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2001,08,18−20山行、09,01掲載 |
素晴らしい晴天に恵まれた、尾瀬ヶ原と尾瀬沼 |
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7月にいきなり東京行きの辞令を受け、右も左も分からぬまま、単身上京、単身赴任というあこがれの生活(?)を始めました。 しかし、自由の味も充分に味わい尽くさぬうちに夏休みに突入、家族を呼び寄せることとなりました。8/3に帰郷し、すぐに引っ越しの準備を始めるつもりが、なまった体に九州の猛暑は容赦なく、3日も寝込む羽目になりました。やっとの思いで、8/12に東京町田市の借家に一家で移り住み、ダンボ−ルに囲まれての生活が始まりました。 しかし、娘達に今年の夏はどこにも行っていないと圧力をかけられ、なんと引っ越しの片付けも全然終了していない、8/18 かねてよりの友人で横浜に住む村上家一家と、関東の至宝、「尾瀬」へ出かけることにしました。引っ越しから、6日しか経っていないのに・・・。 8/18 AM8:00 町田の自宅を出発、圏央道の入間ICより、高速に乗り、途中田舎者の度肝を抜く、のろのろ渋滞を経て、やっと水上ICに到着したのが、13:00。実に5時間の道のりでした。この後、谷川岳へ向かったのですが、あいにくの雨、尾瀬の天候が危ぶまれます。 この日は、天候が今ひとつでしたので谷川岳の下見?は諦め、ペンションのある湯ノ小屋温泉まで一気に登ることとしました。(車でですよ。) |
8/19 宿泊地の天候は曇り、天候が悪かったら娘達が長い尾瀬の道を歩いてくれるか、とても不安である。ガイドブックには木道は濡れると滑るために要注意との記述があり、益々不安になる。 この時期、今回尾瀬に入る鳩待峠は交通規制のためマイカ−が入れない、ちょうど9人のパ−ティであったため戸倉のスキ−場に車をおいて、ジャンボタクシ−で鳩待峠へ向かう。いよいよ、尾瀬行の開始である。 鳩待峠に到着すると頭上は一面の雲、ただ上空が晴天の時の明るさがあり、天候が回復しつつあるのが分かる。期待がもてそうである。全員でリュックをかつぎ、出発する。最初は木道のある、林間の下りである。少し行くと天候が回復し、梢の間から至仏山が微笑んでいる。素敵な風景である。あたりには、トリカブトやオオカメノキいろいろな花々が咲き、なかなかである。 左は「サワギキョウ」
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途中、路傍にどてっと大きな葉を広げた植物が節操の無い姿で点在している。なんだコレはと思っているうちにはっと思い当たった。そう、水芭蕉の夏の姿である。写真やテレビで見る可憐なイメ−ジとは裏腹に、その姿がずいぶんと大きいのには驚かされた。そして、少しだけがっかり・・。 2時間ほどで山の鼻に到達する。天候は、既にバッチリである。いよいよ、尾瀬の核心部、尾瀬ヶ原である。植物見本園のベンチで昼食を取る。スケ−ルの大きな素晴らしい尾瀬ヶ原の景観を見ながら取る食事は格別である。後方には、至仏山がその雄大な姿でどっしりと見守ってくれている。正直言って登りたい、でも家族連れであり、引っ越し直後で疲れが残っているため、泣く泣く断念する。無理は禁物である。 右は「ウサギギク」、もしかすると「オゼミズギク」?どなたか教えて下さい。 |
尾瀬特有の池塘(チトウ)の水の中には、ヒツジグサ(左)やオゼコウホネが可憐に咲いている。さらに、周囲にはどっさりとサワギキョウが咲いており、九州では信じられない風景である。
それにしても尾瀬ヶ原は広い。木道をあるけどもあるけども眼前に見える燧ヶ岳が近づいてこない。(本当はこっちが近づいているのだが) その様子を見て、後ろの至仏山が笑っている。実に、のどかな風景で東京の喧噪を離れられてホッとする瞬間である。 上田代から中田代、竜宮と広大な尾瀬ヶ原を横切り、6kmほぼ3時間で下田代十字路に到着した。本日は原の小屋に宿泊である。素晴らしい好天に恵まれた、楽しいハイキングであった。 |
9/20 原の小屋を7:00に出発、左手に燧ヶ岳を望みながら、尾瀬沼を経て大清水へ至ル−トをとった。この日も素晴らしい好天で燧ヶ岳がお出でお出でをする中、唇をかみながら次回こそと心の中で叫ぶ。楽しいが、悔しい山行である。この後、戸倉温泉で一風呂浴びて、帰路についた。
それにしても、尾瀬の自然は実に豊富である。今回も、いろいろな花々に出会えた。特に感動したのは、このエリアにはゴミが一つも落ちていないことであった。東京で出会う人々の顔は、平面的でなにを考えているか分からないが、このように自然を大切にする心があることは喜ばしいことである。是非、都会でも素敵な心がけを発揮して欲しいものである。 |
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尾瀬のパノラマ左が至仏山、右が燧ヶ岳である。その広大さがよく分かる村上氏の素晴らしいショットである。 |
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