Chapter.11「あなたは自分の上司や同僚の過りをどう指摘しますか?」
 
 東京女子医大事件のときに(医師や病院から)カルテや記録の「書き換え」を迫られたことを契機に 看護協会は「NOと言える看護婦」キャンペーン[1]を開始し、法制化も、ということですが、 他の業界では「うそを言うのが辛かった」というレベルではなく、安全や事故・規則違反に関することは その場できちんと「確認」することが教育トレーニングに組み込まれています。

 航空界では


 テネリフェ1977(ジャンボ機同士が滑走路上で衝突、世界最大の航空機事故):
  KLMの航空機関士は滑走路上にパンナムのジャンボ機がまだいると疑った、しかし「大丈夫」の機長の一言に反論できなかった。 (この事故に関しては教訓化すべきはこの点だけではありません。世界の航空会社をしてヒューマンファクター教育、CRM教育を開始させる契機となった事故です。

また他分野からも教訓をシャブリ尽くすべき」事故として分析されています。
当院でも再現ビデオを使用して「コミュニケーション」の講義をおこないました。 覚えていますか?CRMseminarの資料に事故の経過を記載してあります)
 テネリフェの事故
 ワシントン1982(雪のワシントンを離陸したフロリダ航空の737は離陸直後に墜落した):
  操縦していた副操縦士はエンジンの音がおかしいと思っていたが、機器を監視していたのは機長だった。 機長は「何か変だ」というだけで黙ったままだった。(役割上、機器をモニターしている側は、航空機は離陸中断不可能速度になる前にトラブルを疑ったら 「engine failure!」と宣言しなければならない、そうです)。 エンジンの出力を表すセンサーが凍りついていたのだ。おまけに翼には雪が積もっていた。 凍結防止剤の散布から時間がたちすぎていたのだ。
 ??
  東洋人の副操縦士が白人の機長に意見をいえなかったための事故…

航空界はこれらの事故を教訓化だけでなく、「教訓をじゃぶりつくそうと」(「機長のマネジメント」)組織を上げて取り組んでいます。
それでも、機長に意見を言いにくい、言えない、十分なコミュニケーションがとれない、と感じている副操縦士はいまだに40%もいる、そうです。
そしてそのことを自覚し、危機的に感じているからこそ、必ず毎年のヒューマンファクター教育(CRMトレーニング)を義務づけ、繰り返しています。 最近では、管制や航空整備もMRMとしてヒューマンファクター教育訓練を開始しました。(2002.11.発行のテキストは購入可能で基礎テキストとしてわかりやすくお薦めです)

どんな世界でも最も難しいコミュニケーションかもしれません。
しかし、それを知っているからこそ、とりくんでいるのだと思います。
たとえばJASでは義務づけられているCRMトレーニングの中に 「assertion/inquiry」(安全への主張・質問)という項目をあえて設定しています。
1) エラーを発見したら早い時期に節度を持って指摘する
2) 安全を逸脱する行為には勇気を持って粘り強く主張する
3) おかしいと思ったら必ず確認する
4) 初歩的な質問を馬鹿にしない(特に安全に関して)
5) リーダーは部下や同僚がものを言いやすい雰囲気を作る(group climate)ようにつとめる。
を乗務員に教育しています。


 我が業界では
1999年におきた幾つかの大きな事故のひとつ、横浜市大の患者取違い手術事件を考えてみます。 あの事故を知ってまず、どのように考えたでしょうか?
「うちでは手術室がそんなにないからあんな事故は起きることがありえない」とでも考えたでしょうか?
 実は筆者の第一印象はそうだったのです。
しかしHF的《CRM的》にものを少し考えるようになって、本質はそこにはない、と考えるようになりました。
(そして過去の事例を振り返ると、同じようなことが実際起きていることをしって、ぞっとしました)
横市大調査委員会[2]の報告書は「初めて公表された事故報告書」などと言っていますが、この事故調査報告書はネットで公開されたことが最大の功績かもしれません。
そのため、調査委員会の分析だけでなく航空界や原子力のヒューマンファクター専門家によって分析されています。 手術室の入り口のハッチウエイが云々とか、忙しい時間にオペだしをするのが悪い、とか人が足りない、とかバーコードをなどと言うのは全く本質ではないような気がします。
(運んだ看護婦がまちがえた、ことはともかく)麻酔をかけるときに、手術を始めるときに、そして始めてからも何度もかなりのメンバーが「気が付いていた」「おかしいと思った」
(かつ客観的所見もあった)にもかかわらずに、何故、誰もが声を出さずに進んでしまったのか
、ということが1999年の横浜市大事件の本質だと思います。

「空のテネリフェ」に匹敵する「医の横市」、と言ったら言いすぎでしょうか?(レベルは違いすぎますが[3]…)
とにかく一度ヒューマンファクターという眼から報告書[4]を読んでみてください。
思い込みエラー」「権威勾配」「リーダー不在」「コミュニケーション」「集団的浅慮
あらゆるヒューマンエラーを誘発する因子がかさなっています。
そして「chain of events」、誰かが一言声を出せば…事象の連鎖を断ち切ることができた可能性があったのです。

我々も同じ事を起こす可能性は十分あります(実際にもう起こしています。申し送りが「抜けた」、というレベルではありません)。 他人の教訓はまさに「しゃぶり尽くさなければ」(「機長のマネジメント」)なりません。 (この件については2001.9.講義「コミュニケーション」で話しましたので資料を参考にしてください)

 たしかに「医療の不確実性」、「個々の医師の裁量」とか(他の業界の方法をそのまま持ち込めないようなところもありますが、  「隠れ蓑」「いいわけ」にしているようなところもあります)があり、だからあまり他の医者の治療にたいしてあまりとやかく言わない、という歴史があります。
 同様に人にあまり言われたくない、という「自己防衛」的な感覚もないとはいえません。  看護婦も申し送りなどで「えーっ変だ」と思っても言えない、何てことは医者よりももっとあるようです。  長い申し送りでも案外思ったことを自由に話せているわけではないようです。

 しかし、医療はもともとチームワークです。

 言いやすいときに、言いやすい人に、言いやすいことだけ言う、というのはだめ。言いやすい雰囲気作りが大事ですが、言う勇気、そして節度も必要です。
 決まった言い方も必要かもしれません。JASの言うように「指摘するなら早いうちに節度をもって」行い、
「直接指摘できないのなら工夫が必要」
かもしれません。

 inquiryだけでなく、「○○でしたよね」とか(質問型を装う)…など なかなか難しいですね。自然に任せるのではなく「スキル」として訓練する必要があるかもしれません。
指摘したあとに「罵倒されたり」(あまりそこまではいかないと思いますが)、 「ブツブツ」いわれたりするのも耳をふさいで「仕事のうち」「給料のうち」と割り切ることも必用かもしれません。

 えっ?僕の場合ですか?やはり同僚や後輩に「率直に」批判をされたら「むっとします」よ。
 場合によっては「ムキ」になったり「闇夜で危なくなる」かもしれませんよ。「気をつけて」優しく、節度を持って指摘して下さいね。

 これに関してはHF seminar2002 のTIPSで再度取り上げたいと考えています。


「だれにいわれたか?」でなく「何を言われたか?」を考える
 僕と同じように「むっとする」のはだめ、言われてかっとするのはもっとだめ。たいていは「何を言われたか」でなく「誰に言われたのか」と考えてしまいがちです。
 少なくとも、指摘された側は「何を言われたのか?」と考えましょう。そして指摘する側は「人格を否定」したり、「技量を疑う」ような発言はしないようにしましょう。
 それでも指摘せざるを得ない場合はつとめて「明るく」「手短に」、ではないでしょうか?

テーマに対する模範解答は無いのですが…
あなたもhumanだからerrorは避けて通れません。(「ヒューマンエラー」じゃなく「ヒューマンエラー」という存在だ、という人までいます)「自分も間違うことがある」 「間違っていることがある」「いま間違っていないか?」という認識、怖れ、をもつことが大事ということです。

残念ながらこの章のテーマに関する模範解答はありません。だからこそ、教育が必用なのです。そして、自分の仕事は何だったのか?をその時、思い起こすこと、 が勇気を持って上司や同僚に誤りを指摘する力になるかもしれませんし、後輩や部下から思い切り「失礼な指摘」を受けたときにも「かっとならずにすむ」かもしれません。

ん!だんだん嫌いな「精神訓話」のようになってきたかな?


でも筑波大学の海保先生も言ってるけど、最新の心理学の「自己モニタリング」はヒューマンファクターズや認知科学を理解(かんがえた)した上でのものだから、 50年前の「精神論」「根性論」とは違うんだけどナー


いかがでしょうか? この連載についてご批判、ご意見をお願いします。

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[1]リンク先「悪魔の代弁者」を参照にして下さい

[2] 報告書は大変よく出来ているのですが、大きな問題点がひとつ指摘されています。
  というのは横市大関係者への聞き取り調査は「部内」でのみ行われたこと、学外の調査委員による直接の聞き取り調査はなかったことです。
  人間がかかわった事故がヒューマンファクター専門家の入った事故調査委員会の直接の調査を受けていないことは、
  報告書の価値が半減します。それでも、ネットで公開されたことで、その後、(報告書の範囲ではあれ)航空界、原子力発電等の
  ヒューマンファクター専門家に分析される機会を得たわけです。

[3]「航空事故に遭遇する確立は、統計的に見ればごくわずか。飛行機に毎日乗っていても、事故に遭うのは438年に1回です」といわれています。
  航空界はこれを減らそうと必死に訓練しています。医療事故に遭う率、は分りませんが
  米国で年間48000から80000人が医療事故でなくなっているそうです。

[4] 報告書そのものはネットで公開されています。それに対するヒューマンファクター分析は原子力界、航空界、
  心理学者などから分析されています。興味のある方はご連絡ください。いくつかはあります。
  とりあえず直ぐ手に入るものとしては、柳田邦男「緊急発言いのちへU」でしょうか。
 
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