川沿いに立つ慰霊碑です
南無阿弥陀仏(馬町)
 この碑は、戊辰の役白河口の戦の中で最大の激戦であった五月一日の翌日に西軍の手によって処刑され、谷津田川に流された東軍将兵及び白河領民の霊を祀ったものである。この碑と同じものが以前は新橋のたもとにあったが現在は常宣寺に移されている。
 昭和六十三戊辰念六月 白河観光協会
色々な意味で心が痛む案内板です。

南無阿弥陀仏 
住所 福島県白河市南町34周辺
戊辰白河口戦争記

白河中心部を流れる谷津田川(やんたがわ)沿いに立てられている慰霊碑です。
看板を含めた全景を撮ろうとすると道路に出るようになってしまうので、別個に撮影です。
白河領民が処刑された主な理由は東軍隠匿のようです。
この近辺はM.D.とみやまから徒歩10分位の場所です。ご近所さんのご先祖様で被害に遭われた方もいらっしゃるのでしょうか。。。
侍同士の戦いと言えども、少なからず地元民が些細な咎で亡くなられているという事を決して忘れてはいけません。

さてパッと見てすぐ気付く事ですが、所在地の部分が釘のようなもので削られています。
慰霊碑が立てられている場所が馬町ではなく南町であることからこのような所作が行われたのだと思いますが、あまり良くないなぁ。
どちらの町の方が行ったにしても、縄張り争いでもしているかのような印象を受けてしまいます。
観光協会は20年以上もチェックしてないのかな?別の手書きの看板では誤字もあったしなー。
ついでに個人的に思うのは白河は歴史遺産の保護が追いついていないなーと。
歴史の町と主張する程に遺産の数は非常に豊富ですが、果たして今の状況で後100年後どれだけのものが形を残しているか。
戊辰関連の物について言うと、風雨に晒されている碑、墓石類は殆どが建立後100年近く経ち非常に風化が進んでいます。
あと数十年後には表面の文字の殆どは判別できなくなるでしょう。今の保存状況で100年後に戊辰戦争を語り継ぐことはまず不可能です。
その他小峰城についても、正面の石垣は非常に状態が良いですが、裏側、奥側に進むと草が生え放題だったりゴミが多数捨てられていたりと、文化財とはとても言えない有様になっています。
根本的に白河市民に対する戊辰戦争についての教育は殆ど成されていません。
白虎隊がTVドラマで放映された当時私は小学校高学年でしたが、その当時でさえ戊辰戦争が白河でも激しく行われていたという歴史教育は殆どされずにいました。
中学、高校になれば受験の為の歴史勉強となり、学年末に及んでしまう幕末は只でさえ複雑な時代。効率重視で地元の歴史と照らし合わせる暇などまずありません。
センター試験日本史選択の自分の経験です。( >Д<;)ツメコミー
当時全く無関心だった分、今は新鮮な感覚で調べる事ができるのは不幸中の幸いかも。
もともとは無関心だった自分が興味を持ったいきさつは
城好きの旧友が会津に勤務
会津は地元教育に熱い!
小峰城も北と南で目的が違くてな云々
ほーそんなもんなのか、じゃ南北の石垣の違いでも見てくるか
戊辰慰霊碑地図発見( ゚Д゚)興味シンシン ←今ココ!
戊辰にのみ焦点を絞ってトツトツと述べてみましたが、その他に自分が市内を巡ってみて思うのは、市内には非常に多くの石碑と祠が立っているという事です。
特に馬頭観音についてはあちらこちらで立派なのから小ぶりのものまで。かつては馬市でその名を馳せた場所であるのも理由なのかもしれません。
そういう歴史を考えると、WINSが白河近辺にあるというのも何かの因縁かな?
石碑は年代物から新しいものまで。一度一斉調査してくれないかなーと思います。祠についてはZENRINさんが殆どカバーしてくれてますネ。

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