光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第一部 逸れ者たちの新天地ミディアル(5)




 洗濯や買い物を終え、休養も取った一行は、その次の朝、エルアナフを出発する準備をしていた。その時、二人の男が広場に駆け込んできた。一人の顔には、見覚えがある。この街で、バーナクという花と蜜花を混ぜた飲み物を売っていた、飲食店の店主だった。
「おお、まだいてくれた! 出発はちょっと待ってくれ。頼みたい仕事があるんだ!」
「仕事?」
 二台目の、荷物を入れている乗り物に敷物を畳んで入れようとしていた一行は、その言葉に手を止め、ディーが代表してそう問いかけた。
「ああ」男は赤い顔をして、息を弾ませながら頷く。
「受けられるかどうかは、ものによるが……どんな依頼なんだ?」
「バーナクの花の……」
 男はそう言い、少し言葉を切ったあと、早口に続けた。
「いや、取ってきてくれと言うんじゃない。それ自体は、少し距離はあるが、平原にある花だ。ああ、いや、もし見つかったら一緒に持ってきてほしいが……そうじゃない。それをとりに行った連中が、戻らないんだ。だから、探してほしい」
「人探しは時間がかかるから、あまり引き受けたくないな」
 ディーは微かに眉根を寄せた。
「いや……連中は勝手にどこかへ行ったりしないと思う。最初から言う。聞いてくれ。一昨日の昼、私ともう二件の店の、バーナクの飲み物を出しているところの店主たちが、それぞれの店の人間を、バーナク摘みに出した。うちからは二人、もう一軒も二人で、三軒目は一人、都合五人だ。連中は駆動車付きの車で、花を摘みに出かけた。ここから二カーロンもあれば着ける場所だ。連中は、昼の五カルに出発した。だから夜になるまでには帰ってくると思っていた。ところが帰ってこなかった。次の朝になっても。それで昨日、もう四人送った。そこへ行って見てきて、ついでに花を回収して来いと。それが昨日の朝だ。昼の三カル前のことだ。でも今になっても、そいつらも帰ってこないんだ」
「つまりバーナクの花をとりに行った九人が、誰も帰ってこないと」
 ディーは眉根を寄せたままで、険しい口調になっていた。
「ああ」店主ともう一人の男は、気遣わしげに頷く。
「それで、俺たちにどうなったか、様子を見てきてほしいと言うわけなんだな。あまり、良い予感はしないが」
「あんたたちは腕っ節が強いから、何かあっても、きっと帰ってこられると信じている。蜜花の化け物鳥も倒したって言うじゃないか」
「だが、あまりに危険が大きかったら、俺たちでも無理かもしれない。その場合はその場を逃げて、何があったかだけを報告する感じになるが、それでもいいか?」
「ああ、やむをえない」男たちは頷いた。そして一人が付け加える。
「だが可能なら、出来るだけ助けてやって欲しいし、花もできたら持ち帰ってほしい。もちろん、報酬は弾む」
「あくまで、可能だったらな。それでもいいなら……あんたたちの荷車を一台貸してくれ。それから、前金で五十ブエルほしい。人や花を持ち帰れたら、帰った時に、その分を上乗せということで、それでいいなら、引き受けた」
「ああ」
 二人の男は頷き、金貨を三枚と銀貨を五枚渡した。
「荷車は、うちの店に来てくれたら、渡す」
 最初に見た店主でない男の方が、そう言い足した。この男もきっとバーナクの飲み物を出している別の店の主人なのだろう。
「場所は?」
「ダーベリック通りの六区画にある、『紫の煙亭』と言う店だ」
「わかった。それと、九人が向かったという、バーナクの花の生息地を教えてくれ」
「ここから東に四十キュービットほど進んだ、サラヴィオ草原の中に生えている。見通しの良い場所だ」
「わかった」
 ディーは遠くの王宮の塔にある、時間表示に目をやった。
「昼の三カル半には、出発できるだろう。とりあえず、夜までに戻る予定だ」

「それにしても、九人誰も戻ってこないなんて、何か良くないことがあったとしか思えないわ。大丈夫かしら」
 男性陣が荷車を取りに行き、戻ってくると、リセラが懸念を隠せない表情で、首を振った。
「もしかして、エラモス山で襲ってきてみたいな鳥……なんて言ったっけ、あれ……それが他にもいて、襲われたとかかな」
 アンバーが首をかしげて、怪訝そうに言う。
「ラーセラスだな。それは俺も考えた」
 ディーが借りてきた荷車を最後尾に連結しながら、頷いた。
「そういや、一匹だけとは限らないって、言ってたなあ、ディー。ミディアルの連中じゃ、あれに襲われたら、ひとたまりもないだろうな。蜜花は、壊されたのは機械だけだったらしいが」フレイが首を振って言い、
「その時はそうだったのだろうが、この間は明らかにアンバーを襲ってきたからな。まあ、機械がなかったからなのかもしれないが」
 ブルーが同じく首を振って、付け加える。
「バーナク採取も、機械は使わないからね。だから人間なんだろうか」
 ブランがふっとため息を吐いた。
「とりあえず、一度街の外へ移動しよう。最初にここに来た時にいた場所へ……そこで荷物車と舞台車を外して、居住車の後ろに、この荷車を連結する。ペブルとブランは、いつものように見張りをしてくれ」
 ディーの言葉に、一行は頷いて、街を後にした。

 荷物車と舞台車の見張りにペブルとブランを残し、残る八人は出発した。三台の駆動車に三人ずつ――サンディはレラを持たないので引っ張ることは出来ないため、残る七人でかわるがわる引っ張りながら、東に向かって進んでいく。一行は西側から来たため、東側の地域は、サンディには初めてだった。エルアナフの町が遠ざかるにつれ、岩と茶色い大地が広がり、そこを抜けると、草原地帯に出る。その向こうに、山の連なりが見えた。聳え立つほどではないが、かなりの高さだ。
「あれはレイボーン山脈よ」レイニがそう説明してくれた。
「ミディアルの中央、東側よりにある山脈なの。あそこを超えるのは大変だから、人はみな海沿いを通って、東側に出ている感じね。私たちのルートもそう。ずっと海沿いに山を回りこむ感じになるのよ」
「そうなんですね」
 サンディは頷いて、行く手に青く見える山々を眺めた。
「今回は、そこまでは行かないがな」ディーが振り返り、告げた。
「そろそろサラヴィオ高原だな」
 彼は幌の入り口を開けて顔を出し、引っ張り手の三人に声をかけた。
「フレイ、ブルー、アンバー、そろそろ目的地が近い。気をつけて進んでくれ。アンバー、何か見えるか?」
「いや……」
 黄色い髪の若者は目の上に片手をかざし、草原を透かすように見ていた。
「今のところは、何もないなぁ」
「そうか。周りを良く見て、気をつけて進んでくれ。何か見えたら、教えてくれ」
 ディーは再び居住車の中に戻り、
「わかった」と、アンバーは頷いている。
 それから十ティルも進まないうちに、アンバーは声を上げた。
「なにかある! 荷車みたいだ。何台か……それに、他にも……」
「どこだ?」ディーが再び幌から顔を出し、問いかけた。
「あっちの方だ」アンバーは中央より少し左側を指し示した。
「もう少し進めば、たぶんみんなにも見えると思う」
「アンバーさんは、目が良いんですね」サンディは少し感嘆して言い、
「あの子は、ほぼ風の民だからね。『鳥の目』なのよ。普通の人の三、四倍遠くを見ることが出来るの」リセラがちょっと笑って答えていた。
 
 それから数ティルほど進んだ時、再びアンバーが声を上げた。
「うわ! ひどいな……あれ、みんなは見ないほうが良いかもね。特に女の人は」
 その頃には、他のみなにも荷車らしき小さな黒い影と、草原に散らばる黒っぽいものが小さく見えてきていた。
「たしかにな……」
 ディーが幌から半ば身を乗り出し、前方をにらんだ。
「うおぅ、なんだか嫌な予感がするな。見たくねえ」
 フレイが顔をしかめ、うなるような声を出す。
「おまえは血に弱いからな。柄にもなく」と、ブルーが言い
「柄にもなく、は、よけいだ」と、こんな場でも、フレイは反論する。
 それは何人もの男の、命の抜けた残骸だった。三台の荷車にはしおれたバーナクの花が摘まれ、そのうちの一台はひっくり返って、周りに紫の花が散らばっている。ただ荷車自体に損傷はなく、そのかわり男たちの体には、大きな穴が開いていて、そこから濁った白い液体が飛び散っていた。二人ほどは、頭が破裂したようになくなっている。
 ディーは居住車から飛び降り、地面に降り立った。そして翼を広げて空中に飛び上がり、俯瞰するようにその光景を見た。
「一、 二……三……四」
 どうやら彼は、草原に散らばった男たちの人数を数えているようだった。ディーはやがて頷いて地面に降りると、翼を畳み、頭を振った。
「どうやら九人全員いるようだ。最初に行った五人と、後から来た四人。傷み方に差があるから、そうなんだろう」
「しかし、ひどい匂いだな」フレイが鼻をつまんだ。
「おまえは鼻が大きいから、よけいだろうな」ブルーは軽く鼻を鳴らす。
「うるせえ、大きいんじゃない。高いんだ」
 フレイは鼻から手を離して叫び、慌ててまたつまんでいる。
「でも、命がなくなったら、溶けるはずなのに。かなり時間がたっているのに……」
 アンバーが少し顔をしかめながらも、不思議そうに言った。
「ミディアルの人間は――特にエルアナフの住民は、不純物が多いからだろう。レラもない状態で、ポプル以外のものも食べているわけだからな」
 ディーが眉を寄せながら、少しだけ首を振った。
「彼らをこんな風にしたのも、あのラーセラスという怪鳥なのかしら」
 ロージアも眉をひそめながら、懸念をにじませた口調で言う。
「たぶんな。この穴の開き方はそうだ。頭のないものは、そこをつつかれたんだろう。ミディアルの人間には、どうしようもなかっただろうな」
 ディーは頭を振り、ため息をついた。
「この人たちは気の毒だけど……積んで帰るの、なんだかあまり気が進まないな」
 アンバーが少し身震いながら言い、
「俺もそうだが……でも、つれて帰る約束なんだろ?」
 フレイはぞっとしたような表情を浮かべている。
「ああ。だから荷車を借りたんだ」
「それでか。じゃあ、あんたはこの事態、わかってたのかい、ディー?」
 フレイが聞いた。
「最悪、その可能性はあるだろうと思ってな。九人全員が帰ってこないというのは、全員が帰ってこられない状態にある、と考えるのが普通だ。ただ……」
 ディーは言葉を止め、空を見上げた。
「問題は、攻撃者がどこに行ったか、わからないことだ」
「ああ、エラモス山の奴は、三日前にディーがやっつけたんだから、別のだろうし……でも、またパルーセでやっつければいいんじゃないか?」
「二、三匹なら、それもできるがな」
「またどこからか現われないように、気をつけて見てなくちゃ」
 アンバーが空の彼方に目を凝らすように、見上げた。
「ああ。じゃあおまえは、周りを見張っていてくれ、アンバー。ブルー、フレイ、それに女たちも大丈夫なものは、手を貸してくれ」
 ディーは男たちのほうへ近づき、リセラとロージアも居住車から降り立って、草原へ踏み出した。異臭にひるんだのか、片手で鼻をつまみながらだが。
「うー、俺は嫌だなぁ」
 フレイは顔をしかめながら、おっかなびっくりという風情で進み、
「情けない。リルやロージアですら、来ているのに」と、ブルーが鼻を鳴らす。
 最初の男の残骸を一行が持ち上げかけたところで、アンバーが声を上げた。
「あっ! あれは、なんだろう?!」
「何か見えたのか?」
 みなは手を離し、ディーが代表して問いかける。
「ああ。なんだか、大きな影のようなものが」
「え?」一行はその場に立ち止まり、その方向を見た。
「あの鳥か?!」ブルーとフレイが同時に叫んだ。
「いや……わからないけど、でもそれだったら点に見えるはずなんだけれど、広がっているんだ。雲のように……」
 アンバーは目の上に手をかざしながら、山の上の空を見つめていた。
「そうだ……まるで、黒い雲みたいだ。それがすごい速さで、山を越えようとしている」
「なに?」
 ディーが険しさを含んだ声を上げ、彼もまたその方向に目を凝らしていた。
 やがて山の彼方に、薄い黒雲のようなものが現われた。それをしばらく見ていたディーが、やにわに顔色を変え、声を上げた。
「みんな、居住車に戻れ! 早く!」
「え?」
 草原にいた仲間たちは一瞬怪訝そうな顔をしたが、その表情と声に、ただならぬものを感じたのだろう。全員が走って、居住車の中に飛び込んだ。
「幌を閉じろ! 動くな! 誰も音を立てるな!」
 ディーが押し殺すような声で命じ、ブルーとフレイが慌てた動作で幌の入り口を閉める。そして全員が居住車の中でうずくまった。
 やがて、小さな無数の羽音のようなものが聞こえてきた。それはだんだん大きくなり、その音量がやがて最大になると、また遠ざかっていく。その音が消えかけた頃、ディーがそろそろとした動作で幌をあけ、外を覗いた。
「なんとか大丈夫だったようだ……」
「あれは、いったいなんだい? 真ん中に大きな鳥がいて、その周りにたくさんの小さな鳥がいたように見えたけれど」アンバーが不思議そうにきく。
「あれは、ディフターとフィージャだ」
 ディーは深く息を吐き出しながら、答えた。
「マディットにいる鳥だが、ラーセラスとは違う。ディフターはメッセンジャーだ。離れたものの声を届ける。フィージャは……攻撃のために特化された鳥だ」
「大きい奴がメッセンジャー?」
「そうだな」
「小さい奴、相当いたよ。まるで雲のように見えたくらいに」
 アンバーは目を見開きながら、息を飲んだように言う。
「そう。あんな数に襲われたら、いくら俺たちでも無理だ」
 ディーは首を振り、鳥たちの群れが飛び去った西の空を見やった。
「急いで戻ろう。ペブルとブランが心配だ」
「え? こいつら、連れて帰らなくてもいいのかい?」
 フレイが少しほっとしたような口調ながら、そうきいている。
「今エルアナフにこの男たちを連れて帰っても、どうしようもないだろう。普通なら、埋葬してもらうんだろうが……俺たちが着く頃には、エルアナフはとんでもないことになっているかもしれない」
「ええ? あの鳥たちはエルアナフへ向かっているの?」
 リセラが片手を頬に当て、目を見開いて、声を上げた。
「方向からすれば、そうだ。それにディフターとフィージャの群れが来たということは、後からマディットの軍が来る公算が高い。普通、単体では来ないからな。ディフターのメッセージを聞けば、詳しいことがわかるんだろうが……」
 ディーは眉をひそめ、真ん中の駆動車に立った。
「とりあえず、急いでエルアナフに戻ろう。リル、ロージア……」
「わかったわ」
 二人は左右の駆動車に立つ。残りの五人は居住車に乗り、最後に空の荷車を連結したまま、車は走り出した。
 
 再びエルアナフの街が見えてきた時、駆動車の三人も、その後ろから幌を開けて前を見ていた五人も、いっせいに息を飲んだ。エルアナフを取り巻く街の壁、その上空にまるで雲が群がるように、黒い煙のようなものが覆っている。それは激しく動いていた。近づくにつれ、その動いているものはさっき見た、フィージャという小さい鳥なのだとわかった。それは大人が両手の掌を広げてつなげたくらいの大きさだが、その赤い嘴をあけると、そこから黒い光線のようなものが飛び出す。その下で、いくつもの悲鳴が重なって聞こえた。彼らはエルアナフの市民を襲っている――。
「これは……中に入ったら、俺たちも襲われそうだな」
 フレイが竦んだように言い、
「どうしたらいいのかしら……」と、リセラが詰まったような声で囁く。
「もう街の中には、入らないほうがいい」
 ディーが街の城壁に目をやり、首を振った。
 エルアナフの中央にそびえる王宮の、ひときわ高いところにとまっている、大きな黒い鳥が見えた。その鳥が、何か言っているようだ。だが、それが何を言っているのかは、聞き取れなかった。耳のいいアンバーですら、「他の音が大きすぎて聞き取れない」と言った。
「とりあえず、街の外まで行ったら、聞き取れるかもしれない。ペブルとブランのところへ行こう。無事だったらいいが……」
 ディーは頭を振って告げた。

 二台の車は、城壁の外、最初に止めた場所にそのままあった。留守番の二人は見当たらなかったが、八人がそばに行くと、荷物車の幌の入り口が開いて、ブランが顔を出した。
「ああ、良かった。みんな無事に帰ってきてくれた!」
 白い髪の若者は、感嘆したような声を出していた。
 その後ろから、黒髪の太ったペブルも顔を出してきた。
「ああ、おっかなかった。いきなり黒い鳥がいっぱいやってきて、門番の兵士達を倒したんだ。ブランが中に隠れた方がいいって言って、それからずっと隠れてたんだ。みんなが途中で襲われたんじゃないかって、心配だったよ」
「ああ。おまえたちも無事でよかった」
 ディーもほっとしたような口調だった。
「とりあえず、みんな外に出て、車の連結を元に戻そう」
「大丈夫かな……」
 全員が、再びおっかなびっくりという風情で、降りてきた。
「今のところ、連中は街の中だけを襲っているようだしな。気づかれなければ、大丈夫だろう」
 ディーは最後尾の荷車を切り離し、再び荷物車を連結させた。それぞれの車は、かなり頑丈なひも状のもので、ぐるぐると結び付けられていた。
 街の中からは、相変わらず多くの悲鳴が渦巻いていた。そして鳥の羽音と、もののひっくり返るような音、人が倒れる音――その中から、声が聞こえる。それは漂うように微かではあったが、ディーやアンバーを含めた何人かには、聞き取れた。
「聞け、ミディアルの穢れた罪びとたちよ。我がマディット・ディル帝国は大精霊様のお告げにより、おまえたちを滅ぼす。おまえたちは掃き溜めの塵芥だ。それがどうなろうと、どうでも良いと思っていたが、大精霊様が告げられたのだ。おまえたちの穢れは、このまま放っておくと、この世界全体の穢れになる恐れがあるので、憂いを今のうちに断て、と。それゆえ、すでに穢れを身体に取り入れているものは、この場で命を断つ。そうでないものは、罪を購うために、我が帝国の神殿建設の奴隷となるがいい。フィージャの部隊がまず粛清を行い、のちに軍が生き残ったものを奴隷として捕らえる。おまえたちはここに来るべきではなかった。そもそも掃き溜めの国の建国が、間違っていたのだ」
 それは、王宮の上にとまった、ディフターというメッセンジャー鳥が繰り返ししゃべっているものらしかった。それに被さるように、人々の断末魔の声、恐怖の悲鳴、走る音、物が倒れる音、断続的な破裂音、建物や壁が崩れる音、そして飛び回る無数の羽音と鋭い鳴き声が交錯して聞こえてくる。
 一行は言葉をなくし、その場に立ち竦んだ。
「マディットがミディアルを滅ぼす……」
 リセラが呆然とした口調で、そう反復した。
「ミディアルを滅ぼされたら……あたしたちに行き場はないじゃない」
「どうすりゃいいんだ……」
 フレイは当惑しきったような表情を浮かべている。
「ともかく、もうここにはいられない」
 ディーはうめくように、言葉を絞り出していた。
「悪い予感が当たってしまった……ラーセラスを見た時から。このままでは、みんなマディットに奴隷として連れて行かれるだろう。神殿建設の奴隷は、過酷だ。ミディアルの連中には気の毒だが、俺たちが助けることは出来ない。だが……おまえたちをそんな目にあわせたくはない」
「ミディアルを出なければいけないことに、なるかもしれないと言っていたのは、こういうことだったのね」ロージアが乾いた声で言う。
「でも、どうやってミディアルを出るんだい? それに、どこへ行くんだい?」
 アンバーが怪訝そうに問いかけた。
「港町ディスカに行けば、まだ船があるかもしれない。フィージャが着くより早く行ければ。もし船が確保出来たら、とりあえずアーセタイルを目指そう。そこが一番近い」
「アーセタイルか……あんまり帰りたくないな」
 ブランが小さな声で言った。
「それでも、マディットで奴隷にされるよりは、ましなのかもしれないわね。贅沢は言えないのでしょうけど」
 レイニがため息をつきながら首を振る。
「アーセタイルでは、もう興行はできないだろうな。こんな生活が出来たのも、ミディアルだからこそだったのに」
 ブルーはむっつりした表情で、ため息を吐きだした。
「そうだろうな。アーセタイルに行ったら、どうやって生きていくか、それもまた考えなければならないな。手持ちの資金が尽きる前に……」
 ディーは考え込むような表情をしている。
「でも幸いなことに、今回の興行はかなり好評だったから、資金的には余裕があるわ。問題は船がどのくらいで借りられるかだけれど」
 ロージアの口調は、励ますように響いた。
「とりあえず、行かなければならないのね。連中が街の外に繰り出すまでに」
 リセラが上空に渦巻く黒い雲のような群れを見ながら、小さく震える。
「でも、穢れを取り入れているって、どういうことだろう」
 アンバーも同じくぞっとしたような表情で空を見上げながら、そんな疑問を呈し、
「おそらくは……穢れた食べ物のことだ。水とポプル以外の。蜜花、バーナク……ひいては、エウルとピカンのような。レラを乱し、なくさせる、そう言ったもの……」と、ディーは眉根を寄せながら答える。
「それはたぶんミディアルが……ことにエルアナフの市民たちが、近年だんだんと享楽的になってきていることとも、つながっているんだろう。この世界の、明らかな異分子……それをマディットの精霊は、やがて世界に広がっていくことを予言したんだ。まだまだ、そうなるまでには長い年月がかかるのだろうが」
「穢れの元がミディアル限定である間に断て、ということなんだね」
 ブランがうなるように言う。
「ただそうなると、ちょっと心配だわ」
 リセラが懸念をにじませながら、サンディを見やった。
「え、わたしですか?」
「そうだ。それは俺も気になった。彼女は外の世界から来ている。当然、ここに来るまでには、いろいろと異世界の食べ物を食べているだろう。穢れと判定されなければいいが」
 ディーも気難しげな表情で、少女に目をやっている。
「もし穢れということになったら、あの鳥たちが追いかけてくるだろうなぁ」
 ブルーが空を見上げながら、苦い顔で首を振った。
「でも……でも、追撃されたからといって……サンディを置いていけないわ」
 リセラがそう声を上げる。
「できるだけは、逃げてみよう。あの時も……サラヴィオ草原でも、居住車の中に隠れたこの子を、フィージャたちは認識しなかった。だから、大丈夫かもしれない。サンディはここへ来てからは、ずっと水とポプルだけで生きている。もう三シャーラン以上。たまたま見つからなかっただけかもしれないが。サンディ、おまえは居住車に入れ。ディスカに着くまで、外に出るな」
「いいんですか……でも、もしわたしのせいで、みなさんが危なくなったら……」
「その時はその時だ。早く!」ディーは断固とした表情で促し、
「そうよ、こっちにきて!」と、リセラとレイニがサンディの手を引っ張り、一緒に居住車に乗り込んだ。
「ペブル、おまえは俺と一緒に、駆動車を引っ張ってくれ。あと一人……ロージア、悪いが、頼む! あとはみんな、中に入れ」

 そうして一行が出発しかけた時、街の門から二人の人影が出てきた。
「待って……お待ちください!! お願いですから!」
 それは真っ白い髪をした若い女性と、サンディより少し年少に見える、薄い茶色の髪の少女だった。少女の方には見覚えがあった。いつか興行を見に来た、ミレア王女だ。
「なんだ?」ディーは駆動車に立ったまま、相手を見た。
「私は王宮に仕える女官、エリアラと申します。お願いします。皆さんはこれから、街を離れるのですね。ミレア王女を、一緒に逃がしてくださいませんか。王の伝言なのです。王女は三シャーランの間、大好きだった蜜花のジュースを飲まれておらず。水とポプルだけしか召し上がっておられません。私もそうです。それゆえ、攻撃されずにここまで来られたようなのですが……どうやら、そのくらいの間、他の食べ物を食べていないものたちは、攻撃されていないようなのです。それで、王は仰いました。まだあなたがたが、街の外にいるはずだ。王女を一緒に連れて行ってくれるよう、頼んでくれと」
「王女を一緒に連れて行け?」ディーは驚いたように反復した。
「それで、俺たちにどんな利点があるんだ? 人助けか? だが、もしその王女様が言うことをきかないと、単なるお荷物になる。それに王女を助けて、王はどうするつもりなんだ」
「ミディアルの王家で攻撃されなかったのは、王女様だけでした。皆、亡くなられてしまいました。でも王は一撃で致命傷にはならなかったらしく、苦しい息の下から、私に仰られたのです。あなたがたに、ミレア王女を託してくれ。そしていずれ、新たなミディアルを興してくれ、と。穢れることのない、はぐれものたちの新天地を。ただでとは言いません。ここに王家が所有していた稀石と、船の鍵があります。ディスカに、王家の船があります。それに乗って、ミディアルを逃れてください」
 エリアラと名乗った女官は両手で包み込めるほどの大きさの袋と、銀色に輝く鍵を差し出した。
「そうか……」ディーは頷き、少女に問いかけた。
「俺たちと一緒に来ても、もうあんたは王女様じゃない。わがままはきけない。それでもいいか?」
 ミレア王女は無言で、かすかに頷いた。その顔は真っ青で、目には涙が溜まり、小刻みに震えている。
「それなら……」ディーは傍らの二人と目を見交わし、ついで居住車の中の仲間たちと相談をしに、中へ入っていったが、やがて出てきて頷いた。
「良いだろう。中へ入ってくれ」
 彼は鍵と稀石の袋を受け取り、その袋の中に鍵を突っ込んで、リセラに渡した。
「本来はロージアなんだが、彼女は駆動車にいるから、代わりに預かってくれ、リル」
「わかったわ」彼女は頷き、そして王女に笑いかけた。
「大丈夫。こっちへきて」
 差し伸べられた手を、ミレア王女は小さな手でぎゅっと握った。そして居住車の中へと入っていく。
「あんたはどうするんだ? 一緒に来るか?」
 ディーはエレイアという女官に聞いた。
「いえ、私はここに残ります」
「いずれ、マディットの軍が来るぞ。いや、その前に、フィージャたちが、今度は麻痺弾を打ってくるだろう。すべての攻撃が終わったら、生き残った連中に。そうしたら、もう捕らえられて、奴隷になるしかなくなるんだ」
「覚悟の上です。たぶんエルアナフにも、数は少ないけれど、同じ運命の人はいるでしょう。私はミディアル王家に使えるものとして、ここに残ります」
「マディットの神殿奴隷は過酷だぞ。俺はマディットにいたことがあるから、良くわかる。あんたじゃ、たぶん一年も持たないだろう」
「それでも……私まで行ったら、皆さんの足手まといになります。いいんです。早く今のうちに、王女様を連れて、お逃げください。そして、王女様をお願いいたします」
 彼女の薄い青い目には、悲壮ですらある光があった。
「わかった」ディーは頷き、そして仲間たちに告げた。
「出発するぞ! ディスカまで全速力だ!」
 一行は速度を上げて、エルアナフから遠ざかった。背後では相変わらず激しい音が入り混じって聞こえてくる。だが鳥たちの群れは、今はまだ、街の上空のみにいるようだった。やがてその音も遠ざかっていき、エルアナフの街も背後で小さな点になって、消えていった。




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