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「アサーテイブになれなかった私」〜研修後のアンケートでわかったこと〜 夏から秋にかけてコミュニケーションをテーマにした研修を試みました。
この3つの研修は2週間をおいておこなわれました。半分以上参加者は重なっています。 一時期に連続して研修を行ったのは、一連のものとして理解してほしいと思ったからです。 いつも、講演などがあると当院では「思い出してもらうこと」(ブースター効果?)も含めて2週間後位に(かなりしつこい?)アンケート します。 その一部から「なぜ、アサーテイブコミュニケーションが成り立ちにくいのか?」を考えてみました。 アンケートは上記の1)〜3)の順に記述式に聞いています。ここでは2)3)に対するアンケートの一部を紹介します。 ![]()
少し乱暴な質問ですが、あえて聞かなければ考えることがないようでした。いろんな割合をこたえてくれましたが、 印象としては「個人」の要因に重きをおいて考えている方が多いようです。 「個人要因」を重視する理由として考えられるのは、「組織」「環境」「他の人」などが要因として影響していることに気が付かない、分析が難しい、 「もうひとつ背後の要因」へたどりつかない、対策が判らないので、結局「あなたがしっかり注意していれば、確認していれば・・・」「あなたが悪い」 となってしまっている可能性があります。 自分自身に対しても同じで、「私さえしっかりしていれば」と結論づけているようにも考えられます。 「個人」をあまり重視すると、(自分に対しては過度に自責的になりがちなほかに、当事者に対して)攻撃的になったり、逆に当事者に気を使いすぎ、 「かばう=隠してしまう」「だまっている」「指摘しない」となりかねません。 そのため何がどうして起きたのかがわかりにくくなり、改善へのヒントや貴重な経験の共有が成り立たなくなる可能性があります。 個人要因が本当に必要なのは(知らないことは知らない、出来ないことは出来ない、させない、という)「職業的正直さ」とモラル (自分自身の反省と事実をかくさないこと)だけかもしれません。 確かに医療事故調査会の年次報告によると事故の80%に「知識・技術の未熟」(多重要因ですから他の要因を合計すると100%以上になります)があげられていますが、 心理学やヒューマンファクターの専門家は「(○○という)個人の知識不足で」とは結論づけず、同時に「組織やシステムの教育体制に問題があり」と考えます。 「未熟」な「個人」を業務の全面に出してしまっている組織・チーム・環境の要因が大きいということです。 「なんでも他人(ひと)のせいばかりにする」性格は嫌われますが、仕事の上での失敗は、「私が悪うございました」と坊主懺悔(ぼうずざんげ)するのでも、 「ひらきなおり」でもなく、自分の行動・判断に影響を与えた環境や組織への(素直な)「いいわけ」を考えてみることも必要かも知れません。 その上で、その時の自分の「心理」「思考」「判断」を冷静に正直に考える(実際にメモる)必要があります。 こういう考え方は当事者だけでなく、分析担当者にも必要です。 ※「一人娘の病気のことが急に頭に浮かび」ブレーキのタイミングが一瞬遅れて事故を起こしてしまった30年間無事故運転士の話をお聞きしたことがあります。 運転士は事故の原因について、当初は「雑念が入りブレーキが遅れた」とだけ証言していました。 自分のミスであることは認めることができても、そのプライドからその背後にある原因を話すことが1年以上できなかったそうです。 「雑念が原因」では誰にも何も伝わりませんが、「(心の中の本当のことを)話してもらう難しさ」「話すつらさ」が伝わってくる例だと思いました。 ![]()
個人(自分)がおこしたエラーの背景をどう考えているか?を生々しい具体例で挙げてくれることを期待したのですが、それはほとんどありませんでした。 一般的に個人のエラーを誘発すると考えられる要因を挙げた方が殆どでした。 具体例をあげられない(あげない)、ということは、実際にそのように考える訓練がされていない、あるいは何かの当事者になった時にも、 周辺をふくめたその経過を把握できていない(「自分の不注意」「未熟」で片付ける)ことかもしれません。 《回答はこんな順でした》
![]() 〜アサーテイブになれなかった理由をふりかえる〜
「言える」「言った」「いつも指摘できる」と回答された方はごくわずかでした。ほとんどの方は、誰かのエラーに気がついても、 あるいは疑問を持ってもそれを指摘・質問することはできない、できなかった、という経験を持っていました。 《回答の多い順に》
予想されたとおり(一見明るく、わいわいと何でも話し合っている、かのように見える当院でも) エラーの指摘や疑問をあらわすことが実は大変であることがわかりました。 ![]() 「アサーテイブであること」が望まれているのは、「気が付いた」あるいは「疑問を持った」メンバーだけではありません。それを受け止める上司や先輩、同僚、後輩にこそ必要なのです。 自分の部下や同僚が「話しにくい」「いいづらい」と感じているかも知れない、エラーへの指摘や疑問を直ちに口にできるメンバーばかりではないかもしれない。 そのことが、ひょっとしたら「回復する可能性のあるエラー」が見逃される要因になっているかも知れない、と考える必要があります。 また、「自信がなくて言えない」「知らなかった」原因は教育システムに問題がある、というほかにメンバー間での情報の共有化がうまくいっていないことも考えられます。 情報の共有化、認識の共有化の体制を作っておかなければ「根性でアサーション」といっても「指摘を躊躇する要因」になります。 「業務である」と言うクールなご意見がありました。 全くその通りなのです。 「業務」で相手の反応・感情に必要以上に気をつかったり、「立場に対する過度の配慮」は必要ないのです。 「業務である」と考えることと「『エラー=悪』と考えない」「誰にでも起こりうるエラー」と考えることが、いたずらに攻撃的な指摘になったり、 逆に防衛的になり隠そうとしたりぜずに、お互い「さらり」と話ができる環境になる可能性があります。 また「アサーションはダブルチェックでもある」とこたえてくれたメンバーもいました。まさにそのとおりなのです。 ![]() エラーの指摘をする、とは言え、指摘するときには、タイミング、節度、礼儀をやはり考える必要があります。 人格やそもそもの能力を否定するような感情的言動は禁止です。「貴方は何時も○○だ」などというのはまったく余計なことなのです。 指摘する場合のスキルとして「あなたは間違っている」でなく「私は○○と思います」という伝え方をすべきといわれています。 ![]() 部下や同僚に指摘されて「ムッと」した上司の貴方には、「このように考えろ」と産業界では教育していることは何度もいいました。
部下にアサーションスキルが必要なように(指摘を受ける)上司には「聞く耳スキル」が必要なのです。アサーションと傾聴は一対ともいえます。 しかし、最後に決定し、責任をとるのはリーダーたる貴方。「NO」なら「NO」とビシッと決めなければなりません。 みんなの意見を聞いていることだけがリーダーの仕事ではありません。時間はまってはくれません。 ![]() 「あかるくわいわいと話している、職場」や「仕事仲間の宴会」。これが必ずしも(業務の)会話環境が良くなっていることかどうか? 「異質」な意見の「表明」へのハードルが低くなっていることかどうか?「そうだ、そうだ!」(「ごもっとも」)という同調、雷同型意見の発散の場ではないか? という疑問が証明されてしまったような気もします。 しかし、この問題に「特効薬」はないのでしょう。私達にいま必要なのは「コミュニケーションは難しい」、ということを共通の認識(気づき)とすること」が一歩なのです。 ![]() 確かに話を聞いたからといって次の日から「アサーテイブ」になれるわけではありません。 「アサーテイブ」でない上司のところであなたが突然「アサーテイブ」になっても「生意気」に思われるかも知れません。 「アサーテイブコミュニケーション」に古くから取りくんでいる産業界では、こと「安全」に関しては、(エラーを発見したら) 「節度を持って」「適切なタイミングで」「粘り強く」主張する、「(安全に関する)疑問には必ず質問する」ことを行動指針として明文化し教育しています。 同時にリーダーには「Group climate」(メンバーが発言しやすい雰囲気をつくる。発言出来ないメンバーもいることを知ること)が義務づけられています。 私達も同じだと思います。「その時安全のために一歩踏み出す勇気(と知識)」が必要なのです。そして「それを支える指針の明示」がトップコミットメント として必須なのです。 ![]() 「何か変だ」「言わなきゃならない」「でもなかなか言えない」ということはどんな世界にもあります。 しかし、私達の現場では、あなたの一言が重大な事故やインシデントを防ぐ最後の手段になるかも知れないのです。 * * *
いかがでしたでしょうか?今回のアンケートは当院の「アサーション度」を測定するような結果となりました。 職員のアンケートを読みながら自分も実はアサーテイブでないことを感じています。こんな具合です。 〈ある当直の夜に臨時に診察を依頼されました。(先輩の医者が受け持ちの患者さんです〉のカルテを見ながら「えっ?こんな指示。おかしいよなー」 「だから変になるんじゃないか?」とブツブツ。 看護婦さんに聞こえるように言いながら、翌日、そのことをちゃんと先輩に「指摘」できない自分がいます。 「えー・・・、○○は最近▲△のほうが良いという話ですねー」などと「超間接的な」「回りくどい言い方」をしてしまったり・・・・。 あなたもこんなことはありませんか?我ながら「姑息」だと思います。でも、言えているのだから「まだ」ましなほうかもしれません。 同じ事を後輩には「○○は▲△なんだよな。えっ?知らなかった?ふーん、常識なんだけど」〉 この違いわかりますか?僕も嫌(や)な奴です(苦笑。本当は後輩にはやさしいと思います)。 今回はアンケートからの反省のほかに「チームとしてのアサーション」「文化としてのアサーション」を考えたかったのですが、次の機会とします。 尚、この文章は他のアンケート結果とともに院内LAN掲載の「アンケートのまとめ」(の一部)をほぼそのまま載せたものです。 この連載にご意見・ご教示・間違いの指摘をお願いいたします。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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