光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第一部 逸れ者たちの新天地ミディアル(4)




 翌々日から、エルアナフの第三広場で、一行は興行を始めた。広場の奥に興行車を止め、横についている両開きの扉を開けると、それはひとつながりの舞台のようになった。車内の壁は白く、上部と両扉についた銀色の飾りが効果的な装飾となっている。その上で、一行はいくつかの出し物をした。歌、寸劇、踊り――舞台には、さまざまな色の光や煙がときどき炸裂し、効果を盛り上げる。それはブランの手になる、光玉と煙玉の効果だった。最初に三人の女性たちが歌い、男性たちはそれぞれに、たぶんここでの楽器であろうもので伴奏をする。その一幕が終わると、興行車の前面に灰色の幕が下り、舞台装置が変わって、お芝居が始まる。それぞれが役割を演じ、その幕が終わると、今度は全員で歌いながら踊る。ディーやアンバーは身軽に曲芸技を披露し、ペブルはいわゆる道化役――みなを笑わせるような動作をしていた。レイニは優雅に、ロージアは研ぎ澄まされたように、そしてリセラは軽快に、それぞれの持ち味を生かしたダンスをし、ブルーとフレイはお互いに、戦いのような真似事をしていた。ブランは裏方に徹し、ときどき煙玉や光玉を投げる。そしてサンディは「とりあえず入場料を集める係をしてくれ」とディーに言われ、広場の入り口で、見に来る人々から、一人につき小さな銅貨一枚をもらっていた。
 興行は盛況だった。広場がほぼいっぱいになるほどの人がやってきて、みな楽しんでいるようだった。歓声を上げるものや手を叩くものも大勢いた。サンディは毎回、銅貨や銀貨がぎっしり詰まった袋を、一日の興行を終えた一行の元に持っていった。八日間の連続興行が終わった時には、一行にかなりの収入をもたらしていた。
「ここもたくさん人が来てくれて、良かったなぁ」
 八日目の夜、第三広場の観客たちがいなくなった場所で、いつものように食事をしながら、アンバーがそう口火を切った。
「本当、大成功ね。良かったわ」
 リセラも弾んだ声を上げながら、ポプルをほおばる。
「八日間で、だいたい二千ブエル……上出来ね」
 ロージアは微かに微笑みながらも、口調は変わらない。
「これでこの街の興行は、終わりなんですか?」
 サンディはそう聞いた。ディーは首を振った。
「いや、もう六日残っている。ただ、これから四日は中休みだ。少しのんびりしよう」

 休みの間、一行は湯浴みや洗濯をし、街を歩き、夜は車の中で寝るものと、近くの家の納屋で過ごすものに分かれた。全員が車の中で体を伸ばして寝ることができないが、エルアナフの街では、車の中は良いが、外で寝ることは禁止されているからだ。この納屋は街の有力者の一人が所有しているもので、その人の好意により、毎年興行の時には使わせてもらっていた。
 再び始まった六日間の興行、その四日目が始まる前、広場前に数台の車がやってきた。真ん中の一台は大きく、きらびやかな装飾がついていて、城にはためいているのと同じ旗がついていた。広場に集まり始めていた人々から、微かにどよめきに似た声が上がった。
「王様だ――」
「王様がお見えになった――」
 人々からいつものように入場料を集めていたサンディも、目を上げた。緑に塗られた何台もの車の中から兵士たちが降りてきて、道を作るように整列し、そして中央の大きな車の扉が開くと、やや恰幅のいい人物が降りてきた。その人はくるっと巻いた白い髪を耳のあたりで揃え、灰色の瞳の、ミディアルでは良く見る人間と、そう変わらなく見えた。金色のふち飾りが入った紺色の上着に、同じ紺色のズボン。王様で想像したような王冠はかぶっていず、マントも着てはいない。腰には兵士たちのように、長い剣のようなものを下げていた。そのあとから、薄い茶色の髪を形よく結い上げた女性が降りてきた。その女性の目は淡い茶色で、色は白い。彼女は、左半身は薄緑、右半身は薄いオレンジのドレスを着ていた。あとから、二人の若者が続く。二人とも髪は白く、目は薄い灰色で、年の頃は十代後半くらいだろう。最後に、サンディよりも若いだろうと思える少女が降りてきた。彼女の髪と目は母親のような淡い茶色で、花の装飾がたくさんついた、淡いピンクのドレスを着ている。
 先頭の男性はその家族らしき四人を引き連れ、大またに進むと、入り口で立ち止まった。
「おや、新入りだね」
 彼はサンディに目を留め、微かに微笑みを浮かべる。
「あ、はい……」
 サンディは顔を赤らめ、その場に深々とお辞儀をした。
「君はまだ、舞台には出ないのかい?」
「あ、はい……まだ……」
「これはアヴェルセイ国王。ようこそ、いらっしゃいました」
 興行車の後ろからディーが出てきて、軽く頭を下げ、腕を曲げてお辞儀をした。
「ああ、ディーバスト君。今回の興行は今まで以上に素晴らしいという評判を聞いて、みなで見に来てしまったよ」
「それは光栄です。お気に召せばいいのですが」
「ああ、楽しみにしているよ」
 王は家族と兵士たち、そして数名のお付きらしい人々を引き連れ、広場を進んで、舞台の正面まで来た。みなは立って見ているのだが、同行の家来たちは王族たちの椅子を持参してきているらしく、それを地面に据え付け、王とその家族は腰を下ろす。そして家来の一人が、「王からのご祝儀だ」と、金貨を一枚、サンディが持っていた袋に入れた。
 国王一家は興行に満足したようで、見終わるとねぎらいと賞賛の言葉をかけ、再び車に乗って帰っていった。
 
「王様も見に来るなんて、本当にびっくりしました」
 その夜、夕食の時、サンディは思わず感嘆の声を上げた。
「ああ、エルアナフの興行には、たまに来るんだよ。毎年じゃないが、去年も来た。だが、ちょっと緊張するな、いつものことながら」
 フレイが軽く首をすくめ、苦笑気味の笑いを浮かべた。
「いつ来るかわからなくて、不意打ちを食らうのは、やめてほしいな」
 ブルーむっつりした顔で、同じく首を振る。
「でもご祝儀を弾んでくれるし、王様が見に来られることで評判も上がるから、ありがたいわよ」リセラは笑い、微かに頭を振る。
「一緒にこられた方は、王様のご家族なんですか?」
「そう。アヴェルセイ国王とサヴァイラ王妃、ティルムス王子とアトライ王子、それとミレア王女ね」
 サンディの問いかけに、レイニが微笑んで答えてくれた。
「王様も、色が抜けていらっしゃるんですね」
「ある意味、ミディアルの象徴とも言えるわね」レイニは小さく笑う。
「もともと、初代のダリンポミエ国王は土と火のディルトだったけれど、それから三代目までは、色が抜けないよう、同じ土や火のエレメントの人としか、結婚しなかったようなの。でも、四代目国王が選んだ王妃は、土と水のディルトだったわ。だから生まれた子供四人のうち、三人が色抜けしたの。抜けなかった一人、エレイア女王がそのあとをついで五代目になり、土と水のディルトの人と結婚したけれど、生まれた子は全員色が抜けた。その長男が先代王で、アヴェルセイ国王の父親よ」
「ミディアルはもともと色抜けだらけの国だから、王族も色つきにこだわる理由ってのが、よくわからなかったけどな」フレイがそう言い
「ようは一般庶民と一緒というのが、嫌だったんだろうさ」と、ブルーが受ける。
「ミディアルの王なら、さっさと色が抜けた方が、その象徴らしい気はするけどね」
 アンバーは首を振り、そんなことを言った。
「王族のプライドって言うものが、あったんじゃないの?」
 リセラが小さく首をすくめて笑う。
「ああ、まあそうなんだろうな。だから四代目の結婚の時には、かなり反対されたと聞くが……今の国王は、色抜けであることに恥じてはいないと言っているな。かえって、ミディアルの人々と同じであるのが、うれしいと」
 ディーの言葉に、ブランがぼそっと付け足した。
「でもそれは、建前かもしれないな」と。
「それでなかったら、王妃に色がまだ抜けていない人を選ぶというのも、理屈に合わない。あわよくば子供の代で復活させようとしているのかと思うよ。実際ミレア王女は少しだけれど、色が戻ったしね」
「ミディアルの王族が色をありがたがると言うのは、どうかと思うわ。もともと色抜けの人たちが多い国なのに」ロージアは、理解できないと言った表情だ。
「そうよね。じゃなかったら、ミディアルの王は基本長男が継いでいっているっていうのに、色抜けの長男を差し置いて、色つきのエレイア女王が五代目に即位したのは、変よね。その理屈だと、次はミレア王女ということになるのかしら。二人の王子がいるのに」
 リセラが首をかしげながら、同意する。
「さあな。次はティルムス王子なのかミレア王女なのか……まあ、俺たちにはあまり関係がないが」ディーは飲んでいた水のボトルを置いた。
「ともかく、興行はあと二日で終わりだ。その次の日は結婚式の余興……まあ、それから五、六日いて仕事がなければ、次へ行こう」
「あの……わたしは……」
 おずおずと言いかけたサンディに、リーダーは微かに笑いかけた。
「今のところ、いい働き場所は見つかっていないようだし、もしここを出るまでに見つからなかったら、一緒に来てもいい。ただ、今の舞台はもう出来てしまっているから、あんたの出番はないな。だから、今年いっぱいは入場係でいいが、来年からは何がしかで出てもらうぞ。そのために、歌や踊りを練習してもらうことになるが」
「はい」少女は頬を微かに紅潮させて頷いた。
「この次は港町ディスカだから、そう距離はないのよ。二日くらいでついてしまうわ」
 リセラは軽く頭を振って笑った。「エルアナフほど大きな町じゃないから、興行も二日くらいしか出来ないでしょうけれど、港に仕事があるから」
「まあ、でも、まだあと一シャーランはエルアナフにいるけどな」
 ディーの言葉に、サンディは最初にレイニに聞いたことを思い起こした。
「一シャーランは――八日なんでしたっけ?」
「そうだ」
「仕事がなきゃ、さっさと次に行ってもいいんじゃないか、ディー? ここの見物も休養も、興行の間の四日で充分だったしな」
 ブルーが怪訝そうな口調で、そんな提案をする。
「でも実入りが良かったから、のんびりするのも悪くないぜ」
「いや、俺はどうも、この町はざわざわしすぎて嫌いなんだよ」
「エルアナフの雰囲気は、わたしも好きじゃないわ」
 ロージアが少し眉間にしわを寄せて、首を振った。
「それはたしかに否定はしないが……」
 ディーは空を見上げた。そこにまた、黒い小さな影が飛んでいく。彼は微かに眉をしかめ、首を振った。
「なにか気になることがあるの?」
 レイニが微かに首をかしげ、そう聞いた。
「いや……」ディーは再び首を振る。
「でもあれって、何かな?」アンバーも空を見ながら、首を傾げた。
「小さな黒い鳥……いや、もっと高いところを飛んでいるから、小さく見えるのかな」
「ここでは鳥は、夜には飛ばないものだよ」ブランが再び言った。
「マディットにはいるがな。夜飛ぶ鳥が」
 ディーは苦笑し、そう訂正する。
「でも、たしかにミディアルにはいないはずだ。それなのに、時々見る……」
 一行はつられるように、みな空を見上げた。黒に近い灰色の空に、街の灯りのため、ほとんど星は見えない。月は相変わらず丸いが、位置は少しずつ南側に傾いているようだ。でももう、動く影は見えなかった。
「まあいい。みながそう言うなら、仕事がなければ一日休養日を置いて、次に行こう」
 ディーは再び頭を振り、思いきったような口調で告げた。

 エルアナフでの興行日程をすべて終えた翌日は、街の金持ち一家の婚礼――新郎の方は王のまた従兄弟で先々代女王の子孫らしく、新婦の方は町で大きな工場を経営している男の娘だった。婚礼は第一広場――街の中心にもっとも近く、王宮にも近い――で行われ、さまざまな色が入ったドレスを着た花嫁と花婿、大勢の参列者達の前で、一行はお祝いの歌を歌い、踊った。そこで銀貨三五枚の報酬をもらうと、その翌日、一行は二日前まで興行していた第三広場に一日留まり、仕事の依頼を待った。お昼の四カルを過ぎるまでは何もなかったが、その後、男が三人やってきた。
「蜜花を取ってきてもらいたいんだ」
 真ん中の男が代表して、依頼を切り出してきた。
「あんたたちも知っていると思うが、このエルアナフの北にあるエラモス山に生えている花で、崖ぎわとか危ない場所にたくさんあるんだ」
「ああ……でも蜜花を取るための装置が、出来たんじゃなかったか?」
 ディーが少し怪訝そうな顔で、そう問い返す。
「そうだ。二年前の秋に、高いところまで届いて摘める機械ができた。だからあんたたちの力を借りなくとも、大丈夫だったんだが……」
「故障したのか?」
「ああ……というか、壊れたんだ。前節の、ビスティの始めの頃に」
「壊れた?」
「そう。なんだか黒い大きな鳥のようなものが、ものすごいスピードで飛んできて、装置の腕の部分をぶっ壊していった。今修理中なんだが、直るまでには、あと二シャーランくらいかかる。だが、あと三日くらいで、街にある蜜花の蜜が、底をつきそうなんだ。そこへあんたたちが来たから、天の助けだと思ってね」
「黒い鳥……?」
「ああ。よくわからないが、そんなようなものだ。このくらいの……」
 男は両腕を広げた。「いや、もっともっと大きいな」
「鳥が金属の装置を壊すのか?」
「いや……だから、厳密には鳥かどうかは、わからないが……」
「エラモス山にそんなものが住んでいるとは、聞いた事がないな」
「私たちも、何がなんだかわからないさ」
 男たちは当惑した表情で、首を振っていた。「だから……そう。もしあんたたちが蜜花を取りに行く時、そいつが出てきたら、ついでに退治するか、追い払ってくれるとありがたいな。もしそれが出来たら、礼ははずむよ。装置を修理しても、もしまた出てきたら、厄介だからな。それに、いつそいつが出てくるかわからないから、みんな怖がって、低いところに生えている蜜花も、なかなか取れないんだ」
「わかった」ディーは頷いた。
「明日、取りに行ってみよう。二日くらいはかかるかもしれないが」
「頼んだよ」男たちはほっとしたような顔をした。
「報酬は、出来高払いでいいかい? 戻ってきてからで」
「そうだな。でも、こちらもエラモス山まで行くわけだから、その間の食費くらいは欲しい。前金で十ブエルぐらい入れてくれたら、ありがたいが」
「わかった。では頼むよ」
 真ん中の男が財布から銀貨を十枚取り出し、渡した。

「蜜花採取は、一昨年は、やっていたけれどね」
 依頼を聞くと、リセラがそう口火を切った。
「ああ。でも去年は良い機械が出来たからいいって、言われたっけ」
 アンバーが首を振って言い、
「まあ、蜜花取りは翼もちががんばってくれればいいがな。俺は見てるだけだ」
 ブルーが水を飲みながら、首を振っている。
「ええ? 僕らだけに任せないでおくれよ。ミディアルの人たちがやってるんだから、できないことはないんじゃないか?」
「俺は崖をよじ登ったり、山に登ったりは嫌いなんだよ、アンバー。それに俺は、高いところは苦手なんだ」
「でも途中までは、一緒に登ってくれないと困るわよ、ブルー」
 リセラが首を振りながら、からかうように笑う。
「あたしたちが摘んだ花を集めて、下に持って行ってくれなければ」
「そうだ。そのくらいはやれよ、文句言ってないで。俺らもそのくらいは協力しないとな」
 フレイは軽く小突いていた。
「やれやれ。摘んだ花を下へ運ぶのだったら、ペブル一人でできるだろうが」
「ペブルはいつものように、車の見張りに残ってもらう。ペブルとブランはな。あとは、とりあえず全員来い。高いところは翼もちが取るが、手の届くところにも生えているだろう。しばらく採れてなかったのなら、かなりあるだろうからな」
 ディーが断固とした調子で告げた。
「そうよ。摘んだ量によって報酬が変わるのだから、飛べないわたしたちも、行って協力しなければ」ロージアが冷静な口調で、言いそえる。

 翌日、一行はエルアナフを離れ、エラモス山へと向かった。ふもとまでは車で行き、木の陰にその三台の車を止めると、ペブルとブランをそこに残し、残る八人は山を登り始めた。金銭はロージアが金貨に換え、袋に入れて肌身離さず持ち歩いているが、それ以外の水や食料、道具などは車に置いてあるため、万が一盗られたりしないよう、離れる際には見張りを置いているのだ。見張りにはたいてい、ペブルとブランが選ばれていた。前者は力が強く、もし相手が力づくできた場合でも撃退できるのと、消費エネルギーが大きいために、できるだけそれを消費しなくてすむようにと言う理由で、後者の方は、エレメントの力はないものの、感覚が鋭く、気配に敏感なためだ。
 山を登りはじめて三カーロンが過ぎた頃、一行は蜜花の密生地へついた。山肌が高い崖になって切り立ち、その岩肌や棚状に張り出したところに、小さな黄色い花が群生している。地面や下のほうの斜面にも、ちらほらと花があった。
 八人のうち、翼を持つ三人以外は、手の届くところの蜜花を摘み、持ってきたカゴの中に入れた。アンバー、ディー、リセラの三人は翼を使って崖の上に飛び上がり、岩肌や棚岩の上の花を摘む。腕いっぱいになったところで、彼らはそれを下へ投げ落とし、下にいる五人がそれを拾い集めてかごに入れる。そうして日が天頂を過ぎて傾き始める頃には、大きなカゴに八分目くらいの分量の黄色い花が溜まった。
「もうこのあたりの、手の届く範囲は採っちゃったわね」
 リセラが張り出した棚の上に座り、周りを見回した。
「そうだな」ディーも頷く。
「あ、でもこの崖の上にも、あるんじゃないかな」
 アンバーが岩棚の上に立って見上げながら、指をさす。
「相当高いぞ。俺もそこまでは飛べない」
「あたしも」リセラは首をすくめ、黄色い髪の若者を見た。
「あなたはどう、アンバー? あそこまで行ける?」
「大丈夫。それに、山にはたいてい、上に向かう風が吹いているからね」
 アンバーは再び翼を広げ、空中に浮かび上がった。
「気をつけろよ!」
 ディーがその後姿に向かって呼びかけた。
「平気平気!」
 そんな声が返って来てまもなく、その姿は崖の頂上に消えた。やがて興奮したような叫び声が聞こえた。
「すごい、この上、蜜花がいっぱいだ!」
「じゃあ、摘んで下に投げてくれ!」
「わかった!」
 そんな声がしてからしばらく後、アンバーが崖のふちに現われ、腕にいっぱい抱えていた黄色い花を投げ落とした。それは黄色い雪が降ってくるように、ひらひらと長い崖を落ちていった。
「おお! これでカゴいっぱいになるかもしれないな!」フレイが声を上げ
「腰が痛いが……」
 ブルーが文句を言いながら、地面に散った花を集める。
 ロージア、レイニ、サンディも新たに降ってきた花を拾い集めて、かごに入れていた。アンバーはもう一度崖の奥へと引っ込み、やがてまた黄色い雨を降らせる。
 それを三回ほど繰り返した時、空の向こうに突然、黒い小さな点が現れた。それは見る間に大きくなり、一直線に崖の上めがけて飛んでくる。鳥のようだった。流線型の黒い鳥――。
「アンバー、危ない、伏せろ!!」ディーが叫んだ。
「わ、なんだ、これ!!」
 アンバーは慌てたように声を上げ、摘みかけの花を落として、花畑の中に倒れこんだ。その鳥はいったん上を飛びすぎ、そしてまた急展開をして、今度は降下を始める。それは、恐ろしく早い動きだった。
「危ない!」
 ディーは目を見開き、そして鋭い動作で右手を振った。その腕から、黒く細い矢のようなものが飛んでいき、アンバーをめがけて急降下していたその鳥の胴体を貫いた。それは鋭い悲鳴を上げ、花畑の中に落ちた。人の背丈の半分を超えるような、黒い鳥だった。その胴体には大きな黒い穴が開き、一瞬で絶命したようだ。
 アンバーはよろよろとした動作で起き上がり、目を見開いて、目の前に落ちてきた巨大な鳥を見つめていた。そして大きなため息を吐いた。
「ああ……驚いた。死ぬかと思った……」
「そいつを下に落としてくれ、アンバー。それから、おまえももう降りてこい。リルもだ」
 ディーが岩棚から飛び上がり、翼を広げて地面に下りながら命じた。
「これに触るの、嫌だなあ……」
 アンバーは何度かためらうような動作を見せた後、黒い鳥に手を触れて、そのまま押し出すように下へ落とした。自分も翼を広げ、地面に向かって降りていく。同じようにリセラも途中の岩棚から降りてきた。
 鳥がドスンと下へ落ちると、その周りにいた五人も慌てて避ける。そして降りてきた三人ともども、それを覗き込んでいた。その鳥は全身が黒く、翼は大きく、くちばしは鋭く尖り、曲がったつめも長く、研ぎ澄まされていた。羽根ははえていず、全身を覆っているのは、うろこのような黒い小さな突起だった。ディーが手を伸ばし、その閉じた目を開かせると、その下の目は赤かった。
「ラーセラスだな、やっぱり」
 彼は深い息を吐き出すように言った。
「それって……なんだい?」
 アンバーがまだ驚きがさめない様子で聞く。
「マディットにいる鳥だ。夜に飛ぶ鳥の一つ。そして、偵察鳥だ」
「偵察って……なんの?」
「こいつは使い手との間に、精神的な情報伝達が出来る。だからマディットの上層部が、よく情報収集に使っているんだ。自分が出かけなくとも、こいつが見たもの聞いたものを、知ることが出来るから。そして使い手の指令を伝えられる。おまえを襲ってきたことからも、前に蜜花の採取機をぶっ壊したことからも、どうやら蜜花の採取者を攻撃せよ、という指令が出ていたのだろうが……」
 ディーはその鳥の翼を片手で持ち、ひっくり返しながら答えた。
「でも……その鳥がなんで、ミディアルにいるんだ? なんで蜜花採取の邪魔をするんだ?」
 フレイが、やはり驚きの表情で鳥を見つめながら、問いかける。
「夜に見た黒い影も、こいつだったんだろうね。でもたしかに、なんでだろう……」
 アンバーは首を傾げ、思い出したように言い足した。
「そうだ。ディーにお礼を言っていなかった。ありがとう、助けてくれて」
「いや、そんなことは当然だ。礼を言うまでもない」
「久々に見たわね。ディーのパルーセ。相変わらずの威力だわ」
 リセラは感嘆したように、両手を合わせていた。
「あれは……矢のように見えたけれど、実際にはないんですよね」
 サンディが聞く。
「そう。あれは闇属性の、攻撃のレラ。パルーセという術ね。私たちで攻撃レラを持っているのは、ディーとペブルとフレイ、それにロージアだけなのよ」
 レイニが頷いて、説明してくれた。
「まあ、俺のは弱いけどな。でもディーのは、相当強力だ」
 フレイが少し苦笑して言い足している。
「とりあえずこいつを退治できたんなら、証拠にどこかを持っていけば、報酬に上乗せされるんじゃないか? ディー」
「いや、ブルー。無理だ。もうそろそろ、消えるだろう」
「消える……? 早くないか?」
 ブルーとフレイが、同時に言いかけた。その目の前で、鳥は少しずつ解け始めていった。それは何ティルかの間に、黒いドロドロとした液体となり、さらに黒い煙となって、消えていく。
「せっかくの証拠が、なくなってしまったわね」
 ロージアは、少し残念そうな表情を浮かべた。
「それはたしかだけど、でも、不思議じゃない? フレイが言ったみたいに、なんでマディットの偵察鳥がミディアルにいるのか」
 リセラは首をかしげ、怪訝そうな表情になっている。。
「ミディアルの人がマディットに行って持ってくるとも、考えにくいでしょうしね」
 レイニも不思議そうに、首を振る。
「は、それはないな。ラーセラスはかなり強い闇のレラがないと、使いこなせない。ミディアルの連中に、そんな力のある奴はいないだろう」
 ディーは首を振った。
「マディットからミディアルに来る奴はいるだろうが、逆はないだろうしな」
 ブルーがそう付け足す。
「まあ、ともかく日が暮れる前に山を下りよう」
 ディーは話を打ち切るように告げた。山の中で夜になるのを避けたい一行は、蜜花でいっぱいになったかごを持って、下山した。

 翌日、エルアナフに戻った十人は、カゴいっぱいの蜜花を依頼者に渡し、その報酬をもらった。その時、ディーは依頼者たちに告げた。
「とりあえず、あんたたちの機械をぶっ壊した黒い鳥は倒した。ただ、すぐに消えたから証拠は持ってこられない。だから、その報酬はいらない。信じる信じないも、あんたたちしだいだ」と。
「おお! それなら、機械が直ったら、もう妨害されることはないのか?」
 男たちは半分信じられないような、半分は喜びをにじませた口調でそう問い返した。
「あいつ一匹だったら、そうだろうが……保証はできないな」
 ディーはそう答え、蜜花だけの報酬をもらって、それをロージアに渡した。
「倒したことは間違いないのだから、証拠はなくても、少しくらい上乗せをもらっても良いかもしれなかったわね」と、彼女は言ったが。
「あの男たちに言ったように、あいつ一匹と言う保証はないからな」
「どういうことなの?」
 ロージアが懸念の表情を浮かべて、そう問い返す。
「いや……なんだか、あまり良い予感がしないんだ」
 ディーは空を見上げ、少し眉根を寄せて、首を振った。
「マディットの連中は、今までミディアルには無関心だった。掃き溜めの国と軽蔑して、無視していた。だからある程度、安心できたんだが……」
「マディットの偵察鳥がミディアルに入っているということは、マディットがここに興味を持っている、ということなのかしらね」
 レイニも気遣わしげに問いかけている。
 マディット――マディット・ディル。闇の力の精霊が支配する国。ただ、闇と言っても悪ではない。昼と夜のように、光の精霊の国ユヴァリス・フェと一対のもの。他の地方のように昼と夜の長さが同じではなく、二割ほど夜が長いが、昼間もある――戒律は厳しく、上下関係も厳しい国ではあるが栄えていて、国民たちは満足している。一行の会話を聞きながら、かつてレイニがそう説明してくれたことを、サンディは思い出していた。すでに彼女はほぼ通訳なしで、言葉を解することが出来るようになっていたのだ。
「距離的にはたしかに、アーセタイルと並んで、マディットは近いんだがな、ミディアルとは。だが、ラーセラスと情報共有するには、少し距離がありすぎる」
 ディーは考え込むように黙った。彼はそこの国の出身だという。
「それに、連中がここに興味を持つ意味が、俺には良くわからない……」
 彼はしばらく沈黙したあと、ロージアに向かって告げた。
「悪いが今日中に、稀石商のところへ行って、金貨二、三枚以外、残りを稀石に替えてきてくれ。そして明日休養したら、その次の日にはここを出て、次へ行こう。港町ディスカに」
「ええ、わかったわ。でも稀石に換えるのは、どうして?」
「ミディアルの通貨は、ミディアルでしか使えない。でも稀石なら、他のところでも通貨に換えられる。それにミディアルには、全部の種類の稀石がある」
「え? どういうこと? ミディアルを出るって言うこと?」
 リセラが驚いたように声を上げた。
「ええ? でもミディアルを出て、どこへ行くんだよ、ディー!」
 男性陣五人が、異口同音にそう叫んだ。
「いや、ミディアルを出たいわけじゃないさ。出来るなら、このままここにいたいがな」
 ディーはエルアナフの町の中心に建つ王宮に、目をやった。
「万が一のための備えだ。ミディアルでも、稀石は通貨に換えられる」
「わかったわ。今から行って、換えてくる」
 ロージアは固唾を呑んだような表情で、頷いた。いつものように、ペブルも護衛のためについている。ロージアは一行を振り返り、言い足した。
「でも、それが必要なければいいわね」
 その言葉に、全員が頷いたように見えた。




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