光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第一部 逸れ者たちの新天地ミディアル(6)




 夜通し車を走らせ、港町ディスカに着いた一行は、王家の船を捜した。ミレア王女が小さな声で案内し、そこを辿った先には、かなり大きな船が停泊していた。その船壁には、王家の旗の模様が刻まれている。
「これだったら、三台全部積み込めるな」
 ディーは船を見上げ、ほっとしたように吐息をついた。
「船と資金が出来て、ありがたかったわね。ミレア王女がくっついてきても」
 ロージアも船を見、小さく首をすくめる。
「たしかにな」フレイが頷き、付け加えた。
「でも王女様が、はじめからおまけみたいな扱いは、かわいそうだぜ」と。
「褒賞がなかったら、引き受けなかったかもしれない、おまけであることは変わらないがな」ブルーは相変わらずむっつりと言う。
 港町ディスカは、今のところ通常と変わらないように見えた。ミディアルでの通信は、通信機――小型の、翼のついた箱のような機械で、相手が受け取ると、そのメッセージを再生するようになっていた――を使って行っている。エルアナフとディスカ間では、三カーロンほどで行き来できるはずだが、おそらく通信する余裕さえ、なかったのだろう。
 マディット・ディル軍とその先方隊であるフィージャの群れは、おそらく東の海岸から上陸したのであろう。それはディーたち一行が起点としている、海辺の町エフィアだ。一行はそこから反時計回りに、北へ向かい、そこから西に向かって、ぐるっと回る形でエルアナフへと進んでいるが、マディット・ディルの鳥たちはレイボーン山脈の上空を越えて、最短距離でエルアナフへと向かったようだった。おそらくエフィアからの急を知らせる通信機は、山を回りこむことが出来ないため、時間がかかったのだろう。それゆえ、何も前触れなしの急襲になってしまったのだ。
「さもなければ、エフィアからも連絡する暇がなかったのかもしれないな」
 ブランがそう言ったが、ディーは首を振った。
「いや、エフィアはまだ、エルアナフより助かった人数が多そうだ。だから、麻酔弾を打たれる前に通信機を飛ばした。でも間に合わなかった」
 それは彼の持つエフィオン――直接的には認知されない事実を知る力なのだと、一行はわかっていた。
「じゃあ、エルアナフを襲った奴らは、次はここへ来るのかな」
 アンバーが懸念をにじませた表情で言い
「だとしたら、まずいな」フレイは冷や汗を、ひと筋垂らしている。
「そう。たぶん来るだろう。今から逃げても、間に合わないだろうが……」
 ディーは荷物をつみ終わると、全員が乗り込んだのを確認し、船を係留していたロープを解いた後、操縦室の動力機関に、銀色の鍵を差し込んだ。船は動き出した。
「みんなに伝えてくれ! エルアナフはマディットの攻撃部隊に襲われた! いずれここに来るぞ!」
 船が港を離れる時、ディーは港にいた男たちに向かって、大声でそう叫んだ。
「なんだって?」
「なんでなんだ?」
「本当か?」
 男たちは驚いたような表情で、口々に声を上げている。
「だから今のうちに、逃げられるものは逃げろ!!」
 ディーが重ねて叫ぶ。その頃には、一行を乗せた船は港を離れようとしていた。

「もうちょっと前に知らせればよかったのに。ぎりぎりだなぁ、ディーは」
 アンバーは苦笑しながら、小さく首をすくめていた。
「でも、最初に知らせていたら、大混乱になって、私たちがこんなに速やかに出航は出来なかったわ」
 ロージアは冷静な表情で、首を振る。
「そう。結局、船を持ったものしか、逃げられないだろう。奪い合いになって、大混乱になる。連中には気の毒だが……助けられない」
 ディーは遠ざかる陸地を見つめながら、呟いた。
「わ、もう来た!」アンバーが声を上げた。
「えっ?」
 みながいっせいに、小さくなりつつある港町に目をやった。微かに、上空に不吉な黒い雲の影が近づいてくるのが見える。
「一シャーランもたたないうちに、マディットは完全にミディアル全土を掌握するんだろうな」
 ディーは空を見つめた。その声は、どこかうつろな響きがあった。そして彼は息を吐き出すように、こう続けた。
「終わりだな……ミディアルの」
 一行は言葉も忘れたように、遠ざかっていく陸地を見つめ続けた。やがてミレア王女が、身体を激しく震わせ、声を上げて泣き始めた。サンディは国も家族も失った少女に同情を感じ、そっとその腕に優しく触れた。
「あたしたちの……幸せだった時も終わりね。楽しかったのに……」
 遠ざかる陸地を見つめるリセラの頬も、涙で濡れていた。
「これからどうなるんだろうな、俺たち」
 フレイが戸惑ったように、ぽつりと呟いた。
 
 やがて、回りは青い海原一色になった。十一人は甲板に立ったまま、来し方を見つめ続けていた。ディーは腕組みをして甲板に立ち、ブルー、フレイ、アンバーは船の手すりに捕まりながら、じっと海を見ている。ブランは柱につかまり、レイニとリセラはサンディとミレア王女の手を片方ずつ握って、取り囲むように立っている。ロージアは少し離れたところで、やはり柱に捕まって立ち、ペブルはバランスを崩さないようにか、甲板の真ん中で荷物の上に座り込んでいる。そして彼は言った。
「ところでおいら、腹が減ったな」と。
「おまえはこんな時に、よく食えるな!」
 フレイがあきれたように声を上げた。
「だっておいら、ディスカまで、夜も眠らずに、全速力で引っ張ってきたんだよ」
「まあ、見ていても仕方がないな。食事にしよう」
 ディーが苦笑いを浮かべ、一行は頷いて、甲板に座り込んだ。
 波の律動が聞こえ、風が吹きすぎる。突然奪われた、はぐれものたちの楽園。一行は無言でポプルをほおばり、水を飲んだ。新たなミディアルを興してくれ――それが、王の遺言だという。しかし、それは可能なのだろうか。
 まわりには海だけが、どこまでも広がっていた。

 船は進み続けた。この船には動力装置が内蔵されているので、レラを使って動かす必要はなく、ただ進行方向に舵を取れば進んでいく。舵の横にはコンパス――方位針がとりつけてあり、現在進んでいる方向と、進むべき方向の両方が表示されていたが、今のところそれは同じように見えた。昼の海は穏やかで、青く澄み渡っていた。夜の海は空と溶け合って、限りなく濃いグレーに見えた。昼の後に夜が来て、また朝が来る。
 王家の所有だけあって、その船は大きく、広い甲板の下に荷物室と、十二の船室があった。王族用の豪華なものが二つと、あとは家来用だろう、無駄はないがきちんとした部屋が十。ミレア王女には王族用の部屋を、あとの十人は普通の個室を使い、夜はそこで眠った。見張りは二人ずつ、三カーロン交代でたてた。

 そんな中、彼らはしばしば甲板に集まり、荷物車から持ってきた敷物を広げて、座っていた。
「アーセタイルというのは、どういう国なんですか?」
 航海の三日目に、サンディは一行にそう問いかけた。
「大地の精霊の国だ」ディーは、簡単にそう答えた。
「もっとも俺は、行ったことがないが。土のエレメントもちでもないしな。ブランやペブルのほうが、詳しいだろう」
「そうねえ。あたしたちの中でも、土のエレメント持ちはブラン、ペブル、それにロージアしかいないしね」リセラが周りを見回し、
「でもわたしも、土は半分だけだし、アーセタイルには行ったことがないのよ」
 ロージアも首を振っていた。
「ロージアは僕と同じ、エウリスの出身だもんね」
「そうね、アンバー。わたしの母が風だから、わたしも十五歳まで、あの国にいたのよ。父とは四歳の時に別れてから、会っていないから」
「ロージアのお父さんって、アーセタイルの人なんでしょ? 行ったら会えるかもね」
 そう言ったリセラを、ロージアは鋭い眼差しで見た。
「会いたくはないわ」
 その口調は有無を言わさない、鋭いものがあった。
「それにあなたも、考えなしにものを言わない方がいいわ、リル」
「ごめんなさい……」リセラは少し決まり悪そうに謝る。
「おいらも土って言っても、ロージアと同じで、ディルトなんだよなぁ」
 ペブルが、女性二人のやり取りなどまったく気にしていないような口調で、そう言いだした。「それでもって、おいらのとうちゃんも、おいらが子供の頃にマディットに帰っちまった。それっきり、会ってないや」
「そして私は色抜けだ。まったく、純粋な土エレメントはいないね。アーセタイルへ行っても、苦労するんじゃないかな」
 ブランが少し顔をしかめ、首を振った。
「そうね。見た目はサンディが一番純血っぽいけれど、本当は違うし」
 リセラも少し苦笑しながら、少女を見やる。
「一番の問題はポプルの確保だな」ディーは微かに首を振った。
「アーセタイルじゃ、ほとんど緑ポプルだろうしな。他の色は市場に行けばあるだろうが、数は少ないし、高い」
「わたしやペブルはそれでもいいけれど、他のみんなは、ね」
 ロージアも考え込むような表情で、仲間たちを見やる。
「まあ、アーセタイルに定住する必要はないわけだが。アーセタイルを目指すのは、あくまでミディアルから一番近い、というだけだからな。できるだけ早く通過して、他へ行ってもいい。と言っても、どこもミディアルのようなわけにはいかないが」
 ディーの言葉に、他のみなもため息混じりに頷いている。
「新しいミディアルを興すって、ミディアルの王様に頼まれたけど……」
 アンバーが空を見上げながら言いかけ、
「そう簡単には、いかないだろうな」
 フレイは海に目をやりながら、少し顔をしかめて首を振る。
「いかないだろうな、たしかに。もし旅の途中で、どこにも所属していない広い土地があったら、可能だろうが」
 ディーは微かなため息をつくと、もと来た国の王女を見た。
「ところでミレア王女、一つあんたに聞きたいんだが」
「はい……」
 薄い茶色髪の少女は、おずおずと目を上げた。彼女は一行に加わってからも黙りがちで、サンディやリセラに話しかけられても、言葉少なに返事するだけだった。急に環境が変わったから、それに国と家族をなくしたショックからだろうと、一行はそんな王女をそっと見守っていたのだが。
「なんであんたは、蜜花のジュースを飲まなかったんだ? 好きだったとあの女官が言っていたが」
「好きだったの。本当に。でも、急に……少し苦くなって」
 王女は甲板に目を落とした。
「苦くなった?」
「ええ。ポプルだけのほうが、すっきりした甘さに感じて……」
「どう解釈すれば良いだろうな、それは。身体が拒否したのか、何かを感知したのか、それとも……」
 ディーは考え込んでいるような顔で、ふっと視線を海に向けた。そしてもう一度目の前の王女を見、言葉を継いだ。
「ともかくだ。国王の最後の願いが、新たなミディアルの復興。そしてたぶん俺たちにとっても、最終的な目標はそこだと思う。みんながもう一度、快適に生きていけるためには、もう一度俺たちのようなはぐれものの新天地を作るしかない。それは、多くの労力と時間がかかるだろう。それでもだ」
「そうね」リセラが頷き、
「まあ、そうできればいいな」と、フレイも声を上げる。
「たしかに」
 ブルーもアンバーも、ロージアもレイニも、ブランとペブルも、いっせいに頷いていた。
「でも……新しい国を興しても……それはもう、ミディアルじゃない」
 ミレア王女が、今にも泣き出しそうな風情で、小さくそう声を上げた。
「お父さまもお母さまも、兄さまたちもいない。エルアナフも……もうない」
「だがそれを嘆いても、取り返せるわけじゃない」
 ディーは一瞬空に目をやった後、きっぱりとした口調で告げた。
「失ったものを、嘆くことはできるだろう。ミディアルを滅ぼしたマディット・ディルを、恨むこともできるだろう。そしてそれゆえに闇の血を引くもの、たとえば、俺なんかだな――を嫌うこともあると思う。が、それで何の益がある? 恨んだり憎んだり嘆いても、失ったものは、もう帰ってこないんだ。よけいな力を使うだけ無駄だ。俺たちもそうだ。俺たちはミディアルで、満ち足りて暮らしていた。リルが言ったように、月並みな言葉で言えば、俺たちなりに幸せだった。そうだな」
 一行はみな頷いていた。リーダーは言葉を継いだ。
「だが、それはなくなってしまった。どうしてなんだ、とか、誰のせいだ、とか憤っても責めても、なくなった事実は帰ってこない。それなら、どうすればいいか。そこから考えなければならないんだ。だからとりあえず、大目標を決める。新しいミディアルを興す、と。それは、あんたの父親の遺言だ。俺たちも利害関係が一致するから、それに乗る。でも肝心のあんた自体はどうだ、お姫様。前に進む気がないのなら、本当に足手まといになるだけだぞ」
「ディーったら、王女様はたしか、まだ十二歳なのよ。厳しすぎるわよ。それまで幸せな王女様だったんだから、そんなに気持ちを切り替えられないわ」
 リセラがかばうように少女の体に手を回し、そう抗議した。
「わたしは、記憶がなくなって、砂漠に捨てられたところを、みんなに助けてもらったの」
 サンディは王女の手を握り、言った。
「そうなの?」ミレア王女は驚いたように顔を上げた。
「そうなの。わたしは、外の世界から、来たみたいなの。前の記憶がないから、まだ悲しいとか、帰りたいとか、そう言う気持ちはないのだけれど」
 サンディは頷き、言葉を継いだ。「でもみんな、とてもいい人よ。ディーさんは、言葉は厳しく感じることもあるけれど、わたしたちのことを思ってくれているのが、わたしもわかるの。わたし、まだ言葉が覚えたてだから、ちょっとたどたどしくて、ごめんなさいね。でも、あなたの気持ち、わかる。悲しいのよね。でも、がんばって、生きていきましょうよ。一緒に。みなさん、とてもいい人たちだから」
「ありがとうね、サンディ」
 リセラは微笑み、少女の背中をそっと叩いた。そして王女に向かって、優しい口調で声をかけていた。
「ねえ、ミレア王女。あなたが悲しいのは、仕方がないことだわ。でもとにかくあなたはこうして、生きてこられた。それが王様や王妃様や、お兄様たちや、お城の方たちの願いなら、あなたはみんなのためにも、生きなければならないのよ。そうすればエルアナフの王宮の人たちも、きっと喜んでくれるわ」
 ミレア王女はしばらく黙り、やがてしくしくと泣き出した。そしてひとしきり泣いた後、小さな声で問いかける。
「わたしは、どうすればいいですか?」と。
「とりあえず、俺たちと一緒にいてくれればいい。アーセタイルに着いても」
 ディーはいくぶん穏やかな目で王女を見ながら、そう答えた。
「ただ、いればいい。あんたに、サンディのような働きは期待していない。それに、そうしなければならないと思う必要もない。あんたを助けることの報酬は、もうたっぷりもらったからな。めそめそしていても、むっつりしていても、別にかまわない。ただ、そこから海へ飛び込んだり、食事を取らなかったりしなければな。とりあえず生きていてくれ。やけになるな。それだけだ」
 王女は少し驚いたように目を見開き、そして微かに頷いた。その目から、再び涙が流れ落ちる。サンディとリセラがそっと寄り添い、なだめるようにその身体に触れた。
「わたし、あなたのファンでした、ディーさん」
 ミレア王女は目をあげ、小さく告げた。
「それに、ロージアさんにも、憧れていました。だから今回も、見に行ったの」
「あら、そうなの?」
 リセラがそう声を上げ、ロージアの方は少し照れたように、微かに微笑んだ。
「でも実際は怖い人だな、って思ったの。いきなり足手まといになる、とか言われたから。でも……本当はやっぱり、優しい人なんですね」
「そう言われると……照れるから、やめてくれ」
 ディーはきまり悪げに顔をほころばせ、
「見た目や言葉は、一見厳しいからなぁ、ディーは」
 フレイは笑っている。
「でも本当にみなさん、いい人ですよ」
 サンディが無邪気な調子で、そう言い足した。

 その翌日も再び甲板で、一行は話し合っていた。
「このまま行くと、たぶん三日後にはアーセタイルに着くだろう。目指すのは、東南端の港町、バジレだ。ペブル、ブラン、おまえたちはアーセタイルに住んでいたのだから、もし知っていたら、教えてくれ。ここはどんな町だ?」
 ディーは船に積んであった地図のようなものを甲板に広げ、二人の顔を見た。
「おいらは北の方の、ロッカデールとの国境に近いところに住んでたから、南の方は良くわからないな。あんたの方が知ってるんじゃないか、ブラン」
「うん。ある程度はね。でも行ったことはないな」
 白い髪の小柄な若者は首をかしげ、言葉を継いだ。
「バジレは、そんなに大きな港町じゃないんだ。南だったら、西側のパンデルの方が大きいかな。停泊は、港に空きがあったら、お金を払えば入れてくれるよ。アーセタイルの通貨は、まだ我々は持っていないけれど、稀石でも大丈夫じゃないかな。基本、アーセタイルの人間は、気性はのんびりしている。だから……そうだなあ、フェイカンとか、北のロッカデールよりは、ましかもしれないね」
「そうか。それなら大丈夫だな」
 頷くディーに、フレイが問いかけた。
「でもアーセタイルに着いたら、とりあえず何をするんだい」と。
「そこでミディアルのような放浪生活ができればいいが、まず無理だろうな。興行はミディアルだからこそ、できたものだし、臨時雇いの仕事にしてもな。せめて車の中での寝泊まりができればいいが」
「街の中では無理かもしれないね。外でなら大丈夫だけれど」
 ブランが考えるよう言い、
「街で広いところと言ったら、広場くらいしかないし、あそこに車止めたら、怒られそうだなあ」と、ペブルも少し苦笑いしながら、付け加える。
「そもそも、よそ者が街の中に入ってもいいのか?」
 ブルーが少し心配そうに、そうきいた。
「ああ。歓迎はされないかもしれないけれど、どこでも自由だよ」ブランが頷く。
「アンリールではダメなの?」
 リセラが少し驚いたようにそう聞いた。
「全部じゃないけどな。立ち入り禁止区域があるんだよ」
「フェイカンもそうだな」と、フレイも頷く。
「でも今までの収入と、それに王女様を連れ出すことで、かなり報酬をもらったから、何もしなくても、一年くらいは大丈夫じゃないかしら」
 ロージアの言葉に頷くと、ディーは少し考えるように黙った後、告げた。
「そうか。まあ、それなら少し余裕はあるが、一年たったら尽きるとしたら、やはり多少の対策が必要だな。それに、最終目標のためにも、いつまでもアーセタイルにいて金を消費するわけにはいかない。そう、四十日ほどいて、ただ消費するだけで埒が明かないと思ったら、さっさと次に行った方がいいだろう」
「次って、どこへ?」
 問いかけるアンバーに、ディーは答えた。
「新天地を探すなら、海だろうな。そうなったら、また船に乗って、どこかへ行こう。海を突っ切るような形で。アンリール、エウリス、ユヴァリス――そのあたりだろうな。その途中に運よく島を見つけられたらいいが、そうでないなら、また振り出しだ。他の国に上陸して、報酬を得られる仕事が運よく見つかればそれをやり、ダメなら次へ行く。そのくりかえしだろうが……」
「それは本当に、運だな」ブルーがむっつりとした口調で言い、
「でもまあ、仕方がないんじゃないか」と、フレイは首を振る。

 その間も、船は海原を進み続けていた。力強い動力源で、かなりの速さで。王家の所有だけあり、ミディアルの技術を駆使して作った、かなり高価な船なのだろう。その間、見渡す限り青い世界で、島らしきものもなかった。
 一行がミディアルの港町ディスカを出て、六昼夜がたとうとしていた。その間ずっと海は穏やかで、空は晴れていたが、七日目の朝、空に雲が集まり始めた。それはお昼ごろにはかなり厚い雲となり、同時に風も吹いてきて、やがて雨が降り始めた。その頃には西の地平線に陸地が――アーセタイルの岸辺が見えてきていたが、だんだんと強くなる雨に視界はかすみ、風も激しさを増していって、夜になる頃には完全に嵐となった。吹きつける風に船は激しく揺れ、甲板には水が溜まり始めた。
「早くアーセタイルに着くか、嵐がやまないと、危ないかもしれないな」
 ディーは舵の前に立ち、陸地があるはずの方向に目をやりながら、うなるように呟いた。そして、仲間たちを振り返る。
「みんな、うろちょろするなよ! 下手をすると、海に落ちるぞ。まあ、ブルーとレイニは大丈夫だろうが、それ以外は、船室の中にいた方がいい」
「この揺れだと、気持ち悪くなりそうだよ」
 アンバーがマストに捕まりながら言い、ブランも青い顔をしている。
「それはそうだろうが、外よりましだ。ロージア!」
 ディーはそう声を上げた。
「なに?」銀髪の女性が言う。
「船室に戻って、稀石を十個の小袋に分けてくれ。なければ小布に紐を結んだものでもいい。それをみんなに手渡して、残ったものはおまえが保管してくれ。揺れるから、こぼさないように気をつけて。それと、色つきポプルも十個くらいずつ、それぞれにあった色を分けて、袋に入れてくれ。できたら白も二つくらい追加して」
「ええ……でも、なんのために?」
「万が一のためだ」
「ええ……わかったわ」
 ロージアは青ざめた顔で船室へと戻っていき、半カーロンほどのちに、十個の小さな布袋と、色つきポプルが十個、それに白が二つつまった袋を十、手に持って現れた。そしてめいめいに手渡していく。その頃にはさらに雨と風、そして船の揺れが激しくなり、じっと立っているのが難しい状態だった。その作業にも何度もよろけ、時には落としそうになりながらも、とりあえず全員に配り終えた。
「みんな、稀石の袋はポケットに入れて、ポプルの袋は腰に縛って、失くさないようにしろよ! それと、持っていきたいものがあったら、まとめておけ」
 みなはそれぞれ荷物をまとめるために千室に引っ込み、やがて再び看板に集合した。そのころには、雨風はますます激しくなり、船は大きく左右に傾きだしていた。
「でも、万が一ってことは……最悪の事態になるかもしれないってこと?」
 アンバーは雨でびしょびしょになった服の袖を絞りながら、不安げな表情を浮かべた。
「ディーのカンって、やたら当たるからなあ。今回ばかりは、本当に当たってほしくねえ。というか、俺は水が大嫌いだ。アンバー、服絞っても変わらないぞ。どうせ、すぐ濡れるからな」
 フレイが激しく身震いしながら言う。
「俺は、水は気にならんが、さすがにこれはきついな。この揺れもな」
 ブルーの髪は流れ落ちる雨と一体になって、まっすぐに頭に張り付いていた。
「ここまで揺れがきついと、気分が悪くなる暇もなさそうね」
 リセラもやはり青い顔をしている。
「怖い……」ミレア王女は船室の扉に捕まったまま、震えながら呟いた。
「わたしも。だけど、嵐が収まれば、きっと大丈夫」
 サンディも青ざめてはいたが、自分に言い聞かせるように言い、王女の手を握った。
「お、おいらってバランス崩さないために、動かない方がいいのかな」
 ペブルは甲板の真ん中で戸惑ったように声を上げ、
「おまえの重量くらいじゃ、普通は大丈夫だがな。ただ同じ方向に傾くと、この状態だと危ないかもしれないな……」
 ディーは振り返ってそう言いかけ、言葉を止めた。彼の顔色が変わり、息を飲んだように立ちすくんだあと、声を上げた。
「危ない! みんな、マストから離れろ!! ペブル、おまえもだ!!」
「えっ?」
 甲板にいた八人は――ミレア王女とサンディ、ロージアは船室との連絡通路にいたので――瞬間、わけがわからないという顔をしたが、その口調にただならぬものを感じたのだろう。ほとんど反射的のような動作で、船の中心部から離れた。
 ほぼ同時に、空に鋭い光が現れた。それはまるで剣のように、マストの上から船体へと貫いた。激しい音響とともに。雷はそれまでにも鳴っていたが、それが落ちたのだろう。
 船はいっそう激しく揺れた。甲板に散らばった八人は転び、何人かは海に落ちかけたが、全員手すりをつかんで、這い上がることができた。中にいた三人も、揺れで壁に身体を打ちつけたが、とりあえずは無事だったようだ。
 しかし落ちかかった雷は、船底に穴を開けたようだ。船の中に水が入ってきて、慌てて中の三人、サンディ、ミレア王女、ロージアが甲板に出てきた。
「まずい。沈むぞ!」ディーが緊迫した声を上げた。
「わー、またディーの悪い予感が的中した!」
 アンバーがそう戸惑ったように言い、
「そうだな、って、そんなこと言ってる場合じゃねえ! どうすんだ?」
 フレイが少し怒ったように叫ぶ。
「救命ボートを下ろしましょう」
 ロージアとレイニがその場所に駆け寄り、ロープを解こうとしたが、それは長い間使われていなかったために固まってしまったらしく、到底ほぐすことができなかった。ナイフで切ろうとしても、びくともしない。

 そうしている間にも、船はどんどんと傾いていった。
「無理だ、間に合わない……」
 ディーがうめくように言い、周りを見回した。そして一瞬の間に決心を下したように叫んだ。吹きすさぶ雨風の音に逆らうように。
「みんな! この船はもうすぐ沈む! 車は持ち出せない! ただ、アーセタイルはすぐそこだ。そのはずだ。だから、ブルー、レイニ! おまえたちはフレイとロージアを連れて、泳いでアーセタイルを目指してくれ! 完全に沈んでからだと流れに巻き込まれるから、今のうちに」
「けっこう無茶な案だな。しかも、こいつを乗せてくのかよ」
 ブルーは微かに顔をしかめ、
「悪かったな。でもここでは、俺はケンカを売れる立場じゃないな」
 フレイは緊張に青ざめながら言う。
「でも、それしか道はないようね。あなたたちはどうするの?」
 レイニが気遣わしげにきいた。
「俺たちは飛んでいく。だから心配するな。早く行け。無事に向こうへ着いたら、バジレで落ち合おう。稀石を水に流されないよう、気をつけてくれ! 食料やみんなの持ち物は最悪なくとも何とかなるだろうが、あったほうがいい。それも流されないように」
 ブルーとレイニは「わかった」と頷き、フレイとロージアの手をそれぞれ取って、甲板から海へと飛び込んでいった。水に入ると、フレイはブルーの背に、ロージアはレイニの背中にそれぞれ這い上がり、下の二人はすばやく、アーセタイルのある方向、西へと向かっていく。その二人の姿を見送りながら、ディーは残った仲間たちに目をやった。
「さて、あとはどういう配分で行くかだが……リルはサンディを連れて行ってくれ。この雨風の中を飛ぶのだから、おまえは出来るだけ軽いほうがいい。あとは、ブランと王女様とペブルだ。先の二人セットで、ペブルとどっちが重いかだが、ペブルのほうが重いだろう。どっちがどっちを連れて行くかだが、迷っている時間は、あまりなさそうだ。アンバー、おまえが一番飛行力はある。だから、おまえが王女様を連れて行け。ブランも一緒に。俺はペブルを連れて行く。あとの注意は、海を行く連中と同じだ。無事にアーセタイルへ着いたら、バジレで落ち合おう」
「わかった」アンバーは頷き、それぞれの手にブランとミレア王女を抱え、翼を広げて、空中に飛び上がった。そして少し蛇行しながら、西を目指していく。
「逆風がすごいな! 厳しい!」
 そんな声が微かに聞こえてくる。
「あたしたちも行くわよ」
 リセラがサンディを背後から抱えて、飛び上がった。その背から羽が開いて、吹き付ける雨と風に逆らうように、やはり少し蛇行しながら、進んでいく。同時にディーもペブルを抱えて、空に飛び出した。普段よりは、かなり低い高度だ。
「ペブルは重いから、ディーも大変ね」
 リセラがそう呟き、ぎゅっと腕に力を込めてサンディを抱いた。
「あたしの手に捕まってて。絶対、落とさないようにするから」
「はい」サンディは緊張しながら、腕に力を込めた。
 眼下では、船が海の中に沈んでいくところだった。渦を巻きながら、吸い込まれるように、銀色の船体がゆっくりと水の中へ消えていく。吹きつける雨と風の向こうで、ほかの仲間たちの姿は、もう見えなかった。
 
「サンディ、西ってどっちかしら。みんなが飛び出した方向だから、あってると思うけど……あたし、自信ないのよ」
 しばらく飛んだところで、リセラがそう聞いてきた。彼女のピンク色の髪は頭から背中にかけて、ペッたりと張り付いていた。その翼にも雨が当たり、風が当たる。
「わたしも、よくわかりません。ごめんなさい」
 サンディは、そう言うしかなかった。
「そうよね。この方向で当たっていると、信じましょう」
 リセラは前へと進んでいった。時おり風に押し戻され、時々は海面近くまで高度が下がりながら。そしてようやく二人の目に、アーセタイルの岸辺が見えてきた。
「ああ……もう少しよ」
 リセラは、ほっとしたような声を上げた。彼女の顔は雨だけでなく、汗でも濡れているようだったが、それが交じり合って、サンディの頭に落ちていた。彼女の髪もすでに雨で頭に張り付いていたが。
 リセラの飛行能力は、他の二人に比べて弱い。火のエレメントが混じった分、損なわれたのだという。それゆえ、一番軽量のサンディ――いや、一番軽量はミレア王女なのだが、彼女に対しては、一行には救出義務という責任があり、賭けは許されない。それゆえ、より信頼性のあるアンバーの担当になったのだろう。彼の飛行能力は、三人の中で一番高いのだから。だが激しい逆風は、風の民にはかなり障害になるのと、アンバー自身も比較的小柄なために、ペブルでは荷重がかかりすぎるかもしれない。それゆえ、ディーがペブルを引き受けた。自分も過重オーバーになるリスクを背負って。
 それでも、やはりリセラにとって、軽いとはいえ一人余分に抱えて激しい嵐の中を飛ぶのは、能力の限界を超えていたのだろう。もう少しで岸辺に届く、というところで、彼女の翼は止まった。薄紅色の翼は雨に濡れて背中に垂れ下がり、二人は海に落ちた。
「ごめんね、サンディ……あと、少しなのに」
 リセラが自分を抱きしめて、呟くように言うのが聞こえた。それに返答するまもなく、水が二人を包み込んだ。そして、サンディの意識もなくなった。




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