」
「そうなんだ! あんたたちは、お父さんと知り合い?」
 ナナンは驚いたように声を上げ、目を見開いて、身を乗り出してきた。
「ええ。たぶんお父さんも、あたしたちのことは知っているはずよ。毎年、そうね、ここ三年くらいだけど、あたしたちお父さんたちの農園で、二日くらいの短い間だけれど、仕事を手伝っていたの。今年も、来節に行く予定だったわ」
「そうなんだ。なんだか、偶然だなぁ。あんたたちは、ミディアルの人だったのか」
 少年は再び驚いたような表情を浮かべ、言葉を継いだ。
「二人して海にあおむけに、ぷかぷか浮いてたから、どうしたのかと思ったんだ」と。
「あなたが……あたしたちを引き上げてくれたの?」
 リセラは思い至ったように、少年に向き直った。
「ああ。そんなに深くなかったし、遠くもなかったから。最初は死んでるのかなって思ったんだけど、まだ形があるし、波がまた沖へ引きだしているみたいだったから、ここまで引っ張ってきたんだ。ここは波が届かないし、大丈夫だろうと思って」
「それなら、あなたはあたしたちの命の恩人ね! ありがとう!」
 リセラが感極まったように言い、サンディもかすかに頬を紅潮させて、礼を述べた。
「本当にありがとうございます、助けてくれて」と。
「お礼はいいよ、別に。ぼくの単なる好奇心だから」
 ナナンは少し照れたように言い、そして聞いてきた。
「でも、なんで海に浮いていたんだい?」と。
 そこで二人は今までのいきさつを――主にリセラが、時々サンディが言いたして――相手に説明した。ナナンは驚いたような表情で聞いた後、頷いていた。
「そうかぁ。じゃあ、あんたたちには仲間がいるんだ。あと九人……って、かなり大勢だな。みんな、無事にこっちへついたのかな」
「それはわからないけれど、あたしたちはそう信じたいわ」
 リセラは言い、サンディも真剣な顔で頷いた。
「あたしたちはこっちへ着いたら、バジレで落ち合うことになっているの。あなたはさっき、あなたの町からバジレまで乗り合い車で来たって言っていたけれど、ここからバジレまでは遠いの?」
 リセラは重ねて、少年に問いかける。
「ここから北東に歩いて三カーロンくらいかな」
「ああ、じゃあ、そう遠くないわね」
「あなたは、どうしてここへ来たんですか?」
 サンディは少年に向かって、問いかけた。
「うん。さっきも言ったように、ぼくはミディアルに行くために、昨日の夕方、バジレに行ったんだ。そこからミディアル行きの船に乗ろうと思って。そうしたら、ミディアルの港は全部閉鎖されたから、渡れないって言われたんだ。ミディアルはマディット・ディルの支配下になって、他の国からの船は入れなくなっているって。ぼくは途方に暮れて、でもまた家に帰る気にはなれなくて、ふらふら歩いてたんだ。海沿いに。海の上はすごく荒れてたけど、ここは雨も降ってなかったし。夜になったから岩陰で寝て、それからずっと南に下っていって、ここに来たら、あんたたちが海に浮いてたのを見つけて」
「そうなのね……」
「お父さんは、どうなってしまったのかなあ。あんたたちの話だと、ミディアルは相当ひどいことになってしまったようだし。マディットの連中に殺されたのか、奴隷にされたのか……」
 ナナンは悲しげな顔で、海に視線を向けた。
「ヴァリスさんが、ここ三シャーランの間、ポプルと水だけしか食べていなかったら、殺されてはいないと思うけれど、マディットの神殿奴隷は過酷だって、ディーが言っていたから……無事を祈りたいわね」
「ディーって?」
「ああ、あたしたち一行のリーダーよ。ディーヴァスト・マルヴィーナク。彼は光が四分の一混じった闇のディルトで、マディットの出身なの。彼は六年前に、祖国を捨てたって言ってたけれど。マディットの国に、いい思い出はないみたいで。その彼が言っていたわ。マディット・ディルの首都、エラーフダリエの、闇の精霊を祭る神殿で、十年前くらいから、大きな建造物と回廊を作っているけれど、それの建設に奴隷たちを使っていると。マディットの国の奴隷と言うのは、罪を犯した人たちで、その罪を贖うために神殿で奴隷として働き、その罪に応じた時間働けば、また自由になれるっていうけれど、それで自由になれた人は、全体の三分の一くらいしかいない。あとの人たちはあまりの過酷さに、病気になって死んでしまうって。ミディアルから来た人たちは、どのくらいの期間働かされるのか、そしてその後どうなるのか……またミディアルに戻してもらえるのか、それとも死ぬまで奴隷のままなのか、そのあたりはディーもわからないと言っていたわ。闇の精霊のお告げ次第だと」
「そうなのかぁ……」
 ナナンは海を見つめたまま、頷いた。その目には、涙が光っていた。
「じゃあもう、お父さんには会えないのかなぁ。お父さんはぼくが五歳の時に家を出て行ったけれど、優しい人だったって、覚えてるんだ。だからまた会えて、一緒に暮らせるのを、すごく楽しみにしてたのに……」
 サンディは少年の悲しみに同情し、そっとその背中に手を触れた。その背中は痩せていて、硬かった。リセラも同じように手を伸ばし、その背に触れた。
「ナナンくん。あなたの気持ち、あたしも少しはわかるわ。でも、きっと信じたい。ヴァリスさんはたぶん、今は生きていると思うの。密花とかバーナクとか、いわゆる不純な食べ物は、エルアナフではかなり流行っていたけれど、ナランディンは小さな町だし、そこまでは浸透していないと思う。それにあの人は何代もミディアルにいた人じゃないから、あたしたちと同じで、たぶんレラの力もかなり持っているはず。だから、それをなくさせるような不純物は取らなかったと思うの。だから、きっと殺されてはいない。マディットに連れていかれて、奴隷にされた可能性が高いけれど、でも生きていれば、また会える可能性だって、全然ないわけじゃないわ。ヴァリスさんはレラの力もあるし、身体も丈夫な人みたいだから、生き抜ける可能性がある。もしマディットの精霊が、死ぬまでじゃなく、期限付きで自由にしてくれるようなお告げをしてくれたら、ミディアルに戻される可能性も、ないことはないと思うの。少ないけれどね。でも、生きていれば、きっと希望も可能性もあるわ」
「そうなのかな……」
 ナナンはうつろな視線を海に向けながら、ぼんやりとした様子で頷いていた。
「そう。元気を出して。気持ちを切り替えるのは、大変だとは思うけれどね。取り返せないことを悩むのは時間の無駄だ、大切なのはこれからのことだ、ってディーがいつも言っていたけれど、実際は難しいと思う。でも、少しでも前を向いて」
 リセラは軽くその背をたたいた。そしてしばらくのち、再び問いかける。
「ところで、ね。このあたりでお水が手に入るところはあるかしら」と。
「水?」ナナンも現実に戻ったようにそう問い返し、二人の顔を見た。
「そう。あたしたち、ポプルは持っているのだけれど、お水はないのよ」
「目の前にいっぱいあるじゃないか。それじゃ、ダメなの?」
「あ、ああ、そうだわね。それはたしかにあるけれど……でも、どちらかと言えば、湧水みたいな方がいいんだけれど」
 リセラが改めて気づいたように言う。そしてサンディは驚きを含んで問いかけた。遠くからやってきた記憶とともに。
「でも海の水って、しょっぱくないですか? 飲めるんですか?」と。
「海の水がしょっぱいって、どこの世界の話?」
 ナナンが驚いたように目を見張る。
「ああ。彼女は別の世界から来たのよ。わりと本当の話よ」
 リセラは苦笑を浮かべながら、サンディが来た簡単ないきさつも、かいつまんで話した。
「本当に?」ナナンはすっかり驚きの表情だ。
「別の世界なんて、本当にあるんだ。てっきりその子は、土の純血だと思ってた」
「見た目は、たしかにそう見えるわよね」
 リセラも少し笑う。
「ここの海は、しょっぱくないんですか?」
 サンディはなお驚きの表情で繰り返すと、少し砂浜を進んで波打ち際まで行き、指を水につけ、なめてみた。ほんの少しだけ苦いが、他に味はない。塩辛くもなかった。
「そう。でも海の水は、少しだけ不純物を含んでいるのよ。雑味みたいなものね。だから本当に純粋な水とは言えないから、飲むにはあまり向かないのよ。どうしてもほかにない時だけね」
 リセラがそう説明する。
「雑味ねぇ。ぼくは平気だけど」
 ナナンは首を傾げてから、リセラとサンディに「ボトル持ってる?」と聞いた。
「からのボトルなら……」
 リセラがポプルを入れたものとは別の袋から――船から脱出時に、みな自分の大切なものを袋に入れて、腰に縛ってきたのだ――ボトルを差し出した。
 ナナンはそれを受け取り、海の水を汲むと、自分の荷物らしい大きな袋の中から、口の広い器を取り出した。そしてボトルをその上にかざし、もう一方の手をすっと水平にかざすように切る。と、そこから茶色がかったレラが薄い膜のように広がっていった。その上から水を下の器にそそぐと、器にはきらきらとした水が溜まっていく。彼はその器の水を再びボトルに戻し、二人に差し出した。
「はい。雑味は抜けたよ」
「ええ?」
 リセラはそのボトルを受け取ると、そっと口をつけた。
「あら、本当。純粋な水だわ。おいしい」
「だろ?」ナナンは、少し得意そうに笑った。
「ダヴィーラ。土のレラの技の一つだよ。不純物を取り除いてきれいにするっていう」
「そういえば……聞いたことがあるわ。土のレラが司る、十三の技の一つよね。かなり発現率は低いって聞いたけれど」
 リセラはゆっくりと半分ほど水を飲み、その残った水をサンディに渡した。サンディも受け取って、飲んでみた。たしかに混じりけのない水の味だ。
「そう。血筋なんだ。土の種族でも、いくつかの家の人だけが持っている技らしいよ。お母さんもダヴィーラを持っていた。エリムもできる。だからぼくにも、妹にもそれが伝わったみたいだね。弟には伝わらなかったみたいだけれど」
「エリムって?」
 聞きかけたサンディに、ナナンは笑って応じた。
「じゃ、じっさいにやってあげる」と。
 彼は両手を合わせ、間を少し開けて空気を握るようにした。その間から緑色のレラが発せられ、それが球になっていく。彼が手を放すと、それは地面に落ちた。薄緑色のポプルだ。ナナンはそれを拾い上げ、砂を払ってから、かじった。
「あら、すごい!」リセラが驚いたように声を上げた。
「ダヴィーラもエリムも聞いたことはあるけれど、実際に見たのは初めてよ」
「でも、ぼくは緑と白しか出せないんだ」
 ナナンはポプルを食べ終わると、少し残念そうに続けた。
「火は残念ながら出ない。そこまで火が強くないから。肌の色しか火っぽくないし、ぼくは火の技を全然受け継がなかった。四分の一のせいかな。白は白ポプルを食べたら、出せるけど。一つで、二つくらい。でもぼくは、それだけしか技がないんだ」
「あら、それだけできれば充分じゃない」
 リセラは感嘆を含んだ声を出した。
「でもうちじゃ、珍しくないしね。新しいお父さんと弟以外、みんなできる。だからうちはポプルって、買ったことがないんだ。水も」
 ナナンは他の二人がポプルを――リセラが黄色を、サンディは白を――食べているのを眺めていた。
「そっちのサンディっていう子は、土の純血みたいに見えるけど、白を食べているってことは、本当に違うのかな。あんたは……それ、光ポプルだろ。何のディルト?」
「あたしは光と風と火よ」
「三種!? よく色が抜けなかったなぁ。ぼくは火と風だと思ってた。そんな髪の色だから」
「そうね。あたしはかなり、パパに似たから。あたし光の力は、飛行能力以外、受け継がなかったみたいなの。お母さんは、かなり強い光の人だったらしいのに。だから飛行能力だけは伝わったけれど、でもそれだけ。だけどそのせいで、色が抜けずに済んだのかもしれないわね」
 リセラは日の光でかなり乾いてきた髪を再び上に束ね、赤いリボンをポケットから引っ張り出して、結んだ。
「あたしはね、生まれたのはユヴァリス・フェ。たぶん首都のアラエファデルだと思う。あたしは覚えていないんだけれど、パパがそう言っていたから。あたしのパパは火と風のディルトで、風の国エウリスに住んでいたけれど、ピンク髪で、しかも飛べないせいで、居心地が悪かったらしくて、成人してからはユヴァリスに働きに来ていて……まあ、そこでもよそ者ではあったけれど、まじめに働いていたから、ずっと雇ってもらえてて……そしてお母さんと知り合って、恋に落ちて、あたしが生まれたらしいわ」
「そうなんですか」
 サンディは頷いた。リセラの出自を知るのは、彼女も初めてだったのだ。
 ナナンも「へえ」と頷いて聞いている。
「でもお母さんの家では、大反対だったらしくて……お母さんは結構いい家の人だったみたい。神官の流れをくむ……お母さんはあたしが生まれた時、まだ若かったらしいの。それにお母さんには、親が決めた結婚相手がいた。それであたしが生まれると、お母さんの両親はお父さんに言ったらしいわ。子供を連れて、ユヴァリスから出て行け。もう二度とこの国に足を踏み入れるな。おまえみたいな疫病神は、ミディアルにでも行ってしまえ、って。それきりあたしは、お母さんには会っていないから、まったく覚えていないわ。その後、ユヴァリスからミディアルを訪れた人たちの話から、お母さんはその親の決めた人と結婚して、今は子供も三人いる。そのうちの一人は巫女候補になった……そんな話を聞いたって、パパが言っていたわ。お母さんのことを訪ねた時に」
「そうなんですか」と、再び頷くサンディに、「あんたは一緒に旅してて、知らなかったのかい?」と、ナナンが不思議そうに問いかけている。
「彼女はまだ四シャーランくらいしか、あたしたちと一緒にいないし、そこまで詳しい話はしたことがないのよ。それにあたしたちみな、お互いがミディアルに来るまでっていうのは、あまり話したことがないの。でもみんな、なにがしかの理由があって、ミディアルに来ていたのよね」
 リセラは軽く頭を振って言うと、話をつづけた。
「パパはミディアルに来て、町から町を渡り歩いて暮らしていたわ。一か所に定住はしないで。あそこにいたころのあたしたちと同じように、ミディアルのいろいろなところを旅して、仕事があれば働いて、時には歌を歌って……パパはとても上手だったのよ。それでお金をもらっていたりして、暮らしていたの。あたしたちよりもっと、一つの町に長くいたけれど。二、三節くらい。そんな生活で、あたしも大きくなって、パパのお手伝いをしたり、パパが歌う時には踊ったりして、四年前までは暮らしていたんだけれどね。でも、四年前のサランの節に、あたしたちは前の町から山を越えて、別の町に向かう途中だったんだけれど、そこで山賊に襲われたの。山賊、なのかどうかはっきりはわからないけれど、ともかく人を襲って金品を奪う、悪い奴らね。それであいつらはあたしをさらおうとして、パパはそれに抵抗して、あいつらに殺されたのよ」
「ええ……?」
 サンディが小さく声を上げ、ナナンも驚いたような声を漏らした。
「それで、あたしも危うくさらわれるところだったの。でも、たまたまそこを通りがかったディーに助けられて……彼もやっぱり、ミディアルをあちこち放浪していたのね……それで、彼と一緒に旅をすることになったのよ。それからだんだん仲間が増えて……本当に楽しかったわ。あの時は」
 リセラは小さくため息をついた。そして、軽くリボンに触れた。
「このリボンはパパの形見だって、さっきサンディに言ったわよね。そうなの。パパが亡くなる前、ビスティの節の初めのころ、その町の市場で、パパが買ってくれたのよ。きれいなリボンだ、きっとお前に似合うって。そして今まではおろしていたあたしの髪を結んで、こうやって飾ってくれたの。それ以来、あたしはずっとこのリボンをつけているのよ」
「そうなんですか……」
「あんたも、いろいろな事情があるんだなぁ」
 ナナンが首を振り、そんな感想を漏らしていた。
「そうね。あたしたちみんな、なにがしかの事情があって、ミディアルに来ていたのだと思うわ。あなたもそうね、きっと。ミディアルがあのまま続いていたら、あなたもお父さんの農園で一緒にお仕事をしていたんでしょうね」
 リセラの言葉に、少年は思い出したように、少し涙ぐんだ。
「でもそれは、もう取り返せない事実、なんですよね。ディーさんが言っていたように」
 サンディは再び慰めるように、ナナンの背中に触れた。
「そうなのよね。ごめんなさい。つい、考えもなくあなたを悲しませるようなことを言ってしまったわ」
 リセラが少し慌てたように言い、頭を振った。
「あなたはこれからどうするんですか、ナナンさん」
 サンディがそう尋ねる。
「今、考えてないんだ。と言うか、何も考えられなくて」
 ナナンはこぶしで目を拭くと、答えた。
「結局、家に帰るしかないんだろうけれど……とりあえずバジレまで戻って、そこから乗り合い車に乗って帰るよ」
「そう……ここもミディアルと同じで、乗り合い車はあるのね」
 リセラは少年の腕にそっと触れながら、そう問いかけた。
「あるよ。ミディアルのは、どんなのか知らないけれど。ラーダイマイトからもバジレからも、いくつかの町に向けて乗り合い車は出てるんだ。それぞれの町行きは、一日に一本しかないけれどね」
「そうなのね。ありがとう」
 リセラは少年に笑顔を向け、言葉を継いだ。
「じゃあ、服も乾いたし、そろそろ出発しない? ナナンくん、あたしたちバジレへの道は知らないの。一緒に行ってくれると、すごくうれしいんだけれど」
「そんなに複雑な道じゃないよ。この海岸線にそって、ずっと北東に歩いていけば、三カーロンくらいで着くから。でも、目的地が一緒なら、一緒に行ってもいいな」
「あら、よかった。ありがとう」
 リセラは笑顔で言い、サンディも頷いた。

 三人が立ち上がった時、遠くから声がした。
「おーい!」と、その声は言っていた。
「おーい、リルー! サンディー!」
 遠くに三つの小さな人影が見えた。海岸線の南の方から、こっちに近づいてくる。
「アンバーたちだわ!」リセラが声を上げた。
「えっ?」サンディも驚いて、声のする方に目を凝らす。
 人影はまだ小さいが三つ。真ん中の人がやや大きく、左右の人はそれより小さい。とはいえ、真ん中もそれほど大きいわけではない。その真ん中の人が、声を上げて手を振っていた。ここからは小さくて判別できないが、アンバーは『鳥の目』の持ち主で、遠くを見ることができるから、きっといち早く彼女たちを見つけたのだろう。
「船が沈没する時はぐれた、あんたたちの仲間?」
 ナナンが、そう問いかけてきた。
「ええ、そう。わたしたちは五つに分かれてアーセタイルを目指したのだけれど、そのうちの一組よ。アンバーとブランとミレア王女、のはずね。ああ、そうだわ」
 人影はだんだん近づいてきて、こちらからも判別できるようになっていた。黄色髪の若者と、白い髪の小柄な若者、そして薄茶色の髪の少女――。
 やがて三人は近づいてきて、サンディたちのそばに腰を下ろした。
「ああ、くたびれた! 風に流されて、ちょっと南に行きすぎちゃった。もうかれこれ二カーロン歩いてさ」
 アンバーが大きくため息をついて、頭を振った。
「でも君たちに合流できてよかったよ。そちらの子は?」
 ブランがこちらの三人を見ながら、少し不思議そうに問いかける。
「彼はナナン。えーと、正式な名前は何だったかしら。あたしたちを助けてくれたの」
 リセラはアンバーたち一行に、簡単ないきさつを語った。
「ええ、そうなんだ。それはありがとう!」
 アンバーとブランは同時に声を上げる。
「いや……そんなにたいそうなことじゃないし」
 ナナンは少し照れたような表情を浮かべた。
「あなたたちは海に落ちたりはしなかった?」と、リセラが軽く笑ってそう聞くと、
「そこまではね。でもちょっと低空飛行になったし、流された。でもブランが、たぶんこっちの海岸線をずっと行けば、バジレに着けるはずだって言うから。本当に、ブランがいてくれて、助かったよ」
「私もだいたいの方向と、地図を思い浮かべただけだよ。でも途中で君たちに会えたから、よかった。これで一緒にバジレに行けるね」
 ブランは少し微笑みを浮かべながら、言葉を継いだ。
「ああ、ナナンくんに私たちも名乗らないとね。彼はアンバー。アンバー・ラディエル・キール。エウリス出身で、四分の三は風、四分の一は光。彼女はミレア王女。なんと、ミディアルの王女様なんだ。ちょっといきさつがあって、一緒に来ているんだ。そして私はブランデン・ポスティグ・シランサ。ブランと呼ばれている。これでもアーセタイルの純血種なんだけれど、不幸なことに色が抜けてしまってね」
「へえ……」
 ナナンは不思議そうに新たな三人を見たあと、ブランに視線を据え、問いかけた。
「あなたは、どこの生まれ?」
「モラサイト・ホーナと言う町を知っているかな」
「知ってる。首都ボーデに近い町だ。ラーダイマイトにも近い」
 ナナンは目の前の白髪の若者をじっと見て、言葉を継いだ。
「ひょっとして、あなたって双子?」
「えっ」ブランは少し虚を突かれたようだった。相変わらず日よけ眼鏡をかけているので、その目の表情は読めないが。
「そうだけれど……?」
「やっぱり。聞いたことあるんだ。双子で、片っ方にレラが集まりすぎると、もう一人は色抜けになることがあるって。モラサイト・ホーナにも、そういう例があるって、新しい父さんが言っていたから」
「そうなんだ。私はレラを全部、相方に吸い取られて生まれてきた」
 ブランはそれ以上説明せず、黙った。一同は少しの間、沈黙した。
「あ、まあ、悪いことを聞いたのなら、あやまるよ」
 ナナンが少しきまり悪そうな表情を浮かべ、
「いや、大丈夫だよ。」と、ブランは微笑んでみせる。
「ここから北東に三カーロンくらい歩けば、バジレに着けるそうよ」
 リセラが話題を変えるように、声をかける。
「えー、僕たちもう二カーロン歩きっぱなしだから、この上三カーロンは辛いなあ。少し休もうよ」
 アンバーが声を上げた。
「そうだね。私もくたびれた」と、ブランも苦笑し、、
「わたしもです」と、ミレア王女も息をつきながら、小さく呟く。
「あたしたちは、ナナンくんと一緒にそろそろ出発しようとしていたんだけれど、あなたたちがくたびれているなら、もう少し休みましょう。ナナンくん、悪いけれど、もう少しつきあってくれる?」
「ぼくは別に急いでないからいいけれど、仲間が来たら、ぼくと一緒にいなくてもいいんじゃないかい?」
「いや、基本私たちは、新しい仲間を受け入れることに対しては抵抗がないよ」
 ブランがかすかに笑い、
「そうそう。特にリルとサンディの命の恩人ならね。君が僕らと来たくないなら、無理強いはしないけれど、道を知っているなら、案内してくれると助かるな」
 アンバーも頷き、ついで言葉を継いだ。
「ああ、それにしてもくたびれた。レラはポプルで補給したけど、混じりけのない水が飲みたいなぁ。ここは海の水しかないけど、水は持ってこれなかったから。重いし」
「あ、それなら……」リセラとサンディは顔を見合わせ、
「からのボトル持ってるなら、新鮮な水をあげるよ」と、ナナンが申し出る。
 そうして彼はアンバーとブラン、そしてミレア王女から空ボトルを受け取ると――水をくむために、各自持ち出してきたのだ――リセラにしたように、海の水を浄化して渡した。
「わあ、本当にきれいな水だ」
 ボトルの中身を一口飲んで、アンバーが感嘆の声を上げ、
「おいしい。お水」と小さく呟いて、ミレア王女は無心に飲んでいる。
「ダヴィーラか。話には聞いていたけれど、初めて見たね」
 ブランもボトルを飲みながら、頭を振って言い、そして続けた。
「珍しいんだよ、土系の技でもこれは。アーセタイルの住民でも、二五か六、そのくらいの家系にしか伝わらない技だ。君の家系もそうか。君は……正式な名前は何だっけ、ナナンくん」
「ナナル・バナン・タラージャンって言うんだ」
「タラージャンも、たしかその二六家系の一つだね。そうか。でも君は火が混ざっているのに、継げたんだね」
「火はほとんど受け継いでないんだ、ぼくは。肌の色だけ。でもこれがあるから目立って、純血じゃないって、わかってしまうんだけれどね」
「あ、僕の黄色髪と琥珀目と一緒だ。これさえなければ、普通に風の民に見えたのに」
 アンバーが首をすくめながら、そう口をはさんだ。
「四分の一って、そういう出方をすることもあるのね。ディーは頭の一部金色以外、光技も一つ使えるらしいけれど」リセラは頷き、言葉を継いだ。
「じゃあ、あと半カーロン休憩したら、バジレを目指しましょ。ほかのみんなにも、そこできっと会えることを願って。ナナンくんも、とりあえずバジレまでは一緒に来てね」
「ああ、いいよ」と、少年は答え、あとから来た三人も、白ポプルを食べながら頷いた。「力補給できたから、大丈夫」と。
 日が天頂に近づいたころ、六人はバジレへ向けて出発した。




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