EVERGREEN : 常盤の守護精

第二章 アザーサイド・フォーレスト(3)




 翌年の五月、ありさは一通の手紙を受け取った。寮に住む学生たちは、玄関のところに各自のメールボックスを持つが、今の時代、中にあるのは、学校関連の書類やダイレクトメールばかりだ。でもこの日、ありさの郵便ボックスに手書きで宛名が書かれた、薄いベージュの封筒が入っていた。裏を返すと、差出人はスティーヴン・マーロン。母の結婚相手だと言う人だ。
 部屋に帰り、ありさは封を切って読んでみた。

 『こんにちは、エリッサ。初めましてと言うべきだろうか。私はスティーヴ・マーロン。君の母親、アリソンの夫だ。連絡が遅れて、すまない。
 先月、アリソンの墓参に行った時、ベリンダと会った。その時に、君がこちらの大学に来ているということを聞いた。もう二年近くになると言う。驚くじゃないか。
 君の小さいころの写真は、ずっと我が家の壁に貼ってあった。アリソンは君のことを、ずっと気にかけていた。生きている間に君に会わせてあげることができず、残念だ。私も君に会ってみたい。ジェイにも、彼の姉に会わせてあげたい。一度、こちらを訪ねてきてくれるだろうか。
 私は今風の機械があまり好きになれないため、電子メールは使っていない。それゆえ、この住所に手紙で返信をくれるとありがたい。 それでは、返事を待っているよ。
                          スティーヴン・マーロン』

 住所はバンクーバー市内ではなかった。スマートフォンの地図で確認すると、かなり何もない、郊外地区と言うのも適当ではないような田舎だ。ありさは素早く頭を働かせた。母の結婚相手に会って生前の母の様子を聞くのも、まだ見たことのない弟に会うのも、もちろん好ましい。招待してくれるなら、会ってみたい。でも手紙のやり取りだと、何日かはかかるだろうから、この週末ではぎりぎりだ。では、その次にしようか。相手の都合が悪かったら、さらにその次に。ありさもほとんどのやり取りを電子メールで行っているので、校内の売店で便箋と封筒を買い、返事をしたためた。そして学校の郵便局から、手紙を投かんした。
 四日後に再び手紙が来て、訪問日が決まった。来週の週末。マーロン氏は、少し距離があるので、土曜日に来てもらって、日曜日の夕方寮に戻るのはどうだろうという案と、同じ理由で寮まで迎えに行くより、途中までバスで来てくれないだろうか、帰りもそこまでは送っていく、という要望が書かれていて、ありさはそれに承知の返事を出した。電子メールなら一瞬だが、手紙の行き来は時間がかかる。それでも、遅くとも当日までには、マーロン氏もありさの返事を知るだろう。それゆえに彼女も、約束の日を、余裕をもって提案したのだ。

 当日、ありさは途中の店で買ったクッキー缶をお土産に持ち(ベリンダ伯母の家を訪ねた時にも、持っていったものだ)、バスに乗った。その終点、市外区の北のはずれの停留所に降りると、少し離れたところに立っていた中年の、背の高い男が手を振り、近づいてきた。
『エリッサかい? スティーヴだ。なんとなくわかったよ』
 ありさは相手を見上げた。背が高い、と思ったが、西洋人としては標準くらいなのかもしれない。どちらかと言えば、細い身体だ。色あせた緑チェックのフランネルシャツに、ジーンズ姿だ。その裾は切りっぱなしで、裸足にサンダルを履いている。頭を覆った髪の毛はうねっていて、肩に触れそうなほど長く、少し赤みがかった茶色と白が入り混じっている。目は灰色がかった緑で、鼻が少し大きく、肌が全体的に赤みを帯びていた。笑うと、その歯並みは恐ろしく整っていて、白かった。
『はじめまして』
 ありさはかすかに微笑み、挨拶をした。
『はじめまして、よろしく。いや、堅苦しい挨拶はいい。もう少し先に車を止めたんだ』
 案内された先には、日本ではほとんど見かけたことのないような、恐ろしく旧式のバンが停まっていた。色も緑なのか灰色なのかわからないほどくすんで、ところどころ塗料がはげ落ちている。座席は擦り切れていて、窓は開け放されている。
『おんぼろだがね、まあ、我慢してくれ』
 マーロン氏は運転席に乗り込みながら、陽気に肩をゆすっていた。
『今日はいい天気だから、窓を開けてあるんだ。この車はエアコンがないから、冬は死にそうになるがね』
 ありさはかすかに微笑み、窓に目をやった。さぞかし風が強く入ってきそうだが、もう少し閉められるだろうか――でも、窓のところに開閉スイッチはなく、代わりに小さなハンドルのようなものがついている。
 マーロン氏もミラー越しに、ありさの様子を見たのだろう。笑い声をあげていた。
『ハハ、これにはパワーウインドウなんて、ついてないんだ。窓を閉めたい時には、そのハンドルを時計回りに回してくれ』
 氏は助手席に置いた、赤い(所々剥げているが)ラジオ付きカセットのボタンを押した。音楽が流れだした。八十年代初頭くらいの洋楽――いや、それは日本の分類だが。少しだけ聞き覚えがある程度だ。
『あ、うるさいかい?』
『いえ、大丈夫です』
 ありさは再びかすかに微笑み、窓の外に目をやった。

 マーロン氏の家はそこから車で一時間ほど走った先にあった。ログハウスのような建物が大小二つ、白い木の柵で囲まれた、三十平方メートルほどの土地の中に建っている。周りには、ほとんど他の家はない。少し先に農家らしい家が、数件あるだけだ。
 敷地を取り巻いている柵の一部は大きく開いていて、氏はそこに車を乗り入れていた。車を降りると、大きな犬が駆けてきた。真っ白で、むくむくしている。サモエドかな、と、ありさは頭の中で犬の種類を照らし合わせた。今までペットのいる暮らしをしてきたことがないだけに、どう扱えばいいか一瞬不安がよぎったが、幸い一、二度吠えられただけですんだ。『大丈夫だよ、ニック。この人は大事なお客さんなんだ』マーロン氏にそう言われると、犬もわかったように吠えるのをやめ、見上げてくる。
『こんにちは』
 ありさは微笑み、内心少しおっかなびっくり手を出した。
『上から手を出しちゃいけないよ。それに緊張していると、犬の方も緊張するからね』
 マーロン氏は微かに笑みを浮かべて言う。ありさは少し屈んで手を出した。
『おーい、ジェイ。おまえのお姉さんだぞ!』
 マーロン氏は声を上げて呼ばわった。ややあって、庭の灌木(ブルーベリーだろうか)の茂みから、男の子が立ち上がった。黄色いTシャツにジーンズのサロペット姿の、小学校中学年くらいの子だ。髪はやはり肩に触れそうなほど長く、父親のようにうねっていて、赤みがかった金髪のような色だ。鼻は少し上を向いていて、頬にかけてかなりそばかすがある。少し小さめの眼は灰色がかった緑だが、驚くほど澄み切っていた。その子は表情を変えずに、じっとありさを見つめてきた。
『こんにちは』
 ありさは初めて見る弟の方に踏み出し、そして微笑んで屈みこんだ。
 男の子は相変わらず表情を変えず、じっと見つめている。やがて、『うん』と頷いた。笑いはしなかったが、拒絶の色も感じられない。少しほっとした。
『とりあえず、家の中に入って一休みしよう。お茶でも煎れるか』
 
 案内された大きめのログハウスの中は、丸太づくりではなく、板張りだった。天井は半分吹き抜けで梁が見えるが、半分ほどは同じく板張りになっていて、梯子が伸びている。屋根裏部屋なのだろう。小さなキッチンと冷蔵庫、食料戸棚、そしてダイニングテーブルと椅子。クロゼットが二つと、木のベンチとクッション。その前に丸いキルトが敷かれていて、ジェイの玩具箱らしきものが置いてある。その向こうにベッド。隅に洗面台。全体が一つの大きな部屋のようになっていて、区切りは何もない。その向こうに、ようやくバスルームらしき扉がある。大きな窓からは光が入り、天井にはランプが裸のままぶら下がっていた。壁にはアナログ式の時計がかかっている。クロゼットの上には、母の写真が何枚か飾ってあった。

 マーロン氏が紅茶をいれてくれた。ありさのお土産のクッキーも、缶に入ったまま出された。サモエド犬のニックも、ゆっくりした動作で家に入ってきて、テーブルのそばに丸まっている。
『殺風景だろう、わが家は』マーロン氏は声をたてて笑った。
『テレビもパソコンも、ゲーム機もないんだ。嫌いなんだよ、私は。だからカセットでお気に入りの音楽を聴いている』
『そうなんですか』
 ベリンダ伯母と母の墓参に行った時、『スティーヴも少し変わっている』と、義弟を評していたことを思い出し、ありさは微かに笑みを浮かべて頷いた。
『ジェイ君は普段何をして遊んでいるんですか?』
『ああ、図鑑を見たり積み木を積んだりね。それに彼は庭が大好きだ』
 マーロン氏はカップを取り上げ、中身を飲み干した後、続けた。
『ジェイには、少し障害があるらしい。いや、そんな言葉は好きじゃないね。他の子と少し違っている。それゆえ、集団にはなじめない。だから、彼は学校には行ってないんだ。ここで私が必要なことを教えている』
『そうなんですか』
 ありさは再び頷いた。伯母がこの子のことを『とてもいい子だけれど、軽い知的障害と自閉症がある』と言っていたことを思い出しながら。ジェイはなかなかテーブルに着こうとせず、周りを回ったり、ニックをなでたりしっぽを引っ張ったりした後、リビングスペースに行って本を取り出し、広げようとしていた。で父親に『こっちへ来て、お茶を飲みなさい』と言われ、やっと椅子に座っている。
――同じ半兄弟でも、桃香とは違うのかな。一瞬、そんな思いがよぎった。桃香は純日本人で、ジェイは純粋な白人だという、人種の違い以上に。妹は人懐っこく、おしゃべりで、素直だった。継母が与えた名作絵本が好きで、植物図鑑も好きで、でも人形遊びやおままごとは、あまりしない子だった。テレビやDVDも、教育用以外は見たことがなかったと思う。それも、継母の方針だった。
『気楽にしてくれ。私は君の継父になったかもしれないのだから』
 マーロン氏は笑みを浮かべた。ありさも少し遠慮がちに、笑みを返した。
『ずっとこちらに住んでいらしたのですか、母も?』
『いや、ここに来たのは一年半前だ。それまでは、バンクーバー郊外に住んでいたよ。北の方でね。もう少し敷地の狭い、一軒家に住んでいた。アリソンの仕事にも、病院にも、あまり遠いと不便だからね。彼女が死んで、もうその必要がなくなって、ここに移ったんだ。より自然に触れあえるからね。庭には鳥もたくさん来るし、近くには小川もある。森もある。ジェイにとっても、素晴らしい遊び場なんだ』
『いい環境ですね。でも、お買い物とかは?』
『買い物は週に一回、あのおんぼろバンで買い出しに行っているよ』
 マーロン氏は大きく顔を崩して笑った。
『庭には菜園もあるんだ。いろいろな野菜を作っている。ジェイはなかなかその方面でも才能があってね。うまく育てているよ』
『ジェイ君が?』
『ああ、もちろん管理しているのは、私だけれどね。肥料をやったり、剪定したりするのは。でも一緒に草をむしったり、水をやったり、私が忙しい時には、一人で面倒を見ている。花壇もあるが、それはアリソンの写真に備える用だな。冬はダメだが』
 ありさはクロゼットの上に置かれた、母の写真に目をやった。その横に小さな緑色の花瓶が置いてあり、ピンクのサクラソウとカーネーションがさしてある。
――家にいた時には、祖母と妹の写真に花を供えていたな。今はなかなかできないけれど。そんな思いが、ありさの心をかすめた。ジェニーたちに妹のことを話してから、彼女の許可を得て、寮の部屋でも二人の写真を飾っているが、なかなか花までは供えられない。

 その後、菜園に行っていくつかの野菜を三人で収穫した後、マーロン氏の工房に案内してもらった。そこは日本間でいえば十畳くらいの広さで、粗く削った木張りの床に、一脚の丸椅子、二つのテーブルの一方には作りかけの作品が、もう一方には工具箱らしきものが置いてある。部屋の隅に置かれた大きなかごには、大小の木片が入っていた。
 ありさは机の上に置かれた、その作品を見た。鹿をかたどった彫刻のようだ。枝分かれした見事な角が、まるで本物のように再現されている。
『素晴らしいですね』
 ありさは思わず感嘆の声を出した。
『いや、私は芸術家ではなく、しがない工芸職人だからね。こうやって作品を作って、店に卸して、生活をしている。ここから車で十五分くらいのところに、森があるんだ。そこへ行って、倒木を切り出して材料を集めている。だから、材料費はただみたいなものだ』
 マーロン氏は肩をゆすって笑った。
 庭の井戸で水をくみ、収穫した野菜を洗って、さらには町で買ってきたのだろう、麻袋に入ったジャガイモやニンジンを剥いて入れ、最後にパスタを放り込んで作ったスープが夕食だった。そしてゆで卵と。卵は近所(とはいっても、歩いて十分ほどかかるらしいが)の養鶏農家から、時々買っているらしい。
『パンは、買い出しに行ってから、三日くらいしか持たないからね。招待しておいて、粗食で申し訳ないね』
『あ、いえ、そんなことはないです。とてもおいしいです』
 お世辞ではなく、本心で答えた。シンプルだが、そのスープは優しくしみとおるような味で、野菜のうまみも、アクセントに使ったベーコンも、パスタも、混然と絡み合っているような感じだ。
 夜は、階上の屋根裏部屋へと案内された。広間の天井部の、板張りの部分。広さにして、六、七畳くらいだろうか。小さなテーブルと椅子、そしてソファベッドだけの部屋だ。
『私はジェイと同じベッドで、階下で寝ている。そのベッドは、以前の家で、アリソンが休む時に使っていたものだ。捨ててしまおうかとも思ったが、取っておいてここに置いたんだ。ああ、寝具もろとも、昨日一日陽に当てたから、休むのに心配はいらないよ。それと、この部屋には内側から鍵を取り付けたから、君のプライバシーと安全は確保されるはずだ。それではおやすみ』
 氏はにっと笑い、階下へ戻っていった。確かにドアの内側に、閂式の鍵がついている。疑うわけではなく、身の危険などもまったく感じはしなかったが、念のためその鍵をかけて、ありさは眠りについた。

『ところでエリッサ、君はいつも休暇中、どこに帰っているのかい? 君のお父さんは仕事でインドネシアにいて、他に家族はいないとベリンダに聞いたが』
 朝食の席で、マーロン氏はそう問いかけてきた。
『どこにも帰ってないです。ずっと寮にいます』
 長期休暇中、家に帰る学生は多いが、留学生たちは基本残っている。ありさの友人たちでも、ジェニーとキャスとリズは家に帰るが、ボニーは帰らない。彼女はたいてい、休暇中はベビーシッターや事務助手などのアルバイトをして暮らしていた。ありさも同様だ。去年の夏は、もっぱらベビーシッターや家事ヘルパーをして過ごした。少しでも自力で生活できるようにと。今年もそのつもりだった。
『それなら、二週間ばかりここに来ないか。歓迎するよ』
『え?』
『前にも言ったように、私は君の継父になったかもしれないんだ。それにジェイにとっては、半分血のつながった姉だ。少し一緒に暮らしてみたい。君が嫌でなかったら』
『あ――』
 思いもよらぬ提案に、ありさは少し戸惑った。困惑と、うれしさと。
『ありがとうございます。少し考えさせてください』
『わかった。決まったら、手紙をくれ』
『はい。あ、でも、お電話をお持ちなら――』
 ありさは言いかけた。テーブルの上に、旧式の携帯電話が無造作に投げ出されているのを、昨日から見ていたからだ。
『私は、電話は嫌いなんだ』
 マーロン氏は少し眉根を寄せて、首を振った。
『こっちの都合にお構いなく、割り込んでくるからね。だから、いつも電源を切っている。元々電波状態もあまりよくないから、たいして変わりはないがね』
『そうなんですか』
 ありさは微かに笑いを浮かべた。彼女自身のスマートフォンでも、たしかにこの辺りはあまり電波が入らないようだ。
『まあ、ここはテレビも何もなくて、君には退屈かもしれんがね』
『いえ、そんなことはないです。呼んでくださるというお気持ちは、とても嬉しいです』
 変わり者かもしれないが、マーロン氏に対して、否定的な気持ちは起きない。父親ではないが、頼りになる遠い親戚のような、そんな感覚が湧いてくる。

 寮に帰るために庭に出た時、ありさはふと花壇に咲いていた花に目をやった。鮮やかなピンクや赤、黄色の花たち。そこに一匹のハチが停まり、密を吸って飛び去る。別の花の上には、黒地に大きな黄色模様のテントウムシがとまっていた。
「あ」
 ありさは小さく声を上げた。これは夢の中で見たのと、同じ模様だ。地面から這い上ってきた――。
 ジェイがニックとともに近づいてきて、その花と虫をのぞき込んでいた。
『あ、(おつかいちゃん)だ』
 ジェイが小さく声を上げ、虫に指先を触れた。てんとう虫はその小さな指を這い上り、羽を広げて飛んでいった。あの夢と同じように。
『おつかいちゃん? それが、あのテントウムシの種類なの?』
 日本では見かけたことのない模様だから、この辺りに生息している種類なのだろうとは思ったが、妙な名前だと、ありさは思わず問い返した。
『種類は知らない』ジェイはかぶりを振った。
『でも、“彼”が近くにいるってこと』
『え?』
『みたことあるの、おつかいちゃん?』少年はそう問いかけてきた。
『ええ、たぶん、小さい時に。夢で見たこともあるわ』
 ジェイはありさに向き直り、じっと見つめてきた。その深い、澄み切ったまなざしに、ありさは何か心の奥深くで動くものを感じた。昔――こんなまなざしに会った。この子のような、煙がかったような緑ではなく、純粋に深い、エメラルドのような緑色――。
 ジェイは両手を伸ばし、ありさの指先を握った。今までの滞在中、ほとんど目を合わせることのなかった子供が、初めて彼女に触れてきた。
『エリッサ。夏に、ここに来て』
 その手の感触とまなざしは、ありさの心に不思議な感動をもたらした。彼女は、失ったもう一人の兄弟を思った。妹に感じていたような思いが、胸の中に注ぎ込まれるのを感じた。ありさは衝動に押されるまま、頷いた。
『ええ、来るわね』
 突然微笑みが、花開いたように少年の顔に上った。頬が赤みを帯びて、そばかすの色がほとんど目立たなくなる。その髪は陽の光を浴びて、赤みがかった黄金色の輝きを放っていた。美しくはないのだろうが、かわいい子だ――再び温かい感情が、ありさの心に入ってきた。
『本当かい?』
 背後でマーロン氏の声がし、ぽんと肩を叩かれた。
『ええ――ご迷惑でなかったら』
『迷惑なんて、とんでもない。それなら、八月の頭から二週間、それでどうだい? 同じバス停まで来てくれれば、また迎えに行くよ』
『はい――よろしくお願いします』
『よかった。それでは今日は、君を送っていこう。乗ってくれ』
『ぼくも行く』ジェイが父親の車に近づいた。
『そうか。じゃあ、一緒にお姉ちゃんを送っていこうか』
『うん。ニックもね』
 帰りのバンは、子供と犬が増えたため、座席がいっぱいになった。ありさは助手席に座り、ジェイとニックは後部座席へ。
『ラジカセを置く場所がないな。まあ、仕方がない。風の音のBGMといこう』
 マーロン氏は笑い、そして車は走り出した。




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