.個人事故―組織事故―社会事故 (1) | 返信 |
管理人S-1 04/28木23:35 #r148 神無月さん、橋村さんこんばんは。けっこう忙しかったのと、マスコミの初期の報道はセンセーショナルに書いた り、「ある意図をもって」小出しにされた情報で世論を一定の方向に誘導しがち なので、少し落ち着いてから考えようと思っていました。 ただ、事故を人ごとではないという思いはお二人と同じです。 報道される記事を細かく読んだ訳ではないのですが・・ 橋村さんの「過剰なサービスを求める社会が背後にある」というご意見は本当 にその通りですね。そしてその「社会」はどのようにして現在の「過剰なサービ ス」が提供・維持されているのかを考えようとしたことがない。そんな「社会の 要請」(実は過剰な競争)に応えるべく組織は(安全があって初めて成り立つ、 という原則は唱えながらも)目標構造をいつの間にかとり違えてしまっている。 そしてそれを職員にも「強制」するという構造になっているわけです。 黒田勲先生が2年くらいまえに「無理をさせ、無理をするなと、無理を言い」 というサラリーマンの哀歌にたとえて、こんなことをお話ししていたというこ とです。又聞きですが。 「日本型の安全」は安全の問題をシステムとして保証しようというのではな く本音と建て前の乖離を現場(個人)の裁量や努力でなんとかしている、とい う特徴がある。例えばラインでトラブルがあっても規定どおりにラインを臨時 に止めて点検修理するのではなく、何とか芸術的な運転をして次の定期点検ま で持たせる、というようなことが評価される。 (多分)こんな状態で作り上げられている「たまたま、事故にならなかった」 「たまたま定時だった」のを「社会」も「組織」も(場合によっては個人も) 「安全」と評価しているのでしょうね。そしてそれがあたりまえだと「わずか の遅れ」に不満を言う。そして「危ない安全」がつづくと組織のベクトルは 「経済性」へと向かう、と「組織事故」に書いてありますね。 「インシデント」の背景要因として「定時への心理的・現実的圧力」が指摘さ れていた最近の航空も同じようですね。定時運航の為に(いままで動き出す前 にしていた準備作業を、誘導路を走行しながら行っても良い、と)「マニュア ル」まで変更(省略)されてしまっているということです。 (2)へつづく |