光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第一部 逸れ者たちの新天地ミディアル(3)




 それから四日間、車は進み続けた。昼間は三人交代で引っ張り、夜は草原地帯の木陰を探して、野営した。二日目に、一行は大きな川を越えた。橋はなく、足もつかない深さのその川を、三台の車は渡っていく。先頭の駆動車に翼の民――アンバー、ディー、リセラが乗って浮遊させ、ブルーとレイニが川に入って、下から支える。対岸に着くと、一行は二カーロンほどの時間、休憩した。
「お疲れ様、五人とも」
 ロージアが相変わらず抑揚を抑えた言い方で、表情も変えることなく、おのおのにエレメントのポプルを二個ずつ渡した。
「ありがとう。川越えは本当に、重労働だなあ」アンバーは声を上げ、
「本当ね。さすがに疲れたわ」
 リセラも首を振って、ポプルを口にした。
「久々に水に潜ったな」
 ブルーが頭を振ると、水しぶきが四方八方に飛んだ。
「おい、そこで水を飛ばすな。それと、敷物が濡れるだろ。濡れたまま座るなよ」
 フレイが顔をしかめた後、付け加える。
「まあ、おまえさんも働いたんだから、その点は感謝するが」
「当然だ。文句を言われる筋合いはないぞ」
 ブルーは服を脱ぎ、水気を絞ってから再び着た。レイニも同じように物陰で服を絞り、髪も解いて水気を絞ると、再び束ねている。
[寒くはないですか?]
 再び自分の傍らに座った通訳者の手を取って、サンディはそうたずねた。
「ありがとう。私は平気よ。むしろ暑いより、快適だわ」
 レイニは、にっこりと少女に笑いかけていた。
[それにしても、びっくりしました。あんな方法で川を渡るなんて]
「他にやりようがないから。ミディアルの人は船を使うけれど。それに橋もあることはあるのだけれど、かなり回り道だから」
「水の民がもう一人いれば、もっと楽だったかもな。そうすれば一人で一台ずつ車を持っていけたのに」
 ブルーがポプルをかじりながら、言った。二人だと、二台目、三台目しか支えていけないからだろう。先頭の車両は、飛行能力を持つ三人の浮遊力に頼ることになる。その彼らの浮力で、二台目三台目の車の重量もかなり軽くなり、ブルーとレイニもさほどの力を必要とせず、支えていけるのだが。
「私たち水の民は、水の中に長く潜っていられるしね。個人差はあるけれど、一カーロンから、長い人は三カーロンくらい大丈夫なのよ」
 レイニは少女にそう説明していた。
[それも、エレメントの力なんですか?]
「そうね。でもそれは力というより、特性かしら」レイニは頷いていた。

 やがて一行は、ミディアルの首都エルアナフへと着いた。そこはこの国で一番大きな都市らしく、かなり遠くからでも、その町並みの影を見ることが出来た。銀色に塗られたゲートには、金属のような光沢を放つ薄緑の服を着た、兵士らしい四人が立っていた。彼らの腰のベルトには、鞘に入った長めの剣の様なものが下がっている。
「ディーバスト・エラキドゥ・マルヴィナークと、アスファラディア歌劇団だ」
 四人の兵士に向かって、ディーが告げた。
「ああ。今年も来たのか」
 兵士の一人が、微かに口元を緩めながら言った。どうやら、相手は一行のことを知っているらしい。「去年あんたたちがここを出る時に、今年分の申請書は渡したはずだな。それをこっちに渡してくれ。王の許可印をもらって、渡す。興行はそれからだ。街には入っていいが、それまで車は、そこの壁のそばに停めておいてくれ。三日ぐらいかかるだろう」
 兵士の一人が告げ、左のほうを指し示した。街のまわりには、ぐるりとレンガを積んだような、高い壁がめぐらされている。
「わかった。これが申請書だ。よろしく頼む」
 ディーは懐から紙のようなものを取り出すと、兵士に渡した。

「じゃあ、せっかくだから、街の見物がてら、お買い物に行きましょう。サンディは初めてよね。一緒に行きましょう」
 車を外壁のそばに止めると、リセラが快活に声をかけてきた。
「はい」サンディはここの言葉で返事をし、にっこり笑って頷いた。
「あら、少し覚えてきたのね。それに、レイニのミヴェルトを通さなくても、あたしの言うことが、わかった?」
「少し、だけ。一緒に街へ、行きましょう……ですよね」
「ミヴェルトを通すと、言葉の覚えも早くなるようね。それに、この子はもともと頭が良いのかもしれないわ」
 ロージアは相変わらず表情を緩めないまま、そんな感想を漏らしていた。
「そうね。半分くらいは出来てきたみたいね」
 レイニは頷き、少女の手をそっと握った。
「この街にいる間に、もう通訳も必要なくなると思うわ」
「それならよかったわ。じゃあ、行きましょ。今回はあたしたち、女四人で」
 リセラが声をかけ、四人はゲートをくぐって、街の中へ入った。兵士たちは何も言わず、彼女たちを通してくれた。

 ミディアルの首都エルアナフは六角形の形をしていて、中央に位置する王宮から、六本の大きな道路が対角線を描くように、放射状に延びていた。町外れからだとかなり遠くに見えるその宮殿は、灰色の石を積み上げたような建材で出来ており、いつくかの尖った屋根と、その先端についた、三角形の、黄色地に赤と緑で両端を縁取ったような模様の旗が見えた。王宮の周りには、やはり同じような灰色の石で積まれた高い城壁が、ぐるりと取り巻いている。そこから六方に伸びる道路は、規則正しく切り出された石畳で出来ており、その幅は広く、多くの車が行きかっていた。丸い車輪がついた、木製、または金属製のそれは、その車に組み込まれた動力源で走っているようで、自らの体から発するレラというエネルギーを使っているわけではなさそうだ。
 道路の両側には、大小さまざまな、石造りの建物が並んでいた。建物はどれも三階から五階建てくらいで、上層階の窓からは色とりどりの洗濯物がはためいている。一階部分は店になっているところも多く、道具を売る店、水やポプルを売る店、洋服を売る店、雑貨を扱う店、旅行者を泊める宿、湯屋、花屋や飲食店もあった。
「花は栽培しているものや、野生に生えているものを切って、入れ物にさしておいておくのね。何のためにそんなことをするのか、よくわからないけれど」
 リセラがその店のことをサンディに説明する時、そう付け加えた。
「きれいだから、じゃないですか?」
 サンディが片言の言葉で、そう答える。
「花は在るがままに咲いている方が、はるかに美しいと思うわ」
 ロージアが微かに首を振り、眉を寄せた。
 飲食店の存在も、サンディにとっては不思議だったようだ。この世界には、食べ物と言ったらポプルしか存在せず、飲み物も水しかないと思っていたが。
「最初はポプルと水を売っていて、その中で食べられるようにしていたのだと思うわ」
 レイニがそう説明してくれた。「でも、だんだんとそれだけではないものを、求めるようになったのではないかしら。他と違うものを提供すれば、人は珍しがってくれるからと。それで水とポプルを混ぜて砕いたものを、最初に売るようになったの。ポプル水と言って。あとはポプルを焼いて、少し塩をつけてみたり、水とポプルの飲み物に、蜜花から取れる蜜を混ぜてみたりね。それは、ポプルジュースと言うみたい」
「蜜花?」
「このエルアナフの北側には山があるのだけれど、そこに咲いている黄色い小さな花よ。その花を摘んで束ねて、瓶の入り口のところに、花を下にして吊るしておくと、下に透明な蜜が溜まるの。それはとても甘いので、味付けに使われているみたいね。塩の方は、野原や山に落ちている塩石を砕いて、使っているのよ」
 レイニの説明に、サンディは頷きながら、その話を聞くのは初めてではないような気分を感じていた。調味料――?
「それは、あなたの世界の方が馴染みのあるものなのかしらね」
 レイニが微笑んで頷く。彼女の異なる言葉をつなぐコミュニケーション能力は、相手の思考をも、ある程度読み取れるようだった。
 四人はいくつかの飲食店を覗いてみたが、中では大勢の人々が加工されたポプルを食べたり飲んだりしながら話をし、くつろいでいた。
「見ていると、食べるのが目的じゃなくて、ここではみんなでおしゃべりしたり、のんびりしたりするのが、目的の場所のようね」
 リセラが不思議そうに首を傾げ、
「なぜわざわざそうしたいのか、わからないわ」
 ロージアが表情を変えずに、疑問を投げかける。
「たまには同じ顔ぶれじゃない人と、話したいのかもしれないわね」
 レイニは微かに笑っていた。
 
 ある飲食店には、見たことのないような紫色の液体を売っていた。大勢の人がそのまわりを取り巻き、それを買い求めている。
「それって、何?」リセラが店主に聞いた。
「これはね、ほんの三節くらい前に、新しく開発された飲み物なんだよ。バーナクという花と水を混ぜて発酵させ、蜜花を混ぜたね。うまい上に、これを飲むといい気持ちにもなれるんだよ。うちと、あとは五件くらいしか扱っていないが、どこも飛ぶような売れ行きなんだ。あんたたちもどうぞ、と言いたいところなんだが、今日の分はここにいるお客さんたちで終わりそうだな」
「いえ……わたしたちはいいわ」
 ロージアが冷たくそう答え、一行はそこを立ち去った。
「あそこにいる人たちが、やけに陽気なのは、そのせいかしら」
 リセラはちょっと眉根を寄せながら、首を振っていた。
[ああいう感じの飲み物……わたしは覚えがあります、なんとなく]
 サンディはレイニの手を握ったまま、元の言葉で言った。あまり愉快でない連想のもの――その思いは、レイニにもなんとなく、わかったようだった。
「あれは、あまり良くない飲み物かもしれないわ。口当たりはいいのかもしれないけれど」
 彼女も少し眉をひそめながら、そう結論づけていた。
 
 一行は街の洋服店で新しい服を求め、湯屋に行って湯浴みをすると、古い服を洗濯するべく、持ってきた大きな袋に入れて持ち帰り、食料品店でさまざまな色つきポプルを買った。
「お水や白いポプルは買わないんですか?」サンディはたずねた。
「水は重いから、男たちに任せているのよ。ペブルがいれば、たいていのものは運べるから。白ポプルも、ついでにね。白は安くて、単純な力補給に使えるから、けっこう買うし、重くなるしね」リセラがちょっと笑って答える。
「ペブルさんって、黒髪の、太った人ですよね」
「そう。彼は力持ちなの。その分エネルギー消費も大きくて、たくさん食べなければならないのだけれど」レイニは微笑んで答え、そして付け足した。
「たぶんね、太るという概念も、あなたたちの世界とは違うかもしれない。ここでは体形は、成長期が終わった段階で、ほとんど変わらないのよ。ペブルがああいう体形なのは、力を溜め込みやすく出来ているから。その分、放出するレラも大きいのだけれど。かと言って、ああいう体形の持ち主がみな、放出する力が大きいかといえば、そうでもないけれど。溜め込むだけで出せない人もいるし、ディーのように痩せ型だけれど、レラの力がとても強い人もいる。一概には言えないわね」
「ディーさんは、レラの力が強いのですか?」
「彼はそうね。ペブルよりも、はるかに強いわよ」ロージアが頷いた。
「あたしたちの中では最強ね」リセラも笑って言う。
「だから、あの人がリーダーなんですか?」
「それもあるけれど、もともとあたしたちの一団は、彼が作ったものだから」
 リセラは少し懐かしむようなまなざしになった。
「初めは彼一人で、ミディアルを放浪していたみたい。あたしは四年前に彼に会って、一緒に旅をするようになって、それからだんだんと仲間が増えて行ったの。最初の一年で六人。ディーとあたしと、フレイとブルー、ブランにロージア。二年目でペブルとレイニ、それにアンバーが加わって、今の九人になったのよ」
「あなたで十人目かしらね」
 レイニがそっと笑って、そう付け加えた。
[だとしたら、嬉しいですけれど……でも、ディーさんが最初に、ここに着くまではわたしもいてもいい、って仰っていたから……わたしはいつまでみなさんと一緒にいて、いいのでしょうか]
 サンディは少し不安げに、三人の女性たちを見上げた。
「うーん、ディーの考えは、あたしもはっきりとはわからないけれど、でも彼は寄る辺ないあなたを、見放したりはしないと思うわよ。たぶん、もしここであなたにとっていい場所が見つかったら――あなたが幸せに働けるような――そうしたらそこにいればいい、というんじゃないかしら。特にそれが見つからないなら、あたしたちと一緒に、いても良いと思うわよ」リセラは少し安心させるように、少女に笑いかけた。
「彼は天秤にかけているのかもしれないわね。あなたを置くメリットとデメリットを。わたしたちはみな、遊んで暮らしているわけじゃない。それぞれの役割をして、貢献して、支えあって暮らしている。あなたにそれが出来るかどうか、じゃないかしら」
「あら、ロージア。でもサンディは、けっこう役に立ってくれていない? コティやポプルつみでも、お洗濯でも」
「ええ、あなたは一生懸命がんばってくれていると思うわ」
 レイニはそっと少女の手を握って微笑み、そして付け加えた。
「あとは、あなたに歌かお芝居か踊りが出来れば、もっといいわね」と。
「歌かお芝居か踊り……ですか?」
「ええ。それが私たちの表向きの職業なのよ。アスファラディア歌劇団っていうね」
 レイニは微笑んだまま、説明してくれた。
「あの三台目は、その舞台装置を積んでいるの。私たちはミディアルを旅しながら、大きな都市では許可を取って、街の広場で興行しているの。いつもエルアナフでは、第三広場でやっているから、今年もそうなるのではないかしら」
「今年の興行プログラムは、いつも以上に好評なのよ」
 リセラが目を輝かせる。
「だから見入りも良くて、少しだけ贅沢も出来るわ。ね、この服素敵じゃない?」
 彼女はスカートを広げるように、くるりと回った。よく身に着けている白いブラウスとピンクのズボンのかわりに着た、淡い色合いの、新しいピンクのワンピースは軽やかな印象の生地で、その袖とスカートはふわりと膨らみ、裾には銀色の飾りがついている。
「でも、その服には切れ目がついていないから、翼は出せないでしょう。ブランに直してもらわないとダメね」
 ロージアが言う。彼女もここで買った、丈の長い白いワンピースに着替えていた。それはリセラの服ほど生地は薄くなく、少し光沢があり、まっすぐなラインで、くるぶしくらいまで丈がある。袖も長袖で、それほど膨らんではいないが、袖口と裾には銀色の飾りが入っていた。
「そうね。でも、もともとミディアルに、背中に切れ目がある翼の民仕様の服は期待していないから、いつものことよ。ブランが直してくれるわ」
 リセラはスカートが広がるのを楽しむように、もう一度くるりとまわった。その動きにつれて、束ねた髪も踊るように円を描く。
「ブランさんは、白い髪の小柄な方ですよね」
 サンディが確認すると、レイニが頷く。
「そう。彼はエレメントの力はないけれど、器用なのよ。道具を操って、洋服を直したり、新しい仕掛けを作ったりしてくれるの」
「新しい仕掛け?」
「ええ。舞台装置ね」
 レイニはにこっと笑う。彼女も新しい、水色のワンピースを着ていた。柔らかな生地で、スカートや袖のふくらみ具合は、リセラとロージアの中間くらい。そしてやはり袖口と裾に銀色の飾りがついている。
「新しい舞台衣装には、ちょうどいいわね、この服」
 リセラがもう一度、くるりとまわりながら言った。
「みんなもいい感じよ。サンディもその薄緑のワンピース、似合っているわ」
 少女もまた、二着目の新しい服を買ってもらっていた。膨らんだ袖とスカートの、淡い緑の服を。彼女は嬉しそうに頬を染めた。
「でも、エルアナフは年々、いろいろなデザインの服が増えているわね」
 ロージアが銀色の髪を軽く振りながら言った。あまり感心しないような口調だ。
「そうね。洋服屋の品揃えが、去年の倍くらいになったわね。あたしはいろいろ選べて嬉しいけれど」
「でもエルアナフの人口は、去年から千人も増えていないのよ。そんなに作って、余らないかしら」
「あなたは無駄が嫌いだものね、ロージア」
 リセラの言葉に、レイニも笑って頷く。
「だからお金の管理には、うってつけの人なのよ」

 街には、夕暮れが迫ってきていた。夜にはエルアナフの門が閉まるので、それまでに都市の外へ出ようと、四人は帰り道を急いだ。彼女たちは、来た道とは一本違う放射道路にいたので、元の道へ戻ろうと、放射道路の間を通る道へと曲がった。六本の放射道路は、中心の王宮から都市の境の壁まで、十八本の連絡道路でつながっている。それぞれの通りには、名前がついていた。タンディアフ通りと名のついたその道を、少し足早に歩いていた一行は、ある飲食店の前に来て、思わず足を止めた。
「なにこれ、ひどい匂い!」
 リセラが声を上げ、鼻を押さえた。ロージアとレイニも嫌悪に近い表情を浮かべ、手で顔の下半分を覆うようにしている。しかし、サンディには馴染みのある匂いだった。彼女は不思議そうに連れの表情を眺めると、店の中を覗いた。三人の女性たちも、その匂いの正体を知りたかったのだろう。鼻を手で隠したまま、そっと店の中に目をやっていた。
 その店の奥にある調理場では、何かを串に刺し、火にあぶって焼いたものを、客に売っているようだった。最初はピンクと緑の塊のように見えたそれは、火にあぶられると薄い茶色となり、その上に塩を振られている。大きな壷のようなものの中に火をおこし、その上に網を渡して、その上であぶっているようだ。分厚い手袋をしながら、串をひっくり返しているのは、まだそれほど大人になっていない年頃の、若い男だった。茶色の肌をし、髪は黒く、きらきらした目は赤みがかった濃い茶色だ。
「これって、なんなんでしょうか」
 他の三人は匂いにひるんで中に入って来られないようなので、サンディが店主らしい男にそう聞いてみた。白い髪が頭の周りを取り巻いている、その店主らしい男は、並んだ大勢の客たちにその焼きあがった串を渡しながら、答えた。
「これかい? これはエウルの肉とピカンの実を焼いたものだ。そこにいるタリムが考えた、新しい食い物さ。前節から始めたんだが、大人気なんだよ。一つどうだい? お嬢ちゃんに払えたらな。これはけっこう高いんだ」
 サンディはレイニの手から離れていたので、相手の言うことは半分くらいしか理解できなかったが、おぼろげに意味は察することができた。彼女は軽く微笑をうかべ、首を振って、「いえ、いいです。ありがとう」と答え、仲間たちのところへ戻った。
「お肉を食べるの?!」
 通りを歩きながら、店から充分離れたのを待っていたように、リセラが声を上げた。店主の答えを、店の外から三人で聞いていたのだろう。
「信じられないわね」
 ロージアも嫌悪に満ちた表情で、顔をしかめている。
「エウルとかピカンって、なんですか?」サンディは聞いた。
「エウルはね、ミディアルの南半分に住んでいる動物よ。このくらいの……」レイニは両手を肩幅くらいに広げた。「大きさで、色は白か茶色ね。草原によくいるわ。草を食べているのよ」
「駆動車を引っ張っている時、ときどき見るわね。耳がわりと大きくて、けっこう可愛いと思うけれど……でも、あれを食べるの? 溶けてしまわない?」
 リセラが再び、嫌悪に満ちた顔をする。
「エウルくらいの動物だったら、二日くらいは形があるのでしょうね。ピカンは草原に生えている草だけれど、球根植物で、根に玉があるのね。あの緑の固まりは、それみたい」
 レイニが説明し、そして言葉を継いだ。「エルアナフも一年来ない間に、ずいぶん様子が変わったようだわ。とりあえず車に戻って、ディーたちにもその話をしましょう。でもその前に、急がないと門がしまってしまうわね」
「あと半カーロンね」
 ロージアも歩くペースを上げながら、少し離れたところに見える街の壁にはめ込まれた、四角い装置に目をやった。それは時計のようで、昼一〇:三五と表示されている。昼の十一カルは夜の一カルで、一カーロンは七〇ティルだ。あと三五ティルで日が沈む。四人は街の門へと急いだ。

「本当にエルアナフは一年来ない間に、ずいぶん変わったな」
 翌日の夕方、車に戻ってきたディーが開口一番に言った。この日は男性六人で街へ行き、湯浴みをしたあと、水や食料、新しい服を買ってきていた。その間、女性たちは町の外で洗濯をしていたのだ。
「まだ幸いなことに、新しい飲み物や食べ物はこの街限定だが、いずれ蜜花のポプルジュースのように、ミディアル中に広がるのだろう。しかし、それはあまりいいことではないな」ディーは水を飲みながら、少し顔をしかめている。
 一行は黙って頷いていた。サンディはしかし、少し不思議な思いを感じた。
「いいことでは、ないんですか? いろいろな種類が増えるということは、いいことかもしれないと、わたしは思ってしまうんですが」
「多様性は、あんたの世界では、いいことなのかもしれない」
 ディーは少女を見、通訳者とつながった手に目をやって頷きながら、口を開いた。
「だが、ここではダメだ。レラとエレメントの力が支配しているこの世界では、不純物はその力を乱す。減衰させて、混乱させる。まあ、服や道具の種類が増えることは、まだ許容範囲だし、いいこともあるが、ポプルと水以外を口にすることは、絶対のタブーだ。レラを相当に減衰させるからな。まあ、ミディアルの連中はレラの力がないか、あっても少ない奴らばかりだから、そう害はないのかもしれないが――それに、あんたは食べても問題はないだろう、サンディ。だが、食いしん坊のペブルでさえ、あの食い物の匂いには、逃げ出したくらいだ」
「あんな匂いがしていたら、いくらおいらでも、食べる気はしないよ」
 ペブルは相変わらずポプルの実を二、三個ずつ口に放り込みながら、言う。
「あなたが食べたいなら止めはしないけれど、ここで食べるのはやめてね、サンディ。あの匂いはとても無理なの、ごめんね」リセラが苦笑しながら、少女を見る。
「だがあのひと串で、色つきポプルの十倍の値段なんだ。できれば我慢してくれると、ありがたいな」ディーも苦笑いをしながら、付け加えていた。
「はい、なくても大丈夫です」
「あの店の外にいた男に話を聞いたんだが、あれを考案した、あのタリムとか言う奴、あれもなんか、外から来たらしいぜ」
 フレイが赤毛の頭を振りながら、そう言い出した。
「そう言っていたね。今年のエビカルの終わりに、店主が拾ってきたとか。言葉が通じなくて、最初はお互いに何を言っているかわからなかったらしいけれど。今も片言くらいしか、しゃべれないらしいって」アンバーが白いポプルをかじりながら、頷く。
「サンディより、だいぶ覚えが悪そうだな」ブルーがぼそっと呟いた。
「サンディには、レイニのミヴェルトがあったからね。それがないなら、そんなもんだろう」ブランがアンバーとディーの服に翼用の切れ目を作りながら、そう述べた。すでにリセラの服には、昨日の夜の間につけていたのだ。
「そう。それは俺も知っている。なんでも、そのタリムという奴は、エルアナフの外の草原で暮らしていたらしいな。エウルを捕まえたり、ピカンの根を掘ったり、雨水をためて飲んだりして、生きてきたらしい。そこをバーナクの花を取りに来た店主が見つけて――あいつはあの飲み物を自分の店でも出そうと、探しに来たらしいが、別のものを出すことになったわけだ」ディーが少し眉をひそめながら、頷いた。
「ディーはエフィオンの力が使えるからなあ。わざわざ話を聞かなくとも、わかるか」
 フレイは苦笑して、頭を振っている。
「いや、それでもおまえたちの情報は、役に立つ。それを通じて知る知識もあるわけだからな」
「エフィオンというのは、なんですか?」
 サンディはレイニにそっと聞いてみた。
「ああ……それは、なんと言うのかしら、知る力ね。でもミヴェルトと違って、相手の心の思いを知るというのではなく、もっと広範囲の知識――その物事の奥にある事情とか、そういうものを、語られなくとも知る力なの。これは闇と光に属する力ね。ただ、エフィオンの力はその属性でも、珍しい部類よ。持っている人は、五百人に一人いるかいないかくらいではないかしら」
「ただ、どこまで知ることが出来るかというのは、状況次第だな」
 ディーも聞いていたのだろう。そう補足した。
「だから、あんたがここに来た事情と言うのも、今なら漠然とはわかる。だが、詳しいことまではわからないんだ」
「でも、もし知っていたら、教えてくださいませんか?」
「それを知って、なんになる?」
 一団のリーダーの答えは、少し厳しく響いた。
「あんた自身は何も知らない。覚えていない。そんな状況で、俺がおまえさんの今までのことを……そんなに事細かには知らないが、だいたいの事情を言ったところで、思い出しはしないだろう。他人の話に近い、そんな感覚だと思う。それにたぶん、あんたにはアミカという、忘却の業がかかっているのだろうが、それは半永久的には続かない。だいたい半年くらいで解ける。そうしたら、思い出すだろう」
「あと半年……」
「そう。その時が来れば、あんたの過去は自然と思い出されるだろう」
「わたしが、どうしてここに来たのかも、思い出しますか?」
「いや、それは思い出さない、おまえさんの知識じゃないからな」
 ディーは首を振った。「おまえさんをここに連れてきたのは、時の寺院の坊主たちだから、思い出したところで、わけはわかっていないだろう」
「時の寺院……」
「そうだ。この世界の説明は、だいたいレイニがしただろうが、もう少し補足しておこうか。もうこの話は聞きたくないという奴も多いだろうが、今は説明の必要がある。少し我慢してくれ。これきりだ。もうしない」
 ディーは水を飲み干すと、周りに頷き、少女に向かって語り始めた。
「この世界には九つの国がある。ここミディアルは他の八つの国のはぐれものたちが築いたものだが、あとの八つは固有のエレメントによって成り立っている国だ。光のユヴァリス・フェ、闇のマディット・ディル、火のフェイカン、風のエウリス・ラウァ、水のアンリール、氷のセレイアフォロス、大地のアーセタイル、岩のロッカデール。アンリールとセレイアフォロスは同じ水のエレメントを持つ兄弟国で、アーセタイルとロッカデールも、土の兄弟国だ。それぞれの国には、そのエレメントの力の源である精霊がいるが、精霊単独では光る大きな球だ。その力を具現化させるために、精霊の意思を発動させるために、巫女が必要になる。巫女といっても女とは限らないが、ともかくレラが強く、子供のような、若い人間だ。その巫女を通じて、精霊は力を国々に行き渡らせ、活用させることができる。ただその巫女は精霊を宿すわけだから、相当な負荷がかかる。平均で三年、そのくらいしか持たない。精霊は巫女が限界に近づいてくると、次を指名する。一人じゃない。だいたい五、六人。それで神官長とその部下たちは――精霊に使える人間たちだな――そいつを連れてくる。四エレメントに関しては――火、水、風、土の六つの国は、その国の中だけで巫女も巫女候補も回るんだが、光と闇に関しては、時に外の世界の者が、候補になることもあるんだ。外の世界にはレラという概念はないが、それに類する力が強いものも、稀にはいるらしい」
「外の世界の……」
「そう。たとえば、あんたの世界のように。よそから連れてこなければならない場合、ユヴァリスにしろマディットにしろ、自分の国にはいないわけだから、時の寺院に依頼することになる。時の寺院があるのは、この世界のはずれである、大いなる深淵のふちにある、狭間の島だ。そこはどこにも属すことなく、外の世界とこことの間を全体に統括している」
「世界のはずれ……?」
「この世界は丸くないんだ。あんたの世界とは違って」
 ディーは微かに笑い、少女に向かって告げた。
「世界が丸ければ、ずっと東へ進んでいけば、ぐるっと回って同じ場所に行き着くという。西でも北でも南でも。だがそれは、ここでは違う。東にずっと行けば、大いなる深淵に突き当たる。西も、北も、南も。そこを超えることは出来ない。壁に阻まれたように、そこからは進めなくなると聞く。俺は行ったことはないが。狭間の島は、東の深淵のふちにある。その真ん中に、時の寺院が建っている。そこに唯一、外との連絡路があるという。そこを開くことができるのは、時の寺院の司祭――今は誰だ? サーヴァラス・ラオエィオラか――だけだ。そこから坊主たちが行って、候補を連れてくる」
「じゃあ……わたしが連れてこられたのも……その巫女の候補、なのですか?」
「いや。あんたは、巫女の候補ではないのだろう」
 ディーは考えるように軽く頭をかしげた後、答えた。
「巻き添えなんだろうな。その候補の。たまに、そういうこともあるらしい。よけいなおまけがついてくる――まあ、向こうの言い分だが――それで処置に困って、ミディアルに捨てたのだろうと思う。ここはいろいろな人間の、吹き溜まりだからな。あんたもそうだろうが、たぶんあのタリムという男も、そうだ。あの男はたまたまここに連れてこられた時、火起こしだのナイフだのという道具を、持っていたのだろう。それに落とされたのが、草原の中だったから、自力で生きようとしたのだろう。生命力の強い奴だったのだろうな。だが、あんたは何も持っていなかったし、捨てられたのが砂漠の真ん中だったから、そのままだったら死んでいただろうと思う」
「時の寺院の人たちも、自分で手を汚すのは嫌だったのだろうけれど、ひどいわよね。どうせなら、元の世界に返してあげたらよかったのに」
 リセラがそこで、ピンクの髪を振りやりながら口を出してきた。
「わざわざそんな手間も、かけたくないんだろうさ。それにその世界への扉は、時空の精霊の導きの力を借りなければ、正確に開くことが出来ない。だから、一度扉が閉じてしまったら、もう一度開くのは無理だろう」
「じゃあ、そうだとしたら、サンディが帰れる可能性は……」
 アンバーが驚いたように言いかけ、
「ないということなのかもしれないわね」と、ロージアが首を振る。
「まあ、再びその世界から生贄、いや、巫女候補が出ないとも限らないがな」
 ディーは重々しい顔で、再び首を振った。
「わたしは……どうすればいいですか?」
 サンディは両手を組み合わせ、問いかけた。
「あんたはとりあえず、どうしたい? 元の世界へ帰る可能性は、あったとしても、少なくとも、あと三、四年はないだろう。ユヴァリスもマディットも、新しい巫女に交代したか、する準備中か、ともかくそのくらいの時期だからな。あったとして次だろうし、それであんたの世界が再び選ばれる可能性は、ゼロではないだろうが、かなり低いだろうと思う。だから、とりあえずそれは選択肢にない。それ以外で、だ」
 ディーは厳粛な表情を浮かべて、少女を見た。
 サンディは困惑した。元の世界へ帰れない、ということは、元の世界の記憶がない今の状態では、ショックには違いないが、深刻な実感と悲しみは伴ってはいない。しかし、戸惑いは大きかった。少女は目を見開き、一行を見た。
「わたしは、みなさんに助けてもらって、ここまで来ました。わたしには、行くところがないんです。このまま、一緒にいてはいけませんか? わたしにできるだけのことは、します。お願いします」
「俺は、エルアナフまでは一緒に来るようにと、あんたに言った」
 ディーが静かに口を開いた。「砂漠の真ん中では、生きるすべはないし、ここは大きな街だ。あんたが俺たちと一緒に来るより、居心地のいい場所が見つかるかもしれない、そう思った。ミディアルは……特にこの街は、年々あんたの世界に近くなってきているようだ。同じ外世界からの同類もいる。まあ、もっともあのタリムという奴は、あんたの世界とは違ったところから来ているように思うが。ただ、あの男と違って、あんたは白ポプルと水だけでも生きていけるようだし、役に立とうと働いていることもわかる。俺の意見では、もしエルアナフでもっといい場所が見つかったら、そこに行けばいい。なければ、別にここにいてもいい。ただそれは、全員の意見が一致したらだ」
「あたしは賛成よ」
 リセラが真っ先に声を上げた。他の七人も、あるものは頷き、あるものは「もちろん」と声を上げ、賛同している。
「では、そういうことにしよう。エルアナフを出る前に、あんたが決めてくれ。もしこの街に、あんたを受け入れてくれて、あんたもそこにいたいと願う場所があったら、ここに残れ。そうでないなら、一緒に来てもいい」ディーはそう宣言し、
「はい、ありがとうございます!」
 サンディは覚えたての言葉で、みなに感謝を告げた。




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