番外23 「アサーテイブになれなかった私」
 
「アサーテイブになれなかった私」〜研修後のアンケートでわかったこと〜

夏から秋にかけてコミュニケーションをテーマにした研修を試みました。
1.「アサーテイブコミュニケーション入門」(院内講師 )
2.「事故防止のためのアサーテイブコミュニケーション」(事故防止委員会・管理人)
3.「医療事故の心理学〜チームエラーの回復とコミュニケーショントレーニング〜」(外部講師・心理学者)
1)事故をみる視点
2)チームでエラーを回復、
3)事故防止のコミュニケーションとしてのアサーション


この3つの研修は2週間をおいておこなわれました。半分以上参加者は重なっています。
一時期に連続して研修を行ったのは、一連のものとして理解してほしいと思ったからです。

いつも、講演などがあると当院では「思い出してもらうこと」(ブースター効果?)も含めて2週間後位に(かなりしつこい?)アンケート します。
その一部から「なぜ、アサーテイブコミュニケーションが成り立ちにくいのか?」を考えてみました。

アンケートは上記の1)〜3)の順に記述式に聞いています。ここでは2)3)に対するアンケートの一部を紹介します。

事故の原因は「個人」か、「環境・組織要因」か?
問 B.1.1)
医療事故の原因は「個人」か「環境・組織要因」か、どんな割合と考えるか?


 少し乱暴な質問ですが、あえて聞かなければ考えることがないようでした。いろんな割合をこたえてくれましたが、 印象としては「個人」の要因に重きをおいて考えている方が多いようです。

「個人要因」を重視する理由として考えられるのは、「組織」「環境」「他の人」などが要因として影響していることに気が付かない、分析が難しい、 「もうひとつ背後の要因」へたどりつかない、対策が判らないので、結局「あなたがしっかり注意していれば、確認していれば・・・」「あなたが悪い」 となってしまっている可能性があります。
自分自身に対しても同じで、「私さえしっかりしていれば」と結論づけているようにも考えられます。

「個人」をあまり重視すると、(自分に対しては過度に自責的になりがちなほかに、当事者に対して)攻撃的になったり、逆に当事者に気を使いすぎ、
「かばう=隠してしまう」「だまっている」「指摘しない」となりかねません。
そのため何がどうして起きたのかがわかりにくくなり、改善へのヒントや貴重な経験の共有が成り立たなくなる可能性があります。

 個人要因が本当に必要なのは(知らないことは知らない、出来ないことは出来ない、させない、という)「職業的正直さ」とモラル (自分自身の反省と事実をかくさないこと)だけかもしれません。
 確かに医療事故調査会の年次報告によると事故の80%に「知識・技術の未熟」(多重要因ですから他の要因を合計すると100%以上になります)があげられていますが、 心理学やヒューマンファクターの専門家は「(○○という)個人の知識不足で」とは結論づけず、同時に「組織やシステムの教育体制に問題があり」と考えます。
「未熟」な「個人」を業務の全面に出してしまっている組織・チーム・環境の要因が大きいということです。

 「なんでも他人(ひと)のせいばかりにする」性格は嫌われますが、仕事の上での失敗は、「私が悪うございました」と坊主懺悔(ぼうずざんげ)するのでも、 「ひらきなおり」でもなく、自分の行動・判断に影響を与えた環境や組織への(素直な)「いいわけ」を考えてみることも必要かも知れません。
その上で、その時の自分の「心理」「思考」「判断」を冷静に正直に考える(実際にメモる)必要があります。
こういう考え方は当事者だけでなく、分析担当者にも必要です。

※「一人娘の病気のことが急に頭に浮かび」ブレーキのタイミングが一瞬遅れて事故を起こしてしまった30年間無事故運転士の話をお聞きしたことがあります。
運転士は事故の原因について、当初は「雑念が入りブレーキが遅れた」とだけ証言していました。
自分のミスであることは認めることができても、そのプライドからその背後にある原因を話すことが1年以上できなかったそうです。
「雑念が原因」では誰にも何も伝わりませんが、「(心の中の本当のことを)話してもらう難しさ」「話すつらさ」が伝わってくる例だと思いました。

「エラーの背景にあるもの」への意識
問 B.2)
個人のエラーが組織や環境要因が影響した結果ではないか、と考えられる経験


個人(自分)がおこしたエラーの背景をどう考えているか?を生々しい具体例で挙げてくれることを期待したのですが、それはほとんどありませんでした。
一般的に個人のエラーを誘発すると考えられる要因を挙げた方が殆どでした。
具体例をあげられない(あげない)、ということは、実際にそのように考える訓練がされていない、あるいは何かの当事者になった時にも、 周辺をふくめたその経過を把握できていない(「自分の不注意」「未熟」で片付ける)ことかもしれません。

《回答はこんな順でした》
 @ 多忙
 A 業務の中断
 B 教育、指導体制の問題
 C 業務内容が紛らわしい
 D 業務の伝達に問題
 E その他

@《多忙》
並行した業務、業務量が集中(時間、ヒト)
A《業務の中断》
 「ナースコールへの対応」は挙げられていましたが、同僚の話し掛けや電話などを「中断の要因」として挙げた方はいませんでした
“Sterile cockpit rule”を持ち出すまでもなく、自分が他人のエラー誘発要因になっていないか?という「感覚」「センス」も必要です。
これは他の業界のように、「○○のときは雑談禁止」ときちんと決める必要があります。
医療労働は何時も複線(多重)で動いていますし、作業の対象が切り替わるので、より中断作業が多いからです。
B《教育、指導体制の問題》
 先輩・上司のまねをした。新人教育の到達目標と評価が疑問。指導不足。
人手不足が背景にあるとはいえ、OJTと言う名の「いきなり実戦投入」が長年続いている、という指摘もありました。
C《業務内容が紛らわしい》
 「決まりごと」があいまいなことが個人の判断にまかされる。
「決まり事が曖昧」なのか、「事態の認識が曖昧なのか」という問題があります。
「手の上げ下ろし」にまでマニュアルはつくることはできません。資格のある仕事をする場合は「それなりの期待される行動」を前提にしています。
D《業務の伝達に問題》
 「ヒト」(この場合はリーダーNs)を介した指示、医師の汚い字、判りづらい指示
E《その他の回答》
 「職員の年齢構成が若い人に偏っている」「タイムプレッシャー」や「処置におわれる」(意識)。 「呼吸器の種類が多い」「モノや薬剤の並べ方に一貫性がない」

他人のエラーへの指摘・疑問を表出することは大変だ
     〜アサーテイブになれなかった理由をふりかえる〜
問 B.3.4)
他者のエラーに気が付きながらも(あるいは疑問に思いながらも)指摘・質問出来なかった理由


「言える」「言った」「いつも指摘できる」と回答された方はごくわずかでした。ほとんどの方は、誰かのエラーに気がついても、 あるいは疑問を持ってもそれを指摘・質問することはできない、できなかった、という経験を持っていました。

《回答の多い順に》
 @ 立場に対する過度の配慮
 A 権威勾配
 B 人間関係を配慮
 C 「指摘」する知識への自信のなさ
 D 知らなかった?
 E 「自分の業務外」という判断(私は関係ない?)
 F 自分で納得
 G 抑圧

@、A《権威勾配》《立場に対する配慮》
 (1)「先輩・上司には言いにくい」:看護師の場合、(ライン外の?)医師や技師には比較的「言える」ようでしたが、
直属の上司や先輩にはかえって発言を控えているような傾向が見られました。内⇔外の関係よりも内部の方が発言に遠慮があるようです
「医師だから」というのはないとはいえないのですが、それ以上に「ラインの上」である部門の管理職にたいして遠慮しがちなことがわかりました。
 (2)医師対医師の場合「専門性(科)への過剰な配慮」とでもいうようなことを指摘する考えもありました。
      (かなり??と思っても)「○○科の医師がそういうのだから」と遠慮してしまう、というのです。
B《その後の人間関係を重視》
 指摘する事実そのものよりも「相手の反応が心配だ」「悪く思われたくない」「嫌われたくない」という感覚が意見の表明行動を抑制しているようです。
これは上司に対する場合にもありますが、「同世代に指摘できない」おもな原因になっているようです。
C《自分の知識への自信のなさ、相手への過信》
 「自信がなかった」「何か別の考えがあるのだろう」「きっと大したことないのだろう(と自分で自分の疑問を打ち消す)」は、
「安全についての素朴な疑問を口に出せない」組織の雰囲気の逆の表現かもしれません。
「指摘したが(自分のほうがあきらかに)間違っていた」などという経験がこのような消極的な態度になっている可能性があります。
また「自信がなくて言えない」原因は教育システムに問題がある、という他にメンバー間での情報の共有化が不十分な場合もあります。
D《知らなかった》
 「知らなかった」とアンケートにありました。個人の問題もありますが(個人間、組織間での)「情報の共有」ができていないことが問題になります。
それと利用可能性(アクセスのしやすさ)も問題になります。
E《自分の仕事じゃない》
 「自分の仕事はここまで」と業務のテリトリーを(勝手に)狭めてしまっているか、「他人の仕事」に無関心になっていることがうかがわれました。
組織の老化」の一面といえます。
F《環境、組織の雰囲気》
 環境、雰囲気、「話せる環境でない」
G《多忙感》
 「後で指摘しようと思いながら多忙でつい忘れた」というような内容の回答がいくつかありました。
多忙は事実なのでしょうが、自分で「(指摘を)急がないという判断」「緊急性・重篤性を認識できなかった」という可能性もあります。
また、「指摘」する場合は「(できるだけ)すみやかに」「単純・明快に」、が不要なコンフリクトを予防することになります。
H《抑圧》
 (ちょっと疑問は表明したが)「上の人がいいからといった」(疑問を抑えられた)
(質問はしたが)自分が納得できる答えでなかった。

 予想されたとおり(一見明るく、わいわいと何でも話し合っている、かのように見える当院でも) エラーの指摘や疑問をあらわすことが実は大変であることがわかりました。

受け止める上司にこそ必要な「アサーション」

 「アサーテイブであること」が望まれているのは、「気が付いた」あるいは「疑問を持った」メンバーだけではありません。それを受け止める上司や先輩、同僚、後輩にこそ必要なのです。
 自分の部下や同僚が「話しにくい」「いいづらい」と感じているかも知れない、エラーへの指摘や疑問を直ちに口にできるメンバーばかりではないかもしれない。
そのことが、ひょっとしたら「回復する可能性のあるエラー」が見逃される要因になっているかも知れない、と考える必要があります。

また、「自信がなくて言えない」「知らなかった」原因は教育システムに問題がある、というほかにメンバー間での情報の共有化がうまくいっていないことも考えられます。
情報の共有化、認識の共有化の体制を作っておかなければ「根性でアサーション」といっても「指摘を躊躇する要因」になります。

 「業務である」と言うクールなご意見がありました。
全くその通りなのです。
「業務」で相手の反応・感情に必要以上に気をつかったり、「立場に対する過度の配慮」は必要ないのです。
業務である」と考えることと「『エラー=悪』と考えない」「誰にでも起こりうるエラー」と考えることが、いたずらに攻撃的な指摘になったり、 逆に防衛的になり隠そうとしたりぜずに、お互い「さらり」と話ができる環境になる可能性があります。
また「アサーションはダブルチェックでもある」とこたえてくれたメンバーもいました。まさにそのとおりなのです。

やはり必要なタイミング、節度、礼儀

 エラーの指摘をする、とは言え、指摘するときには、タイミング、節度、礼儀をやはり考える必要があります。
人格やそもそもの能力を否定するような感情的言動は禁止です。「貴方は何時も○○だ」などというのはまったく余計なことなのです。

 指摘する場合のスキルとして「あなたは間違っている」でなく「私は○○と思います」という伝え方をすべきといわれています。

上司の貴方の心がけ

 部下や同僚に指摘されて「ムッと」した上司の貴方には、「このように考えろ」と産業界では教育していることは何度もいいました
 * 「誰に言われたか」でなく「何を言われたか」
 * 「誰が正しいか」でなく「何が正しいか」
 * 自分がどのように振る舞うことがチームとしてのパフォーマンスの向上に寄与するのか
   (注:「同調行動」をしなさいと言う意味ではありません)

 部下にアサーションスキルが必要なように(指摘を受ける)上司には「聞く耳スキル」が必要なのです。アサーションと傾聴は一対ともいえます。
 しかし、最後に決定し、責任をとるのはリーダーたる貴方。「NO」なら「NO」とビシッと決めなければなりません。
みんなの意見を聞いていることだけがリーダーの仕事ではありません。時間はまってはくれません。

「コミュニケーション(アサーション)は難しい」という気づきが必要

 「あかるくわいわいと話している、職場」や「仕事仲間の宴会」。これが必ずしも(業務の)会話環境が良くなっていることかどうか?
「異質」な意見の「表明」へのハードルが低くなっていることかどうか?「そうだ、そうだ!」(「ごもっとも」)という同調、雷同型意見の発散の場ではないか?
という疑問が証明されてしまったような気もします。

しかし、この問題に「特効薬」はないのでしょう。私達にいま必要なのは「コミュニケーションは難しい」、ということを共通の認識(気づき)とすること」が一歩なのです。

難しい。でも「Be assertive!」そして「Group climate」

 確かに話を聞いたからといって次の日から「アサーテイブ」になれるわけではありません。
「アサーテイブ」でない上司のところであなたが突然「アサーテイブ」になっても「生意気」に思われるかも知れません。

「アサーテイブコミュニケーション」に古くから取りくんでいる産業界では、こと「安全」に関しては、(エラーを発見したら) 「節度を持って」「適切なタイミングで」「粘り強く」主張する、「(安全に関する)疑問には必ず質問する」ことを行動指針として明文化し教育しています。
同時にリーダーには「Group climate」(メンバーが発言しやすい雰囲気をつくる。発言出来ないメンバーもいることを知ること)が義務づけられています。

私達も同じだと思います。「その時安全のために一歩踏み出す勇気(と知識)」が必要なのです。そして「それを支える指針の明示」がトップコミットメント として必須なのです。

あなたの一言が・・・

 「何か変だ」「言わなきゃならない」「でもなかなか言えない」ということはどんな世界にもあります。
しかし、私達の現場では、あなたの一言が重大な事故やインシデントを防ぐ最後の手段になるかも知れないのです。



*       *        *


いかがでしたでしょうか?今回のアンケートは当院の「アサーション度」を測定するような結果となりました。
職員のアンケートを読みながら自分も実はアサーテイブでないことを感じています。こんな具合です。
〈ある当直の夜に臨時に診察を依頼されました。(先輩の医者が受け持ちの患者さんです〉のカルテを見ながら「えっ?こんな指示。おかしいよなー」 「だから変になるんじゃないか?」とブツブツ。
看護婦さんに聞こえるように言いながら、翌日、そのことをちゃんと先輩に「指摘」できない自分がいます。
「えー・・・、○○は最近▲△のほうが良いという話ですねー」などと「超間接的な」「回りくどい言い方」をしてしまったり・・・・。

あなたもこんなことはありませんか?我ながら「姑息」だと思います。でも、言えているのだから「まだ」ましなほうかもしれません。
同じ事を後輩には「○○は▲△なんだよな。えっ?知らなかった?ふーん、常識なんだけど」〉
この違いわかりますか?僕も嫌(や)な奴です(苦笑。本当は後輩にはやさしいと思います)。

今回はアンケートからの反省のほかに「チームとしてのアサーション」「文化としてのアサーション」を考えたかったのですが、次の機会とします。
尚、この文章は他のアンケート結果とともに院内LAN掲載の「アンケートのまとめ」(の一部)をほぼそのまま載せたものです。

この連載にご意見・ご教示・間違いの指摘をお願いいたします。
 
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