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本文へジャンプ 2006 4月21日 

 


    

    ◇ 相談8 ◇

     【浄土宗や浄土真宗では“般若心経”というお経を
      ほとんど読まないと聞いたのですが・・・
      何か意味でもあるのでしょうか?】


    


   【ご返信】

      仏教には大きく分けると、
      
『自力』『他力』、二つの“教え”があります。

      自らに厳しい修行を課して、自分自身を高め、仏に近づこうとする。
      たとえば、座禅などの“修行”を重ねることによって悟りを開こうと
      する禅宗の諸派、あるいは、山岳密教や修検道など、
      ・・・を『自力』といい、
      仏教は基本的に『自力』の教えだともいえます。

      これに対して、自分の力ではなく、
“仏様の慈悲の力”にすがって、
      極楽へと導いていただく。
      つまりは、“南無阿弥陀仏と称えるだけで、極楽往生できるのだ”
      というのが浄土宗・浄土真宗の
『他力』の教えです。
      (この考えの根本には、自力の修行をしようと思っていても、
       能力や環境に恵まれずに出来ないものたちだっているはずだ。
       
そのものたちをも救ってこそ、初めて仏教なのではないか。
       ・・・という、浄土宗の開祖・
法然上人の考えがあります。)

      簡単に言うと、(もうすでに簡単ではなくなっているかもしれませんが)
      「般若心経」は、どちらかといえば
『自分の力で“空=くう”を目指す』
      という、
自力的な意味合いが強いお経なのです。そのため、
      浄土宗では法式によっては読み上げることもあるのですが、
      どちらかといえば自分の宗派の教えを厳しく守る浄土真宗では
      ほとんど読みあげることはないようですね。



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