「石窟庵」と「仏国寺」は、「石窟庵と仏国寺」として一体的に世界遺産に登録されていますが、地理的には「石窟庵」は慶州の中心部から南東へ約25kmの吐含山の山頂近くに、また「仏国寺」は石窟庵の西約9kmと離れたところに位置しています。
ともに、韓国仏教美術の最高峰を保有する施設として、1995年に世界遺産に登録されたものです。
「石窟庵」は、751年に新羅35代景徳王時代の宰相・金大城が両親のために仏国寺の改修の際に創建したもので、当初は石仏寺と呼ばれていましたが、、朝鮮王朝時代には忘れ去られ、1000年近くも経った1900年頃山中で雨宿りをしていた郵便配達人が偶然発見し再び日の目を見たもので、石窟庵の純白の花崗岩の如来像は、韓国仏教美術の最高峰と言われています。
石窟庵の山門の手前左側にある「仏国大鐘閣」です。 | |
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仏国大鐘閣に納まるその名の通り大きな鐘です。 |
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石窟庵の山門で、「吐含山石窟庵」と書かれています。 |
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山門脇に置かれている、「世界遺産石窟庵石窟」の記念標石です。 |
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石窟庵へは、鬱蒼とした森の中の道を歩きますが、途中あちこちでリス(幹の真中)の姿を見受けました。 |
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前方左側に見えるのが「石窟庵」で、右側の庵が「壽光院」です。 |
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石窟庵に上がる石段下にある「甘露水」と刻まれてる大きな手水鉢で、この甘露水を飲むと長寿になると聞きました。 |
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世界遺産「石窟庵」です。 |
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「石窟庵の平面図と断面図」です。 |
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前室の建物で、あとから付けたものです。 |
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同上。 |
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石窟庵敷地内で1段下にある庵・「壽光院」です。 |
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同上。 |
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寄進された瓦で、1枚1枚に寄進者の名前や国籍などが書かれていました。 |
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石窟を覆っていた石材のようです。 |
石窟庵の9km西にある「仏国寺」は、535年に創建されたもので吐含山の斜面を巧みに利用して伽藍が建てられています。
文禄・慶長の役で焼かれ、現在の建物はその後再修復されたものですが、石造部分だけは創建当時のままで新羅最盛期の仏教文化の完成度の高さを今に伝えています。
仏国寺の山門「一柱門」です。 ここから仏国寺の境内に入ります。 |
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仏国寺の案内図です。 |
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「世界遺産仏国寺」の記念標石です。 |
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一柱門を通りしばらく進むと「天王門」があります。 |
天王門を抜けると伽藍が見えてきます。 |
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「紫霞門」は、俗世と仏の世の境界を表わしています。この門を入るとそこからは大雄殿を中心に仏国土が展開します。 紫霞門に上がる階段ですが、上の16段が「白雲橋」、下の17段が「青雲橋」と名付けられていて、国宝に指定されています。 なお、紫霞門、安養門の階段の上り下りは、禁じられています。 |
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向かって左側の「安養門」に上がる階段は、上の8段が「七宝橋」、下の10段が「蓮華橋」と名付けられていてこれも国宝に指定されているものです。 |
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写真左手の石橋が、安養門への蓮華橋、右手奥が紫霞門の青雲橋で、中央に見えるの建物が「泛影楼」です。 |
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紫霞門と安養門の回廊の真中に建つ「泛影楼」です。 |
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白雲橋、青雲橋の右手迂回路から、、仏国寺の本堂「大雄殿」境内に入ります。 |
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紫霞門の回廊の右手に掲げられて木魚です。 | |
泛影楼の回廊の法鼓です。 |
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仏国寺の本堂「大雄殿」です。 |
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大雄殿の前、右手に建つ石造三重塔「多宝塔」です。 |
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多宝塔と相対する形で、左手に建つ「釈迦塔」です。 |
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大雄殿の後方にある「無説殿」で、華厳経の講義が行われていた所だそうです。 |
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無説殿の更に奥にある「毘盧殿」の山門です。 | |
「毘盧殿」で、中には国宝に指定されている金銅毘盧遮那仏座像(8世紀中葉の作)が置かれています。 | |
毘盧殿の脇の保護柵に囲まれた、高麗時代初期に造られた「舎利塔」で、宝物に指定されています。 |
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毘盧殿の裏手で境内で一番奥にある「観音殿」です。 | |
極楽浄土を開いた阿弥陀如来を奉る「極楽殿」です。 |
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上の写真は、福を呼ぶという「金豚」が極楽殿建物の扁額の後ろに描かれていると聞き写したものですが、何処にいるのやら?。 |
2008年11月28日