慰霊碑が立ち並びます。
南無阿弥陀仏(常宣寺)
 この碑は 戊辰の役白河口の戦いの中で最大の激戦であった五月一日の翌日に西軍の手によって処刑され谷津田川に流された東軍将兵及び、白河領民の霊を祀ったものである。 以前は新橋のたもとにあったがこの常宣寺に移された。
 またこの碑と同じ碑が馬町にある
 昭和六十三戊辰年六月
 白河観光協会
馬町は南町と思われます。
南無阿弥陀佛
南町のものとは大分形が異なります。
誠譽忠清信士詳細不明です。
裏面の情報が特定に結びつく?<クリック>で裏面へ。
會津藩戊辰戰死十二士之墓
裏面には埋葬者が刻まれています。<クリック>で裏面へ。

笹沼金六の墓です。
表面に刻まれた文言はできる限り下で報告。
三坂喜代人
三坂喜代人
他何も情報が有りません
(;つД`)

南無阿弥陀仏 
住所 福島県白河市向新蔵136
施設 浄土宗 常宣寺
戊辰白河口戦争記

案内板は南無阿弥陀仏となっていますが、会津藩士の墓石が際立つ墓地です。
秋と春の彼岸時期に行ったのですが、春は一面杉だらけでツライです。・゚・(ノд`)・゚・。
笹沼金六正面から
光照院方誉義見居士 俗名 笹沼金六
君は世臣笹沼主計之三男也母中地氏天保九年会津城郭内米(?)代三丁?生れ
旻兄金兵衛家禄百石を領す学校日新館に入文武両道を学ぶ文久二年閏八
月君侯の京都守護職は台命を拝せられるや上士の子弟?しを武芸錬達?
者約二十五人伐挙京都常詰先備甲士勤と名称寸君?其選也弓馬槍刀の四術
及銃射水泳究む十二月君侯?追従する上京?当時洛中にて脱藩者有志
左側面
を称す?者集合し尊王攘夷を主唱する者多し近畿の人之?京都浪士或
天誅組と呼其勇悍?るに恐怖する酷多し三年春洛西等持院?在所
利尊氏集詮義光三将軍?木像の首を執る来り三條稿土(以下不明)
と名付け日吾吾五百有餘年以前?在しならむ(?)生首引抜き畏れ(以下不明)
云?と其罪責告??添付都下人心?怐た利是浪士の(以下不明)
吏其剽悍る斬を以て敢??戰出?す??の下(以下不明)
に藩即ち先備甲士伐出?浪士十五人を逮捕し?谷は?藩邸(以下不明)

後半?ばっかりになってしまったのでこの辺で。ほんとは背面、右側面まで続きます。
光量不足だったので、次回はフラッシュたいて、下方をメインに撮れればいいなぁ。白河口戊辰戦争記には記述されてるのかな?記載されてませんでした。

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